1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
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2025-03-16 51:31

#300 【300回記念】今後取り上げたい哲学者たち

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。



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サマリー

哲ラジオの300回記念特別番組では、今後取り上げる哲学者たちを紹介し、古代から現代までの哲学の流れや特定の哲学者について考察を展開します。特に、ジョン・ロックやエイリヒ・フロムの思想が取り上げられ、彼らの影響と重要性について議論がなされます。哲学的な自由の概念を探求し、「何々への自由」と「何々からの自由」の違いについて考察が行われます。さらに、ミシェル・フーコーの思想、特に「パレーシア」という概念を通じて権力構造の分析が行われます。このエピソードでは、フーコー、ドゥルーズ、ガブリエルなど、今後取り上げたい哲学者が紹介され、彼らの思想の特徴や影響が探求されます。特に、意味の生成や相互作用に関する哲学的観点が強調されています。また、哲学とその関連テーマについて、大乗仏教や陽明学、寿司学に焦点を当てながら、今後取り上げる哲学者やテーマについて議論がなされます。これらの思想が日本の歴史や文化に与えた影響についても探求が行われます。今回のエピソードでは、今後取り上げる哲学者たちについて話し合い、リスナーに対する感謝の気持ちが表明されています。

300回を迎えての感謝
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回でそれ哲ラジオ300回ということで、300回記念特別番組やっていきたいと思いま〜す。
いえ〜い、はい。
いや〜本当にね、あの、おめでとうございます、ありがとうございます、まあ我々同士で言う感じですけど。
いやでも本当にね、なんかこう、ほぼ丸3年かな?になりそうなんですけれども、なんかこれ本当に続けてこれて良かったなって、本当にありがたいな〜って気持ちいまいっぱいでして。
いや〜そうですね、やっぱり。なんだかんだあの、本当、聞いてくださる方がいるからっていうのが本当だね、これね。
いや〜本当にね、本当にそう思いますね。
そうそう、発信者の方々が言ってるけれども、これは本当ですね。
ね、だから、それはすごく励みになるし、だから本当にそれはありがたいなと思いますし、あと、なんかこの300回って結構自分の中で大きくいって。
え〜そうなの?
そうなんですよ、なんか元々始めた時に、なんか3年ぐらいはなんか続けられるイメージは一応あったんですね、当時から。
あーそうなの、ほうほうほう。
うん、とか3年ぐらい続けたいなって思ったところから、今ちょうど3年が経った時に、なんか全然まだいけるなっていう感覚があって。
あー、なるほどなるほど。もうあの、なんかもうネタも絞り出してもうないみたいな感じではないんですかね。
そうそうそうそう。一回ね、ちょっとしんどいた時もあったんですけど、やっぱり改めて考えた時に、いや、全然まだ取り上げたい哲学者もいるし、なんか話したいテーマもあるよなとか思って。
そういった意味で、始めた当時に、なんか思ってなかった今、この300回って迎えられてるなと思って。うん、なんかそれが嬉しいなって思ってるんですよね。
取り上げる哲学者たち
はいはい、なるほど。あれなんかしんどいなっていうのはあれか、前言ってた、そういうこと10年ぐらいこう自分がいろいろ読んできた、ストックがなくなったタイミングみたいな。
そうそうそうそう。1年とか多分1年半ぐらいでなんかもうからかになっちゃったみたいな。
はいはいはい。
思ったより早かったですみたいなのをね、言った時があったと思うんですけど。
うんうんうん。
でもそこからなんか改めてリズムが出てきたかなっていう感じですね。
今回300回でなんかワーイとかって呼ばれるんですけど、せっかくなので、今後まさに取り上げたい哲学者の人というか、
まだやってないけど実はこんな人も今後やりたいんですよ、正直まだ勉強できないけどみたいな人をちょっといろいろ取り上げて話していく中で、
兄貴からもなんか、ガヤトってこんなことも今考えてるんだとか、こういうふうな状態から台本が作られていくのでみちみんな、裏話じゃないですけど、
そういうのを一緒に話していきたいななんて思ってるんですよね。
最初はこれから取り上げる哲学者5000とかみたいな感じで5人ぐらいにしようかなと思ったんだけど、気づいたら7人ぐらいになっちゃってて。
え、多いな、そうなんだ。
そう、全然あるじゃんみたいな。なのでその7人、7つのテーマみたいなところを透き出しみたいな感じでやりたいなと思ってます。
触れておくと、今後いざ取り上げる時に取り上げやすいかもなっていうのもちょっとあって。
ああ、あの時話したねみたいな。
哲学者って、前もありましたけど、知らない人とか考えを一から聞くって結構しんどいじゃないですか。聞く方もしんどいし、話す方としても、
