1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #336 あなたも聖人、私も聖人..
2025-07-20 46:14

#336 あなたも聖人、私も聖人。陽明学の魅力と弱点

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。



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サマリー

今回のエピソードでは、王陽明の陽明学における「良知」とその実践的な側面が探求されています。「良知」は人間に生まれながらに備わるものであり、それを発揮することが成人に至る道であると説明されています。陽明学の魅力とその課題についても考察され、聖人という概念や個々の主観がどのように影響を及ぼすかが議論されています。現代における陽明学の理解についても触れられ、王陽明の考え方が現代社会に与える影響や成人に関する思想が深く掘り下げられています。自己理解と他者とのつながりの重要性が強調され、陽明学がビジネスや社会生活に与える影響についても言及されています。

00:11
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
陽明学の基本概念
はい、今回も引き続き、王陽明の陽明学ということで、前回は至高法一というところを見てきたというところでした。
そうですね、はい。ちょっと僕はね、途中で割と覚醒してしまうというか、きっと王陽明これだったんだみたいな感じになってしまった回でしたけれども、
至高法一、知るとか知識みたいなものと、合は行うですね。
これっていうのが、一般的には、いわゆるやらないと知ったとは言えないんだぞ、みたいな感じだけど、そうじゃなくて、分けられないんだと。
一つ、合一なんだっていうところを、結構丁寧に前回お伝えしてきたかなと思うんですよね。
例えばね、分かりやすいので、香りの良いものがあったら近づいてしまって、嫌な匂いのものがあったら避けてしまうみたいなものがあったときに、
これって普通に考えると、香りを認識したとか、知覚した、だから行動したみたいなふうに分けて考えちゃうんだけど、
そうじゃなくて、もういい香りのものを嗅いだときには、体とか心っていうのは動いてるんだみたいな。
それって分けて考えられないよねっていうふうなことをお話ししたかなと思うんですよね。
はいはい。それがあれだよね、趣旨学とかと比較していいことだよね。
そうですそうです。趣旨学はやっぱり知ることが先で、行うことが後なんだけど、
そうじゃなくて、人の心っていうものを一つのものとして捉えると、それって分けられないよねと。
だからこそ、心で感じる良いことであったりとか、道徳心みたいなものっていうのをそのまま発揮すれば、
それがいわゆる成人というか、良い行いだし良いあり方になっていくんだ、良い人間になっていくんだよっていうところが、
一個に繋がってましたっていうふうな感じなんだよね。
はいはい。そうだね、ちょっと前回の話を忘れつつあるんだけれども、感動をね、せっかく覚えた感動を忘れつつあるんだけれども、
あれだもんね、陽明学的には全員が、いわゆる純菌というか菌みたいなものを持っていて、
ただその菌にはいわゆる混ぜ物が混ざってしまっているので、それを純菌にするという営みこそが陽明学的な成人に至ることで、
誰でもその菌の量は違いがあるかもしれないけれども、純菌にはなれるみたいな意味で成人になれるっていうような感覚だったよね、確かね。
その通りその通りね。だから孔子は1トンの菌を持っているかもしれないし、兄貴が100キロで僕が10キロでって、
そういうのは違うかもしれないけど、それを純菌として磨いていくとか、純度を高めていくって意味では一緒だよっていうふうな話ですね。
はいはい、兄貴を立ててくれたね、今ね。
そう。今ね、やっぱり兄は立てるものっていうのが儒教の考え方なんで。
儒教。
はい、今儒教民になっております。
はい、わかりました。
はい、そんな感じでね、神即利ってなって、知恐を5つずつやったんだけれども、
良知の概念
今回ですね、その3つ目のキーワードですって言っていた治療知ですね。
至る、お願いいたしますの至る、に至す、に良知、良い知識、まあ良い知識って言っちゃうと違うんだけれども、
良知ですね、っていうものを3つ目としてお伝えしていきたいと思います。
これ結構ね、僕もいろいろ調べたんだけれども、難しいというかいろいろあって、
まずはこの良知、良い知っていう、こっちが先にあった考え方らしいんですよね。
先にってどんぐらい先かっていうと、申しってさ、講師とか申しとかっていうときにやったじゃないですか。
あの生前説の方。
そうですそうです。
その申しっていう本があるんだけど、それの中にこの良知っていう言葉がもう出てるんだって。
