1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
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2025-01-12 50:15

#283 【古代日本哲学 雑談】昔の日本の価値観と哲学/聞き上手?/養老孟司

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。



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サマリー

このエピソードでは、古代日本の思想や価値観、特に奈良時代や平安時代の人々の考え方に焦点が当てられています。また、ジョゼフ・キャンベルの研究を通じて、日本の神話が自然とどのように結びついているかにも触れられています。 このエピソードは、日本の古代哲学や価値観についての雑談を通じて、聞き上手の重要性や人間関係におけるコミュニケーションの質を探ります。さらに、ビジネスの観点から趣味と情熱のバランスについても語られます。 このエピソードでは、古代日本の価値観や哲学が現代の社会にどのように影響を与えているかについて語られ、特に養老孟司の考えを通じて自己実現や社会的役割についての議論が深まります。 古代日本哲学の雑談を通じて、昔の日本の価値観や哲学、そして養老孟司の思想について深く考察されます。

古代日本の思想の探求
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、前回で言った日本の古代思想編というのが終わりまして、今回はその雑談会ということでやっていきたいと思います。
はい、お疲れ様でした。
はい、お疲れ様でした。どうでした?今回は。
ちょっと反省が個人的には多い回ではあったんですけど、反省というのは、古代日本の思想をやりますって言って、ギリシャやってインドやって日本っていう感じで、
最初はギリシャとかインドぐらいの何か当時のものがあるとは思ってなかったけど、なんらか日本人ってこうだよねとか、
やむよいじわいがあれか、奈良時代の人はこうでしたとか、もうちょっと思想的な話ができるかなと思ったんだけど、
見切り発車の悪い癖というか、思ったら思想を扱ってすごく難しいんだなっていうことを改めて思ってたんですよね。
なるほど、だから今回そうやって哲ラジオの取手出しの悪い方が出ちゃったみたいだね、ファイト的にね。
個人的にはね。ただね、もし事前にもっとちゃんとやったら没入らせたかもしれないと思うと、
それはそれで奈良時代の役人がどんな生活をしてたかとか、武士、平安時代の武士ってどんなことを考えたのかって知ることもなかったと思うんで、
個人的にはすごい面白かったんですけど、リスナーさんがどこまで思想じゃねえじゃねえかみたいな気持ちになってるかわからないんですけど、
そういうところがあったとしたら、すごい申し訳ないなと思ったという感じなんですよね。
でもそうだね、インプットしながらアウトプットみたいな意味で、それはそれで面白いなと思ったけどね。
確かにこれが日本の思想とは何だったのかでまとめるテーマで調べ始めたら、これ出せないと思うんだけど、
私はそれがあまりにふわふわして、これだけ、いわゆる、ハヤトがなんとなくパーって調べた中で、これだけふわふわしてました、みたいなさ、
のがわかったっていうのは面白いし、そういう意味では、うちらというかさ、自分みたいな素人が例えば図書館行って日本の元々の思想ってどうだったんだろうって調べたとしても、
結局こう、イケてここまで、みたいなさ、ある意味ね、素人がいる。
まあ、確かにね。
いじわらしてる方は来てくれてるはずだから、その上で、日本の思想って、この前の鎌倉ぐらいまで、平安統治ぐらいまでで言うと、
まあ、ないと言うか、やっぱりけっこう受け身だったりとか、そもそもやっぱりその、信仰心みたいなのはあるけど、
その、何だっけ、古事記とか、日本書記だっけ、どっちも、どっちもか、後から作ったみたいなね。
で、いざなみとかがいるけど、その親とか、その人指示出したの誰だ、誰だ、みたいなさ、そのふわふわした感じも知らなかったしね。
なんか、その辺を許してる感じがまた面白いなって。
そうね。だから、やっぱり明確な思想はこれこれですって言わなかったんだけれども、
まあ、まさに今兄貴が言ってくれたような、そもそもそういう思想、根源を追求するとかさ、
やっぱり、そもそも論を考えるって、当たり前のことじゃないんだって改めて思ったんだよね。
いやー、なんかすごいよね。逆にね、その、なんだろうな、それこそ千何百年までっていうかさ、
ここに至っても、日本では、ちょっと思ったのがさ、やっぱり、ある自然とかを結構受け入れて、
じゃあその中へどうしようって感覚が、そもそもあったとして、
それはあったんだよね、たぶんね、そういう感覚はね。
そうだね、そうだね。
で、それをなんとなくまとめたのが日本書店みたいな話だとすると、
その一個一個の論理的なつながりだったりとか、
史実的な根拠はさておき、その世界観とか感覚みたいなものはあっただろうっていう感じだもんね、おそらく。
