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はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。 よろしくお願いします。
よろしくお願いします。 さあ、前回は平安時代あたりの無常観とか、
価値観みたいなのを探ってきたというところだったんですけれども、 あれだね、あの
その前まで、ただの日本の歴史みたいな感じで聞いててから、 逆に思想な感じが、そういう話になって面白かったね。
そういえば、それって哲ラジオだったわ。 そうですね。逆に言うとね、思想の話に至る前に4回くらい
費やしてしまったみたいなところもあるんだけど、 そのぐらい、思想ってやっぱ難しい。
思想がその土地に根付くって難しいんだなって思った。 前回も結局思想出てこなかったしね。
結局ね、思想そのものはね。 なので、今回もそういう意味でいくと、あんまりその思想そのものの話ではないんですけど、
前回からお伝えしたような武士ですね。 侍と武士が同じかって、ちょっとそれも何か物議ありそうだけど、
武士の自生観とはいかないものの生き様と死に様?
という感じをちょっと辿っていきたいんですよ。 これちょっと何来ても話したんだけど、武士ってさ、やっぱりいろんなイメージがあると思うんですよ。
それこそさ、映画とか漫画とか、いろんな小説も含めて、 武士ってこんな感じとかってあるだろうし、
それこそね、いわゆる戦国武将みたいなものもあれば、江戸の武士とかさ、それこそ爆末の新戦組?
そう、新戦組、新戦組。 だからもうまあ、いわゆる武士の国に入れる人もいるわけじゃない?
はいはいはいはい。 だからっていう風に、やっぱ全然こういうのが、一口にやっぱ武士って言っても全然何だろう、
くれないなってやっぱ思うんですよね。 まあそうなのね、確かに。
例えばさ、武士って言うと有名な言葉にさ、例えばね、武士道とは死ぬこととは見つけたりみたいな、そういう言葉聞いたことある?
うん、あるね。
これってなんかね、葉隠れっていった本のやつなんだけど、これがね、書かれたのは江戸時代だし、
あとはさ、二戸稲造の武士道も有名だと思うんですけど、
これは、江戸時代が最近ね、明治時代、1899年とかなんですよね。
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なので、武士とはみたいな話いっぱいあるんだけど、やっぱりこう、わりとこう、いわゆる近代というか、
現代に近いところで、武士っていうものを振り返っているものはあるんだけど、
本当に当時の純粋な、仮に武士みたいなことを言うときに、それってなんだみたいな話って、やっぱり結構ね、難しいんですよね、取り出すのが。
なるほど。あの、武士のイデアって何?
ああ、まあそうそうそうそう。
武士についていろんなことは、いろんな人がいろんなことを言ってるんだけど、そもそも武士って言うみたいな話とか。
最近、これはすごい余談なんですけど、あの、最近とって漫画をいろいろ読んでるんだけど、
あの、逃げ上手の若気味って漫画知ってる?ジャンプの漫画なんだけど。
ああ、うん。アニメで何話か見たな。
じゃあ、暗殺教室とかさ、描いてる人のね、最新作とかなんだけど。
松井雄生さんのね。
おお、名前まで。そうです。
それはさ、まさにちょうど鎌倉時代の滅亡から室町時代へっていうところの、時代の変化に翻弄される主人公みたいな。
そういう感じの漫画なんだよね。
ああ、そうなんだ。
そうそうそう。じゃないの?そこは。
うん。なんとなく見てた。
なんとなく、そうそうそう。
まさに日本の歴史史実に基づいた漫画なんだけど。
うん。
そこでもさ、やっぱり武士とかだとイメージ湧きやすいと思うんだけど、合戦のシーンになるとさ、名乗りを挙げて、
なんか自分はこういうご先祖様がいて、こういうところの子供で、なんという名前だみたいなさ。
そういうことって実際ね、いわゆるエンタメ作品にもあるし、実際そういう場面もあったみたいなんですけど。
そういう名乗りとかって、なんでそんなことやるのかとかさ。
うーん。
何考えてたんだとかって、意外とわかんないじゃない。
ああ、まあそうはない。確かに。どうしてそんなルールなんていうね。
そうそうそうそう。
で、なんでそんなルール守ってるっていうね。
そうそうそうそうそう。っていうのもあるんで。
そういうところも含めて、さっきのね、そもそも武士ってどこかにちょっとフォーカスすることで、