へー、はいはいはい。
やっぱり授業って過去にもある種答えがあるというか、ある程度ね、先人の教えっぱは学ぶっていう感じなので、
この良知っていうキーワードを、ある種応用名がまた改めて引っ張ってきて、
これこそが自分の教えだというか、自分の考えなんだ、みたいな風にリバイバルさせたみたいな感じなんだよね。
へー、はいはいはい。
この良知って何かっていうと、結構元々は、これまでの言葉で言うと、
即縁の女王、例えば子供が井戸に落ちるときって何度も話してると思うんですけど、
子供が落ちたときに助けたいと思うとか、つい駆け寄ってしまうっていう風なこととか、
あとは是非、これは良いこれが悪いみたいな、ある種善悪の感覚みたいな。
そういうものって、ある種儒教的には生前説なので、基本みんな持ってるよねと。
それが人間の本質だっていうときの、そういう気持ちをひっくりめて、
この良知っていう言葉で示してたんだって。
へー、そうなんだ。はいはいはい。
しかも面白いのが、これって何かを学んで知るっていうわけじゃないんだよね。
要は、生まれてから世の中の道俗を知ってわくようなことじゃなくて、
生まれた時からそもそも人間であれば誰でも持っている。
そういう得が高いって言っていいのかな、
ちょっと得って言葉も多分いろいろあるんだけれども、
そういうような気持ちとか心をひっくりめて良知っていう風に言うんだよね。
なるほど、だからもうそういう性質がありますよって。
アプリよりそういう性質がありますよって。
もう本当に仕事をすることを生まれながらに持っているって話だね。
大嫁さんが思ったのが、
この良知っていう言葉を言い出すのが結構晩年で、
前回前々回かな、
田舎に左遷されてそこで悟った、大誤したみたいな話だったと思うんですけれども、
それが30代の半ばから後半ぐらいなんだよね。
そっから自分の考えたこととか思ったことをバーっていろんな風に言っていくんだけれども、
そっから最後に15年ぐらいかな、50歳前後ぐらいでこの良知っていう言葉の概念に至るんですよ。
へー、だいぶかかってるね、その間。
で、面白いのが、この良知っていう言葉を見つけたっていうか、至った時に、
大嫁さん自身が、これまでいろいろ喋っちゃったけど、
俺この良知っていう二文字で全部説明できんじゃんみたいな、
そういうぐらいの感動を覚えましたみたいなことが残ってるんだよね。
なるほど、本人的にすごいバシッときたんだね、言葉のイメージというかね。
で、確かに今言ったみたいに、要は子供を助けたいと思うとか、善悪の心っていうものが、
生まれた時からまさにアプリ寄りに、これは西洋の概念だけれども、
思ってるよみたいな発想って、ある種大嫁が言っている心こそ真則理だとか、
心っていうものを純粋に発揮していけばOKなんだっていうことを、
ある種確かに言いくるめてるっちゃ言いくるめてるんだよね。
要は人には良知がありますって言えばそれでOKみたいな。
っていうところなので、ある種大嫁さんからしたら、
自分が言ったこととか考えてきたことって、もう既に申し先生という、
詩が先生だからだけど、言ってたんだみたいな。
そういうふうな驚きがあったわけなんだよね。
知と良知の関係性
さらに治療治の治ってなんだって話なんだけれども、
まさにこれがいわゆる致す、行うっていう行動とか実践的な感じなんだけれども、
良知っていうものを発揮する要は、
もう持ってる、さっきの金の話もそうなんだけれども、
それをただただある種発揮すれば良いと。
だからどっかから何か持ってきて、何か学んで、
やっぱり逆しら、要は賢くなるとかってことじゃなくて、
この人が全て持ってる良知、これをただただ、
滲み出せみたいな、致すっていうそういうふうな感覚なんだけど、
そういうふうにすればもうオールオッケーなんだよっていう、
この3文字に全部集約しちゃうんだよね。
なるほど。だから元々良知っていう、
良い知って書く良知は申しが入っておりましたと。
これだっていう話があって、
陽明学的な感覚としては、
知だよね。至る、知、良知。
知が2個あるからさ、どっちの知だったか分かるけど、
知、至る、良知の意味を知、良知っていうところは、
陽明の感覚で、
この良知っていうものをきちんと発揮していきましょうねっていうのは、
大陽明がさらにそこを、
自分なりにアレンジした部分っていうイメージなのかな。
そうそうそう、そういう感じです。
これもやっぱり趣旨学への批判っていうか、
暗示的なところもあって、
要は、当然良知っていう概念も申しから由来するってことは、
申しとか過去の人のことを学んで、
良知ってことを知るっていう営み自体はあるわけなんだよね。
それは趣旨学のいわゆる概念的な理解であって、
お勉強の話なんだよね。
そうじゃなくて、大陽明が言わせると、
もちろんもうそこに書いてるんだけど、
それって自分の心?
