平安時代から鎌倉時代の変遷
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。 よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、前回は平城京の役人の暮らしということで、結構有給取るのも大変だよね、みたいな、今とあんま変わんないんじゃない、みたいな話をしてきたというところだったんですが、
今回はさらにまた時代を下る、みたいな感じになっていくんでしょうか。
そうですね、はい。ちょっと進んでですね、平安末期から鎌倉みたいなところを見ていこうかなと思っておりますよと。
で、前もちょっとだけお伝えしたんですけど、この平安時代っていうところが、いわゆる日本の古代というか、
そういうふうに作られていて、鎌倉じゃなくて、わりと近世というか、そういうところに近づいていく、あ、ちょっとごめん、中世か、中世、近世になっていくんで。
鎌倉の時代の変換期みたいな感じなんですけど、前回は結構、これまでは仏教が、いわゆる国の異性者にとってどんなふうに扱われていたかとか、
アニケートで言われた役人たちがどんな生活を送ったかっていうところをちょっとお話ししたんですけれども、
もうちょっとね、民衆とまで言えるからなんだけれども、今日ちょっとテーマにしたいなと思っているのが、無情感っていうような言葉ですね。
うーん、なんだ、仏教の会?仏教会だっけ?
仏教会ではないんだけど、無情についてはさ、仏陀以前とかその後の法則みたいなところでちょっと話したと思うんですよね。
諸行無常みたいな感じで、あらゆるものは変化しますよ、みたいな感じだったと思うんですけど、
それがもともと仏教としてはあるんだけど、あんまりそういう思想とかは入らずに、いわゆる原税利益というか、
死んだ後に作ってくださいとか、自分を偉くしてくださいとかっていうのに、最初に仏教が入ってきたっていうのはお伝えしたと思うんですけど、
いわゆるこの無情みたいなものが結構広く浸透してきて、
実生活とか、あるいは文化みたいな、そういうのに影響を与えたのが、まさにその起源で言うと1000年か1300年ぐらいの平安末から鎌倉だよみたいな、
そんな風に言われてるんですよね。
はいはい。だから、仏教がある意味国策として取り入れられた後、そもそも300年400年、なんならもうちょっとかかりながら、
ちょっとずつ根差していったみたいな感じだったかな。
そうですそうです。それが生活とか文化みたいなものにも現れてきたみたいな感じなんだけど、
もちろん平安から鎌倉って言ってもすごい幅があるし、もちろん同じように全部吹っ飛べるわけではないんだけれども、
こういった流れを無常観っていう、まさに価値観だよね、その当時の。
というところで、見たときにはどんな風に読み解けるんだろうかとか、どんなことが起こってたんだろうというところを見ていけると、
時代を一つ、別の角度から見たことになるかなというふうに思いますよっていう感じなんですよね。
無常観の広がり
で、もちろん無常とか無常観って、もう兄貴が言ってる通り仏教のキーワードなんだけれども、
やっぱりこの、何だろうな、仏教自体が国人に影響を与えるっていうのは、
やっぱり入ってからまさに、飛鳥時代とか奈良時代を経て、やっと平安になってからみたいな感じなんですよね。
で、これがなんでそうなったかっていうと、やっぱりその世の中が乱れたからみたいな話が結構あって、
次回ちょっとね、実はの武士編というか、武士について焦点付けようと思ってるんだけど、
いわゆるその、源氏と平氏の戦いとかさ、あるじゃないですか、平野政門がいてとか、
そういうふうな合戦だったりとか、あとはその当時の京都で言うと、地震とか火災とか、
竜巻みたいなそういう天災とかが、すごい手続けに起こったらしいんですよね。
うーん、そうなんだ、ほうほうほう。
で、そういうふうなところから、いわゆる何だろうな、やっぱり個人の死というか、
もう横見たらなんか戦してるし、横見たら地震でなんか街崩壊してるしみたいな、
いうふうな世の中だったりとか、あとはその仏教的にはさ、以前なんか子供たち覚えてるかな、
魔法の矢みたいな発想があって、
で、いわゆるブッダが亡くなってから何千年とか経ったときに、
仏の教えっていうのはもうこの後は一切意味を成しませんよというか、
この後に生まれた人は救われませんよみたいな思想とか、
あとは地理的にも日本ってインドから遠く離れた世界なんで、いわゆる変境の地なわけなんですよね。
ふうふうふう。
そうするとそういう変境の地で生まれた人はみんな根性の曲がった悪人だみたいな、
そういう思想が当時の日本とか、特に京都とかで広まってたらしいんですよね。
ああ、そうなんだ。仏教人間じゃないけどね、その土地で生まれたものじゃないとみたいなね。
そうそうそうそう。
というわけになると、現実的にもその街もどんどんすさんでるし、
そういう縋るべき仏教も縋れなさそうみたいな、結構そういう魅力を取りにくい状況だったわけなんですよね。
ふうふうふう。
