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  2. #76 仏教を生み出したインド哲..
2023-01-15 33:50

#76 仏教を生み出したインド哲学の凄さ!3000年前の思想ってどんなもの?

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。


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00:00
♪~
はい、それ鉄アジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
このラジオは、身近なテーマをきっかけに、哲学について楽しく学んでみようという番組です。
哲学好きの弟と、哲学に馴染みのない兄の兄弟二人でお送りしていきたいと思います。
改めまして、兄の寛之驚介です。
弟のハヤトです。よろしくお願いします。
前回禅をやりまして、雑談挟んで今回から時代を遡って、印度哲学というものを扱ってもらえると聞いてましたが、どんな感じなんでしょうか?
そうですね。印度哲学自体はもちろん現代にもあるんですけど、その源流というか、まさにブッダよりもちょっと前の時代に、なんでインドでそもそも哲学が生まれたんだみたいな。
確かに。
そう、そういう話をちょっとしていきたいなと思っております。
時代的にはどのくらい昔なのよっていうと、前回、バソ・ドーイツという、当時代の人って言ってたじゃないですか。
そこからさらに1000年前とか、紀元前でいうと1200年とか紀元前800年とか幅があるんだけど、
ブッダは紀元前5世紀くらいに活躍する人ですけど、さらにその100から200年前くらいの時代って思っていただければなと思ってます。
ただやっぱり、印度哲学自体は別に、今の日本でめちゃめちゃ盛り上がってるわけじゃないんですよ、多分。
そこで言ったら、印度哲学界の人が怒られるかもしれないけど、でも多分盛り上がったって聞かないじゃないですか、普段生きてて。
というかね、哲学自体が盛り上がってないから。
あーあーあーあー、勝手に盛り上がってると思う。最近さ、僕ラジオやってるからさ、哲学面白いよねっていう人の声をいっぱい聞くようになったから。
それはあれだよ、SNSでよく言われる、なんとかバイアスみたいな。
バイアスでしたね、哲学盛り上がって。ちょっと盛り上げていきたいですね、セミネルと。ありがたいね。
やっぱりそういうと、一般の話を聞くと僕もちょっとセットされるからさ、ちょっともっと哲学頑張ろうと思うんで。
インドの話に戻ると、とはいえヨガとかさ、やっぱり周りでやってる人とかいる?ヨガ通ってるって言うとあれだけど、ピラティスとかヨガとかさ。
でもそうだよね、最近ジムも手軽なジムも増えててさ、そこでやってる人が見えたりとか。
ウィーフィットが出てからさ、リングフィットアドベンチャーとかもそうだけど、やっぱりあれでヨガのポーズとかってさ、流行ったりしたじゃないですか。
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あれも元々ヨガを元に、ヨガってインド哲学とかそういう修行を元にしてたりするものだったりするし。
そうなの?そっから知らないやん。
そう、実はそうなんだよ。
仏教だと思ってた。
そうよね。あれはね、どっちかって言ったらインド哲学なんだよね。その修行、ヨガっていうものがあって。
そこは違うんだね。もうちょっと上で枝ばかりしてるやつなんだ。
そうそうそう。あとまぁ、これもちょっと狭い話かもしれないんですけど、いわゆるアロマとかボディケアとかだとアーユルベイダーっていうのがあって、それが結構インドの伝統的な医療に基づく健康法というか、心身を伝える方法とかもあったりするんですよね。
名前だけは聞いたことある。そうなんだね。これもインド哲学的な方の話なんだ。
うん。実践みたいな感じで、それ自体は哲学そのものではないんだけれども、やっぱりそういう大元にはそういった発想とか思想があったりとか、哲学があったり。あとはその元々インド哲学自体は、仏教とかもそうだけど、やっぱり西洋哲学に比べると結構実践?
