空海の密教ってあれというのは密教の中でも前回おっしゃった通り、そもそもインドから始まって、
中国だったり日本だったり、あとはチベットとかそっちの方に行ったり、いろんな密教があるので、
あくまでも空海の密教みたいな話で言ったときにですね、
すごい核心となるコンセプトがあるんだみたいな話がどんな本とか読んでも書かれていて、
それが促進成仏っていう言葉ですと、
促進成仏って聞いたことあるっていうか、聞いたことあるかもしれないですけど、
どこでって言われたらわかんないよね。
そうだね、私言葉としては聞いたことあるけれども、これが密教と繋がってはいないよね。
なんか仏教とは繋がってるけど。
そうだよね。
前回兄貴も禅師の仏教ちょっと詐欺じゃないみたいに言ってたと思うんですけど、
すぐに悟れると思ってたみたいな。
みんな仏になれるよって言ってるけど、でもそれは三行儀みたいな、
無限大かける三みたいな、どうやねんみたいな。
そういう力をかけないと悟れませんよみたいな。
そうそうね、だって南無阿弥陀仏って言えば悟れるとかってさ、
ふわーっとそういうイメージなんだけど、
せめて南無阿弥陀仏って言った瞬間、シュンって悟るとかないにしろ。
南無阿弥陀仏って言ってちゃんと信じて、人生を全うして死んだら極悪浄土に行けるぐらいの感覚でいたから、
嘘じゃんみたいな、無限大じゃんみたいなね。
いいですね、それは神蘭の浄土神宗ですね。
じゃあその認識は正しいんだ、うち浄土神宗だから。
そうですね、神奈川県浄土神宗だからそれはたぶん正しくて。
じゃあそこもいろいろあるというか、なるほど。
神蘭とかの方が当然時代は後だから、さらに空海とか西条とかを引き継いでやってるわけではない。
次回まさに神蘭やってもいいかな、神蘭というかそのあたりの鎌倉仏教というのかな。
法念とか神蘭とか一遍とかさ、歴史でやったと思うんですけど、
ああいう人たちはやってもいいかなとは思ったんですけど、
ちょっと空海の話に戻ると、
当然みんな仏になれるよ、でも無限の時間かかるけどねみたいな話って、
それでもほぼできないとイコールじゃんみたいな。
本当にね。
ごめんごめん、本当にムチすぎてさ、
さっき言ったような神蘭か浄土神宗みたいな概念はまだ大乗仏教にはないわけなんだね、この時代的に。
ないない。
それは新しいコンセプトなので、
その時代はそうではないんだよね。
そこが全然感覚なかったから。
そうだよね、確かに。
歴史が違うというか、遡っていくとそういう時代なんだけど、
そこに対して、そんな無限大な時間なんてかけなくても、
今すぐ、もっと早く仏になれるのが密教なんですよ、みたいなことを言っているんですよね。
これは空海だけがっていうよりは密教のコンセプト自体にそういう発想があります。
前回あった通り、当時のインドは他の宗教とも戦わなきゃいけないというか、
それだとより魅力的なニーズというか、
そういうのもあったってことだよね。
お互いね、運営側も信じるフォーマーみたいな。
そうね。
だから予想が別の戦略らしいからこっちも負けないようにやらなきゃみたいな、
本当にそういう感じだと思うんだよね。
ちょっと価格競争じゃない、今日ね。悟り競争みたいな。
悟り競争。
それをどうやってとかってなると、かなり修行の細かい話なんてマニアックになっちゃうので、
今回はそっちの話っていうよりは、どっちかっていうと、
即身成仏って何みたいな、早く悟れる、早く仏になれるよとは言うものの、
それって結局どういうことなのみたいな話をですね、
ちょっとお伝えしていきたいなと思ってるんですよね。
よくよく考えると、気になればなるほど、
自分が仏になるって何?って思うじゃないですか。
まあ確かにそうだね。
何をもって仏になりましたって免許廃電になるのか。
そうそう。
誰がどうやって補償してくれるの?みたいな話があると思っていて、
実は空海はそこに対してかなり深く考えていて、
実際に即身成仏儀みたいな、即身成仏をテーマにした一つの本を書いてるぐらいなんですよ。
そんな大きなテーマなんだね。深いテーマ。
いろんな本で書いてるんだけど、
やっぱりそういう即身成仏ってそのぐらい中心になるようなものなんですけど、
もちろんその中でも修行の話を含めていろんな話をしているんだけれども、
僕はいろんな話を読んだりとか、空海のことを勝手に想像したときに、
