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2024-05-15 31:05

#214 数学者で哲学者!100年続く学問を作った「ホワイトヘッド」ってどんな人?

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。

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サマリー

ホワイトヘッドは数学者であり哲学者です。イギリスで数学の教授を務めた後、アメリカで哲学の教授になりました。彼の哲学はプロセス哲学として知られており、著書『家庭と実在』が有名です。ホワイトヘッドは数学者であり、哲学者でもあります。彼は亡くなる数日前まで自身の仕事を続けており、数学者としても一流の実績を持っています。彼が哲学者になった理由には、第一次世界大戦の危機感と、物心二元論への挑戦という欲求がありました。

ホワイトヘッドのプロフィール
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
このラジオは、身近なテーマをきっかけに、哲学について楽しく学んでみようという番組です。
哲学好きの弟と、哲学に馴染みのない兄の兄弟二人でお送りしていきたいと思います。
改めまして、兄の観野京介です。
弟のハヤトです。
よろしくお願いします。
ここまで久々の東洋をやってきて、東洋が恋しいみたいな話をしてたんですけど、だいぶもうお腹いっぱいになったんで、また西洋に戻ってくるというところでした。
注文の多いお客様が、フランス料理飽きたから中華持ってこいみたいな。
申し訳ないね。
僕も楽しくやってるんであれなんですけど、今回から前回までもお伝えしてきた、ホワイトヘッドという名前だけでお伝えしてきた人を取り上げていこうと思っておりますよと。
最初にすみません、お詫び。兄貴にも皆さんにもお詫びなんですけれども、まだ今回どういうふうにホワイトヘッドさんを取り上げるかが、僕の中でまだ固まってなくて。
一応本を1ヶ月くらい通読したりとか、その人の書いた全集とかも読んでるんですけど、あまりにも膨大すぎて、どこを聞いとったら自分も面白いし皆さんにも面白く伝わるんだろうってまだ見切ってないんですよ。
ホワイトヘッドの哲学
若干見切り発車感はあるんだけど、次台本作って収録するまでには頑張るんで、第1回はまずはいつも通りホワイトヘッドさんこんな人ですよっていうのをまずはお付き合いいただければなと思っていますというお詫びから入りましたという感じで。
なるほどなるほど。この自転車操業収録のスウェーデンスラジオの悪いとこだね。ホワイトヘッド全体像見える前にもう実は本読みながら台本を作りながら収録も始まってるっていう。
今から別の人をやるにはちょっと勿体なさすぎるが、好きっていうか、僕自身もホワイトヘッドのやつが高まってくるんですよ。
ちょっとこのタイミングでなんでこの人ですかっていうのもあるんだけど、理由は2つあって、1つは、2つあるんだけどどっちも既言教で繋がる部分がありますって話なんだよね。
だから既言教の後にホワイトヘッドさんがいたかったっていうのは大前提あるんだけど、既言教の時にもお伝えしたんですけど、仏教の本を読んでるとあちこちに既言教にもあってとか既言教でも触れられていてとかっていう言葉があって気になったとかって話をしたじゃないですか。
実はホワイトヘッドさんも同じようなことがあって、これはホワイトヘッドにも通じるとか、ホワイトヘッドも考えていたのであろうがみたいなことが書かれてるんだけど、例えばいろんな哲学の方を読んだときにね。
ホワイトヘッドのことなんか全然わかんないけどすごそうみたいな。そういう感覚があったんですよ。
かつて色々調べてみると、ホワイトヘッドと既言教ってちょっと共通点があると言いづりかもしれないんだけれども、結構似た世界観を扱えるようなところがあるんですよね。
具体的にこの研究者が研究してますかって見当たらなかったんですけど、例えばGoogleで既言教ホワイトヘッドって調べてみるとちゃんと出てくるんですよ。
その繋がり的な。
繋がり的にね。何が出てくるかっていうと、これがエンサイクロメディア空海っていう、空海のときにちょっと触れたんですけど、空海とか密教について膨大な説明がある恐ろしいサイトがあるんですよ。
エンサイクロメディア空海ね。これ読むだけで本当に1ヶ月ぐらいヒモ潰せんじゃないかってぐらいすごいサイトがあるんだけど、
その中にね、まさにホワイトヘッド空海っていうのがあって、かつその中にホワイトヘッドと華厳教っていうのは近いんだみたいな話が書かれたりしますと。
どんなふうに書かれてるかっていうと、ちょっと読むんだけど、物質面、これ脚体ね。
脚体って何?
