1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #68 ニーチェの名著『ツァラト..
「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。

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(BGM)
はい、それってつらじを今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
これまでニーチャーをずっとやってきたんですけれども、何を乗り越えたのかっていうところを全部乗り越えましたという話と、
それをさらにどう解決するかっていうビデオの前回は永劫回帰とか、超人とか、ずっと結構難しい話というか、
赤い根の話をずっとやってきたというところで、すごい楽しかったんですけど、今回はちょっとまた雰囲気変わるのかな。
はい。前回、永劫回帰と言ったような話をして、永遠の人生の繰り返しを「よし、もう一度というのだ」みたいな、
なんかすごい、割と振り切った話をしてたじゃないですか。
やっぱ、神学とか神様の話と一緒で、僕らも疲れるし、そんな話ばっかりしてる。
そう、一旦そうだもんね。そういうフィルターを通して理解しようとしないと、スッと入ってこないもんね。
うん、そうそうそう。なので、一回そこまで前回までやり切ったので、今回はですね、ラフな回ということで、
ちょっと兄ちゃんの言葉自体をね、味わってみませんかと。はいはいはい。
最初にもちょっと、兄ちゃんの回の最初にもお伝えしたんだけれども、兄ちゃんの書くことの特徴としてアフォリズム。
アフォリズムって、いわゆる格言とか金言とかいわゆるやつなんですけど、名言とかね。
要はロジックで、論理で、AだからB、BだからC、だからDだよりは、それこそ前回みたいな、超人とは大地の意思だ、みたいな。
うんうんうんうん。
そのふうに言い切ることで、何だろう、表現するみたいなのが多いんですよね。
あー、結構あれなのかな、じゃあ、ブッダとか仏教っぽい。
あー、そうね。結構ストレートにパンという感じはあって、だからこそ、やっぱり理解が難しい部分はあるんだけど、
ちょっと文学的ではあるんだけど、やっぱり表現が豊かなんですよね、兄ちゃんって。
はいはいはい、そうなんだ。
そうそう。そういう意味でも、やっぱり兄ちゃんが人気というか、愛されてるってのがあるだろうなと思っていて、
だから、これまではどっちかっていうと思想的なとか哲学的なことを話してたんですけど、
それだけだとやっぱり兄ちゃんの良さって伝わりきらないなと思うんで、
なんかこんなことは言ってますよ、みたいなのを、ちょっと実際にその「サラトゥストラはこういった」っていう僕が本当に好きな本があるので、
そこからちょっとピックアップしてお伝えしていきたいなっていうふうには思ってましたと。
おー、了解です。あれなのかな、兄ちゃん好きな人とか、兄ちゃんを知ってる人はこの本は読んでる、みたいな。
まずこの本に出会うだろう、みたいな本なのかな、これは。
そうね、代表作ではあるから、読んでる人もいるんじゃないかな、やっぱり。
そんなに難しいんだけど、言葉とかは、約本、今日は佐々木アタルさんっていう方の本を持ってきてるんですけど、
03:07
そんなにこういうのはすごく硬くなかったりとか、読もうと読める本なので、
なんかすごくヘゲルとかカントンみたいなのとかも日本語とは思えません、みたいな感じではないんだよね。
はいはい、その名言っていうものを自分なりに解釈しながら楽しむ余地のある本みたいな感じなのかな。
そうそうそう。これは逆に名言集みたいに読んじゃうとあんまり良くなくて、
これまで言ってきた通り、やっぱりニーツの言葉をちゃんと理解するとか、
ニーツの考えを理解するっていうのが、このサラトスラ一冊でできるかって言ったらやっぱり難しいのよ。
あー、そうなの。今回も色々やってくれたけど、この本から全部持ってきたわけじゃないんだね。
違う違う、神の話では神の話あるしとか、英語会計の話では英語会計の話で、ニーツの話で晩年の思想だから、また別の本で語られててとかっていうのがあるので、
だから、あんまり言葉を抜き取ってそれをニーツだって紹介するのは僕はあんまり好きじゃなくて、
ニーツ自身もどこで読んだか思い出せないし、ニーツだったかも誤りますけど、
やっぱり言葉を抜き取ったら意味が死んでしまうみたいなことをニーツ本人が言ってた気がするのよ。
あー、そうなんだ。言葉1個とか名言1個分け、それだけで判断するんだよみたいな話。
そうそうそう。もし勘違いだったら、お存知の方いたら教えてほしいんですけど。
大器本願だ。
ここまで一緒にニーツのことを学んできていただいた、兄貴もそうだし、聞いていただいてる皆さんだったら、
その言葉を聞いた時にも味わえるというか、ただ言葉通りに聞くっていうよりは、
「あ、こんなこと言ってんのかな」とか「ニーツってもしかしてこれでこういうことを表現しようとしたのかな」みたいなことも味わっていただけるんじゃないかなと思うので、
