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はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回も引き続き、古代インドの哲学ということで、前回はあれですね、哲学になる前のリグヴェーダは何ぞやというところを見てきたというところでした。
そうですね、はい。今回もですね、もう一回分そのリグヴェーダの話をしようと思っているんですけど、
前回は、いわゆる世界観というか、どんなふうに世の中の神様のことを捉えていたのかという話をしたと思うんですよね。
定まった宇宙がここで来ましたとかっていうのがあるよりは、いろんな神様がいて、お願いをしたら聞いてくれるよとか、
ある時はこの神様が力が強いけど、ある時はこっちですよみたいな感じで、
結構その時々で違ってたよみたいな話をしたかなと思うんですよね。
神様との距離が近いというかね、使いこなすときはちょっと都合いい感じが感じるけど。
そういうふうな感じだったんですけど、そういった、前回は世界観、当時の人々が世の中をどう捉えていたのかという話をしたんですけど、
今回はその人間観ですね。その中で人間というものをどんなふうに捉えていたのかみたいな。
もっと言うと、神様とか世の中と人間の関係ですよね。
今だと別に人間観ってそんなにあるようでないというか、そもそも神様っていうもの自体があんまり、
もちろん宗教とかによっては、関係性ってまだまだ強いと思うんですけど、
普段で生きる僕ら日本人としてはそんなに強くないかなと思うんで。
YouTubeのチャンネル登録数とかSNSのフォロワー数が多い方がいいよね、でもそうでもないよねぐらいの価値観、人間観。
人間観でしょ。
あとは年収から、年収が多い方がいいよね、でもそれだけじゃないよねっていうぐらいかな。
確かに確かに。
仮に現代の人間観としたときに、当時の人間観とはとか、
あとはね、よくある生きるとか死ぬとかなんぞよみたいな話だよね。
っていうところを、当時の古代インドの人たちがどんなふうに感じたのかなっていうところを、
今回お伝えしていきたいなというふうに思っておりますよというところなんですけど、
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早速話していくんですけど、
これも前回少し触れたんですが、当時の古代インドの人たちって、
人間と獣っていうか動物っていうのを、そんなに区別してなかったらしいんですよね。
言ってたね。
よくある神様がいて、人間がいて、動物がさらに下にいるみたいな構造じゃなくて、
神様&人間プラス獣みたいな、そんな感じでふわっとした、
そんなに分かれてない世界なんですよ。
なので、実際神様目線で言うと、
人間と動物に幸あれみたいな感じで一直線されているとか、
あとは四つ足でイコロスは動物だし、二本足が人間なんだけど、
四つ足と二本足の両方が神に対立していて、
それを支配するのが神だみたいな。
さっき神と人間は近いって話をしたんだけれども、
神様が人間&動物を支配するみたいな、
支配という感じなんだ。
支配とまでいかないから、でも一応対立してる。
そこには線があるよみたいな感じなんですよね。
一定の上下関係みたいな感じはあるってことなんだね。
そうですそうです。
その先の仏教までいくと、実は人も神も結構ひとくくりになっていくというか、
これちょっと仏教の回で少し、
これもだいぶ前なんであんまり覚えている方は少ないかもしれないんですけれども、
仏教までいくと神様も輪廻転生する。
ある種生まれ変わって、神様に生まれることもあれば、
それこそ虫に生まれることもあるみたいな感じ。
そこの垣根がなくなっちゃうんですよね、ある程度。
あれ仏壇自体は別に神の話はしてないんだけど、しかも。
明確にはしてないかな。
いわゆる絶対人としての神の話はしてなくて、