そこに対して実は浸透してきたのが浄土、浄土教の浄土っていうふうな思想で、
浄土教自体が、いわゆる法念とか信頼という感じで広まっていくのは鎌倉仏教だよっていうのは以前また触れたと思うんですけれども、
その前から、いわゆる浄土っていうような考え方があるぞとか、
いわゆるこの世っていうのは穢れた土地で、向こうというか彼岸に清らかな土地があるぞ、
もっと言うと、この世は地獄で、浄土こそが救いだみたいな、そういうふうな思想っていうのは少しずつ広まったらしいんですよね。
わー、まあ、そんだけ大変だったってことはね。
そうそうそうそう。だからもう本当に、この世の地獄とはこのことかみたいな、結構そういう時代だったんですよ。
そういうふうなことが広まっていくとどうなるかっていうと、いわゆるこの俗世とか、いわゆる陰遁生活みたいな、
要はこの世は穢れてるから、そういう俗世から離れて、自分隠れて仏の道に進もうとか、
いわゆるその仏修行をして、もう来世にも期待しようみたいな、そういうことが一種の流行になっていくんですよね。
文化と個人の内面
へー、なるほど。出家とはまた違うのかな。
そうそう。そこが面白くって、出家っていわゆる正式に仏教、仏教徒になるっていう話じゃないですか。
うんうんうん。
そうしたらいいじゃんって思うんだけど、当時の日本の仏教シーンって、これまで言ってきた通り、結構政治と格、結びつきすぎちゃってるんですよね。
ほうほうほう。
そう。なので結局お偉いお坊さんになったとしても、結局は権力争いとかさ、自分の寺をどう盛り上げるかとか、
ほうほうほう。
なんなら遠古採用で偉くなっていくみたいな、家計が大事寂しいな、そういうふうに環境だったらしいんだよね。
なるほどなるほど。そっかそっか、出家してある意味その道に進むと、前回言った通り、お坊さんって国家公務員だったから、そっちのシステムに組み込まれちゃうのか、出家すると。
そうなんだよね。
馬鹿正直に出家するとね、当時の感じ。
そうね。
あー、うわー面白いね、なるほどね。
面白いでしょ。たとえていいかわかんないけど、例えば日本で、お国のために頑張るぞって言って、例えば地方公務員だった人が、全然国のことじゃなくて、やっぱり本当に大事なお仕事なんだけど、
例えば権力があったら巻き込まれるとか、市役所内の政治に翻弄されるとかってなっちゃうと、やっぱりなんでここに入ったんだっけみたいになっちゃうみたいな。
なるほど、白い巨党とかでもいいかな。
あー、病院のね。
お医者病院のね。
はいはい、確かに人を救いたいと思ったのにみたいなね。結構そういう風に近い環境だったみたいなんだよね。
うんうんうん。
なので、全然出家したからと言って避けてたとれるわけじゃないってなると、出家してたどうかというよりは属性から離れて、ある種自分なりに仏の道を追求するってのがいいんじゃないかみたいな、そういう風な発想が広がっていくっていうか、そういう発想で動く人も増えていくわけなんだよね。
なるほど、だからそれを、今属性だから離れようとの出家じゃなくて、陰党っていう風な方になるってことなんだ。
そうなんです、そうなんです。
っていうのが当時の特徴的なことなんだけれども、なんでそういうふうな仏教界の闇じゃないけどさ、っていうものが他の民主主義を見えたのかみたいな話なんだけれども、これは例えばね、
そういうことにいろいろ書き記してる人がいるんですよ。教科書とか載ってるかもしれないんだけど、放浄機とかって知ってるかな、行く川の流れは絶えずして、しかも元の水に洗らず、みたいなさ。そういう言葉って聞いたことある?
うん、なんか習ったと思う。
そうそうそう。おそらく古典とかの教科書あるんですけど、これは鴨の長名さんっていう人。この人がまさにこの時代の、そういう無情感とかに書き残してるって言われてる人なんだけど、
もともとは京都に結構ある、今も有名な下鴨神社、だから鴨なんだけど、の家系の人で、新職なんだよね、もともと。
へー、あ、新職。だから仏教でもないよね、新職。
新職ではない。新職なんだけど、それこそやっぱり、いわゆる新職も権力争いとか、お家騒動みたいなのがあって、それに敗れて出家しちゃうんだよね。
おー、出家する。別の宗教だよね。
そうそう、別の宗教なんだけど、当時はそこも結構緩かったみたいで、出家をしますと。
で、ある程度地位もあったからこそ、そういう仏教界とか、そういう宗教的な世界がどうかって見えていた中で、さっきのような、いわゆる床の流れは絶えずしてて、いわゆる無情だよね。
その床の流れは常に移り変わっているよと。
そういうところから、どうやって自分が生きていくかっていうところを書き残していったみたいな人なんだよね。
ああ、そうなんだ。
なので、単純に文学的な価値よりは、そういう老いたちだったりとか、そういう仏教的な科学も含めて残っているようなものが包丁器だって話なんだけど。
面白いのがね、そういうふうに陰遁生活をすると、結局自分はどう生きるのかとか、むしろどう死んでどう来世に救えるかとかっていうふうに、自己意識が芽生えそうじゃない?
