はい、それ哲ラジオを始めていきたいと思います。よろしくお願いします。 このラジオは身近なテーマをきっかけに、哲学について楽しく学んでみようという番組です。
哲学好きの弟と、哲学に馴染みのない兄の兄弟を2人でお送りしていきたいと思います。という話なんですが、実は今ですね、普段兄が読んでいるところを弟が読んでいるんですけれども、
何が起きているかと言いますと、今回ですね、それ哲ラジオ初のゲスト回でございます。
今回初めて聴く方もいらっしゃると思うので、早速お呼びしたいと思うんですけれども、今回ゲストに来ていただいたのがですね、
皆さんもそれ哲ラジオ聴いている方もですね、ご存知かと思うんですけれども、元弁護士で株式会社コテンの歴史調査チームにも参画していらっしゃるですね、日本一楽しい哲学ラジオをお届けされている品川さんにお越しいただいております。
品川さん、今日どうぞよろしくお願いします。
はい、品川です。よろしくお願いします。
お願いします。いやー、めちゃめちゃ楽しみにしてました。
確かにゲスト回初なんですね。すごい歴史の中で。
歴史ってことじゃないですけど、400回くらいやってるんですけれども、本当初めてで、しかも何故か兄がいなくなっているっていう。
確かに、今日はね。
ちょっと男3人で話すと聞き取りづらいかなとか思ってですね、今回は兄は泣く泣く、品川さんのファンなので、すごい参加したかったんですけれども、
ちょっと今日は私約束で2人で今日お届けしようと思っているんですが。
ありがとうございます。よろしくお願いします。
ありがとうございます。
ちょっと簡単です。良ければ品川さんの自己紹介と言いますか、こんな人ですよって良かったらお話いただくとかお願いしてもいいですか。
はい、ありがとうございます。今お話もいただいてたんですけれども、
僕は今株式会社コテンというところの歴史調査チームにも所属しつつ、基本的には個人として活動をしていて、
日本一楽しい哲学ラジオというポッドキャストもやっておりますけれども、哲学とか思想っていうものが高校生くらいからずっと好きでして、
それをがっつり大学でとか研究室で勉強していたというよりか、ずっと独学で勉強をしていて、すごく好きだなというところがあって、
ただ、それをうまく社会と接続する場面ってあんまりずっとなかったんですけれども、
それこそコテンラジオと出会い、そしてコテンで働くようになり、
というところから、これが自分が好きな哲学とか思想っていうものが、社会とか人生とかに接続するんだっていうところの喜びも最近はすごく感じていたりしまして、
それを中心に活動をしていて、ポッドキャストやったりだとか、コテンで働いたりだとか、
あとは自分として発信するっていうところもすごく大事にしているので、
執筆であったりだとか、講演とか研修とかそういったところでも活動をしているというところです。
はい、ありがとうございます。
先ほどお話もありましたけれども、最近本も出されて、「資本主義と生きていく」っていう本も出されていて、
私ももちろん読ませていただいたんですけれども、
この本の話とかも少し後で触れたいなとは思いますが、
すごい構造的しんどさって言葉があると思うんですけど、
ある種、この本がわかりやすく書いてくださったなってめちゃめちゃ感じたんですよ。
逆に言うと、哲学って世の中的にはちょっとわかりにくいとか、近寄りがたいみたいなのってあるじゃないですか、
その哲学を好きな品川さんがわかりやすく書いてるっていうことが、
実はこの本のめっちゃ面白いポイントなんじゃないかって勝手に思ってて。
はいはいはい。
その考え方とか聞き方とかもなんか聞いてみたいなとかちょっと思ったんですよね。
ありがとうございます。
またこのところも後で触れるかもしれませんが、
でも今のポイント、自分の結構確信というところもあるかなと思っていて、
僕のモチベーションは、今、哲学とか思想というものを、
社会とか人生にも生きるよねっていうところをさっき言いはしたんですけれども、
でも実は、これ多分かんのさんと同じモチベーション重なるところもあるかなと思うんですが、
実は本当の意味のこのワクワクとかモチベーションって、
別に何か役に立つから哲学勉強してますっていうわけでも全然ないんですよね。
根本のとか、そんなこと言ったら役に立つことなんで、
もっと他にもいろいろ哲学以外でいくらでもあるので。
わかります。
だから別にそこが実は根本のモチベーションではなくて、
どちらかというと、もともと僕はバックグラウンドとしては学問的には法律ですね。
法律科でもあったので、法学っていうところを一番大学、そして大学院で勉強したんですけれども、
それとも結構重なるんですが、
法律も哲学も一見すると、というか一見しなくてもなんですけれども、
基本的には難しい。
すごく難しい用語があって、厳密に論を進めていってすごく難しいんですが、
ただちゃんとそれを解きほぐして理解をして、
複雑に絡み合った糸を自分の頭で解きほぐしていくと、
やっと最後、見えてくる。
最後ここに行き着くんだ、みたいな価値観の対立であったりだとか、
根本的な僕たちの物の見方の転換みたいなものに行き着く。
その発見みたいな喜びが、僕はずっと法律を勉強できたモチベーションでもありますし、
哲学を学んできたモチベーションでもあるんですよね。
その発見の喜びっていうところがまずあって、
その次にそれを自分が発見して、素晴らしいな、面白いなだけではなくて、
これをどうにかして他の人にも外側の難しいところは一旦置いておいて、
一番根本のところって意外とシンプルだったりだとか、
なるほどねって思うところだったりするので、
それをどうやって理解してもらえるかとか、
届けてもらえるかっていうところに頭をひねるのも結構そこが好きなんですよね、昔から多分。
なるほどね。
それがあって、なのでロースクールに入るときに、
日本一優しい法律の教科書かな、法律の本を書いたりとか、
日本一楽しい哲学ラジオも結構そのモチベーションですし、
もちろん資本主義っていうものも、そう簡単につかめるものではないんですけれども、
今言ったようなモチベーションだったりするので、
結構そこは自分のモチベーションというか、得意っていうところも含めて、
割と確信かなっていう感覚は持ってますね、それが一番好き。
めっちゃいいですね、今の話も共感と聞きたいこといっぱいあるんですけれども。
でも同じですか?
