ヒュームの哲学の導入
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
このラジオは、身近なテーマをきっかけに、哲学について楽しく学んでみようという番組です。
哲学好きの弟と、哲学に馴染みのない兄の兄弟二人でお送りしていきたいと思います。
改めまして、兄の菅野共介です。
弟の林です。よろしくお願いします。
はい、前回シリーズがジョン・ロックということで、今回はその流れを引き継いだ方というような話でした。
そうですね、よくね、イギリスの経験論とかで言うと、ロック、バークリー、ヒュームとかっていうふうに3人で言われたりするんですけれども、
その3人目のヒュームですね。6回の時にもお伝えしたんですけれども、そこからカントへの流れが繋がっているらしくて、
ちゃんとわかってないんですけど。
うん、そこは次みたいな感じか、カントまでやろうみたいな。
次にやっていくんですけど、なのでロックをやったんでも、せっかくならヒュームを経て、カントまでというところの一つの流れでやってみたいなと思って、
今回ヒュームを取り上げました。
ヒュームとカントの関係
あれだもんね、今回ジョン・ロックやってみて、カントが言うところのイギリス経験論とデクラート的な大陸合理論。
そこをカントが統合したっていうところで、意味がわからなくなったみたいな話でした。
そうですね、カントがいたというよりは、統制を持つような人がカントを評価してるみたいな話があったときに。
何回だっけ、たぶん3回か4回ぐらいだと思うんですけど、兄貴がデカルトっぽく、神様、人間の理性で全部説明できるんだとか、
そういうふうな発想で聞いたときに、ロックの話が理解できないというか、愛議入れないみたいな気持ちになったときがあったと思うんですけど、
実際、思想的にもそうなんですよね。合理的な理性で全部説明できるという話と、
そういうものはなくて、経験というものから、やっぱりいろんな人間の知性とか理性ってできてるんだみたいな話って、
そもそも出発点が違うじゃないですか。
ちょっと振り返りになるけれども、いわゆる誠徳観念みたいなこともあると思うんですけど、
人間を生まれながらにして、神様とか、そういう観念を持ってるんだっていう話と、
いわゆる人間というのは、作詞、ロックが言う通り、作詞で生まれてきて、そこに経験というものが書くまで知識になっていくんだみたいな、
それってそもそもが違う発想じゃないですか。
前者が大陸側で、後者がエディス、経験論のロックって書いてあるかな。
だったときに、普通に考えたら全然違うことを言っているんだけれども、
ちょっと先ほど言ってたカントの場合は、もともとの合理論的な考え方に、
ヒュームの考え方っていうものを取り入れたときに、こんな発想できるんじゃねっていうことを考えてたらしいんだよね。
へー、そうなの?じゃあ今回やるヒュームって、カントの哲学に直接的に影響を与えてるみたいな感じなの?
そうそうそうなんですよ。
年代的にはヒュームが生まれたのが1711年で、カントが生まれたのが1724年なので、
10年くらい違うんだけど、ほぼ同年代って言っていいんですよね。
実際に調べてみると、カント自身がヒュームのことを読んで、
独断論とか理性を絶対的な土台とする発想がこういうのだと思うんですけど、
それの微睡みから目覚めたんだみたいなことを書いてるらしいんだよね。
おー、そうなんだ。
っていうぐらいヒュームのことを言っている。ただカントが言うには、説論まで同じじゃないよと。
説論とかされることは違うんだけど、ヒュームの発想ってのはめちゃめちゃ役立ったぜっていうことも言ってるんだよね。
へー、そうなのね。
面白いのが、ヒュームすげーみたいな、カントに影響を与えてるなんてすごい哲学者だとかって思うんだけれども、
あんまり時代を避け取りすぎたりとか、ヒューム自身が早熟すぎて、
長い間哲学者っていうよりも歴史学者として評価された人なんですよね。
へー、そうなんだ。
そう、歴史学。逆に哲学のほうは、同時代の人からすると受け入れにくかったらしくて。
そうなんだ。
で、やむを得なくっていうか、もっと世の中に受け入れられやすいものをここと思って書いたのが、イングランド誌っていう歴史書みたいなのがあるんだけど、
これがベストセラーになって、ヒュームさんすごい歴史学者だみたいな感じに当時あったらしいんですよね。