神みたいなものがあっても、それは天というところに住んでいる一つの存在で、
別に人間と構造的な一緒、輪廻するっていう構造的な一緒だよっていう感じかな。
仏壇自身もそういうふうには捉えてたんだ。
仏壇自身が仏教の思想だから、仏教の神みたいなものは想定してないと思うんだけど、
仏壇自身の信仰感というか、当時の話で言うとっていう感じなんだね。
神をそういうふうに育ててた。
自分の中でそういうふうに捉えてたってことなんだね。
まさにバラモン教とかヒンデュー教の神様は当時の社会にはいるわけなんで、
06:02
仏壇もそこに理解した上で自分の考えを伝えてますよっていう感じなんだけど、
この時代のリグベイザーの時代のインドでは、
そういった神と人が一緒だとかっていうのはなくて、
神と動物っていうものが対立してますよっていうふうな構造です。
さっきちょっと支配みたいな言葉を使ってしまったんだけれども、
いわゆる厳密に対立するとか上下関係があるっていうかっていうと、
そこまででもなかったらしいんですよ。
キリスト教でいうと、求めよ、さらば、与えられんみたいな感じで、
結構有名な言葉があると思うんですけど、
絶対的な存在の神様に対してすがるというか、求める。
恩恵とか御徴があるよみたいな話だと思うんですけど、
このリグベイザーの時代においては、
さっきの話に近く言うと、神様的には我に与えよ。
そうすると、我は汝に与えよみたいな。
要は、ギブアンドテイクみたいな感じなんだよね。
なんかちょっと違うね。
ちょっと違うじゃない。
クレなんだね。
クレなんだよね。
まず神様に捧げよと。
捧げてくれたら、もらった分は返すよっていう感じなんだよね。
ちょっとこれは俗物っぽい感じもするんだけど、
だからこそお祭りごとというか、いわゆる儀式とかが発達するんだよね。
神様にそういったお祭りを通じて与えるからこそ、
人間に恵みがもたらせるというか、返ってくるみたいな。
そうやってちゃんと神様にギブをすると、
そこから神様からもギブが返ってきて、
ギブアンドテイクが成立するみたいな考え方らしいんですよね。
もちろん恵みだけじゃなくて、
それこそ罪が許されるみたいな話もあるらしくて。
恵みって言っても、いわゆる原罪みたいな、
そういう抽象度の高いものじゃなくて、
本当に何か失敗しちゃうとか、
神様に悪い口言っちゃうみたいな、
結構そういう風なやつらしいんだけど。
人間はやっぱり完全ではないし、
自分は気をつけても、
子供とかが罪を犯すことはあるわけじゃない。
そういう時に、神様すいませんでしたと。
うちの子はこのことをやっちゃったんだけど、
許してくださいとかいう風に祈りを捧げて、
それは人間にはしょうがない。
人間というのは不完全なものだから、
罪も犯しちゃうけど、
それは許してくださいねとかいう風に、
言うような詩も結構残ってるらしいんですよね。
ああ、そうなんだ。
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リグベイダーの中にね、
謝る時の詩みたいなものがあるんだ。
懺悔とかじゃなくて、
ごめんねっていう感じなんだよね。
はいはいはい。
だから、これあげるから許してねっていう。
これお詫びの印みたいな。
そうそうそうです。
ふたりさんの方はどないやねんって話なんだけど、
やっぱり真剣に、
ごめんねってお捧げ物だよって言った人は、
ちゃんと許してあげるみたいな寛大さを持っていて、
その辺が結構当時のインド人の楽観さというか、
ちょっと古代のインド人たちって楽観的だったよみたいな話もしたと思うんですけど、
でも、ごめんねって済んじゃうから警察いらねえみたいな、
そんな感じなんですよね。
そうなんだ、そこまで。
警察がいなかったかもしれないんだけど、
ちゃんと謝ればそれで済みますと。
はいはいはい。
さっきから出てるけど、
キリスト教的な原罪があって、
償えない罪とか、
それは死後の遠い未来で許されるとかっていうことは全然なくて、