同じです。
でもね、同じことと違うところがありまして、
同じところはやっぱり解きほぐしていきたい、絡まったものを解きほぐしてシンプルにしたいとか、
すっきりさせたいっていう、そういうモチベーションはすごく昔からあるんですよ。
めちゃめちゃ変な例で言うと、よくコントローラーとか、
イヤホンの構図ってめちゃめちゃ絡まるじゃないですか。
あれ、ほぐすのは僕めちゃめちゃ好きなんですよ。
刑事科でもね、物理的にもね。
物理的にすごい好きで、絡まっているものを解くってすごく好きなんですけど、
ただやっぱ伝えたいっていう気持ちは、
しながらさんね、さっきもおっしゃった通り伝えたい、より分かりやすく伝えたいっていう言葉だったんですけど、
僕の場合は伝わらないということが先にあって。
なるほど、はいはいはい。
よくラジオでも話したんですけれども、飲み会とか行って本当は哲学の話とかしたいのに、
しようと思うとめちゃめちゃステップがあって、しかも盛り上がらないみたいな。
もっと言うと好きな音楽とかあった時に、
誰も知らないとかちょっとマイナーすぎるとかっていう、中学生時代に、
当時CDとかMDとかに役ってことができて、
それを例えば知り合いに渡したいんだけど渡すと迷惑かなとか、
そういうことで聞いてよかったよって言ってもらえた瞬間がめちゃくちゃ嬉しいみたいな。
いやー、なるほどね、はいはいはい。
そういう伝わらない、伝えたい、知ってほしいみたいな、そういうことが結構原点にあるかもなって思いますね。
それもめっちゃ面白いな、これね、
これ誰だったっけな、ちょっとこれ違ったらすいませんなんですけど、
僕がよく一緒にお仕事もしつつ、いろいろ対話をしている人事コンサルタントの坪谷邦夫さんという方がいらっしゃって、
それこそ人事のための哲学スペースっていう、
僕と坪谷さんの中では伝説的なポッドキャスト、
2人の間で伝説になってるやつでしたんですけど、
確かに坪谷さんが言ってたような気がして、
ちょっと違ったら坪谷さん、すいませんなんですが、
まさに同じことを仰ってて、
自分が感じていること、感覚していることが伝わらないという、ある意味での諦めというか、
感覚をずっと多分持ってたと。
自分がこう考えてる、こうなんだけど、こうなんだけど、これはもう伝わらない、人にはわからない、伝わらないものなんだっていう感覚を持っていたらしいんですね。
なんで人事のための哲学スペースみたいなものを一緒にやってくれたかっていうと、
それをある種、自分がずっと持ちたことを形を与えてくれる、
例えば、自分がずっと持ちたことってアリストテレスの中傭だったんだっていうのがパチッとわかると、
一気にそれが伝わるものになる喜びみたいなものがあるんだよねみたいなことを、
話してくれたような気がする。
おそらくそこまでの記憶なら多分そうでしょうね。
多分間違ってないんですけど、でもそういうことをおっしゃってて、
僕も伝わらないという絶望感は、実はあんまり持ってないので、ちょっと違う。
でも今のお話、どっちかというとさっきの坪谷さんの話と似てるなと思ってて、
あと僕と坪谷さんのところでいうと、
どうせ似てるのか、どうせ聞いてくれないだろうなとか、
どうせつまないだろうなっていう感じは確かに持ってて、
だから今この数年、いわゆる個人として活動するようになってからの数年っていうのは、
ある意味ではそれを聞いてくれる人を増やしてきた。
ずっとこの4,5年、3,4年だったんですね、自分としては。
なので、それはやっぱり自分のフィールドに持ってくるっていう、
自分のフィールドに連れ込むっていう努力をずっとしてきていて、
他の人のフィールドにはいかないって決めて、
自分のフィールドをとにかく魅力的にして、
こっちにつけ込んできて、入って記載すれば多分いけるみたいな、
そういう感覚で。
この家すごい良い家だよと。
そう、おびき寄せるっていうことをずっとやっていて、
それはあるかな。
それが伝わるだけでも楽しいし、
何なら役立たせたいよねっていう感じですね、僕のイメージは。
やるからにはみたいな話ですね。
やるからには、他の人にも役立たせた方が嬉しいし、
僕は社会的な動物なんで嬉しいし、
より経済的にもとか、ちゃんとお金としても循環として回ってくれば、
自分もそれにもっと時間を避ける生活になっていくっていうのも
素晴らしいなと思うしっていう、
そういう順序ですかね。
寺田さんわかるな。
ありがとうございます。
こういう話1個するだけで、めちゃめちゃ盛り上がるんですけれども、
本当に1回でも話してしまいそうな感じがして、本当に嬉しいんですけれども、
一応今日ですね、テーマっていうことでもあるんですけれども、
こういうことを話したいねっていうのを僕からしながらさんにお伝えしたことがあって、
今回ね、いわゆるストレートラジオに出ていただいて、
しながらさんは普段日本に参加しているラジオもやっていただいて、
ティザクラジオもやっていただいている中で、
珍しく多分哲学については普段から話している側と思うんですよ。
だから逆に今日の場においては、哲学周辺のことというか、
多分何を話しても哲学っていうのは浮かばれてくるとは思うんですけれども、