物質とかさ、いわゆる主体と脚体とかっていう。
いきなり脚体って言われても。
ごめんね、確かに。出てこないから日常語に出てこないですね。
主体と脚体っていうのがあったときに、物質イコール脚体。これがいわゆる多いものなんだけど、
それと精神、これが主体で、いわゆる心とかっていうもので、これが位置ね。
要は世界を見る位置の存在。
そうしたときに、この両面性によって、この位置と他が互いに溶け入って自己形成作用に関わるといった論理は、
空海のとく第九獣神の華厳教の次元と同じであるっていうふうに書いてるんだよね。
ちょっとわかんないと思うんですけど。
ホワイトヘッドの著書『家庭と実在』
東洋飽きたとかさ、西洋恋しいって言ってごめんねって思うよね。
やっぱり固い言葉が多いな。
固い言葉多いよね。そうなんだよね。
自己形成作用とかさ。
ざっくり言うと華厳教でやったじゃないですか。要はジジムゲみたいな感じで、いろんなものが溶け合ってますよみたいな。
これも結局ホワイトヘッドもそういうふうに、ある物事が溶け合うみたいなことを考えたんですよ。そんな話なんだよね。
もちろんある思想とある哲学が同じだとか、時代も場所も違う哲学者とか、宗教的な思想が全く一緒だとかっていうのは、
ちょっと注意しなきゃいけないというか、そんな簡単に言えるもんではないんだけれども、
やっぱりなんとなく近しいものがあるとか、同じような物事を見てたんじゃないかということは言える部分があるらしいですよね。
なのでそういうふうな近しい世界観を扱っていそうだとか、
なかなか興味を持ちながらも、手を出せなかったホワイトヘッドをやってみたいとかっていうのは個人的なことなんだけれども、
自分の中にはあったので、そういう意味では見切り発車ではあるんだけれども、ぜひやりたい、やらせてほしいですっていうのが今回の回ですよというふうな感じなんだよね。
はいはいはい。こっちにとっても、今やってもらわないとさ、前も言ったけど、けごん教忘れちゃうから。
そうなんだよね。なんとなくけごん教的なとか、理と字の話でっていうふうな言葉はまだ言える段階ではあると思うんで、
そういう意味でも、今回ホワイトヘッドを取り上げましたよっていうふうな感じなんですけれども、やっぱりホワイトヘッドさんも例に漏れず、非常に段階の哲学者っていうふうに言われがちなんですよね。哲学者みんなそうなんだけど。
さっきのでもうわかったよ。
さっきのはホワイトヘッドさんの言葉じゃないから。
違うんだ。
ホワイトヘッドの哲学とけごん教っていうのを結びつけようとした人が言った言葉があれってこと。
彼の本をいろいろ出してるんだけれども、書著と言われるのがいくつかあって、その一つに家庭と実在っていうのがあります。家庭っていうのはいわゆるプロセスのことね。
家庭と実在は実際に存在するものなんだけど、この家庭っていうのはプロセスなので、ホワイトヘッドの立場はプロセス哲学とかって言ったりして、日本でもいわゆるプロセス哲学学会かな?
っていうのがあったりするぐらいなんだけど。
なのでこの家庭と実在を最初に読んだら絶対に挫折するぜみたいな。挫折浮世絵に見た人があちこちに行く。
なので無理だなと思った。
わかりやすいって言われてるタイトルの本がいくつかあって、それが思考の諸様態とか、あとは観念の冒険っていう本があるんだけど、これも一応読んだんだけど、なんとか。
でもやっぱりわかんないんですよね。わかんないっていうか、わかりやすいってなんだ?わかりやすいって言葉がわからんわみたいな感じなんだけどね。
一応解説書みたいな感じではあるの?