それを今日やってみたいなと思っています。
はいはい、了解です。読んだことないから楽しみだね。
多分意味わかんないと思うんだけど、なんとなく楽しんでもらえればっていう意味でのラフさと、
あと特に今回取り上げたものが、さらっとしたらの名言上位何選ですとかではなく、
僕が開いて「これ好きだな」っていうのをピックアップしただけなので、別になんかそういう権威とか全くないんで、
「観音、ハヤット、弟の子はこういうの好きなんだな」っていう風に聞いていただければと思います。
これをきっかけに本とかこの本読んでみると、自分なりのまた面白いところも発展できるかもねみたいな。
そうそうそう。
こんな感じでね、じゃあ早速ちょっとお伝えしていこうと思うんですけど、
まずこの「チャラテストラ」は各語り機こういったっていうのは、どんな本かというと最初に簡単にお伝えすると、
06:00
前もちょっと話したかもなんですけど、チャラテストラっていうのは人の名前なんですよね。
うん、言ってたよね。
そうそう。ゾロアスターのドイツ語のナマリというかドイツ語の言葉で、ゾロアスター教の創始者がゾロアスターなんですけど、
その名前を持ってきてチャラテストラっていう人名に当てて、そのチャラテストラがいわゆる人に超人、
まず前回言った超人を教えるとか、人の乗り越え方を教えるっていうために、
街に行ってなんかいろいろ話したりとか、いろんな人とやりとりしたりとか、
ほこらにこもって自分で考えたりとかっていうことを見せていくような、ちょっと物語性のある本なんですよ。
そうなんだ、フィクションでゾロアスターのドイツ語読みみたいな感じだな、チャラテストラか。
言いにくいよね。だからチャラテストラこういったっていうのは、まさにチャラテストラ自体が語る言葉を書いているものだったりするし、
あとは他の、あるいはチャラテストラが乗り越えようとしている人間として出ているいろんな人たちがいたりして、
そういう会話形式で進んでいくみたいな感じなんだよね。
そうなんだ、さっきゾロアスター教のドイツ語読みってあったけれども、そのゾロアスター教自体とは関係がないかな?
そうだね、それそのものとは多分関係がなくて、たぶんニーチェの、そこから持ってきた中で意図はあったっていうのはあるんだろうけど。
中のね。
そうそうそう、ていう感じですと。
その中で最初にちょっとお伝えしていくのが、ちょっと簡単にシチュエーションと言葉みたいなのをお伝えしていくと、
最初チャラテストラが森にいるシーンから始まるんですよ。森で修行をしているみたいな感じなんだよね。
賢者というか、いろいろ哲学を考えているみたいな感じなんだけど。
ああ、そうか、別に特定の宗教じゃなくて、ただのなんか、それを、もう先人みたいな人ね。
そうそうそう、チャラテストラは、チャラテストラ自身の哲学を極めようとしている人だから、誰かと一緒にっていうのは一人で考えています。森でね。
で、いざ街に行って、みんなにこういろいろ教えを伝えようっていう時に、森で別の聖者、聖なる人とか賢者に出会うんですよ。
で、その人も、なんかいろんなことを考えたりとか、物事の真理とかを追求しようとしているんですけど、その人と話した後にこう言いますと、
この老いた聖者、あの年取った聖者は、森の中にいて、まだ何も聞いていない、神は死んだということを、っていうのね。
へー、ここでもう出てくるんだ、神は死んだって。
そう、これ開始、多分5ページ目くらいなんだけど。
09:01
なるほど、これがあの言葉、有名な。
有名な神は死んだ、っていう言葉。
だから要は、この聖者って言われてるような人とか、森の中にいる人は、本当に大事なことを知らんまま、なんか、修行とかしてるぜ、みたいなことから始まっていくのね。
そう、でこれは、逆に言うと、読んでる読者も一緒だよね。神は死んだってなんだろうってなるから。
で、こっから神が死んだとは何かを語るかと思いきや、全然そういうことじゃない、いろんな話をしていくんだけど。
そうなんだね、もう前提なんだ。
そうそうそう。
ただまあ、そういうテーマがあって、で、実際その町というか、そこに降りて行って、群衆に向かって話すんですよね。
で、こういろんなことを話してる中で、このことはすごいなと思ってきたのが、人間にとって猿とは何か。
「もの笑いの種か、痛みを感じるほどの地獄である」恥ずかしさね。
「ならば、長寿にとって人間とはまさにこういうものであるはずだ。もの笑いの種か、痛みを感じるほどの地獄でなければならない」って言います。
はいはいはい。
要はもう種が違うって言ってるんだよね。
すごいね、強い言葉使ってるな。
強いでしょ。
うんうんうん。
もうこんな言われたら嫌じゃん、なんかさ、よくわかんない、なんか哲学者善とした人にいきなり町に来て、
「お前ら人間というのは、もの笑いの種か地獄だ」とか言われたら嫌じゃん。
うん、そうなんだね。やっぱ、論理的に説明してほしいな。
そう、論理的に聞きたいって思う人もいるんだけど、この群衆は全然そういうの興味ないから、なんか言ってやがるぜみたいな。
ああ、そういうシーンも出てくるの?
