ジョン・ロックの紹介
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
このラジオは、身近なテーマをきっかけに、哲学について楽しく学んでみようという番組です。
哲学好きの弟と、哲学に馴染みのない兄の兄弟二人でお送りしていきたいと思います。
改めまして、兄の環野恭介です。
弟の早人です。よろしくお願いします。
はい、お願いします。今回から西洋に戻って、ジョン・ロックというところでした。
はい。前回はですね、結構日本の哲学の走りみたいな人たちを取り上げていたんですけれども、
今回ですね、ぐっと時代も地域も変わってですね、近代の西洋哲学、どこに飛んでみようかなと思っておりますと。
ある時点で、日本の哲学者って海国、江戸時代から明治かけてとか、
まだ留学経験を通じて西洋哲学と出会ったり対決をして、
そこにやっぱり日本的なものとか、独自なものを打ち出していこうとしてたわけなんですけど、
その対決した先だよね。
はいはい、相手ね。
相手。相手っていうのは結局、もちろんプラトンとかもあるんだけれども、
今から300年前ぐらいです。あ、違う、その当時から300年前ぐらいですよね。
ロック、今回取り上げるロックでいうと、イギリスにおいて近代哲学っていうものを作っていく人たちなんですけど、
それが何で誕生したのかとか、それを今から言うと近代哲学を作ったとかって言えるけど、
ロックは別にそれをしようと思ってやったわけじゃない。
当然自分としては自分の問題とか、自分が関わったものがあってそれを乗り越えようとしたわけなんで、
その部分を一緒に理解していくことで、日本の哲学というか、哲学全体のこともより深く理解できるかなと思ったし、
純粋に西洋近代の哲学っていうところをちゃんと扱い切れない人も当然いっぱいいるので、
そこの理解も深まるっていうところで、中で繋がりとか全体感っていうものが出てくるんじゃないかなと思って、
ちょっとあえて飛んでみましたよっていうふうな感じでございます。
はいはい、なるほどだし、実はイギリス人って初めてじゃない?
そうかも、うん、そうだね。
ホワイトヘッドとかイギリス人なんだけど、イギリスのベカルトとか、カントヘゲという人たちがいわゆる大陸合理論って言われているフランスとかの人たちなんだけど、
イギリスの方がイギリス経験論とかっていわゆる哲学の流れがあって、ロックがそのイギリス経験論の父みたいな感じで、原流だみたいな感じの人なんだよね。
なるほど、そこに乗ってるっていうか、もうその祖みたいな人なんだね。
そうですそうです。
彼が生まれたのは1632年なので、今からだと400年前ぐらい。西田さんとか杏樹さんとか活躍した時からすると300年前みたいな。
はいはいはい。
結構そういう時代なんですけれども。
この時代のイギリス、歴史的な話になっちゃうんだけど、イメージある?この17世紀イギリスみたいな。
17世紀イギリスの歴史
えー、どんぐらいなんだろう。だって全然フランス革命とかよりも前だし。
あと前だね。
えー、どんぐらいだろう。
まさにイギリス革命みたいに言われるんだけど、名前とかでピューリタン革命、清教徒革命とかさ、名誉革命とかって聞いたことない?
あー、ね。習ったよね。
そうそう。たぶん歴史で何度だってやったことあると思うんですけど、僕も今回台本を作るのにあって勉強し直しましたって感じではあるんだけど、
いわゆる絶対王政は王様が神様から受け取った権利とか権力で国を統治してましたよっていうような時代から、
共和制、いわゆる打ち倒してそういうのじゃない政治体制を作るというところからまた王権に戻って、
さらに立憲君主制っていうより今に近い政治体系になっていくっていう風な流れが起きたこの幾年間っていうのが17世紀イギリスなんですよね。
あー、そうか。何回か変わってるんだ。
そうそうそう。王様は処刑されて、共和制になるプロムエルとかの人がいたんだけど、その人も独占になっちゃってダメで、
また王権に戻るんだけどそれもダメで、コロコロコロコロ変わってるんですよね。
わー、はいはいはい。
うん。で、僕自身はもちろん政治家ではないので、それに直接かかってるわけではないんですけど、
間接的に結構それに翻弄されるというか、ある種そことかかわっているような人生ではあったみたいなんですよね。
あー、そうなんだ。
うん。さっき言った通り、ロックって哲学的にはイギリス経験の父みたいな感じで原流なんだけれども、
これビキュメディア的な知識があるんだけど、自由主義の父、政治ですね。
うんうんうん。
そういうふうに呼ばれていて、それが政治思想とかにめちゃめちゃ影響を与えてるんですよ。
なので、さっき革命とかに直接かかってたわけじゃないよって言ってるんだけれども、
名誉革命に関しては、それが起こった後とか前後とかに、いわゆる正当性だよね。
その革命がなんで起こったのかとか、それがなんで受け入れるべきなのかっていうことの正しさっていうものを論理的に与えたのがロックだって言われてるんだよね。
もうほぼ死亡者じゃん。
死亡者ではない。
起きたことに対して幸福を取るべしとか、こう理解するとこの革命っていうのは起きるべきとして起こったんだっていうような感じ?