ホワイトヘッドが自分の言ってることをわかりやすく、ホワイトヘッド的にはわかりやすく伝えますよっていう感じかな。
ホワイトヘッドの本ではあるんだ、そっちも。
ホワイトヘッドの本ですね。
一応解説書とかもあるんで、それも読んでて、ホワイトヘッドの哲学みたいなこともあるんですけど、それはやっぱり難しいんですよ、当然。
なので、あくまでもケゴン教っていうところを横目に見つつも、自分が興味を持った部分とか、ホワイトヘッドのこういうところが面白かったんすっていうのをお伝えしてるという感じでやらせていただきたいなと思っています。
いやー、それでありがたいっすよ。読めないもん、多分。絶対読めないもん、1ページも。
確かにそれはあるかもしれない。
僕も悔しいというか、ホワイトヘッドってそんなさらっとやるような人ではないんで、
悔しい。
悔しい。やっぱりちゃんと理解したいわけですよね。
ちゃんと哲学、好きからするとね、推しからすると。
ホワイトヘッドは好きというか、自分の興味関心に近いところをすごい勢いで掘ってくれてる人だと思うんで。
なので引き続きホワイトヘッド自ら勉強していくんで、ちゃんと読み込めたなとか言って、自分の中でなんとなく腹落ちしてきたなと思ったらまた取り上げたい哲学者ですっていうふうには言っておきたいですよ。
そのぐらい高い山だと思うんで。
そういったら、もちろん他の哲学者も全員もう一回取り上げてもいいぐらい深い世界を持ってるんですけど、
だから私、それ哲学者をシーズン2みたいな感じで、まだそこらですからもう一回全員やり直すみたいなさ、
2年間かけてね、
のことがあってもいいかもしれないぐらいだなって思って。
それはちょっとやってほしいけどね。
本当に?
もう一回、実は忘れてるし、前のを聞き直してもいいんだけど、
また多分、今だからハヤトが言えることとか、今だからの着眼点だったりとかさ、
当時入れられなかったこととか、当時理解してなかったこととか、
またね、台本書く方法も変わってるだろうからね。
絶対それはあるね。
それは面白いかなとは個人的に思うけどね。
確かにリメイク版みたいなのもありかもね。
相当にやっていかなくてもいいけどね。
今回最初にソクラテスやイマスでさ、その次にプラトンとかやらなくてもいいから。
確かにそういうのもやると、本当にそいつ達は終わんねえぞみたいな感じがあるんで、
全然それは不正なわけでやっていきたいと思っているんですけれども、
今回はね、まずはホワイトヘッドの老い立ちというところをやっていこうと思っておりますが、
さっきごめん、ちょっと言い忘れたかもしれないけど、
ホワイトヘッドさんね、実は哲学者なんだけど、哲学者兼数学者なんですよ。
あ、そうなんだ。
元々はイギリスで数学の大学の教授をやってらっしゃってて、
そこからアメリカに渡って哲学の教授になったという、結構珍しい経歴の人なんですよね。
そうなんだ。ちょっとデカルトっぽい。
あ、そうねそうね。デカルトも数学からね。
確かにそうだよね。
うん、そうそうそう。
ホワイトヘッドの生い立ちと学生時代
まず哲学者兼哲学者なんだけど、そんな感じかも。
結構ね、しかもすごい若い頃からバリバリ活躍した天才とかってことよりは、
37歳で初めて本を出して、しかもそれは数学者としての本なんだけど、
そこから哲学者になって、63歳以降で哲学者としての実績を積み上げていくみたいな、
結構逆に言うとバケモンみたいな人なんだけど、晩年86歳まで生きるんだけど、
本当に死ぬ数日前まで、自作というか自分の仕事をし続けましたみたいな人なんだよね。
なるほど。実際に悟った人なのかもしれないね。
その世界まで生きてるかもしれないね、ここまで言うと。
大分地から行くと、まず生まれはイギリスですと。
生歴1861年なんですけど、これはだっかりとハイデッカーとかウィトギュンシュタインよりもちょっと前みたいな、
20年くらい前に生まれてますよみたいな人なんですね。
あ、そのくらいなんだ。
ほぼ同時代に言ってもいいと思うんだけど、
そこから結構長生きをされて、1947年に86歳で亡くなられています。
お父さんはイギリスのキリスト教の教会の聖職者。
私立の学校の校長先生みたいな感じで、理事に近いのかなっていう感じで、
いわゆる上流階級というか、結構文化的には恵まれた環境で育っていたらしいですよ。
またさっきも言った通り、いわゆる天才派だっていうよりは、結構秀才みたいな感じで、
本で読むところに行くと、いわゆる学校の総代、生徒会長みたいなものだと思うんだけど、
あとはクリケットのキャプテンだから、日本で言うと野球部の首相みたいなところになったりしてて、