どこから話そうかとか、どういうこっかかりでこの人をテーマにしようかとか結構悩むんですよね。悩むというか、僕ら悩んじゃうんですよ。
なるほど。その人を語るためにどっからしゃべろうかねみたいな。どこまで坂を登ればいいんだろうかみたいなね。
今回は西田さんとか久喜さんとかで日本の哲学者やらせていただいたと思うんですけど、
それも自分の流れ的には、古代ギリシャがあって、仏陀以前があって、
その源流をたたろうといって日本の思想をやって、せっかくだから現代もみたいな感じでやっとこれたみたいな感じなんですよね。
ああ、そういう意味か。思想とか哲学の流れっていうよりは、このラジオのテーマの流れみたいな、そういう。
そうです。そっちそっち。
ああ、そういうこと。
もちろん哲学とか思想の流れももちろんあって、
この後またちょっと話すんですけど、現代の天才哲学者とかって言われてる人にマルクス・ガブリエールっていう人がいるんですよ。
この人名前だけは多分何回か出してるんですけど、テーマにしにくいのが、やっぱり現在の人なので、
現代のちょっと前の20世紀か、の中盤から後半の哲学とかっていうところをやらないとちょっと分かりにくいなとかって勝手に思っちゃってるんですよね。
はいはいはいはい。
ってことは、このガブリエールさんをやるためにはその前のこの人とかこの人やらなきゃいけなくちゃみたいな感じで、
でいくと結局取り上げられるのは何年後だろうみたいな感じになっちゃうんですよね。
まあそれはそれであるんだね、その哲学の流れっていうのはね。
うん、そう。あるんですけど、やっぱりやりたいとかね、現代哲学、面白いんじゃないかって思いがあった時に、こういうところで触れておけると、
ちょっと当然唐突なんですけど、前言ったガブリエールさんやりますとかっていうのも、ちょっと言いやすいんじゃなかろうかみたいな下心もあって。
はい、なのでちょっとね、そんな意味も含めて、今回ですね、自分の中で好きだとかもっと知りたいっていう哲学者もいらっしゃるので、
それをですね、皆さんにもシェアしたいなと思っている300回目でございますというところですね。
ちょっと触れていくんだけど、やっぱり西洋の方がちょっと多くてですね、一応時代順でいくと、最初、これから触れたい哲学者第1人目はですね、
1632年から1704年まで生きていたジョン・ロックさんでございます。
哲学者なんだ。
ロックは、はい、哲学者です。イギリスの人ですね。
ロックは有名なのはあれかな、ブラ・ラッサーみたいな、作詞であるみたいな話って聞いたことないかな。
今、哲学者なんだって言った割にはわからないんだけど。
政治とかの文脈で答える方は答える方が多いかなと思うんですけど、
当日の政治と哲学ってそんな分かれてないっちゃ分かれてないんですよね。
こんなふうに今日はちょっと人物を挙げつつ、こんなことが気になってますっていうのをちょっとだけ話すっていう感じでいきたいんですけど、
ロックの時代っていわゆるイギリスの王権から市民社会みたいなところの結構匿名のあった時期なんですよね。
いわゆる政治的には王権真珠説とかって覚えてるかな、王権真珠説。
覚えてる、なんとなく習ったよね。
国王の権利っていうのは、やっぱり神から与えられたものなんだと。
神の正当性を持って王様をやってるんだよっていうところから、市民社会だよね。
いわゆる市民、民衆のほうに、ちゃんと政治の中心を移していきましょうっていう、
そういうところの運動の中で、総的な中心を指したというか、そこに考え方を与えたっていうのがロックっていう人なんですよね。
なんとなくそういうのはわかってたんだけれども、実は今ずっとホワイトヘッドを勉強してますって言ってると思うんですけど、
ホワイトヘッドもイギリスの人なんだけど、
ホワイトヘッドを理解しようとすると、どうやらロックとかを知らないとダメっぽいぞっていうことが今わかってきて。
もちろんちゃんととか、プラトンとかもあるんですけど、
ロックを理解しないとホワイトヘッドがなんでこんなことをしたのかとか、何を軸に考えてるのかっていうのがわかるっていうことが見えてきて。
そういった意味でも自分の中で、やっぱりちゃんとロックしないとダメだなみたいなところで、今ちょっとにぃわかにぃ盛り上がってきております。
へー、面白そうだね。なんかジョン・ロックはコテナ城の方で民主化の歴史みたいなので、
ホップスのリヴァイアさんがどういうことか。
民主化の流れの中でちょっと聞いた気がするなーっていうイメージぐらいかな。
本当に哲学的なというか、いわゆる神が正当性を与えている世界から、市民というか共同体の方に正当性が変わっていくという中で、
どんな社会観とか世界観、もっと言ったら人間観だよね。どこに持たなきゃいけないかっていうところを結構緻密に考えてるみたいなんですよね。
へー、なるほど。
そういう観点から見たときに、ロックって単なる政治家さんじゃなくて、そういう哲学的なところですごい深い人なんだみたいなのが見えてくるんじゃないかなと思ってて。
あー、それ面白いね。やっぱり教科書でも出てくるぐらいだから、名前は知ってて。
どっちかっていうと、世の中に影響を与えた側?
