ストア派の哲学
はい、それ哲ラジオ。今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、前回でストア派終わりということで、今回は雑談いきたいと思います。
そうですね。どうでした?小兄貴としてもね、結構面白いなーっていうのをね、話の中もだし、その録音しないときにも結構言ってるんですけれども、なんか感想としてどうでした?
まあそうだね、今回何回か話してるんだけれども、なんか哲学っぽくないよねーっていうのが最初からあって、早通り言ってくれたけどね、ストア派のその哲学っぽくないところを今回抽出してるんだと。
実際ね、生活に使えそうなところが抽出してくれてるっていう感じだったんだけれども、
まあそうだね、その一番あーなるほどーと思ったのは、老子、東洋思想とは違う自然と調和するっていう感覚、自然とは何かっていうところだったりとか、
その徳とは何かみたいなさ、アレテイだっていうか、それを磨いていくっていうスタンス、そのどこを良しとするかのスタンスの違いだったりとか、面白いなーと思ったし、
あとなんかこれ前と比べるとね、西洋だからちょっと身構えてたんだけれども、もうちょっとなんか普通に本を読んで楽しむみたいな感じで、
あんまり頭使わずに聞けたなーみたいなところがあったかな。
なるほどね。
作ってる方としてはどうだったの?その辺りはちょっと意識した感じだったの?
そうだね、今回は本当に何だろうな、あんまり原理的なとかね、そういうロジックみたいなことよりは本当ちょっと人生群みたいな、
なんかそういう風な感じで、スター派の面白さというか、面白さというか何だろうな、スター派的な生き方みたいなところを感じてほしかったっていうのはあって、
うーん、そうストイックなね、本来の意味でのね。
ストイックっていうのはさ、大会も最初だけど、別になんか禁欲的なとかさ、苦しいものに向かうってことよりは、やっぱりこう、そもそも目的が違う、やっぱり何かにたどり着くんじゃなくて、
弓矢の例えをしたと思うと、的を射るっていうのはもちろん頑張るんだけど、当たるか当たらないかってのはコントロール外だから、
その弓矢を鍛錬する、最高の矢が撃てるように努力し続けるみたいなことに価値を持つっていうのが、やっぱりすごくスター派的な生き方とか考え方だと思うんだよね。
そういうのをちょっとお伝えしたいなと思った。
コントロールできるものとできないものをちゃんと分ける、これでかなりビジネス的な観点で大事だなと思ってて、やっぱりリスクみたいな話もあるんですけど、ちょっと話飛んだと思うんだけど、
リスクって何かっていうと、危険とか予知できないものみたいなふうに捉えることが多いんですけど、リスクって実はコントロールできないものっていうふうな捉え方があって、
要は地震が起きるか起きないかはコントロールできないし、それは確かにいつ起こるかわかんないんだけど、地震のないところとか、地震が起きても家が壊れない段板がある上に住むっていうことはコントロールできる。
すると、地震に対するリスクっていうのはそういうふうな行動で抑えることができるんだよね。
はいはい、なるほどなるほど。
みたいな感じで、何がコントロールできて何がコントロールできないかとかって、ちゃんと分けることってすごく人生にとって役立つと思ってるのよ。
はいはいはい。
これをやりすぎると、結構人からちょっと冷たい人間だとか、あまりにもロジカルすぎるってやっぱり言われることもあって。
実際あるの?言われるようなことが。
奥さんとかによく言われるんだけど。
コントロールできるところとできないところ
そうなの?
例えば子供が泣いてたりするじゃない。なんか嫌なことあって泣いてるっていうときに、子供が泣くっていうのは僕のコントロール外だから、泣いた瞬間に別に何にも思わないといけないんだけど。
だから転んで例えば怪我をして子供が泣いたっていうときに、そこに何だろうな、こうして起きてしまったこと自分のコントロール外だから、
とにかく治療もするし、寄り添うし、抱き合うように一緒にいるんだけど、僕はコントロールできることをやってるだけなんだよね。
そこに何か、かわいそう、大変だ、みたいな、そういうのはないってことだよね。
もちろん無くはないんだけど、一瞬で過ぎ去るのよ。それが感情だから。大変だとか、やばいとかっていうのはあるんだけど。
転んで泣いてるときに子供が膝から血が出てるわけだ。そこに駆け寄って大丈夫?大丈夫?そういう感じではないってことだよね。
ない。
それに対して、あんまり冷たいというか、ちょっと冷静すぎ?みたいに言われることがあるってことだよね。周りから見たときに。
あまりに冷静に、大丈夫?って駆け寄る前に、膝の傷の重さをまずチェックしてるみたいな。
僕はまず、ちょっと傷薬取ってくるわ、みたいな感じになるみたいなね。
ポイントとしては、さっき言ったように寄り添ってはいるんだけどね。
寄り添ってはいるし、あまりにもスッといなかったりするから、この人本当に子供のことを大事にしてるのかしら?みたいな。
別にそういうふうには思わないし、あの奥さんも僕のことわかってくれてるから、そんなふうにはならないんだけども。
もし知らない人とか、自分も動転するくらい感情的なのがむしろ親の愛情だ、みたいに思ってる人もいっていると思うんだよね。
そういう共感力大事だよね。
そうすると、やっぱりちょっと合わないというか、この人はなんて共感力ない人なんだって思われるだろうなって思うときがある。
結構難しいのは、自分がそういうふうに考え方とか動き方に合ってるから、そういうふうにやっているのか?