そういう事を修行をするとか、まあ苦行とかもそうだけど、そのと深く結びついているから、ただ頭で考えるよりは、やっぱりどう生活を豊かにするかっていう意味では、医療とか健康とかと繋がってるんだよね。
なるほど。
うん。そもそも何で自分がインド哲学を曲がりなりに学ぼうというか、しろうと思ったかっていうところも話したいなと思うんですけど、そこは実は元々は僕も全然知らなかったし、興味もなかったしなかったんですけど、
その仏教を学んでた時に、ブッダというかゴータマシッタルタがやっぱり乗り越えようとしたのが、このまさにインド哲学なんですよね。
そうなんだね。バラモン教みたいな話は聞いてたけど。
そうそうそう、言ってたんですけど、当時はインド哲学が主流というか、そういった考え方があって、そこに対してそれを乗り越えて、また違うアプローチでけだつとか、
ある種苦しみから逃れる方法をたどり着こうといったのが仏教だしゴータマシッタルタなんですよね。だからある種誤解を承知で言うと、仏教もインド哲学の一つの流派というか、流れから出てるものだし、
あとはこれはその後の哲学の流れとしても全部そうですけど、やっぱり偉大なものを乗り越えるみたいな流れっていうのが、やっぱり哲学ってあって、
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他のものもそうかもしれないけど、やっぱりプラトンを批判したアリストテレスとか、当時有力だったアビダルマ仏教を乗り越えたナアガルジナとか、
あれは西洋の神学を乗り越えたデカルトとかもそうだと思うんですけど、そうやって偉大なものを乗り越えて、主流のものを乗り越えて偉大な哲学が生まれた時に、
やっぱりそれ仏道とか仏教っていうものを生み出したインド哲学って何だったんだろうみたいなことがすごい興味を持って。
なるほど、そっかそっか。確かに仏教というものをもっと深く知ろうっていう時に、そこは必須だったんだね、土台として。
そうだね、必須かどうかは知らんけど、知りたくなったって感じね。
そうなんですよね。もっと言うとね、それも調べてたらなるほどっていうのがあったんですけど、そもそも人類の歴史って色々あるわけじゃないですか、何千年という歴史がある中で、
哲学っていうのは実は3つの流れしかないんですよね。
へー。
っていう風に言われていて、一つがこれまでやってきたギリシアとか西洋哲学、あともう一個は中国でしょ、諸子学科というような孔子とか老子とか、
あともう一個がインドなんだよね。
そうなんだ、3つ。
神話、神の話っていうのはどの民族とかどの地域にもあるんだけど、哲学って言われるぐらいに論理体系を持つとか、そういう言葉が定義されていて、構造的に扱われているものはこの3つしかなかったと言われていて、
なるほど、信仰みたいなものは世の中にたくさんあるけれども、哲学ってものはこの3つの流派というか、どこにしか生まれなかったって話だろうな。
そういう風に言われています。
へー。
そういう哲学史的にも、なんでこの地域とかこういう場所で哲学が生まれたんだろうとか、というのは結構面白くて、そういうところも含めて今回インド哲学での取り上げようかなというのも思いました。
はいはい、かなり遡る感があるね。哲学とはどこで生まれたかみたいなね。
そうね、なぜ哲学が生まれたかみたいな話になるので。
やっぱりブッダ、原始仏教とかでもすでに原点というかね、源流にたどり着いたかなと思ったけど、まだあったんだみたいなね。
そうそうそうそう。それで言うとね、やっぱりソクラテスとかもその前にあるイオニアかな、タレスとかまさにそういう人たちがいた哲学を引き継いでとか乗り越えているみたいな話もあるし、
やっぱり遡っていくと本当にね、神話の世界とかがやっぱり行き着くんだよね。
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なるほど、そうか。まだまだあるよみたいなね、遡れるような話か。
これちょっとずれるかもしれないけど、中国っていうのは意外だね。
そうだよね。
なんかなんとなく仏教とかのイメージがあるから、インドから中国に行ったっていう流れなのかなと思ったんだけど、中国は中国で独立してあるんだね。
そうだね、ここは結構諸説あって、中国は哲学というかどうかとかはあるらしいんですけど、