そうだね。
違うイメージしかないから、その大元の話があるってことだね、哲学自身も。
そうですそうです。
なので結構このロックさんは、もしかしたら次ロッキーに行くかもしれない。ちょっと和辻さんがこの後やるんだけど、そろそろ西洋に戻ろうかなっていうときに、一回中世の、またこの時代に戻ってもいいのかなとちょっと考えてて。
ほうほうほう、ぜひぜひ。
なのでこちらはすぐ登場するかもしれませんっていう意味でも一番目にお話しましょうという感じですね。
哲学者の思想の重要性
はいはい。
それは今ロックさんなんですけど、すいませんちょっと一気にまた時代が飛んで割と現代に近くなってくるんですけど、この人は1900年に生まれて1980年に亡くなりました、エイリヒ・フロムさんという方ですね。
名前聞いたことあるかな、フロムさん。
ちょっとわかんないね、どのフロムさんっていうかな。
倫理とかって時々出てくるかなって思うんですけど、現代人がやっぱり、今僕らが読んでもすごい役立つというか、結構哲学者の中でも、それこそイーサーさんとクッキーさんみたいに現実に属してというか、生の生活の中でそういう人間とはとかっていうのを考えてるような人なんですよね。
で、代表作が自由からの闘争とか愛するということみたいな、自由とか愛っていう結構大きなテーマではあるんですけど、意外と西洋哲学の中で語られなかったというか。
ということは政治の中で自由とはとかってあるんですけど、それをより自分に引き付けて考えてるのがこのフロムさんなんですよね。
自分に言ったら何かっていうと、この人はドイツ生まれのユダヤ人の人なんですよ。
やっぱり時代的にはナチスって切っても切り離さなくて、第一次第二次世界大戦とかですね。
はいはいはい。
いわゆる独裁で、ファシズムってある時代において、それって結局は、もちろん独裁者がいてってことではあるんだけど、ちゃんと政党の選挙の手続きを経てとか、
ちゃんと議会で承認されて、そういうふうな政治形態になったっていうときに、なんで個々人がそれを良しとしたんだろうっていうところに関心があったらしいんですよね。
なるほど。
なんでそういう政治生態が、いわゆる民主制というか議会制の中で出てくるのかと。
自由の概念の探求
で、そういう中で例えばさっきの自由からの闘争っていう話があったと思うんですけど、
この自由っていうものをいろいろと見てたときに、何々への自由っていう、要は積極的に自分の自己実現じゃないけど、表現するよっていうような自由と、
何々からの自由っていう、要は逃れたいとか、ちょっと消極的な自由っていう二つがあるよねっていうことを考えるんですよね。
なんか受け身な感じがするね、確かに何々からの自由がね。
そうそうそう。で、よくこれって普段でもあると思うんですけど、自由ってむしろ大変だよねみたいな。
ちょっとぐらい選択肢がないとさ、本当に何億通りから選んでください、これが自由ですかって言われても、正直困るみたいな話ってあるじゃないですか。
やっぱりそのときに、自由の重さ、重荷みたいなものについて語ってる部分もあって、
そういう意味ではやっぱりね、いわゆるいろんな自由とか責任とか選択肢とかってなる中の現代人にとっても、中で刺さる本かなとは思うし。
うんうん、なるほど。確かにな。さっきはやっと言ったように、何億通りみたいなものが割と現代だと、より誇張表現じゃなくなってきてるというかさ。
そうそう、全然普通にあるよね。
やっぱり情報多すぎるからね。
そうそうそう。そうなんです。なので、そういった意味でもすごく引きつけやすいし、あと愛に関しても、
ここで愛っていうのはいろんなものがあるらしいんだけど、この何々絵の自由、要は自分がより積極的に世界と関わるとか、
そういうふうに他者と関わっていく中で生まれるものが愛だみたいな話があるらしくて。
ほうほうほう。
それとかも、やっぱり知ることで、前にソイテッドカフェで愛について話しましたよって言うことがあったんですけど、
そこをちょっと補足するというか、補ってくれるような発想も得られるんじゃないかなと思って、このフロムさん、注目しておりますよっていう感じですね。
はいはいはいはい。
これが2人目ですね。
フーコーの思想と権力
次は3人目なんですけど、この人は1926年に生まれて、1984年に亡くなりましたと。
これもちょっと現代に近いんですけど、ミシェル・フーコーさんという人ですと。
フーコーさんも多分名前はちょくちょく出してるとは思うんですけど、あんまり知らないですよね。
まあまあそうだね、中身はもちろん知らないです。
OKです。この人ね、何だろうな、憧れっていうのかな。
この人のことを理解した、ちょっとでも理解したって言いたいっていう憧れがちょっと強いんですけど。
うーん、そうなんだ。
なんかね、やっぱりものすごい地の巨人みたいな人なんですよね、その現代の。
物学に関しても、何だろうな、4つぐらいの時期に分かれてて。
最初は、いわゆるブルーっていうのは狂気。
要は狂気と、いわゆる正常ってつい概念じゃないですか。
っていうときに、現代で狂気といわれるものって結局それって歴史が作ったものだよねとか、
時代によって変わるよねみたいなことを最初分析してたらしいんですよね。
うーん、そうなんだ。
っていうふうに、そもそも正しいとはとか、
そういうことの背後にある狂気とかブルーみたいなことを研究するから始まって、
ここから権力とは何かとか、
あと西洋の実学でよく言われる理性とか主体とか主観とかって話ずっとしてるじゃないですか。
そういうのを乗り越えてみようとか。
それを本当に同時代の実学者もそうだし、
古代ギリシャまで遡ってとか、
本当にありとあらゆるものを取り入れてやってる人っていう印象なんですよね。
へー、すごいね。
自分の思想を自由にっていうよりは、ちゃんと学術的にその辺を全部やってますみたいな。
そうですそうです。
だからさっきのフロムさんとかどっちかっていうと、
自分のまさに生の実感とか、
そういうある直感的なものも含めて考えられてる人の感じなんだけど、