そうなんだ。へー。
なので、そういう意味ではね、そういう哲学だけじゃなくて、そういうことやっても評価されるぐらいなんで、
めっちゃ優秀な人だっていうのは間違いないんだけれども。
そうね、なんかその運動感を調整できるのってめっちゃすごいよね。
うん、めっちゃすごい、そう。
で、ただやっぱりそのね、いわゆるイングランド誌の方を書いたのは43歳ぐらいの時なんだけれども、
その哲学でこういうことを書きたいって思ったのって、彼は18歳の時なんだって。
因果律の批判
なるほど、その頃にはもう気づいてましたよ、私と。
そうそう、見えてましたよ、と。
だから、ほんと今は早いうちからしたんだけれども、
逆に若いがゆえになのから、こうね、落としていくとさ、いろいろ冷静に物事を考えたりとかさ、
ちゃんと自分の意見だけじゃなくて、いろんなことに目配せしようとかできると思うんだけれども、
ちょっとあまりにも若かったのもあったのか、あるいは自分の発見、思いついたアイディアがすごすぎたと思ったのか、
なんかね、あまりにもそこに没頭すすぎて、ちゃんとこれを形にしたいとか、
深く考えすぎた結果、ノイルモゼになっちゃうみたいな。
おー、なるほどー。これは面白い。確かに若さかもしれないね。
ね、あるしね。
文字通り病的なまでに、自分の思いついたアイディアとか、もっと言うと、
例えば人間の性質ってどんなことなのかとか、
心理を救出する手段とは何かとかっていうのが哲学的なことに没頭しすぎちゃうみたいな。
そういう人がヒュームっていう人なんですよね。
なるほど、なんかすごそうだね。
すごいらしい。らしいって言うのは、僕もまだわかってないかもしれないけど、
学べば学ぶほど、今こういう人に読んでるんだけれども、かなり徹底した人なんだってめちゃめちゃ思うんですよね。
ごめん、根本的に話したけどイギリス人だったな、この方は。
そうそうそう、イギリスの中でもスコットランドの人なんですよ。
へー、そうなんだ。
うん。だからロックがね、必須のイギリス人なんだけれども、
北の方かな、イギリスって今でも複数の、いわゆる連合国なわけじゃないですか、
中でスコットランドの生まれの人です。
へー、そうなんだ、それもまた面白いね。
その中をさらに主流?ロックは多分イギリス、インランド?
えっとね、必須のイギリス人、いわゆるパリに近い人とかですかね。
スコットランドからちょっと離れたというか、これから集まっていってるんだね。
これも面白いね、ちょっとこう、主流から一歩引いたところから入れそうというか。
そうだね、私、パークリーさんがアイランド人なのかな?
えー、あ、そうなの?
そう。で、そこでちょうど1711年にネヒウムが生まれましたと言ったんだけれども、
イギリスとスコットランドとかがいわゆる一つの国になる連合国化するのが1707年とからしいんですよ。
なので、歴史的にもイギリスという国が広がっていくとか、その発想が周辺の地域でも広がっていったときに、
そこで受け取ったパークリーさんとかヒウムさんが、それをある種発展させていくというか。
へー、なるほど。それぞれの場所にいた天才たちが、ロックの影響を受けてね。
そうそうそうそう。で、それで自分もっと考えられるかもって考えていくみたいな。
で、そのヒウムをまたカントはね、もちろんネイリックはドイツの人だから、
ヒウムの勘がドイツにいたカントは受け取って、そっちがまた広がっていくみたいな。
そういう訴求効果がいろいろあったみたいなんだよね。
面白いよね。意図しない抜本というかね。
そうそうそう。
そういうところもね、今回のロック、ヒウム、カントってどこでお伝えできるかなと思ってるんですけど、
ヒウムの病的ダメージに突き詰めましたって言うと思うんですけど、
何をそんなに突き詰めてるのかっていう話なんですよね。
もちろんそれは一言で言うのは難しいんですけれども、
あえてヒウムの哲学みたいなのは一言で言うと、因果律の批判だって言われるらしいんですよね。
因果律ね。
もっと言うと、いわゆる神による真理というか、
世界は神が作ったっていうことを否定する、そういった話らしいんですよね。
因果律っていうのがそっちのイメージなんだ。
現代で言うと因果って化学的な鉄を何度以上にしたら解けるとか、
割と化学的なものだったりとか、仏教で言うと縁起とかっていうふうな感じで、
Aが起きればBが起こるみたいなのがあると思うんですけど、