はいはいはい、そうだね。
川には川の神様みたいな感じはあったとしたら、
神話と自然の関係
やっぱりその、なんだろうな、その、自然だけじゃなくて人為的なものだよね。
そうだよね、そういう海外からの勉強とか宗教とか学問みたいなものも、
同じような感覚でありがたがって、同じような感覚で自分たちは、じゃあこれをどう使っていこうとか、
その中へどう適応していこうかみたいな、なんかそこすらも結構フラットにというか、
あーなるほどね。
悪く言うと、どこまで受け身なんだって話で、
クリエイティビティねえなって話でもあるんだけど、
そこが徹底しててね、
根源の追求とまた違う、
なんかこう、とこをめっちゃやってるなっていうのは思ったよね。
うん、あー確かにね。
ちょっと神話っぽい感じってあると思うんですけど、
この辺僕も全然専門じゃないんだけど、
ジョゼフ・キャンベルとか聞いたことある?なんか人の名前なんだけど。
ジョゼフさんとキャンベルさんは聞いたことあるかもしれないけど。
誰だろうと思うんだけど。
そういう人がいて、その人が結構神話学というか、
いろんな国の神話を分析すると結構似たような、
ストーリーラインだよね、みたいなのを研究した人がいるんだよね。
何個かの類型に分かれますね、みたいなことを。
そうそうそうそう。
ビルリンゴ学ラジオかなんかに聞いたかな、もしかして。
確かにそういうのもあるかもしれない。
結構それもいわゆるハリウッドの映画とか、
そういうまさにストーリーとかにも活かされてるよとかっていう話があったりするんだけど、
たぶん日本の神話も、川には川の神様がみたいな多神教的な話って、
やっぱりそういう自然の豊かさとか、ある程度サイクル、
四季があるようなところには似たようなものがあるよねとか、
逆に砂漠とか、一年中ずっと暑いですとかっていうところだと、
全然違う神話体系になるよねとかっていうのがあった時に、
なんかやっぱりそこの、それぞれの国とか民族に浮遊のものと、
ちょっと抽象化した時に実はこれ一般化できるじゃんっていう話が、
まさにやっぱり結構面白いなとかって僕とかは思っちゃうんだよね。
面白そうはね、確かに確かに。
どこに変数と相関があるのかみたいなのって。
そうそうそうそう。
やっぱ哲学ってどっちかっていうと、
普通のというか抽象度の高いところでいろいろ物事を話しつつ、
その中でどんどん時代がくだっていくと、
じゃあ自分はどう生きるのかとか、
自分のやっぱり人生とはみたいな話も出てくるけれども、
それはやっぱりただ個人的な思いつきとかじゃなくて、
いやそれはアリストテレースから流れてくるこの思想からするという感じで見つけれるみたいな。
あとこれも面白さがあるとは思うんだけど、
自分の生き方とかまさに働き方とかもそうと思うんだけど、
奈良時代の役人が育ったように。
そういうものを何に肝付けるかというか、
土台を乗せてあげるかみたいな話。
というのは、それが哲学であれ宗教であれ、
別の社会的な絆とかでもいいんだけど、
何を大事にしているのかみたいな話は結構今話してて、
年は違うけど、人が生きる上では結構似たようなところがあるなって今思ったんだよね。
哲学的議論の展開
個人的にはそういう人って、
すごいいきなり生きる話をしたんですけど、
本当の意味で一人では生きられないというか、
その奥にある、だいたいこういう生き方がいいよねとか、
なんとなくこういう可視化に従って生きるよねみたいなものってあると思った時に、
それを紐解いていく。
そういった意味で日本の思想とはちょっといかなかったかもしれないけど、
なんとなく日本人ってこういうふうなことを思って生きてきたんだねとか、
1000年前の人とかでもやっぱり、
自力で大変だったんだねみたいな。
そういうことが伝わったのが良かったかなって。
なんか今最初反省から入ったんだけど、
なんか今話してて、いやでも意外と悪くなかったなって思ったっていう。
めちゃくちゃポジティブに言うとね。
肯定感を今上げてみました。
思想というか価値観というかね、
その感じが分かったというか見えてきたのが面白かったけど、
武士も面白かったけどね、平安のね。
なんか残ってるのある?武士で。
でもなんかやっぱりさ、
いわゆる西洋、どうしても比較しちゃうけど、
西洋で戦ってるそういう人たちも、
例えば家とかさ、そういうのは大事にしたわけじゃん。
個人よりもやっぱり家の名誉がとかさ。
一方で結構そういう思想的には結構違うというか、価値観も違う日本でも、
武士はやっぱり自分の命よりも名誉だったり、家だったりとか、
そういうのもいるっていう挙動、さっきのね、
中小化の話じゃないけれども、
やっぱりそういう挙動っていうのは、
あれ程度やっぱり戦国時代じゃないけれども、
殺伐とした、切った切られたみたいな時代にはやっぱりあるんだろうなーみたいなね。
どうしても個人が薄まるじゃないけれどもね。
そういう価値観、その全体としての価値観みたいなものはあるんだなって思う。
実際にいつ死ぬかわからんとかさ、
明日戦場で殺されるかもって思ったら、
自分の命だけを大事にっていうのは結構難しいよね。