ああ、確かに前回はね、やっぱり時代的にお家がとか、あんまり個人にフォーカスされないみたいな話があったけれども、確かに陰遁すると自分とは何者でどうなっていくのかみたいな、そっと考え始めそうだね。
そう、考え始めそうなんだけど、例えばこの包丁器がいわゆる事故を見つめてましたとか、自分の苦悩に深く向き合いましたみたいなものかっていうと、そういうことではなくて、
あくまでも、やっぱりその世の中を観察したときに、こういうふうに生きていくのがいいんじゃないかとか、こういうふうにある種自分には見えるみたいな、そういう芸術的な感覚が強いものなんだよね。
うーん、そうなんだ。ほいほいほい。
で、これ何かっていう理由ではないんだけれども、やっぱりよくも悪くも仏教って強すぎたんだよねっていうふうな捉え方があって、
例えばギリシャとかもそうなんだけど、自分の人生とは、結局は当時のオリンポスの神々では説明できないとか、やっぱり宇宙の根源とか世界の根源を見出すことで、
ある種、本当の土台を作りたいとかっていうふうなものがあったからさ、成り立ったと思うんだけど、この当時でいくと、やっぱり仏教がとはいえ、もう中国、インドから始まって2000年くらいの歴史があるわけなんだよね、仏教自体に。
なると、例えば自分の人生とは何かとか、どう生きるべきかとかっていうのは、もうなんか仏教がすごいロジカルに論じきっちゃってるわけよ。
なるほど、そっか、もうそこに答えがあるんだね。
そうそう、答えがある。で、もうすべては無常だから浄土に行くのが救いだっていう答えを言われてしまうと、それは論破するのってめちゃめちゃ難しいわけだよね。
わー、そうだね。積み重ねに対してパッとそれが徒来してきて、その素養のない人が、そこをにわかには反論もできないというかね、そいつからそう。
だからこそ、逆に鎌倉仏教で新しい発想とか、民衆にはこうしたらいいんだっていうことを出したっていうのは、やっぱり比叡山で学んだ人がやったってそういうことなんだよね。
ちゃんと本利をしてるから乗り越えられたっていう話であって。
なので、やっぱりそういう仏教的な答えみたいなのが逃れることは難しいのがこの平安末期の時代ですと。
だからこそさっき言ったみたいに、いわゆる思想とか哲学よりは文学とか芸術っていう方面で、この無情感とか無情の中に生きるってどうすんだみたいなことがある種表現されていくんだよね。
例えば、和歌とかって日本のある伝統的な芸術っていうかね、そういう表現だと思うんだけど、そこにおいても、ただね、儀式をめでるとか、
何だろうな、悪いなった、ぽかぽかする、なんとかっていうことじゃなくて、そこに仏教的な教えを読み込むとか、自分が死に至る、そこに対する思いを述べるみたいな、そういう和歌っていうのがこの時代に増えてくるんだって。
へー、そうなんだ。
例えば、本の中に挙げられた歌があるんですけど、ちょっと読むよ。
無常観と陰遁生活の探求
物を思う心や身にもすき立ちて、不器用遺伝印なるべき。
どういうことかっていうと、要は物を思って、いわゆる思い悩む心だよね。
要は、この世は無常であるとか、属性を離れたりとか、そういうふうに思い悩む心っていうものが、身体とか何物にもすき立って、まさに不器用、属性を離れて、
要は、妊婦の生活としてもっと仏の道に近づきたいみたいな、そういうふうな思い悩む心っていうものが、自分を悟りに導いてくれる道しるべなんだみたいな、そういう歌を読んでる人がいるんですよ。
だから、ただ目の前の景色を読むとかじゃなくて、そういうところに自分の心が向いてるっていうものを読み込んだりするんだけど、
当時の風習というか、感覚だと、和歌を読む、そういう仏の道に至るみたいな、和歌を読むこと自体が一つの修行だみたいな。
それで、苦毒が詰めるみたいな感覚があったらしいんだよね。
ああ、そうなんだ。
日々の中で修行に明け暮れて過ごすとか、本当の意味で、在野のみには出家しない意味でやろうっていうのは、結構、当然難しいわけじゃないですか。
そういうときに、やっぱりちゃんと自分にできる限りの修行をするとか、日常生活の中に仏の教えを入れ込んでいくみたいな。
なんかね、ミーティングするときも立ってやりましょうみたいな。立ってやると健康的ですよみたいな感じかもしれないけど、
そういうふうな知恵というか、風習がどんどんどんどん、どんどんといってもね、ある程度喰らいの高い人だとは思うんだけど、
こういう和歌とかをちゃんと読んで残ってるぐらいの人なので、そういうところに入り込んでいきましょうっていうのはこの時代なんですよね。