もっと言うと、今回スター・ハートカスの認知行動量化の話をしたと思うんですけど、これは本当に万人にとっていいのか?みたいな話は、ちょっと自分でもわかんないんだよね。
ああ、はいはい。それの得の具合がわからないって話だね。荒れての具合がね。
そうそう。僕は誰にでも役立つと思ってるし、みんなこの考え方を知った方がいいって結構人に思ってしまってるんだけど、
それもちょっと価値観の押し付けっぽい気もするし。
だし、それがハートにとっては小さい頃から割と自然な感覚だったのかな?
そうだね。自然だった。やっぱり自分が感じていることと自分っていうのは違うよね、みたいな感じとか。
やっぱり痛みみたいなものも、別にこれはちょっと変な話なんだけど、これは別に物理的な神経回路で脳が感知するだけのことだから、別に痛みというものはない、みたいなことをよく思った。
うーん、なるほど。それは中二病的な話も含み?みたいな。
そうだね、そう思う。
はいはいはい。結局電気信号なのだ、みたいなことをちょっと思ってた時期もあったと。
今でもちょいちょいある。
ただあれだよね、それが冷たいのかどうかともかくとして、今回やったストア派的なコントロールできるところとできないところを分けるっていうところに関しては、やってるつもりではあるというか、その親和性は高そうだという話だよね。
そうそうそう。
逆にそういう立場から見た時にさ、その辺全然分かれてねえなと思う場合も結構あったんじゃない?逆に。
感動することとサプライズ
あるあるある。そういう時はすごいひどいことをすると、この人大丈夫かなっていうか、悪い意味でなんか羨ましいなって思ってる時があった。
ちょっとしゃにかました時代だったから。まさに自分の父親とか、自分たちの父親とかそうだと思うんだけど、わりと飲んだら暴れるとか、嫌なことがあったらどうなるみたいな、結構直結してたじゃない?
まあそうだね、暴れるっていう語弊はあるけど、暴れてたね。
まあよくあるというか、昭和型の父親像みたいな感じだとは思うんだけど、会った時に直結してるなと思って、中学校ぐらいで自分はこの父親の精神年齢を超えたんじゃないかとか、リアルに思ってたんだよね。
はいはいはい。確かにその反面教師はあるかも。うちら兄弟はどっちもあるかもしれない。その反面教師かも。
だから優しいって言われることも逆に多かったけど、それはむしろそういう直結する人を見てた時に、例えば何か嫌なことがあっても起こる前にちょっと一呼吸を送るとか、やっぱり感情をあらわにするっていうのは決して綺麗なことではないみたいな、そういう感覚があったからだなとは思うし。
だから逆に言うと、みんなが喜んでる時に喜べないとか、例えば定食する時とかにみんなすごいスプライズの出し物とかしてくれて、みんな泣いてる中で一人だけツンってしてるみたいな。
はいはいはい。
そういうのは申し訳ないなって思うようになった、大人になってからね。
ここで泣ければいいのになみたいなね。
泣ければいいのに、泣ければみんなで本当に良かったって言えるのに、なぜか送り出す側の方が号泣してて、自分の送り出せる側は普通にしてるみたいな。
あ、サプライズどうもみたいなね。
なるほどね。それは難しいところかもね。ストーハ的なコントロールするコントロールしないっていうところではできてる感じがするんだけれども。
今の話聞いて思ったのは、例えば小説を読むとか映画を見るとかエンタメに触れることあるじゃん。スポーツを見るとも何でも多いんだけどさ、そういうのを見て感動して泣くっていうことはあるの?
あるあるある。
それはあるんだ。
あるけど一時期それもできなくなった時があって、その時は、これも変な話なんだけど、小説とか読んだり映画見るときはそのフィルターをオフにするのね。
あ、そこで意識してスイッチしてる感覚なの?
意識してスイッチしてる。だからどうするとこれはフィクションであるとか、これは自分の人生には関係ないとか普通に思っちゃうのよ。
なるほど。
でもそれを楽しむので良いのだとか、そのフィクションであれ、むしろそれ自体が感動するのだっていうスタンスで見ると感動できるみたいな。
それは感動しなければならないっていう感じとはまた違う?
違う。
もうちょっと自分を素朴モードにしてる?
自分を素朴モードにはしてるし、これもすごい変な話なんだけど、一時期あまりにも感情がなくなった時期があって、自分の中で。
その時は泣けるっていう映画とか本とかをとにかく見て、まだ自分も泣けるんだみたいなことを確認するみたいな。
それ20代半ばくらいかな、そういう時もあったね。
20代半ば、はいはい。前言ってたちょっと社会に出て辛かった時ぐらいの感じじゃない?
社会で辛かった時、まさに。
その人との感じ方も違いすぎて。
あまりにもうまくいかないみたいな。
なるほどね。ごめん、ちょっと色々インタビューしてないと。
インタビューどうぞ。
サプライズで言うと、その時、どう思ったの?