やっぱり3つぐらい乗り越えなきゃいけなかった問題というか、
それまでの仏教の課題っていうのがあったんじゃないかなっていうふうに思ったんですよね。
なるほど。
確実的にこの3つが空海は乗り越えた話ですとかっていうわけじゃないんだけれども、
自分なりに整理した3ポイントを今回と次回ぐらいでお伝えしたいなというふうに思っております。
なるほど。本人ずばりこの3点ですって書いてたわけじゃなくて、
本読んだ漢字をまとめるとこんな感じかなっていうのを早くまとめてくれたやつってことね、今回は。
その通りです。
早速一つ目みたいな話をしていきたいんだけれども、
1個で大きいのは今言ってどうやって今この身このまま自分自身が補助になるかっていうことなんだよね。
これまでの仏教、大乗仏教とかでいうと、
基本的には修行を通じて自分自身の汚れとか無知、
今日は人間って正しいことを知らないとか、
釈迦の時にもそう思うんですけど、
いわゆる物はあるとか、自分がいるとかっていうそういう妄想にとらわれていて、
それを正しく認識しないからこの世に縛り付けられてるんだみたいな、
そういう発作がもともとの仏教にもあるわけですよね。
大乗仏教はその修行を通じてそういう無知を乗り越えて正しい認識になると、
おねはんに行ってそこで仏になれるんだみたいな、
むしろ仏になることがおねはんに行くっていうことなんだみたいな、
そういうストーリーで説明してるわけなんですよ。
ちなみに悟るっていうのとおねはんに行くってのはイコールではないのかな?
ほぼイコールと思ってもらって大丈夫。
ほぼイコール?
うん。
例えばブッダが五大寿の下で悟りましたという時には、
その時点ではまだおねはんにはいないのね。
まだ現世にいるというか。
肉体としての、存在としてのブッダ、お釈迦様は現世にいる。
いて、悟った、その後それを広めるな、いろいろ教えるなにして、
お腹痛くなって亡くなっちゃった。
そこで現世で死んだ瞬間というか、その後おねはんにはいったはずみたいなイメージなのかな?
多分そうかな。
お釈迦様の時代、基本的には悟るイコール、
ねはんに行く、ニルバーナに行くみたいな感じだから。
チケットではあるわけね、悟ることの入場券。
お釈迦様もいったいであろうっていう話になってるんじゃないかなと思う。
逆に言うとお釈迦様みたいなものすごい人だったら、
悟った上で現世にいるってことができたと思うんだけど、
でも普通に考えたら、現世で人間としての自分が仏になるなんてことはできない。
だからこそ無限大な時間がかかるよって言われてたわけだよね。
そもそも悟るっていう状態だったり、チケットをもらうという状態がまず困難だって話ね。
困難だ、そうそう。
この地球っていうところでは多分できなくて、
ねはんみたいな別世界だったらできるけどね、みたいな。
じゃあちょっと違う。チケットもらってからねはん行くんじゃなくて、
ねはん行ってから悟るみたいな。
そっかそっか。
前提の話をするとね、
今日の世界では仏様の世界から、人間の世界から、動物の世界からっていう風に、
それを佐藤について言うには、
結構この人間界では、
佐藤を維持する努力が、
カロリーが半端ないよみたいな。
死んだらそっちに行けるかもしれないけど。
これがやっぱり空海の密教で出てきた問題で、
大乗仏教とか、
取ったらOKみたいな。
取った後のことは、
考えなくていいわけよね。
苦しみから逃れられるとしてるんだね。
してるし、それがゴールだから、
無限の先にゴールを果たしたら、
それでOKなんだよ。
来世以降のことも含まれてるから、
今生苦しいのはしょうがないでしょって。
当たり前。
まだ悟ってないでしょ。
次に生まれて、来世でも来々世でも、
そういう世界でも結局、
仏を目指して頑張るんだと。
面白い。確かにそれだと、
仏になるっていう感覚があるね。
それまでは苦しさ我慢しなさいよ、
その後は解放されますよ、
みたいな雰囲気がするね。
大学受験みたいな話なんだよね。
受験受けたら楽になれるとか、
ゴールだって思ってやっちゃうと、
入った後も大学生活続いていくから、
大変みたいな。
そんな感じだと思うんだよね。
どうやったら修行をして、
仏になるっていうのを達成できたとしても、
生活っていうものをちゃんと送れるんですか、
みたいな話が出てきたときに、