なんか少しでも光が当たったらいいなっていう風に思っておりますよと。
うんうんうん。
なので、ちょっとそういう武士の起こりみたいな話からしていくんだけど、
これはもちろん諸説ありますみたいな話があるんで、
うんうんうん。
すっきりはしかない部分もあるんですけど、
だいたい武士っていつのぐらいの時代から現れたんですかっていう話していくと、
やっぱりこれは、いわゆる平安時代の、なんだろうな、やっぱり中期から後期ぐらいなんですよっていう話がありますと。
で、これがいわゆる当時貴族社会なわけなんだけど、その有力な貴族とか天皇のもとに、
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警備とか敬語みたいな感じで、こういう武装集団がまず集まってくるわけですよ。
なるほど。傭兵みたいなもんね。
そうそうそう。傭兵みたいなもん。
雇われてんだね、それぞれに。
そうそうそう。
そういうところから始まって、それがいわゆる街の治安維持ですとか、
あるいは東北で道が氾濫しましたとかっていう時に、
ちょっとそれもよろしくみたいな感じでどんどん役割が広がっていくんだよね。
あーなるほどか。そういう風な命令を受けるわけね、やっぱりこういうの。
そうそうそうそう。そうなんです。
で、そうなっていくと、どんどんね、いいけどちょっと武器足りないんでくださいとかさ、
ちょっと馬必要なんで、馬も養わないといけないですとかっていう感じで、
当然物資も増えていくし、経済的な基盤も強固になっていくしっていう感じで、
どんどんそういう力が強くなっていくわけなんだよね。
政治的な発言も含めて、もっといい武器くれよ、あっちじゃなくてこっちにくれよみたいな感じで、
どんどんそういう社会的なツアーが出てきますと。
まあそうだよね。だってね、武力だから大きくなるとね、なかなか手綱にいるのも大変そうだよね。
そうそうそう。大変だしね、当然養わないにはご飯とかもいるからさ、
どう調達するんだとかっていう話が出てくるわけじゃん。
っていう風に、今なんとなく天皇の元に集まりましたとか言うと、
なんかちっちゃな集団っぽく見えるんだけど、それがどんどん膨れていくと、
それはいわゆる一つの、今でいう会社じゃないけどさ、
そういう仕組みが出来上がっていくわけなんだよね。
そうすると当然、物理的に力がある、たくさんの人が武装集団としているみたいな話もそうだし、
経済的にも武具とか調達するようなコネクションが生まれてくるとなると、
結局それはどんどん基盤が固まっていって、それがいわゆる武士になっていきました。
前回言ったんだけど、平安末期っていわゆる戦乱が続いている世の中なんだけど、
結局それは朝廷の権力争いなわけなんだよね。
天皇同士が、自分が本当の天皇だとか、
上皇と天皇が居た時に上皇の方が偉いとか、俺が天皇だとかっていう感じで、
どんどん争いが生まれていきます。
結局は相手を倒せって言って、
元々は敬語だったのに相手を倒すような仕事になっていく。
その士兵同士の争いみたいな感じね。
そうそうなんです。
それで倒したってなると、軍功がどうだとか、手柄がどうだってなって、
いわゆる兵士とか賢士がどんどん大きくなっていきますっていう話なんだよね。
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ちなみに、これも結構有名な話かもしれないけれども、
もともと兵士も賢士もいわゆる天皇に連なるというか、
天皇のある種の武装集団として力を蓄えていったって感じがあるんで、
もともといわゆる貴族とかと繋がりからこの武士ってのが生まれてるわけなんだよね。
ああ、そうなんだ。
それこそどこかのコネってわけでもなく、
ちゃんとした家の人たちがそういう仕事に就いてたとかもあるみたいな話だね。
だからやっぱりそういう秩序もちゃんとあるとか、
優秀正しいところが武士としてどんどん力をつけていきますよと。
そういう武士もいたってことだね。
そうだね。
それで平安の王朝を倒して鎌倉打ち立てたのがまさに源氏、
武士の政権ですよっていう流れだね、歴史的には。
そういった時代の平安とか鎌倉の武士たちがどんな生き様死に様をしてたのか見てみると、
やっぱりこれもまとまったものというか、
当時それを例えば武士とはこういうものだって書き残したものはあんまりないんですよ。
だし、当時の人たちは武士って名乗ってたのかっていう問題もあるよね。
そうね。
もののふとかつばものみたいな言葉で言われてたのかな?