ゆうこうさんは本当に過去の文献とかを丁寧に丁寧に漁って、
ここにこういうふうに書いてあるでしょみたいなこととか、
これっていうのはきっとこういう解釈だからこうだよねみたいなことをやり続けてる人っていう。
ちょっとこれも若干イメージも含むんだけど、
何冊かにちょっと読んではいるんですけど、やっぱりね、わかんないんだよね。
だからちょっとわかりたい、学びたいっていうふうな感じで、
このゆうこうさんはぜひちゃんとテーマとして取り上げて、
一回台本作ってみなさんにお伝えしたいと思ってる人なんですと。
だから有名人というか、徹夜的にはやっぱりそんだけすごい人だというのは、
ある意味素人が手を伸ばしがちな人でもあるみたいな感じだろうかな、もしかすると。
あると思う。でも確かにちょっと学んでみようって言って、
手伸ばして全然わからんとかってなりがちな人だと思う。
本とか絵とか読んでもよくわからんみたいな。
そうなかった。
そうなんです。
興味深い概念があって、これもいっぱいあるんだけど、
パレーシアの重要性
ふうこうさんが作って取り上げてる概念っていっぱいあるんだけど、
その中にパレーシアっていう概念があるんですよ、パレーシア。
これ何かっていうと、日本語で言うと真理を語るみたいな意味の言葉なんだけど、
どういうことかっていうと、古代ギリシャにあった話らしくって、
例えば王様とか権力者とかって地位の高い人がいるわけじゃないですか。
そこに対して相対的に地位の低いある種の市民なんだけど、
物事を言うときにこのパレーシアを奉仕するとか、
パレーシアを使うみたいなことでさらしいんだよね。
これ何かっていうと、王様に何かを言うって、要は反逆行為なわけですよね、普通に考えると。
内容は何にせよ意見すること自体がすでに。
要は中国とかでも参議院するみたいな感じで、皇帝に向かって耳の痛いことを言うとかってあったりするじゃない。
関係性悪いと処刑されちゃうみたいな話があったときに、
やっぱり当時の時代で言うと、率直に物を言うとか、自分が考えてる真理を語るって本当に命がけなんだよね。
だからこそパレーシアってものを使ったときに、
それが要は真理を語ることが世の中のためになるとか、
自分のことだけじゃなくて、世の中の公のことを考えてちゃんとやってるんですよっていう確信が話し手にも聞き手にも必要になるんだよね。
なるほど。
そういうときにパレーシアってのが行われるんだけど、
それはゲームみたいな、要は力関係のゲームなんですよ。
へー、ほうほうほう。
例えば現代でもそうなんだけど、
例えば親が子供に対して、子供が悪いことをしたときに、
怒らないから本当のことを言いなさいとかって言ったりするじゃん。
いうときに、これって子供からすると結構怖い言葉で、
言ったら怒られると思うから言ってないわけじゃない?
まあそうだね。
で、怒らないからって言ったときに、過去それで言ったら怒られたことがあったらさ、言えないじゃん。
そうね、ある意味、古代ギリシャに行ったらもう殺されてるから。
そうそう、一回一回殺されてるからさ。
なっちゃったときに、ある意味その瞬間もこのパレーシアのゲームなんだよね。
うんうんうん。
つまりこれって、さっき空港さんのテーマの中に権力ってものがあるよってお伝えしたと思うんですけど、
この怒らないから本当のことを言いなさいとか、
そもそも率直に何かを言うっていうこと自体に、
その関係性の中における権力構造というか、
どっちが上でどっちが下かとか、
その関係性においてどこまでは言えるのかとかっていうことが、
否定されちゃってるっていうことを考えるんだよね。
まあね、ありそうだね。
そうそうそう。
っていうふうに、古代ギリシャのパレーシアみたいな概念を引っ張ってきて、
これって現代の権力構造にもあるよねとか、
それっていろんな隅々なところにむしろ気づかないうちに浸透してるよねみたいな、
そういうことを語っていく人なんですよね。
まさにさっきの家庭の話も含めてみたいな。
そうそうそうそう。
っていう感じなので、単純に思想として、
深くて興味深い点はあるんだけど、
言われてみればそういう権力構造ってあるよね。
学校とかでももちろんそうだと思うし、
上司部下とかと逆に立場では、
例えば上かもしれないけど、
実際の権力構造としては、立場が低い人の方が強いとかって思ったりするじゃない?
数の暴力じゃないけどさ。
っていうときにそれに何が起きてるんだろうっていうところを、
見る視点を与えてくれるなって思ってるんだよね。
なるほどね。それを構造的にというか、
そこに興味を持っちゃった風向ってことなんだね。
そうそうそうそう。
っていう感じで、やっぱり全然まだわかってないんだけど、
なんか凄そうとか、ちょっと触れただけでも凄みを感じるみたいなのが風向さんで。
そうだね。ある意味、正常とか狂気みたいな、ある意味正義と悪みたいな話も近いのかなと思ったんだけど、
だいぶ皆さんの無意識に切り込んでるよねみたいな。
そうなんだよね。
社会の無意識みたいなものに凄い切り込んでるよね。
そうなんだよね。
この知が権力だみたいな話はめちゃめちゃ強くて、ちょこちょこ殴り合っちゃうんですけど、
今ね、知っていうまさにアニメもやってるじゃないですか。
やっぱ知識っていうものも、例えばお医者さんとかわかりやすいよね。
お医者さんの知識っていうのは、
お医者さんが言ったことに患者が従うっていう風な権力構造を生み出すよねと。
もちろん今はそこにセカンドオピニオンとかっていう風に、その権力構造の外に行くような話もあるんだけど、
でもそういう風に何かを知っているとか、知識に基づいて何かアクションをするって、凄く権力と結びついてくるんだよね。
あとは単純な情報量ね。
情報量もそうそうそう。だからやっぱり情報握ってる方が強いとかってあると思うんだけど、
これもまさにさっきのクルーみたいな狂気とかと一緒で、要は知識とかって何が正しいかっていうことが基準になりがちじゃない?