あとはやっぱりその後世紀、6世紀くらいにインドから入ってきた仏教が交わる前の、やっぱりそういう老僧思想とか老子僧の思想とか、あと儒家とか、牧師とかもいろいろある中で、そういう思想みたいなものは一定受け継がれている。
なるほど。
そうなんだよね。だからやっぱり朱子学とかも、仏教的な要素もありながら、やっぱりもともと中国的な悪門というか考え方だよみたいな話も聞いたことがあって、
僕は朱子学自体はまだ全然知らないですけど、そういうのはブレンドされて日本にこうやって来てるわけだから、
そういう日本人が物事を考えるとかの源流としてのインド哲学みたいなのもあるよねって思ったりするんですよね。
はいはいはい。なかなかあれだね、今までで一番なんか、源流に近いというか、なんか遡ってる感あるね。
そうねそうね。さゆみではね、これまでまさに天というか人に放課されてきたので、ちょっとこういう流れをするのも面白いんじゃないかなというのをちょっと試みとしては思ってるんですけど、
だからこそあんまりこの学科、人を取り上げてこの人がとかっていうよりは、なんかそういうことを仏教とかね、今後もやっていく西洋哲学の理解につながるところをピックアップしながら、
ちょっと神話みたいなのも絡めながらお話ししていきたいなって思ってますと。
ただやっぱ面白いんですよ、インド哲学。なんか家の本棚見たらなんか気がついたら10冊ぐらいあったんだけど、インド哲学とか思想の本。
っていうくらい気がついてたってて、人の話とか含めると多分いっぱいあるんですけど、
例えば僕が持ってる本の中で、ヨガバーシシュタっていうインドの聖典って言われる本があるの。聖なる本。
これもちょっと本当はどうかわからんとか、信憑性とかはあるんですけど、それがね結構分厚い本で、なんかいろんな物語が書いてるんだけど、
その冒頭にね、この本っていうのは繰り返しがいっぱい出てくる。要は聖典だから別に何か知識を教えるっていうよりは、
そういった聖なる言葉に近づくみたいなことが目的だから、繰り返しがいっぱいあるんだけど、
それが嫌ならこれだけを読めって言って、一つの言葉が紹介されてるのね。
12:04
ほうほう、この本全部読むのめんどくさかったらこれだけ読めみたいな。
そうそうそうそう。前書に書いてあるのちゃんと。めっちゃ親切じゃない?
ユーザーフレンドリーだな。
ユーザーフレンドリー。全部読まなくていいんだと思って。
なんて書いてるかっていうと、空の青さが視覚的な幻影であるように、この世界の現れは精神の桜でしかない。
それに思いを馳せるよりは無視した方がいいって書いてるのね。
2000年以上前に書かれてるのこれが?
この本さえもうちょっと新しいのかな多分。
いわゆる伝統的な本よりはちょっと新しい人が書いた本ではあるんだけど。
でもすごくない?この言葉。
かっこいいね。
西洋哲学的にロジックは別にないんだよねここに。
ロジックないんだけど本質をさせてくれそうな気配というか、すごいこと言ってるなって感じはするじゃん。
しかいない。オーラがすごい。
言葉のオーラがね。
無視した方がいいって言われて、じゃあ無視しますって言っても、実生活は快適になりきらないというか、それだけではなかなかご飯食べていけないので。
もちろんいろんな哲学とか思想をね、引き続き学んでいきたいなとは思うんですけど。
でもね、こういうインド哲学的なというか、ちょっと禅っぽいところもあるけど、言い切る力とか。
そういうのもぜひ味わっていただきたい。一緒に味わっていきたいなって思ってます。
ちょっと横道に反れちゃったんですけど、今回インド哲学に関しては、インド哲学っていうものがそもそもどういうふうに読まれたのかっていうところからちょっと伝わっていって、
次回と次回、根本的なというか、ちょっと中心的な考え方としての、前も言ったかな、ブラフマンとアートマンという概念があって。
うんうん、チラッと出てきたね。
それを一応説明して、最後にですね、ちょっと全然有名な人じゃ多分ないと思うんですけど、1900年代ぐらいインドの言語哲学者で活躍した人で、
ビディ・ヤラン・カールっていう人がいて、この人の本を読んで、インド思想との出会いっていう本があるんですけど、その話はね、結構僕はめちゃくちゃ面白いなって思ってて、
やっぱりこうなんだろうな、そういう哲学的なロジックで積み上げていくっていうよりは、なんかもう、なんだ、こうだ、こうだ、ああだ、みたいな感じで、
バシバシと言い切ってくれる感じがすごい面白いのがあるので、