結構文部領土的な感じで過ごしていらっしゃいましたよ。
なんかすごい洋茶っぽくて、あんまり哲学を試作にふけるとかそういう感じじゃなさそうだね、これだけ聞くと。
だから割といわゆる優等生タイプっていうのかな、感じなんだけど、
そこからは普通にいわゆる名門ですね、ケンブリッジ大学に進学をして、
そこから30年間、49歳で大学の数学の講師を辞めるんですけど、
そこまではずっと数学者として生きてくるんだよね。
大学もすごいハチャメチャなことをしてたってことじゃないんだけど、ただただ数学の授業だけを取り続けてました。
それで良かったんだ。
それで良かったって感じだったんだけど、
哲学に関しては大学の頃から好きというか学んでたらしくて、
授業でというよりは、いわゆる休日かな、土曜日の夜に非公式の勉強会みたいなのが、いわゆるイギリスとかの大学って電療制だからさ、
ネットマネしてるんだけど、土曜日の夜に哲学の勉強会とかがあって、哲学だけじゃないんだけど、勉強会に参加をして、
まさに関東の純粋理性秘書という本があると思うんですけど、
あれを暗記するぐらい読み込んだみたいな。
そういう話はやっぱり残ってるんですよね。
哲学サークルみたいな感じなのかな。
勉強サークルとかもあって。
ものすごい発想力とかじゃなくて、コツコツ地道にやって、もう覚えちゃいましたみたいな。
そういうところの深さというか、やっぱり才能はあったんだろうと思うんだよね。
なるほど。まあ、数学も哲学に遠くない学問だと思うからね、ある意味ね。
ただやっぱり面白いのが、ホワイトヘッド自身にはいわゆる偉くなってやろうとか、
こういうふうに世の中を変えてやろうみたいな野心というのがほとんどなかったらしくて、
実際大学を卒業したら当然、教授になって偉くなってみたいなことはあるんだけれども、
ホワイトヘッド自体は何が何でも学者になろうとか、偉くなってやろうというのがなかったので、
試験とかはあるんだけれども、講師とかになる。
でも受けたんだけど、結果に自信もないし、正直どうでもいいやって、
結果が出るタイミングで長期の旅行とかに行っちゃうんだって。
連絡もつかないから、大学側が受かったから連絡したいんだけどって思っても、
ホワイトヘッドさん旅行に行ってて、しかも連絡先もわかりませんみたいな。
そんな感じになっちゃうぐらい、結構悠々自的というか、どっしり構えてる人なんだよね、たぶんね。
なんか自由人な感じがするね、その辺は。
だからこそ、変にあれもこれもって手を出さずに、コツコツで数学を積み上げますとか、
自分の興味関心というものを追い求めますみたいな。
ある種、理想の学者と言ったらよくわかんないけれども、
そういうことに着々と積み上げ続けるみたいな、結構そういう人だったらしいんだよね。
まあ親の感じとかはわかんないけど、生活に余裕がないわけじゃなかったっていうのもあるな。
ある程度ね。
だからこそ逆に、30歳とかで初めて、37歳から本を出して、そこから50年くらいかけて、自分の哲学というものは積み上げるみたいな。
ある種の大器晩成型の人だったんですよ。
そういうのがエピソードとしてはありました。
ホワイトヘッドの数学の業績
哲学者として今回は話をしていくんだけれども、実は数学者としてもめちゃめちゃ偉大な実績を残してるんですよ。
その業績としてよく言われる、これも別に一般的ではないと思うんですけれども、
そういうことが好きな人が数学とか詳しい人はもしかして知ってるかもしれないんですけど、
ラッセルっていう数学者がいて、
ラッセルっていう人はWikipediaとかを見ると、アリストテレス以来最大の論理学者であり数学者であるみたいなことは書いてるぐらいなんだけど、
そのぐらいの偉人レベルの人なんだね。
ホワイトヘッドさんは実はラッセルさんの、いわゆるもともと先生で、
ホワイトヘッドが先生で、ラッセルが教えをね。
そこから一緒に共同研究所として研究を始めて、
この10年かけて、プリンキピア・マテマティカっていう、日本語で言うと数学原理みたいな。
そういう本を書き上げるんですよ。
これは3部作あって、どのぐらい数学か僕も正直わかんないし、なかなか伝えるの難しいんですけど、
いわゆる、今学問として記号論理学っていう、
いわゆる物事を記号で捉えるとか、
例えば、AならばBであるとか、
BかつAとかって、よく集合とかそういうのってやったりするじゃん。
あれでさ、例えば、皆さんも数学でやったと思うんですけれども、
かつだったら上向きの山というか丸みたいな。
ならばなら下向きかな。
こういうコップみたいなのを書くとかっていうのを習ったのを何段か覚えてます?