はいはいはい。
そうなると、例えばこういう風な病気があって、それは社会的に排除されてきたっていう知識が蓄えられると、
この過去の実績とか経験を元に、じゃああなたも社会から排除されるべきだみたいな、そういうものが曲がり通っちゃうんだよね。
はいはいはい。
っていう風に、そこにまた権力とは結びついてくるみたいな感じで、
フーコーとドゥルーズの哲学
人に何かを強制するとか、過去の経験とか知識からある種未来を作っていくってのは結構怖いことだよねっていう風な。
当たり前ではやっぱ知識、何かを知ることは良いことだとかさ、過去を分析して未来を作っていくのって大事だとか言ったりするんだけど、
それって本当?とかってことにも投げかけられるんだよね。
なるほど。本当だったり、それって本当は何のためなんだっけ?みたいな。
そうそうそうそう。
っていうこともあって、これもまさに応用範囲が広いというか、いろんなことにハッと刺さられる感じがあるので、
ちょっとね、さっき言ったよりめちゃめちゃ膨大なので、基本的には通行休暇とかを取って何かちゃんとやりたいぐらいなんだけど。
なるほど。
だからできてないっていう。
さっき言った、じゃあ今回はハヤトの勉強的な意味でも、この狂気の部分だけやるかとか、そうはならないのかな?
ある程度全体像を掴みながらになっちゃうのかな?
なっちゃうと思う。
うんうん。
さないと多分わからないというか、ミスリードになっちゃう気がしてて。
はいはいはい。
っていう感じでいくと、ちょっとね、なかなか手を出したいか出せてないっていうようなのが、この風光さんですね。
なるほど。ちょっとハヤトの風光休暇1ヶ月ぐらいかな?それに期待なし。
そうですね。そんな感じで、今3人目か。やばい、このページを出すと時間倍になっちゃうんで、ちょっとまた巻いていくんですけど。
4人目。4人目がですね、この人は風光さんと一緒かな?1925年から1995年まで生きていたジル・デルールさんという方です。
デルールさん。この人ね、意味の時にちょっと話したかなと思うんですけど、意味の論理学っていうね、めちゃめちゃ僕にとって興味深い本を書いているんですよね。
はいはいはい。
実際これも読んでみたんですけど、すごい面白いな、すごいこと言ってるなって思ったものの、説明してって言われたら全然できなくて、要は理解できてませんと。
この人の哲学的な観点でいくと、生成の哲学、生成生まれる?
生成AIの生成。
そうそうそう。っていう風な流れに位置する人で、結局これまでの日本の哲学でもあったと思うんですけど、いわゆる性的な止まっているとか、固定された理性とか、実態みたいなものがあって、そこから世界を語るっていうことじゃなくて、
世界ってやっぱりダイナミックに動いてるよねとか、関係性の中でやっぱり成り立ってるよねっていうところを結構突き詰めていった人だというふうに、今のところは理解してるんですけど、正しいかどうかすらまだちゃんとわかってないんですけど。
はいはいはいはい。
そういう意味でいくと、やっぱりそこって結構自分の価値観としての、個人ってただ自分だけ生きてるんじゃなくて、やっぱりいろんな人とか環境と相互作用してるよねとか、そこにこそ意味が生まれてくる。
意味ってね、リンゴの意味みたいなものがそのままあるとか、まったく周りの環境と離れてあるんじゃなくて、やっぱり全体の中で意味っていうものが生まれてくるよねっていうときに、かなりそこに近い話をされてる方なので、そういう意味でもちゃんと理解したいというか。
改めて意味の話みたいな。そのあたりの話は生成の哲学って言うんだ。
そうだね。
なんとなく世界観で言うと、最近で言うと西田さんみたいなさ、ああいう感じの世界観にちょっと近い感じなの?
近いと思う。西田さん結構個人の経験みたいなポイントに寄っているというかね、そこから始めてたと思うんだけど。
結構このズルズルさんは意味っていうものがなんだろうな、意味っていう概念をそもそもどう捉えるかの話もそうだし、そこに対してナンセンスみたいな、これ前もちょっとおっしゃったかもなんですけど、不思議な国のアリスの話もちょっと言いながら、
言葉として無意味を意味するみたいなこととか、意味のない言葉にも意味を持たせるとかっていうことって結局何なんだみたいな話とか、そういうこともちょっとあった気がする人なんだよね。
はいはいはいはい。
なので、考えとか見てる世界観近いんだろうけど、やっぱりその方法論とか、切り口が全然違うなっていう印象があるんですね。
なるほど。ほうほうほうほうほう。
この人もかなり現代に、95歳だったら、たぶん今聞いてくださってる方はほとんど生まれてるんじゃないかと。僕も生まれてますけど、30年前までは存命だった方っていう意味でも、かなり現代の人ですね。
うんうん、なるほどなるほど。
現代の哲学者ガブリエル
はい。これがジル・ドゥルーズさん。
で、5人目。次はさっき言ったマルクス・ガブリエルさんですね。この人ね、1980年生まれなので、まだ45歳とかかな。
あー、はいはいはい。あー、なるほどね。もう忘れてたわ。
はいはい、現代のね。
現代の人です。で、29歳とかで教授になったみたいな感じで、まあまあすごい活躍されてる方ですよと。
哲学で29歳だとすごい若そうだよね。
若い若い。まあそもそも教授がね、だってなっても40とかそういう世界だと思うんだけど。
うんうんうん。
まあ20代だと早いよね。
はい。で、結構これはもう10年前か、なんかもう、あれなんですけど、えっと、2013年に日本語訳でその、世界はなぜ存在しないのかっていう本が出て、
結構これがそのね、当時ドイツの天才哲学者のガブリエルさんの本、ついに出たぞみたいな。
翻訳されたぞみたいな感じで結構話題になって。
うん。
で、まあ僕も読んでみたんですけど、なんか正直ね、そこまで感動できなかったんですよね。
へー、はいはいはい。