その周辺から入っていって浮かび上がってくるものがあるよねみたいな、
そんな対応をしてみたいなと思ってるんですね。
なんでそういうことを思ったかっていうと、
ちょっとこれ皆さんにお伝えしたい。
なんでそもそもこういうゲストさんに来ていただいたかって話はそうなんですけれども、
実はタイミング的にはすごい良くて、
その品川さんが本を出されたタイミングで色々読んでくださいっていうタイミングではあったんですけれども、
実は僕、あれ知らずにDMしたんですよ。
そうなんですか。
実は。
出ていただけると思わずに実はしたことがあって、
なんでかっていうと、
もともとちょっとこれは僕の話だったんですけど、
品川さんとXとかでは繋がっていたりとか、
あと共通のお知り合いがいたりして、
なんとなく感性的にいつか話したいなって思ってたんですよ。
そのタイミングで、
僕がたまたま読んでいた本で、
現実とは何かっていう、
哲学者の方と数学者の方が対談するみたいな本があるんですけども、
本の感想をXに投稿したときに、
品川さんがいいねを押してくださったんですよね。
これは今かもと思って、
いいねありがとうございますと。
実はそういうことを考えていて、
一回話したいんですっていう、
その対談運営っていうよりも、
まず一回品川さんとお話したいんですっていうのをDMさせていただいたんですよ。
はいはいはいはい。
そうか、確かにDMをいただく、
1、2週間前くらいに僕が、
この資本主義と生きていくっていう本を出しましたと。
出して、
自分はPodcastをずっとやってきたんで、
もうどんな方でもいいんで、
Podcastと一緒に出させていただく方がいたら、
ぜひご連絡くださいとかっていうのを別で言ってたんですよね、全く。
そうなんです、はい。
そうそう。
で、それかなと思ってたけど、そうじゃなかったって話。
実はそうじゃなくて、はい。
へー。
はい。
っていうのがあって、
それも本当にタイミングとかご縁だなってやっぱ思ったんですよね。
なるほど。
これはちなみにあれです。
僕はこの、
著者の一人の田口先生、田口茂先生という、
減少学者の方が書いてらっしゃるじゃないですか。
はい。
で、僕はすいません、この本自体はまだ読めてないんですけれども、
ただ、
これもちょっと待って話、あれになっちゃうけど、
まあいいや、もう話しちゃうと。
はい、ぜひぜひ、はい。
はい、やっぱ減少学って、
ものすごい自分の中では大きな意味を占めてるんですよね、哲学の中でも。
で、その中でも、
武田誠二先生というね、
はいはい、有名な方いらっしゃいますよね。
はい。
減少学を、僕は高校生の時に読ん、減少学とは何かだったっけな。
はい、そうあります。僕も読みました。
読みました。
読んで衝撃を受けて、なんだこの面白いものはと思って、
ある日もう哲学熱がグッと、なんていうか、高まったのが、
武田誠二先生の減少学なんですね、僕。
で、ずっと僕は、
武田誠二先生の本は減少学以外の本も、
なんだ、プラトンも、
ハイレガーも、武田先生が書くプラトンとか、
武田先生が書くハイレガー入門とか、
結構そういうのが好きだったんですよ。
で、ただ、最近、縁あって、
多分、武田先生とは全く違う、
スタイルって言っていいのか、
ちょっと僕はアカデミーのところ、あんまり分かんないですけど、
多分また全然違う考え方をお持ちの田口先生から、
減少学を学ぶ機会があって、
これはこれですごいなと。
武田先生が話した減少学もすごい面白かったけど、
田口先生が説明してくれる減少学も、
すごい面白いなと思って、
いいですよね、はい。
っていうところで、多分、ピンときたなと思います。
ありがとうございます。
一応、リスナーまでにお伝えしておくと、
減少学って一個じゃん、
ふっさわるっていう人がいて、
減少学をやりましたっていう話があるんですけれども、
やっぱり受け取り方とか、
どこにまさにメスを入れるかとかによって、
全然おっしゃる武田先生の減少学とか、
多分田口先生の減少学とかってことがあるわけですよね。
そういったご縁もある中で、
たまたま西原さんもいいねしてくださって、
僕も連絡をしてたところで、
ありがとうございます。
今回つながったんですけど、
勝手に僕はですね、
勝手にすごいいろんなシンパシーを抱えて持ってまして、
何かっていうと、
もちろん哲学科って話でもそうなんですけれども、
共通点は勝手にいろいろあると思ってるんですよ。
例えばですけど、大学部、京都大学、
西原さんは創人だと思うんですけど、
総合倫学部創人っていうのがあって、
僕は教育学部だったんですよね。
一部のキャンバスの中でも建物的に結構隣ぐらいの感じで、
実は同じ時に同じ場所にいたんじゃないかという話もありました。
たぶん同じ付属図書館使ってましたね。
そうっていうことがあったりとか、
あとその哲学に関しても別に、
おっしゃってましたけど、大学でやってるわけじゃなくて、
西原さんは法学、法律あったりとか、
僕はもともと河合博先生憧れで心理学、臨床心理やってました。
実は全然その哲学の人ではないですと。
そこから社会に出て、なぜかお互い、
あれ六本木ヒューズで働いてたんでしたっけ?