あるある、全然相手にされないみたいなのがあるんだよね。
はいはいはい。
みたいな感じで、実はタラトスサラは何回か挫折するんだよね。
この人たちには私の言葉を聞く耳がない、みたいな。
ああ、そうなんだ。はいはい。これでわーってなるわけじゃなくて、無視されちゃうのね。全然こいつ何言ってんの?みたいな。
そうそうそう。
とか、この耳のために語る口ではないとか言って、もっと違うとこ行こうとか。
だから効率なキャラクターだね。
すごいでしょ。
うんうん。
で、まあそんな感じでね、いろんな人と話してくるんだけど、一貫した物語よりは結構ところどころにテーマがあったりするのね。
ああ、そうなんだ。
そうそう、場面ごとに、例えば、もしかしたら「愛について」とかって言ってくることもあれば、それこそ生活するとは、みたいなことがいろいろあったりするんだけど、
その中で「読むこと」と「書くことについて」っていうものがあって、
12:00
そこで言われてる言葉も、本とか読む人とかに刺さるんじゃないかなと思って持ってきたんですけど、
何て言ってるかっていうと、
「全ての書かれたものの中で、私は地で書かれたものだけを愛する。地で書け。ならばわかるだろう。地が精神であることを。」
で、ちょっと空いて、
「かつて精神は神だった。それは人間になった。今や先民、いやしい民にまでなりつつある。」みたいに言います。
わからん。
まあね、かっこいいことを言ってるけど、
「まあ、地で書いた本は何かな?」みたいな。
むずい。確かにこれあれだね、いきなりこれ言われてもそりゃわかんないな。
わかんないでしょ。何を言いたいの?ってなるじゃん。
そのサラ・トゥストラの熱量だけが伝わってくるよね。
中身は全く伝わってこないんだけど、
この人の危機感だったりとか、
たぶん考えついた、至ったその局地みたいなものを、
「お前らわかれよ、わかんねえんだろうな、でもわかれよ。」みたいな、
その熱さばかりが先行して、言葉が頭に入ってこない。
ちょっとアジテーションっていうか、先導者っぽいんだよね、やっぱりね。
だからさ、兄ちゃんの時に言ったけど、
妹がナチスに兄を売ったみたいな話があったじゃない。
それもしゃあなしかなっていう部分も、こういうのを聞くとちょっと思うんだよね。
そうだね、これ兄弟そうだよな。
「ハヤトがこんなことを書いてて、時代的に変なことをしたらすぐ家族ごと一族みんな殺しにされる」みたいな、
他にあったとすると、そりゃ売るよ。本人死んでるんだし、別にどうでもいいよ。
身を守るためにとかね、何かより良くなるためにみたいな。
だからそのぐらい熱量とか、強い思いを持って本を出しちゃったというか、
実学してた方なんだなとすごい感じるんだけど。
まあ、でもそうだよね。さっきの人と猿の比較だけど、
あれだね、なんかこう、面白いね。兄ちゃんのそういう部分が発露した本なのかもしれないんだけど、
まあわかんないよ、まだ2、3個しか聞いてないから。
結構あれだね、敵作ってるね。
なんか「血で抱えたものだけを愛する」なんか言っちゃうと、
やっぱりね、インクで書いたもの?みたいなものには命は宿ってないみたいな。
ちょっとやっぱり対比した中で言ってるから、そういう強さを感じるのかな。
15:05
はいはいはい。あとはさ、もちろんこの血は比喩なわけだけど、
そういう要は自分の意思とか自分の本性が入ってないものには価値がないっていうことだと思うと、
確かに兄貴が言ってくれた通り、聖書っていうものを本当にこれが大事だとか、
これが自分にとって唯一無理なものなんだと思って、
例えば書いたり読んだりしてる人と、なんかとりあえずサラッと読んでる人では、
やっぱり読むこととか書くことっていうことは同じでも全然違うよね。
はいはいはい。
まあ確かにそこまでの説明系と、そっか、この前の超人の話だよね。
いっぱい物事、例えば書かれた本みたいな言葉みたいなのがあった時の捉え方もある意味自分次第ですよみたいなね。
話になってくる。書かれた精神というものを自分でちゃんとそれが血なのかインクなのか、
その言葉に熱がこもってるのか、魂が通ってるのかはちゃんと判断しろよみたいな。
このサラッとストライにとっては、それはやっぱり自分では判断できるというか、
自分で判断した時に魂こもってなさそうなのは意味ねえし、
そういうめちゃくちゃ熱量を感じるものは愛するよみたいな。
ここまでいけば、うんわかるけど、強いなあ言葉が。面白いね。
さっきの精神の話もね、神だったものが今や千人前なりつつあるみたいな。
そうそうそう。っていうね、やっぱそれぐらい時代も変わってるし、君たちわかってるっていうことをやっぱり言ってくるんだけど、
でもね、ちょっと僕は強い言葉を持ってけってのあるんだけど、やっぱりそういう表現はあるし、
いくらでも探せるから、やっぱりサラッとストライ自体は強い本なんだけど。
それでもね、次でいくと、まさにこれまでもお話してきた通り、
要は人生は苦しみだとか無意味だとか、理想の世界があってこの世は仮初めだとかって言ってる人はいるよねって話をした時に、
そういう人が実は同情っていうか他者への気遣いだからこそ、
例えばちょっと浮かった見方かもしれないけど、キリスト教的な臨時を愛せよとか、敵を愛せよみたいな、
例えば人がいた時に、それ矛盾してないって言うよね。要は生まれるのは苦しみ、生きることは苦しみだって言ってるのに、
他者に生きるように気遣いをせよみたいなのって矛盾じゃんみたいなことを思ったサラッとストライは何て言うかっていうと、
苦しみに過ぎないせいなら終わるようにしようとすればいいではないか。
18:01
彼ら自身はせいから離れようとしているのに、自らの贈り物という鎖で他人を固く縛ろうとするのはどうしたことなのかっていうね。
これはちょっと痛たってなるね。確かにってなるかも。
ちょっと皮肉だね。皮肉っぽい。
こんな人が友達にいたらしんどいなって思うけど。
そうだよね。理解できない。理解するのにカロリー使うよね。まずなんか暑いなーっていう。
そうね。
言ってることは確かにいいみたいな。
そっちは先に来ちゃう。意味とかよりも暑さが先に来ちゃうから。でもその暑さがすごい伝わってくるのは次のこともあって。
さっきの通り、そのサラッとストライの教え自体も本の中で変わっていくというかブラッシュアップされていくんだけど、
新しい教えを説こうとして、サラッとストライがめちゃめちゃ駆け出すというか、すごいテンション上がってる瞬間があるんですけど、
そこで言うのが「私には全ての言葉の歩みが遅すぎる。嵐よ、お前の馬車に飛び乗ろう。そしてお前すらをも我が悪意の鞭で打とう」っていうのね。
かっこよくない?
