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2022-11-06 35:25

#56 「33歳までに死ぬ!?」死の恐怖と向き合うキルケゴールが見た世界

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。

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(BGM)
はい、ソレ鉄ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、今回はキルケゴールだったんですけれども、まずは前回、ヘイゲル以降の近代の鉄学はどういった感じなのかというのをザザーッと教えてもらったという感じでした。
はい、今日はいよいよキルケゴールにしっかり入っていこうというところで、キルケゴールの人となりというか、どういう時代に生まれて、どういう人だったかというところをお話しして、
その後ですね、キルケゴールの話を、特にですね、『死に至る病』という結構有名な本、結構代表作みたいな本があるんですけれども、それに沿ってキルケゴールが考えたこととか言っていることみたいなところを、
ご紹介していきたいなというふうに思っている感じです。
はい、『死に至る病』って聞いたことある?
ないね。
まあ、そうよね。
キルケゴールもないし、その本もないからね。
まあ、確かに。
なので、どんな人でというのはやっぱりあると、これまでもクラテスとかプラトンとかがやってきたと思うんですけど、やっぱり人となりとかどういう過程に生まれたとかっていうのは知るとなんとなく、
「あ、だからそんなことを考えたのね」っていうのが見えやすくなるかなと思うので、特にこの辺りは時代とか国とかが結構重要になってくるので、
改めて実論主義が何かって話なんですけど、すごいざっくり言うと、その現実存在とか、この自分自身の存在っていうものを結構大事にする。
要はこれまでって、真理とか神とか、何かイディア、善のイディアとかっていう、そういう何か自分の外に、何か真理みたいなものがあって、そこからいろんな存在が生まれるんだよって話だと思うんですけど、
そうじゃなくて、自分っていうのが存在していて、その存在に伴って本質とか真理みたいなのがあるんだよみたいな、そういう逆転が起き始めてるっていうのがこの実存主義だったりします。
そのまあ、走りの人ってことはね。
そうだね。だからキルケゴールが自分を実存主義者だって言ったわけじゃないんだけど、また実存っていうものをテーマにした人ではあります。
特にキルケゴールの特徴としては、キリスト教徒として、あくまで宗教者として自分自身のことについて考えたっていうのが結構特徴で、
もちろん哲学者ではあるんだけれども、それ以前にキリスト教とか信仰っていうのをすごく大事にした人なんですよね。
はいはい、そうなんだね。これから説明はあるだろうけれども、ここまで聞くとさっきの実存主義、真理とか神って置いているのかわからないけど、と対比する自分、人間があった時に、人間が強くというか、人間主観でみたいな話になってくと思うんだけれども、天秤があった時にね。
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今の話を聞くとキリスト教の中で自分というものを見つめていくっていうのは可能なのかなって思っちゃったんだけど。
どっちかっていうと、やっぱりヘーゲルの哲学にすごい影響を受けてるんですよね。それは弁償法みたいなものだったりとか、あとはそれまで、前回もちょっとお伝えしたけど、ドイツ観念論。
要は現実世界というよりは理性とか抽象的な世界の中で、真理とか絶対性をどう捉えるか。その抽象的な能力っていうのは人間一般に備わっているから、誰がやっても一緒だくらいのことを言ってた哲学なんだけれども、ドイツ観念論の言うと。
だから証明できたみたいな話だよね。論理学的な。