本当に今ちゃんと謝ればとか、
ちゃんと儀式を通じて神様に称えればOKっていう感じだったらしくて、
例えば当時、
多くの崇拝を受けてたというか、
いろんな死が残っているアグニという火の神様があるんだけど、
それを称える歌人の中にも、
人間ね。
人間としての私は、
アグニを父と考えるし、
友とも考えるし、
兄とも同輩、同僚みたいな、
そういうふうにも考えますみたいな、
そういう死が残っているんだよね。
遠い神の世界にいるアグニ様とかっていうことじゃなくて、
かなり身近な存在として親しみを持っていますよと。
火の神様なんで、
たぶん身近な火に対しても、
そういうアグニ性というか、
神様がいるっていうふうに感じたんじゃないかなと思うんだよね。
なので身近な父であり友でありみたいな、
そういう神様に対してお伝えしますよというふうな感じですよ。
バラモンとかね、
すごい宗教家みたいな人たちって、
もちろんいたんですけど、
このそこから神様を敬って、
どうのこうのとかいうよりは、
結構神様に仕えている自分だからこそ、
いいことを届けてくれみたいな、
自分が得をしたいんですよみたいな、
結構そういう感じらしいんだよね。
そうなんだね。なるほど。
信仰というよりはもう一つの職業というか、
本当に神使いみたいな感じなんだね。
12:04
そうですよね。
召喚師みたいな話をしてくれると思うんだけど、
本当に召喚獣を召喚して、
これやって、
当時だったら戦争とかも別に悪いことじゃないので、
要は戦って勝って領土が広がるっていうのは、
自分たちの集団というか民族にとってはいいことなんで、
勝ったかいの神様よ、我々を勝たせてください、
とかっていうのも全然OKなわけなんだよね。
それこそ召喚獣を召喚して、
敵を焼き払えみたいな、
本当そんなに近いなとは思うんですけど、
私やっぱりそういう命がどうとか、
こういった倫理観がどうとかって、
手前みたいな感じなので、
戦って戦争でね、
相手を殺したとしても、
それで自分たちの土地が増えるとか、
家畜とかの財産が増えるっていうのは、
全然いいことだよね。
だから殺してください、
ぐらいの本当にそんなシンプルな感じなんだよね。
なるほど。
だから実際にね、
こういう人も残ってるんだけど、
アズニーっていう火の神様に対して、
あなたの善意によって、
一生を養ってくれる財産を、
我にもたらしてくださいみたいな。
我らが生きながられるために、
恩徴されてまえ、みたいな。
言葉丁寧だけど、
すげえ知ってたこと言ってんだよみたいな。
だいぶドラえもん悪用してるみたいな。
チュースキャリーね。
助けてドラえもん。
金のなる気出してよ。
そうそうそう。
みたいなね。
それが当時の宗教階級の一般的な感覚だったんであろうと。
だからこれが別に特殊なことじゃなくて、
結構こういう風な詩がたくさん残ってますっていう感じなんだよね。
それからバラモン階級。
当時からバラモンって言ってたのかな?
そうだね。
バラモンは食糧的にというか、
ちゃんと真面目に勉強して、そういうのを全部覚えてっていうのをやってたと思うんだけれども、
そういう特殊技能があるがゆえに、
神様にもちゃんと捧げ物するけれども、
俺たちにもちょうだいみたいな。
そこが一色体になってるのか別々なのかは知らないけれども、
神様に支えたものを中抜きしてたのかは知らんけど、
いずれにすると、
それでちゃんと何だろうな。
儲けてたって話なんだね。
利益がちゃんとあったからですけど、
前回かな、
一字一句間違えないようにというか、
アクセントも含めて覚えるみたいな話もあったけど、
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それも結局そうしないとやっぱりお礼がもらえないというか、
自分たちにとっていいことがないからやるみたいな感じなので、
もちろん本当に尊敬してとか神様を敬ってという人もいただろうけど、