その時代の因果ってあくまでも神様の話なんですよね。
神が秩序を作ってこの世界があるとか、神の御像によって我々は生きているとかっていうのが因果なんだけど、
彼自身もその時代の流れでいくと、結構元々は経験なというか、新人深い人だったらしいんですよね。
大学生ぐらいの頃には結構その信仰心ってかなり冷めちゃっていて、
神を信じないというか、神様がいなくても、神様に頼らない世界の認識ってあるんじゃないかっていうことを突き詰めていくみたいなんですよね。
僕からすると当たり前に感じるんだけれども、前回あれだけラディカルじゃんとか、
世界を変えたいって言ったロック、それは経験の根底には神が与える知性というか、
そういう平等性があるっていう話をしたじゃないですか。
そこはちゃんとピューリタンという信仰の元にやってた気がするよね。
あるいはロックが100年近く経った時にヒュームっていう人は、それすら捨ててしまうというか、棚上げしちゃうんだよね。
でも確かにジョン・ロックは意図してないだろうけれども、前回やったジョン・ロックのタブラ・ラサーというか白紙的な。
ところを言われちゃうと、このヒュームがそういう、あれ?白紙だったら神にないルートあるんじゃね?みたいな。
そう申しちゃう人が出てくるというかね。また面白いよね。
そうなんですよ。
基盤を作ってしまってるからね、ロックはね。
そうやってるんだけれども、でも当時言うとそれっていわゆる無神論者、もっと言うと神様を信じない、普通にあらず道的な。
結構そういう感じなんだよね。あとはまたちょっと増えるんですけど、晩年ヒュームとかって守られたりしてるのよ、業界から。
そうなのね。その信仰してないところを態度に表しちゃったからね。
まあね、本に書いちゃってるからね。
そうだね。
神なんて書いちゃってるんで、それ言った仕方ないって感じもあるんだけれども。
ただこれちょっと想像してほしいんだけれども、当時神がいないとか、神を前提としない世界を考えるっていうのは、今で言うとどうなんだろうな。
これ違うかもしんないけれども、ソリューシとか原始とかってものを信じなくって、全く違う原理で世界を説明しようとするみたいな、もうそんぐらいのことなんだよね。
あとはパッと思いつくのだと、お金だよね。
お金ね、はいはい。
お金なんかどうでもいいっていう、それを貫いちゃうみたいな、難しさがありそうだよね。
だいぶ社会からはぶられるというか、社会を貫いてるのが難しくないそうな相当。
そうだね。お金って面白くって、お金っていう存在だけじゃなくて、お金というものが機能する社会とか歴史とか、そういうものが全部ひっくるめてあるわけじゃないですか。
ヒュームの哲学的基盤
神を否定するともそれで、当時は常識だけじゃなくて、それまで何百年、千年くらい積み重ねられてきた学問的な発見とか知見とか、当時のそういう価値観とかって、全部ひっくらめて乗り越えるみたいな、そういうことなんだよね。
だいぶ柔らかしてるね。
なんでよって話はあったけど、これは僕もヒュームに共感されてておこがましいんだけれども、
彼自身が勉強とかしてる中で、いろんな人の本を読むわけですよ。
いろんな偉人とか学者とかの本を読んでいくんだけれども、それってこんなにたくさんあるのに、一個も特定的なことを述べていなくて、
人間とは何かとか、世界とはどうあるかみたいなことって、むずかしいけど、やっぱり世界の根幹なわけじゃない?
そこに対しても、迷惑な答えじゃなくて、ひたすら論争してんじゃんみたいな。
そういうことをヒュームは思ってたわけなんだよね。
ちなみに僕はこれを幸せについて思って発表されたわけなんだけど、
誰も幸せについて教えてくれないよみたいな。
こんなにいろんな本があるのにね、幸せになり方。
いろんな本があるのになりたいとかいっぱいあるのにないとかって思ったんだけど、
ヒュームに関してはね、そんな感じなんだったら、過去の権威とか偉人とかって必要なのやめて、
俺が新しい真理っていうものを、真理を作るわけじゃないけど、
真理を確立する手段とか、それを発見するための三つ字っていうのを作ってやるぜと。
そういうふうに考えちゃうわけよね。
だいぶ大義を抱いたね。
しかもこれが10代、18歳とかそういう時のヒュームの発想なんですよ、という感じなんですよね。
いいね。だからこその漢字かもしれないしね。
漢字ってのは?