あの記号がちゃんと体系化されて伝わりになったのが、この本なんですよね。
へー、そうなんだ。
なので、ある種100年続く一つの学問の基礎を作った、みたいな感じで言うと、
その凄さというか、ちょっと壮大さが伝わるんじゃないかと思うんですよね。
それがこのブレンキ山手間という本で、
これを数学の分野でラッセルと一緒にやったっていうのが、このホワイトヘッドっていう人ですよ。
すごいね、それはね。
哲学者としても一流なんだけど、その前提として数学者としても超一流みたいな感じなんですね。
ホワイトヘッドの哲学への転向
ちょっと数学の話だけでもだいぶしちゃったんですけれども、
どうして哲学者になったかっていう話なんだけども、
これもね、もちろん明確にこの原因があってみたいなふうには言えないんだけれども、
大きく2つあったんじゃないかっていう話を書いてるんですよね。
一つは、当時1900年前後のヨーロッパって、まもなく第一次世界大戦だよね。
これがあって、その背景には、いわゆる科学万能主義とか、
やっぱり欧米のいわゆる成長成長とか、歴史が発展していって、
より素晴らしい世界になるみたいなこと自体に危機感みたいなものがあるわけなんですよね。
やっぱりそこに対して、何らかの道しるべを与えていきたいというのがありましたよ。
数学っていうのももちろんいいんだけれども、
数学系のことだけじゃなくって、やっぱり世の中とか社会のことについても、
やっぱり自分なりにちゃんと突き詰めていきたいっていうのが一つあるのと、
あとはもう一つは、まさにその兄貴にデカルトって言ってくれたんだけれども、
ホワイトヘッドからすると、デカルト以来の物心二元論というか、
もっと言うと、やっぱり物変調の考え方だよね。
っていうふうなものに対して、自分が物と心のいずれにも語られないような形で、
もっと言うと、それまである種軽く見られていた心とか感覚みたいなもの。
これをある種捉えることで、何らかの統一的な世界観を構築したいみたいな、
そういうふうな野望とか欲求が多分あったんですよね。
思っちゃったんだろうね。
そうそうそう。思っちゃったって、それ自体はもともとあって、
やっぱりさっき言った通り、数学とか論理学の基礎を築いて、
それを原理だと体系化するぐらいの仕事をするような人がいるので、
あらゆるものごとに統一性を持たせたいというか、
構造化したいみたいな欲求というか、それこそ才能だよね。
っていうのはあったんじゃないかなって想像できるんですよね。
いまだか哲学書とか読んだ時に、これ証明できてないじゃんとか、
たぶんすぐ分かってるんだろうね。
そうなんだよね。すぐ分かるにしても、カウントとかを読んで、
カウントすげえだけじゃなくて、いやでもこれだったらこうするとか、
カウントのここは間違ってるってことはやっぱり考える人だったんだろうね。
だからそれはもうすごいよねって話なんだけれども、
ある種数学っていうものを対象に構造化とか一般化みたいなことをしてたんだけれども、
それがさらに自然とかになったりとか、
あとはさらに自然を超えた世の中そのものとか世界の成り立ちとかってなると、
いわゆるそれはもう軽重枠、やっぱりものとかごとを超えた世界になってくるんで、
それがいわゆる軽重枠を扱う意味の哲学者になっていったみたいな、
そんな感じの流れなんですよね。
はい。どうだろう?なんかちょっとホワイトヘッドさんのやってきたこととか、
数学者と哲学者としてみたら、これってなんとなく伝わりましたでしょうか?