うん。で、それはなんか、今でも覚えてるのか、結論がなんかちょっと、なんていうのかな、まあそれだったらちょっと納得できんなみたいな。
ふんふんふんふん。
そう、っていうところがあって、できなかったんですけど、その後このガブリエルさん自身もいろんな本を出してるし、
まあ自分もね、多少はそうやっていろんな哲学者のことをこうやって勉強する中でまた違う観点で捉えられる部分もあるかななんて思うので。
ふんふんふんふん。
だからそういう観点でも、じゃあ例えばこの本を読んだときに、なんかこんなこと書いてるねとか、こういうことって自分はこう思うんですよとかっていう話をするっていう意味でなんか取り上げたいなーなんていうふうにちょっと思ったんですよと。
あーはいはい、なるほど。まあ現代の人だとそうだよね、たぶん評価も定まってないから、昔の人のようになんかいかない部分も出てくるのか。
そうそうそう。やっぱり定説としてこうだとかってやっぱないから、ある程度その人の本をちゃんと読んで自分なりに考えるってことはやっぱり大事かなと思ってるんだけどね。
なるほどなるほど。ある意味本の紹介みたいな。
そうですそうです。
感じはね、はいはい。
で、これもちょっと最近実は知りたかったんだけど、去年の12月かなに、この人また新しい本で考えるという感覚、思考の意味っていうタイトルの本も出てるみたいで。
ふんふんふん。
これが元々その世界はなぜ存在しないのかの3部作だったらしいんですよね。
へーはいはい。
1作目がその世界はなぜ存在しないのかで、間にもう1つあって、この3部作の最終巻が去年の10月出回したと。
ほうほうほうほう。
そういう意味で言うと、1作目は読んで、なんか物足りんなとかって言うのは、そりゃそうだよねって、要は3部作が1個目だからねみたいな感じもあったかなと思うので。
改めてちゃんとこの3冊読んでお話しするというか、WLAさんを取り上げるみたいなことができたらいいなと思ってるんですよね。
はいはい。面白そうだね。でも、現今を生きるそういう天才哲学者みたいな人が何を考えてるのかというのは、理解できるかどうかとして面白そうだね。
そうですね。
やっぱりそれはすごいやってみたいなと思うんです。天才哲学者は多分、いわゆる一般だけとかマーケティング的な言葉ではあるんだけど、
哲学者の人がじゃあ、WLAさんを、あいつは本当に天才だ、哲学者の中でも1個抜けてるって言ってるかって言うと、そうでもないかもっていうのはお尻にしておきますと。
はいはい、なるほどなるほど。
まあ、難しいな、天才が何かを承認するって。
うん、そりゃそうね。そこそこ天才とはっていう哲学があってもいい気がするぐらいの話だよね。
確かにね、確かに確かに。でもなんかね、キャッチコピーが面白くて、哲学界のロックスターみたいなことも言われたりしてて。
ロックなんだ。なんかロック。
そういうちょっと、もちろん王道というか、ちゃんと過去の哲学を踏まえてるんだけど、周りとそれをまずやっぱりちゃんと乗り越えるとか、自分なりに新しい世界観を作るってことをやってらっしゃる方っていうのは間違いないみたいなんだよね。
なるほど、まあそうやって本を戦略的に出してるっていうことは、哲学者としてもある意味マーケターじゃないけどね、いろいろビジネス的にも多分上手いのか周りが上手いのかみたいな。
そうだね。
でもやっぱりね、その現代、今その存命の哲学者って中でいくと多分名前は外せないっていうか。
そういう有名な方ではあるかなと思うので、そういう人も取り上げる機会を持ちたいなっていうのは常々思ってますよっていう話ですね。
東洋の哲学的視点
あれからあんまり気にならないのかな、いきなり現代の哲学者のガブレイエルさんですって言われても。
うんとね、全く気にならないね。
確かにそういう意味ではそうだよね、その人の話とかテーマとか楽しければってあると思うから、そこはあんまりちょっと僕も気にしすぎずに、
今日話せたっていうのもあって、できれば年内ぐらい、2025年中ぐらいには取り上げたい人だなっていう感じですね。
そういう意味では今ちょっと5人、西洋の哲学者ですね、ロックさんからフロムさん、フーコーさん、ドゥルーズさん、ガブレイエルさんっていうのを挙げましたよという感じですね。
ここで東洋の話をちょっとしたいんですけど、こっちは一人と一テーマっていう感じなんだけど、
一人がね、これインドの地層化で7世紀だから結構前ですね、のチャンドラティールティさんっていう人がいて、
漢字と月照、月になんか称号の称で月照さんとかって言うんだけど、ドマイナーだと思ってます、この人は。
マイナーね。
マイナー、うん。ただ、立場というか評価的には、ラーガール・ジュナ、リュージュさんいるじゃないですか、大乗仏教を発展させたよというか、思想的に作ったよっていう。
あの人をさらに発展させて、一つの有意識を批判したっていうふうに言われてる人なんですよ。
発展させてから批判した。
発展させて有意識を批判したね。
あれ、ラーガール・ジュナは有意識関係ないんだっけか。
関係ない。ラーガール・ジュナは有意識より前。
混ざってるね。ラーガール・ジュナが大乗仏教か。
大乗仏教とチャンドラ・キルティ
大乗仏教。で、その後4から5世紀くらいにセシンとかっていう人たちが有意識を作って、
それがどんどん発展していくんだけど、さらにそこからまた2、300年後の人っていう感じなんですけど、
リュージュのこととか、大乗仏教のこととかをいろいろ見てると、ちょこちょこ名前出てくるんですよ、この人。
チャンドラ・キルティが言うにはとか、チャンドラ・キルティが語るようにみたいな感じで引用とかされてて、
すげえ気になるけど全然わかんないみたいな、そういうちら見えしてくる人あるんだよね。
で、ちょっと調べてたんだけれども、ダライラマっていらっしゃるじゃないですか。
いわゆる仏教界の指導者みたいな人だと思うんだけど、その人もこのチャンドラ・キルティはすごいぞみたいな。