若い時にさ、そんな系いろいろ。
たぶんこんだけすごい人だから、割といろいろ読んだんだろうね。
そうね、がっつり読んでると思う。
いろんな人に話聞いたんだろうね。
だけど、あれって思っちゃったんだろうな。
そこに突っ込むっていうのは結構エネルギーとか情熱が必要だからさ。
確かに。
このまっすぐさは若さなのかなって思う。
でもそれはあるかもね。やっぱりこう、自分に引き付けてもあれだけれども、
世の中知らないからこそある種盲目的に考えられるというか。
ああ、そうだね、確かに。知らなかったりとか。
もちろん18歳とか17歳はどんなもんか知らないけども、
社会に接続しきってない、まだ。
そこも大きいかもしれないね。
そうそうそう。
さっき言ってね、いつも通りこの後またヒュームの老いたちっていうのもお伝えしていこうとは思うんですけど、
まだこれまでお伝えしてきたような、いわゆるヒュームのラディカルさというか、
まさに罪とか、もう別に神を否定するわけじゃないんだよね。
2・1の神は死んだとかってあると思うんですけど、
あれも今から思うと、こういうロックでヒュームの慎重さとかを考えると、
まさにやらかしてるな、2・1って思うんだよね。
そうだね。
そう。ヒュームは別に神が存在しないとか、いないということは言わないんだけれども、
少なくとも神というものに頼らずに、人間の知性とか理性みたいなものを考えていきましょうみたいな、
そういうことまではやってる感じなんだよね。
なるほどね。
そういった徹底具合も含めて、どんな人生を描くのかを見ていこうと思っておりますよ、という感じなんだけど。
最初のとおりで、ヒュームは1711年にスコットランドに生まれております。
ヒュームの形成期
これもイギリスではあるんだけれども、ちょっと執行というか、人の方ですよっていうのはさっきの話で。
ただね、別に執行だから文明が遅いとか、都会といわゆる田舎だとかいうことじゃなくて、
スコットランドって国というか、それはあったので、その中においてヒュームっていうのはめちゃめちゃ家系としてはいいところなんですよね。
そうなの?
いわゆるジェントリーみたいな話なんだけれども、トキメクとかではないんだけれども、ちゃんと領土を持っているとか、
お父さんは弁護士として知識階級であるとか、これもロックに近いんだけれども、ジェントリー層の出身なわけですよ。
結構ね、生涯安泰かなと思いきやなんですけれども、2歳の時にお父さんが亡くなってしまうんですよね。
早そう。
なので、すぐに僕はトラックして植えちゃうとかではないんですけれども、当時は地難でもあったので、
あんまり領土から来る農税というか、そういうふうな地産とか、あとは遺産とか、
そこで生きていくっていうのはわけにはいかなくて。
家族を継ぐ立場ではなかったんだね。
あ、そうですそうです。
自分でちゃんと生計を立てなきゃね、みたいな。そういうふうな運命を背負っていたんですよね。
幼少期の頃の話をちょっと調べても出てこなかったんですけれども、
大人気は当時の10代かどうかっていう話をしてたけど、12歳の頃に地元のエディンバラ大学に入学してるんですよ。
おお、大学。
スコットランドは14歳くらいから大学に入ったらしいんだけれども、早いんだよね。
さらに早いんだよね。
12歳っていうのはさらに早い。
これもちょっと余談なんだけど面白くて、
大学って言ったら僕らで言うと18歳から入ります。日本の大学とか海外のアメリカぐらいだと思うんですけど、
調べるとスコットランドの大学制度について書かれた論文とかも出てきて、
16世紀はこうだったけど17世紀からこうなってみたいな話の中で、14歳くらいから入ったらしいっていう話を見たんですけど。
当時の大学っていうと、やっぱりラテン語とかギリシャ語みたいな、いわゆる古典的なものもあったんだけれども、
このエリンマ大学って結構進んでいて、まさにロックの考え方っていうのも学べたりとか、
あと当時だとニュートンね。ニュートンの物理学っていうのが出始めた時代らしくて、
それも大学で学んでましたっていうふうな話が残っています。
最先端の教養というか、いろいろ学べるみたいな感じだね。
そうなんです。
さっき言った通り、ヒューム自体はちゃんと自分で飾らなきゃいけないんで、
家族、特にお母さんとかは法律を勉強して、お父さんみたいな弁護士になってほしいよ、みたいなことがあったらしいんですけれども、
ヒュームはそういういろんなことを学ぶのが好きだし、そもそもなんで誰も隠せることを言ってないのかと思っているぐらいの人なので、
自分は哲学だということで、結構そういう哲学書を読んでいた人は、ストア派とかそういうものを含めてむさぼるように読んでいた学生だったらしいんですよね。
なるほど。
その中で、これもちょっと不思議なんだけど、当時卒業するんじゃなくて、退学するほうが当たり前だったらしくて、
15歳で退学をして、そこからさっき言ったより18歳ぐらいで、自分の哲学はこういうものだ、要は因果理由の否定だ、みたいな。
そういうことを思って、それをなんとか形にしようとするんですけど、これも伝えた通りでノイローズになっちゃうんですよね。
結構2年ぐらいもなんもできんみたいな。ちょっと心身とも苦弱ですみたいな感じになるんだけれども、
そこから回復をしまして、ある人は過去の自分と別れじゃないけれども、23歳の時にイギリス、スコットランドからフランスに渡ってるんですよね。
そこで親元を離れて、自分一人で暮らしていきましょうということで渡っていきます。
そこでどんなふうに定期を立てていたかわからないんですけど、彼は哲学者でもあるし、文筆業。
要は物を書いて生きていくというところを目指して、とにかく日々、筆筆活動にかけ暮れたらしいんですよね。
ついに5年後、28歳の時に、もともと考えていた、なんでみんな正しいことを言ってないんだってことに対しての、自分のアンサーソングとしての人間本性論という本を出版するんですよ。
これがいわゆるヒュームの主導作なんだけれども、当然これも花々しくデビューしましたってことじゃなくて、
当然無名の28歳の若者が、なんか知らんけど人間本性論というのを出したそうな本を書いてみたりする話でしかないんだよね。
なので、フランスはあと難しくて、もう一回スコットランド、イギリスに戻って、いろんな出版社の人生とかも頼りながら、
なんとか出版にこぎつけますみたいな感じなんだよね。
フランスで出版したわけではない?