はいはいはい。
っていうふうな形で、いわゆる一般的にされてたってのがあるらしいんだけど、
それが何によってわかるかっていうと、やっぱり平家物語とか、
そういうお話の中でなんですよね。
ほうほうほう。
もちろん一部脚色されたりとか、尻と違うところはあるんだけれども、
いろいろ見てみると、何らかの史実に基づいてるとか、
そんなに後頭無形じゃないというところがわかってきていて、
なので、平家物語とか読み解いていくと、
一定その当時の武士というか平家だったりとか、
源氏という人たちの生き様死に様がわかるでしょう。
っていうふうな研究が結構あるんだよね。
なるほど。
結構ね、面白いのが、さっき言った時代時代によっても、
武士っていっぱいあるよって思うんですけど、
例えばさ、武士といえば、言えるかわかんないけど、
切腹みたいな話があるじゃないですか。
まあ、原斬りはね。
原斬りね、そうそう。原射原斬りみたいな話があるんだけど、
実は切腹するのが潔いみたいな話って、
時代的には鎌倉港から室町ぐらいの話らしくて、
平安時代とかだとそんなに切腹って浸透しないらしいんだよね。
へー、そうなんだ。
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だから平家物語とかで、どんなふうにみんな死んでったんだっけとかって、
研究とかしていくと、
意外と切腹ってなくって、いわゆる討ち死に、
要は敵に囚われて首を跳ねられるとか、
あとは受水、要は海に飛び込むみたいな。
へー。
そういうものが多いんだよっていう話もあったりして、
逆に言うと切腹は潔いっていうのも一つで、価値観とか時代の流れ、
前回言ったような無情とはみたいな話と、結構近い話らしいんだよね。
なるほど。だから、責任取って死にますみたいな時の死に方も、
平家物語ぐらいだと受水なんだよ。確かにそういうのって、
古典とかでも見た気がするよね。
そうそうそうそう。
戦ったところは、もし海だったらあるとは思うんだけれども、
やっぱり当時の考えとして、東かな?
多分そういった方向で受水すると、
来世で幸福になれるとか、浄土に行けるみたいな、
そういうふうな発想があったんだって。
だからこそ、いろいろ読んだ話の中では、
平家の人が家に逃げていくわけだよね、負けて。
中でも、息子が子供に会いたいとか、奥さんに会いたいとかって思って、
本当のルートと違うところに逃げちゃうんだって。
本当は潔く知らなきゃいけないように、
未練が増しくも逃げましたといったときに、
その先で出会ったお坊さんに、
本当は武士としてしなきゃいけないんだけど、子供に会いたいんだとか、
いうふうな話をしたときに、
そのお坊さんから、今世じゃ無理だから、
来世で会えるように受水しなはれみたいな、
自殺を勧められるみたいな。
恐ろしい。
恐ろしいでしょ。
本当はダメだね、仏教。
仏教だけじゃなくても自殺はダメなんだけど、
でも当時の価値観だと、
それが妻と子供の際にできることだみたいな。
まあ、だから、基本やっぱり、
お家に逃げるっていうのが無理だって話だからね、基本。
まあ、そうね、無理だっていうか。
必要っていうか。
まあ、そうね、そうね。
し、やっぱりお家に逃げるにも、
なんだろうな、やっぱりやり方がある。
はいはいはいはいはい。
っていう話らしいんだよね。
だからさっきルート間違えたって話したもんね。
そうそうそうそう。
はいはいはい。
っていう話だったりもあるし、
あとは当時の高潔さみたいな観点からいくと、
これは古典とかで僕もやった記憶があるんですけど、
平野あつ森かな?っていうふうな美少年の話があって、
たぶん話したら思い出すかもしれないんですけど、
15:01
例えばこのあつ森さんも負けて、
フレで逃げていくわけなんですけど、
その時に騎士のほうから、
源氏の武士の玉貝直実かな?っていう人に呼び止められますと。
すごいそこの煌びやかな鎧着てるやつよと。
卑怯にも逃げてるんじゃないぞっていうふうに懲抱されるんだよね。
そしたらあつ森さんがさっと騎士に返して戦うんですけど、