働いてましたね。
ですよね。僕も最初進出は六本木ヒューズで働いてたんですよ。
なぜか。
すごいね。物理的には結構近いところに。
そんなに時期も変わらなそうな感じもありますしね、若干ね。
長いエスカレーターとか待つの大変なエレベーターとか乗ってるはずなんですよ。
確かにね、何回まで行くときはこっちで、それ以上のときはこっちでみたいなね。
どっち乗ればいいんだみたいなね、ありましたね。
そうなんですよ、分かんなくなるみたいな。
そこからなぜかお互いにHR、人材とか。
そうですね。
でも私はキャリアアドバイザーとかそういう仕事してますし、
西原さんもね、もともとそういった感じですね。
バリバリしましたね。
なぜかお互いも哲学をテーマにしたポッドキャストをしているっていう感じで。
確かに。
ちょっと他人にやっぱり思えなかった感じですね。
確かにすごい接点ですね、それはね。
そうなんですよ。
なので重なりなかったのを重ねたいって思ってしまったことがありまして。
今回のゲストとしても来ていただいてるんですけど。
ありがとうございます。
確かに。
僕からすると、自分以外にそういうことをしてる人がいたんだって驚きもありますし、
さっきおっしゃっていただいたような、ちょっと前にお話しした通り、
やっぱり全く同じことはもちろんないので、
ここは近いけどここは違うって、それが話せることがめちゃめちゃありがたかったんですよね。
なるほど、いいですね。
確かに。
そういうちょっと違いとか同じっていうことも含めて、
大きく哲学周辺の話を今日はしたいなと思っているんですけれども。
はいはいはい。
一番最初に聞いてみたかったのが、さっきもちょっとおっしゃってましたけれども、
法律っていうことは、やっぱり哲学って距離感ですよね。
もっと言うと、なんでそもそも大学では法律をやろうと思ったのか。
法学見たところから少し聞いてみたいなと思ったけど、
そこってどうなんですかね。
はい、ありがとうございます。
そうですね、まず僕、創人、総合人間学部、学部に入ったときは、
本当は哲学を勉強しようと思って入ったんですよね、明確に。
本当はそうなんですね、はいはい。
そうですそうです。
で、なんなら大学を受験する前に高校生のときに、
なんかデカルトすげえなみたいな感じで思ってて。
そんな瞬間が。
すげえと思ってて、あ、すごい。
デカルトってめっちゃ数学とかもやってたんだみたいな、
気科学とか、デカルト平面みたいなの言いますけど、
そうかってことは、哲学やるためには数学もやらなきゃいけないのかと思って。
で、僕はもう土文系の人間なんですよね、文系が得意だったんですけど、
大学では、そしたら理系の人も入ってきて、理系も学べる大学に、
デカルト的に言うと言った方がいいんだなっていうふうに、
しながら少年は思って。
で、文学部ではなくて、総合人間学部っていう、
文系の学生も理系の学生も両方入ってくる学部を選んだんです。
まずこれが進路は、そんな感じで。
すごい、そこにはデカルトっていうのが影響しますよね、そこに。
これは100パーですね。
デカルトを読んで、数学もやらなきゃいけないのかって思ったんですよ、素直な。
確かにまっすぐですね。
そう。で、入ったんですよ。
ただ、ちょっとこれはいろんなとこで言ってますけど、
学部での哲学あんまり面白くなかった?
わかります、そうですよね。
面白くなかったですね。
いきなり難しいのを読まされて、
なんのこっちゃ全くわからない中で、
関東の純粋理性批判を英語で読むみたいな。
無理だ。
なんでって考えながら、いろいろツッコミとかあるじゃないですか。
なんでそれなのかもわからないし、なんで英語なのかもわからない。
多分、意図はあったんだろうと思うんですけど、英語かみたいな。
確かに、学部生でそれはちょっと重たすぎる。
そうそう、ドイツ語ではないみたいな。
確かに確かに。
そう、みたいな。
正直やっぱり面白くなくて、
あともうちょっと言うと、
僕結構大学受験はそれなりに面白かったんですよ。
ゲームのクリアというか、目標があって、
自分の実力が上がっていってクリアできて、
大学受験は面白かったなっていう記憶があって、
ってなった時に大学1年生になって、
サークルとかも入ってましたけれども、
哲学をやるって思って入ったけど、
今言ったような授業とかだったんで、
目標がないなというか、
結構それ焦ったんですよね、すごく。
情熱を燃やせるものがないな、
目指せるものがないなっていう気持ちもあって、
1年経って2年経ってっていうタイミングで、
ちょっとこのままじゃよくないな、
苦しいなって思って、
総合人間学部では法律も少し勉強できたので、
法律もって言ってもすごい、今思えばニッチな、
行政法とか国際法とかっていう、
ちょっとニッチなところからだったんですけど、
でも面白かったんですよね、意外と。
おもしろさはどういうところに感じたんですか?