嬉しいなと思うんだよ、もちろん。嬉しいなと思うんだけど、嬉しい理由が浮き上がっちゃうのね。
嬉しいとかじゃなくて、こんな風に忙しい中自分のために準備をしてくれてとか、自分気づかないように色々頑張ってくれたんだなとか、自分のことをこんな風に思ってくれたんだなみたいな、色んな理由を思いついてしまうの。
そこに対しては嬉しいし、もちろん感動もするし、ありがたいって思うんだけど、それ以上でもそれ以上ないみたいな、そういう風な感じになっちゃうんだよね。
思いが溢れるとかっていう風にならないのよ。
そこはまた小説見たりとか映画見たりとかとはまたスイッチも違うだろうし、
入れてたとしてもまた違うだろう。例えば泣くのが言い訳じゃないけど、泣くかどうかと言うと、意外とそこまで自分の中では足しないみたいなね。
時々いるんだよね。時々いるっていうのは、例えば卒業式に会えたことないですみたいな人とか、そういうみんながテンション上がってると逆にちょっと冷めてしまうんですみたいな人って言っているんだよね、話してる感じ。
感動ポイントの共有
それがスタッフ的に言えばいわゆるアパティアみたいな無感動の共振に近いんだけど、難しいのはそれを悩んでる人も多いって。
自分だけじゃなくて、自分は感動できない人間なんじゃないかとか、人と気持ちを絡ませることが難しいんじゃないかみたいな。そっちはそっちで悩んだりしてるんだよね。
ただ社に構えてるとかじゃなくてね。
今さ、フォーク野球とかやってるじゃない、今夏で。いろんな話あると思うんだけど、それだけ本気で野球に取り組んでとか、努力をして、負けてもやっぱり泣くとか喜ぶみたいな、全身で感情を表せるみたいな。
そういうのを見て羨ましいなとか、いいなって思うときはやっぱりある。
そういう熱中というか熱狂というかね。
そう、熱中、熱狂できるとか、そこに本当に自分が没入できるみたいな。
確かにな、そこはよしよしでもないもんね、難しいとこはね、それは。
でも、いろいろ聞きたいこと出てくるな、面白いね、その感覚。映画とか見るときにさ、どういうとこで泣くの、じゃあ、みたいな。泣きポイント。
泣きポイントね。
でもほら、さっきの最初の話で言うとさ、子供がけがしたときに、大丈夫大丈夫、痛い痛いみたいなさ、すごい共感力みたいな話で言うと、
例えばね、主人公がすごい辛い思いをしているときに一緒に共感して泣くとか、何かを達成して嬉しいときに喜んで泣くとか、いろいろあると思うんだけどね、その共感的なキー口から言うとね。
ハヤトはそのスイッチをオフにした状態で、どの辺で泣くとか、そのバリエーションがあればそれも教えて欲しいですね。
なんか、今覚えてる、めちゃめちゃ泣いた映画で、狼子供の雨と雪っていう映画が、ちょっと古いんだけどあるんですけど、
その子供、旦那さんが人狼だったのかな、人の形をとる狼で、子供は二人とも普段は人間の姿なんだけど、狼の姿にもなれるみたいな、そういう映画があるんですよ。
それは実は、最後まで全然泣かなかった、感動したけど泣かなかったんだけど、最後のエンディングの歌が、そのお母さんの気持ちを歌うみたいな歌で、
その映画の中ではすごく強く、子供たちを守るみたいな感じでやってるお母さんが、心の中ですごく葛藤してたとか、悩んでたみたいなものが歌で聞かれたときに、すごい泣いたのね。
うーん、なるほど。お母さんに共感したのね、すごく。
そういう、やっぱり心の清らかな部分とか、悩んでるけど頑張ってるみたいな、そういう努力みたいなものとかはすごく好きだし、
あと、意外とスポコンとか全然好きなのよ。スポーツ根性ものの漫画とか。
そうなんだ。
そういう努力がすごくできるとか、下向きになれるけど、そこに人間の弱さとかも出てくるみたいな、そういう人間味がある話はすごい好き。
うーん、なるほど。スポコンとかでも全然泣けるというか。
そうね、泣いてた、泣いてた気がする。最近だいぶ減っちゃったかな、漫画とか読んで泣くみたいなのも。
なるほど。でも確かにそういうポイントは人によって違うだろうから、それでなんとなく見えるかもね、確かにね。
僕の場合、やっぱり人間模様がリアルかどうかとか、やっぱりめちゃめちゃ大事かな。
なんとなく、すごい失礼な話なんだけど、この人こういう生い立ちでこういう考え方だったらこういう行動しないよね、とかって思った瞬間に詰めちゃうんだよね。
あー、なるほど。はいはいはいはい。
やっぱりそれはすごく作り手の方が考えてるじゃない。やっぱりこの人生だったらこういう人はこういう風な言葉遣いだとかさ。
そういうのがやっぱり練られてるものはやっぱりすごく面白いなって思うし。
うんうんうん。で、その上でもそういう本人の葛藤みたいなものがあったりとか、そういうのが垣間見えた時に刺されることもある感じなのか。
結構ね、それはあれかも。一時期そういう感情をどうしたらコントロールできるかとか、そういう人に伝えればみたいなことをやりたくて、感情に関する勉強とか脚本説に関する本とかを結構読んでたのよ。
だからその、いわゆるハリウッドで脚本家がどういう風に人の感情を揺さぶるために脚本を書くかっていうことを何となく理解してしまってるから、そろそろ全体の4分の1だからこういうシーンが入ってくるねとか、
今のこの行動はずっとこういうハリウッドの手法のこれを使ってるねとかっていう、そっちを思い浮かべたりしてしまうのね。
だからそうなると物語に没入するとかっていうのは自分でやりづらくさせてるんだよ、多分自分自身も。
共感っていう、共感ポイントがちょっといろいろありすぎるというか、
だから本当に見たい時はそういう論理的にというか、何だろうな、そういう風な思考をちょっとオフにして、本当に感情で見るようにするとか、そういう風にしてるっていうのが感覚の映画とかは。
雪の駅とか映画とかで泣いたりするの?
そうだね、それで言うと、これは共感してもらえるかどうかあれなんだけれども、前ジブリで高畑監督が作った竹取物語、あれ超大作でさ、
高層何十年みたいなやつだっけか、作るのにも全部手が切れみたいなさ、めちゃくちゃあったじゃん。
見てない、見てないんだよね。
見てない。でもあれを見た時に、あれ超つまんなかったんだよね、個人的には。
大丈夫?そんな風に言っちゃっても大丈夫?