ただ一方であれだもんね、たぶんこれは他の国もだけど、日本もだけど、
武士みたいな人たちもいるけれども、一方でそういう役人みたいな、
明日どう休もうかなみたいな人もいるから、
やっぱり地方というかちょっと離れたところで農業とかしながら、
年号を覚めながら地域を暮らしてるっていう人もたぶんいるから、
そこはグラデーションというか、いろいろいるんだろうなーとは思うけれども。
あらね、いわゆる社会学的なことっていうのが、
どういう地位の人が脆弱していて、
地位というか階層っていうのからだけど、
それによって世の中がどう動いていくのかって、
それはそれで面白いんだろうなーとは思うし、
ちょっとそこまでなかなか僕も興味あるけど入りきりしない部分はあるんですけど。
そんな感じで今年も、
次回は西田喜太郎っていう人を取り上げてまたやろうと思ってるんですけど、
こっちはね、よりちゃんと、ちゃんとって言われるかな、
より哲学をちゃんと深めていくぞみたいな感じで。
どっちかっていうと、これ前のテーマとか歴史っていうものよりは、
またちょっと人にフォーカスしてね、またやろうと思っているので、
そこはそこでね、哲学的なというか、
そんなことを考えている人がいたんだって、
そっちの面白さをね、また今年はと言うか、
改めて取り上げていこうかなと思ってるんですけど。
はいはいはい。
なるほどね。だからちゃんと、それこそ文献とか、
哲学が残っている人になると、もうそういう人になっちゃうってことだね、日本においては。
そうだね。これまた次回、導入編とかでやろうと思ったんだけど、
やっぱりその、日本にそもそも哲学がいつどんな風に入ってきたのかみたいな話も、
結構難しい部分はあるんだよね。
まあそうだよね、確かにね。
どこを持って、だからこの前やった仏教を持ってって言えるかもしれないけれども、
これまでの話を聞いた限りはそうでもなさそうだしっていうね。
そうだね、そうだね。
使われ方がね、日本によってね。
あとちょっと今回取り上げなかったんだけど、
それこそね、辞学とか蘭学みたいな、そっちはね結構医学とかそういう話だけれども、
そういうところでやっぱりいろんな学問は日本に入っては来ていたから、
っていう中で哲学的なことも、なかったわけじゃないけど、
いわゆる西洋哲学みたいな話でいくと、
明治の、江戸の終わりから明治ぐらいかなみたいな。
そういうのはあって。
いわゆる西洋哲学って言うとってことか。
そうそうそうそう。
まあそうだね、今話しながら思ったけど、
例えばさ、最澄とか空海って、
絶対超哲学的なことをやってるとは思うんだけれども、
やっぱり範疇としては哲学っていうよりは、
仏教を深めたりとか、新しい仏教とか日本に、
その仏教を作る土台みたいなのをちゃんと作ったみたいな、
そういうふうな国はなってしまうのかな、哲学者というよりは。
そうだね、やっぱり仏教学者、仏教徒だよね。
この前とか、だいぶ前だと思う。
だいぶ前に宗教か哲学かみたいな、
その違いをとかってやった記憶もあるんですけど、
やっぱりどうしてもね、仏教ってやっぱり仏教的な世界観の中でとか、
お釈迦様が言うにはみたいなところを、
よくもあるかも超えられない部分があると思うんだよね。
はいはいはい。
別に哲学はね、プラトンが言ったからとかって、
それを参考にはしながらも、
プラトンが言ってないことをガンガン言ってもいいわけで。
だからそういう意味ではやっぱり人並みのあり方がちょっと違うし、
それがね、やっぱりただ海外から人が学ぶっていう話と、
自分たち日本人として哲学をするみたいな話にもやっぱりちょっと溝があって。
はいはいはい。
日本の仏教と価値観
だから、もしかしたら中国のお経と日本のお経はそんなに変わらないとか、
その唱えるっていうこと自体はあんまり変わらないかもしれないけど、
でもじゃあ日本らしい仏教のあり方とはって、
やっぱり考えだすとまたちょっと変わってくるみたいな。
ほうほうほうほう。
そういうところはあるよね。
なるほどなるほど。
みたいな感じでね、今年も。
なのでいろんなテーマを横断しながらぜひ色々やっていこうかなとは思ってます。
はいはい、わかりましたし、確かにそろそろ難しい哲学もね、
西洋哲学っぽいのも確かに恋しくなってきた感じがするもんね、さすがにね。
そうさすがにね、ちょっとね。
そんな感じでやっていこうとは思ってるんですけど、
今回ちょっと雑談会なんで、本当に雑談会みたいな感じなんですけど、
年末年始か、僕も与典に帰って兄貴の家で遊ばせてもらったと思うんですけど、
はいはい、そうだね、一年ぶりに会って。
一年ぶりにね。
毎週喋ってるけど会うのは年一なんでね。
家族で遊んでたんですけど、結構うちの奥さんが兄貴と馬が会うっていうのかな、
なんかいろいろ喋ってたよね。
いろいろっていうか、いろいろ教えてもらって、最近何してんのっていう話を。
そうね、なんかちょっとさっきも言ってて面白かったんですけど、
与典に行って京都に帰ってきたときに奥さんが、
すごいいろいろ喋っちゃったみたいなことを言ってて、
結構うちの奥さんは本来聞き上手とか聞く側だったりするんですよ。
え、あ、そうなの?