感覚的にはそれも含めて、
自分が得をするから、
っていう風な感覚で生きてたんですよっていう風な感じなんだよね。
すごいね。
ということは、
そういう感覚、バラマンが、
俺たち特別だぜ、特殊技能持ってる、
俺たちしか知らないやつ持ってるぜっていう場合、
そのアクセントとか気をつけたりとか、
千何十何個の1028かの詞を覚えるとかって、
別にしなくてもさ、
適当にホニャホニャホニャって言ってさ、
名も知らない人からお金を撒き上げてもいいんだろうけど、
そこに関しては何かあったのかな、もしかしてね。
職人というか職業としてのプライドなのか、
ちゃんと監視機能が働いてたのか。
プライドもあったかもなしだったら、
単純にそうしないと守れないというか、
適当にやればやるほど、
じゃあ俺もって真似をする人もいるだろうから。
なるほどね。
ある種、基準をちゃんと踏まないとダメだぜっていうので、
技を盗まれないようにするというか、
自分たちだけがコントロールできるというふうなこともあったんじゃないかな。
そこを障壁、適当にしちゃうと偽物がバックするとか。
そうそう、参入障壁が高いみたいな。
あとは言うともさっきハヤト言ったように、
ちゃんと世界観だよね。
神様はちゃんといる、ちゃんとお願いしたらいいことを聞いてくれっていうのは、
マジで思ってるから、そこに対しては真摯にちゃんとやってる。
そこをミスったら本当に、
そこに関してはやっぱり神様と通じ合えないよねみたいな感覚はマジであったみたいな。
あったんだと思う。
そうそうそう。
やっぱりそういう世界観の中で生まれている、生きている人たちの考え方とか捉え方としては、
それがある種合理的だよね。
っていうふうな感じなんですけど、
そういうふうに神様に祈る、願うっていうふうなことをお伝えしてきたんだけど、
突き詰めて言うと、何を願うかってやっぱり幸福なんですよね。
要は、豊かに生きたいとか、罪を犯しても許されたいとかっていう感じなんだけど、
幸福っていうのは、いわゆる哲学、ギリシャ哲学的な、
よく生きるとか、幸福とは何かとかっていうのまでは全然まだ言ってないんですよね。
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単純に身のりが豊かでありますようにとか、子供が健康に生まれますようにとか、
そういう意味で言うと、いわゆる初詣じゃないけど、
神社に行って、今年も一年平和でありますようにみたいな、
そういうのに近いのかなとも思うんだよね。
はいはいはい。
普通に腹減らずにというか、
怪我せず、病気せず、子供も死なずに元気に育ってくれるみたいな、
割とその辺だったってことはね、まず幸せっていう。
そうなんです。
いわゆるリグヴェーダで宗教が云々とかっていうと、
すごい絶対的な神様がいてとか、
神と人がすごく厳密に分けられているとかっていうような感じも生まれているかもしれないんですけど、
全然そうじゃなくて、本当に、
さっき言ったように兄であり父であるとかっていう感じだから、
なんとなく助けてくれるとか、
結構その寄り所じゃないけど、
最悪神様に頼っておいたらなんとかなるでしょみたいな、
そんなふうな感じの存在だったみたいなんですよね。
なるほどなるほど。
そういうふうな神と人間の関係があるっていう中で、
どんなふうに死と向き合っていたんだろうかっていう話もありまして、
神様が絶対的だったら、
それこそ死んだら神の世界に行くとか、
神が救ってくれるとか、
なんかそういうのが芽生えたりするわけじゃないですか。
結局神様もその辺にいる兄弟とかと変わらないとしたら、
どんなふうに人の死を受け止めてたんだろうっていう話なんですけど、
基本的に当時のインド人って、
やっぱり原始の生活が楽しかったみたいなんですよ。
生きててハッピーみたいな。
楽しい、そうなんだ。
辛いけどなんとか食っていくというよりは、
割と楽しく生きてたみたいな感じなの?