要は外じゃなくて、家に潜れば常にあるし、
そこでわかるから、
そういうお勉強なんかしてないで、
今この瞬間、この心って言えば帰りやすいっていう、
結局はそこに行くんだよね。
だから難しいよね。前回もあったよね。
陽明学をきちんとやろうとしたときに、
陽明学の中でも二派に分かれたみたいな。
そうそう、二派と三派にね。
陽明学こそが思考で、
過去のことなど、歴史など全く無である、
全て新しく作ればいいみたいなさ。
ちょっとヤバそうな方と、
言っても知識大事じゃんみたいなさ。
で、陽明はどっちでもねーしみたいな、
どっちも大事じゃんみたいなさ。
この話をしてるみたいなさ。
難しさみたいな感じだと思うんだけど、
今のハヤトの話面白くて、
趣旨学側とかからすると、
ほら、陽明さん、
あんたもそうやって申しの本を読んで、
その領地っていうものを学んだからこそ、
あなたの地、領地っていう感覚に至ったんでしょ?
ほら、インプットが先でしょ?っていう風に、
論破しようとしてくる可能性があるんだけれども、
そうだね。
今、ハヤトが言ってくれたのは、
この陽明と大陽明の側からいくと、
ちょっと違うと。
あなたたちの趣旨学の話はちょっと違くて、
全然違くて、
この申しが残した領地っていう言葉は、
私、大陽明が言うところの、
花とかと一緒なんですよと。
綺麗な花に出会ったと。
自分は、
出会った瞬間に、
綺麗だなと思うし、
匂いもいいねと思うし、
そこは同時に起こっている土地と、
何だっけ、
何かが同時に起こっている土地。
行うだね。
行う?
知ることと行うことだね。
地効合図か。
まさにそれは起こっていますと。
同じように、この申しの書に触れたとき、
この領地っていう概念に触れたときに、
これを頭で理解してから、
この領地をアウトプットしに行っているのではなく、
この概念に触れた瞬間に、
まさに私の中で地効合図が起こっているんですと。
いう話で説明がつくっていうことだよね。
そうです、そうです。
今、本当に相木が言ってくれた通りで、
このいわゆる地・領地って、
至すとか至るっていうことがあるから、
実践とか行動っぽく見えるんだけれども、
どっちかっていうと、
人の在り方とか世界の捉え方っていう、
認識論的な感覚なんだよね。
つまり、私、相木は領地という観点から
世界を捉えてますっていう、
そういうふうな発想なので、
いかに外から、その領地って言われたら、
借り物じゃんとかって言われたとしても、
それはあくまでも、
自分がもともと持っていたものに名前を付けたとか、
それを拾い上げただけであって、
まさに相木のさっきの花みたいな話だよね。
花を自分で作り上げたわけじゃなくて、
ただただその花を見たときに、
これは花だとか美しいとかって思っただけなんですっていう、
そういうやっぱり、
内から外へっていう感覚が、
本当にこう、
世界の捉え方になっちゃってるって感じなんだよね。
なるほどね。
常に私は、
知恐合一モードで、
はいともさっき、
世界を捉えるみたいな言い方をしてたけれども、
もうちょっと多分、
知恐合一モードで、
世界と関係しているんですよ。
本当そうだね、そうだね。
言葉の方が正しいよね、多分ね。
正しいね。
秘密な気がした。
そうだね。
捉えるって言っちゃうと、
やっぱり内と外とか分かれてて、
外から内へっていう発想になっちゃう。
言葉になっちゃうと思うんだけど、
ほんとに、
内側の心?
イコール、
陽明学の基本概念
大嫁で言うと、この理である心から、
外側に伸びていって、
これは花だ、
美しい、
嗅ぎたい、取りたい、綺麗だ、
残したいとかっていろんなことが起きた時にも、
それも全部、
領地というか、
心の働きであるみたいな、
本当にそういう感じ?
なるほど。
面白いけど、確かにちょっと隙が出てきたね。
突き詰めちゃうとね。
前回もあったけど、
誰にでも、あなたにも私にも、
必ず金があるみたいなところの、
難しさが出てきそうなところも出てくるね、これは。
そうなんだよね。
これはね、
ある種一個、
突き抜けた思想ではあって、
こうなってくると、
いわゆるその、
客観的な正しさとか、
いわゆるこう、
あなたと私を、
つなぐみたいなことがやっぱり、
難しくなってくるんだよね。
要は、領地っていうものはみんな持っていて、
その領地こそがやっぱり正しい、
みたいになってくるから、
しかもその領地はあくまでも、
主観っちゃ主観なんだよね。
そうだよね。
でもその主観、心は、
理につながっているから、
いわゆる全体的に正しい、
要は、理って天の働きだから、
その天とつながっている、
領地をいたせば、
そりゃ正しいんだけど、
でもそれって、
あなたの主観ですよって言われちゃうと、
いやいや、
これは天ですっていうことの説明は、
やっぱり難しい?