あれ?
あれだね。自分の言葉の歩みっていうのは、今こうやって会話をしている、対話をしている。言葉で伝えようとするっていうものではもどかしいんだね。
自分の伝えようっていうものが100あった時に、その言葉で100を伝えきるにはあまりにもこの言葉っていうものは不便すぎるみたいな話をしてるんだね。
そう、そう、そう。不便だし遅いし、直接これが伝わればいいのにみたいな気持ちを言葉の歩みが遅すぎるってすごい表現だと思うんだよね。
そうだね。でもやっぱりなんかきついよね。でも「嵐よ、お前の馬車に飛び乗ってさ、我が悪意の鞭で打とう」みたいな。
そうそう。
まあ、なんなんだろうな。
この悪意っていうのは要は、人が考えている当たり前のこととか常識を打ち破るから、それっていうのは通常の人から見たら悪意だよねっていう考え方ではあるんだよね。
はいはいはい。
悪意があるとかではなく、きっとそれが他の人からしたら、善意じゃなく悪意に捉えるかもしれないけど、そういうことを自分もやるのだみたいな感じで、「嵐よ、鞭打つぞ」みたいに言ってるんだけど。
はあ。おかしいよね。おかしいって、そこまでの言葉を操りながらさ、こんだけの表現をするって確かにすごいね。
21:05
すごいでしょ。
言葉の選択おかしいもんね。そんな熱量があってさ、言葉じゃ伝えきれねえっていうもどかしさを表現するのに、相手の立場に立って悪意っていう言葉を使いこなすみたいなさ。
そうそうそうそう。
自分はでもこう、めっちゃ俯瞰で見てるよね。俯瞰で見ると自分はきっとこう捉えられるはずだから、善意、自分は善意でやってるけど、悪意って表現しとかないと、みたいなさ。
しかも無知で打つ、みたいなさ。
そうそうそう。
そのくらいのことをやっぱしてるんだよっていう自覚もある、みたいなさ。冷静なのか、めちゃくちゃ熱いのかよくわかんないっていう。やっぱ恐ろしいね。
恐ろしいでしょ。やっぱね、そういう意味で言語的な天才なんだと思うんだよね。
キルケゴールとかそうだと思うんだけど、やっぱりそういう言葉が巧みだし、意味が伝わる前にそれこそやっぱり気持ちが動くというか。
なるほど、でもそうだよね、順番がすごいよね。さっき論理的に説明してほしいって最初、熱量じゃなくてって話したんだけれども、やっぱりその時にはその順番っていうのはありえなくて、やっぱり何かを理解したいとか、こういう強い言葉があった時に、確かにそうかもって思って、それを理解するための手段が言葉だったり論理みたいな順番っていうのが本来だと思うから。
やっぱりそういうところでまず興味を引くとか、ある種そのことは伝わる人に伝えたいみたいなね、そういう気持ちだったと思うんだけど。
もうちょっとせっかくだし、お伝えしていくと、いや面白いでしょ、こうやって言葉を聞くだけでも。
でもそうだね、この解説、解説ないと自分の場合は分かんないかもね。ちょっと怖って思って閉じちゃうかも。
まあでもそれはあるかもね。もちろん解説っていうことじゃないけど、受け取り、僕の受け取り方、どちらかというとワンクッションあるっていうのはあるかもね、確かに。
そんな感じでちょっと次もお伝えしていこうと思うんですけど、これまで何回、4回とか5回使って、真理とか神とかの概念を乗り越えてきたじゃないですか、兄弟が。
それと人間の創造性とか、ある種欲望とか、そういう本能的なものみたいなものが大事だよっていうのがニーチェの話だと思うんですけど、
それを対比して言ってる言葉があって、一なるもの、一とか二とかの一ね、あと善なるもの、全て、全体の善。
あと不動なるもの、不動は動かないものね。充足せるもの、満たされているもの、不滅なるものを語る一切の教えを、私は悪と呼び、人間を憎悪するものと呼ぶ。
24:07
一体何が創造できるというのか、もし神が存在するならば、って言いますと。
一なるものとか善なるものは、それまでの哲学の中で、それぞれ神とか絶対者って言われてるものなんだけど、一なるものっていうのが、中世哲学かな?