はいはいはいはい。
っていうのを言いました。
それもかつ、ただ単純に別にこれは正しかったのとかって言うんじゃなくて、
それこそ、神はどういうものなのとか、人間とは何かとか、政治体系とはどういうかあるべき姿なのかとかっていうことを考えてたんで、
その名誉革命だけじゃなくて、まさに相手が言ってくれたようなフランス革命、これが多分1700年の後半ぐらいに起きるんだけど、
あとその前に起きたアメリカの独立宣言とか、そういうところにも結構影響を与えていたりとか。
ロックの自由主義と影響
はてはそれが続いて、今の日本国憲法とかにも全然ロックの思想って取り込まれてるよね、みたいな。
そのぐらいの広がりがあるよって言われてるんだよね。
すごいね。確かに自由主義の父、なるほど。
いわゆる、よく言われる三権分立ってあるじゃないですか。立法と行政司法がそれと分かれてますよ、みたいなのがあるんだけど、あれもね、大元のアイデアはロックなんだって。
ああ、そうなの。なんかモンテス級って習うのね。
そうそうそう。体系化したのはモンテス級で、そこから広まっていくんだけれども、原理の観点とか発想っていうのはロックにあって。
へー。
そこから影響を受けたらモンテス級って感じらしいんだよね。
なるほど、すごいね。
あるいは今の現代の社会的な基礎というか、それこそ、いわゆる国民がいて、国家があって、主権は国民の側にあるよねとか。
いわゆる財産権とかも、自分の財産を守る権利があるよねとか。
それもさ、昔じゃなかったわけだよね。要は、王様がお前の財産募集だって言われたら募集されるとか、お前の奥さんを王家によこせって言われたらよこさなきゃいけないとかっていう風に、その権利って守られてなかったわけだよね。
だから、今、僕らが自然に享受している自分の財産は自分のものだっていう権利とか、それを奪われない。奪われたら、その奪った人が悪いっていう風な話って、そもそもこの時代までやっぱりなかったんだよね。
あー、はいはいはいはい。
そういうところをちゃんと整えたからこそ、それが大事だって言って、今の本当に現代社会がやっぱりできているっていう風な感じの、本当にすごい人ですって感じなんだよね。
へー、そうなんだ。逆に言うと、それまでは自分の財産っていう概念がまた違かったみたいな話だったね。
今でもそれこそ、言い方だけでやっぱり独裁政治とか、そういう国だとすると、やっぱり自分の財産権とか、それこそ自分の安全の権利もないわけじゃん。
要は、独裁者がお前は盗獄だって言われたら盗獄されちゃうみたいな。裁判とかもなくそのまま逮捕されちゃうとかっていうのってあると思うから、それは当たり前ではないんだよね。
はい、なるほど。そういうのをめっちゃ考えたい人なんだね。
そうそうそう、めっちゃ考えたい人。そういう意味でわけでも、政治っていう意味では影響力も見えると思うんだけれども、
逆にロックの哲学的な発想とか、理想って政治的な影響に比べるとちょっと理解されてないよねとか、そのまま現代に生きてるかってそうではなかったりするんだよね。300年も経っちゃってるし。
はいはい、確かによし、このロックは倫理とか哲学じゃなくて、確かに歴史の方で習ってるイメージだよね。
そうそうそう。政治ではやっぱり観点が強いと思うし、僕自身もそんなに知らなかったっちゃ知らなかったんですよ。じゃあロックが哲学的に何を言ったのかとか。
あとイギリス経験論とか言葉としては知ってるけど、なんか経験を大事にしたんだよねみたいな感じで、これは何もわかってないですよと。