うーん、そうだよね。
多分、お褒め的には、
ちゃんと説明できるような気がするというか、
そう、つながってるんだよね。
他の哲学だったりとかね、
こういう感覚になったことが、
ある気がするんだけれども、
やっぱりさっきの、
陽明学の中でもね、
旧神派みたいなものが、
全てぶっ壊していい、
全て新しくしていくのだ、
みたいな、
人が、これが自分の正義である、
これが自分たちの、
領地であるって言い出した瞬間、
おかしなことになる、
みたいなね、
そう、止めるというか、
分からせるというか、
仕組みが、
まだね、今のところね、
今聞いた中では、
陽明学の中自体には、
なさそうだなっていうのが、
今のところ、また思ってきた。
陽明学の現代的解釈
これで一個ちょっとエピソードというか、
面白いなと思った話があって、
最近その会社の人に、
大嫁が好きだって言ってくれる人が、
新しく入った方がいらっしゃるんだけど、
それでスラジオとかも、
興味持ってくれて、
最近僕がね、
大嫁の陽明学やってますよとか言ったら、
すごい苦い顔をしたのね。
なんでですかって聞いたら、
その方が、
以前グローバルな外資系の会社に
いらっしゃった時に、
部下に中国の方がいて、
その人が、
私は陽明学を大事にしていますって言ってたんだって。
いいことだと思うんだけども、
どうなったかっていうと、
私は私の自分の、
心が正しいと思ったことしかしません。
それはやっぱり、
陽明の考え方であり、
かつ自分のまさに、
心に従うことなので、
自分の心が従う仕事しかしません。
って言われたんだって。
そういう時に、
何言ってんだこいつはって思っちゃったんだって。
国籍とか関係なく、
この大陽明、
陽明学を、
どうなんだろうね。
極介と言っていいよね、多分。
スタンスはどうなんだろう。
わからん。
これは、
陽明学はわからないからなんだけれども、
確かにその人に言ったのは、
陽明学は、
確かにそういう風に捉えられるかもしれないけれども、
おそらく大陽明の、
主張は、
そうではありませんっていう、
前回の知恵合一みたいな話をして、
いわゆる、
前回言ったような、
既存の価値観を否定するとか、
自分だけが大事で、
他の人にそれを押し付け、
押し付けっぽいよね、
多分その言い方だと。
押し付けだよね、自分。
っていうのは、本来の陽明学、
陽明の考えとは違いますとは言ったの。
でも、今の現代の陽明学かどうかは、
僕はわかんないから。
なるほど、なるほど。
部下の方も否定はできなかったんだけれども、
実際に、そういうことを、
陽明学という学問的な考え方から、
主張しますって言われたら、
どうしてでしょうね、
その人はだいぶしんどかったらしくって。
そうでもね、
何の前提知識もなく、
自分は陽明学的にスタンスで
言ってるんですとか、
ガチで言われると、
にわかにどう伝えていいか
わかんないよね。
相手にね。
そうなんだよね。
自分は何を否定しているかがわからないじゃん。
いいから動け!
とかって言ったときに、
それって、いわゆるグローバルな、
多国籍企業において、
果たして言っていいことなのかどうかが
わかんなくて、
その人はすごい、陽明学というものが、
自分は苦手になっちゃったんだ、
って言ってたんだよね。
陽明学の限界と未来
ちょっと悲しい出会いだね、陽明学。
そう。
そういうのをやったときに、
面白いなと思ったのが、
所詮、僕らはさ、今こうやって
話してるけれども、やっぱり、
本で読んだ陽明学のこととか、
それっぽいことを今
言ってはいるんだけど、やっぱりリアルに
それを生きてる人、
陽明学だけじゃなくて、
いろんな宗教とか哲学もそうだと思うんだけれども、
本当に
それをやっぱり、
自分の地域化して、
どういう教えかどうかは一体置いといたとしても、
それにやっぱり従って
生きてる人と関わるって、
すごいパワーを持つんだなって思ったんだよね。
パワーを持つっていうのは、
どの部分だ?
その人にとってかな?
部下の人にとって?
両方だね。やっぱりその部下の人に、
その生き方をするっていう部下にとっても
パワーだし、
パワーと向き合う上司、
今働いてる人にとっても、
こんな圧が来るのか?
圧っていうかね。
圧だね、それは。
圧だよね、そう。
それに対して、
どう対応していいかっていうのは、
やっぱり相当な
その
なんだろうな、
こちらも準備というか、
例えば、
どっから
土台を作ればいいか
わからなくて。
そういう人はどの意味での、
どのレベルで
あなたがいう
用名学を
理解して
いますか?っていうところから
スタートしなきゃいけなくて。
それが本当に
あなたは
用名学、あなたの言う用名学
で言うところの
至高合一的な意味で
本当にあなたは用名学を理解していますか?
