1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #206 バタイユの熱すぎる感性..
2024-04-17 40:40

#206 バタイユの熱すぎる感性に触れるエッセイ『太陽肛門』

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。

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00:06
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、今回はバタイユの回、最後というところで、前も課上とかの時に教えてくれたバタイユの太陽肛門という本でした。
そうですね。はい。
今回は文学寄りといいますか、バタイユが書いた小説を一緒に味わってみましょうという感じなんですけど、
ちょっとだけ復習しておくと、まさに言ってくれた過剰さというものを重視してますよね、バタイユはね。
という時に、過剰さの象徴として太陽というものをすごく重視しております。
太陽って自分自身の原子を壊して、周囲の光とか熱を巻き散らすんだと。
それはもう膨大なエネルギーを巻き散らしていって、それが地球に降り注いで、何億年もかけて生物が進化して人間が誕生したみたいなわけで。
別に地球のためにやってるわけでもないし、誰のためでもないと勝手にやってる。
ただただエネルギーを出している中で、たまたま地球で生まれちゃったみたいな感じね。
だからこそ人間の根底には太陽の過剰さというものがあるんだよ。
だからこそ人間も過剰さというのは根幹に持っているんだという話も持っていきますよという話を前回、その前かな、ぐらいにしたと思うんだよね。
ああ、そうだったね。太陽と同じだっていう、だいぶ飛んでるよねって話をしてたね。
ロジック的には苦しいんだけどねって話をしながらしたと思うんですけど。
だから最終的には、光とか熱を巻き散らす太陽というものと、
食べたものの余分を巻き散らす光紋、人間の光紋というものを似たようなイメージとして結びつけましたよというところまでお伝えしたかなと思うんですよね。
巻き散らしてはいないと思う。表現がない。
排出するみたいな感じだと思うんですけど。
太陽と光紋という、普段は絶対に結びつかないの言葉が小説のタイトルとして結びついているという感じなんだけれども。
今回その本の紹介している文章は、2018年に出版されている坂井たけしさんという方の訳の本を紹介します。
この方が厚生大学の教授の方のようでして、いわゆる太陽研究とかめっちゃやってる方なんですけど、
03:00
520円とかでめっちゃ読みやすいし、前回もお伝えしたんですけど、20ページくらいの本文があって、その後に30ページくらいのしっかりした解説がすごいついてるんですよ。
これがないと本当に意味がわからないという感じなので。
そういう意味でもめっちゃ面白いんで、興味を持った方はぜひAmazonとかで買ってみていただいてもいいのかなと思います。
520円でめっちゃお得、お手軽なので。
家に太陽光紋という本が並んでいるのかどうかみたいな話はあるんですけど。
謎すぎるよね。
謎だと。
そんな感じで、中身というかこんな文章があるというのを紹介していきたいんですけど、
今回ちょっと内容が若干性的な表現なんですよね。
そうなんだ、あれ?
バタイユだっけ、エロティシズムの歴史とかも書いてる?
そうです、バタイユ。
前言ってたもんね、エロ・グロが多いみたいな話をしてたもんね。
エロとかグロって普通の法的な生活から切り離されがちじゃないですか。
それこそ性行為とかっていうのも、いわゆる18禁みたいな感じで、世の中的には排除されがちというか、なかなか大役にならないものだし。
だからそもそもバタイユのテーマの位置とか位置っていう時の位置の方に入ってくるみたいな感じで、結構そういうテーマ設定があるんですけど。
なので別に、今日もエロい話をするわけじゃないんで、あれなんですけど、そういうのは苦手だなとか抵抗あるなみたいな。
または全然ここでストップしていただいても大丈夫かなと思って。
なるほど、言葉とか例えがそういうところから引っ張ってこられてる。
いっぱいあるんで。
あとね、そのあたりは皆さんこのタイミングで、もしあれでしたら止めていただいてまた次に聞いていただければ嬉しいなと思っていると。
一応、面積が必要、前置きが。
やっぱりさ、この辺って難しいじゃん。どのぐらいが性的な表現かみたいな。
はいはいはい。
苦手なものもやっぱり人によって全然違うからさ。
じゃあさ、ポトキャストってさ、PG18指定とかってできるんだけど、設定であるんだけど、今回はどうなんですかね?