いいと思う。つまんないって、そうだね。ストーリーは別に普通っちゃ普通だし、みたいなね。
なんだけれども、最後終わったエンディングで終わった時に、高畑監督ってこれをやりたかったんだな、これをやりたかったんだ、そしてこれを成し遂げたんだと。
おそらく自分の監督人生というか、最後の作品、こういうだけの長編が最後になるだろうというところで、絶対に手間引き間かけすぎてて、内容も別に面白くない。
ただ多分動きだったりとか、絵として、アニメとしての面白さはすごくあって、っていうのを絶対これずっとみんなに反対されてきただろうと、こんなの。
お金もかかるしと。それをちゃんとこういった、すごい高いレベルの人にやっていって、それをこうやってちゃんと公開前にここにつけてお客さんも入れて、
工業的にはどうか知らんけど、中で、すげえなと。監督もだし、それを許した周りもだし、そこで泣いた。
そこなの?そこで泣くのね?
そこなの。
面白いな。だから別にその作品がどうのこうのじゃなくて、そこにまつわる人だったりとか、その営みに感動したんだ。
そうそうそう。っていうのかな。
あとはでも、タイタニック、あれじゃん、ちょうど古いけどね。あれで一番泣いたシーンは、あれだったよ。
ハヤトは見た?
自分の感動ポイントの特定
見たよ。タイタニックは見た。泣かなかったけど。
あれで一番感動したのは、氷山にぶつかっちゃって、みんなわたわたしてる。
で、その中で乗り合わせてた女の子たちが、めっちゃもう船揺れる、船が壊れる。
で、人々が逃げ惑う中で演奏してたんだよね、楽器をね。
うんうんうん。
そこでめっちゃ泣いた。
それなんで?
いや、かっこよくてね。そこはね、たぶんその2つはまた見どころ違うと思うんだけど、なんかそういう感じかな、自分が刺さるポイントは。
なるほどね。やっぱさ、そういう話は聞いてて思うけど、兄貴は結構さ、やっぱり芸術的な感性が結構あるじゃない?
あるのかな?ないんじゃないか?
結構ね、昔から思ってるのよ、兄貴は。結構絵描いたりもさ、好きだったりさ、音楽も結構やったじゃん、ギターだったりとかも含めてさ。
結構ね、そういう感動が高いんじゃないかなって思ってるよね、勝手に。
あれでしょ、直上型みたいな。
違うことは言わないけどさ、さっきのさ、やっぱり動きが綺麗とかさ、ストーリーとかじゃなくてそういう作り?やっぱり表現の方に結構安定が立つじゃない?
あとは作り手の思いとか、背景の方が大きいかな、内容自体よりは。
だから多分ね、そういうところもあると思うんだよね。やっぱりその人の安定の立ち方とかね、やっぱり感動の働くところの違い?
ちょっとね、感動ポイントみたいな話でずれまくったけど、コントロールできるできないみたいな話からずれちゃったけれども。
でも面白いかもね、やっぱりその人の感動ポイントだったりとか、逆に起こるポイントというかさ、感情が動くポイントだよね。
認知と感情化。そこって人それぞれ違うから、それを書き出してとか、それをやっぱりお互い違う、お互いのポイントを把握しとくみたいなのとかね。
もしくはこの人ってこのポイントなんだなとか、見ることでみたいな。結構そういうのはありそうだと思う。
そう、あると思う。
もちろん簡単に分類ができないんだろうけれどもね、オーダーメイドな部分はあると思うんだけどね。
やっぱりその組織の中でも、自分のとりあえず解説明書を作るみたいな把握とかってあったりするんだけど、
そういう時に自分が何を言われたら嬉しいかとか、何をされたら嫌かとかを共有するとかって結構あるんだよね。
例えば褒められるにしても、例えばあなたすごいねって言われるのと、みんなが喜んでたよって褒められるのとでは全然違うんだけど、
どっちが喜ぶかって人にとって結構違うらしいのよ。
なるほどね。自分が褒められてるのと、その人に喜んでもらったことを喜ぶみたいな。
自分がそのポイントだよね。喜びポイントが違うと。
逆に言うとそれを知らないと、こんなに褒めてるのに相手に伝わってないとか、こんなにすごいと思ってるのに受け取り側は別にすごいって思われてるというのを知らなかったみたいな、
そういうミスコミュニケーションが生まれちゃう。
だからそういうのをちゃんと自覚して、例えば言語化して共有するとかってめちゃめちゃすごい組織作りとかチームワークを強くしたりするんだよね。
そういう意味でもそこってコントロールできない。自分がどうしたら喜ぶかっていうのはコントロールできないけど、
そういうふうに自分が喜びやすい環境を作るとか、それを周囲に伝えることで自分が極限な環境を作るというのはコントロールできるみたいな感じで考えると、
ちょっと無理矢理戻した感もあるけど、そういうのって本当にいろんなところに応用できるなって思うんだよね。
シンキングマインドのコントロール
やっぱりそういった意味ではすごく僕も好きだし、
前回は仏教っぽいって言ってたんですけど、
でもさ、やっぱり頭の中でぐるぐる考えてることとか、
さっき言った自動思考みたいなもの。
なんかあるじゃん、10秒黙ってくださいって言うと、マイキーも毎日やったと思うんだけど、
10秒黙ってくださいって言うと、その10秒間頭の中で数を数えだしたりとか、あと何秒だろうとかっていうふうな思考が勝手に生まれてくる。
それって仏教的には、仏教3.0っていう本が新書があるんですけど、
その中でシンキングマインドっていうふうに言われてるんだけど、
要は考えちゃうっていう、ただただ考えちゃう。
それって自分が考えようと思って考えてないから自分のコントロールできないもの。
つまりそれって自分じゃないんだよみたいなことを言ったりするんだよね。
要は自分が勝手にこんなことを考えちゃう。
悪いこととかってどんどん浮かんだりした時に、考えたくないことを考えちゃう自分がダメなんだとかって思う人もいたりするんだけど、