そうそうそうそう。
この辺分かりません。
あんまりちゃんと分かってないんですけど、
インダス文明から続く実りというか、
もちろん感抜とかあったと思うんだけど、
結構定住して全然生きていける感じだったんじゃないかなと思うんですね。
当時でいうと。
グラデーションは割と土地とか土壌、
そういった環境は悪くなかったって話なんだね。
おそらく。
なので、やっぱり今も楽しいから、
死んだ後も同じように楽しい生活を続けたいんだぐらいの感じだったらしいんですよね。
死んだらどうなるとかってあんまなくて、
なんとなくいいことをすると、
21:00
善人とか悪人ぐらいの発想があったらしくて、
善人は素晴らしい四五和世界でまた楽しく生きていけるんだけど、
悪人は暗闇に落とされて暗い中で彷徨い続けるぐらいの感覚だったらしいんだよね。
そうなんだ。
子供に悪いことをしてると暗闇に落ちちゃうみたいな、
地獄行っちゃうくらいの。
でも地獄では鬼がいて辛い思いをするとかってことじゃなくて、
単純に暮らしていけないらしいよみたいな。
暗々しいよみたいな。
そう。
それぐらいの感覚なので、
死とは何かとか、長く生きるために何をするかとか、
そこまではそんなに発展しませんでした。
やはり不老不死だよね。
やっぱり死ぬとどうなるかわかんないんで、
この世界で生き続けたいとか、
地獄とかに暮らし続けたいっていう願いは当時からあったらしくて、
実際神様への訴えの詩の中でも、
私はまだ土なる家に、
当時火葬がメインだったけど土葬とかもあったらしくて、
土の家に入りたくないんです。
いわゆる死にたくないんですっていうふうに訴えてみたりとか、
もっと直接的に我を不死ならしめようみたいな。
そういう願いが書かれた詩とかも結構あるんですね。
だからそれもほんと素朴で、
生きてるのが楽しいんだったら死にたくないよねみたいな。
輪廻とか死とかが重たいから死にたくないとかじゃなくて、
単純に生きてるのが楽しいから死にたくないですみたいな。
結構そういうふうな感覚で生きてたらしいですよと。
今はやっと輪廻って言ったけど、その感覚はあるの?
オニグウェーダーのこの時代に。
当時はまだそんなにない。
そんなに若干、死後の国に行くくらいの感じ?
そうだね。
輪廻というか、それを輪廻と呼ぶのならみたいな。
そうだね、死んだら終わりとまでは言わないんだけど、
生まれ変わるとか、次は神かもしれないし、
動物かもとかっていうことまではなかったみたいな。
なるほど。
一応死後の国もあるらしいよっていう意味では、
輪廻っぽいというか。
そうそうそう。
なるほどなるほど。
無にならないって意味でってことね。
そうだね。
来世じゃないけど死んだ後の世界っていうのもあって、
ヤマっていう閻魔大王の元になった人がいて、
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その人が死後の世界の王様として国を作ってますってみたいな。
これがリングウェーダーの世界観の中の話なんだ。
ヤマのとこ行って、
はい、お前はこっちの暗い方ね、みたいな。
はい、君はこっちへようこそ、みたいな話ってことね。
おそらくね。
なので、そういうぐらい素朴な姿勢がなったんですけど、
ちょっとここから哲学っぽくなってくるんですけど、
そういった来世みたいな話が出てくるんだけれども、
そうなると、
何、来世っていうことを考えちゃうわけだよね。
それを考えてくると。
そうかそうか、その死後の世界みたいなものを具体的に想像したわけね。
そうそうそう。
なんだべって思っていくと、
当然、肉体としては滅びてこの現世、今ここにあるわけじゃない。
でも、来世に言っているとしたら、
何っていうことが問題になってくるわけなんですよね。
何かわかんないけど、それがいわゆる魂じゃないかと。
魂ってかっこつきで、
いわゆる僕らが想像しているような魂という概念ってちょっと違うんだよね。
そうかそうか。
その辺で今日はお話ししていくんですけれども、
魂って何?この時代でいうと、
直接的に説明するというよりは、
まつわるいろんな話をしていくんだけれども、
例えば、仏教とかヨガとかにおいて、
呼吸法とかが流用者さんみたいなイメージってあります?
座禅するときに吸う息、吐く息が大事とか、
ヨガも呼吸をするとか、呼吸に集中するのが大事だったりするんだけど、
そういうのって聞いたことあるかな?