まだ16歳とか17歳ぐらいで全然若いんですよ。
経験も劣るし、やっぱ体格もまだちっちゃいんで、
熊谷さんにピクミックされちゃうんですよね。
そこで熊谷さんがどんなやつか顔見てやろうと兜をあげると、
薄化粧をした若い青年ですと。
自分の息子と重ね合わせちゃって、
ちょっとしのびないから逃がしてやろうっていうふうに言うんだよね。
逃がしてやるから名前だけ教えてくれっていうふうに言うんだけど、
それに対して平野あつ森が言ったのが、
守る必要はないし、お前の手柄になるような人間だから自分は。
首を取って周囲の人間を見せたら誰かわかるから、
それで自分の首を取っちゃえっていうふうに言うんだよね。
要は逃がしてやるって言ってるのに、むしろ殺せっていうふうに言うわけよ。
こういうのっていわゆる武士っぽさというか、
それが潔いんだ、感覚って僕らにもあるじゃない。
やりたいかどうかは別として。
別にやりたくはないけど。
絶対やりたくはないけど、
当時の武士の高潔さみたいな話はやっぱりエピソードなんだけど。
そう言われた熊谷さんも、
でも何とか助けたい、何とか逃がしたいって思うんだけど、
後ろから同じ味方の源氏の兵士たちがワーってきてるから、
どうしてもこれは無理だって言って撃ち取るみたいな。
そういうふうなお話があるわけだよね。
なるほど。
っていう時に、いわゆる潔さとか、死にざま、散りざまみたいな話って、
やっぱりこういうとこにも出てくるし、
他にもいろんな高潔な詩みたいな話は取り上げられてるんだけど、
なんでそもそもこんなふうに言えるのかって話だよね。
いやー、そうだね、確かに。
それももちろん定説があるわけではないし、
別に常識だったってわけじゃないんだけれども、
考え方として、命を惜しむなと。
いわゆる名誉だよね。
それを惜しめっていうふうなこと自体は、
ある程度共通化されたんですっていう話があるんだよね。
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じゃあ名誉って何っていうと、
これもちょっと前回話したかもなんだけれども、
いわゆる個人の名誉っていうより、やっぱり一族か、
家の名誉なんだよね。
それで言うと、それはそうだよって話なんだけど、
やっぱりそこまで単純でもなくって。
そういうのも当時の戦争って、
兵器物語とかでいくと兵士と源氏なんだけど、
そのちょっと前の方言の乱っていうやつだと、
いわゆる兵器と兵器が戦うとか、
源氏と源氏が戦うみたいな感じで、
一族同士の戦いでもあるんだよね。
そこも戦ってたのか。
そう、戦ってた。
だけど上皇と元皇の争いなんだけど、
上皇側にも兵器も源氏もいるし、
最終的には源氏の方は親が子供に処刑されるとか、
兵士の方は叔父が大尉に処刑されるとか、
そういうふうな世界なんだよね。
なるほど。
何かこの戦いじゃないかもしれないけれども、
何か聞いたことあるかも。
家を守るためにこうやって分かれて戦ってた。
自分の家を2つに分けて、
それぞれの方に置くみたいな。
どっちかが生き残るだろうみたいな。
そういう感覚なのかなって。
そういうのは、たぶんちょっと後文字でやった気がするんだけど、
当時の方言の裏みたいな話で言うと、
お互いの家が、
上皇とか天皇とか、
命を受けたからにはやらざるを得ないみたいな、
そういう使命感の方が強かったみたいなんだよね。
自分の家を守るんだっていうよりも、
ついている大将とか、
そっちについていくんだ、みたいな。
そう。
さっき言った方言の乱というものに基づいて書かれたって言われてる、
方言物語って平家物語みたいなものがあるんだけど、
あるある。あるらしいんだけど、
そこでまさにさっき言った源氏の兄弟ね。
それぞれ上皇と天皇から、
その宿命を受けた、
宿命を受けた、
宿命を受けた、
それぞれ上皇と天皇から宿命を受けて、
命を得ているようしますみたいな場面が書いてるらしいんだよね。
兄弟が敵方になっちゃうの?
お互いに敵方になっちゃう。
21:02
はいはいはい。
これで、
俺は上皇を倒せとかって攻めに行ったら、
弟がいるみたいな、そんなイメージ?