そうなんです。イギリスで出版されてるんだけれども、当然さっきも言ったように無名の若者の本なわけですよ。
ヒュームの社会的評価
いかにヒュームとしては、本心の一作で自分の自作的な基礎ができたとか、世に問うんだみたいな感じなんだけれども、
当然判決はほとんどなくて。
まあ、そりゃそうだよね。
本心の小説をネットダップしてもなかなか難しいだろうね。
そうなんだよね。
いくら面白くてもというかね。
今でもネットとかナロウみたいなところが読んでくれるとかあるかもしれないけど、
当時分厚い本を作って読んで、書店に置かれたとしても、誰が買うんだって話したわけだからね。
そもそもそうはね。PVCが少なすぎるんだね、今とかやって。
そうそう。
そもそものね。
ジャンルとしてもね。
結構ね、晩年振り返った時に、あの時いろいろ本出したんだけれども、あの本は印刷から資産をしたんだみたいな。
要は一応生み出したんだけど、別に生み出した瞬間に死んでたんだみたいな。
その書くぐらいの失望っていうのを当時味出したわけなんですよね。
ただね、やっぱりヒュームさんすごいね、折れないんですよ。
やっぱり諦めなくて、方向転換をせいせい。
さっき兄貴も言ってくれたんだけれども、人間本世論を書いてるけどダメだったと。
やっぱりこれって難しかったし、読まれないものを書いてたんだなって思って、
じゃあもっとわかりやすいものとか、みんな読みたいと思うものを読もうと決意するんですよね。
さっきお伝えした歴史書とかもそうだし、イングランド誌っていませんよね。
イギリスっていう国が、なんでいろんな国と連合国になってきたのかみたいな話をすべて書いていくとか。
あとは当時は政治とか経済とか、あとは社会みたいな、そして世の中の知識人だとは思うんだけれども、
そういう人が関心を持つようなものを、ちょっと軽いタッチで書いてあげてるんですよね。
テイストとかもちょっとそういう大衆向きにして、それをするとちゃんと売れていくんですよ。
なのでフィルム自体も、自分が悪かったんじゃなくって、やっぱりそういうチューニングというか、
ちゃんとみんな読んでくれるものを書こうと思ったら、書けるんだっていうふうにして自信を高めていくし、実際の名声も高まっていくんですよね。
フィルムがすげーすげーとあってくるんだけれども、どうしても社会的には成功しけなかった部分があって、
それがさっき言った、神様は無神論者だっていう話なんですよ。
はいはいはいはい。
最初に書いた人間法正論で、結構神様なしで済ませるようなことを言っちゃったんで、
フィルムって無神論者であって、もっと言うと、神を信じない人を社会的に具合の高い仕事に付け入れさせることはできませんみたいな、そういうふうになっちゃうんですね。
なんかデジタルタトゥーみたいだね。
本当にそう。タトゥーだよ。アナログタトゥーだね、これは本当に。
アナログタトゥーはただのタトゥーだろうけど、そうはね。当時の。
出した。それこそ本人的にはもう終わったと思ってた本だよね。全然売れなかったし、みたいな。
そうだね。
有名になって、ある意味、こんな本も出してるんだって読んだらすげーこと書いてるからね。
まあね。
実際その本だけじゃなくて、他の本とかでも宗教、宗教全体を批判して、宗教の動機っていうのは無知と恐怖にあるんだとか、
一神教の危険性
宗教から一神教って変わってきたんだけど、実はその交代、要は退化してて、
一神教、これも厳しすぎだと思うんだけど、不寛容、他の宗教をまだ認めないから、
それによって暴力とか不道徳な行為の原因になっちゃうんだみたいな。
一神教って社会にとっては危険物なんだぞとかって普通に書いちゃったりするんだよね。
あー、なるほど。結構さっきチューニングしたみたいなさ、何か言ってたけど、結構エンタメ感強めっぽいね。
当時の人からするとさ。結構過激なことを言ってたんだ。
そうそうそうそう。割と先進的な人からすると、そうだそうだよく言ってくれたとかだと思うんだけど、
多くの人からすると、あいつ何言ってんのみたいな。一神教が社会にとって危険だとか、ありえないじゃんみたいな。
そういうことを思えば結構書いちゃってるんだよね。
しかもこれも主義から書きすぎだよとか、抑えた方がいいよとか言われて、このぐらい書いてるらしいので。
それはもっと目の敵にもされるような感じではあるんですけど。
ただそういうこともあって、いわゆる学者とかってね、結構名声が高まってくると大学の教授とかってあると思うんですけど、
教授とかも推薦されたんだけど選ばれないとか。