ない。
ない?OK。
逆に日常生活でも不思議呼吸の方が大事な時もあるとかさ。
そういうのは聞いたことあるかな。
あとは漫画とかゲームとか呼吸法によって強く、
それこそ鬼滅とかそうだと思うんだけど、
水の呼吸って呼吸によって強くなるとかってあると思うんですけど、
そういう呼吸が大事みたいなのって、
ちょっとごめん、鬼滅がどうかわからないんだけど、
原理としてはリグベーダにあるんですよね。
これ何かっていうと、生きてる間、人は呼吸をしているじゃないですか。
死んじゃうと息が止まるよう呼吸をしなくなるっていう感じで、
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素朴な世界観からしても、まさに生きているというのは息をしていることだみたいな。
これは語源的に繋がりがあるんだけど、日本語的にはね。
ああ、生きるか。
生きると息。
その分かりやすい生きてる死んでるのの違いっていうのは呼吸をしているかどうかですよ。
へー、なるほど、確かに確かに。
なので当時の人からすると、
命と呼吸ってものを結構近いものとして捉えたらしいんですよね。
なので、息、呼吸ってものが、
スパンスクリット語というか、いわゆる当時のベーダー語かな、
プラーナっていう言葉なんですけど、
同時に生命、命っていう意味も持ってるんですよ。
へー、そうなの。まさに今ハヤトが言った日本でもみたいな話ね。
そうそうそうそう。
なので、呼吸とか息っていうもの自体がイコール命とか魂みたいな、
そのぐらい呼吸っていうのは意味があるんじゃないかっていうふうに捉えられていて、
死んだら息をしなくなるんだけど、
来世ではまた魂というものがそっちで呼吸をしてるみたいな、
結構そういうふうな生命感っていうのがモチーフになってくるんだよね。
なるほど。
なので呼吸っていうのは、
もちろん身体的に息を吐く、スパンスを吸って二酸化炭素を出す、
みたいな科学的なものもあるんだけど、
そういうことと思想的というか宗教的な意味合いもあるんだっていうふうに理解いただけると、
次にウパリシャットというところで魂とはとか、
リンネの死体って何?みたいな話をちょっとしてくるんだけど、
その源流にこういう息呼吸が大事ですっていうふうな発想があるんだよっていうのを、
ちょっと感じていただけると嬉しいなっていうふうな感じなんですね。
なるほど。
そう言われるとそうだね、確かに。
なのでやっぱりそういうふうな、
やっぱり抽象的なことを言う前に、
目に見える息をしてるしないとかさ、
そういうところから考えてくるんだっていうのも、
僕も改めて話したところなんですけど、
今日はちょっとお伝えしたんですけど、
当時の人たち、人が亡くなったときには仮想を思いしてたらしいんですよね。
この風習っていうのが、仏教に入ってきて、
日本でも仮想をしてるよっていうふうな流れがあるらしいんですけど、
なんで仮想だったかっていうと、
これもいろんな理由があって、
衛生面でとかあるんだけど、
当時のこのリグペイドの世界観の観点からすると、
さっき言ったアグニ、火の神様ね。
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それによって体っていうのは焼かれちゃうんだけど、
魂は火によって清められる。
やっぱり火によって清らかになるっていう発想自体は当時からあったみたいで、
今もあるじゃないですか。
多分ね、科学的にはそうだけど、
火によって汚いものとか悪いものを取り除くみたいな。
聖なる火みたいなイメージかな。
そういうところがあるので、
火の神様のアグニによって魂を清めてもらって、
死後も世界に連れて行ってもらえるみたいな。
そういうふうな考え方があったらしいですよね。
逆に言うと、さっきの魂とか呼吸、息みたいなものは、
火では焼かれないので、
それは来世に残るんだみたいな。
やっぱりそこまでいくと、
単なる現実的な発想ってよりも、
ちょっと抽象的なというか、
少し発想がレベルアップしてるのって伝わるかな、ここで。
分かる分かる。
目に見えたりとか、いわゆる五感だよね。
感じるものを解釈するではなくて、
それ以上のものを想像し始めてるよねっていう意味で。
ストーリーというかね。
やっぱりね、
哲学とか宗教とかもね、