そうそう、割と人の話を聞くのがいいみたいな感じだったけど、
なんか兄貴の聞き上手みたいなところに影響されたのか、
なんか最近いろいろハンドメイドって物を作ることとかしてるんですけど、
それでね、多分兄貴が声を持って手法の話とか何作ってんのとか聞いてくれてたんだよね。
いやー、そうだね、面白そうだし。
うん、ね。
でも面白そうだしって今言ってくれてるけど、奥さんからしたら、
なんかちょっと私ばっかり喋っちゃって大丈夫だったかしらみたいな。
はいはいはい、へー。
うん、なんかもうちょっとお兄さんの話とか聞きたかったけど、
何聞いていいかわかんなくてみたいな感じで、なんかなってて。
こっちの自己開示が少なすぎるのかな。
それもあるかもしれない。
秘密主義すぎるのかな、何かね。
どこからね、こっちに来てるかわからんみたいなね。
今自分意識してないバリアが多いのかもしれないけど。
まあちょっととかかりがわからんってあるかもね。
プロレスの話するかみたいなのもあるしね。
ご趣味はとか言ってプロレスですって言われてもなんかわからんみたいな。
そうそうそう。
あるんだけど、やっぱなんかその、
キティ・ジョーンズみたいな話って結構面白いなって思って聞いてて。
へー、ほいほい。
うん、なんかちょっとこっちに喋っちゃうとかさ、なんだろうな。
自分の話をしちゃうけど、
でもなんかそれって楽しいけど申し訳ないみたいな感覚って
確かになんか普通にあるよなと思って。
ふんふんふんふん。
でもたぶん兄貴はそれそんなこと全く思わないじゃん。
聞けて楽しい、聞けて嬉しいみたいな感じ?
まあそうね、だからこれはデコとボコみたいな話だと思うんだけど、
凹凸ね。
はいはいはい。
なんか自分が人に聞かれて、
たぶんその何聞けばいいかわかんないってたぶん向こうが思うのも、
こいつ浅そうだなっていうのがバレてんだと思うんだよね。
たぶん。
時々。
それね、なんか、
僕なんて浅いんだよみたいなやっちゃう兄貴がさ。
うんうん。
だから、その凸がある人に対してこっち側聞くっていうのは得意なんだと、
得意っていうか好きなんだと思う。
だから、
あーなるほどね。
お互い浅いと、
凹と凹だと、
たぶん1対1でも会話成り方みたいなことがあるのかもしれないよね、もしかするとね。
そういうことか、なるほどね。
確かに。
あーそっか、だからたぶんそういう深掘りしたくなるとか、
深掘りするときにやっぱりいろいろ出てくるのが楽しいっていう感じなのか兄貴からすると。
出てくるのが楽しい。
楽しいっていうか、そういう人とは盛り上がるって感じなのかな。
まあ純粋に興味があるからね。
あーなるほどね。
無理に会話が盛り上がるのがいいとかじゃなくて、
そういう、何かめっちゃ話せる人っていろいろ考えた上でそういうことをやったりとか、
いろいろ考えたりすることをやってなかったりとかするから、
そこまで含めていろいろ聞けるじゃん。
あーなるほどね。
そういう具体的な話にしても、やっぱりそれは氷山の異国で何かあるはずねみたいな。
なんとなくこう、迷惑にならない範囲でというか。
でもこうね、そこそこ好きなことだと熱をこもって話してくれると余計なんか。
まあ確かに確かに。
あーなるほどね。それには当てはまってるかもなー。
せおくさんもね、ハンドメイドも何年やってるんだろう。たぶん6、7年くらいやってて。
そういうことでいろんな手法をやっぱり試すとか、いろいろアレンジ加えつつも、
さっきYouTubeとかでいろんな発信を日々見てて、
トレンドはこれだとか、こういう手法でやったらこんなものがつけるとかってやっぱりインプットしてるから、
そういうのがたぶんあれにきてはまったんだろうね。
まあそうはね、あとはそれは、これは仕事柄だけれども、
完全趣味でやってるっていうのも面白いし、
面白いというか、場合も面白いんだけれども、
あーなるほどね。
これが、やっぱり例えばハンドメイドのイベントに出展して、
例えば売れたら嬉しいとか、そういうところに加えてくるとより面白いというか。
そっか、やっぱりビジネス的なところはやっぱり好きは好きなんだ、もともと。
むしろそこが人生で一番好きなところだからね、自分は。
あーなるほどね。
ただの趣味よりも、ちょっと売れたらいいなとか絡んでるほうが、
またちょっと違うじゃない、自分が好きなものをただ作りつけてるのはそれで熱量があって面白いけれども、
その中でそれをどう売っていくってなると、やっぱりちょっと全然考え方が変わるから、
そういうところに対してこの人はどう考えてるんだろうとか、
ビジネスと趣味の関係
どのぐらいやりたいと思ってるんだろうとか、
実際そのところでやりたいと思ってるのに対してどういうことを考えて、
どういうふうなことをやろうとしてるのかみたいなところが、めっちゃ面白いというか。
あーそうなんだね。
なんか僕が逆にビジネス的なこととかって、ないならなくていいじゃんって思ってる人だから、
あーはいはいはい。
要は、もちろんマルタイ図とかさ、お金を稼がないと続かないとかってのあるんだけど、
お金稼がなくても続くならそっちのほうが良くねって結構思っちゃってる節もあるのよ。
まあそれ全然あるんだよね。本人が心からそう思ってるのはある。
あーなるほどね。
だけどなかなか現代で心からそう思ってそっちをやってる人って少ないから、なかなかね。
そういうことか。
そういう方とかみんな何かそこのリソートで悩んじゃったりしてるのかなみたいなのを覚えてる。
はいはい。面白いな。実は最近僕もそういう話を聞く機会が結構多くて、
ちょっとこの前もお話ししたのが、本場で結構大きな会社でもしっかりバリバリ働いてますみたいな人なんだけど、
何か数年前に行くと自分は自然がすごい好きだみたいな。
元々四国の生まれで山とか駆け回った自分を思った時に、
東京とかでバリバリ車作ってますというか扱ってますみたいな仕事をしてるんだけど、