それを紹介することで、なんとなくこう、哲学というよりは、インド的な観点とか考え方みたいなものに触れていただけるようになるんじゃないかなって思ってますと。
15:04
おー、面白そうね。昔の話だけじゃなくて、1900年代の最近の人もこういう言い切りをしてるみたいな、こういう切り口で話してるんだよみたいな。
やっぱりさ、僕らってなんだかんだ言っても、日本的なとか、西洋的なやっぱりロジカルな考え方、人間論的な考え方に慣れ親しんでるから、
やっぱりそうじゃない思想とか哲学とかって、ちょっと受けづらいというか、理解しづらかったりするんだよね。
逆にインド哲学とかをなんとなく学んでいくとは、そんな考え方をしてるのねとか、そんな考え方をしてもいいのねみたいなところもあると思うので。
どうなっていくんだろう。まだ全然ね、分かんないけど。
ちょっと今回はですね、ちょっとその源流というか、インド哲学の成り立ちみたいなちょっと神話っぽい話も含めてお話していくんですけど、
もちろん文献的にたどれるみたいな話がないと、そういった哲学とか質問話しできないので、言葉でやっぱり残っているの大事なんですけど、
それに言うと、紀元前1200年、今から3200年前かな、ぐらいに、実はですね、リズデーダっていう書物、書物というか、
当時本、パピルスだとは思うから、今でいう本とはちょっと違うと思うんだけど、そういう物語とか神話みたいなものがね、編参されてるんですよ。
へー、すごいね。
すごいよね。それだけ聞いてもすごいよね。
もう編参されてる。まとめられて、本として残されているって話だもんね。
そういうこと、そういうこと。
そこはまさに神話なんですけど、いわゆるすごい素朴な神話なのね。
僕らは神話って言うと一神教で神が世界を作ったみたいな話をイメージすると思うんだけど。
まあ、とか日本的に言えば、むしろ八百頭頭、神的な、結構多神教的な話もなじみはあるかなと思うけどね。
八百頭頭に近いかな。
だからそういう、例えば太陽の神様とか、暴風、嵐の神様とかがいて、
嵐は自然現象を神に神格化したみたいな、結構そんな話が多いんですけど。
天照す神がみたいな話だよね。
そうそう。あの、すさんの王かとかね、そういう感じなんだけど。
やっぱりそれがちょっと時代を下っていくと、宇宙の根本原理とか、創造心みたいな、
神の中の神みたいな思想がどんどん深めてくるようになるんですよね。
はい、なるほど。神に自然の話をしてるかと思ったら、そういう宇宙みたいな話まで入ってる。
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これって面白くって、僕も神話学とかが知らない、あんまり詳しいわけじゃないんですけど、
神話っていくつかパサーンがあるって話はあって、
その中でも、やっぱり多神教でいろんな神様がいるよねってやってると、
なんかね、飽きてくるってあれだけど、もう足りなくなってくるらしいんですよね。
へぇー、あー、なんかキャラ増えすぎてちょっとみんな…。
そうそう、ちょっと飽和してきたなみたいな。
うんうんうんうん。
ちょっとここらでインフレさせとくかみたいなさ、漫画とかでもあるじゃん、なんかこう。
うんうん。やっぱりセルの次は魔人ブーダーみたいな感じでしょ。
そうそうそうそう。
ドラゴンボール的に言うと。
ドラゴンボール的にね、なんかもっと強いやつ出しとけみたいな。
うんうんうん。
って感じでやっぱり、いわゆる神を創造した神とか、
この世界全体を作った神、いわゆる創造神とか最高神みたいなものが求められるんですよね。
なるほど、火妖神様が出さないといけないんだ。
ドラゴンボールで言うとね。
そうそう、でも火妖神様もまだ神の中の一人で、たぶん4人くらいいたと思うんだけど確か。
そうだよね、さらにどんどん、その人のさらに上の人がいるみたいな感じでどんどん。
そうそうそうそう。
なるほどね。
登ってってなるんだけど。
西洋で言うと、それがまずはキルエスだったりとか、ヤハワイなのかな、神様だと思うんですけど、創造神がいてっていう感じなんだけど、
インドだと面白いのが、遠いでやっぱりそれも思想で練り上げていくっていうよりは秘儀みたいな感じで、
例えば金属を加工する鍛冶屋さんっているじゃん、刀を作ったりとか、そういう人はいると思うんだけど、
そんな人みたいに、ふいごで風をグワーッと送って、世界を作ったんだよみたいな神様がいたりとか、
あとは建物を作るみたいに、とんてんかんてんやって、世界を作ったんだよみたいな神様がいたりとか、