はいはいはい。
っていうような感じなので、これまであんまり知らないから取り上げなかったってのもあるんだけど、何回か言ったけどホワイトヘッドさんがロックはすごいっていうか、ロックは自分と同じようなことを知るし言ってたみたいなことを書いてるんだよね。
うんうんうん。
っていうような興味を持ったし、あと前回言ったような、300回の時に言ったような、いわゆる近代哲学、西洋哲学の源流というか、第一印象みたいな感じの人たちなので、そこをちゃんと理解したいなって思いもあって、今回このロックを取り上げたんですって感じなんですよね。
わー、なるほど。時代的にはそうなんだね。ロックがいて、イギリス、アメリカ、フランス独立みたいな感じで、その理性みたいなものが、その後こう、より個人ってなんだっけとか、個人の権利とかってなんだっけみたいな話になっていくみたいな。
そうですそうです。
そういう感じなんだ。
そういう時代ですね。
はいはいはい。
はい。なのでね、もちろん哲学もそうなんだけれども、正確なものでね、そういった政治とか、あと宗教だよね。やっぱりキリスト教の限り、これ切っても切り離せないので、ちょっとそういうとこにも触れつつ、なんだろうな、ロックの全体感、要は政治もそうだし、政治的な発想の根幹にある哲学とか人間感みたいな、そういったものを届けできると面白いんじゃないかなって思ってるんですよね。
うんうんうん。
うん。で、いつも通りそんな大哲学者なので、やっぱりわかったとも言えないし、どこまでやり切れるかっていうのはちょっとね、自分の力の問題っていうのはあるんですけど、できる限りね、御親しらべとかもしながら、ちょっと皆さんにね、お届けしていくとか、一緒に学んでいきたいなと思っておりますっていう感じなんだよね。
はいはい。よろしくお願いします。
ロックの背景と成長
はい、頑張ります。っていう感じなんだけれども、早速でちょっと、まだ1回はね、恒例のお人柄というか経歴っていうのを言っていきたいんですけど、さっきからさ、ちょっと歴史、そういった政治に翻弄されたよとかさ、革命とかに間接的に関わったよとかって話をしたと思うんですけど、結構調べてみるというか、本とか読んでると、結構激動の人生だなってやっぱ思ったんだよね。
へー、そうなんだ。ほうほうほう。
うん。で、いろんなエピソードとか、エピソードというかね、話もあるんで、ずっと回数を見ながらになるんですけれども、ちょっと自分の印象っていうのを言うと、その権力者、その時々の権力者を親しむことでね、受け取ったものと失ったものみたいな、そういう両方がある人だなっていう感じなんだよね。
へー、そうなんだ。ほうほうほう。
うんうん。で、もちろんね、すごい小さい頃から優秀でとか、聡明さっていうのが周囲から評価されたってあるらしいんだけれども、やっぱりそれ以上にね、当時の、いわゆる議員さんだよね、当時の権力者って。国会議員というか、今よりもいわゆる貴族院とかの時代だから、まずそういう国の政治を動かす人たち。
あー、なるほど。うんうんうん。
その関係性において、やっぱり自分の立場が変わるとか、自分の仕事が変わるっていう経験をした人がロックだったんで、そういうところから自分なりに政治との関わり方とか、やっぱり政治はどうあれべきかとか、その時に人間には何ができるのかみたいな、人に向き合わざるを得なかったんだなっていう感じなんですよね。
あー、そうか。政治的な話で言うと、ロックがいた当時の政治形態っていうのは、もう貴族院と民衆院みたいなやつだっけ?なんだっけ?