もうちょっと自然と触れ合うとか自然と共存するじゃないけど、
そういうふうなことやっぱりやりたいとかっていうふうなことを思って、
それをいつか仕事にできないかとかっていうことを考えてる人と話したんだよね。
はいはいはい。
そうしたのが、流れ的には僕が普段キャリアカウンセリングみたいなことをして、
いわゆる転職だったらそもそも転職するべきかとか、
転職するとして、結局どういう仕事がいいのかとかっていうのも一緒に改造度を上げていくみたいなことをやってるんだけど、
同じような感じで、日本の自然を保護するとか守るみたいな、
それをやりたいんだとかっていうことを伝ってたんだよね。
そういった時に、やっぱりそういう改造度を上げたいアンテナで聞いてると思うのは、
日本ってどこ?みたいな話とか、自然って何?とかっていろいろあるじゃん。
保護するってどういうこと?みたいな。
ある。
そうそうそうそう。っていうのをちょっと丁寧に聞いてたのよ。
日本って言っても、北海道もあれば沖縄もあるしとか、
自然って言っても海も山も川も田んぼもあるけど、みたいな話とか。
そうだね。神の領域になっちゃうからね、日本の自然を守るって。
あなたが日本の神様だったんですか?っていうレベルの話になっちゃうじゃん、それやっちゃうとね。
そうそうそうそう。もちろんね、そういうこと聞いたら出てくるんだけど、返していただけるんだけども、
やっぱり普通に話をすると、それぐらいで多分通っちゃうんだよね。
日本の自然を守りたいんですって言うと、いいですね、素敵ですね、とかさ。
まあそうだね。
そうそうそう。大事なことですよね、とかってなっちゃうんだけど、
いろいろ話してると、今関東に住んでらっしゃる方はね、
やっぱり意外と東京から1時間ぐらいの距離間でも意外といい自然ってあるよね、みたいな。
そういう東京とかからそのぐらいで行ける距離に、いろんな自然と触れ合える場所っていうのを作りたいんだ、残したいんだ、みたいな。
そういうことをおっしゃってて、なるほどね、みたいなことを言ってたんだけど。
最終的にやっぱりそれを仕事にしたいって言ったときに、そこはちょっと僕全然専門ではないから、言えることはやっぱりすごくざっくりしちゃって。
お金稼ごうと言っても、個人からもらうか企業からもらうか補助金もらうかですよ、みたいな話ぐらいしかできなかったんだけど。
でもそういうのを思ったときに、やっぱりそれで生きていくとかって理想だよねって言ってますよね、さっきの理想とギャップ、現実とギャップの話。
例えばその人の中でね。
そういう人の中で。
じゃあ今すぐ大手企業の職を辞めるかとか、お子さんとかもいらっしゃる中で、あとはやっぱり養わなきゃいけないとか。
そういうときに、また明日何ができるんだろうかとかって言ってて。
やっぱり話として飛んじゃったんだけど、こっちはそのときは聞く側だったから、
そこに対してアドバイスをするっていうよりは、本人がどう思ってるかっていうところを引き出すみたいな感じで聞いてたんだけど。
本人も自覚してない何かあるかもしれないしね、そういう感じだと。
聞いたら意外とすでに手を打ってるじゃんみたいな。
実は企業が持ってる横浜の林を手を入れようとしてとかっていうことまで動いてらっしゃってて、
あそこはもうやってるんですねとかって話をしたんだけど。
なんかそういう人の話を聞くか、それに対して引き出してたときにやっぱり出てくる話があるっていうときに、
さっきのうちの奥さんの話はつながるかわかんないんだけど、
やっぱりちゃんと聞くというか、
相手の話を、その奥にあるものを想像しながら聞くみたいな話って、
意外とやられる機会がないというか、できる機会がないのかなって思ったんだよ、そのときに。
なるほどね。これはちょっと面白いかも。
タネットがこのソウル鉄ラジオをやるにあたってというか、最初から言っている、
こういう哲学的な話をする場がない、話をする場がないっていう話をしてたんだけれども、
これは逆もまたしかにっていう話だね、これは。
そうかも、確かに確かに。
ちゃんと聞く場所もないっていうね。
そうね、そうね。
それはあるよね、確かに。
確かに裏返しかもな。飲み会とかで、そんな一人の人にめっちゃずっと質問するとかってないじゃん、基本。
なかなかね。
それはそれでね。
やっぱり兄貴もさっき、日本の自然を守りたいとかって、僕が言ったときにちょっと、
皆さんわかんないのであれなんですけど、顔がちょっと曇ったのは、
多分解像度の部分とか、多分聞きたいことがいっぱい出てきたからだと思うんだよね。
まあまあまあ、そうだね。
これがね、普通に知らない人というかね、
カエトじゃなかったら表情は隠すけどもね、もちろんね。
そうなんだ。
ちゃんとニコニコしながら聞いてるけど。
自己実現の難しさ
だから、なんなんだろうね、そのさ、やっぱり自分の話を聞いてもらうとか、
そういうのはコーチングとかカウンセリングとか、いろんなものは今あるとは思うんだけど、
やっぱりそういう、なんだろうな、体験とかって、
意外と少ないのかなとか、確かにそのときにもそうと思ったんだよね。
まあそうだよね、その方もだし、あとはカエトの奥さんもだけども、
例えばカエトの奥さんが、カエトにじゃあそういう話をするか、
カエトとがっつり毎週、例えばミーティングをするかって言われたら、やっぱりしないもんね、わざわざね。
しないね、まあよくこの時はするなとかもあるけど、
やっぱりじゃあ毎週やりますとか、定期的にやりますとかではないよね。
だし、カエトを言った自然好きな方も多分同じだもんね。
多分、周りに多分、わざわざそういう話をする人がいないというか、
壁打ち相手がいないみたいなね。
そう、まあ壁打ちだね、確かにね。
だから、なんかね、ちょっとそれは自分の中でも確かに、