そんな風なイメージで、きっと世界を作るっていうのはこういうことなんだろうみたいな。
なるほど、あれだよね、小学生が自分のノートに書いて、自分で勝手にキャラ作って、
スーパーハイパーなんとかだ、みたいなさ、そっちはそうやったら、こっちはギガマウンテンなんとかだ、みたいなさ、
勝手にどんどん強いキャラを作って戦わせるみたいな、そういうのに近いのかな。
確かに、大丈夫?インド哲学バカにしてる?大丈夫?
してないしてないしてないしてない。神話のマウント合戦って。
神のマウント合戦ね。
でもほんとそんな感じだよね、自分の想像力とか、イメージって現実にあるものしか生まれないから、
みたいな感じで、哲学ってよりは、そういったお話っていうのが紀元前1200年とか1000年くらいのリグベイダっていうのが本に書かれています。
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かなりザッタな、神話集めましたくらいの、いろんな人の話集めましたくらいな、ザッタなやつなんだね。
そう、そんな感じ。それこそ、詩人が作った歌とか、あとはバラモンって言われる、義霊とかを扱う、
いわゆる神官みたいな人たちの言葉とかを扱ってます、みたいな感じなんだけど。
それがいわゆる宇宙観とか世界観みたいな感じなんだけど、人間観もちょっと面白くて、
特徴的って言われてるのが、人間と動物の区別が緩いんですよ。
緩い。
緩い。
どういうことかって言うと、旧約聖書、それこそ、いわゆる西洋の方だと、
まず神様っていうのは、人を神の2姿として作って、動物を人に治めさせるっていう、そういう序列という区別があるんだよね。
はいはいはい。
だからイエスが羊かいみたいなのも、いわゆる人が羊とか動物をある種、支配って言ったらあれだけど、統治してるみたいなのがあるんですけど、
でもインドのそういう神話だと、人間も動物と同じようにたまたま世界が生まれる時に作られただけっていう感じなんですよね。
そこは全然違うんだね。一旦同列な感じ。
神様が世界を作りました、そしたら動物も人間も地面とか太陽とかもいろいろできちゃいましたみたいな。
うんうんうん。
そういう感じ。
これも解釈次第ではあるんだけれども、そういう緩さというか、一緒みたいなのが、そのことで輪廻転生。
いわゆる死後、人間だけじゃなくて、いろんな動物とかにもなっちゃうかもよみたいな。
そういう思想の源流というか、根っこになったんじゃないか、みたいなことも言われたりするんですよね。
なるほど。そこにたつ違和感は確かにないんじゃないかもね。
確かに。
この動物になりたいとか、この動物になりたくないみたいなのはあるかもしれないけど、確かにね、割と受け入れられる感じがするかもね。
そう。だから、わからないけど、僕らはさ、例えば来年、来年じゃないわ、来年になったら困るけど、来世犬とか猫になるみたいな話をさ、普通にしたりするじゃん、お話しながらの子どもたちがさ。
そうね、鳥になりたいみたいなね、話とかね、全然するね。
例えばさ、英語圏の人が「I wish I were a bird」ってなった時に、それなりに飛べるようになりたいとは多分思うけど、本当に鳥になるって思ってるかっていうと、多分思ってないんじゃないかと思うんだよね。
なるほどね。自分という人格を保ったままで空を飛んでいるイメージ。
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確かに、そっか、自分たちが鳥になりたいとかって言ってた時って、割ともう憑依してるもんね。
そうそう。
脳みそレベルで。
うん。そっかね、本当に自分がその存在になるみたいなところまでいってるじゃん。
うんうんうん。っていう感覚も全然受け入れられるよね、多分ね。
そうそう。
確かに確かに。
やっぱり結構ね、その辺りがこういう哲学的な、よりもっと言うと神話的なところから出てるのかもね、みたいなのも結構面白いですよね。
なるほど。今のところ結構馴染むぞ、インド哲学。今のところ。
そうそうそう。
じゃあね、どんなふうに人間が生まれたかっていう神話も残ってまして、有名なやつがあるんだけど、それはね、なんかその大きい、めっちゃでかい巨人がいるよね。
ものすごい、もうなんか想像できないくらい大きい巨人がいて、しかも線の頭と目と足を持ってますと。
うんうんうん。
で、それを神様がね、お祭りの時に、なんだろう、もう供物、捧げ物にするのよ。
その巨人を?