結局答えは結構シンプルで、
それを分かりながらも、
やっぱり修行を続けるんだと。
そうしているうちに、日常的な行為の一つ一つ、
それこそさっき言ったご飯を食べるとか、
朝起きた時のその瞬間とかも、
仏の在り方に近づいてくるから、
毎日でも仏としての在り方に立ち戻れるんだよ。
こういう意味での促進成仏が、
速やかに未仏となると言われていて、
要はすぐに仏になるんだと。
要は一回なった後も、
またすぐに仏に戻れるっていう、
そういう生ききってのはしょうがなくもあるんだが、
それっていうのも織り込みながらやっていこうぜ、
みたいな感じなんだよね。
なるほど、なるほど。
なので、今言ったように、
促進成仏っていう人の言葉でも、
すなわちの身になれる仏っていう、
そもそもみんな仏なんだよっていう話と、
身に即して仏になるっていう、
この私が仏になるんだっていう成仏、
一般的に理解されている意味での成仏っていう話と、
あとは、成仏した後も生きていかなきゃいけない時に、
速やかにこの身が仏となれるんだから、
一回なった後にまた人間に戻って、
悲しい、辛いとかじゃなくて、
ちゃんとそこを生きしようぜ、修行し続けようぜ、
みたいな、そういうストーリーが込められている、
っていうような話らしいんですよね。
なるほど。
日経を通じて悟った人の結構切実な、
悩みな感じも伝わってくるね、これは。
そうだね。
悟ったはずなのに辛い、みたいなね。
これは悟ってないのではないだろうか、
いやそうじゃないんだ、みたいなね。
そうです。だからやっぱり前提が変わると、
その後に出てくるものも変わるっていう、
本当にそういう話だと思うんですけど、
ここで加えなきゃいけないのが、
実は空海の説明っていうのは、
説明できるなと思って、今分かりやすい、
まだ伝えやすい話をしたんですけど、
空海に本当のところを言わせると、
この神成仏っていう言葉はね、
密教の何か、一つのコンセプトを説明しようとしているんじゃなくて、
この4つの文字の中に、
密教のすべてが込められているんだ、
ぐらいのことを言っているのね。
そうなんだ、説明どころじゃなくて、
これこそがイコール密教だと言っているぐらいの話。
そうそう、これに全部密教の考え方が含まれているんだ、
この4つの文字の中に。
これって比喩的な意味で、
それだけ大事なんだっていうことじゃなくて、
例えば、今言ったように束っていう、
束団とか束日の束ね、
体身体の神っていう言葉にも、
それぞれいろんな意味があるし、
それを組み合わせた促進っていう言葉も、
いろんな意味に関してができるらしいよね。
なるほど、なるほど。
例えば、一つの例として、
促進っていう言葉を事故と関係している他者を含む言葉なんだ、
っていう風に言っている箇所があるらしいんですよ。
だから、この促進っていう言葉で、
自分っていうことじゃなくて、
自分も含む他人だから、
自分には兄貴観音共助という存在が含まれるとか、
当然人間だけじゃなくて、
仏とか他の生き物も全部含んで、
そういう自分が含まれる世界っていうことを、
もう表すんだぐらいの広がりのある言葉だっていう風に
言われている箇所もあるんだよね。
これは実空間の本の中にあるんだけど。
そうなんだね。
そうか、促進って言うと、
さっきね、自分のことだけ自分が悟れるのかどうかみたいな
主点になっちゃうけれども、実はそうでもない。
そう。
そもそも、また空の話を出しちゃうけど、
空の中で自分というものもないし、
自分と世界は一体だみたいな感覚のことを
言ったと思うんですよ。
この私がって言った瞬間に、
限定しすぎちゃうというか、
そうなると結局、
この私っていうのは世界と繋がっていて、
世界と同一。
しかもその世界には仏も含まれるわけだから、
そういった存在としての私が、
もともと仏であり、
仏にもなり得る。
そもそも、
中にも仏の理というのはあるわけだから、
その仏の理を私を通して
世界に表していくんだぐらいの、
そういうようなことの説明にもなっちゃうんだよね。
わー、なるほど。
はいはい、
ちょっと前回、
ヴィトリエンシュタインっぽいみたいなのも
わかる気がするね。
促進成仏っていうものを理解した後は、
促進成仏を捨てなさいみたいなね。
ハシゴを外しなさいみたいなさ。
この促進成仏だったら、