いろんなところでそういうテーマがというっていうのは、やっぱりやりたいことを実現するで、
それを趣味とか、まさに野球の趣味とかじゃなくて、
もうちょっと社会的に何か役立ちたいとか、
何かその副業としてとか、自分の事業として起こしたいみたいな人と関わる機会が、
ちょっと増えそうな今流れがあって。
そうなんだ、またそのキャリア支援とは別だから、そっちは転職だけど、
もうちょっと広い意味でってことか、じゃあ。
そうだね、よりちょっと企業に近いんだけど、
なんかこれも前職の同僚というか、年齢的には結構先輩なんだけど、
今まさに大阪でそういうプログラムを大学と一緒に作るとかっていうのをやり始めていて、
地域を活性化するアイデアとかを持っている人を集めて、
それがどうしたら事業化できるのかとか、
そういうふうにビジネスとして検証するかみたいなことも、
みんなで集まってやっていこう。
それぞれ違うテーマを持っているんだけど、
自分がやったことをシェアしながら前に進むようにやっていこうみたいなプログラムがあって、
それに、よかったらカノンさんも運営側というかサポート側で参加しませんか、みたいなことを言ってくれてるんだよね。
なるほど、参加者をみんな切って捨てるんだね。
捨てないよ。
そんなことはできない。そんな実力もないしね。
厳しく言えるぐらいの力があればいいけどさ、力と知識がね。
でもそれも一緒で、もちろん僕は企業もしたことないし、
たぶんその人の話を聞いて引き出すとか整理をするとか、
たぶん整えるぐらいのことはできるんじゃないかとも思ってるわけ。
それができるかどうかも試しに行くんだけど。
いいんじゃない、いいんじゃない。そういう段階の方だと、さっき言った自然を守りたいみたいな改造度がやってることというよりは、
そこがたぶん一番大事なとこで、そこが練り込まれてないとか、そこが本当に自分で思ってんのみたいな人がたぶん来るだろうから、
そういう意味では馬鹿にしてるわけじゃないけどね。
分かる分かる。
そういう意味ではなんかいいんじゃない。
難しいよね。普通に転職支援とかでも思ってるけど、やりたいことって、難しいじゃん、やりたいことを明確に持つってそもそも。
難しいよ、難しい。いいんじゃない、なくてみたいな。
そうそうそうそう、結構言うんだよね。8割方ナイスみたいな、仕事で何したいですかとか、5年後どうなりたいですかとかって聞くんだけど、
でも8割方ナイスって言ってるんでしょうね。
ハヤトの方から。
僕の方から。
僕は、実はあんまなくってって言われたら、いやそうっすよね、実はあんまあるっていう人が少ないんすよとかって言ったりするんだけど。
あー、はいはい、なるほどね。
こんなことやったらあれだけど、別にそんな日々俺はこうなりたいですって、もちろん大谷翔平みたいに、卒業時点で30歳まで毎年これやるぞって書いて達成するのが素敵とかそれがすごいとかってもちろんあると思うんだけど、
普通に生きていてさ、僕らがじゃあ今年1年これをやりますって抱負を立てて、それに向かって毎日1ミリでも進んでいますよみたいな人が多いかって言うと多くはないとは思ってるんだよね。
だからなんかその中でも、何かやっぱ成し遂げるにはそれをちゃんと具体化して腹に落とし込んで、自分はこのために生きてるんだって思わないとやっぱり生きれないみたいな難しさ。
で、なんかあるよなーっていうのは最近すごい思う。
でもそれも本来逆なんだよね、逆っていうのは。目標を立ててそっちに頑張るんじゃなくて、どうしてもそうしたいから目標立てっかーみたいな、しゃーないから目標立てっかーっていう順番だから、その混同しちゃうと目標を立てればそっちに行けると思っちゃうと大間違いで、どうしてもそうやりたい、じゃあ目標立てっかーっていう順番じゃないとおかしいんだよね。
そこを混同しちゃうと大変なことになると思うし、だから目標立ててそっちに行こうとしなきゃーって合わせるのは大間違いだと思うっていう感じがあるかなー。
洞察を深める哲学
だからあくまでもやりたいこととか欲求が先であるわけだよね。
そうそうそうそう。そこの欲求が本物であれば、例えば何者かになりたいでもいいんだよ。そこの欲求が本物であればね。
だから、欲求が何者かになりたいっていうのは馬鹿にする風潮もあるんだけど、確かにそれは良くないことが多いんだけれども、それにもいろんな人がいて、もうマジで何でもいいから何者になりたい、この情熱どうする?みたいな人も山中にはいると思って。
そっかそっか。
それはそれに尊いと思うんだよね。
なるほどね。
そこはとにかくエネルギーが溢れてくるみたいな。
そうしたら目標を立てた方がいいし、立てるようになる。
なるほど、確かにね。確かに確かに。
なんかさ、ちょっと相談なんだけどさ、熱意がない人はどうしたらいいの?もうないものを別にそれを受け入れて生きればいいのか。
そうだよ。ない人はないことを自覚してそれに満足して生きるのがいいと思うよ。
はいはいはい。なるほどね。
じゃないとおかしいじゃん。さっきのまさに、ないものを買いになるのが楽しいんだみたいなふうに振り回されてるだけじゃん。
まあ確かにね。
熱意がないにもさ、多分いろんなグラデーションというかさ、あるないの二元論じゃないから、
どこに対してどれくらいあるんだろう、どこに対してどれくらいないんだろうみたいなものは、ある程度自分の中で把握しながら。
はいはいはい。
っていうところじゃないのかね。
なるほどね。現実的にはそうかもね。なんかうちもさ、面白いのが、やりたいことがないときにどうするかって話で、そのキャリア相談のときに。
はいはいはい。
そう。というと、基本的にはやりたくないことをあげましょうなんだよね。
まあ、ありたくない。例えば、路頭に迷うのは嫌だとかさ。
なんか家族で海外旅行に3年に1回は行きたいけどそれができなくなるのは嫌だとかさ。
そういうのは例えば出てきたりするじゃない?