ラーガール・ジュナの偉大な弟子で、自分も学んでるぞみたいな。そう言ってらしいんですよね。
ああ、そうなんだ。
なので、さっきの風光ともちょっと違う意味で、なんかすごそうな人っていうイメージだけが先行してて。
なるほどなるほど。有名経営者とかが、やっぱり松下さんでしょ、みたいな。
松下幸之さん曰く、みたいな話をしてる時に、ちょっと現代の人からすると、松下幸之助?みたいな。
そうそうそう、わかんないけどな、みたいな。
いうぐらいの感じだね、たぶんね。
そういう感じだね、そうそうそう。
で、意味ですごいぼんやりしてるし、日本語で読める文献もたぶんそんな多くないんですよ、調べても。
ああ、そうなんだ。
もちろんその領域の人からしたら、ちゃんと聞いて当たり前じゃんっていう感じだと思うけど、
その領域、要は仏教の大乗仏教とか、その中でも中岸ではって言われてる琉珠とかのところから一歩出ると、たぶんわからんねって人だと思ってて。
寿司学と陽明学の関係
はいはいはい。
逆にそういう人だからこそ、ちょっと理解してみたいとか、触れてみたいって思ってますっていうのがこの人ですね。
なるほどなるほど。そりゃ気になるね、確かにね、そういう人は。
気になる。
単純に月照っていう、月と照するっていう名前がかっこいいっていうね。
なるほどね、地面派ね。
そういう地面派っぽいっていうのもあります。
それがちゃんとラキュリティさんなんですけど、最後ね、東洋でやりたいなって思ってるのは、これは人じゃなくてテーマなんだけど、
寿司学と洋名学ね。
おー、はいはいはい。
これ以前お便りでもやってほしいですっていうのをいただいたと思うんですけど、これ、私は授学の発展系なんですよね。
うん、なるほど。授学もね、授学もちゃんとやってほしいっていうね、そしたらね。
確かに。講師はやってなかったっけ?やってないか。
やってないね。講師は、あの、講師の小説を読んだな。宮城谷正光さんかな。
ほうほうほう。
面白かったな。
講師はね、やっぱり名前も皆さん知ってると思うんですけど、講師からやっても全然またいいかなと思ったんだけど、
この寿司学と洋名学って並べて吹かれてるというか、
寿司学を批判して、洋名さんが洋名学を作ったっていうのは多分そういう流れなんですよね。
うんうんうん。
で、なんかいろいろちょっと見ただけでも、結構全然違うんだとか、いやむしろ意外と重なってるんだとか、なんかいろんな話があるんですよ。
あー、その寿司学と洋名学の関係。
そうそうそう。
やっぱりそういう風に並べて語られるがちなんだけど、そこの違いとか何が同じ何が違うのかとか、
どこに論点があるのかって全然わかってないんですよね、僕自身が。
はいはいはい。
なのでそれをちゃんと理解するっていうのはすごく面白そうだなとか、
まさに今自分が知らないことを知れそうだなっていう風に思ってるんですよね。
うんうんうん。
教科書的なレベルでいくと、博物知知っていう言葉があって、
これ、なんか僕も昔世界史、便利かな?世界史かな?のドリルで漢字難しいところで書いた記憶だけがあるんですけど、
博物知知ね。
えー、わかんない。
この言葉自体は、それこそ結構古来の中国の言葉としてあるらしいんですよね。
うんうんうん。
いわゆる博物って、聞く別とかの博に物はものなんだけど、
ものっていわゆるこの世にある存在的なものだよね。
うんうんうん。
それから物事を知るみたいなことの大事さというか、
すごい平たく言うと、ちゃんとした知識を得るには物事を正しく理解することが大事だぐらいの、そういう意味らしいんですよね。
さっきの風光さんみたいな。
そうそう近い感じなんだけど、これを趣旨学、これ主義っていう人が始めるんですけど、
これをある種持ってきて、ただ単純に物事を知りましょうじゃなくって、
その物からこの世界の理を極める、みたいな。
要はその、いわゆるこの世界というものを解明していくことで、
その知識をどんどん増やしていって世界全体を解き明かすんだみたいな、
そういう風な発想に拡大させたらしいんですよね。
わー、その万物ゲームスタートで。
そうそうそうそう。始まっちゃいましたかみたいな、ついに。
ほうほうほう。
で、そこに対して、いやちょっとそれ頭できっかけじゃない?みたいな。
理解しつくすって言ってるけど、それどうすんのよ?みたいなのを言ったのが、
陽明学、陽明さんだみたいな話があって。
へー、ほうほうほうほう。
そうそうそう。で、なんかこれも、やっぱりちょっと調べたぐらいなんで、
分かるような分からんようなとか、そもそも主義者がなんでそんなことを考え始めたの?みたいな。
やっぱ全然分かんないので。
うんうんうん。
で、その詳細とかそういうことをやっぱり講師から繋がる、
まあ授学ってそもそも何だったのとか、
それがね長い中国の歴史でどうやって変わっていったのとか、
そういうこともちゃんとテーマとして取り上げたいなーっていう風に思ってます。
日本の思想とその影響
で、これってやっぱその、中国でもそうなんだけど、
やっぱ日本に入ってきて、結構江戸時代のそのバイト思想の基本になるというか、
うんうんうんうん。
結構その土台にあるっていう風な流れもあるらしいんですよね。
なんかそういうイメージだよね。日本にも関係してるイメージ。
ね、そうだよね。そうそうそうそう。
なのでやっぱりそこって、なんだろうな、今ちょっとその日本の思想で結構江戸とか飛ばしちゃったんですけど、
うん。
今ちょっと触られてない、江戸時代のじゃあ日本のこの辻役とか陽明役ってどうなったのとか、
うんうんうん。
そういうところまで広がる話かなと思ってるんで。
はいはい、なるほど。
一回でちょっとそのぐらいの広がりのあるテーマとしてなんかやりたいなと思ってますっていう感じですね。
わー、なるほどね。なんかジョン・ロックも多いけど、この辻役陽明役も早く聞きたいなーみたいな。
あ、本当?