そうだね。さらっと言うと、基本的には王様が絶対ですっていう世界なんだよね、まずそもそも1600年の前半で言うと。
はいはいはいはい。
その支える議会というか会みたいなのは一応あって、それはどっちかっていうと、王様がやりたいことをどうやるかとか、やれってやったことをどう実現するかっていうのは話でしかないんだよね、正直。
はいはい、なるほどなるほど。
今みたいに議論をしてより良いものをやろうとかじゃなくて。っていうところから、いわゆる法が分かれてとかっていうのはもうちょっと先の話なんだけど。
もっと言うと当時で言うと、やっぱり王様に近い人とか、王様に話ができる人っていうのが当時の権力者っていうような感じだよね。
あー、そっかそっか。だから王様と対立するんじゃなくて、むしろ行政機関じゃないけれども、言ったことをやる、王様がやりたいことを進めていくっていう感じなんだ。
そんな感じでちょっとでも自分の意見を反映させるとか、これにちょっとでも影響を与えるのって、すごい権力だね、それは。
なるほどなるほど。そういうコントロールが可能な人たちみたいなね。
そうですそうです。そんな感じなんだけれども、もうちょっと具体的にお伝えをしていくとですね、ロック自身はですね、生まれたのが1632年のイギリスでございますと。
さっき言ったピューリタ革命とかっていうのが起きるのがもうちょっと後っていう感じなんだけれども、その時にロックが生まれたのは、
いわゆるめっちゃ裕福ではないんだけど、うちちゃんと持ってる中流階級みたいな、いわゆるジェントリーとかってジェントルマンの語源だと思うんだけど、ジェントリーっていう背景の出身なんだよね。
はいはいはい。
家柄的にはもともと商業とか、商売は成り上がりしたらしいんだけれども、お父さんは頑張って法律の勉強をして、いわゆる裁判官、地方の裁判官みたいな、今で言うと役人みたいな感じだよね、になっていましたよと。
一つ経験の、いわゆるキリスト教徒なんだけど、その方がピューリタンですね。プロテスタントの信者で、やはり家庭の中でもそういった、いわゆるピューリタンっていうか製品、いわゆるツーマッシュクみたいな、そういうイメージあると思うんですけど、
そういうふうな生活を大事にするとか、あとやっぱり神様っていうものが、義務を果たすというか、何かそういう人間というものが人々に神から与えられた義務というものがあって、それをある種満たすとか果たすことが人生の一番の目的なんだみたいな、そういうふうな思想っていうのをある種当たり前のように受け取って生きてたっていうふうな幼少期なんですよね。
はいはい、与えられた使命だったりとか、仕事みたいなものをちゃんとやりましょうね、みたいな。
そうそうそう、だから結構ね、ロックって言うとサブララサみたいな言葉がよくあって、これ白紙みたいな意味なんだけど、いわゆる人間っていうのはそういう神様とかも含めて生まれたときには何もそういうのを与えられてないとか、真っ新に生まれてくるんだとかって言ったときに、
僕も勝手にロックって神様っていうのとなんか欠別したのかなとか、神様との考えない哲学っていうのを作ったのかなみたいなことを思ってたんだけど、
ロックの教育と影響
実は全然そうじゃなくって、ロック自身は本当にいわゆる神様っていうのを信じて、むしろそれを前提にどういうふうに生きるべきかとか、
それ割りつつも現実世界っていうのが変わっていく中で、神様から与えられた義務っていうものと、自分の現実との接続するかみたいなことをやった人のシーンだよね。
なるほど、そのロックの感覚、価値観としてはそういう感じなんだね。
そうそう、価値観として。それがさっき言ったような政治思想とか哲学にもめちゃめちゃ影響を与えてますよっていう感じでございます。
それは申し訳ない話なんだけど、そうしたような家庭に生まれ育ったロックなんですけど、お父さんが裁判官でやってたんだけど、王様と議会とかがあったときに、
当然うまくいかなくなっていく時代なんですよね、この時って。革命とか起きるぐらいなんで。