みんな理解できるでしょうみたいな世界なんだけど、キリスト教徒はそんなことはないだろうと。自分というのは自分として生きる人間だし、自分自身の決断が人生とか歴史を作っていくと。
そういう考え方で捉えた時に、キリスト教の神とどういうふうに改めて自分自身を結びつけるかとか、人間という存在が結びつくか。要はそれまでの流れで言うと、理性の力でとか、そういう御徴を受けて神と繋がっていくんだけど、そうじゃない辿り着き方ってあるんだっけっていうのを考えたっていう感じかな。
はいはい、なるほど。そこは矛盾してないんだね。神の中で人間を個別的なもの、神と同等、もしくはそれを超えていくものっていうふうに実存主義的に考えていくっていうのは。
神を超えるとかっていう発想はないんだよね。その辺りはこの後話しながら、神と人間の関係をどう捉えたかとか、大分兄貴が言ってくれている神と一人一人の人間の関係でどうやって作られていくのっていうのは、次回になっちゃうと思うんだけど、また色々お話ししていこうかなっていう感じですね。
はい、わかりました。 多分そういう感じになってくれると思う。
はいはい、了解です。
その手前の実際に人とのアリーナのところなんですけど、ペルケゴールは1813年、200年ちょっと前に、今ではデンマークのコペンハーゲンに生まれます。
お父さんは元々貧乏だったんだけれども、商売の才能があって、いろんな不動産に手を出したり投資をしたりして、結構それがうまくいって、すごいお金持ちになりました。
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そのデンマーク自体は当時イギリスの戦争で負けちゃって、結構国自体は荒れ果てるんですよ。今は不動産とか買ってたところが、他のところは焼けの端になっちゃったんだけど、お父さんが持った不動産だけ残るとか、お父さんが投資してた国債だけは値下がりしなかったとか、そういう結構ラッキーが重なって、お金持ちになりました。
なるほど、才能なのか、ちょっとそこはあれだね。
まあまあね、いろんな偶然もあったかもしれないけれども。そういった過程に生まれるんだけれども、キリケゴールがですね、7人兄弟の末っ子があるんですよ。なので上にお姉さんお兄さんがいるんですけど、結構不遇というか、これが人格形成に影響を与えてるんじゃないかって言われてるのが、
キリケゴールから見た長男を除いて、兄弟全員がほぼ30歳前後とか、もっと早く10歳とかで亡くなってるんですよね。
そうなんだ、分かるよね。
7人兄弟のうち5人か、その時早く亡くなってます。
お母さんも1834年の間で、キリケゴールが23歳という結構若い年齢で亡くなってます。
この状況で、キリケゴールのお父さんとキリケゴールのうちに行った脅迫観念があって、
それが何かっていうと、お父さんの子供たち、キリケゴール含む兄弟たちは、33歳を超えて生きられないという脅迫観念を持ちます。
これどういうことかっていうと、33歳っていうのがどうやらキリストがこの世に生まれてから十字架にかけられた年らしいんですね。
いわゆるキリストを超えて長生きできないっていう脅迫観念を持ちますと、
要は結構厳格なというか、一般的なキリスト教徒の家庭として生きているから。
なので、キリケゴールの脅迫観念として、お父さんは長生きするんだよね。
長生きというか、普通に50、60までかな、生きるんだけれども、それって結局、幸いではなく罰であると。
子供の死を見取るっていうのが父親に課された罰であって、
だからこそキリケゴール自身も、自分は父より早く、かつ34歳未満で死ぬだろうっていう確信があったっていう話があるのね。
なるほどね、ありそう。
そう。実際にキリケゴールは42歳で亡くなるんだけれども、34歳超えるんだけど、その日記が残っていて、
34歳の誕生日に書いた日記で書かれているのが、おかしいと。私は今や34歳になった。
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全くわけがわからない。誕生日の前に死ぬとすっかり信じていたのだ、みたいな日記が残ってる。
はいはいはい。