大丈夫、18禁ではない。18禁ではないので。
はいはい。
そんなのあるんだ、ポトキャストにちゃんとね。
あるある。
えー面白い。
それをどうなるのか知らないけどね。年齢入れると出てこなくなるのか、まだね、わかんないけど。
06:00
まあまあ、そういう意味で大丈夫と思ってはいるんですけど、ちょっと苦手な方はね。
っていう話をした上で、ちょっとお伝えしていきますよ。
書き出しからしてだいぶ不思議な本なんですけど、一番最初の文章何て書いてるかっていうと、
世界が純粋にパロディーであることは明白なことだ。
つまり、人が目にする事物はどれも他の事物のパロディなのである。
って書いてます。
へー、思わせぶりだな。
どうですか?どうですか?
いや、いいね、あのー、攻殻機動隊のオープニングとかで言われてても意外となさそう。
第1話冒頭でね。
そうそうそうそう。
はいはいはい。
意外とパロディーであるみたいな言ってそう。
ありそう。
やっぱすごい断定してるじゃん。明白であるとかって言ってるんだから、世界がパロディーだって言ってるわけなんだよね。
でもさ、そんな風に思ったことある?生きてて。
ないね。
ないでしょ。僕ももちろんないし。
確かに出会ったこともないわけですよ。
まさゆは言い切ってるんだよね。
うんうんうん。
それほんとすごいなと思うし、そもそも僕とかだったらなぜかというと説明したくなっちゃったりとか、
明白だと言えるのではないだろうかみたいな、ちょっと保留しちゃうみたいなのがあると思うんだけど、
ないんですよ、そういうの。
はいはいはい。確信があるんですね。
確信がある。で、そこから始まっていくんで、まあまあ飛ばし飛ばしにいくんですけど、
例えば次振り上げたいのが、ちょっと難しい言葉も含まれてるんですけど、
言葉を結ぶ形字。形字っていうのは何々である。
例えばAはBであるとかっていう時の、このであるっていう部分を示す言葉が形字って言葉なんだけど、
文字とか動詞とかと同じな感じね。
うんうんうん。
この言葉を結ぶ形字は、肉体の骨折に劣らず欲望をかきたてる。
だから私は太陽であると書いた途端、私は完全な勃起に見舞われる、って書いてあるのね。
へー、そりゃああれだね。
はい。
下から見たら陽気な才だな、確かに。
これやべえやつでしょ?
うんうんうん。でもね、なんとなくそうだね、この馬太陽の凄みを感じるね。
おわ、なるほどね。やっぱ凄みを感じてくれる。ちょっと天才力感じるんじゃない?こうやって言われると。
09:02
そうだね。
でもちょっと補足すると、さっき言った通り、何がいいであるって言葉がその形字なんだけど、
この言葉があるから、私と太陽っていう、私は太陽であるって書くんだけど、
私と太陽っていう全然違う存在っていうのが、パロディーとかに似たものとして表現できるよねと。
はいはいはい。
であるっていう言葉があるから、私と太陽っていうのは交わりを持つことができる。
それじゃあね、別に太陽に手が届くわけでもないし、太陽と自分とは別に特別な関係にはないんだけど、
であるっていう言葉のおかげで、そこに関係性が繋がりますよと。
はいはいはい。
それがいわゆる、肉体の交わりなんでいわゆるセックスだと思うんだけど、そういうものと似てるみたいな。
そういうふうに自分と他人、別の存在が交わるっていうことと、であるっていう言葉の交わりっていうのを重ね合わせるよねみたいな。
そんなふうな解説があるんですよね。
はいはいはい。
なるほど。これ性的な方で書いてるから、ちょっとあれやけども、
前回までさ、後人すごいなとか、タブルネッキーとかとはちょっとレベルが違う、悟りレベルだみたいな話があったんだけれども、
もうそれすらも、そのイメージすらも弱かったかなってぐらい、この世界に生きる人の凄みというかね。
結構強烈でしょ。
すごいすごい。
そうそうそう。
あと逆にやっぱり、この解説がないと全然意味がわかんないというか、これね、理解できる方はやっぱりすごい天才性があるかなと思うんだよね、やっぱり。
そうだね、これ何も前知識もなくだよねーとかって言う人はあんまりいないだろうね、確かに。
わかるわかるみたいな。
私は太陽であるって書いたらすごい興奮するよねーとかっていう人は、小説家とかになった方がいいと思うんですけど。