そうね、それは。海外旅行に必要がそのくらいでみたいな話で。
そこはちょっとこう、検証の現地はあるけど自分とは今そう思ってるっていうのは相当いいっていうので。
そうそうそうそうそう。
そういうところから逆に、ってことはここはボーダーラインとして守んなきゃいけないよねとか、
やりたいことはなくてもこれが損なわれたら嫌だよねっていうことはこういうふうな選択肢があるよねとかっていうふうに方向性を伸ばしたり縮めたりするんだけど。
確かに今の兄貴の話はそこにすごい近い気がするな。
そうな。年末年始にかけてずっと養老たけしの本を読んでるんだけど。
へー、はいはい。
多分10年以上前だけど、バカの花弁が多分ベスト3だった時に買ったけど全く読まなかったんだよね。
そうなんだ。はいはいはい。
で、ここにきてなんとなくシリーズとかを全部読んだというか、オーディブでバーッと聞いたんだけど。
なんかその人が言ってて面白いなって思ったのが、僕やっぱその、仕事ってどうするみたいな。
やりたいことがないだったりとか、なんかこうしなきゃいけないのかみたいな時に、
そもそもその仕事ってその、なんだろうな、その穴を埋める?
世の中の穴を埋めるものだから、そんなに張り切って山を作ろうとかせずに、
その穴を埋めるっていう感覚でいるぐらいでいいんじゃないかみたいな。
おー、面白い。
確かにこれは結構いろんなものに通じるなと思って、今自分の中での仕事感だったり、
これはさらにマイナルだったり、金融するものけど、どっちにも共通する、
とてもいい価値観だなとは思っている。
はいはいはい。
まあ確かにね、変にだから張り切って大きな山を作るぞとかね、これを成し遂げるぞとかっていうよりも、
なんか転ばないように埋めておきましたみたいな。
そうそうそうそう。
それが、例えばその、なんだろうな、自分で事業をやりたいっていう人は、
世の中にある穴を見つけて、そこを即自分で埋めてる状態。
うーん、なるほどね。
で、何かやらなきゃって言ってる人は、たぶん穴見つけてないんだよね。だったりとか。
あーそうそう、それもあるね。
世の中に穴と言われるものがあるはずだ、これが穴だって言われてるものをただ信じてて、
その原則の穴を埋めようとしてて、ただ山持ってるだけみたいな、山作ろうとしてるだけみたいな。
で、それは穴に目を向けずに、自分これやりたいんだっつって、ただ山を作ろうとしてるけど、
その山誰もいらんわみたいな、邪魔だよみたいな。
あーあるよね。
だったり、一方でその、なんだろうな、会社に入る、サラリーマンになる、みたいな。
それは、もう社会に対する大きな穴を埋めようとしている会社、企業、共同体っていうものがあって、
その共同体がその穴を埋める作業をする中での穴をさらに埋めてるみたいな。
はいはいはいはい、あるよね。
だから大きな意味で言うと、レンガ職人じゃないけれども、
その大きな建物をみんなで作ろうとしてるんだけれども、
その中で自分はここのレンガを積んでるばかりですっていう。
はいはい。
話である程度こう説明つくなと思って。
確かに。
面白い確かに、その穴を埋めるみたいな発想は確かに面白いかも。
ちょっと経営学っぽく言うと、その穴を見つけるのがマーケティングだったりとか、
そういう話に近いのかなとは思うんだけど。
うん、なるほどね。
面白いよね。今ね、穴を見つけたらさ、みんなこぞっと埋めようとするわけじゃん。
この穴を埋めようとしてさ、お金を稼げるぞってなれば。
まあそうだね、ゴールドラッシュじゃないけれども、どうなんだろうな。
そのハヤトが今言った、見つけたらっていうのは、
多くの人が見つけたって思ってるものは、
すでに誰かが見つけてもう埋める算段つけた後のものだとするから、
見つけたっていう表現がやっぱり難しいと思うんだよね。
ああ、そういうことか。
本当に新しい、そうだね。
自分で埋めるから。
自分で埋めるというかね、人に。
ビジネス的な話でいうと、その穴って絶対教えちゃダメだから、人には。
まあそうだね、そうだね。
で、みんなが知ってる穴はみんなで埋めるから、いわゆるレッドオーシャーになるっていう話で。
まあそうだよね。
面白いな、穴のメタファーは使えそうな気がするし。
趣味と仕事の境界
結構大きくなると思った。
個人でもやりたいことが見つかりませんとかっていう話がよく出るんだけど、
それも穴だよねみたいな。
要は、やりたいことってふわふわしてるけど、やっぱりそれって世の中にある穴だから。
特に仕事においては。
別に自分が趣味で何かしたいとかあったら、別に好きなアイドル見つけるとかさ。
好きな絵にタネをかけるとかで別にいいとは思うんだけど。
いやー、だからさっきの話と今はヨロタケシの本読んでるからそればっかりなんだけど、
ヨロタケシは趣味が昆虫採取なんだって。
昔から虫が好きで。
はいはいはい。
で、なんかいろいろ集めてるんだけど、今はゾウ虫を集めてて。
ゾウ虫っていっぱい、いろんな種類がいるからってこと?