王様は勝手にこれやりたい、あれやりたいって言うんだけど、力をつけている、いわゆる日本で豪族みたいな人たち、当時の権力者や自殺者からすると、それは嫌だとか、もっとこうしたりとかあって対立をしていきますと。
内戦がどんどん起こっていくんだけど、そこでいわゆるお父さんの上司みたいな人がいて、
その人が活躍して、戦果を上げるみたいな、要は影響力を拡大するんだよね。
そうすると要は、上司が偉くなりましたと。
イギリスの中での影響力が増えましたってなったときに、自分の優秀な部下、いわゆるロックのお父さんに対して、ちょっと報いてやろうみたいな感じがあって、
そこでロックを当時、今だと思うんだけど、有力な学校であるウエストミンスタースクールがイギリスにあって、そこに推薦して入学させてやろうと。
へー、そうなんだ、ほうほうほう。
いうふうな話で、ロックがそこに行くんだよね。
なので、もちろんそこで優秀な成績も上げていくんで、ロック自身が優秀でもあるんだけど、そういうコネ入学というか、いうふうな感じで入りますと。
あー、そうなんだね。
そうなんです。そっから大学も、いわゆるオックスフォードに進学するんだけど、このときもその上司の人の政治的な影響力があって。
へー、そうなの。逆にかわいそうだね。優秀なのに、あいつコネでって言われちゃうみたいな。
実際そこに言われてたかは知らないし、周りもそうだったんだろうね。
逆にね。逆にロック自身がやっぱり、ある種、自分の立場、大学の立場っていうものが、やっぱり自分のものだけじゃなくて、そういう上司の方とか親の影響とか、
もっと保護だよね、っていうところにあるっていうことはすごく自覚をしていて。
へー、そうなんだ。
やっぱりそういう意味では、ありがたいけどちょっと嫌だな、みたいな感じとか。そういうふうな思いを持ってたらしいんだよね。
なるほど。すごいね。そこに関しては変に勘違いしなかったんだね、そこは。
そうね、そう、七被害的な感じでやるんじゃなくて、そうそう。
実際、ロックは学問とかには、めちゃめちゃやっぱり肌が、水があったというか、
元はちょっと病弱だったこともあったみたいで、何か活発にいろいろやるっていうよりは、やっぱり自分の内面に入り込んでいくとか、
担当で研究してるけど、やっぱ好きだし合ってるって思ったらしいんだよね。
っていう意味で、やっぱり着々と学士をとって、修士をとってとか、大学の講師になったり、そういう仕事をしてたりっていうところでいくと、
大学での自分の立ち位置っていうところがなんとしても守りたかったわけなんだよね。
なるほど。逆にそういう保護というか、セコネっていうのは逆に邪魔だったのね。
そうそうそう。もちろんね、そこで性型が入ってたってあったかもしれないんだけど、やっぱりどんどん重荷になっていく、やっぱり。
みんな先生とかも敬語なんですけど、みたいなね。
確かにね。でもそうなると、やりづらいなーみたいなさ。
学問もそうだね。もっとちゃんと叱ってよって思うかもしれないね、ちゃんと。
教えてよみたいなのもあったかもしれないし。
やっぱりロック自身が、政治とか哲学ってもちろんそうなんだけれども、
研究、実学、まさに前回まで話したような、単純に考えるだけじゃなくて、自分自身でそういう役立つとか、意義があることをしたいっていうのもあって、医学の方とかにもかなり関心が高かったらしいんですよ。
石免許とかも持ったらしいんだけれども、そのぐらい幅広い領域で結構活躍した人なんですよね。
政治的混乱とロックの変化
で、そんな時にさっきから言ってる、いわゆる上司だよね、保護者みたいなところがあったんだけれども、
その人がちょっと没落しちゃい忘れた話があるんですよ。
もうちょっと冒頭お伝えした通り、王権のところから共和制に変わったんだけど、もう一回王に戻るんですよね。
要は、王権から共和制っていう時に欠落した人は、もう一回王権に戻る時は邪魔者なわけですよ。
まあ、そうね。
だからかつての欠落した人っていうのは、今度はやっぱり疎まれるというか、迫害対象になっちゃって。