なるほどなるほど。ちゃんと出家しないってことは、何かしら食べるためだったりとか、喰らいの高い人であれば、仕事だったり役目役割があるから、修行に空けくれるわけもいかないよねっていう話ってことだね。
そうですそうですそうです。
っていうところでね、やっぱり無常観っていうところから、浮世を離れるっていうふうな話が出てくるんだけれども、
だけどもね、実はここで終わらなくてですよ。
ここから鎌倉時代に入っていくんだけど、ここでまた様子が変わってくるんですよ。
あ、もう鎌倉時代に入っちゃうんだね。
そう、ここから入るんですけど、どういうことかっていうと、その平安末期ぐらいは陰遁生活をして、俗世を離れればオッケーみたいな、結構そういう感じだったんだよね。
でも、ちょっと待てよと。
本当に、陰遁生活をすれば救われるんだっけっていう疑いが当然出てくるわけなんですよね。
実際陰遁生活してる人を救われてるふうに見えないぞみたいな。
見えないぞもそうだし、そもそもじゃあ場所変えたら、それっていいんでしたっけっていうところに思い出る人も出てくるわけですよ。
これもね、和歌でちょっとすごい思想っぽくなってくるんだけど、ちょっとその歌も読むんだけど、
伊豆区にて風雄も恨みまし、吉野の奥も花は散るなりと歌があって、これは一体どこで花を散らすね、風とか俗世、浮世っていうものを恨んだらいいんだろうと。
無常の受容と虚無主義
吉野っていうのが、いわゆる陰遁生活の、いわゆる気所地みたいな感じだったらしいんだけど、
結局その吉野って場所に行っても花は散るじゃないかと。
ということで結局、俗世と陰遁先みたいな感じで分けてたんだけど、
陰遁先も無常であることには変わりないよねっていうことに、やっぱり気づくわけだよね。
なるほどね。ただのと言うとあれだけど、トレンドだったねみたいなね。
そうそうそうそう。京都離れて田舎に行ってみたけど、結局そこも浮世じゃんみたいな、結局無常じゃんみたいなところに、やっぱり気づいちゃいます。
はいはいはい。
そうなると逆に言うと、どこに行ったらいいのかって思いに対して、どこに行ってもダメってなるわけだよね。
まあそうだよね。確かにイメージするとさ、浮世を離れて陰遁生活しますってさ、その吉野っていうところが陰遁生活にオススメってさってさ、
じゃあみんな陰遁するときは吉野へ行こうと思ったらさ、陰遁仲間みたいな出来分けじゃん。
それはそれでどうなん?みたいなね。で、そこからさ、別男に移動するにしても、結局一人じゃ多分生きるのも難しいし、みたいな、無限だよね、それこそね。
そうそうそう。無限にループしちゃうよね。
やっぱりそういう逃れられない諦めとか、結局もうこのままじゃ無理だみたいな感覚がどんどんどんどん強くなっていきますと。
うわー、切ない。
そう。やっぱりね、本当に無情感って言葉で言うだけだとあれだけど、本当にそれを現実世界で感じるって結構苦しいし、
ある種本当の意味では虚無主義だよね。何をしても無駄だみたいなさ。そういう風になっちゃうんだけど、それをある種乗り越えるって動きも出てくるんだよね。
どうやって乗り越えたの?
そう。それがまさに芸術とか美意識みたいな話になっていきますと。
へー、ほんとに?
芸術。で、それが何?って話なんだけれども、皆さんご存知、つれつれ草あると思うんですよね。
なんとなくね、古典で名前ぐらいは必要って方も多いと思うんですけど、これは健康を保護している人の作品ですが、それを抱えているのが大体鎌倉の松ぐらいの時代なんですよ。
へー、ほうじょうきが平安。
そうそう、ほうじょうきが平安。
で、つれつれ草が鎌倉。
そうです、そうです。
あ、そうなの。もう名前しか知らないからね。
いや、そうだよね。実際照らし合わせると、そのぐらいのところなんだってなるよね。僕も改めて調べて知ったというか。
はいはいはい。意識したみたいな。
そうそうそう、意識したんだけど。やっぱり、つれつれ草ってどういうことが描いているのか、有名かっていうと、
花は咲かれに、月は雲はなき世のみ見るものかわ。っていう風な一文があって、多分これ結構有名だと思うんですけど、
花っていうか桜だよね。
だから満開の時とか、あとは満月だよね。
絶頂のところだけをめでるもんじゃないんだぜっていう言葉なんだけど。
ほうほうほう。
実には当時、いわゆる派手な文化、そういう武士があるし、貴族に代わって政権を取ったときに、やっぱりきらびやかなとか、
すごいド派手なことをするみたいなことがあって、それに対する批判みたいなものもあるんだけど、