ある種ストーリーとか空想って言っちゃおしまいのところもあるんですけど、
やっぱりそういう発想力とか、
そういった思考力が高まるからこそ、
そこが発展するってのがあるんだよね。
さっきのね、息してないから死んでるとはちょっと時にが違うもんね。
息してたものがしてなくなって、
本体は焼かれるけれども、
息をしていた主体みたいなものは、
こうやって大掻き上げじゃないけどね、
こうやって、
まさにまさに。
違うもんね、確かに。
そうそうそう。
そこで世界観とかある種、
知性観か、
が発見しようっていう感じなんだけど、
もちろんね、当時土葬とか野山に捨てるみたいなものもあったらしいんですけど、
インドのね、古来のリクピラーの言葉っていうか、
昔から伝わってるなんか追悼の言葉があるらしくて、
それが、火を我らを良き道によって、
私服に導いてくださいっていうのがあるらしくて、
やっぱり火と葬儀だよね、
弔いの関係性が深いっていうことは、
昔からあったらしくて、
それが単純な宗教的なものよりは、
そういう肉体と魂の関係とか、
そういった魂が来世に行くっていうときに、
火によって清めるとか、
そういう意味っていうのがちゃんとあったんですよっていう感じなんだよね。
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だから、神様は死にたくないですっていうようなお祈りがあるかと思いきや、
こういうちょっと哲学チックというか、
ちょっと深そうみたいな、
むしろそうみたいなものも含まれてるってことなんだね、
このリグヴェーダというのはね。
リグヴェーダを読み解いていくというか、
やっぱりそのヴェーダ自体は、
本当に膨大な文献も残ってるんで、
それを見ていくことで、
当時の人たちの考え方とか、
風習もそうだし、
やっぱり死にどう向き合ってたのかみたいな。
だからもう、ある程度理解することができるんですよっていう感じなんだよね。
そうか、リグヴェーダって残ってるのか。
そうそう、あって残ってる残ってる。
すごいね、それはすごいね。
そうそうそう、
2千3千年間のものがちゃんと残ってるんで、
だからこそその当時の人のことをちゃんと読み解ける、
すごい貴重な文献なんですよっていうふうな感じなんだよね。
そっかそっか、だからもう古伝で千年以上、
厳しいイントネーションみたいな話で、
がっちりと伝わってきて、
それがどっかの段階で、
ある程度文字に残す技術が残ってる段階で、
きちんと文字にされてるので、
改ざんというか、間違った形じゃなくて、
ちゃんと伝わってるみたいな感じ?
割と?
そう、割とちゃんと。
かなりがっちりと伝わってるのかな?
そうですそうです。
ギリシャって言ったら、
それこそ南米みたいな感じで、
プラトンとかいいけど、スクラデスに対してこんなことを言っていたとか、
パルメイデスさんもこういうふうに言ったと伝わっているが、
それは批判したいとかっていうところから、
なんだかパルメイデス先生はこういうふうに言っていたんだろうっていう感じなんだけど、
ちゃんと1028個全部残ってますみたいな感じなので、
リグベーダーに関しては。
そりゃ情報量違うよねみたいな。
情報量と信頼度っていうかね。
そうそうそう、文献のね。
ただこれ面白いのが、
いわゆる学問的な世界でこのリグベーダーとか、
インドの古代の思想哲学っていうのが研究され始めたっていうので言うと、
まだこの数百年くらいですよね、西洋においては。
ああ、そうなんだ。
もちろん東洋のそういう人たちが、
ベーダーとか学ぶとかあったんだけど、
学問的に研究するとか、
そういうふうに分解して捉えていくっていうのはまだまだ歴史的には浅いというか、
36:04
ギリシャ哲学に関しては、
新興時代もあったけれども、
もっともっと古い時代から、
プラトンは何を言っていたのかとか、
ギリシャ哲学とかみたいな話っていうのは、
500年くらい学問的にも続いてるわけなんだよね。
はいはいはい。
やっぱりその感覚からすると、
まだまだ読み解ききれてないよね。
ああ、そうなんだ。
ベーダーの世界ってやっぱり抽象的な、
概念というよりは言葉として、
お祈りなので厳密じゃないところがあるんで、
これって何を意味してるのか、
どういうことの繋がりがあるのかって、
まだまだ文献学的には研究されてますみたいな。
そうなんだね。