感じはするねー。なるほど。
なんかそう言ってもらうと嬉しいですけどね。
うん。
という意味ではね、この辺マジでノータッチなので、僕は全然わかりませんっていう感じなので、
うんうんうん。
ちょっと勉強をしつつ、コスコスと皆さんと一緒にやっていきたいなというふうに思ってました。
っていうのがこの陽明役とか主治役ですね。
うん、なるほどなるほど。へー、なかなかいろいろありますね。
そうなのよ。すごいたくさんあって、これ例えば7個でさ、仮にそれぞれで6回くらいやりますって言ってもさ、
うん。
40回くらいあるから半年くらい、20週間分くらいになるじゃないですか。
はいはいはいはい。
そうっていくと全然まだやれるなとか、ここに乗っけてない人が当然いるので、
うん。
そういう人やっぱ全然あるなってやっぱ、やっぱ哲学すごいなって改めて思ったんですよね。
なるほどね。確かにこのままだらだら喋ってるわけで一生終わりそうなぐらい、たぶんね、あるんだろうね。
あれだろうね、確かにね。
うん。
だから本当にね、その冒頭で聞いてくださる方のおかげで本当に続けられてますっていうのもあるんですけど、
やっぱりもう哲学のおかげというかね、やっぱ先人が詰め上げてきたもののおかげで、
うんうん。
こうやってやらせていただいてるなっていうのが改めて思いますよね。
いやー、私なんか、その今回はね、ハヤトが興味あるテーマというかさ、
うんうん。
っていう話ばーって言うところだから、まあ結構ここ浅いというかね。
あ、そうだね。
基本情報みたいな話だったけれども、今回のその風光とさ、趣旨学じゃないけど、
やっぱちゃんとその、なんだろう、物事、哲学をする意味というかさ、
物事を知る意味みたいなものが今回ちょっと面白いなと思って、確かに。
あー、はいはい。
ある意味こう実行防衛じゃないけれどもさ、
うんうん。
あの、この権力など、
はいはい。
あと悪いお医者さんに負けないっていう、
はいはいはい。
経験が必要だよねっていうのはちょっと思ったね。
あー、なるほどね。
まあでもね、それ全部やろうとすると、まあ普通不可能だからね。
うんうん。
そこの趣旨学選択は必要なんだろうけれども。
そうだね。だからある種ね、僕はやっぱそれを娯楽としてやっぱりやれるからこそ、
やっぱこうやってね、ポッドキャストもやらせていただいたりとか、
本を読みたい、もちろんね、わからないよ、難しいよとかってなるんだけど、
それも含めて楽しもうってやっぱりできるので、
まあそこをね、お届けすることで、
これって自分にとっても役立つ、まあ役立つって面白いなとか、
なんか活かせる部分がありそうだってやっぱり思っていただきたいっていうのは最初から変わらないから、
うんうんうん。
ここなんかね、これからもコツコツとこうやってね、今回取り上げたような人とかテーマ?
うんうんうん。
コツしやがってやっていきたいなって、なんか改めて300回迎えて思いましたっていう感じなんですよね。
はいはい、まあそうだね。
てつやからと基本的にはその構造とか本質部分の話になるから、
あとはまあその人それぞれの具体的なところに応じてご活用ください、よろしければみたいな感じだもんね。
そうだね。
あのこの情報として楽しむのもありだし、活用するのもありだしみたいなね。
そうね、はい。
まあそんな感じで今日はちょっと本当にね、触りの話になっちゃったんですけれども、
また次回以降ね、おついちさんもやりつつ、ちょっとこういった方々も塗り上げつつ、
エピソードの紹介と感謝
まあ全然違う人もまた取り上げるかもしれないけれども、
うんうんうん。
はい、まあそういうところも含めてですね、
あのぜひこれからもサイトヘッドラジオをまた楽しんでいただきたいなと思っておりますというお願いと、
まあこれからも頑張りますっていうちょっと何だろうな、編集先生みたいな感じですかね。
はいはいはい。
いやでも改めましてそうだね、本当に300回皆様のおかげでね、
ね、本当に。
続けてられてますので、はい。
あのこれからもこんな感じでゆるゆるとね、続けていければと思ってましたので、
もっとも引き続きよろしくお願いしますということで、
次回も引き続きよろしくお願いします。
お願いします。
今回もありがとうございました。
51:31

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