そこは、どこか忘れたけど、統音っていう、絶対的な一みたいな、絶対者の考え方があったり、善なるものは全体なので、全体性とか完全性みたいなものだし、不動なるものはアリストテレスが言っている、不動の道者みたいな考え方だったりとかがあって、
言葉は全部違うけど、絶対者、イコール神なんだけど、これを否定するだけじゃなくて、悪だし人間を憎悪するものだ、まで言ってるんだよね。
なるほど、そっか、バーって言われると全然わからなかったけど、しかもここにはさっき言った神みたいなものだったりとか、さっき最初言った真偽だよね、理性的に追及すべきそういう真偽みたいなもの、どっちも悪で人間を憎悪するもの。
なぜなら、もしそういう真理とか神とかがあって、そっちに価値があるなら、人間の創造性っていうものを否定することになるから、それは人間の本質とかを否定する、人間を憎んでいるとしか思えないものだ、みたいなことを言うのね。
はいはい、なるほど、そっか、一個の答えがあるってなった時に、人間側にはそれを答えてものを追及するとか、作るみたいなことは全て否定されるよね、みたいな話をしてると。
そう、そう。
そう言ってほしいな。だめだね、これは文学的というか芸術的な感性がないっていうことをただただ話せるに過ぎないよね。
いやいやいや、だからね、冒頭で読みやすいとは言ったんだけど、やっぱり理解しやすくは全くないんだよね。
面白いよね、確かに表現とかね、確かにね、読んでて面白いかも。
そうそうそう、こんなこと言うんだと、こんな言葉を世の中に、僕は最初トラトゥストラの時に思った、この人やべえな、こんな言葉を自分の名前で出版できる精神やべえなって思った。
ヘンネームじゃなくてフィクションではあるけど。
そうそうそうそう、やっぱりね、作家というか、言葉とか自分の思想を表現するってすごい営みだなって思ったんだけど。
妹がね、それこそね、めっちゃ気を使わなきゃいけないほどの。逆に今回の話を最初、1回目かな、1回目はニーチェに同情したんだけど、ひでえ妹だなと、
27:16
すごい人が考えた話を、もちろんナチスっていう大変な話だけれども、そこに改ざんして、そっちに過ぎ寄るなんて、なんてやつだと思ったんだけど、
これちょっと妹に同情してきたよ、今回。
こんな兄を持ってね。
こんな兄いたら怖いもんな、私きて。ちょっとね、そこが面白いな、妹側に立ってきた。
確かにね、気持ち的にね。
OK、じゃあ次、あと2個持ってきてるんだけど、次僕かなり好きな言葉で、
ヒューをね、やっぱりニーチェはヒューがめちゃくちゃうまいなって思ってるんだけど、
なんて書いてるかっていうと、
なんでそう硬いんだ。ある時、木炭がダイヤモンドにいった。
俺たちは神類じゃないか。そうだよね、同じ炭素だから。
そこで区切って、なぜそう柔らかいのか。
我が兄弟よ、私は諸君にそう尋ねる。君たちは私の兄弟ではないのか。
おー。
かっこよくない?これ。
これいいね、最初のさ、人間と猿じゃなくてこっちの話にしてくれればいいのに。
同じ話でしょ、これ。
同じ話、同じ話。
ある意味、超人の側がダイヤモンドなんだけど、
お前たちそれに至らない人間というのはなんで柔らかいんだ、みたいな話をしてて、
でも俺たちは兄弟じゃん、同じものでできるじゃん、みたいな話を。
そう、分かりやすいし、なんか「ああ」ってあるでしょ、これ面白いでしょ。
うん、これ面白い。この擬人感面白いね。
これ大好き。
へー、そっかそっか、まあ、そうだよね、同じことを語ろうとするとか、同じことを気づかせようとしてるっていう、
自分の中心というものを表現する手段としてこんなにバリエーションがないというか、
そうなんだよね。
こんなバリエーションがあるんだ。
そう、だから単純にさ、もちろんね、超人とは人間を超越したもので、その違いはAであるBであるとかっていうのも多分できるんだけど、
そうじゃないんだよね。
いいなー。
で、次がね、まあ、持ってきた最後のセリフでもあるし、実際サラトゥストラはこういった最後の言葉でもあるんだけど、
それがですね、「わわ時が来た。これは私の朝だ。私の日が始まる。さあ、登れ、登ってこい。大いなる正午よ。」っていうのね。
おー、かっこいい。
かっこいいんだけど、全然わかんないのよ。
30:01
そうなの?
だって、「大いなる正午」って何かわかる?