自分だったらもうちょっと違うけどねーみたいなね、エロ方向では表現しないけどめっちゃわかるわーみたいなね。
めっちゃ腹が減るとかね。
そういう人は羨ましい。僕はやっぱり無理なんで、解説を読んでもなるほどって思ってる人が人気なんですけど。
今回ね、バトルの話聞いたからこその感覚だね、これは。
みたいなことがね、いっぱい続いてくるんですけど、ちょっと次ね、これもちょっと性的なまた表現になっちゃうんですけど、
まあやっぱり今、あやきさんが言ってくれたように、バトルの視点の広さとか、
あ、そんな風に世界を捉えて生きてんの?みたいな話をちょっと感じてもらえるかなと思って持ってきたんですけど、
12:01
一人の男の人がいますよと。
この人に対して、彼は再び起き上がり、また慣れてへたり込む。
そんなことを毎日続けているのだ。
このような上空の大気との大いなる星光は、太陽と向き合う地球の時点によって操縦されている。
つまり、分かると思うんですけど、人が追って寝るっていうのを、いわゆる断星系の勃起にのぞられています。
大気との大いなる星光っていうのは、地球とそういう風な性的な交わりをしているんだと。
しかもそれが、太陽に対して地球は自転して回ってるじゃないですか。
地球のリズムによって人間の勃起っていうのは制御されているから、
地球レベルで人間と大気との交わりっていうのは、メカニズムとしてコントロールされているんだっていうようなことを言ってるんだよね。
結構このスケール感すごいなって思うんだけど、どう思います?
うん、すごい。これを文学的っていう話も分かるね。
だってこれを表現するってことは、まず場体がそう思ってるっていうか、それを出会ってるっていう話だからね。
まさにそう、出会ってるんだよね。
すごいな、ただそうだね。これはしょうがないんだろうけどね。
バッテリーウが男だからそういう表現になっちゃうんだろうけどね。
だいぶ男目線だなっていうのはあるけど、まあしょうがない。
時代的なものとかもなるとは思うんだけどね。
気持ち悪いね。でもバッテリーウが女性目線から全部見てても、
あまり盗作してる感じがして、別の気持ち悪さが生まれるかもしれないから。
いわゆるパロディって言うと、パロディって要は結局何かとコピーっていうのもちょっと違うんだけど、
何かを真似して作られるものだったりするじゃないですか。
そういう時に、いわゆる視点の変化というか、
例えば人間同士の性的な交わりっていうものと、人間と空とか、人間と地球とか人間と太陽とか、
もっと言うと太陽と地球とか、そういう風なスケールで同じようなことが起きてるんじゃないかとか、
いろいろ発想していくわけなんだよね。
15:01
バッテリー変態すぎないか?そういうこと?パロディって。
全部、いわゆる性的な営みに例えられるよと。
そういうことはそこまではないんだけどね。
あそこまではない?
ではない。
全部そういうわけではない?
全部そういうわけではなくて、全部が性的であるってことじゃなくて、
全部がパロディであって、それを性というパロディを使うとこんな風に言えるよねっていう感じかな。
一つの例えとして、バッテリーはこのシズボ方面の表現をしてますよと。
そうそうそう。
そういうことか。
全部性的なものですよってわけじゃないか。
そういうわけではない。
例えば、本の中に言うと、
鉛は黄金のパロディであるとか、
唾液は水のパロディであるとかと同じように、
性行、セックスは犯罪のパロディであるとかっていうふうに書いてあるよね。
結局その例えが出てくるんだな。
最終的には。
そんな感じなので、性的な話が多いんだけれども、
別にそれだけをしたいというよりは、
それがすごくイマジネーションを膨らませるってことだなと思うんだよね。
確かにな。
ある意味どうなんだろうな。
どこまで考えてるかわからない。
こういう人がどこまで考えてるかわからない。
具体的な知能の動きで考えてるかわからないんだけど。
文学作品として一つの本を経済的な作品として捉えたときに、
そっちの方が売れるかなっていうのはあるのかどうなんだろうね。
あるのかもしれない。
旬画とか日本画でもエロい方が売れるからそういうの書いてあるみたいな話もあるだろうし。
確かに大衆芸術、大衆動作。
娯楽的にね。
そういうような観点もあったかもしれないし、