そうなっちゃうと、そこから保護、影響を受けていたロックっていうところも、ある種疎まれるというか、一緒になってあいつもダメだってなっちゃうんだよね。
まあ、そうね。
父親から、上司がちょっと政治的に地位が危ういぞとか、ちょっとまずいかもとかって手紙を受け取って、めっちゃ狼狽するロックみたいな。
そういうふうな返事の手紙とかも残ってるらしいんですよ。
残ってるんだ。
どんな内容かっていうのも書法にあったんだけど、
私は、あなたのお知らせ、お父さんからもらった上司がまずいかもっていうお知らせね。
それが、私を脅迫させたこと、そして私をいかなる人間にも結びつけないようにさせたことを告白しなければなりません。
あなたの手紙は私に、今後注意することとして、風紀の保護者への依存を撤回することを教えてくれるでしょう、みたいな。
あー。
うん。もうなんか、人を信じちゃダメだぐらいの。
わー、あのー、なんだろうな。学びが早いね。
ロックの初期の出会い
ははは。
まあ、常にやっぱ思ったことがいたんだろうね。いつかこういうことがあるだろうと。
あー、ありがたい反面、リスクとも分かってたんだね。
そうそうそう。
だから逆に人間、そういうものって移ろうし、それを信頼しちゃダメで、逆に言うと神様だよね。
神様のことを信じましょうとか、神様の絶対的な、まさに自分に与えてくださった義務っていうものに生きていきましょう、みたいな。
そういうものはどんどん強くなっていくっていう感じらしいんだよね。
なるほど。そういうのも手紙に残ってるんだね。そういうやり取りとか。
そうそうそう、やり取りとか。そういうのが残っていますと。
ただね、これで終わりかというと実はそうじゃなくって、
多分ね、これは本当にもうロックの運命というか、やっぱすごい腰に生まれたんだなと思うんだけど、
全くの偶然から、そのもう一人ね、いわゆる権力者との繋がりがあるんですよ、ロックって。
うーん、そうなんだ。ほうほうほう。
いわゆるパトローンみたいな感じだったらしいんだけど、
そういう人、アシュリー卿って呼ばれる断釈?で、
どんぐらい強いかというと、国王とかを家に招いてパーティーできるみたいな。
お坊様を家に招ける人。
そうそう、家に招ける人。
今で言ったら天皇さんと雑談できる人に多分そういうイメージなんだろうね、日本で言うと。
だし、立場的にはさっきの父親の上司とは逆の立場っぽいよね、完全にね。
そう、新しくなった政治体制、王権のところの中心人物って感じだよね。
っていう人と関わりを持って、
しかもこれも本当に偶然らしいんだよね。
そのアシュリー卿っていう人が、当時なんかちょっと病気がちで、
それを治るんじゃないかと思って、オックスフォードに来たんだって。
ある市役の中で、当時みたいな温泉とかそういうのも含めて、ちょっと療養に来ようみたいな。
なんか水がいいとかで、そういうミテラルウォーターを飲んだら治るんじゃないかとか、いろんな話があるんだけど。
大学院企画じゃなくてオックスフォードの家に立ち寄ったって。
そうそう、そうですそうです。
で、本当はある人が水を届けようというか、そういう案内をするはずだったらしいんだけど、
病気ができなくなっちゃって、ちょっとごめんロック行ってくれよってなって。
で、ロックがそこに何かトコトコって言ったんだって、アシュリー卿のところに。
そしたらなんかめっちゃ気に入られちゃって、
そう、なんかすげー優秀な人いるじゃんみたいな。
というところで、文字通りに飯抱えるみたいな。
ちょっとうち来なよって言って、本当にオックスフォードから出ちゃうんだよね、ロック。
あ、そうなの。連れて帰れちゃうんだね、アシュリー卿にね。
アシュリー卿のところに、もう本当にうちで働きなさいよと。
で、この時ロック34歳なんですけど、大学で講師とかいろいろ仕事をしたんだけれども、
アシュリー卿のところに行って、いろんな秘書官としての仕事をしたりとか、
またはその繋がりで、いろんな当時の知識人とか有力者とかとも交流をしながら生きてましたっていうのはこの時代なんだよね。
だからもうあれだよね、ロックからすると、お父さんの手紙かな?