それはシンキングマインドっていう別の考えが働いてるだけだから、
それは自分じゃないんだよっていうふうに捉えることがすごく役立つみたいな場面があるんだよね。
みたいなのも結構コントロールできるものとできないものを分けるとかっていうのとかなり近いなと思って。
逆に言うとそれに気づくとそのシンキングマインドをなくせるんだよね。
ストア派の共感
うじゃうじゃ考えちゃうとかグチグチ悩んじゃうとかっていうのもなくせるっていう。
それはすごくね、たぶん28歳ぐらいの時にそれに気づいてできるようになって。
あ、そう。できる。
そう。できる。
そうやってかなり人生が楽になったんだよね。
そうなんだ。
逆に確かにそれないと、自分が逆にそれやりすぎてるみたいなこととか、
例えばちょっと冷静すぎるとか、盛り上がるべき時に盛り上がれないみたいなことがあった時に、
逆にそれに対しても無自覚っていうのも結構大変な話だもんね。
そうそうそう。
なんかあった時に怒っちゃうとか、共感力強すぎるのも大変だけど、
冷静すぎるみたいに見られちゃうのも大変だもんね、確かに。
そうそうそうそう。
それもだから、ある意味それを自覚してない状況だと、
なんかあった時にいろいろ不安で考えすぎてしまうっていうシンキングマインドが働いてるんだっていう話になってくるってことだもんね。
そうだね。
それはそれで。
でも一番多いのはね、たぶんなんかあった時に怒っちゃうとか、泣いちゃうとかっていう方が多いとは思うんだけど。
だからこそやっぱり、どう感情を出すかとか、
最近演劇のワークショップとかもあったりすると思うんだけど、
自分がチャンスすることをちゃんと表現して相手に伝わるようにするとか、
それはね、声の疲れとか体の差がとか、
実際僕はやったことはないんだけど、やっぱりそういうのは結構最近意識するようにしてるかな。
なんか目振り手振り大きくするとか、
嬉しい時にはちゃんと嬉しいと言うとか、
昔はそれがやっぱりできなかったんだよね。
あーなるほど。
そのサプライズの反応がいたっぴということね。
その辺はやっぱり技術だなっていうところの感覚もストア派の人たちにやっぱり共感する。
現状維持と磨き続ける努力
そうはね、確かにな。そこはやっぱりどっちかに寄ってる状態だもんね。
どちらにせよ。
フラットじゃないというか。
そこで自覚してやっぱり備えていきましょうっていうのはすごくいい発想だと思うんだけど、
1個ね、やっぱり最近、今回話したストア派のところで自分の中で迷ってるのが、
目的、達成することがやっぱりゴールじゃないんだよみたいな話。
要はね、あとにかく言って、弓矢を撃つ時に、的に当たるかどうかってやっぱり最終コントロール外だから、
そこにこだわるんじゃなくて、まず弓矢を撃つっていうそこに集中せよっていう話。
人生をどう歩むかっていうのは大事で、人生何を成し遂げるかっていうのは別に大事じゃないみたいな話があったと思うんですけど、
最近それはすごく悩んでるところがあって、その考え方はいいよねって思うし、
実際そうしたいなって思う反面、やっぱり理想とか目標がないと、結局現状維持になっちゃって、
あんまり自分の人生が逆に良くならないんじゃないかとか、
やっぱり今の現代の価値観で生きるにおいて何かを達成するとか、
何者かであるみたいなことっていうのはやっぱり何らか必要じゃないかとか思った時に、
今すごく自分自身は現状で満足してるし、いいなと思ってるんだけど、
やっぱり何かを成し遂げたいとか、もっと良くしたいという気持ちも湧く自分がいて、
このバランスをどうやって取ろうかとかは結構最近の自分の悩みかも。
うーん、なるほど。はいはいはいはい。
そのストア派的にはある意味はそれでもいいじゃんって言ってるように聞こえるんだけれども。
そうそうそう。とか、自分の人生ってのは磨かれていて、自分の理性っていうのが上手くつけられてたらそれでいいじゃんって話なんだけど。
うんうんうんうんうん。なるほどね。はいはい。ただそのベクトルが目標がないと難しいよね。
そう。とかやっぱり現代においては本当にそれだけでいいのか。
要は私の時に自分の理性が完全に磨ききりましたとかって仮に言えたとして、
本当にそれで自分がいい人生だったって言えるかって言うとやっぱりちょっと言えないなっていう風に思っちゃったんだよね。
うんうんうんうん。なるほどなるほど。
えー、その辺は今仮の答えだったりとかはあったりするの?もしくはそのために今考えようとしていることとかってあったりするの?
2個あって1つはまずその、まずは1個仕事においてっていう意味なんだけど、仕事においてやっぱり自分がやりたいとか、自分これがやったら会社のためとか、人のためになるだろうっていうものを純粋にやってみようっていうのも1個ちょっと今やろうとしてるんだよね。
どっちかというとこれまではやっぱりある種1つの目標あったりとか、こういう成果を出す、それを達成すればOKみたいな感じで考えたんだけど、
要はだからあんまり高望みもしないし、めちゃめちゃ頑張るよりは100頑張ったらOKみたいな感じだったんだけど、
昔は110でも120でも頑張るみたいな感じだったんだよ。
それやりすぎてちょっとしんどくなっちゃったのがあったから、今100ぐらいでちょっとうまくやるって感じだったんだけど、やっぱりそれをもうちょっと忍びして自分が会いたいからこの仕事をやるのだみたいな、
そういうことである種目標に向かって頑張るっていうのを1個仕事の場で試してみようと思っているのが1つと。
あともう1個はなんとなく人生においての理想像みたいなものをもうちょっと立ててもいいかなって思っていて。
というと今はそれが基本ないみたいな感じなのかな?ちょっと満足している?