世界観を理解するためには、
この促進成仏の概念を理解する必要があるんだけれども、
悟った後には、それは全部一つなんだよ。
一つでもあり、全でもある。
何も説明してないじゃん。
っていう風に見えちゃう。
感じがするね。
ほんのりそうだと思うし、
前回はさせた通り、空海は密教の話で言うと、
これまでの仏教を兼業って言って、
要は、表れている、
理解しやすい、
言葉で表される仏教だって言ってるわけなんだよね。
言葉でもちろん空海も
喋るし、書くんだけど、
言葉っていうのは、
いわゆるただの言葉じゃなくて、
仏様大日如来が語った言葉だから、
普通に読んじゃダメだし、
一つ一つの言葉に、
いろんな意味が織り重なってるんですよっていう、
そういう世界で受け取ってくださいねっていう話ではあるんだよね。
なるほど。
しょうがなく使ってるんだね。
しょうがなく使ってるし、
ただ空海はそれを理解して使ってたんだろうって言われてるから、
空海が使う言葉は、
僕らの普通の言葉ではないみたいな。
そこも空海もできる限り、
1個の言葉でも何個も意味があって、
みたいな話はしながら書いてくれてるってことだよね。
そういうことです。
注釈書いてくれてると。
そうじゃないとさ、
あっていう言葉に宗の全てと仏の全てが含まれているって言ってさ、
あしか言えない人だったらさ、
ちょっとその中に無理じゃん、その理解は。
まあね、そうだね。
はいはいはい。
今回は確かにハイトが3通りね、
促進成仏の読み方というか、
解釈を教えてくれたけれども、
すなわちというものに、
100個くらい意味があったとして、
100×100×100×100だから1億くらい?
そうだね。
解釈の方法はあるし、
仏教的に言わせれば、
すなわち即無限の意味があって、
さっきの3アコーディじゃなくて、
4アコーディくらいの意味がありますよみたいな、
そういう話をしたいくらいの気持ちなんだろうね、
したいくらいの気持ち。
そうだね、そうだと思う。
無限っていうのもさ、
無限とは何かみたいな話も僕もちゃんとわかってないんだけど、
要は、
それってやっぱ1とか2っていう発想があった上での無限だと思うんだよね。
でもさ、
仏教は一と全は一つとか、
そもそも分かれてない、
主客、身分みたいな話をするから、
そもそも無限っていう考え方に、
どういう意味があるのかみたいな話になってくるんだよね。
どっちかっていうと、
それは全体性であるとか、
分けて考えちゃダメだみたいな話なんだと思うんだよね。
数の大きさとか小ささで、
無限っていうのを捉えてる時点でちょっと、
イメージ違ってるかもねっていう話ね。
そうですそうです。
仏教の中での数学史みたいな話はめちゃめちゃ面白くて、
そんなのあるんだ。
やっぱりめちゃめちゃ途方もないんだよね、
仏教の中での数の大きさって。
10の60乗みたいな話とかもあるぐらいなんだけど、
3000対1000世界みたいな感じで、
1つの世界が100個あって、
それがさらに何千個もあるみたいな、
すごく途方もない世界観を結構持ってるんですよ、仏教って。
じゃあそれはそれで、
無限とは別の概念で、
数としての大小、ボリュームとしてそれを捉えてるんだ。
そうそう、一定ね。
だからやっぱりその仏教の数をどう捉えたかとか、
どう触れ合ってきたかみたいな話は、
テーマも受けて一回お伝えしてみたいなって思いましたね、
改めて。
いやでも面白いよね、
そういう数学的な概念もあった上で無限みたいな、
1は全みたいな無限あるみたいな、
そういうとこもきちんと論理的に、
世界観の中で説明し尽くそうとしてる。
そうだね。
やっぱりそこの説得感があるんだね。
無限を信じてるわけじゃないっていうかね。
そこだけじゃないみたいな。
それは面白そうだね。
数学はあんまり好きじゃないけれども、
その話は興味あるね。
そういう話もいろいろありながらなんですけど、
まず実は1個目の説明で、
どうやって自分が細けになるんだ、
それってどういうことだみたいな話で、
だいぶ時間を使っちゃったんですけど、
残り2つは次回またお伝えしようと思ってるんですけど、
内容だけお伝えしようと思うと、
今日促進成仏の3つの話はしたんだけど、
これは全部自分が細けになるとはどういうことかっていう、
1つのテーマの話しかまだしてないんですよ。