だから自分とはやっとが敵っていうね。
そうそうそうそう。
で、やっぱり兄弟を殺すってのは、
当然良くないことなんだけど、
それよりもまさに上皇とか天皇から命を受けたら、
自分の使命を果たさねばならぬみたいな、
そういう忠義があるからそれに基づくんだって言って、
殺し合うみたいな。
逆に正当化していくんだよね。
だから一族労働を守るためみたいな話だけじゃなくって、
そういう名誉のもとに、
一族同士が殺し合うとか、
相手を排斥し合うみたいな、
そういう矛盾を抱えたのがこの時代の武士なんですよっていう話があるんだよね。
なるほど。
だからさっきの兄貴みたいな、
2つに分けて勝った方で残るから、
いわゆる合理的なものっていうよりは、
謝案なし天皇に言われちゃったからやるしかないみたいな。
さっきの兄弟の話もそっちなのか。
例えば親とかが、
こうなった以上兄弟をそれぞれの方につけて、
うちはどっちか残るみたいな、
そういうのじゃないの?
純粋にそういう勢力になっちゃったみたいな。
もう終えない。
もう終えないみたいな話だし。
あとさっきの兄弟の殺し合いもそうだけど、
親殺しみたいな活動もあって、
例えばさっき言った源氏は、
親がここに処刑されてる話をちょっと言ったと思うんですけど、
この処刑も天皇からの命令なんだよね。
父は上皇型についた反逆者だから、
首を跳ねよみたいな。
これを受けたのが源義友さんっていう人で、
この人も最初途方に喰えるんですよ。
嫌なんだ、やっぱり。
嫌なんだけど、
それなんで嫌かっていうと、
個人的に嫌だったかっていうよりは、
親を殺すと仏教的に、
親殺しって大きな罪なわけですよ。
なので仏の教えに背くことになるし、
でも天皇の命令に背くと、
今度は自分が反逆者になってるじゃないかと。
だから親を殺すのが嫌だとかじゃなくて、
仏に背くと天皇に背くかみたいな、
そういうふうな葛藤なんだよね。
24:00
これが今の僕らからずっと理解しがたいというか、
自分がないのかみたいな話をしたけれども、
そこも含めて自分というか、
そこで本気に悩むっていうね。
そりゃそうやって名誉であって、
それでじゃあ親を殺さないとすると、
まさにそれこそその子供の一族、
未来の一族、小さな子供の一族、
その子供の一族、
未来の一族、子孫に悪影響になるし、
逆に父殺しをするって仏の道に沿って、
それはそれで自分の宗教的な価値観として、
やっぱり救われないとか、
やっぱり守られないことになってしまう。
っていうふうな葛藤だよね。
これはしかも面白いのが、
周囲というかいわゆる、
ウバー校っていうのかな、
同じウバーの中で育てられた人みたいな、
人に相談をするので、
したところどんなアドバイスを受けるかっていうと、
いいかと。
子供が親を殺すとか、
兄弟とかで殺し合いみたいなことって、
全然いっぱいたくさん例があるじゃないかと。
だから大したことじゃないし、
天皇に背くって、
やっぱり良くないし、
他の人に自分親を殺さないって言って、
他の人に処刑を頼むっていうのも、
罰が悪い。
ある種功績も失っちゃうじゃないかと。
ということから考えると、
結局お前が処刑をするのが一番いいんだ、
っていう風に言うんだよね。
ただ処刑はひとつも、
ほっそりと首とかを回収して、
寄養をちゃんとするとか、
それに弔うっていうことをやったらいいんじゃない、
っていう風なアドバイスになってるらしいんだよね。
なるほど。
ちょっと節中案っぽいんだけど、
子供が親を殺すっていうのも、
悪いことなんだけど、絶対ダメじゃダメみたいな。
正当化されるっていうのが、
この時代の武士の論理というか、
そういう世界観なんだよね。
なるほど。悩みポイントが違うんだね。
悩みポイントが違う。
そういう話もあるし、
さっき名乗りを挙げた話もあったけれども、
結局は一族みたいな話もそうだし、
やっぱり怖いわけよ、一騎打ちなんて。
それは死ぬわけだから。
そういう時に、観のハヤトがお前を倒すって言うだけだとやっぱり厳しくて、
やっぱりその何々けど、
どこどこから連なる天皇の秩序を引いた、
私がお前を倒すみたいな。
27:01
それを倒すだけの、
お前に品格というか、
価値はあるのかみたいな。
お互いに言い合うわけなんだよね。
なるほど。
ある種、自分を鼓舞するためでもあるし、
相手を倒す価値があるのかとか、
命を懸ける価値があるのかということを、
お互いに理解し合う。
そういうための名乗りだ、みたいな話もあった。
やっぱり武士は死も恐れないみたいなのは、
ちょっと嘘で。
怖いんだけど、いろんなもので怖さを克服して、
家柄とか、
秩序とか、
大義みたいなものに包んで戦ってたみたいな。
なるほど。無駄自分は良くないんだよね。
無駄自分は良くない。
名誉のない死も、
もっと良くないみたいな。
お互いに名乗り合った時に、
あれ?お前ちょっと釣り合わなくね?