今はあえて作ってない。
そうなんだ。
あえて今家族と一緒に過ごす時間を楽しむとか、それからマインドフルネス的な感覚で今を楽しむみたいな方に結構寄せているんだよね。
今を楽しむでいいんだけど、その今を楽しむのじゃあと50年間続けた先に満足自分がしてそうかっていうとなんかそうじゃないかもっていうことを思ったから、
違うのだろうか。もうちょっと未来を見据えて生きた方がいいのではみたいな。
そう思っているっていう感じかな。
なるほどなるほど。
じゃあまだその具体的な目標はないっていう。
まだない。
それを今考え始めている。
僕はちょっといろんな人と話をしているって感じかな。
なるほどなるほど。
違和感だよね。
そうかそうか。
自分を見抜き続ければいいじゃないっていうのはすごく偽装的であるし、いい意味でストイックっていうか。
それで満足できそう。
だけれども現実問題そうではなさそうだもんね。
そうだね。
弓に当てたい。弓の的はやっぱ当てたいし。
そうそうそうそう。
やっぱりあるじゃないですか、当てたら褒められるんだったら当てた方がいいよねとか、
人に褒められたいとか認められたいとかって承認要求もちろんあるし。
今の話は2つあって、まず定義の話が1つあって、さっき現状維持って言葉があったじゃん。
このままだと現状維持になってしまうとか。
あとそこの概念が20後半か30前後くらいの時に人に言われてわーって思ったんだけど、
基本的にビジネスの流れっていうか経営というか最初の話なんだけど、
現状維持っていうのはないんだという話があって、
全然わかってなかったんだけれども、見えるその100%現状維持っていうのは、
例えば今何も努力をしないというか、今やってることとか今の感覚が現状維持の場合、
出てくる結果っていうのが現状維持ってことはまずないんだぞという話。
だから結果現状維持っていうのを続けるっていうのは実はすごい大変なんだという話があるので、
このストア派の今に満足するじゃないけれども、
磨き続けるっていう概念をそれで当てはめるとすると、
実は今の現状、今満足しているよねっていう現状を生涯維持するっていうだけでも、
相当な自分というかいろんなものを磨き続ける努力は必要ですよという意味で、
逆にそれを今満足しているから、もうここで磨くのをやめたとしても、
この結果、今の100がずっと死ぬまで続くんだと考えるとやばいと。
高い目標とその意味
それをやめた瞬間に来年は90、その次は80というふうに下がっていくんですよっていうのがまず一つあるから、
今満足しているのであればそれを維持するっていうことを考えたときに、
その磨き続けるっていうところに対するモチベーションはなくなる。
もし考えたとすると、それは危ないですよっていうのが一つあるのかなと思ったらまず。
これも考え方で、現状に満足しているっていうことを本当に満足している。
そう維持するのであれば、相当の努力っていうのは喜んで磨き続けるし、しなければならない。
それすらも結構大変だよという話は一つあると思う。
今現状満足しているからより高めを目指すんだ、目標を立てなきゃいけないっていうのは、
実はすごく高望みなのかもしれないっていう感覚が一つあるのかなと思った。今の話の中でね。
やっぱり現状維持は衰退であるみたいな、むしろそういうふうな言葉はあるぐらいだし。
はいはい、あるんだね。
そこはだからそう思うし、僕はやっぱり今の現状を守るためにすごい、
すごい努力しているとは言わないけど、やっぱりいろいろやってはいるつもりだから、
確かに兄貴の言う通りかなとは思う。
というのが一つで、だから努力が100だとしたら、そこでまだ余力があるから次もっと探してみようというのはね、
それはそれでいいことというかね、普通のことだと思うから。
というのが一つと、あと一個目標を立てた方がいいのではないかみたいな話。
ハイト的にはそこってなんでそれをやった方がいいとか、やらなくてもいいとかって何かあったりする?
そこの葛藤みたいなのってあったりする?
これは自分の経験上なんだけど、目標を変えようと思うと結構それを達成するために割と視野が狭まっちゃうんだよね。
無理やりでもやるとかやりきりたいって思うときに、割と自分自身の健康とか家族との時間とか削りがちなんだよね。
なので、そうすればバランスが悪い。
だから結構上手くやれる人とかもいるとは思うんだけど、自分がそこがあんまり上手くないので、
あんまり高い目標をかけるとか目標に向かって頑張るっていうのをやるのにちょっといろんなことを考えちゃう。
努力を達成しようとかっていうよりも、それを達成を目指しつつ、どう家族とのバランスをとるかとか、自分の健康が出るかとかそういうことも考えなきゃなって思って、
考えることいっぱいあるなって思っちゃうって感じかな。
だとすると目標設定自体も結構難しいし、
だったら今の満足度、充実みたいなものを維持するっていうのも全然いいじゃん、ありじゃんみたいなことも言えるかもしれないと。
なるほど。個人的に目標っていう話で言うと、例えばワンピースで海賊王に俺はなるってあると思うんだけれども、
じゃあそれも立派な目標じゃん。しかもそうやって時代に生きてる人がみんなが割と持つ、割とありふれてる。
オリジナルではないけれどもありふれてる。でもすごくみんなが思う立派な目標だと思うんだけれども、
じゃあそれに意味があるのかないのかみたいなことを考えたときにどうなるのかなって思う。
そういう意味で言うと、これには2つあって、そんな高い目標は意味がないと。
ルフィみたいによほど恵まれた何かがないと、そんな目標立てても意味がないと。
もしくは一方で、そんな若いうちから立派な目標を掲げて、それに向かって努力してるなんて素晴らしいと。
ストア派と挫折を考える
2つあるとは思う。どっちも信じてたんだよね。
じゃあその2人だよね。恵まれたルフィと、全然裏綱がない海賊みたいなものがいたとして、
同じ目標立てたときに、それがルフィにとっては意味があって、
しょぼい海賊みたいなものには意味がないのかと。その目標がね。
っていうことを考えたときに、そこをハヤトはどう思う?