あー、まあ、わからんけどね。今、熱にただ当てられたんだけど。
何が登ってくんの?みたいな。正午が登るってどういうことよ?みたいなね。
はいはい、正午なんだ。それはあれだよ、あの語訳とかじゃなくてね。
うん、語訳はお昼だね。
うんうんうんうん。
で、これだけちょっと補足というか、説明は難しいし、僕も理解しきってないんですけど、
まあ、いろんな意味がある中で、1個面白い話を見つけたんで、ちょっとご紹介すると、
正午っていうのは、お昼12時なんで、いわゆる一番影が短くなる時間じゃないですか。
はいはい。
で、その影っていうのは、実はプラトの洞窟の比喩にリンクしてるっていう話があったのね。
おー深読みー。
そう、どういうことかっていうと、覚えてる?プラトの洞窟の比喩。
うん、覚えてる覚えてる。アイデアの比喩だよね。アイデアと現象界の比喩でね、みたいな。
そうそう、で、アイデアの太陽とかがあって、僕らは写し姿、影である現実のものを見てるだけであって、
僕らは洞窟に囚われて影だけを見てる存在だ、みたいなのがあると思うんだけど、
その影って、ほんまにあんの?ってニーチェがずっと言ってることじゃん。むしろないよっていう。
うんうん、そうだね、はいはいはい。
世界はイデアがあって、それがうちに捉えてるんじゃなくて、この現実なんだから、っていうんだけど、
ただプラトンの思想って、実はその後のキリスト教もそうだし、西洋哲学の全部の土台になってるんだよね。
それを乗り越えるんだと。
だから、本来純粋な人間の性っていうのを、もう太陽と影があった、影の方だって言ったような、
プラトン、許すまじみたいな。
それを乗り越えて、影じゃなくて人生そのものに向き合う、そういう自分自身で立つんだ、影じゃなくて自分に立つような人生に至るんだ、みたいな。
そういう意味合いとして、この大いなる称号っていうのを最後に持ってきたんじゃないか、みたいな解説があったりしました。
おー、なるほどね。プラトンにその称号っていうのをかけると。
そう。
影の短いから、そこを乗り越えるんだっていうところに。
学者さん大変だな。
これがどれだけ権威があるというか、実際に学会で見ている話かはわからないんだけど、ちょっと面白かった。
でも最後のセリフはこれってかっこいいね。やっぱり。
それこそ、ニーチが言うところの超人みたいな感覚っていうものを持つ、やっぱり人間を立ち上がれっていう話でしょ?
そうそう。
やっぱり熱いね。称号ってあれじゃない?ニーチェが単純に1日の始まりを称号だと思ってたとかさ、そういうお辞儀とかさ。
33:09
あと単純に陰を踏んでるだけとかね。
ドイツ語だね。
じゃないの?午前0時だとちょっと、ああ、言葉がなぁ、みたいな。
実はちゃんと書いてるんですよ。朝はこういうもので、こういうふうに時間が過ぎていって、その時に我々こうなって、来たるべき証拠が来る、みたいなのは結構それまでも色々書いてるんですよね。
ああ、今、短いセリフにしてくれたけど、結構長々と語ってる。
それの前のところでも、いわゆる称号とか朝みたいな話はいろいろ出てきていて。
なるほど、なるほど。
その総括の最後の第4部の最後のところで、こういうふうに登って来い、王になる証拠よ、ある種、全部をまとめるというか、象徴するような言葉で終わってるっていう感じなんだよね。
はいはいはい。
そう。
へー。
その話で、やっぱサラトゥストラはその最初ね、話しても受けられないとか、同じ堀に籠っている聖者なんだけど、こいつは神が死んだって知らなくて俺は知ってるぜ、みたいなところから始まって、私の朝だ、みたいな。
私の日が始まる、私の時代だぐらいまで行くっていうような、すごいサラトゥストラ自身の変化も感じられるような面白い本がこのサラトゥストラこういったなんですけど。
なるほど。
うん。
結局、軍集というか民衆たちはちゃんとわかってくれたのかな。
えっとね、民衆はわかんないんだけど、実は最後の方に何人やろうかな、ちょっと忘れたけど、5、6人だったか、その一人一人と会話するフェーズがあるのよね、サラトゥストラが。
はいはいはいはい。
一人一人過去に出会った人とか、新しく出会った人が、あなたの元に行きたいとか、私は間違っていたとか、でも私はこうだとか言って、よしよし私の家に来いって家に行くんだけど、またその家で神を崇拝しだすとかが起きて、
お前ら何やってんだ、みたいな。
俺らの仲間って言ったのに、そんな偶像とか崇拝してんじゃねえ、みたいなこともあって。
だから人間はダメだ、みたいな。
すごいね、へえ、ちょっと物語性がやっぱあるんだね、その、神はいろいろあれぞ、みたいな、短編集みたいな感じ。
はい、という感じでね、ちょっと紹介してきましたけど、どうでしょう、やっぱちょっとこれまでと全然違うし、なんかニーチェの別の側面も見えた感じじゃない?
いやー、した、うん、さっきも言ったけど、うん、あの、ちょっとあれだもんね、ニーチェ怖くなったもんね。
あー、怖い、なるほど。
だからさっき言った通り、妹のさ、方にちょっと同情するわ、みたいな話だったんだけど、
まあ、うん、まあ怖いってね、あの、悪い意味じゃないけど、なんかこれまでの話聞くと結構やっぱりその能力に話してくれてたから、
はいはい。
36:00
きちんと、これまでのキースト教とかを乗り越えつつ、その超人ってものを自分の中でね、解決策として編み出した、みたいな、そういう結構冷静な感じ?