その巨人を。ちょっとね、雑魚な話なんだけど。
うんうんうん。
で、捧げ物にした時に、この巨人の体をね、解体しますと。そこから宇宙を作ったっていうお話があって。
うーん。
うん。で、その時に、それも大地ができてとかあるんだけど、なんか面白いのは、さっきさ、人間と動物の区別はないって言ったじゃん。
うん。
でも、職業とか身分の区別はなんかあったっていう話が書かれてて。
はー、なるほど。はいはいはい。
インドってさ、カースト制度みたいなさ、身分制度が有名じゃないですか。バラモン、クシャトリア、ヴァイシャ、シュドラみたいな。
うんうん。
たぶんブッダの時にも、なんかそのバラモンがいてとか、あの、ブッダ自体はクシャトリアのデデ、王族でとかってあったと思うんですけど。
はいはいはい。
なんかね、この巨人の口から生まれたのがバラモンで、その両腕から生まれたのが王族で、両もも、太ももから生まれたのが庶民で、両足から生まれたのが奴隷だよみたいな。
へー、あ、そうなんだ。
そう。
はー、人作ったって聞いたからさ、なんか1000個ずつあるんだったらこれを一個ずつさ、一杯一人二人ってさ、組み合わせるって人間がちょこちょこちょこってさ、1000人作ったのかって思ったんだけど。
切り分けてね。
違うんだ。
違う違う違う。
はー。
はい、そう、頭が、みたいな。
そう、巨人が大地とかも作ってるんですけど。
うん。はいはい。
あ、そうなんだ。
そう、まあ身分制度自体がこの時代からあったわけじゃないらしいんですけど、やっぱりこういう役割分担というか、人によって受け持つところが違うんだよみたいな思想っていうのは結構大元からあったらしいですと。
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はいはい、その、支配層と非支配層と、みたいな、その中でも役割がみたいな概念があった証明ってことなんだね。
まあ、支配非支配はいったんいなかったかもしれないんだけど、あくまで役割として、神様に祈りを捧げる口から生まれたバラモンと、武力とか戦う王族と、人を繋ぐ庶民と、あとはそれを支える奴隷、階層みたいな。
奴隷といっても、今のイメージみたいに家に骨子されるとか、人権がなくてとかっていう奴隷では多分ないと思うから、この当時は。
まあ、一応役割ぐらいの話だったか。
みたいなところがあるので、これもね、すごく、古い時代からインドの人たちの思想というか、やっぱり生活に根付いているものだったんじゃないか、みたいな話もあったりします。
そんな感じの紀元前1000年とかって話なので、当然ね、その素朴な神話が重視されていて、そこからやっぱり儀礼としてのバラモンが力を持ちますみたいな。
神々と会話ができるというか、関与できるみたいな。
そういった神々のアプローチを通じて、いわゆる現実的な履歴、当然それができるということは人から尊敬もされるだろうし、豊かになるだろうから。
っていうのが、だいたい紀元前1000年とか、あるいは800年くらいの話。
逆にそうなると、どんどんどんどんそういった儀礼っていうのが整地化していって、科学的には全然ないんだけど、例えばこの日、この時間にこういうお祈りをするとか、
このお祈りの時にこういう順番でこういうものを用意して言わなきゃいけないとか、それにはこういうふうな意味があるんだとかね、そういうのがどんどんどんどん蓄積されていって、
むしろそれを正しく知っているとか、そういう知識を持っていること自体がすごく重要だみたいな時代っていうのがこの時代ですと。
なるほどなるほど。
そんなので、今の僕らからするとすごく素朴な考え方で成り立っている時代なんですけど、そこからさらに200年くらい経って、紀元前6世紀くらいになった時に、