っていうところを
確認した上で、
それがイエス・ノーの場合みたいな感じで
どんどん分岐していくよね。
その至高合一的に
本人は
わかったと思ってるけど
実はわかっていないっていうケースの場合、
それを相手にわからせるのは
多分不可能だから、
もう詰むんだよね。
その瞬間にもう、要は
何が正しいか議論してもしょうがなくて。
電磁世界では詰むよね。
詰む。
部下の方はどういう考えを
用名学として捉えて
動いているのかっていう行動を
厳慮しないといけないから。
それは大変だよね。
難しいよね。
これはもうわかんない。
想像の話だけど、
その方の話じゃなくて一般論的な話になる。
はい。
至高合一的に自分は
これを理解しましたって言ってる人は
もうちょっと柔軟性がある
ってことだよね。
まあ、そうだね。
自分はこれに従って
言ってるんですとは言わなくなる
気がするから。
今回お伝えした意味での
至高合一だとって話だよね。
そうそうそう。
何かを世界と
接していればね。
だから、
今お伝えした通り、やっぱり
いわゆる治療地の世界、
治療地を本当に
生きようとすると、
客観的な意義とか
意味ってやっぱり
まさに意味をなくすんだよね。
あー。
面白いね。
さっきの自分の正義
みたいなものが
たぶん自然と
なくなるというか、そういう世界観は
なくなるんじゃないはずなんだよね。
ないはず、そう。
なぜなら自分の正義と
いわゆる天、いわゆる世の中の
断りということが
イコールという発想だから、
分ける必要がないんだよね。
うんうんうん。
つまり、自分の心に浮かぶことは
全て天の働きであるという風になっちゃうと、
客観とか
やっぱり中立とか
ということはなくなっちゃうよね。
極限まで行き着くと。
それが、大嫁さん
レベルの
たぶん元々主治役も学んでいらっしゃっていて、
世の中を良くしようとか、
政治的にもいろんな手腕があって、
仕事ができる
方の発想の
いわゆる治療治と、
それを学んで、
療治をいたせばいいんだ、
自分たちは金を持ってるぞ
という風にやっちゃうことの
やっぱり怖さ
というのは、どこまで行っても
思った以上に要迷惑には
つきまといそうなという風な
感覚だったんだよね。
別にその、
また部下の方が悪いとか
ということじゃなくて、
そういう風な発想になる学問でもある
という危険性だよね。
まあそうはね、
その場合はどうしても
現実世界で
衝突みたいなものが
起こっちゃってるわけだから。
そうそうそう。
どこにスタンスを持つかの話なんだけども、
やっぱりそういうスタンスになりやすい学問
発想、思想でもあるんだな
ということを
改めて感じたんだよね。
面白いなあ。
これは、もしかしたら
この先にハヤトが
言えてくれてるかもしれないけれども、
その前回もあったけどさ、
やっぱり大陽明とか、
哲学者あるあるだけどさ、
本人が優秀すぎて、
こういった強力なさ、思想哲学
みたいなものが、
一般にインストールされた
時の、その危うさ
みたいなものに対する
予防策みたいな
ものは
入ってないのかなあ。
これは非常に面白くて、
これ次回話そうと思ったんだけど、
純粋に
自分の思想を解いていたのか、
若干ちょっと
扇動っぽい感じがあったのかは
正直分かんないんだよね。
そうなの。
例えば、これちょっと先ほどになっちゃうんだけど、
以前も
少しお伝えしたんですけど、
大陽明さんがそういうね、治療地だとか
いろんなことを言った時に、
やっぱりもうある種、道を歩いている人
全てが聖人だ、みたいなことを
言い始めるんですよ。
大陽明がね。
大陽明が。で、これは
確かに思想的には正しいじゃない。
要は、みんなが
領地を持っている、みんなが金を持っている、
だから道歩く人全てが聖人だ
っていうのは、ロジックでも
正しいんだけど、
これをさ、感情的に
あなたも私も皆さんは聖人なんです
って言い出したとしたら、
ちょっと
デマゴーグっぽくない?これ。
ちょっと無責任な
気がするね。
ね、若干ね。
要は、それを批判せずに
受け入れなさいと。あなたも私も
聖人です。だから私たちが
正しいんです。仮になったとすると、
結構これって
扇動家っぽくなっちゃうんだよね。
陽明学の基本概念
なるほど。そのセミナー行きたくないね、
それ。
そうなのよ。ちょっと怪しげになっちゃうじゃない?