意味はあるというか、それによって方向づけられるから、そこで出会える人とか環境とかはあるだろうとは思うんだよね。
海賊になるっていうことで、海賊の仲間が増えるかもしれないし、
そういう海賊になるためのアンテナも立つから、情報も入ってくるだろうとかってなったときに、それ自体は意味があるとは思います。
でもなんか、弱小の海賊がそれを掲げることが、その人の人生だから別にそういう人のものがいいんですけど、
より客観的に見て、その人の人生がより良くなる方向にいくかというと、ならねえんじゃね?っていうふうに思う。
ああ、はいはいはい、なるほどね。それは興味深い。
まさにそうだよね。自分のためにどうかっていうところをね。
自分は今のところ、どちらにせよ目標を立てるっていうのはとても良いことで、何なら必須だと思ってるよね。
なぜかというと、ルフィンの方は言うまでもないよね。そこに向かってちゃんと人生組まるからいいんだけれども、
そのうだつの上がらない奴がいたとしたとすると、何でそれがいいのかって言うと、
もしその人が本気で一旦海賊になると思ったとすると、たぶん早い段階で負けるんだよね。
はいはい、そうね。
下手したら死ぬんだけれども、まず負けると。
その時にそこだけ強い思いがあってやろうとしてたことに、早めに挫折できるんだよね。
目標の意義と達成可能性
はいはいはいはい。
必ずどこかで挫折できるの。本気でそこの目標を立てていれば。そうするとそこで考えられることができるよね。
あれ、俺海賊は無理だなと。
はいはいはい。
そこで立ち止まって、じゃあ自分って本当は何なんだっけと、そこで一旦考えられるわけ。
そこで目標っていうものをもう一回セットするチャンスが生まれる。
はいはいはいはい。
本当に挫折して、うわ無理だ、ルフィとかスゲーのいるし、スゲーのいるし、無理だ。
で、本気で考えた時に、自分って本当は何したかったんだっけって時に、本当は自分の村でパン屋を出すことがやりたかった。
そうね。
本気でその時に考えた。
はいはい。
本気で海賊王というものは無理だと分かった時に。
で、そうすると次の目標をセットできるわけ。
はいはいはいはい。
そうすると今度その目標に対して頑張ってっていうその循環だよね。
なるほどね。
もしかしたらそいつショボすぎてパン屋にもなれないかもしれないんだけど、その時は俺本当に料理の才能なかったわ。
はいはいはいはい。
じゃあどうしよう、じゃあこっち行くみたいな。
うん。
そいつって本当いろいろセンスないとは思うんだけど。
ただその人の人生を考えると、明らかにちゃんと修正をして。
はいはいはいはい。
海賊王にもなれない、パン屋にもなれない。
けれどもこっちなら行けるはずっていうのを、ちゃんとその人なりのゴールには近づいてる感じじゃない。
なるほどね、なるほどね。
面白い。
っていう意味で何かしかの目標を立てるのはすごく大事。
はいはいはい。
だからここは確かにこのストア派とは少し感覚が違うのかもしれないけれども。
もしくはストア派もこのことを言ってるのかもしれないんだけれども。
うん。
自分の場合はそういうのから逃げてたんだよ、ずっと。
なるほどね。
挫折をしないようにしないように。
例えば部活で行ってもさ、当時適当にさ、流行ってたバスケやって。
うん。
そんなにトップレベルではなかったから、高校行ったら別の部活やって楽しくやって。
で、大学の別の部活やって楽しんでみたいな。
結構フラフラとしてたんだよ。
うんうん。
それからその本当の意味で何かに挫折するっていうのがすごく遅かったんだよ。
それからそれが本気で、例えばちっちゃい頃からね、
俺は本当にプロ野球選手になるんだという人がいたときに、
もう小学校の時点でお前が無理だって言われたとすると、
それはそれでね、その人何の人生の正解というか何かにたどり着く可能性が絶対高まるんだよ。
そこをごまかしてごまかしてさ、やってる人よりは。
っていうのが目標の意義だと思ってる。
なるほどね。
ストア派の哲学者としての矛盾
うん。
でも今の兄貴の話は面白かったな。
面白かったし、やっぱり目標っていう言葉の捉え方が違うんだなって思った。
うんうんうん。
っていうよりも、やっぱりそもそもある目標に対して本気になれるっていうこと自体が、
結構僕からするとハードルが高いことだし、
やっぱりそれができることもすごく重要だなと思うんだよね。
だからやっぱりその自分が本気になれる目標を見つけるとか、
自分が仮に見つけた目標に本気であると思えるみたいなこと?