上司かわかんないけれども、立場やばいみたいな、もう俺たちやばいみたいな、
いやもう人に頼っちゃダメだなって思ってるんだけれども、
それはそれとして、このアシュリー卿レベルの人とは、むしろ繋がっておかないと、
今のすでにやばい状況を考えると、ここはちょっと流されておかないとな、みたいな。
そこはもうしょうがないんだ。ここで学びを発揮するタイミングじゃなかったんだね、それはね。
おそらくね。いろんなパターンももちろんあったとは思うんだけどね。
それはそれはね、この人ついてくるとのリスクももちろん承知の上みたいなもんですよね。
やっぱり7年8年くらいかな、結構長い間そのアシュリー卿の下でいろいろ働いて、交流をして、
結構その時代でいろんなロックアップ策略的な土台だったりとか、そういうものができたよっていう話はあるんだよね。
亡命生活と思想の深化
ただ当然、さっき言った通り、王権から共和制になって、また王に戻ったけど、今度は立憲決裁になりましたという感じで、
政治体制はどんどん変わっていくんですよ。
でいくと、このアシュリー卿の反映というのも、当然続かないわけですよ、長くは。
うわー、そうなんだ。そっか、そういうリスクが。
やっぱりすぐ現実化しちゃうのよ。
うわー、早いな。
だからもっと言うと、さっき言った通りさ、国王のパーティー招けるぐらいの関係があったアシュリー卿なんだけども、
いろいろあって、本当に今度は国王から反逆罪だみたいな感じで、ちょっと敵視されちゃうんだよね。近かったが故に。
で、そうなっちゃうと、アシュリー卿もやっぱりイギリスにいられないんで、オランダに亡命したりとか、
即勤とかで逮捕されちゃって処刑されたりとか、結構過酷な状況になっちゃったらしいんだよね。
またやばいね。
またやばい。で、ロックもやばくって、身の危険を感じて、ロック自身もオランダに亡命するんですけど、
この時に、いわゆる指名手配犯みたいな感じになっちゃって、ロックが。
だって、反逆者の王様みたいな人の側近でしょ?
そうそうそう。信頼な感じで、ロック見かけたら強制召喚せよみたいな。
お触れが王様から出ちゃうぐらい、本当にやばかったんだって。
で、オランダに行くんだけど、身分も隠すし、偽名も使うしみたいな感じの、まさに逃亡生活っていうのを、
40歳以外で送っていたらしいんですよ。ロックも全然知らなかったんだけどね、こんなことしてたんだみたいな。
ただ、亡命生活ではあったんだけれども、やっぱりいろんな宗教に届くときの繋がりっていうのがあるんで、
やっぱり行く先々で、いろんな人と交流をしたりとか、逆に逃げてる間って、別にやることもないっちゃないんで、
自分の思索、まさに考えることとか、思想をまとめることで没頭をしていって、
こういうところから自身の哲学とか思索が深まって、主張みたいなものがある種描かれていくんですよと。
だから、運命の悪戯でもありそう。 原理はそういう人生だったからこそ、大哲学者ロックが生まれたみたいな話もあるんだけどね。
だって、亡命生活としてのが55歳ぐらいなので、結構当時でも年齢高めだと思うんだけど、中でやっていましたよと。
その後、名誉革命っていうのがまたイギリスで起こったときに、王権から立憲クルセって変わるんだけれども、
これが1688年かな。このときに政治体制が変わったので、いわゆるロック、帰ってきていいよと。
もう悪者じゃないから大丈夫だよって、イギリスに戻れるようになったんだよね。
晩年の活動と影響
すごい時代なんだな。
本当にこの政治体制の変化で、いろんな人が大変な思いをしたって思ってたと思うんだけども。
ロック自身はそれでイギリスに戻りまして、そこからいろいろ新しい政府の仕事とかもしながら、
研究や出版を続けていって、名声っていうのが生まれている。まさにロックが生きている時代から高まっていくんだよね。
さっきもさっしとおり元々病弱で病気がちだったんだけれども、最後は悪化したっていうところではなくなるんだが、
言っても72歳、1704年まで生きてきたっていう感じなので。
だいぶ大往生的な。
やっぱりこの哲学者として、ちゃんと晩年まで活躍し続けて、大きな仕事をやっぱり成し遂げた人ですよっていうような感じなんだよね。
すごいね。今も液動の時代というか、変化激しいって言われるけれども、
時々でやっぱりあるんだろうね。
すごいでしょ。今で言ったら絶対あり得ないけど、いわゆる日本の首相がいたときに、天皇が今の首相はダメだって言って天皇制になって、
もう一回首相が出てきて、また天皇制になってみつけたな。そんな時代だよね。もう分かんないじゃん。
で、その都度あれでしょ。指名手配されたり、やっぱり戻ってきて。
そうそう。チェフの仕事してって言われたり。
むしろね。
有名になると言うとね。能力ある人の難しいコアなのね。それはそれで。
そういう意味では、やっぱり液動の時代だし、翻弄された人生と言ってもいいと思うんだけれども、
その中でさっき言ったような、国民とのまともなつながりだったりとか、
そんな系で、自分の政治に翻弄された自分として、やっぱり今後の政治はどうあれべきかとか、
どういう風な政治体系っていうのか、自分だけじゃなくて、やっぱり世の中的にいいのかっていうことは、ある種考えざるを得ないっていうのもあったと思うんだよね。
私、ある意味すると、考えられるような立場だったりとか情報とか、あったってことだよね。
それもあるね。
だってさ、いろいろ変化する中で、変化する前の養殖にもいたし、変化した後の養殖にもいるしっていう、結構珍しい人なんじゃない?