うわー、そんな神一重な
考え方なのか、これは。
うん。で、
応用名がどっちだったかは正直
分かんないんだよね。
分かんないんだ。
面白いね。なるほど。
だからさ、例えばね、兄貴がさ、
ね、明日、
来週、僕と会ってさ、
ちょっと兄貴もさ、
金を持っててさ、ちょっと一緒に
美学セミナーがあるから一緒に行こうよ
みたいな、すごい知識人の
人で、政治でも
経済でも
すごい実績を残してる人なんだよね
とかって言われたらさ、
結構警戒心MAXにならない?
うん、MAXだね。
だよね、そう。
ついにこの時が来たかと思う。
そっち側に足を完全に
踏み入れてしまったのかみたいな。
そう、ってなっちゃうじゃん。でも、
王陽明って多分そういう感覚もあるんだよ。
えー、あ、そうなの?
あ、ごめん、感覚ってのはごめん。
あの、そういう話が残ってるってことじゃなくって、
そのぐらいやっぱり、
社会的にも影響力があるし、
実際実績も出してるし、
でも王陽明が言ってることを
そういう風に伝えることも
できちゃうんだよね。
なるほど、そこがなかなか判断
しづらいんだね。
しづらい、うん。
こう、いうのがあるんで、
やっぱりこの、
今回治療治の話ですけど、
これ自体だとめちゃめちゃやっぱり
すごい発想とか思想で、
療治っていう
人間にあるまさに善だよね、
徳のようなものを
ちゃんと発揮する、それだけでやっぱり
あらゆる人が
ちゃんと成人になって、
世の中をよくできるっていう発想自体が、
めちゃめちゃ当時
多分刺さったし、
あのね、出資学、
これも何度もお伝えしてますけど、
出資学っていう、どんなに
頑張っても成人になれない、
なれないけど、
なる途中を、やっぱりプロセスを
大事にしましょうっていう風なことが、
やっぱり息苦しくなってた
世界において、
いや、そうじゃないんですと。
今あなたの心を
ちゃんと見つめて、それを磨いていけば、
成人になれるんです
っていう発想は、
絶対に人の心を掴んだはずなんだよね。
いやー、
これは難しいね。
確かに、
なんとなくだけど、
大陽明の想定と
違う形で深く
刺さったような気がするけどね。
前回も
この話したけれども、
いわゆるこの
陽明学ではね、
時効合一という概念だったり、
陽明学の実践と課題
今回教えてくれているこの
治療治っていう感覚を、
本当に
この大陽明の言う
陽明学的なスタンス、
だから、時効合一的な意味で
本来は、時効合一だったり
とか、治療治
っていうものを捉えないといけないんだよね。
本来は。 本当はそうだね。
だけども、
当時もだし、今もだし、
多くの人は多分
趣旨学的にだよね。
お勉強的に、まずは知識として、
この
時効合一だったり、陽明学だったり、
治療治っていうものを
まずインプットしますと。
で、その上で
陽明学っていうものを
めっちゃいいと思って
アウトプットします。
っていう順番になる人が
ほとんどだと思うんだよね、当時も。
そうだね、そう思う。
そうすると、インプットとしての
陽明学の強さと
あと、その当時と
違う
めっちゃ使えそうっていう感じだったりとか
その輝きが
多分強くて、
めっちゃ学んで、めっちゃアウトプットする
っていう
応用明からすると、
なんでそうなるん?みたいな。
違うみたいな。
でも、とはいえ
この広めるためには
致し方なしなのかもしれないけど、
なんかね、
そこの順番の難しさが
どうしても
ネックになるというか
ボトルネックになる
学問というか、
本当に悪く言うわけじゃないけど、
部下の方みたいな
人がいたとき、
それが多分
知恐合意的な意味で
それを理解していない状態
ですよって
本人がまず分かっていないことを
それを
例えば分からせるみたいな
そこが多分陽明学を
やるに当たっては
多分一番大事なとこなんだけど
一番難しいところっていう
とても大変な
矛盾じゃないけれども
何かを
はらんでそうだね。
確かにね。今兄貴の話を
聞いてっていうのと、
前回その話したときにさ、結構僕が
突然聞いたかもみたいな
応用明、すげえ
一段隅理解したとかって
言ったじゃない?
ちょっと自分の中で整理したんだけれども
何があるかって言うとやっぱり
学ってついちゃうと
僕らって学問だから
やっぱりまずお勉強するとか
外から学ぶ、かつ
いわゆるオプションじゃない?
陽明学もあれば、書士学もあれば
日本でいうと
例えば国学もあれば、海外でいけば
当然いろんな学問も
あってとかってなるときに
いろんな学問の一つ
っていう風に普通捉えちゃうと思うんだよね
これ選択肢なんだけど
でも応用明にとっては
これは選択肢ではなくて
もうこれしかない
はずなのよ
なるほど、そうだね
だから
いわゆる対語して
自分がこれだってなった瞬間に
応用明さんの中には
もちろん学んできた
書士学の知識とかもあるし
その後も勉強してるはずなんだけど
あくまでもその
陽明学
応用明さんがつかんだ
心というものを
まずはもう本当に
活用して世の中で
関わっているっていう考え方なはずなんだよね
うんうんうん
でもやっぱり僕らってそんなに
フルに心をやっぱり
研ぎ澄ますとかさ
心でやっぱり世界と関わりきる
ってやっぱりなかなかできないじゃない?