今度はね、ウパニシャットって言われる文献群みたいなのが生まれてくるんですよ。
なんかウパニシャットって聞いたことある?言葉として。
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言葉としてだけかな、この内容で聞いたのかもしれないけど、言葉だけ。
ギリギリ教科書とかにも載ったりするんですけど、もちろん内容まだ触られてないんだけど、なんかそういうこれまでのリグベーダの素朴な神話みたいなところから、ウパニシャットもリグベーダの一部みたいな感じなんだけど、
一気に抽象度が上がるというか、いわゆる啓示上学的な、それこそ世界とはとか、人間とはみたいな、そういうのが展開されていくんですよね。
これがその後のインド哲学とか、仏教、ブッダでいうと仏教だし、それこそジャイナ教とかヒンドゥ教とかっていうインドの仏教ってあると思うんだけど、そういうのに繋がっていくんですよね。
なのでちょっと次からこのウパニシャットで説明されているような、さっき言ったようなブラフマンとかアートマンとか。
ここで説明されてるんだ。
そうそうそう。出てくるというかね、それは大事になってくるので、それを実際に見ていきながら、具体的にインド哲学の重要な考え方みたいなところにちょっと触れていきたいなというふうに思っております。
というような感じですね。
はい、なるほど。まだ、そっか、神話レベルだけど、このウパニシャットが出てきた理由っていうのはわからないんだよね。
たぶん当時、同じようにニグベーダーっていうのが編参された時と同じように、そこからたぶん600年くらい経ってるんだな。
そうだね。
だって当時の人々の何を話してたかとか何を考えてたかってことをまとめたりとかすると、このウパニシャットが生まれたよぐらいのイメージでいいのかな。
誰かが作ったとかじゃなくて。
人が作ったというよりは、やっぱりいろんな人がそういう考え方をしたっていう感じなんだけど、そこまでちょっと次に詳しくお話ししたいなと思ってます。
なんでそういう思想にちょっとずつ近づいていったのかみたいな。
もちろん、明確なものかはわかんないけど、こういうふうな説明はできるよねっていうのがあったんで。
なるほどね。ウパニシャットが生まれる必然性みたいな時代の流れみたいなのがあるんだ。
今回はもうかなり神話的な、もっと広い話だったけれども、次回からもうちょっとついにインド哲学の中身、ウパニシャットの中身みたいなところ。
そうだね。中身というか、なぜそういった思想が生まれてきたのかみたいな背景の話は続くんだけど。
中身にはいかないかもしれない。
中身にはいかないかもしれない。ちょっと次のツールかもしれない。
やっぱり全く馴染みのない思想とかを学ぼうと思う時に、やっぱりこういう背景を知らないとさ、いなりブラフマンとアタマンがあって、ブラフマンっていうのが宇宙の根本でとか、それが一体化してとかやってもわからないから。
33:11
そうね、わかんない。これはもう西洋哲学とかでも経験済みの話だよね。何を乗り越えようとしたかが重要っていう。
そうそうそうそう。そこをちょっと丁寧めにインド哲学でお伝えしていきたいなという感じですね。
はいはい、了解です。じゃあ次回はウパニシャットに至る流れみたいなところを聞いていきたいと思いますので、引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
ありがとうございました。
(♪ BGM)
33:50

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