これって結局は無常とか変化っていうものを、ある種こういう風に捉えましょうっていうスタンスの表明でもあるんじゃないかって言われてるんだよね。
ほうほうほう。
つまり、やっぱりそれまでの科学でいうと、桜は満開がいいとか、月は満月がいいっていう風に、そういう一心を切り取ってやるわけなんだよね。
ほうほうほう。
それはそれでいいんだけど、やっぱりそせんこの世は無常じゃないかと。変化するじゃないかというときに、
その変化も含めて自然と向き合うってどういうことなんだっけっていうのを、これは打ち出してるんじゃないかっていうふうな解釈があるんだよね。
わー、面白い。なるほどね。そっかそっか。
ぱっと何も知らないさ、普通に人生楽しんでる人が無常ってあるんだったよって言われて感じるのって、そっちかもね、確かに。
桜は綺麗と、咲いてる桜は綺麗だけど、それは散って寂しいっていう無常っていうものに、
さっき虚無主義に言ったけど、無常っていうものに後張りつくその切なさみたいなものが、
なんか感じてしまってるんだけれども、この散れ散れ草に至って、無常ってそんな切ないものでしたっけ?みたいな。
その散る桜も美しいし、散った後も美しいというか、めでるっちゃめでられるしみたいな。無常ってもっとフラットじゃないっけ?みたいな感覚って感じかな。
そうそうそうそうそう、そういう感じ。変に虚無主義で桜が散ってしまった、どうしようどうしようみたいになるんじゃなくて、
そこに対してもまさに兄貴が言う通り、寂しいっていうその気持ちも例えばめでられるよねとか、
あるいは桜っていう対象をめでるんじゃなくて、いわゆる散ってしまったとか、月が欠けてしまったっていうそこに感じる自分のある種、心というか、
そういうものをある種ちゃんと捉えるのもいいんじゃないかっていう風な発想なんだよね。
おー、なんかすごい深みが増してる感じがするね。
そうそうそう、そうなんです。
なので、やっぱりそれはただ突然出てきたわけじゃなくて、そういう平安からのやっぱり無常への捉え方とか、その伝わり方の違いとかって思った時に、
それをどう乗り越えるかっていうと、そこにもやっぱり価値があるとか、そこにも意義を見出せるっていう風なものが出てくるものがこの連れ随草なんですってことなんだよね。
はいはいはいはい。
なので、やっぱりそのなんていうのかな、さっき浮世浮世ってこの世はもう地獄だみたいな話をしてたんだけれども、
それはそれで、そこに何らかの美しさとか、やっぱり仏教的な真理があるわけなんだよね。
要は無常って仏の真理だっていうことは、無常自体は悪いわけじゃない。
それは前回とかぶった以前の回でも言ったと思うんですけど。
なので、そこにこういうふうに意味を見出していくってことで、この仏教を乗り越えようとしていくんだけれども、
こうしての発想の中で、これはだいぶ時代も先に進んでしまうんだけれども、
いわゆる人がそのまま仏になれるとか、この世そのままが実は浄土でもあるんだみたいな、
そういう発想って何回か増えてきたと思うんですけど、
あるいはこの世すべてのものに仏性があり、一切至上至通仏性的なね。
そういうふうな発想も、結局そういう無常観というか、それを乗り越えた先にやっと受け入れる素児が出てくるんだよね。
無常観というか、悪い意味での無常観というか、誤解を解けたって話だよね。
そうね。それが誤解かどうかっていうのもあるんだけど、悪い意味での無常観に浸りきって、
芸術と美意識の新たな視点
ただそれでも結局生きていかなきゃいけないじゃん、人間って。
そういう時に、いやいやこの世は地獄なんじゃなくて、そもそもこの世にこそ仏の真理が現れてるんだっていうのは思想がある種求められてくるというか、
確かにそっちの方がいいんじゃないっていうふうになるっていうようなメンタリティーになっていくっていう感じなんだよね。
なるほどなるほど。はいはいはいはい。
なので、やっぱり今僕らが無常って言うと、それはそれでいわゆる哀れというか、わびさび的な話。
わびさびはもっとさらに後なんだけど、やっぱりそういう風な感じで移り変わるのもいいよねっていう風な価値観がもしあるとしたら、
それもこういう風な時代の流れとか、いろんな変化の中で生まれてきたことなんだろうなと思うんだよね。
うんうんうんうん。
だから、やっぱりそういう、鴨の丁寧だったりとか、健康法制で、それは代表的な作品が残っている人たちなんだけど、
それ以外の人も含めて、やっぱりいろんなアクセントというか、変化があったからこそ、今やっぱりこういうまさに無常感っていうのが変わっていって、