生命とか人間とかを考えるときに根源的なものでもあるから。
単なるエロっていうよりは、そういうような豊かさとか重さのイメージとして結びつけてるとかもあると思うんだよね。
それだったらもうちょっとおつかせもいいんじゃないかと思うような表現も後であるんでまたそれも言うんですけど。
でも確かに一つを作品として考えると面白そうっていうか面白いよね。
面白いと思う。
ぜひ気になった方は読んでみていただきたいなと思ってるんですけれども、
じゃあ次の話でいくと、
18:03
植物は一様に太陽を目指している。
逆に人間は他の動物と違って樹木のように断根直立型だというのに必ず太陽から目を逸らしている。
人間の目は太陽にも星光にも暗闇にも耐えられないという言葉があります。
どこかというと植物はお日様に向かって伸びていくじゃないですか基本的に。
動物は四本足だから太陽を向いてないんですよね。
でも人間は動物なのに太陽の方を向いている。
なんだけど人間なら太陽を直視できないじゃないですか。
太陽を見ると目がつぶれちゃうとかの時に。
太陽からすると人間って太陽の過剰さから生み出されているはずなのに、
太陽を見ることができないんですよね。
それって本当はめちゃめちゃ歪んでるよねみたいなことがここで言いたいことなんですよね。
伝わる?
伝わらない。
伝わらなかった。
もうちょっと言うと、太陽から生まれて太陽に向かって生きている人間なのに、
太陽を直視することができない。
太陽と向き合うことができない。
それが消しからんので、
実際に太陽は人間の脳というか頭のてっぺんの方に、
太陽を見るために上向きについている第三の目があるんじゃないかとか、
そんなことも考えたらしいんだよね。
考えてたんだ。
ああ、面白い。
そんなわけないと。
太陽が見えないわけないだろうと。
そう、太陽は見れないわけない。
人間がね。
だって太陽から生きている。
太陽からできているんだから、人間は。
どういうことか。
人間の目は太陽に耐えられない。
見るための目がついているはずだって分かるけど、
星光にも暗闇にも耐えられない。
どういうことなの?
そこはね、分かんないよね。
あんまり読み解かなくていい?
読み解けるなら読み解いてほしいけれども、
ロジックでは出てこないから、その答えは。
感覚でしないと。
僕の感覚的には、普通に暗闇って怖いじゃない。
恐怖を恐るし、
星光とかセックスもやっぱり、
それを特視し続けることって、
基本的には恥じらいとか、
恥ずかしさにつながるから、
基本的にはない行為だと思った時に、
結局人間は見るっていうことがすごく日常的に大事なはずなんだけど、
21:04
その見るに耐えないものっていうのがいっぱいある。
それが見るに耐えないっていうのは、いわゆる悲惨なかとかじゃなくて、
単純に見続けることができないものとして、
太陽と星光と暗闇っていう3つを並べているぐらいなのかなって思ってるんだけどね。
なるほど。
バタエルからすると、この状況はとてもけしからんと、
そんなわけないっていうちょっと悔しい思いをしてるわけだね。
本人の過剰さだったりとか、
何たちからすると、
太陽も、あと星光も、あと暗闇も、
本当は全部ちゃんと見れるはずだろうと。
見てもいいはずだろうね。
意味はあるのかな?
たぶん。
それもね、別にずっと思い続けたっていうよりは、
一時期そういうことを考えてたよっていう話だと思うんだけど、
またそういう発想とか、
太陽と星光っておかしいから第三の目があるみたいなふうに、
現実の方を書き換えちゃう。
そういうのは創設家というかクリエイティブな人だなって思うよね。
そうなの。
みたいなのがあります。
次で最後なんですけど、
この文章の終わりのところをご紹介したくて、
ちょっとつまみながらにはなるんですけど、
それをお伝えして、
今日の本の話としては最後にしたいんだけど、
まず太陽がまた出てきて、
太陽は夜だけをひたすら愛している。
なのに太陽は夜に会うことができない。
太陽の光輪、光の輪っかね。
なのでって言っちゃった。
これなのでじゃないんだけど、
太陽の光の輪っかは18歳の彼女の肉体の無垢な光紋なのだ。
この光紋と同じほど人を召し刺せ、
この光紋に匹敵し得るものは太陽以外にはない。
ただし光紋は夜なのだが。
と書いてます。
これで終わり。
終わりなの?