で、あまりにも信じられないから、教会まで行って、自分の誕生日って本当にあってるとか間違ってないっていうのを確認しに行ったりするらしいのね。
そう、やっぱり結構そういう話だけで見ると、キリスト教の中でも自分を考えざるを得なかったというエピソードとして、これだけでも結構成立していると思うんですけど。
そうだね、私そこまで本気で思ってたってことは、辛かったろうね。あと3年、あと2年みたいなさ。
辛かったと思う。だから、これはあんまり今日は触れないんだけれども、もう一個エピソードとして、いわゆる女性関係というか、すごく好きだったというか、愛していた女性がいたんだけれども、その人に1回婚約して、それを自分から破棄するみたいなこともしてたらしいよね。
エモは自分は早く亡くなるから、いつ死ぬかわかんないから、そういう人と結婚していいのかとか、そもそもそんなことに時間を使っていいのかとか、多分いろんな葛藤があったらしくて、やっぱり行動をしてたらしいですと。
だから、実際はね、お父さんも自分より早く亡くなるとか、自分だったり、あと長男も34歳を超えて生きるっていうことがあったので、その恐怖感自体は弱まっていたんだけれども、やっぱりこういった経験とか、そういった、もう本当にいつ死ぬかわからないみたいな、
なんかできてきたこと自体がやっぱり人格形成とか、こういう思想とかにも影響を与えてるんじゃないかっていうような話はありましたと。
いやー、なかなか強烈だね、それは。なんかほら、昔ノストラダムスの予言とかあったじゃん。 はいはいはい、世紀末よね。
あれも結構テレビでもやってたしさ、あれをもちろん本気にしてた人もいるだろうけど、もしあれを本気で信じる世界観に生きてたらって想像したんだけど、かなりきついよね。
例えばさ、今年滅ぶわーっつって滅ばなかったって、まあ人安心とはなんないもんね。 そうだね。
そこに向けて、もうどうせ来年死ぬからっていろいろやってたこととか、それに向けて動いてたってことももちろんなくならないから、なんかすごいなと思った。
それをたぶん、めっちゃさ、本気でそうやって生きてきたってことだよね。 そう、本気でた人だし。
実際私は、ノストラダムスの時には、予言が間違ってるんじゃないかとか、解釈が違って、実は半年後だったとかっていうね、いろんな話が出たと思うけど、まさにあれをもう、辞で言ってる感じ?
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はいはいはい。 うん。
いやー、すごい精神負荷がすごそうだなーって。
そう、だからやっぱりね、こう、まあいろんな、なんだろうな、こう、鬱屈したというか、まあいろんな思想がね、だからこそ出たってのがあると思うんですけど。
で、実際キルケゴール自体は、1855年まで生きるので、まあ42歳までは生きました。
まあやっぱりまあ、若いというか早いよね。長生きとは言えない人生でしたと。
で、その中でその、キルケゴールは幸い、やっぱりお父さんの遺産があったので、それこそ関東とか、あのデカルトとかみたいに、大学を出て教授になるとか、なんか家庭教師するとかっていう必要がなかったんですよね。
だから、逆に言うとその、17年間、人生の中で17年間を、あの、作家?書術家っていうのかな? 本を書くとか、そういった自分の考えを養親権にするっていうことで生きていくことができましたと。
だからこそ、その膨大なね、いろんな本も残っているし、まあ日記とかも含めていろんな言葉が残っているんだけれども、
で、実際なんかその、いわゆる後から評価されたみたいなもちろんあるんだけど、後の時代から。でも結構同時代にそれなりに売れてたようなんですよね、出した本っていうのは。
いわゆる売れっ子というか人気作家みたいな話ではあったんだけれども、なんか大変な浪費家だったようでして、なんかものすごいお金を使ってしまって、もう死ぬ間際にはほとんど無一文に近かった。
でも逆に言うとそこまでお金残ってたってのは、いいね、羨ましいね。