さっきも言った通り、晩年になるとスコットランドの教会から波紋されちゃうとか。
そんな感じで結構ね、本が評判になればなるほど、彼自身は宗教とか社交的な場、
そういった社会的な場からはちょっと批判しされちゃうみたいな。
そういうふうな状況になっちゃったんですよね。
穏やかな生活と社交
なるほど。ちゃんと本は売れたというか、一日的には成功したけれども、ちょっと危ない人だったんだね。
そうね、当時からそういうアウトロー的な感じになっちゃうんだよね。
ただね、そういうふうに大政とバチバチやって、俺の思想のほうがすごいんだみたいなのをやってたかっていうと、実はそんなこともなかったらしくて。
ヒューマーからすると、自分が正しいと思ったことを書いてるだけだから、誰かを攻撃しようとかっていうわけでもないんだよね。
はいはいはい。
実際結構万年のかなり穏やかな生活を過ごしたらしくて、50歳くらいのときにフランス大使、イギリスのフランス大使の秘書になって、そこで一緒にパリに行くらしいんですよ。
そうするとフランスとかパリでもヒュームの本って読まれたりするんで、結構そういう社交会とか行くときにはヒュームさんだって言ってもたやされるというか。
当時のまさに一流のそういった社交会の人たちと交流をしながら、結構ワイワイと過ごしたりとか。
あとは60歳くらいで引退してイギリスに戻っていくんだけれども、そこに住んでる家とかには結構たくさんの友人だったりとか、街の人たちが遊びに来てて、ワイワイいろんな話をしながら過ごすみたいな。
そういうふうな生活だったらしいんですよね。
アンダーグラウンドの人たちの社交場じゃなくてね。
そういう秘密警察が突入するとかそういう感じではなくて、純粋にみんなでワイワイ過ごしてますみたいな。
彼は1976年、65歳くらいで亡くなるんですけれども、その葬儀のときには街の人が集まってて、王子の人がその死を痛みますみたいな。
そういうふうな感じだったらしいですよね。
教会から波紋されたことはあったんだけど、別に不穏分子とか社会の、まさに有名化みたいなことではなくて、彼自身としてはその社会の中でみんなと一緒に暮らしてきましたというような感じでした。
死と無神論者としての評価
彼の死んだって話をしたんですけど、そのときに一個共鳴深いエピソードがあって。
そんなふうに奥に囲まれて、押してもらいながら亡くなっていったんですけれども、とはいえ無神論者だって言われ続けたわけですよ。
別に彼自身が多分、「俺は神を信じないぞ!」って迷惑に言った?ないと思うんですけど。
ある程度そういう話でいくと、神から見放されてるわけですね、ヒューム自体も。
波紋されてるしね。
波紋されてるし、そう。
それに対してその経験のキリスト教徒たちからすると、生きるとき、元気なときはあんなこと言ったけど、死ぬときは神の祝福とか、来世とかもないわけで、
押されて苦しんで、後悔するに違いないとかってみんな思ったわけなんだよね。
思ったんだけれども、どこまで行ってもヒュームさん穏やかなんですよ。
なるほどね。
やばい、自分天国行けないんだみたいな、そういうのがなかったってことはね、周りから。
なかった。
これはさっきの話で、今の僕らからすると別にそんなの普通じゃんって感じなんですけど、
神のつながりがないまま死ぬっていうことは、やっぱり自分の人生は無に必須というかさ、
そういうふうに、本当に全くわからない、想像すらできない暗闇に突入するというか、そういうふうな発想ってあるんだよね。
まあ、誤解承知で言うと、天国に行くために現世に生きてるみたいな話でしょ。
まあまあ、そういうのもあるよね。
えちゃくちゃ。
えちゃくちゃで、誤解を恐れながら言うとね。
そういうふうなイメージでみんな過ごしてるんだけど、
神から感じたヒュームにはそれがないとした時に、絶望に囚われて死んでいくんだと思ったんだけれども、
結構病気が進行して、大腸がんとかかな。
結構苦しかったらしいんですけど、それもやっぱり冷静に、穏やかに過ごしてたらしいんですよ。
何なら普通に仕事をしたりとか、経済で話したりとかもして、死んでいくんですけれども、
まるしね、キリスト教徒の人からすると、何か外れだというか、なんていうのかな、想定外なわけなんですよね。
ある意味、これ見ろって言いたかったんだよね。
そうそうそう。反応されて、神に関わらなくなって苦しんでいっただろうって言いたいんだけど、あれなんかそうじゃないぞと。
しかもね、そのヒュームの友人に有名な経済学者のアダム・スミスがいるんですよ。
同年代だね。