うん、全く感覚が
わかんないよね
他に、でも陽明学より
いいものってあるかもねとか
オプションとして捉えちゃうと
はいはいはい
この陽明学ってもう
その形で生きられない
さっき言った通り陽明学って
その認識の
姿勢、世界との関わり方なので
ちょっとでも疑うとか
そうじゃない
選択肢を考えてる時点で
やっぱり100はなりきれてないんだよね
うんうんうん、そうだね
でも逆に言うと
100信じてなりきれるかって言うと
やっぱそれを
僕らは疑うとか
なんだろうな、それに対して
警戒心を得るっていう感覚も
あるじゃないですか
うん、なるほど、はいはい
だからこれが多分陽明学の
難しさだったりとか
大陽明っていう人を理解することの
難しさに繋がってるんだな
って思ったんだよね
うーん、なるほど、はいはいはい
これってもしかしたら他の
哲学はやっぱり
もうちょっとあれか
オプション的な議論の土台だから
別にね、例えば
陽明学の現代的意義
ソクラテスだけを信じないとか
フッサールの原初学だけを
学びなさいとかって
基本はないんだけど
ちょっと宗教チックなところがあるよね
この陽明学が
陽明学が、うん
なるほどね
ただその話をするとやっぱ学問
まあ哲学も学でついちゃってるけれども
うん
これも哲学の領域で
ちゃんとやることに
意義がありそうだよね
そうだね
この陽明学に関してはというか
陽明学的な考え方を
ってことだよね
やっぱりね
これは難しいです
さっきも言った通りやっぱり
僕らはそういう風に学んでいる
陽明学を今学ぼうとしている我々と
やっぱり陽明学を生きている
さっきほどの部下の方
っていうのはやっぱり
全然次元が違うはずだから
逆に言うと
要は陽明学
というものを通じて生きている
人と
陽明学というものを学ぼうとしている
やっぱり我々って全然違うから
さっきね、たぶん僕らも
いやでもそれってどうなのとかさ
いや知恵講義ってそうじゃなくてとかって
言葉では言えるけど
それはあくまでやっぱり外野の
話でしかないんだなっていうことも
同時に思うよね
うーん、なるほどね
でも難しいよね
その
じゃあこの大呼びの
いうところの治療値的なスタンスが
そんなに盲目的
表心的なものかって言われると
絶対
もっとさ
もっとフラットで客観的で
俯瞰して
人と他者も同一ぐらいのさ
同一で言うと
あれだけどもあんま分けない
みたいなさ
他者もやっぱりよりよく生きていくとか
そこって
まさに分けられないものだから
っていう感覚はあるよね
そこを超えたレベルでの
領地だもんね
人間が持っている
そうです
そこはね、俺がってなった瞬間に
たぶん崩壊してるんだけど
そうだね
そのぐらいは言えるかもね
だから
この辺は結構やっぱり
思った以上に
難しい問題をはらんでるんだろうな
っていうのが見えたのでも良かったなと思う
そうだね
だからこれはすごく
使いやすいし
魅力的なんだけれども
どの部分から
使うか
どの部分までインストールするかみたいな
本当は
OSなんだけど
OSレベルとか
基本にすれなきゃいけないものなんだけど
アプリレベルで使っちゃった時の
なんだろうな
難しさというか
アプリレベルでも
どっちでも存在するみたいな
OSでも売ってるしアプリでも売ってる
OSは正直
使い方よくわからんっていう
難しさがあるけど
アプリは超使いやすいんだけど
謎の
謎の現象が起きてるみたいな
それはあると思う
感じがしたね
結構
このあたりは本当に
スローガンみたいになるじゃないですか
領地とか地領地はやっぱりわかりやすいから
やっぱり
僕も逆に言うと
やっぱり大陽明とか
それぐらいしか知らなかったのよ
すうしんそくりちこごういつって
スローガン的なものがあって
あ、ちこごういつって
言ってたんですねって理解しないと
やっぱり簡単に
間違えちゃうよね
だってそうだよね
だって自分なんかあれだよ
ちこごういつってたぶん
習字の授業のときに一回書いたから
ぐらいの
確かにそうだよね書きそう
理解しかないよ
だからやっぱり
それってこう
難しいし逆に言うと
私の意見は
漢字で書いているとはやっぱり
陽明さんの誠実さというか
学問的な
やっぱり
ちゃんと善を実現しようとか
ちゃんと儒教的な
発想の中で世の中を良くしよう
っていうところがあるからこそ
やっぱりそれもそういうことを
土台にちゃんと理解しようみたいなね