まあそうね、なんか結構死ぬ間際とかはわりとわからない根拠だみたいな、そういう生活だったらしいんだけど、でもまあ要はそのお父さんの遺産をある種食いつぶして、まあ生きていって、本をいっぱい書いたみたいな感じがありました。
アーティスティックなね、なんか芸術家っぽい。 そうね、結構ね、そういう生活の質、またちょっと後で伝えるんだけれども、美的というか美みたいなものに関しては、わりと否定的というか、やっぱりそのキリスト教的な倫理とか、神の世界で生きるみたいな、人として正しく生きるみたいなことを結構大事にしてた人。
まあ大事にとか、そういう思想を多く言っていた人。じゃあ実際の生活がどうだったかっていうのは、まあもちろんあるらしいんだけど。 そうだね、浪費って何に使ってたんだろうね。
そうそう、まあみたいな感じがありました。で、さっきね、本をたくさん書いたよ、まあ17年間ね、作家として生きてきたよっていう風に言ったんですけど、
まあ一個特徴があって、ペンネームがめっちゃ多いのね。ペンネーム、仮名っていうのが「貝の名前」。で、例えばその今日ね、この後紹介していこうと思ってる、その「死に至る病」っていう本があるって言ったと思うんですけど、
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これの著者が「アンチクリマックス著」って書いてるのね。で、キルケゴール漢みたいなのを書いてる。まあ当時も書いてたかちょっとわかんないんだけど、アンチクリマックス著って書いてて、ダリアネーム問題がありますと。
はあ、そうなんだね。それが代表作ってのもまた面白いね。 ペンギン そうそうそう。で、実はこれただいろんなペンネームあるんだけど、なんかどうやら後の研究というか、学者さん会話すると、まあ割と答えは単純で、なんでそんなことをしたのかっていう。
ペンギン なんか当時のそのデンマークの地籍回想でいうと、そういうペンネームというか仮の名前で本を出すのが流行ってたんだって。
ああ、そうなんだ。特別なことじゃないんだ。 ペンギン そう、普通にやってて。
ペンギン キルケゴールだけでやっていたっていうよりは、いろんな人がそういう仮の名前でやって、要は謎めいた感じ?とか神秘性みたいなものを結構大事にして、みんなキルケゴールが出した本だとは知ってるんだけど、
なるほどね。 ペンギン そう、公然の秘密みたいな。
ペンギン ただ、キルケゴールさえはアンチクリマックスとかっていう名前で本を出していきますよと。
ペンギン ただ、いろんな解釈もあるし、キルケゴール自身がそこにどこまで意味を持たせていたのかとかって結構難しくて、
ペンギン なぜならっていうのが紹介されてたのが、キルケゴール自身がね、日記か本の中で、仮名?ペンネーム?による書物の中には「私自身の言葉はただの一言もない」とかって書いてるの。
はいはいはい。 ペンギン もう嫌でしょ、後の人からしたら。 まあそうだよね。
ペンギン ただそれが本当かっていうとそんなこともなくて、例えばそのペンネームの著作がキルケゴール自身が「私の著作だ」って紹介するケースもあったりして、
ペンギン 「私って言ってるじゃん」みたいな。「私そんな徹底したわけじゃないよね」みたいなこともあったりするんですけど。
なるほどね。ピコ太郎みたいな感じだよね。小坂大魔王がピコ太郎を「彼は」って呼んでるようなもんだね。
ペンギン そうそうそう。 一緒に世界回ったって言ってるけど、自分がみたいにたまに言っちゃったりするみたいな。
ペンギン そうそうそう。結局どっちやねんみたいな。
ペンギン だからそういう意味では、いわゆるキルケゴールの手法というかスタンスとしても、いわゆるちょっと皮肉めいた感じというか、
ペンギン アイロニー、批判とか皮肉を通じて真理にたどり着くよみたいなところもあったりするから、
ペンギン そういうちょっと謎めいた感じとかもあったんだろうなと思うんですけど。
それはわからなくもないというか、そうだね。全然ありそう。
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ペンギン そうそうそう。ただやっぱり一つの作家のスタンスとしては、いわゆるペンネームであるときは、ある種自分自身から解放されるというか、