クローンを書いてアダム・スミスさんがいたんですけれども、
死ぬ間際とかもアダム・スミスとの交流があって、
スミスさんがそういうヒュームの状況を踏まえて、死に向き合う中でも冷静に、穏やかに亡くなっていった、自分の死を向き合っていったっていう意味で、
それ自身が人間性の高さというか尊厳なんだみたいな。
そういうことを称賛する追悼文を書いたんですよね。
スミスさんとしてもヒュームさんのそういう素晴らしさを讃えようとしたんだけれども、
それに対しても、一般的なキリスト教というか民族教というか、
神様を信じたやつに人間性の高さとか尊厳なんてないんだみたいな。
そういう一斉非難をするっていう飛び火しちゃったんだよね。
アダム・スミスいいね。
今からするとツイートでXで投稿したのに、彼はそんな人じゃないとかって言ったらそっちの人が炎上するみたいな。
ほんとそんな感じね。
あんな人の死を痛むなんてみたいなね。
あの人を汚すなんて、あなたも犯罪者ですか?みたいな。
そんなことがバンバン飛んでくるみたいな。
当時は無神論じゃん。あなたも神様信じないんですか?みたいな。
まあ、その挙動も分かるけどね。
まあね。
そのぐらい18世紀後半、1700年代後半というぐらいのイギリスであっても、
神っていうものの距離感だったりとか、
あくまでも神の前提としての世界観ってすごく強かったんだよね。
だからその時代に、さっき言った神の前提としての世界観を考えるとか、
人間性とかを考えると、いかに、
本当に全部の場合を消されるというか、
ゼロから考えることだったか。
そのすごさをヒュームには感じるなって思うんだよね。
いやー、そうだよね。
だから、その信仰が拠り所だとしたらとってもいい。
たぶんね、一定程度ヒュームみたいなさ、
そこを拠り所にせずに生きている人たちって言ったかもしれないけれども、
その中の超天才というかね、一等みたいな感じがするよね。
そうだね。だし、やっぱりその、
まず信仰としての罪だけじゃなくて、世界観の根底にある罪だから、
やっぱりその、キリスト教を信じませんとかって話とも全然違うんだよね。
あー、そっかそっか。よりのこの位置しないんじゃなくて、
なんだろうな、もうちょっとフラットなんだよね。
フラットっていうか、ごめん、どういう感覚だろ、兄貴のフラットって。
フラットっていうか、まあ、俯瞰で見てるか、その自分も、みたいな。
ヒューム自体が?
ヒューム自体が。その上で、違うルートもあるよねっていうのをきちんと、
本気で探求してるみたいな。
まあ、違うルートがあるというか、なんだろうな、
自分がそれを作っていったって感じが正しいだろうね。
へー、はいはいはい。
感覚的にやっぱ、神を前提とした世界っていうものがそもそも存在できない時代だから、
それを考えるっていうと、結局はもう一個新しい世界を本当に作り直すって感じだと思うんだよね、ヒュームからすると。
あー、そっかそっか。だから、他のルートを見つけるとか、そういう表現をしちゃうと、
本来ヒュームは否定じゃないけれども、違うじゃんって言ってた、
僕ら若い頃だよね、みんなが決定的なことを言わないっていう、
もう一人になっちゃうんだね、自分も。
ありもしない何かを見つけに行こうとすると。
そうですそうです。
そのものはないって言いたいよね。
そのものはない。
だから作っていくしかなかった。
そうそうそう、そうです。
結構表現として微妙というかでも重要なところなんだね。
いや重要だと思う、そうそうそう。
なるほど。
哲学的にすごいというだけじゃなくて、やっぱり人間、生き方としてもやっぱりそれを前提としない生き方とか、
サモンサイトとしても、人としてちゃんと自分の真意を持って生き続けたっていうこと自体がやっぱりすごいというか、
当時の時代からしてなかなか普通はあり得ないこと。
なるほど、その感覚は、それこそあれじゃないかな、カントとかの時じゃないかな、違うかな。
話したっけか、そういうの。
いや、なんか、それこそなんていうの、目の前のものをさ、
はいはい。
いかに信じないかというかさ、なんていうの。
あーなるほどね。
この次踏み出す一歩すら正しいのかどうかとかさ、
次踏み出す一歩の足元崩れるんじゃないかみたいな動感ってあるじゃん、自分で全部つくっていくと。
そうだねそうだね。
あとそういう世界観で捉えると、みたいなさ。
うんうんうん。
目の前の木がみたいなのを話してたのってあれかも。
それはあれだね、えっとね。
サルトとか。
サルトだよサルト。
サルトの実問主義だね。
サルトはもうちょっと後。
後?