その後の日本人の精神的などこにも影響してますっていう話なんだけど、
ここから少し余談っぽくなっちゃうんだけれども、他の芸術でもやっぱりこの無常感というのがめちゃめちゃ出てますよっていうか、
無常感というのを土台にして発達したって言われてるような芸術はいくつかあるんですよ。
へー、はいはいはい。
うん。今ってその馴染みがある方多くないかもしれないんだけれども、
レンガ、歌をいろんな人でたくさんの人で読むっていうやつ。
うんうんうんうん。
なんか聴いたことあるかな、レンガって。
まあ聴いたことはあるけど、みんな順番に読んでいくみたいな。
そうそうそうそう、何人かで読んでいくっていうやつと、また能楽、能だよね。
ほうほうほうほう。
っていうのがまさに鎌倉とかに盛り上がって、無常感でもすごく土台にしてますっていうふうに言われてたんだけど、
楽曲とかっていうと、レンガって多分規模はいろいろあるんだけれども、
いろんな人で50とか100の曲を繋いでいって、トータルでいい作品を作るみたいな。
へー。
そういうのが催しなんだって。
あーそうなんだ、結構多いね。
そうそうそうそう、多いよね。
うん。
ちょっと前で言うとリレー小説とかやってた人いるか、あれなんですけど。
ほうほうほうほう。
なんかあるじゃん、ネットとかで違った人がリレー小説を回して書くみたいな。
別にネットじゃなくてもいいんだけど。
うん。
そういうのもあって、それもただ楽しんでた、面白かったっていうだけっていうよりは、
まさに無常だよね。要は予測がつかないとか、自分が読んだところに全然違う発想が加わることで、
そういうふうに変化し続ける中で、作品を一個作り上げるみたいな。
うんうんうん。
そういうふうな営みなわけなんだよね。
無常観の概念
あー、なるほど。自分でコントロールできる部分とできない部分があるっていうところをどう考えるか、感じるかって話だね。
そうですそうです。もっと言うとコントロールできない方が多いわけだよね。
そうだね。20人出てたら20分の1しかコントロールできないもんね。
そうですそうです。
雰囲気というかね、歌のね、例えば。
そうなんだよね、例えば。
なんかね、結構面白いのが、やっぱり長くね、50とかやっぱり幾つくらい時間かかるんで、
例えば昼暑かったけど夕方ちょっと涼しくなってきたったっていう時に、
そういうのも読み込んでったりするんだって。
はーはーはーはー。
なのでそういうまさに、動物の変化だけじゃなくて、
まさに自分がいる空間とかの変化とかに関しても、
やっぱりちゃんと安定を立てることで、
そういう風にやっぱり無常の世の中っていうものを弱い作品に入れ込もうとするみたいな、
そういう無常の断りっていうか、
そういうものを歌としてやっぱり体現するっていうのがこのレンガだし、
さっきも言ったけど、それ自体が一つの修行というか、
仏教的営みだよねっていう風なこともやっぱりあるかともされてたんだって。
うーん、なるほど。
うん。
なのでこれも単純にみんなで作ったら楽しいじゃんとかってことじゃなくて、
やっぱりそういう風な思想が背景になるっていう風な話だし、
脳学だね、脳に関してはカン編み、頭編みとかって有名だと思うんですけど、
脳学とその変化
これにも芸事の神髄とかを書いた風刺家伝っていう方案があるんですけど、
その本の中にね、例えば、いわゆる脳学をする人で、
代々受け継がれてから子供がどんどん小さい頃から修行しちゃってくるんだけど、
いわゆる演者が子供の状態と、それから大人になって老いていくわけじゃないですか。
うーん。
そういう変化の中で、いかにその時々の脳学の理想とか神髄を表現するかみたいな、
それを花って呼んでるんだけど、
そういう花をどう追求するかっていうことを書いてる本なんだよね。
へー、そうなんだ。
なので、いわゆる脳の世界の理想はこれだっていうふうに一個やるんじゃなくて、
例えば子供の時はこういうものがあって、大人になるとこういうものがあって、
さらに年を取るとこういうものがあるみたいな、
そういう変化とかまさに無常っていうのを前提とした発想がここにもあります。
あー、なるほど。その23歳が絶頂で後は老いていくんですよとか、
そういうのじゃなくて、そこに向かって精進していくんだとかじゃなくてっていうね。
そうそうそうそう。それは一人の人間の変化なんだけど、
あとは当然、ある種、演者と観客の相互関係とか、
またさっきも言ったような、当然屋外だったら日が沈みとかさ、
要は照明とかもないからさ、そういうふうに自然で変わっておくわけじゃない?