いやーそうだね。本の資質、数学的な資質みたいなものと、
あとたぶん興味関心みたいなね、当時さっきあった世界大戦みたいなものもそうだろうけれども、
ホワイトヘッドの哲学の考え方
そこはバチッとはまったんだろうね。あるいはもともとそういうふうにあったものが、
あと30代40代みたいなところでバチッと繋がったんだろうね。
そうですそうです。
じゃあ実際にホワイトヘッドさんがどんな哲学を生み出したのかみたいなところを次回見ていくんですけれども、
やっぱりちょっと冒頭にもお伝えした通り、何を伝えればホワイトヘッドさんの哲学のすごさとか面白さが伝わるんだろうっていうのは、
ちょっとまだ僕の中でも形になりきってないんですよ。
なのでちょっとまたこの週末とか頑張って、またいろいろあれやれこれやら見てみようと思ってるんですけれども、
なんかね、普通にというか、例えばさっき言ったような本を読むとどうなるかっていうと、
そもそも自然とは何かっていうのは定義から考えたりとか、
人間の経験というものを取られるにあたって、まず重要性っていうことから考えていきましょうよみたいな、
結構そういう性を哲学の緻密なことをやっていく人なんですよね。
待てたよ。そもそものところから自信でバチっちゃうんだね。
経験とは何かっていうときに、そもそも経験というのは重要性と、あともう一個の要素に分けられてねみたいな、
そういうふうな感じなんだよね。
なるほど。この言葉だけの感覚だけど、
なんかハヤトの言うとこの意味とか価値とか、それぞれと近い感じ。
めちゃめちゃ近い。
気もするよね、概念として。
ホワイトヘッドの活動と西洋の物心二元論
そう。めちゃめちゃ近いっていうか、まさにホワイトエッドさんは、いわゆる意味付けとか何かっていうことをガーッと緻密にやったりしてて。
そうなんだ。
僕として言えば、この人も学ばなきゃダメだって思ってる人の一人なんだよね。
意味、哲学とかで検索してもすぐには出てこないけど、似たようなというか、かなり同じところからスタートしてそうな人ではあるみたいな感じなんだ。
そうなんです。それをスタートして、むしろやり切ってるというか、一個の世界を作り上げちゃったみたいな人はある。
はいはいはい。
なので、本当にやっていきたいと思っていることは間違いないんですけれども、
だからといって、細かいところを詰め上げても、ホワイトエッドさんの全体の一部しか説明しけんかったってなっちゃうと思うんで、
なんとなく全体観として、こんなことを考えたんだとか、こんな壮大なことを考えてる人がやっぱり西洋にもいたんだみたいな。
そういうふうに着手したらいいなと思っているという。
すみません、すごい踏ん張りしてるんですけど。
そういうことを企んでますよって言っちゃうけ、お伝えしておきますという感じだね、今時点では。
わかりました。前回の日本教との関連的なところも含めて、今重要性みたいな意味価値に近いような言葉が出てきてるので、
それがどうなっていくのかみたいな。面白いね。
デクワット以来の物心言論みたいな、そこに対して西洋の人がガチでそれじゃ足りないんじゃないかってアプローチしたってことだね。
どうなるんだろうね。
本当にそう思ってくれるのがありがたいというか、そういう土台がないとホワイトヘッドさん面白そうってやっぱりならないと思うんだよね。
いつも言うけど、これ第一回でホワイトヘッドがねって言われてもそうだね。何を乗り越えたかわかんないと面白くない。
さっき兄貴も言ってくれたけれども、けごん教の後にやる意義があるというか、
けごん教の後だからこそ味わえる面白み。
けごん教面白いって思ってくださってる方がもしちゃんといらっしゃれば、
そこに加えて、なるほどね、ホワイトヘッドもそんなこと言ってんだ、すげーじゃんってなるんじゃないかっていう期待を込めてやっていきたいと思います。
わかりました。こんなすごそうっていうのはわかったんで、次回以降もぜひ早く頑張ってもらって。
はい、頑張ります。
頑張っていただいて、具体的な中身というのを楽しんでいきたいと思いますので。
では次回以降も引き続きよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いいたします。今回もありがとうございました。
31:05

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