はいはいはい。
受けてたから、今回で一気にさ、そのニーチェのその、熱の部分だよね。
あー、そうだね。
フィクションで、その、主人公はニーチェではないにせよ、その熱さみたいな部分に触れた時の、この、なんか超熱い感じっていうのは、
はいはい。
これは、うん、さっきも言ったけど、いきなりね、じゃあニーチェ読んでみようで、この本に触れた時にやっぱり火傷すんなーって、
うふふふ。
うーん、思ったね。
そうね、いや、したした。
もうね、どこが火傷したかって、僕大学生の時にこれ読んだんだけど、
うん。
やっぱりニーチェ、そう、なんとか読み通したのに、あの、意味わかんなかったけど、
うん。
そしたらすごいニーチェに読されて、なんかね、当時使ってた手帳に、言葉とか書いてたもん、だって。
あはははは。
なんか、これを大事にしよう、みたいな感じで。
はいはい、ちょっともう名言集として活用し始めた。
そうそうそうそう。
はいはい。
かっこいいもんね、でも確かに。
そうなんだよね。やっぱね、なんか熱量というか、なんだろうな、
やっぱり特にさ、その、まあ大学生とかって、なんだろうな、まあ、こうやっぱり目標がないというかさ、なんか日々ダラダラやっぱり過ごしちゃうことも多いじゃない。
そうだね、人生ってなんだって考える時間でもあるからね、おそらく。
そうそうそう、まあ本当はモラトリアム的な感じで。
でもそういう時に、やっぱりこのニーチェの言葉とかに触れちゃうと、なんか俺ももっと頑張んなきゃ、とか、何者がいならねば、みたいな、
やっぱりそういうちょっと良くない方の影響も、まあ受けるは受けるよね。
はいはい、まあそうだね、どうしてもこのサラッドストロ側に立たなきゃいけないみたいな、もうそこはなんかあれだよね、こうニーチェの話したことと矛盾してとても寂しいことはかもしれないけど、それを理想に掲げちゃうもんね。
そうそうそうそう。
で、それになれない自分を苦しむみたいなさ。
そうそうそうそう。
ニーチェが言うとこの長寿になれない自分に苦しむって、もう何が起きてるかわかんないもんね、今回の話聞いた上でそれを考えるとさ。
そう。だからやっぱりそこから5年ぐらいは全然読んでなかったんだけど、改めてちゃんと実学としてとか、ソクラテスとソクラートンを経て、ニーチェを読んだ時に、
こういうのをやっぱり乗り越えようとしてたんだとか、こういうことを言いたかったからニーチェはこんな本を書いたんだとかってのが見えてきた時に、なんとなくこういい温度感で付き合えるというか。
あーはいはい、ちょっと冷静にね、こねつだけじゃなくてね。
そう、そう、そう、一旦距離を取りながら。だからその話す中でも、僕としても別にニーチェ最高とは言わないし、キリスト教が悪だとも言わないってお伝えしてきたと思うんだけど、
なんかその学術的な話じゃないから、僕は全然学者じゃないし、一般人としてはそういう距離感でいいんじゃないかなと思ってるんだよね。
39:08
なるほどね、まあでもそうだよね、一方でニーチェがやっぱり乗り越えようとした具体的な危機感、時代とか人に対する危機感を持っている中で、これだけものを考えて、多くの人に影響を与えようとした時、これだけのカロリーが必要だってことだよね逆にね。
そうね、そうね。
それでもやっぱり足りなかったのかもしれないしね、200年くらい経ったっていう話も。
ね、やっぱり実際当時は売れなかったわけだし。
うんうんうんうん、当時の人にやっぱりあついたってことかもしれない。
と思うなーとか、何言ってんだっていう感じもあったんじゃないかな。
いやー面白いね、でもこの順番でよかったな、これをなんか最初に聞いちゃったらよく分かんなかったかも、本当に。
いやそうだよね、多分拒否反応っていうかなんかやっぱりなんかすごそうで終わっちゃうと思うんだよね、これだけ、言葉だけ見ちゃうと。
そうだね、それこそなんか新しい宗教を作る人なの?みたいなさ。
うんうんうん、でもやっぱりザラトゥストラはザラトゥストラを信じる人を怒ったりもするし、要は崇拝はしちゃダメだっていうね。
それはやっぱり小山への価値観になっちゃうから。
そうか、じゃああれか、さっきそのザラトゥストラの家にいて崇拝したっていうのは、もともとキリスト教を信じてた人がキリスト教をやっぱり話をし始めたとかじゃなくて、ザラトゥストラ最高みたいな話をし始めたみたいな。
えっとね、それがザラトゥストラはまだいいんだけど、なんかその辺にある、なんだろうな、モノとかロバとかを崇拝しだすのよ。
あははは、そうか。
ロバ様ーって。
へー、うわー、でもすごいよね、ニーチェがやっぱりそこまでモノごとだよね。
ニーチェが考えることっていうものを理解しようとした人が陥りそうなミスみたいなものをちゃんと想定してたってことだよね。
いや、そうそうそうそう。
すごいんだよね。
だから一人よがりじゃだと全然ないのよ。