ペンギン キルケゴールっていう一人の人格とか、その思考の限界を超えて、あるいは自分の好き嫌いとか、自分自身キルケゴールとしては本当はこう思ってるんだけど、
ペンギン ある種作家としてはこういうふうに言わなきゃいけないみたいな。そういうものをこだわらずにある種発表していけるとか突き詰めていけるみたいなメリットはあったんじゃないかみたいな話もあって。
ペンギン そう、そういう意味で言うと、キルケゴール自身もある仮説をペンネームで言った後に、他の著作ですぐそれを撤回するというか、
ペンギン あっちではあのふうに言ったけど、それは誤りだとか、まったくダンセンスであるみたいなことを言うことが結構あって。
まあいいね。なんかでもすごい上品な遊びというか、それをね、当然の秘密だもんね、あの人の。
ペンギン あのペンネームではこう書いてるけど、あっちのペンネームではこう書いてるねっていうのをみんなわかった上で楽しむというか、読んだりとか論評したりするみたいなね。
ペンギン そうだね。だからやっぱりいわゆる知的階級、その当時本を読むとか、その著作を通じて、ある種思想的なことを楽しむみたいな人たちの遊びみたいな部分もあったんだろうけれど、
ペンギン 本当はやっぱりケルケゴルダースは結構それを徹底していたというか、他の人よりも本当にこう、ある種突き詰めてやっていたっていうふうに言えたのかなと思うし、
ペンギン あとはある意味ではやっぱりその作家としては、複数の人格を扱いながらいろんな作品を発表していくみたいな意味では、やっぱり天才性というか、
ペンギン そういう素質、さっき兄貴がアーティストって言ってくれたけど、そういうアーティスティックな感じもあった人だなっていうのはやっぱり思ったりします。
ペンギン やっぱり天才なんだとは思う。そういう意味では、哲学とか思想的な天才でもあるし、それをちゃんと言葉にして発表し続けたみたいな、そういう天才性もあったんだろうなっていうのはそういう感じの人ですね。
すごいね。お金もあっただろうからね。別に自分の名前で「Q.Q.ゴール」って名前を売る必要もなかったのかもしれないですね。
ペンギン そうだね。
思想の、バレてるとはいえ思想の内容で勝負。
ペンギン そうだね。そういうのもあったと思う。逆にそれによって、いろんな本を読んだ人がこれなんだって思って、面白いと思ったら、
ペンギン 実はQ.Q.ゴールっていう人らしいって知って、他の本も読みたくなるみたいな、そういう働きもあったかもしれないけど。
逆にマーケティング的な話でね。
ペンギン そうそうそう。そういったのは上手いんだみたいな感じもあるんですけど、そういうね、いろんなペンネームとかも使いながら、いろんな本を書いていたっていうQ.Q.ゴールなんですけど、
ペンギン やっぱり目的はあるんだよね。そうやって本をもちろん出すとか、自分の思想を読み出すっていう意味では。
21:01
ペンギン 結局何をしようとしてたかっていうと、一言で言うと、いわゆる真のキリスト社とかキリスト教の信仰への道を覚醒させるっていう、そういう覚醒者の位置づけっていうのは自分に課していたようですと。
自分にね、そのイデアを追求するんじゃなくて、自分がそうなるためにみたいな話ね。
ペンギン 自分が覚醒するんじゃなくて、他の人にを覚醒させる。
ああ、そっか。自分が自分がじゃなくて、一般的な不平成のある話として。
ペンギン そうだね。だからキリスト教の信仰者に至る道っていうのを示して、その本を読んだ人を覚醒させる。
ペンギン 時代背景として、やっぱり当時のキルケゴールの時代で言うと、冒頭にもお伝えしたような、理性があって、真理があって、絶対者があるみたいな、ヘーゲル的な、普遍的な世界だけを扱おうとするヘーゲルの実悪があって。
ペンギン もう一方には、キルケゴールから見たら、堕落したって思えるデンマークの教会とかキリスト教っていうのがあって、要は神父さんとかルーター派だと思うんですけど、そういう人たちが言って、牧師さんかな?