そうそうそう。結構そういう感じもあるんだよね。
これで残ってるってなると、
研究のしがいはありそうだよね。
そうそうそう。
あるからね。
みたいな感じで、ちょっと最後脱線もしたんですけれども、
ここまでは神話的な話というか、
当時の世界観とか人間観というところをお伝えすることで、
なんとなく当時の人たちってこんな風に生きてたのかなとか、
なんとなくこんな風に素朴に考えてたんじゃないかなっていうところが、
伝わっていたらいいなって思っているんですよね。
はいはい。でもまあだいぶ素朴だなと思ったんだけれども、
このミグベイダーの時代ってあれだもんね。
この前の古代技医者が、
紀元前、例えばヘシオドスから紀元前600年くらいって言ってたっけか。
そうですね。600年くらい。
今これって紀元前、例えば1000年くらいの話をしてるんだもんね。
そうですそうです。
最初期だと1200年とかなので、
ヘシオドスとかからもさらに500年600年前ですみたいな、
そんな感じだね。
その時代にこういうことをやってますかっていう話だもんね。
だいぶ素朴に感じるけれども、
それはそうだっていう、ある意味。
そうね。今から考えたら3600年前とかなので、
3200年前とかだので、
それで言うと、逆に3000年経って人間は、
このぐらいの考えになりましたねみたいな。
でもその素朴さも別に失ってはないですよねっていう感じだよね。
なるほどなるほど。
ここからどうなっていくのかって話で、じゃあ次回にする?
そうです。
はいはいはい。
これは哲学ですね。哲学的にウパニシャットというものが生まれてきて、
それはナンゾヤとか、
ウパニシャットって読んでナーニっていう、
これも当時まだ紀元前800年とかそれこそ600年くらいの話なので、
それこそまだギリシャではヘシオドスが出てきて、
ちょっと神話的な解釈をしてるっていうふうな世界において、
インド、ベイダーの社会観の中ではどんな哲学が、
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哲学っていうのもあれだけど思想が発展してたんですかっていうところを、
ぜひお伝えしていきたいです。
ちょっと次回も結構長くウパニシャットは触れていきたいなと思ってるんで、
僕もちゃんと理解したいと思いながらやってるので、
一回でこれですよりは、
少しこんなこともありながらあんなこともありながらというか、
それともちょっとあちこち彷徨いながら、
ウパニシャットっていうものを深く理解していきたいというふうに思ってますっていう感じですね。
分かりました。
久々の東洋だからね、
じっくり楽しんでいきたいというところもあるし、
でも面白いですね、
今日の生きると息は同じ古伝だよみたいな、
確かに漢字というか日本ってそういうのが多かったりとかするなっていうのはもちろんあるんだけども、
多分それが世界共通でもあるし、
どんどん世界共通なのかこっちから入ってきたのかっていうのは分かんないよね。
感覚としては日本もあったかもしれないし。
どうだろう。
それで言うとちょっとこれ先取りになっちゃうんですけど、
インドをやった後どうしようかなと思ったら、
兄貴とちょっと話したと思うんだけど、
それ日本のそういう古代じゃないけど、
したねそういえば。
日本どうなのみたいな。
そう。
これをちょっとやってみたらいいんじゃないかなっていう話があったんで、
僕もいつからやりたいなって思ったんですけど、
ちょうどタイミング的にギリシャやってインドやって、
外国のことは分かったけど、
日本はみたいな話もあるなと思うんで、
そこもやっていきたいと思ってるんで、
ここで覚えたら生きるってどうなのみたいな話も、
ちゃんとお調べして、
皆さんにもお伝えしたいなって思ってますっていう感じでね。
確かにそうだね。
そこが調べられるのか、
何を調べればいいのかもさ、
自分みたいな調べ方も分からない。
あるはずだもんね。
あるある。あると思う。
あるんだよね。語源とかさ、
いわゆるどこかの社政者みたいな学問もあるから、
出てくる気がする。
分かりました。
ではまずはそうですね、古代ギリシャ。
古代インド。
インドです。まだインドです。
楽しんでいきたいと思いそうで、
次回も引き続きよろしくお願いします。
お願いします。
今回もありがとうございました。