そうそうそう。で、ちっちゃいから場所も取んないしみたいな。
いろんな日本中、世界中。毎年海外に。
でも昆虫採取のためだけに、昆虫採取仲間とどこから進んでいってとか。
そんなことしてんだね。
それは趣味なんだって。
確かに確かに。楽しそう。
仕事は仕事で、物価値とかいろいろあるけれども。
はいはいはい。
昆虫は最初は仕事にはしてないけど、めっちゃ趣味。
もう博物館できるくらいのレベルでやってたけど、そこはもう自分の中で分けてるというか分かれてるというか。
古代日本哲学の考察
自然とも、ある意味どっちも自分というか、共存してるというかね。
うんうんうんうん。
面白い、確かにね。でも穴だと面白いよね。
ゾンビと集めることは別にどんな穴を埋めてるわけじゃないけれども。
あるいは自分の楽しみとか満足って穴は埋めてるかもしんないけど、別に社会の穴は埋めてるわけじゃないよ。
そうそうそうそう。そこにも自覚的だし。
ある意味ご飯を食べるっていう意味では、自分たぶん理性っていうところでの物価値みたいなところ?
はいはいはいはい。
やっぱり組織がちょっと難しいとか、大学のヒエラリティの中でやっていくのは難しいなってどこかで思って、そこはやめてるみたいな。
面白いね。それはいいことを聞いたわ。
ちょっと頭良すぎる人の方だろうから、まんま参考にするのは難しいかもしれないけど、考え方としてはすごくわかりやすいというかね。
確かに確かに。ありがたい。ありがたいというかね。
やっぱりね、どんな穴を見つけるかとか、自分が何に向いてるかとかってなかなか自分だけではわからなかったりするから。
さっき言ったみたいなね。
世の中の穴を見つけるのも才能の一つだから。
本当に本当に。
見つけなきゃと思うのも間違いだからね。
そうだよね。
さっきの話を聞くみたいなところもそうだけど、やっぱりそこって、自分がどんな穴を見つけやすいかとか、どのところにアンテナが向くのかみたいなことに自覚的になるってこともそうだと思うし。
そうやってなかなか自分だけではわかんないからこそ、壁打ちみたいな感じで、誰かと話しながら気づいていく。
それが別にAIに将来になっていくのかもしれないけど、やっぱり人と人が集まったときの偶然性とかがあったりすると思うから。
そういうのがね、やっぱり番人にとってとは言わないけど、人によってはとか、タイミングによっては大事なんだろうね。
いいね。それこそ養老拓司さんなら養老拓司さん。僕はあんまり、それこそ流行ってるときにバカの角を読んだぐらいしか知らないけれども。
やっぱりそういうところにまた使えると、それを元に話し合いできるのは面白いよね。
いやー、そうね。だからその中でいろんなことをどっちかっていうと思想化的な?哲学という思想化的な感じだから。
養老拓司さんが言ってることは絶対でもないんだけれども、そのさっきの穴のメタファーみたいな感じで、自分の何かと共振する部分っていうのがあって面白いなと思うね、そういうの。
確かに。そういう意味ではちょっとまとめつついきますけど、次回からまた西田貴太郎ということで、
やっぱり一人の人の考えた哲学とか思想を埋めたところをまた深掘りしていこうと思うので、
これまでどっちかっていうとインドの中でベイダーがあってバネシャットがあってうんぬんみたいな話で、どっちかっていうと横に動くような感じだと思うんですけど、
より縦にというか深く掘っていくことで、これで西田貴太郎的に考えるとかまでいけるかどうかわからないんだけど、
そういう中で見たときに、もしかしてこれってこうかもねとか、ビジネスとかも、もしかしたらこんなふうに捉えられるかもねとかってわかるかもしれないんで、
そういうのを楽しみながらぜひ次のテーマもお届けしていけたらいいなとちょっと今思いましたね。
分かりました。では次回、西田貴太郎を楽しんでいきたいというところで引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
50:15

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