終わりです。
あー、なるほど。
今まで哲学的な話聞いてたから楽さんすごいな。
全然違うよね。
終わるなよって。
本だと解説が30ページあるんでしょうけど。
そうです。
馬鹿家の書いてることはこれで終わりです。
へー。
もしこれを聞いて、
自分にはこんなイメージが湧いてきましたとか、
24:03
きっと馬太陽はこんなことを言ってるんですねって人がいたら
ぜひ教えてほしいです。
僕には無理です。それは。
確かに自分だったら好評にしますみたいなね。
とかね。
その感覚わかりますみたいな人がいたらぜひ教えていただきたい。
面白いなー。
でもやっぱり面白いんでしょう。
これは哲学的な、思想的な部分をお伝えしてきたからこと、
同じ人がこんなことを書いてるんだとか、
こんな表現してるんだって結構ね、
やっぱり惹かれる魅力的なものがあると思うんだよね。
そう。
今回の馬太陽の話を聞いたからこそだけど、
そんぐらいの感覚があるとか、
そんぐらいの出会う、
当人レベルの高い人だよね。
前回の話。
前々回。
じゃないと、どうなのかな。
これのどっちかだけがすごいってことはないのかもしんないね。
そうそうそう。
どっちかだけ、
当人レベルの低い人の特性の発露として
こっちだけめっちゃ出てくるみたいなのもあるのかもしれないけど、
同じ。
そういう風な生き方をしてたからこそ、
こういう太陽光みたいな表現もするし、
地の領域にそれを落とし込むってことは、
それは多分才能だと思うんだけど、
その両方ができたっていう話で、
才能とあとは努力か、
やっぱりそういう、
前回言った通り、
いろんな雑誌とかを観光して文章を書き続けたとかさ、
そういう表現をやっぱりし続けてるわけだから。
バタユが変態なのは間違いないだろうな。
変態だと思う。
ド変態だと思う。
締めも含めて思ったのは、
たぶんバタユは、
本当に出会って感覚も鋭いんだけど、
本当の意味で性的に、
太陽も光も好きだったんだろうね。
でもそれはあると思うな。
それもたぶん、
暴露じゃなくて、
ただ露出だよね。露出狂だよね。
露出だよね。
露出趣味もあるんだろうな。
そうだね。
すごい面白いし、
そういう、
露出的な表現というか、
あるよね。
自分の表現としてね。文学的にね。
すごいそういうのを感じたな。
生々しいな。面白い。
バタユはそういう意味での、
イメージを膨らませてくれるとか、
27:01
私はやっぱり性的な話とかって、
冒頭めっちゃ苦手な人も多いし、
普段は喋らないからさ。
それこそ、
男性だけで集まった飲み会とかでは、
そういう話もあるのかもしれないけれども。
女性だけでもあるだろうね。
女性だけでもあるある。
苦手な人もいるだろうし、
普通はあまり公の場ではするものではない。
ラジオ収録するときもちょっとね、
かばかられるというかね。
気を使うというか。
どこまでどう話そうというのはあるけどね。
ワイダンホットキャスターだったら、
それがむしろ面白いというか、
そういうのが好きというのもあると思うし。
そういう風な、
でもそれってなぜ面白いかっていうと、
そこにしかやっぱりない話題とか、
何だろうな、
という盛り上がり方とか、
まさにちょっと非知の領域だよね。
そういう感覚でいうと。
そうなんだ。
多分ね。
別に普段はね、
システム上、経済のシステムで生きている中では、
やっぱりいわゆる性的なものは、
経済に吸収されちゃうわけじゃん。
例えばそういう風なお店があるとか、
別に、
例えば男性だったらキャンバクラーとか、
女性だったらコストとか、
お金を払ったら、
そういう性的な欲求が満たせるみたいなのがあった時に。
今挙げたお店は、
性的な欲求を満たす店ではないけどね。
性欲というよりは、
いわゆる異性と関わって楽しむみたいな、
そういう意味では性的ね。
そうなった時に、
そこにも経済が全部入り込んじゃいます。
そういう時に、
いわゆるそういうものを絡まない売壇とか、
あると違うけど、
いわゆる純粋な恋愛話とかって、
やっぱり人からしたら、
聞きたいとか見たいとか、
そういう話したいって思うと思うんですよね。
確かにそうだね。
こういう話、
確かに恋愛とか性的なところっていうのは、
確かにすごくハイトがヒッチっぽいって言ったら、
確かにその通りだね。
一番感覚でやる部分が大きいもんね。
そうなんだよね。
みんな強化できるしね、
基本的には。
僕は強化できなかったのが面白かった。
なんか言ってないかもしれないんだけども、
高校生ぐらいの時に、
周りが恋愛話をしてるのにびっくりしたんだよ。
びっくりした?