法律の面白さはですね、
あくまでもさっきの話と若干つながるんですが、
正直言えば細かいいろんな話じゃ、
あんま面白くなかったんですよね。
ありますよ、死ぬほど細かい話って、
条文の話とかいろいろあるんですけど、
そうじゃなくて、
これは刑法でも民法でも憲法でもそうなんですけども、
いろんな論点を、いろんな法律上の論点なんですけども、
その論点を抽象化していって、
最後行き着く、なぜなぜなぜって行き着くのは、
特定の価値の対立であるみたいなところが、
民法にもあるし、刑法にもあるし、
憲法にもあるんですよね。
例えば刑法で言ったら、
結果無価値論と行為無価値論っていう、
2つの大きな、
これ多分法学部生だったら誰でも絶対聞いたことがある、
結果無価値と行為無価値って言ったら、
あれねって思う有名な言葉がありますけど、
どういうことかっていうと、
人を殺すと殺人罪になりますというのは、
みんなそりゃそうだよねって思うんだけど、
それは何が悪いのかって話ですね。
無価値ってのは悪いって、
反価値なんで悪いって言うんですけど、
つまりは、
人を殺そうとした行為が悪いから罰せられるのか、
人が死んでしまったという結果が悪いから罰せられるのか、
という価値の対立が、
実は刑法の、近代的な刑法の中には、
潜在的に眠ってるんですよ。
この話はあんま長々しないですけど、
例えば言ったら、
じゃあ人を殺そうと思ってピストル撃ったけど、
全然当たりませんでした、
っていう行為があったときに、
さっきの結果無価値的に言ったら、
つまり結果が悪いっていう考え方から言ったら、
人は死んでないので悪くないじゃないですか、あんまり。
そうですね。
一方で、別に人を殺そうと思ってなかったんだけど、
間違って何か落としちゃって、
下にいる人が死んじゃった。
過失ですよね。
これって結果無価値的に言ったら、
めちゃめちゃ悪いじゃないですか、
死んでるんですよね。
そうですね。
だけど行為無価値的に言ったら悪くないですよね。
行為はそんなに悪くない。
わざとじゃないんで。
みたいな、
じゃあどっちを犯罪を重くしますか、
みたいな話があるわけですよね。
例えば。
それがやっぱ価値の対立なんですよ、
それっていうのは。
そうそう、最後はそこに行き着く。
みたいなことがあって、
それは一例ですけど、
みたいな、
最後、いろんな、
神羅万象、人間の社会なんで、
いろいろあるんだけど、
最後はそこに行き着くみたいな、
その論理展開が非常に面白かったですね。
面白い、そっか。
だからその、
何というか法律って僕は全然学んでないですけれども、
ある種カッコたるものとか、
ある種無味無臭の感じがするんですけれども、
実は全然そうじゃなくて、
それこそ価値とか、
やっぱりそこに対する、
なんですかね、
いろんな合意だったりとか、
そういうものがまとわりついているってことなんですかね。
そうですね、
無味無臭じゃ全くないですね。
はいはいはい、
そういうことですよね。
そこが面白かったかな、
それが面白かったですね。
っていうのと、
やっぱりある意味では、
司法試験みたいな、
ゴールがある、
ゲームみたいなところも、
ちょっと自分を救ってくれた、
当時の自分を救ってくれたっていう感覚があって、
法律に行きましたね。
これはすごい分かりますね。
どうですかね、
外から見てるのかな、
僕の感覚で言うと、
ちょっともうこれ、
このポッドキャストだから、
ちょっとマニアックな話しますけど、
ぜひぜひ。
僕は内村勘蔵という人がすごく好きなんですね。
彼の作品がすごく好き、いろいろ読んでるんですけど、
彼の中でも、
後世への最大異物っていう本があって、
薄い本があって、
簡単に言うと、
俺はもう何も成せてないと、
何も成せてなくて、
一緒に学んでたニトビ謎はめっちゃ出世してるやんみたいな、
それは書いてないですけど、
多分そういう鬱屈とした気持ちが内村にはあって、
何が残せるんだっていうときに、
自分はなんか事業家でもないから、
事業も全然残せなかったと。
別に文章も下手だから、
本も全然残せないと、
ライバルは武士道とか書いてめっちゃ有名になってるし、
多分僕は内村すごいニトビを、
すごい嫉妬してたんじゃないかなって、
勝手に想像してるんですけど、
それちょっと置いといて、
じゃあ自分何が残せるんだって言ったら、
後世への最大異物、残すものは何かって言ったら、
それは後期に生きた人生なんじゃないかって、
人生そのものこそ、
自分が残せる最大のものなんじゃないか、
みたいな本なんですよね、その本は。
当時の僕はそれにものすごく感動したんですよ。
まさにそうだと。
やっぱすごいな内村と思って、
自分もそうしようと思ったっていうのが、
当時の感覚なんですね。
当時の、
事務所から転職活動するとき。
というかもうずっとですね、
だから19歳くらいから、
でも31、32歳くらいまで、
2、3歳くらいまでそういう感覚で思っていて、
でもそれは、
今客観視っておっしゃっていただきましたけど、
客観視というよりかは、
そうならなければならないという、
固定観念とか、
不健全な使命感みたいなものが、
心にべったりと張り付いていた感じで、
という感覚の方が近くて、
今の僕からすると、
内村勘蔵の言葉どう見えるかっていうと、
僕がそれに苦しんでいたときの、
自分を見ているかのように、
内村の文章が見れている。
そうじゃないと許せなかったんだろうなっていう。
彼は不敬事件って言って、
今で言う炎上みたいなこともあったりして、
結構辛い人生を送ってるんですよね、内村君は。
やっぱり何かしなきゃいけないっていう、
その感覚、
客観的に見ている、
第三者的に見ているよりかは、
借り立てられてるとか、
資本主義とは、
お金とかにはあんまり借り立てられてないんだけど、
二戸が言うところの名誉心みたいなところに、
借り立てられてるみたいなところが、
すごくあったなっていう感覚ですね。
今の話聞いて感じるのは、
焦りみたいなものがあったりとか、
たぶん哲学とか好きだとあると思うんですけど、
もっと遠くに行きたいとか、
世の中を理解したいとかっていうときに、
ギャップがあるわけですよ。
自分は何も知らないとか、
何もなせてないとかっていう、
この変な焦りみたいなものとか、
脅迫関連みたいなものっていうのは、
もしかしたらそういった人が共通で持つものかもなって、
今ちょっと思ってきました。
ありました?