さっき早いと思ってたけれども、そこが変化すると、前養殖だった人は殺されたりはじかれちゃうから、
次の養殖にあって、どっちの良いとこも悪いとこもわかるみたいな人ってあんまりいなさそうだよね。
うん、まあ確かにね。
すなわちロックレーシングはやっぱり政治家ではなかったし、別に規則でもなかったから、ある種優先、国からすると逆に優先度が低かった?
ちょうどいい距離感だったんだろうね。
処刑とかされちゃったらもう本当におしまいだからさ。
マジのそういう立場だったら何だろうね。
確かに言ってくれた通りで、そういう流れを全部見ている、両方見てて、
また自身もピューリタンっていう、そういった宗教的なバックグラウンドもある中で、
それこそイギリスの政体制でいうと、宗教の変化でもあるから、
プロテスタントを追放してカトリックの国を作ろうとかさ。
そういう宗教的な争いっていうところも根っこにある感じなので、
そこの自分のバックグラウンドも含みつつ、政治家でも含みつつ、
かつ自分の哲学的なセンスも含みつつみたいな。
いろんなものが調和したものなんだろうな。
こういうと言葉は軽くなっちゃうけど、やっぱり時代が生んだ人というか。
でもそれを感じざるを得ないよな。
今回の話からさ。
どこで死んでも、もしくはどこでメインストリームから弾かれて、
おかしくない、すごい渦の中だよな。
本当に。
っていう感じなんですけど、
ひたりせいで、ある種パンチの効いた人生だったかも。
波乱に満ちた人生を送ったロックという人がどんなことを考えたのかとか、
どんなことを本にかけあらわして世の中に発信していったのか。
ロックの政治哲学の基礎
ところで見ていきたいんですけれども、
まずは政治体系というところをちゃんと見ていくのがいいのかなと思ってて。
哲学の話から少し外れちゃうんですけれども、
ロックが書いた市民政府理論とか統治理論と言われてる本があるんだけれども、
それがさっき言った名誉革命の理論的な基礎だったりとか、
アメリカとかフランスとか、あるいは日本の憲法とかにも振り入られてますみたいな政治的な発想だったりするんだよね。
それをまずは簡単に次回紹介して、
その上で根底に流れている哲学的な思想を扱うという、
ちょっとそういう順番で今回は造形してみたいなというふうに思っておりますという感じですね。
はいはい、ぜひだし。
確かにこうやって話を聞かないと、ただただ政治的な功績を残した人みたいな感覚になっちゃうもんね。
逆に哲学だけ取り上げても、
言ってることはわかるかもしれないけど、
なんでそんなことを考えたのとか、なんでそんなことを扱わなきゃいけなかったのか、
やっぱりわかりにくいと思うんですけど。
そこは本当に両輪なんだね。
両輪だと思う、うんうん。
というような感じで、ロックさんもなので、
少しボリュームが多くなっちゃうかもなーなんて思いながらなんですけど、
一生懸命僕も本を読んで勉強中という感じですので。
はいはい。
その学んだところを皆さんと一緒にシェアしつつ、
僕も学んでいきたいというふうに思っておりますという感じですね。
わかりました。
このロックの凄みを感じていきたいので、
次回以降その中身では思想だったりとか考えたことを、
そこをちょっと味わっていきたいなと思いますので、
引き続き次回もよろしくお願いします。
お願いします。
今回もありがとうございました。