ってことはあるってことだね。
あったんだろうね。
お前のためだから、ちょっと帰れよ、みたいな。
生き討ちなんてせずに、
普通に倒すわ、みたいなこととかはあったんだろうね。
そっかそっか。
生き討ちはダメよと。
そういう作法もあるのか。
みんなでやるか、
生き討ちで蹴りつけるかみたいな。
だからまさに、
さっきは逃げようジョーズの、
若気味の話だったんだけど、
生き討ちやろうぜって言って、
生き討ちは勝てないから2人でやるわって言って、
お前に武士の心はないのかみたいな。
でもそれも作戦だ、みたいな。
どこまで真実に基づいているかわからないけれども、
やっぱり誰もが、
いわゆる正々堂々やってたわけでもないだろうし、
むしろもうちょっと時代を下るとさ、
名乗りを上げてさ、
正々堂々やろうとしたら、
鉄砲で撃たれるみたいなさ、
戦国時代とかの話だけど、
だってね、孫子が言ってるよね。
平和起動なりって。
だいぶ昔にさ、
仏教と同じで、
そっちもだいぶ根こぼれてるとしたらね、
大事ですよね、そっちも。
奇策で勝てばいいんだみたいな話もあるわけじゃない?
ただ勝てばいいんだの中に、
人はやっぱり、
あまりにも卑劣なことは良くないよねとか、
30:00
そういうことをすると、
いわゆる一族自が袋叩きに遭うみたいな、
そういう価値観とか世界観っていうものが、
ある種止めなく生まれてきた。
そうじゃないと誰も彼もが、
なんでも悪いとなっちゃうとさ、
やっぱり秩序が持たないじゃん。
いかに武士の時代とはいえ。
卑怯なことをやっても何度目から勝てばいいんだって、
だけだとやっぱり成り立たないよね。
たぶんさっきの天皇の、
どっちが成るみたいな話でも、
別に相手が憎くて全員殺してやろうというわけじゃないもんね。
もう悲し合いじゃダメだから、
力で白黒を捨てようやって話ってことだもんね。
でもそうなんだけど、
平家が滅んだのは、
それで音頭を上げて、
宮本よいともを生きながらさせしまった、
いうのにあったはずで。
平家物語の中では、
平家の清盛は、
それを崩壊しながら死んでいくみたいな、
そういうのもあるから、
やっぱり本当は皆殺しにした方が良い。
その権力だけを考えるとね。
めちゃくちゃ危ないっていうね。
そういうのもある時代っていう話だよね。
今ちょっといろんな話をしちゃったんだけど、
当時の平安末からつまぐらって考えると、
やっぱりまだそこまでの倫理観とか、
武士とは発達しないからこそ迷うし、
天皇の権威とか、
そういうもので自分を立ちしようとする。
まだまだそういう価値観の中で、
生きたり死んだりしてましたっていう話だし。
さっきというか、
前回から仏教ってすごかった、
その答えを用意してくれたとは言ったんだけど、
仏教の論理だけでも、
やっぱり武士の価値観、親を殺していいのかどうかとか、
それって抑え込めないっていうのは現実があった。
それが不義理であるとか、
御恩と奉公というもので、
ちゃんとここまでは働くべきであるとか、
っていうのが出てくるのはまだ先なので、
そういう生々しい現実、
要は戦うってことが役割であるときに、
社会的にも地位としてまだやっぱり緩いからさ、
そういうものが出てくる。
そういうものが出てくる。
地位としてまだやっぱり緩いからさ。
いかに武士としてとか武家としての自分の家を、
やっぱり社会に位置づけていくか、
っていうところがまだまだ混乱した時代の
武士って感じなんだよね。
面白いね。だからそうだね。
戦国時代とかと全然違うんだな。
33:01
なんだろうな。
あるいはその、
まだ貴族にぶら下がってるというか、
まだ自我みたいなものがちゃんと
なかったり、
認められてなかったりっていう意味での、
家のことが、
ちょっとまたタイトに出たとおり、
まだ固まってない感じがするね。
上が言うから仕方がないみたいな、
そういう感じがなんかするね。
でもやっぱり天皇とか貴族の
権力の中にある武士の在り方だし、
それが200年、300年とか経って