ペンギン そういう人たちが言うキリスト教っていうのも、よく言葉で言ってるだけで、別に誰も本当に神の国に行こうとしていないとか、本当にキリスト教の精神を持って生きてる人間がいないっていうふうにキルケゴールとしては見えていて、
ペンギン そういう、普遍的で現実世界と切り離された思想としてのヘーゲル実悪と、現実は根付いてはいるんだけど堕落しきったキリスト教って見たときに、それをどう乗り越えて、いかに宗教的な、それがキルケゴールからすると、人間として本当に価値のある人生とか生き方なんだけれども、
ペンギン そういう人生を送ることができるかとか、そういう人を増やすことができるかっていう問題に取り組んでいましたと。
ヨウ はいはい、なるほど。ぐちゃぐちゃした世界だね、なんか。
ペンギン そうそうそう。
ヨウ 必ずしもね、キリスト教だからありがたいとかでもなく、ちょっと腐敗しちゃってる感じもあったりとか。
ペンギン そうね、だからその教会とか組織としての腐敗っていうよりは、多分その、なんだろう、人間を本当に高めるものになっていないとか、
ヨウ あー、なるほど。
ペンギン 人間をある種救う思想として、なんか間違ってしまったみたいな、多分風に見えていて、
ペンギン だからこそ、結構ね、晩年とかになると、晩年って言っても40歳とかなんだけど、
ペンギン 割とその教会をね、ある種公然と批判するみたいなこともやってたりとか。
ヨウ へー、あ、そうなんだ。
ペンギン そうそうそう。
24:00
ペンギン 自分自身のもっとキリスト教的な生き方っていうのを広めなきゃいけないみたいな。
ペンギン そういう生き方こそが自分にとっての信仰だみたいなところも、もしかしたらあったのかもしれないけれども。
ヨウ うんうんうん。
ペンギン だからこそ、やっぱりキリケゴールの哲学っていうのは、宗教とかもっと言うとキリスト教。
ペンギン 切っても切り離せなくて、やっぱりキリケゴール自身の生き方、その現実的な存在の仕方っていうのも、
ペンギン やっぱりキリスト教とか宗教っていうものがどうしても絡んでくる。
ヨウ はいはい。
ペンギン うん。
ヨウ なるほど。
ヨウ まあ、全然歴史の話はわからないけれども、やっぱり宗教革命を通して聖書がさ、かなり一般にも普及してみんなが読めるようになる。
ヨウ むしろ、聖書を読んで、それに基づいてその信仰というのを深めていきましょう。
ヨウ ただあったと思うんだけれども、もうね、聖書が神秘的なものではなくてね、みんな持っててみんな読めるみたいな。
ペンギン 読めるみたいな。
ペンギン プロテスタント、さっきのルターンなんかまさにそうだと思うんだけれども、
ペンギン そうなってきた時の解釈ってもしかするとキリスト教の宗派が分かれるとか、
ペンギン それ以上にプロテスタントの派閥もそうなし、個人レベルでも聖書の解釈だったりキリスト教の解釈だったり生き方みたいなのって、
ペンギン 確かにな、人間がどう生きるべきかじゃなくて、そういう聖書を読んだ時に自分がどう生きていこうかなって考えた時の答えっていうものがなさそうな時代だなって、今の話の中でちょっと思ってきた。
ヨウ はいはい。だから、ルターンが1500年とか600年くらいだと思うけど、当時聖書が手に入った素敵っていう時代とは全然違う、そこにあるものみたいな、
ペンギン 多分そういう感じだよね。 ヨウ それがある程度プロテスタントの中で解釈の仕方もある程度広まっていろんな宗派ができて、
ヨウ その中で人間が多分そういう多様性の中で聖書をどう解釈するかとかキリスト教をどう解釈するかって、確かにこういう人がガチッと思想をバーンと出すと、
ヨウ すごい力強いというか、そこを悩んでいる人に大きな助けになりそうだなって思ってきた。
ペンギン そうだね。悩んでいる人に対してもそうだし、そもそも悩んでいない人が多いよね、みたいな考え方もキリュピゴールとしてはあって、
ペンギン なんとなく聖書を読んでなんとなく教会ってお祈りとかしてるけど、それで本当にキリスト教の精神が実現できると言えるのかみたいな。
ヨウ はいはい。だから覚醒か。