びっくりした。
本当に不思議なんだけど、
高校生って僕の中では割と大人な年齢で、
30:00
大人になったら恋愛なんていうものはもうしない。
僕中学生まで恋愛をしてたかったんだけど、
そんなことはしなかったんだけども、
恋愛なんていう低俗なものを超えて、
人は理性で生きるんだと思ってた。
低俗だと思ってたんだ。
そう思ってたからね。
って言ったら周りから嘘だろみたいな。
高校生が恋愛じゃなくてどうするんだよみたいなことを言われて、
ってなったのを今思い出したんだけど。
恋愛っていうものは人生にとって不要だと思ったのね。
でも最近、奥さんとかと話してると逆に、
むしろ高校生とかのピュアな恋愛の話を聞きたいよとか言ってて、
そういう感覚になるんだねって思ったりするんだけど。
はいはいはい。
今じゃあ自分が恋愛は低俗だと思ってるけど、
全くそんなことはなく、
むしろ恋愛というか合理性を超えた関係性にしかない豊かさがあるよなって思ってるんだけど。
だいぶこじらせてたんだろうな。
悟ってたっていうよりはこじらせてたんだよね。
何も悟ってない。ただこじらせてただけだね。
恋愛経験は別に豊富ではないし。
まあまあまあ、そんな感じでね。
兄貴が恋愛っていうのはね、
現代圏とか共感できるっていう話があったから、
共感できない自分もいるなっていうのを今出したくて。
なるほどね。はいはい。
こじらせてるやつもいますよと。
いますよと。
だからまあそんな、
ヒッチの話みたいなところで言うと、
やっぱり性的な話でやっぱり、
普通はちょっとかけられがちというか、
公に出てこないんだけど、
むしろそれは真正面から捉えているので、
エロとかグロとかね、
話に入り込んできやすいのは間違いなくある。
うんうんうん。
やっぱりこういう哲学者の、
例えばだけど、
ヘーギルとかのこういうところ紹介してほしい。
ヘーギルにあんのかなあ。
どうなんだろうね。
どっちかというと理性の方で。
でもさ、名前が残るほどの、
その哲学者って、
今回場体は逆説的なんだから、
いわゆる本道の方だよね。
その哲学者もさ、
絶対何かに出会って、
そこまで深い話をしているはずだから。
まあね。
ちょっと人間味のあるエピソードがあるんだろうな。
あるとは思うし、
残ってるかも。
やっぱり違う世界を見てた人だと思う。
33:01
そういうところはね、
確かに面白いだろうね、人間味として。
今まであんまりね、
哲学的な方をフォーカスしてたからね。
例えばヘイエルだったりとか、
カントとかそういう人が出てきたとしても、
あんまり人生的な話はね、
導入としてはしてた気がするけど、
あんまりそこに出てこない範囲の話は
あんまりしてなかった。
そういうのは調べて、
テーマ的にお伝えしても面白いかもね。
こんなことを考えて、
マジありえないですよね。
実はこんな本も書いてましたとかね、
こんな事件を起こしてましたみたいなのもあるんだろうね。
あると思う。
過剰さというか当時のレベルが、
荒らぬ方向に漏れ出してるよねみたいな。
あるよな、そういう人。
それは僕の社員に興味があるので調べてみたいです。
バタエはそこを漏れてるんじゃなくて、
多分積極的に出してるんだろうなって感じ。
そこに向き合ってるって感じですね。
哲学者は小説家とかに多いんだろうなと思って、
ぜひ今日のバタエの話を聞いて、
当時レベル高いこんな小説がいますよとか、
こんな本がありますとかってなったら
ぜひ教えてほしいんですけど、
話して一個思い出した、
無論再生っていう小説家がいるんですけど、
知ってます?