戦国時代になると、やっぱりこの武士で戦う中で、
勝った人が天皇統一するぞみたいな、
そういうルールができるっていうのが
まだまだ先なんだよね。
そうだよね。さっき言った言語と方向になると、
平安時代は貴族の
お抱えの士兵みたいな感じだけども、
もう武士が自立して、
貴族にぶら下がってんじゃなくて自立して、
自分たちがここを収めるみたいな
権力みたいなものを持っていくと、
また全然話が変わってくるんだよね。
トップの
他の武士を使うような
武士がならではの
価値観とか悩みもあるだろうし、
方向する側ではないです。
忠誠を誓う側の
武士の振る舞いとか、
価値観も多分違うだろうし、
そこを下国上みたいなものだったりとか、
ちゃんと命をかけて上のために戦うんだっていうところの、
なんでそれが同時に起こるの?みたいな
矛盾してるかもよいけど、実は
同じ価値観というか、
こういう連動で動いてるんだぜみたいなのが、
全然平安とはまた違くて面白い。
僕だけかもしれないけど、
僕が持った武士のイメージって、
戦国時代とかの、
家のためにとか、天下統一のためにっていうイメージが強かったから、
平安初期みたいなことを言ったときに、
まさに家を得てくれたような貴族っていう、
やっぱり時代の中で、
武士としてどう身を立てるかとか、
家っていうものを設立していくか、
その苦悩から来る、
でも人を殺さねはならんとか、
親も後代も殺さねはならんみたいな、
極限の世界だよね、本当にそれは。
それはちょっと謎だよね。
兄弟とか、扱いが今とは違うというか、
そういう可能性があるのに、
36:01
別々の勢力に、
同じ家の兄弟は別れてついてるみたいなのが、
それはそういう価値観だったんだろうし、
その可能性はあるのに。
一方で、一族の中の争いとか、
例えば平家の中でも、
その度に狭いなとか、
俺も権力欲しいなとかっていう時に、
一族の中での権力争いとかもあったみたいだから、
そういう複雑性の中で、
つったんだろうね。
今でもあんのかもしれないけどね、
大きい家とか名家みたいな人としてはさ、
本家がどうだとかってあるだろうから。
分かりやすい。
分かりやすいだろうから。
それの殺し合い版みたいな感じですよね。
血生臭いバージョンだね。
まさに。
そんな感じで、当時の武士、
特に平家と源氏いたところで話してきたんですけど、
さっき言った通り、
生き様死に様って言っても人それぞれみたいで、
家族に会いたすぎて、
戦地から逃亡してましたみたいな人もいれば、
それこそ来世で会いたいって言って、
自殺をするとかもあるし、
あとはね、ギリギリまで平家の人で逃げたんだけど、
でも視力を尽くして戦って、
いよいよ大使を追い詰めたみたいな時に、
やっぱりうまく逃げられちゃって、
そこでこれ以上は無理だって言って、
でもただじゃ死なんぞって言って、
平家の平氏3人と、
まさに崖から飛び降りたみたいな、
そういう平家のもさみたいな人もいたりするんだけど、
やっぱり本当に千差万別いろいろあるが、
根底にはさっき言ったような、
命を惜しまずに名を惜しむみたいな、
惜しんでる人もいるんだけど、
そう、そういう人もいるんだけど、
やっぱり自分のこの命っていうものの価値が、
相対的に低い時代、
その中での武士の在り方っていうのが、
今からすると容易には理解できないけど、
やっぱり興味深いなとか、
どんな時代の平家があったんだろうっていうのを知ることが、
やっぱり面白いなっていう風に思ったんですよね。
なるほど。
結局思想はないね。
今日は平安時代の話。
前回の鎌倉時代ですらなかったから、
それはないんだろうけれども。
逆に言うと思想がないからこそやっぱり悩む。
武士とはこうあれば楽じゃん。
難しいね、確かに。
そういう意味ではさっき言った、
親殺しは仏教に卑怯というか、
39:02
教え違反する、どうしようみたいなものを、
あれにしない。
それは自分の一部になっているとしたら思想ではあるから。