ありましたありました。
それこそ、私も新卒に入ったときに、
人事な仕事を最初にあったんですよ。
すごくいい仕事があったんですけれども、
やっぱり人事な仕事って、
会社があってこそ成り立つ仕事だなと思って、
っていうときに、
そのとき20、まだ前半なんですけど、
自分がやってることって、
会社とか組織とか、
いろんなものがあって成り立つものだとすると、
もしかして本質的なものじゃないんじゃないかって、
なぜか思ってしまったんですよ。
すると、そもそも本質的な働くとは何だとか、
そもそもなぜ会社というものが存在するのかとか、
ウォーラー・ステインという人の、
そういった帝国主義の話とかをいろいろ見ながら、
なぜこの日本において、
人事という仕事が存在するのかみたいな、
変な方に行っちゃったんですよね。
その反対には、
例えば営業とかマーケティング、
ある種わかりやすく売り上げを上げるとか、
事業を作るっていう仕事が、
当時の自分からすると、
やっぱりよりかっこよく見えたりとか、
よりビジネスを推進したり見えた。
そこのギャップに苦しんでたみたいなのが、
キャリアとか仕事っていう意味ではあったなって思いますね。
今の感じもあったが、
僕は二重でそういうのがあって、
一つは、いわゆる社会的な、
今言っていただいたような、
社会的な目立ち度とか、
貢献してる感に対する、
自分の絶望感も一つありましたし、
一方で、学問的なところとか、
哲学は好きって思ってましたけど、
少なくとも当時の社会人になって、
弁護士になってとか、
弁護士からキャリアのスタートアップに行って、
っていう時は、
哲学みたいなものを、
今ほどは全然全く、
自分の中心に置けてなかったんですよね。
たまに本読むけど、みたいな感じがあった。
めちゃめちゃ分かるな。
その時は、
なんでかって言ったら、
さっきの社会的な成功に対する絶望感とは別で、
いわゆる哲学って学問とか、
アカデミックっていう感覚もあったので、
そういう意味で言うと、
そうにもなりきれてない自分みたいな、
別に研究してもないしみたいな、
に対する絶望感っていうのは多分二重にあって、
そっちにもいけないみたいな。
ちょっと今、こんなに聞いていたらと思ったんですけど、
私も哲学っていうものにまさに馴染んでないなっていうところから、
中心に置くと決めたタイミングが僕はあったんですよ。
しながらさんって、
例えば本とかあるいは話だけにも、
人文知っていう言葉と、
あと哲学っていうことをやっぱり使い分けてらっしゃるのが、
言葉としてあるじゃないですか。
そこってしながらさんの中でやっぱり似て非なるものなのか、
結構トータルなものなのか、
どうなんですか?
そうですね。そこはめちゃめちゃ面白いところですね。
はい。
そうだな。
自分の中心とかコアにあるものは、
やっぱり人文知ではないですね。
それは違うんですね。
それはやっぱり有用性の観点から見ている感覚がある。
なるほど。役立ちの。
だから人文知がそういう意味ではいろんなものに、
今の社会に必要だよねとかっていうのは嘘ではない。
というか本当にそう思っている。
だからそういうふうに言っていますね。
だから有用性の面から見た、
知を言っている言葉だなっていう感覚が自分の中ではあって、
だから社会に求められているときにはそういう発言をします。
それはしかも嘘じゃないし。
そうですね。
なんだけど、一人の人間として、
探究していきたいなとか、
表現していきたいなっていうコアみたいなもので言うと、
僕は哲学と思想とですね、
哲学と思想はどう違うかとか、
これは日本に哲学はあるのかみたいな、
そういう哲学という言葉に対するいろんな解釈があるので、
両方面白いなと思っているんですけど、
哲学プラス思想っていう、
こっちのほうがぶっちゃけ圧倒的に興味あるかなっていう。
なるほどですね。
やっぱり全然そこは違うんですね、興味とか。
興味っていうか、興味は両方あるんですけど、興奮するみたいな。
なるほどね。
沸き上がるものが。
そうそう。だから人文知って言ったら、
社会科学もそうだし、歴史もそうです。
興味はありますね。
興味は全然ありますね。
興味はあります。
面白いなと思うし、役に立つから、
それを使って社会に貢献する活動はどんどんしていきたいと思う。
その辺は古典とかでもやってて、
それすごく幸せだなと思います。
ただ何かというか、
興奮とか知的な喜びみたいなところで言うと、
やっぱり哲学とか思想っていうものを学んでいく中で、
得られてくる。
えー?みたいな。
そう考えるか?みたいな感じとかは、
やっぱり哲学とか思想こそ、そこにこそあると思いますし、
やっぱり歴史とかはね、
やっぱりなんか、
小田信長が勝ちましたとか、
アレクサンダー大王がみたいな、
ある人が人を殺してきた、
なんか歴史じゃないですか、まさに。
そうですね。
哲学とか思想っていうものをそういうのに加担してしまっている時代は、
もちろんあることは認識しておかなければいけないなと思ってはいるんですけれども、
でも基本的にはやっぱ、
思想とか哲学って別に、
人を何千人殺した人は書いてるわけじゃないじゃないですか。
そうですね。確かに確かに。
みたいなところも含めて、やっぱりすごく魅力的だなと思うし、
なんていうか、
大きいですよね、パラダイムがっていうふうに思うから、
そこに対する思いは全然ちょっと重さが違うかなって感じですね。
いやー、なんか今の話すごい、
なんかいい話を聞かせていただいたなって感じがしてるんですけど、
何を思ったかっていうと、やっぱり知る知識の地ですよね。
これが質感とかあり方の話だなって今思ってまして、
やっぱり知というものが、
知は力なりっていうこともありますけれども、
やっぱり力として扱われる時と、