知らない。
有名ではあるんだけど、
そんなに教科書に出てきましたとか、
絶対に読んでますとかっていう人ではないんだけど、
その人の三つの哀れっていう小説があって、
これ青皿文庫とかでも読めるやつあるんで、
よかったら興味あったら読んでみてほしいんですけど、
金魚が女の子なんですよ。
なんて言ったらいいんだよこれ。
もう分かんない。
金魚と暮らしてるおじさんがいて、
金魚を完全に可愛い女の子と
対話をして一緒に暮らしてるっていう人の
お母さん。
青皿文庫だから結構昔の
昔、昔。
武道再生さんは今Wikipedia見てるんですけど、
1889年から1962年に
生きてる方ですね。
そうなんだ。
ラノベであるような設定だけど、
全然昔の話じゃない?
全然昔、全然昔。
でもこれ昔読んでめっちゃ面白かったんだよね。
この人頭おかしいなやべえなって思われる。
思える小説。
そういうの結構好きなので、僕も。
36:02
そういうのが好きな方はぜひ
これも読んだらいいですよ。
じゃあハヤトさん、
これアニメ映画なんだけど、
コーン・サトシ監督の
知ってる?
パーフェクト・ブルーとか、
パプリカ、
あと千年女優かな。
この3つは見たんだけど、
結構難解だったりとか、
飛んでたりとか、
でもそういうのがあって、
多分見る人によって全然解釈違うんだろうなーって
面白さがあると思うんだけど、
ぜひぜひ見てないのあれば。
俺も見てない。
名前は知ってるけどみたいな?
この3つはおすすめだな。
個人的にはパーフェクト・ブルー
どうだろうなー
本当に意味わかんないみたいなのが好きな人は
パプリカだろうけど。
一番新しいから
映画とかはあるよね。
全部面白い。
個人的には音楽も大好きで、
平沢進っていう人の音楽が
簡単に使えてるんだけど、
とてもいい。
こういう風にジャンル分けされてもいいかも。
そうだよね。
いろいろ哲学的な本
趣味の本読むのも忙しいだろうけど、
そういう文学とか芸術に触れたいなー
っていう思いもあるみたいな。
最近ここ3ヶ月くらいで湧いてきたね。
だいぶ最近だけど、なるほど。
ちょっと雑談っぽくなっちゃったんですけど、
そんな形でぜひ
こういった
哲学を
ソウルディスラジオでもやりますけれども、
まさに兄貴っていうのは
等人レベルが高すぎるとか、
ミツラムに出会っちゃったみたいな人って
小説家とか詩人とかの方が多分多いと思う。
上限方法としては。
だからぜひ皆さんの等人レベル高い
エピソードというか
教えていただけると嬉しいなと思っております。
分かりましたー。
バタ言う意外と長かったな、5回。
でもね、そのぐらい取り上げて良かったなと思ってるし、
やっぱね、人を取り上げるって言うね。
前回も偶然とか正義とかね、
TMLってやったけど、人は人でね、やっぱり面白いな
というかここまで上げられるのもいいなと思ったので、
39:02
その辺りはまた今後もね、
混ぜながらやっていきたいですね。
分かりましたー。次回はまた、トイユ戻るって言ってたけど。
次回はね、ケゴン教を取り上げようと思ってて、
ケゴン教って大事なときのお経があるんですよ。
ほうほうほう。
これね、めちゃめちゃ面白くてというか、
僕も何を読んでも
これはケゴン教に由来してとか、
これはケゴン的であるとかってことが出てて、
興味があったんだけど、
全然読めてなかった。手を出してなかったので。
それをですね、僕自身も学びつつ、
ちょっと皆さんにもお伝えしつつ、
またちょっと東洋的なね、
不思議な世界というか、
言葉を越えたような世界っていうところも
お伝えしていきたいという風な感じですね。
確かになんだかんだ久々の東洋だから楽しみだね。
うんうん。
今回馬田家でちょっとね、悟りみたいな感覚も出てきたから、
いいつなぎの人だったかも、馬田家。
面白い人だったな。
そこを取り越えていくつつやっていこうかなと。
取りますという感じですね。
ちょっと個人的にも久々の東洋を楽しみにしていますので、
次回も。
次回は雑談とかささいつつですけども、
楽しんでいきたいと思いますので、
引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
40:40

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