今日言った言葉は結構強い言葉もできたけど、ちゃんと冷静にザラトゥストラを語らせる部分もあるし、他の視点を盛り込んでるところもあるから、やっぱりその意味での冷静さとか、構成力とかやっぱりものすごいんだよね。ただ勢いだけじゃない。
いやー、そっか。でも面白い。今回ね、そうそう、何個も10個弱くらいの名言みたいなさ、まあ面白いところをピックアップしてもらったみたいな話だけど、逆にさっきのこぼれ話、なんかロバを吸い上げ始めたみたいな。
そういうのが結構溢れてる本なんだね。
今日ピックアップしたものは全部じゃないって、最初の通りいくらでもあるし、別にこれで全体の流れがわかるものでもないので、もしこれを聞いていただいて興味を持ったとか、挑戦したくなった方がいたらぜひ読んでみていただきたいし。
42:05
はいはい。逆にそれを読んでここわかんなかったとか、この解釈自分はこう思ったみたいなのって、見つけてほしいね。
そうね。解釈もできたら難しいけど、この言葉がやっぱり気に入ったとか、自分に響いたぐらいでもいいっていうか、それでいいと思うんだよね。
うんうん。そうはね、これ面白いね。2、3時間全然盛り上がれそうだね。
できるともいけるとも、俺はこの言葉が良かった。この言葉をこう捉えたんだよねみたいな話し続けでもね、たぶん飲み会が盛り上がると思うんだよね。
うん、まぁただ、おかしな飲み会だけどね。かやとはあれでしょ、そういう飲み会をやろうとして失敗し続けてきたんでしょうね。
そう、あの失敗、たどり着けなかったね。失敗にまで至らなかったみたいな感じ。
あ、そっかそっか、スタートされなかったと。
何言ってんの、みたいな。なんで呼んの、みたいな感じになるから。
でもその飲み会はサラス・トゥストラとニーチェに怒られるやつなんだよね、たぶんね。
まぁまぁでも、それをね、意図してやってたらいいんじゃないかな。
うん、はいはいはいはい。分かってる上で楽しんでますっていうね。
はい、という感じでね、ぜひちょっと今回ね、僕自身も楽しくご飯させていただいたんですけど、
なんか皆さんもね、面白いなとかニーチェすごいなとか怖いなとかね、なんかそういうのを感性いただけてたら嬉しいなっていう回でしたね。
いやー、そうはね、この前の話から、全然雰囲気もね、今日ラフで行くみたいな話したけど、そこも含めてなんか、うん、面白かったね。
ニーチェのまた、自分的にはね、なんか全然やっぱりこの話とは違う側面、この熱の部分が見れてすごい良かったなって思った。
なるほど、それがね、繋がって。
はい、そんな感じで長かったニーチェ回も一応今回で終了になりますので、またちょっと次回ね、雑談も含めながら、
たぶんね、お兄貴もいろいろ感じたこととか、今回インプットが多かったからさ、
そうだね。
吐き出したいこともあると思うので。
そうだね、次誰々と、そうだね、ニーチェが何だったのかっていう話をちょっとね、できれば。
話していきましょうということでございます。
じゃあ、毎回これ聞くんだけれども、ニーチェの次は何に?
ああ、そうだよね。
軽くでいいんで。
そうですね、また東洋にちょっと戻りますと。
やっぱ東洋ね、好きな方とか多分ね、街の望んでる方もいらっしゃるなと思ってて、
ついにですね、禅集ですね、座禅とかの禅をちょっとご案内していきたいなと。
禅も、たぶん今回みたいな感じで、こんなことを言っている、いわゆる禅問答だよね。
こんなことを言っているとか、こんなやりとりがあったみたいなことをお話ししながら、
わかんねえなとか、おしれえなみたいな話をちょっとずつお伝えできたらいいなって思ってます。
45:06
なるほど、ちょっと今回やったのに近い雰囲気になるのかな。
言ってことわかんねえとか、わかるみたいなことを繰り返しながらとか、話になってくるんだもんね。
禅問答のイメージ。
だし、ちょっとだけお伝えすると、禅問答はよりよりロジックをないというか、ロジックを否定するから、否定するとか乗り越えたものだから、
ロジックで理解したらダメみたいなことがあるのよ。
へえ、そうなんだ。むしろそこ積極的に、身体的理解に振ってるみたいな話。
ダメ、ダメ。ロジックは使えない。だし瞬間に生きてるからね。
そういうルールになってくんだ。
なので、そこは似てるんだけど全然違うとか、より徹底するとこうなるみたいなことをお伝えできると思うので、
そっちもぜひ楽しんで楽しみにしていただけたらなと思ってます。
はい、もう既に楽しみだな。
了解。
ちょっと任期が長かったけれども、今日は本当にお疲れ様でした。
そうですね。もっと言って、中世哲学ぐらいからずっと長かったと思うので。
確かに確かに。
でも本当にお付き合いいただいてありがとうございました。
ありがとうございます。はい、じゃあまた次回以降、引き続き色々やっていきたいと思いますので、よろしくお願いします。
はい、お願いします。今回もありがとうございました。
(♪ BGM)
46:33

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