それちょっと風向的ですけれども、
じゃなくてやっぱり純粋な喜びとか探求とか、
もっと言うと大いなるものとつながるための知みたいなものだった時に、
やっぱりその、何ですかね、
地を通して何かに接続するみたいな感覚で、
あるんじゃないかなと思ってて、
多分それってもともとのプラトンとISIS的な、
いわゆるスコレですよね、その余白があるからこそ地を探求できる。
それを使って政治とかも行うんだが、
探求することそのものが喜びであるみたいな、
そういうところにすごいつながるような感じがしたんですよね。
たしかに。いや、そうですね。
だから、哲学はどこから始まるかっていう話もあると思っていて、
有名なのは、アリストテレスはある種、
驚きとか知る発見みたいなところからっていうことをやっていて、
僕の好きな西田喜太郎という人は、
悲哀とか悲しみからだっていうふうに、
全然時代も場所も違いますけれども、
真逆だと思うんですよね。
驚きとか知る発見、喜びみたいなところと、
悲しみから、人生の悲しみとか悲哀から哲学が始まるっていうのは、
全く正反対だと思っているんですけれども、
僕はすごくどっちもあるんですよね。
どっちもあって、
さっき言ったらアリストテレス的な本当に驚き、
なるほどみたいなところもすごくモチベーションになっているし、
ただ、自分が思っている哲学とか思想って、
いわゆる西洋哲学史みたいなものよりもっと全然広いので、
特に仏教とか東洋の思想とか宗教みたいなところも含めて興味がある。
やっぱりそうすると、悲しみから始まるっていうのもすごくよくわかる。
これは日本人的な感覚かもしれないですけれども、
すごくよくわかって、
それは僕にとっては両方知なんですよね。
知の原先がどっちもあるよねって思っているけど、
それは、知は力なりっていうものとは結構異次元の話ですよね。
そうですよね。間違いなく。
より根源的なものにやっぱり結びつく感情ですよね。
驚きもそうですし、悲しみもそうですし。
だから、猶予な知っていうのは究極的にあんま興味ないんだよな。
なるほど。
すごく興味ないんでしょうね。
そうですね。あんま興味ないんだよな。
なるほどね。やっぱりそこが品川さんすごいところだなって逆に思うんですけれども、
ご紹介冒頭でした、「資本主義と生きていく」っていう本って、
すごく役立つ本だなって思うんですよ。有用な本だなと思ってて。
多分、品川さんにとってこの本を書くことは、
できるし役立つし、絶対にやったほうがいいんだけれども、
これを生み出すことが自分の人生の目的ですかって問われたら、
多分ちょっと違うってなるんじゃないかと思うんですよ。
私、勝手に外から言ってるんですけど。
ありがとうございます。
そうですね。それは、やっぱり僕は、
人間の本質って結構二重性にあると思っていて、
つまり、これいろんな二重性が考えられるんです。
例えばですけど、すごく利己的な存在でもあるけど、
でも社会的な動物でもあるみたいな、そういう二重性とも言えるし、
関東的に言ったら、減少化してるんだけど、
英知界でも生きてるみたいな、同じようなこと言ってると思うんですけどとか、
すごく二重性があるところだなと思っていて、
そうだなっていうところで言うと、
この本も結構その二重性が実は現れてるなと思っていて、
なるほど、なるほど。
これは一方では、自分の知能探求というか、
自分の資本主義をどう理解すればいいのかっていう探求の結果でもあるっていうのが、
まず片方であるんですね。
はいはいはい。
あって、もう片方は、これさっきの話ともつながるんですけども、
その探求は、やっぱりせっかくやるんだったら、
多くの人に知ってもらいたいとか、
なるほどと思ってもらいたいとか、
すごいねって言われたいとか、
なるほど、やっぱこれがあってよかったよとか、
やっぱこれがあってすごい世界の見え方が変わりましたって言ってもらいたいっていうのもあって、
これもどちらも僕の中では正直な気持ちなんですよね。
はいはいはい、確かに。
で、これが僕が本の中でも書いた、
三砥稲造の善用っていう、
よく用いるっていうことだと思っていて、
自分の欲求をいかによく用いるか。
よく用いると自分も嬉しいって、
これも人間の性質だと思っていて、
それが両方なんだろうなっていう。
はいはいはい。
で、さっきの苦しいところからちょっとまとめみたいなところでいくと、
苦しいところからどう変わってたか、自分はどう変わってたかっていうと、
自分の中の転換点は結構思想的な転換点は結構明確で、
それは何かというと、
さっき言ったこの社会的な貢献とか、
社会に役に立つみたいなところよりも、
自分の興味関心の方を圧倒的に優先させようって、
もうそれでいくって心が決まった瞬間があって、
そっから結構人生変わったんですよ。
そうなんだ、はいはい。
いやもうやめようと、
社会起業家とかソーシャルアントプレーナーの人たちが、
すごい素晴らしい仕事をされていて、
本当にいつも憧れてて、
すごいな、かっこいいな、自分とは違うなって思ってたけど、
もうそれやめようと、
それはもうあんま得意じゃないし向いてないし、
だって図書館で本読んでるのが好きなんだもん、しょうがない。
確かにどうしようもないそれは。
それはさ、いろんな海外を飛び回って、
いろんな社会的な貢献活動をするのに憧れてるけど、
図書館のほうが好きじゃんみたいな、
しょうがない、そこを認めて、
だったらそれをどんどん追求していって、
そっちを優先させて、
そして人生というか社会というか世界というものは、
結構単純じゃないから、
実はそうやって自分の好きなこととか、
興奮することを突き詰めていくと、
おそらくそれはめぐりめぐって、
もともと言っていた社会とか他の人のためになるっていう、