サルトはたぶん19世紀とか20世紀とかだけど、
でも近いかもね。
まさに同じ意味で言うと、やっぱり世界の根底を崩すとか、
土台として支えてくれた神であったりとか、
サルトで言うと実存、存在というものの在り方だよね。
物が崩れた時にまさに世界がぐにゃぐにゃで歪んでしまうとか、
自分を支えていると思っていた世界というものが崩れ去る感覚っていうのは近いかもしれないね。
そういう人と一緒に言いながら生きてるみたいな人でしょ。
そうそうそう。だから構築しないといけない。
それこそやっぱりヒュームもそうだし、
サルトもそう思うけど、やっぱり精神的に追い詰められて、
その中でもやっぱり自分をもう一回、世界をもう一回作り直す。
自分が生きる世界観というのもやっぱり構築し直すというふうになった人だから。
そういうのは確かに近い部分があるかもね。
そういった意味でこのヒュームはノイローゼにはなっているものの、
ヒュームの人間性と哲学
ちゃんとこうやってその社会と接続しながら、
ちゃんと性を全うしたってさ、やっぱすごいバランス感覚だったね。
すごい。すごいと思う。
でね、その人間性を讃えたスミスさんがさ、
そんだけ批判されるぐらいだから。
だいぶ嫌われてるよね。
そうなんだよね。
神様側というかね。
そうそうそう。だからたぶんユキコ当時からも、
いわゆるのない扱いとかさ、批判とかってバンバンされたと思うんだよね。
今全くわかんないXで言ったときにさ、アンチがガンガン湧いてるみたいな。
でもアンチの方が主流派だみたいな話をしたときに、
やっぱりこう多分遠いヒュームさんからすると、
自分のやっぱり愚痴られたものはこれだとか、
ユキコさんと世の中で受けられてるじゃないかって時期とか時診?
世の中で言ってあったんだろうなぁとは思うね。
すごいな。それがすごいな。
その重さに、相手の重さに耐えられなさそうだけどね。
いや本当に。
どんなに自分が正しいって思っててもね。
そうなんだよね。
そういう意味でこういうエピソードを聞くと、
ヒュームさんの人として貫いて生きたという感覚とか、
やっぱりすごい評判も良かったみたいで、
優しいとか温かみがあるとかっていう感じでやっぱり言われてたらしいので。
単純にやっぱり人柄としていい人だったとか、
ちゃんと人と付き合ってたからこそ、
そんなに威力じゃなかったりとかそういうのもあるのかなとは思うよね。
はいはい。そこはあれだよね。
ハイトが今回言ったけれども、
相手側を批判するとか潰そうとかじゃなくて、
ただただ本当に自分が信じるものをただ出していて、
人隣も普通だしめっちゃ良い人らしいみたいな。
その不思議さとか、
あと気持ち悪さみたいなものはあったのかもしれないね。
なんなら攻撃してくれた方が排除できるのにみたいなね。
まあね、分かりやすいと思うよね。
そんな感じで今回哲学に行く前の
ヒケムさんの人柄というかそういう追い方をちょっと尊ってきましたよ。
次回以降はね、より詳細に哲学の方をやっていこうと思うんですけれども、
ちょっと遅れた通りで、
ヒケムさんの哲学の根幹っていうのは、
神様なし、神様を前提としなくても、
ある種の大切な世界観とか人間の認識って何だろうみたいな、
そういう話をしていくんですけど、
そこは意外と前回のロックとかの流れも結構何でというので、
その辺は復習というか、
一回触れつつも、
ヒケムさんの哲学を前5回くらい、
今回触れて5回分くらいお伝えしていこうと思ってますので、
ぜひまず一緒に味わっていきたいと思っております。
わかりました。
なんかヒウムさん魅力的だね。
人として一貫してる感じがあっていいよね。
そういう人がどういうことを考えてたのかもだし、
また、社会の許容性みたいなのも広まってたのかな。
言論とか。
そうだね。やっぱりロックの時代は製品がガンガン変わって結構大変だった時代だけども、
ヒウムの時代は結構安定政権で国自体がわりと豊かだというか、
落ち着いたところでもあったと思うから、
そういった流れがあったんじゃないかなと思うな。
なるほど。わかりました。そんなヒウムの哲学ですね。
次回から見ていきたいと思います。
では次回も引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。