そうだね。
独自の思想というより、
そういう矛盾を超えて出てくるような思想って、
やっぱりもうちょっと先なんだよね。
武士一般として天皇に命令されて、
親を殺してやる時にはこうすべし。
武士独特の思想とかってやっぱりあったけど、
そこまでは行かないし、
でもやっぱりそれがないからこそ、
悩むよね、考えるよね。
あるいは前回言ったような、
芸術とかで発展するということも一時あるなと思って。
私は本音と立て前みたいな話で、
親を殺してやったけどどうしようみたいな時に、
アドバイスとしては、
現実的なアドバイスがある。
それもまた面白いというかね、
ルールの中でどうするか。
うん。
逆に今回の日本の思想って言って、
思想が出てきませんでしたみたいな感じになっちゃってるんだけど、
それは後付けではあるんだけど、
思想がないというか、
ファクタル独自思想がないというか、
ファクタル独自思想がないからこそ、
やっぱりできることとか、
向き合わなきゃいけない課題もあるなと思った時に、
ある種、
愛がないという状態とか、
心理がないと分かったみたいな話は近いんだけど、
だからこそ、
やっぱり悩むとか考えるとか、
そこに意義を見出していけるという部分も、
すごく良い意味で言うとあるかなって思ったんだよね。
よく言うと、
柔軟性があるのかもしれない。
裏返しとしては、
ファクタルものがないとか、
時々流されちゃうって言ってたものも、
これはもうコインの裏表だからさ、
難しいとは思うんだけど、
よく言われるね、
そういう思想的にも、
唯一無二のものがあるというよりは、
いろんなものが織り混ざっている。
仏教もそうだし、
神道もそうだし、天皇もそうだし、
いろんなものがあるからこそ、
柔軟であるっていうのは間違いないんだなと、
改めて思うよね。
そんな感じで、
ちょっとね、あまりにも
歴史っぽくなりすぎたなというか、
哲学っぽさが消えかかってると思うので、
次回ですね、
ちょっと名前出したんですけど、
42:02
まさに日本の哲学書といえばっていう感じで、
西田貴太郎さんですね。
次はまた1テーマで
そこを取り上げたいなと思っておりますよと。
そこと絡めて、
そもそも哲学って日本にどう入ってきたのか、
どんな国に広まってたみたいな話っていうのもあるかなと思うんで、
その辺りを含めて、
日本の哲学、西田貴太郎さんというところを
テーマとしてやっていこうと思ってますっていう感じですね。
でも面白いよね。
こういう日本に、ある意味、
現代に来た時に出てきた日本の哲学者って言いましたもんね。
そうだね、そうそう。
いわゆる朱子学とか蘭学みたいなもので、
学者さんとか国学とかも含めてあるもあるんだけど、
哲学というとちょっとむずいみたいな話があるんだよね。
武教と似たような話になっちゃうもんね。
外から来たものを学んでますみたいなね。
そうですそうです。
やっぱりいわゆる明治とかの
哲学とはもちろん西洋から入ってきたものではあるんだけど、
それまでなかったまさに
理想とか哲学ってものをどう受け入れるのかとか、
そこにどう立ち向かうのか、
そういう話があるんで、
そういったあたりをお伝えしていこうと思ってます。
というか僕もこれから勉強またちゃんとするんですけど、
いつも通りですね。
それを一緒に学んでいこうと思ってますっていう感じですね。
だからまさに武教来たときに、
これ何?っていうね、
これすごいぞっていうのと同じような感覚かもしれないもんね。
哲学入ってきたと。
これはすごいよね。
それ以前から考えてきたものだから、
あるいは武教と並んで、
人々が練り込んでいくものにバッと入っていくと。
どうするかって話だよね。
そう。
それを次回まさにやっていこうと思ってますって感じですね。
分かりました。
今後も哲学者を倒すんでいきたいと思いますので、
一日よろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。