そういうふうにつながっている可能性って非常に高いと思ってるんですよね。
だったらもうそうだと決めてやる。
多分客観的に見てもおそらく、
そんなに自分が好きじゃなかったり向いてない、
人のためってことを頑張って、
無理しながらやるよりも、
多分自分が好きなことをして、
興奮しながらいろんなアウトプットを出していくのが、
多分社会のためになると思ってて、
そっちで行こう、そっちに賭けようっていうふうに
決められたときがすごい転換ってなったんですよね。
はいはいはいはい。
そんな感じかな。
めちゃめちゃいいですね。
本当その話だけでも、
あと1、2時間ぐらい話したいぐらいな話ありますし。
ありがとうございます。
二重性の話はすごく大事だなと思って、
さっき私は本に対して役立つ本ですねって思うんですけど、
二重性の一面性を取り上げた話だなって思ったんですよ、聞いていて。
やっぱりその奥には、
信長さんの探求とか、あるいは数百年の方で作ったというところのプロセスとか、
いろんなものがあるっていうことも含めると、
やっぱりそういった、やっぱり物事ってね、
一方ではもちろん捉えられないし、
やっぱり全部を知ることは難しい中で、
やっぱりいかにそれを捉えるか。
それはやっぱり自分のバイアスもあるし、
知識とか情報の限界もあるけれども、
その中でいかに全体化まで捉えようとするかっていうところが、
改めてすごく自分がやりたいことらしいとか、
哲学が多分やってきたこと。
そうですね。
なんだろうなーみたいなことをちょっと思いながら聞いてましたね。
ありがとうございます。ここまで喋れてよかったです。
でも本当そう思ってます。
そうやって聞いていただけたおかげで、
本当に思っていることがそんな感じですね。
ありがとうございます。
そういった形でもうあっという間に時間が切れたので、
本当はもっと用意したことも多分あと4個くらいあって、
切れなかったんですけれども、
まず一旦ね、今回は。
本当に今日はありがとうございました。
ありがとうございます。
またぜひやりましょう。
本当ですか?
ちょっともう私たちはね、いつでも。
ちょっと兄がすねるかもしれないですけど、
今度はちょっと兄もね、間違えればよかったから。
お話しするとは思ってますし、
やっぱり何ですかね、
今日で話したかったことを、
多分3分の1くらいは話したいと思うんですけれども、
やっぱりその同じことと違うこと、
例えばさっきおっしゃったようなことも、
すごく共感する部分とは全然違ったことがあったなと思ったときに、
それをやっぱり知ることがコミュニケーションだし、
人と人の対話だなって思ったりするので、
そういうことはもしよかったらまたぜひその機会をいただけると嬉しいなと思っております。
はい、ありがとうございます。
ぜひぜひお願いします。
どうぞございます。
どうしたらよかったら感想とか一言何か、
宣伝とか書いてあればと思うといかがでしょうか。
はい、ありがとうございます。
やっぱり人が考えていることとか思っていることっていうのは、
ポッドキャストでも本でも、
全てをやっぱり表すことって難しいっていう限界の中で、
僕たちは生きているなっていう感覚があって、
でもこうやってこういう場で聞いていただけると、
本当に思っていることに少しずつ近づいていけるっていうのはすごくありがたかったなと思って、
おりましてありがとうございますというのがまず最大の。
そう言ってたけど。
本当に思っている。
あと本としてはさっき言った資本主義と生きていくっていうのは、
ある意味一番は僕の人格とか人柄が知識も含めてですけれども、
知識よりもこういう人柄、人間、
本当にさっきの内村みたいな話になっちゃいますけど、
それができるだけ現れるようなタイトルであり、
表紙であり、中身にしているつもりなので、
ぜひこちらも読んでいただけると嬉しいなというふうに思います。
ありがとうございます。
ちょっと最後に一言だけ、
僕今日本当に聞きたかったら聞けなかったんですけど、
やっぱりその幸せから楽しさっていうのがすごいキーワードだと思ってて、
それは哲学のポッドキャストもそうですし、
本の中でも最初にこの本の楽しみ方ってところから始まるんですよ。
楽しませようとしててすごいなって思って、
もしよかったら最後一言、楽しさっていうところに関して
よかったら品川さんのことちょっと聞いてみてもいいですか。
そうですね、やっぱりそれは興奮かな。
なるほどね、イコール興奮なんですね。
興奮することをやるっていうのはすごくいいし、
そしてその興奮していることがもっと100倍、200倍になるのはどういう時かっていうと、
個人的な興奮が社会とつながる瞬間なんですよね。
いいですね、いいですね。
個人の興奮を追求していくっていうのと、
それが社会と薄くでもいいからつながる瞬間っていうのを探し求めていくっていう、
これがすごく大事なんじゃないかなと思っているので、
それを表現した本だという認識をしてます。
はいはい、いいですね。
ぜひこれからも哲学で興奮を生み出すっていうのを
ぜひ一緒にやりたいなと思ったので、よかったらぜひまた。
キャリアのプロ、いいですね。
いい感じで輪郭を与えてくれるので、ありがたいです。
そう言っていただけるとうれしいです。
本当にこれからもぜひお願いしますと思いますし、
聞いていただいた方もよかれば皆さんの感想とか、
PodcastとかYouTubeとかでも書いていただけると思うので、
ぜひぜひよろしくお願いいたします。
本日はゲストにしながらさんをお迎えしてお届けしてまいりました。
しながらさん、本当に今日はありがとうございました。
ありがとうございました。
次回もお楽しみに。
いつもお締めの言葉が忘れましたが、
今日は終了です。皆さんありがとうございました。
ありがとうございました。