そっちの方が重要かな。
うんうん。そうだよね。
無理だと思う。無理っていうのは、
そうだね、自分が本気だと思える目標を見つけるっていうのは難しい。
自分の天職を見つけるって言ってるのと同じような話だから、
結構理想論に近いかな。
うん。
だからその目標に対して本気になるっていう方がすごく現実的だと思う。
うんうんうん。
うんだよね。
やっぱりね、それはあるんですね。
信じるとかやっぱりやりきるみたいなところの、なんだろうな、
大切さはでも本当にそうだと思うし、
そういう意味で言うと、
僕が目標はどうしようか、ああしようかって言ってるような、
まず立ててみてやってみて、
あ、違ったとかっていう風に修正していくのもありだなって、
確かに今大輝の話を聞いてて思った。
うん。だからね、さっきの早止めに言うとさ、
例えば目標立てた目標に対して言った時に、
自分の能力とかじゃなくて、やっぱり外の原因だよね。
要因だよね。
家族からの例えば反対があるとか、
そんなにちょっと、もうちょっと家族見てよとかね。
そうっすね。
いろんな、例えば健康を返す、睡眠時間を減る、
それも同じなんだよね。
海賊王になれない人はどうする?
目標に対する阻む要因だから、
それを考えた時に、すごい一旦立ち止まると。
じゃあ、睡眠時間を確保しながら、
家族との時間を確保しながら、
マジでやるってなった時の目標はどうなるんだろうって置いた目標が、
その時の自分のベクトルなわけで。
ああ、確かにね。
で、ただその自分のベクトルを知るためには、
やっぱりもう一個上の目標というか、
本来立てた目標がないと、
次の進度って立てられないから。
っていう感覚かな。
なるほどね。それは本当にそうだな。
ありがとう、ありがとう。すごいストーンって落ちたわ。
逆にそうだね。
何かやりたい人、達成型だと思ってる人とか、
やりたいっていう人は多分そういう感じなのかなと思うし、
やっぱりルフィみたいに海賊王になれる資質もあって、
仲間も集めてきてっていう人もやっぱり中にいるから。
そういう人はやっぱりちゃんと立つものごとを、
自分が思った本当の目的をきちんと、
どういう順番になるかは知らないけど、
きちんとそこに近づいていくってことはできる人もいるし、
すごいいろんな人と、自分の能力とか環境とか、
外の要因も大きいから、そういう兼ね合いで、
当初のほうが達成できる人と達成できない人っていうのはいると思うんだけど、
自分なりのってなってくると、誰でもそうやって、
うちも変更しながらいけるのかなっていうのは、
自分はできてるかできないかは別として、
頭ではそうだな。
本当そうだよね、確かに。今のお話も踏まえて。
ごめんね、いろいろ偉そうに語っちゃったけど、どうですか?
今回でもストア派の弓の話?
自分を磨きすぎるとか、得の話とか、
弓に当たらなくてもいいとか、
ちょっとプロレスが大事だよねっていうときの違和感っていうのは、
自分の中ではそうやって消化してる、今の話で。
はいはいはい。
生徒さん何回か言ってるけども、
ストア派は理想が自然と調和して生きることだし、
その得を最大限発揮することっていうふうな、
その目標もぶれないんだよね。
それができるかどうかとか、
人間に本当に可能なのかどうかに関しては、
分かんないっていうスターさんだよね。
逆にそういう目標としての、
理想的な人間とか、
理性を発揮した状態っていうのはあるから、
そこに対してちゃんと歩み続けようねっていうところが、
悩まないんだと思うんだよね。
うんうんうん。
その意味で言うと、さっき言った目標の話っていうのは、
このストア派の話ともブレてはいないのかなと。
ブレてはないと思う。
僕は逆に、本当にストアの哲学者だったら、
自分も自分を磨き続けることで、
よしとしますっていうところにフルベッドして、
たぶん生きていけるんだよ。
そうじゃなくて、本当にその目標でいいんだっけとか、
それをやったときに自分が幸せだと思えるんだろうかとか、
っていう風にやっぱり迷っちゃうから、
結局その道は選べなくて、
結局自分には何が合うんだろうかっていうのをさまよっちゃうみたいな。
まだ言ってはその状態なんだよね。
うんうんうん。
海賊王でとりあえずセットしてみれば何でもいいんだよ。
海賊王で3秒でやめとこうってなる。
うん。そこで本気で考えればいいんだよね。
3秒越え考えればいいんだよ、本気で。
そんな感じですよね。
次のプラグマティズムは、
結構今みたいな話にかなり関連するんですよ、実は。
あ、そうなんだ。
目標というよりは真理みたいな話になるんだけど、
真理っていうものが、
ただ世の中に一つあるものがあったよりは、
むしろ複数あっていいんじゃないとか、
その真理っていうものもむしろ、
人間の役に立つかどうかっていうところが重要じゃないとか、
結構そういう柔軟な感覚がどんどん生まれてくるんですよ。
そうなった時に、
じゃあ僕らって何をすべきなんだっけとか、
どういうふうに世界観とか人間観を作っていくのがいいんでしたっけ、
っていうのがまた更新されていくような考え方なので。
そうなんだ。
でも確かに真理がいっぱいあるって言われたら困るもんね。
そうそう。
それはそれで。
でもこういうふうに考えたら、
なるほど、真理がいっぱいあるっていうことねみたいな、
そういうふうな理解にもつながると思うので、
ぜひそういうのも楽しみながら、
引き続きまた次回も聞いていただけたら嬉しいなと思っております。
じゃあこんな感じで、
ちょっと本当に雑談な感じでしたけれども、
次回プラグマティズムに移っていきたいと思いますので、
引き続き楽しんでいきたいと思います。
それでは次回もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回もありがとうございました。