はいはいはい。
っていう時にそれも含めて、やっぱりいかに最適な演技をするかっていうふうに、
ただただ劇の中だけじゃなくて、観客とかその外にある自然とか、
そういうものともつながりながらやってくんだぜっていうふうな発想があって、
それはただのいわゆる劇のことだけじゃなくて、
まさに無情とか仏教的な、そういうものが織り込まれてますぜっていうふうな話があるんだよね。
そうなんだ。
僕もこの風刺書で一回読んでみたいなって思って、まだ読めてらしいんだけど、
だからやっぱりそういったものが、ただただ芸術だけじゃなくって、
やっぱりそういう無情感とか仏教的な考え方が織り込まれることによって、
すごく豊かになっていくとか、発展していく。
まさに人がここに刺さっていくって言っても、
別に僕も脳をめちゃめちゃ今じゃ見てるわけじゃなくて、
現代に繋がるとまでは言えないかもしれないけど、
やっぱりそこから発展してきてるものっていっぱいあるだろうから。
感覚とか価値観的な話で言うと。
そうそうそう。そうですそうです。
そういうものがやっぱりこの時代からあったんだろうねっていうところで、
この無情感っていうものを今日は取り上げてみましたっていう感じなんだよね。
なるほど。でもそれはちょっと壮大になってしまうんだけれども、
今回日本の思想だけれども、面白いかもね。
この無情感っていうもの自体も平安時代と鎌倉時代でこんだけ変わってるわけで、
ここからその先の江戸時代とか、また現代に至るまで、
この無情感ってものが、もちろんこれらを土台にはしてるんだけれども、
今の無情感とか、この前までの無情感とか、
あんまり一般化するのは難しいかもしれないけど、
類型みたいなのもありそうだね。
果たしてその分けることに意味があるのかっていうのが別として、
なんかありそうだよね。
はいはい、そうね。
今は仏教の話しかしてないけれども、
やっぱり当然日本においては儒学、儒教とか詩学とか、
やっぱりいろんなものがどんどんまた中央から入ってくるわけだよね。
っていう時に、やっぱりそれによってまた再解釈される無情みたいなものとか、
やっぱりそういった再解釈される、
例えば芸術の在り方とか、そういうものもあっただろうかな。
ところでどんどん変化してるっていうのもあるよね。
そうだよね。さっき言った平安時代は特に平安京とか、
思想の変遷と現代への影響
その辺り、都会部か都会はすげえきつかったみたいなのがあったとして、
鎌倉時代はまたそこら辺がね、もしかするとまたちょっと変わってきたとかね、
そういう背景もどうしてもあちこちに入ってきてるだろうし、
今で言うと、これからガチで人工AIとかの存在感が増してきた時の、
じゃあ人間って何?っていうのも無情感の一種かもしれないしね。
あるよね、確かに。
だから、やっぱりそういうAIが対等した人間的事ってなんだっけとかさ、
そもそも生命人類が生きてるってなんだっけってことって、
やっぱり哲学の領域でもあったりするし、
今の問題だけじゃなくて、こういう時にこの世は地獄で生きてる、
逃げられる場所がないって本当に思った時に、
どう考えるかとか、何を頼りにするかだよね。
この時はまだ思想とかがなかったんで、
芸術とか美みたいなものに発展性があったんだろうなっていうのは、
僕自身も発見だったし、結構面白いなって思ったんだよね。
確かになし、この鎌倉時代、まだもう千何百年とかなのに、
確かに思想ってないね。思想を解釈はできるかもしれないけど、
今回の芸術だったりとか、そういう風な表現になってるよね。
そうだね。いわゆるこの当時の思想家がいてとかっていうのは、
もしいたらぜひ教えていただきたいんだけど、
やっぱり調べてもあんまそういう風には言われてる人は少ない、
近いとかいないんだよね。
だからこういう残ってる書籍というか、作品だったりとか和歌とか、
そういうのが読み解くっていう風になっちゃうんだもんね。
すばりソクラテスの、ペラトンが書いたソクラテスの本みたいなの、
そういうのがないっていうね。
ないね、うん。
逆に面白いというか、日本の思想って言ってさ、
洋一代くらいから1700年くらいも経ってるんだけど、
全然思想の話できねえじゃねえかみたいな。
いやー、だし、今回言ってた仏教の完成度が高すぎた問題もあるのかな。
そう、いやー、絶対あると思うな。
むずいよね、確かに。
どんぐらい離れてる?
当時の日本の雰囲気と仏教の世界観離れてるかは知らんけど、
なんだろうね、
自分の子供、5歳の子供にスマホを渡して、
それ全部、リバースエンジニアリングできるかって話だよね。
2、3年で。
なんなら使いこなすのも難しい。リバースエンジニアのどころか、
ちゃんと使うのも難しいみたいな。
それってちょっと日本を比例し過ぎかもしれないけど、
仏教の完成度の高さを考えると、それに近いのかもしれないよね。
あると思う。
さすがに思想的なものもそうだし、前回言ったように、
それに対して仏教っていう制度、
いわゆる僧侶を任命するような国のシステムみたいなものもそうだし、
仏像とかお寺みたいなものが視覚的に存在感があるのかっていうこともそうだし、
それがひっくり返って、一大システムだよね、本当に。
確かにな。そういう人も最長空階とかはめっちゃすごいんだろうけれども、
そこまでやって、でもスマホをフリックしていったら、
あれ?まだこんなアプリあった?みたいな感じで浄土教みたいなのを発見してるみたいな。
それもある意味、自分で考えた思想というよりは、
こんなアプリあったんだっていう話に近いもんね。
近い近い。
このアプリみんな使えば日本人めっちゃ助かるんじゃね?みたいな。便利じゃね?みたいな。