ペンギン そうそうそう。君たち本当に最後の審判の時に天国に向かわれると思って生きてます?みたいな、そういう感覚もあったんじゃないかと思うんだよね。
ヨウ はいはい。そっか、あまり当たり前すぎてか。
ペンギン あれは常識だったと思うから、当時からするとキリスト教的な考え方とか、聖書を読むみたいな常識に流されちゃいないかい?みたいな感じもあったんじゃないかな。
27:06
ヨウ なるほど。まあ確かにうちらもね、葬式とか法事でお寺行って、王教とかさ、お祈りもらったりとかお坊さん来てもらったり行ったりするけど、これ同じだもんね。別に何も考えてないもんね。
ペンギン そうそうそう。何も考えてないじゃん。たぶんさ、そういう時に、新人部会、例えば親戚とか来た時に、「あら、もっとちゃんと真剣に祈れ」とか言われたら、僕らからしたら何言ってんだろうって思うけど。
ヨウ 思っちゃうね。
ペンギン 思っちゃうと思う。でもやっぱり、新人部会というか、それが大事だって思った人からしたら、やっぱりこいつら何もわかっちゃいないってなるだろうから、結構そういう構図と近いかもしれないね。
ヨウ しかもやっぱり価値観がもっとそっちよりだよね。そっちの親戚とおじいちゃんよりだよね。もっとちゃんと仏教をちゃんとすべしっていうのがすごい中で出話したもんね。
ペンギン そうそう。
ヨウ うちらみたいなライトなその出てきちゃってるとかみたいな。お坊さん自体もちょっとちゃんとしてないみたいな。お経読みてねえんじゃない?あいつみたいな。
ペンギン ただお経読んでるだけで本当にこの人の魂を救おうとしているのかみたいな。でもそういう風に捉えるとね、結構わかりやすいかも。
ヨウ まあでもそうだよね。その中でそういう啓蒙主義みたいなのが出てきてグラグラしてるってことはやっぱりやりどころはないというかね。うちら若い人にとっては「だってあっちでは啓蒙主義流行ってるし」みたいな。
ペンギン そう、魂ないとか言ってるしみたいな。
ヨウ 芸能人のあの人が言ってるしみたいな。やっぱりなっちゃうんだよね、たぶんね。
ペンギン だからこそね、キルケゴールもいきなり神に目覚めようとか覚醒せよっていう本を出してもみんな読まないってわかってるから、実は最初は恋愛についての本を書いてみたりとか。
ヨウ えー、あ、そうなんだ。
ペンギン そうそう。とか、人生は決断である。じゃあ決断とはどうすべきかみたいな。それこそ前回言ったあれかこれかみたいな本を書いてみて、ちょっと人生訓みたいなものを唱えた上で、
ヨウ はいはいはい。
ペンギン やいややっぱり宗教だとか、信仰だっていう本を出していくみたいな。結構そういう戦略はあったみたい。
ヨウ そうなんだね。じゃあさっき、そっか撤回します。そっか、お金あるから名前を入れなくてよかったとかって言っちゃったけども、やっぱりそっか、当時ちゃんと評価されるためには、そうやってちゃんと戦略的に読んでもらう工夫っていうのはしてたんだね。
ペンギン そうそうそう。やっぱりペンネームっていうのも一個の手法だろうしね、とか。それをどこまで切り抜けゴールをしてたかとかもちろんわからないけど、でも言ってやっぱりそういうことは考えたんだろう。
ヨウ うんうん。ちょっとなんか面白くなってきたわ。
ペンギン はいはいはい。やっぱり結構ね、そういう意外とカッチリ、本を読むとカッチリしてるというかしっかりしてる人なんだけど、意外と生活とかを見たらさっき言ったみたいにすごい浪費家で、何にお金探すんだみたいなこともあったりして、だからやっぱり切り抜けゴール自身が、それじゃあ覚醒者っていうぐらいの真のキリスト教者というか、模範的な人だったかっていうと、そんなこともないよね、やっぱり話もあったり。
30:14
ヨウ で、やっぱ思想とか哲学を見るとちゃんとしてるしっていうのがあったり、やっぱりそういうところに哲学としての理解の難しさというか、人と切っても切り離せないけど、あんまり人に引き付けすぎちゃうとちょっとよくわかんなくなるしみたいなところはあるよねっていうのはやっぱり切り抜けゴールでも起きてるかなっていう感じはしますね。
ペンギン 難しいよね。その素晴らしい思想を語った、作ったからといってその体現者である必要があるのかっていうところなんだよね。
ヨウ そう、そう、そう、そう。未来の心もあるんですけど、例えば彼自身の切り抜けゴールの言ってる思想として、すごくわかりやすいね、ちょっと伝承法的な話で言うと、人生の中に3つありますよみたいな話を言ってるのね。
ペンギン 一つ目が、さっきも触れた美的、美意識とか美しいの美ね、的な実存と、あと倫理、倫理感があるとかの倫理ね、的な実存と、あと宗教的実存っていう3つの段階があるよみたいな話をしていて、
ペンギン 例えば、美的実存っていうのは要は切な的な快楽とか、あと感能的な満足、それこそ食べたい、寝たい、性的なことをしたいみたいな満足の段階に今みんなが生きてるから、
ペンギン そうじゃなくって倫理的、要は人生っていうのを真正面から捉えて、自己の両親とかそういうものに従って生きる領域に行かなきゃいけないよとか言って、
ペンギン ただやっぱそれでもダメで、本当はその上に宗教的や実存っていうのがあって、美的と倫理的っていうのは融合すると、神の前で本当にただ一人、神と自分が向き合って共に生きる段階に至る。
ペンギン その段階に至って初めて人間っていうのは、本当真実な意味で生きてることになるよみたいなダメなことを言ったりするんですよね。
ペンギン そうするとその美的実存っていう段階と倫理的実存っていう段階をある種統合というか乗り越えた宗教的実存みたいな、ちょっと伝承法チックな考え方にもなるんだけど、
ペンギン 結構そういう理解はされるらしいんですけど、なんか僕が読んだ本だと、ちょっとそれだけでもないよ、キルケゴーレンみたいな話があって、
ペンギン 実際キルケゴーレン自身もそれを、別に何だろう、繰り返しめっちゃ言ってるっていうよりは、そういう考え方もできるぐらいの言い方じゃないかみたいな話もあって。
一般的にはさっきの形で捉えられてることが多いのかな、キルケゴーレンの話として。
ペンギン そうだね、多い。しやっぱキルケゴーレンって言えば、美的、倫理的、宗教的っていう段階があるよっていうのは基本理解としてはあるらしいんだけど、
ペンギン それ以上にキルケゴーレンが一体何を考えたのかとか、どんなことを吹き残したのかっていうのをちょっと辿りながらですね、神と人との関係とか、
33:09
ペンギン 平行哲学を踏まえた、キルケゴーレン自身の哲学の在り方とか、そういうのをちょっと味わっていただきたいなっていうふうに今回はご要望しておりますという感じです。
ヨウ 何となくキルケゴールがどんな時代に来て、何を求めていたか、ちょっと見えてきた感じがするね、どういうキリスト教的な世界観なのか。
ペンギン キリスト教の世界観って言ってもね、この前の中世もやったけど、時代によって全然やっぱり違うんだろうなっていうのも今回の近代から、1800年代に聞くとまたちょっと思ったね。
ヨウ 国によっても多分違うだろうし、ローマイタリアでのキリスト教の授業と、デンマークっていう少しローマから遠いところの受け入れ方というのも多分違っただろうし、
ヨウ 中でやっぱりキルケゴールとしては、もうこんな全員ダメだみたいなキリスト教徒としてなってないみたいな、多分そういったいろんなフラストレーションの中からやっぱり出てきているものっていう感覚はあると思うから、
ヨウ それみたいなのは僕らからすると少し理解しづらかったりとか、それこそ理解してどうなんでみたいなこともいらっしゃるかもしれないですけど、
ヨウ でもやっぱりね、そういう真剣に物事を考えた人がどういうことを言っているのかっていうのは、やっぱり哲学的な面白さがあると思うので、
ヨウ 僕自身はそれをすごく面白いと感じたので、キルケゴールもぜひテンション高くお届けしていきたいなって思っている感じです。
ヨウ 次回はちょっとですね、より神と人とかキルケゴール的なキリスト教的な理解で、どんなのだったのっていう話をちょっと厚めにしたいなって思っています。
了解です。楽しみだな。じゃあ次回からキルケゴールの思想の中身に入っていくと思うんですが、引き続き楽しみにしていますのでよろしくお願いします。
35:25

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