その枠からなかなか出られないっていう。
自分で考えるときは勉強するみたいな話になっちゃうのかな。
それがすごい感じられて面白いというか、実際どうかは知らんけど。
でも実際そうだと思う。やっぱり最長空階も命からがら、
中国に渡ってその場で勉強して本場、本場って言っても中国だけど、
仏教学んだからこそやっぱり影響力を持ったみたいな話だから。
いやーでも難しいね。じゃあ思想は果たして価値がないというか、
オリジナルの思想よりも価値がないのかって言われるとそこは微妙なところだし、
その話をし始めたら中国だって現状がインド一転じゃんみたいなさ。
スクリット語じゃないとわからないものがあるっていうのは同じ姿勢だもんね。
そうだね、同じ姿勢。だからそれは現在的に言うとローカライズだよね、本当に。
各地各地でいろんな文化とかそういうメンタリティがあるから、
やっぱりアメリカで作ったものとかインドで作ったものが日本に合うかって言うと
チューニングしないといけないっていう時に、そこをちゃんと接続してあげるとか翻訳してあげる。
っていう存在は当然尊いよね。
そこでオリジナリティみたいなものは出てくるっていう意味で、
やっぱブッダやべえっていう話はなってくるんだね、どうしてもね。
さらにブッダの奥底にはやっぱりウパラニシャットっていう連綿として見えた種があって。
そこ知らなかったけど、この前の古代インド会で。
っていうのがある意味リスペクトというか、
話広がっちゃうけど、いわゆる創作、ものづくりの人が、
芸術家も多分同じだと思うけど、本当の個性とか本当のオリジナリティってなんだって話ってあると思うんだけど、
そこはあんまり本当のオリジナル、本当の自分があると思うなっていう部分はそういうとこなのかもね。
そういうリスペクトが必要だよなっていう。
本当にそう思う。
やっぱり何言うか一通りで、個人が今は強い時代だけど、プロ時代はそんなに強くないですとかってなった時に、
ちょっと次、まず武士の回ではその辺り話すんですけど、
やっぱり自分がどう使えるかとか、自分がどう生きるか死ぬかとかってよりも、やっぱり大きなものみたいなのが身近だったと思うんだよね。
今の話でもやっぱり自分がどうオリジナリティを出すかってよりは、
音楽なら音楽でもいいし、別に絵なら絵とかでもいいと思うんだけど、絵っていう絵画っていう歴史の中でどう位置づけるかみたいな、
そういうのって絶対必要なわけじゃない?
だからそこまでいくと大げさかもしれないけど、やっぱり自分が生きる中でも、
やっぱり自分ってどう生きるかっていう時に、やっぱり自分だけじゃない、今のような流れとか、
やっぱりそもそもどう生きるのが今の時代っていいんだっけって、やっぱりそこに目を向けるっていうのは難しいけどやっぱり大事?
そうだね、そこ抜けちゃう、そこがないとね、やっぱり自分の居場所もわかんないし、
だから平安時代の陰屯生活してる人みたいになっちゃうよね。
うん、そうなんだよね。
よくわかんないけど、とりあえず離れようってしたけど、どこに離れてるのかもわかんないし、どのくらい離れてるのかもわかんないし、
そうそうそうそう。
みたいな感じで迷っちゃう、迷子になっちゃうよね。
迷っちゃう、そうそう。で結局ここじゃなかったって後から気づくみたいなさ。
ここでもない、ここでもない、あそこでもないって恐怖主義ループ、無限ループに陥っちゃうからね。
もうダメだ、自分の居場所なんかないんだみたいな。
そうそうそう。ってなるのはね、やっぱり大変なんだ。だからこそってことじゃないけど、やっぱりそういう思想の流れとか、
無常観と武士の生き様
やっぱり辿っていったり学んでいくのは面白いんじゃないでしょうかっていう話だよね。
まあそうだね、それが物事を考えるって意味ではそうだろうね。思想の流れだったりね。
そういった感じで今回無情感っていうところを平安幕府から鎌倉とかで見ていったんですけれども、
さっきからお伝えしてる武士、いわゆる戦う人たちの姿勢感を伝えようと思ったんだけど、
意外とそれも難しく、台本作ってみたら。
はいはいはい。
どっちかっていうと、生き様、死人様ぐらいになってしまうんだけれども、
まさに時代だね、平安幕府から鎌倉ぐらいの時代の裏側に、
そういう仏の道をとか、隠遁してとかっていうのと同じように、
武士として、いかに戦に明け暮れてるとか、戦いの道に生きてる人たちがいたわけなんですよね。
っていう同じ時代の別側面として、
そういった武士の人たちがどんなふうに当時生きて死んだのかみたいな、
それももちろん網羅だけにはできないんだけれども、
そういうものを取り上げていくことで、
今回の日本の思想編というのは一旦おしまいにしたいかなとは思っています。
武士の時代背景
ほうほうほう、なるほどなるほど。
これも全然違う世界、同じ時代か本当にって思うんだけど、
やっぱり当時平安貴族の時代から、どんどん武士が力をつけていって、
その社会的な自由を高めていくっていうのが時代だし、
鎌倉時代からまさに武士が政権を取った時代なわけなんだけど、
そういう時にやっぱりその武士という人たちが何をしてたのかというか、
そもそもなんでこんな人たち生まれたのかというところも含めて、
やっぱり知っていくと結構面白かったんで。
それはちょっと次回お伝えしたいなというふうに思ってますっていう感じですね。
はい、わかりました。
では次回ですね、その武士の人たちはどんな感じだったのかというところを見ていきたいと思います。
では引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。