ことがあるとやっぱりただ
私は正しいんだとか
心が従うままにいけばいいんだ
ってことじゃなくて
ちゃんとその心って本当に
天とか利と繋がってるのかな
とか
利というものをきちんと捉えた
心になってるのかなっていう風に
やっぱりちゃんと
反省するというか
そうだね
感覚っていうのがやっぱり大事だよね
っていうところにいくのがやっぱり
一番気持ちいい受け止め方かなとは思う
はいはい
なるほどなるほど
そういう面がどう
陽明学の自己理解
考えていたかは本当にわからないから
うちらがそこを純粋に
きれいに
理解しようとするとそうなるってことだよね
そうねそうそうそう
そういう期待してしまうというかね
うん
受け取るのが一番やっぱり
無難というか
みんながより良い世界に
行くんじゃないかなって思うよね
はいはい
今の話で思ったけど確かに
どうしてもその相対主義というかさ
あの一旦もん勝ちみたいな
世界にやっぱこれなりやすい
俺が正義になりやすいんだけれども
まあ大嫁をきれいに
理解しようとした時の
この治療値だよね
この感覚を実は持ってれば
今自分が思っていることが
エゴなのか
本当に治療値というか
いわゆる理の方につながっているのか
っていうのが多分判断できるはずなんだよね
まあそうだね確かに
やっぱ感覚で
っていうのは思ったね
そうだねそう
まあやっぱりその
逆に外に探しに行くっていうのもやっぱり
陥りがちなんですよ
自分が何者か分からないとか
何が正しいか分からない
って時にとにかく外に
基準を求めに行くっていうのもやっぱり
人のある種弱さというか
振る舞いとしてあると思うんだよね
逆にそういう時に
いやいやじゃなくてやっぱ自分を見つめなさい
自分の心というものが
ある種そういう
心理みたいなものとつながっているんだよ
っていうことは
役立つ瞬間もあるとは思うのよ
あれだね
これ陽明が言ってるのは
オンリーワンだね
あーそうね確かにね
オンリーワンですよ
でそのオンリーワンのオンリーというのは
あなた個人だけじゃなくって
世界とつながっているという意味での
オンリーなんですよっていう
そこまで伝わらないと
やっぱり間違えちゃうかな
確かに金の話をしているからね
そうそう金の話をしているから
みんな一緒なんだよ
あなただけが金を持っていますよ
間違いなんだよね
そこは誤解ポイントなのかも
難しいと思う
別にあなたの金だけが
増えているわけでもない
っていうのが難しい
そういう意味で金の例えは
すごい秀逸だね
いやそう思った確かに
今話せば話すほどこれは分かりやすいだと思うね
うん
そこを誤解しちゃうんだ
みんな同じ金だって言っているのに
あなたの金、私の金
みたいな話をし始めている
そうなんだよね
だから真創りって美は一つだし
真なんだけど
私の真は
みたいになっちゃうと
間違えちゃうねやっぱり
うん
両地の働きはみんなが持っているし
両地の働きをみんなが持っている
その中でそれをどれだけ
綺麗に発揮できるか
曇りなく発揮できるかですよ
これが一番綺麗な
伝え方なんだろうね
いやでも難しいよね
やっぱりどうしても
自分だけを知っているとか
自分だけ優れてるって
思いたくなっちゃうじゃない
うん
自分の方がさ
より良いに近いのとかさ
より綺麗な金を持っているのとか
言いたくなっちゃう感じしない
いやー絶対あると思うそれは
うんうん
そうっていうのがあるからね
やっぱり人って難しいなって
そこに行き着くなって思ったな
そうだね
例えば仏教とかの
悟りと違って
多分めちゃくちゃ属性というか
いわゆるビジネスとか政治とか
すごくその
社会生活の中で使おうとするから
余計さ
ビジネスとの関わり
今はいとはいという感覚が出てくるんだろうね
自分の方が知っている方が
自分の方が得があるというか
結果が出るから
うんうん
面白いですね
そんな感じで今回
治療師の話だけじゃなくって
結構そういうスタンス的な部分とかね
意外と怖い
実は怖いを養命
養命学みたいな感じもありましたけれども
でもなんかそういう意味でも
ちょっとずつやっぱり
理解が深まってきるんじゃないかなという気はしてるんですよね
なんかそういう
良い面悪い面も含めて
なんか見えてきたっていう意味でね
そうだねだいぶ深みに回してきたよね
一応ねこの養命さん
応養命のその3つのキーワード
新即利
治行合一治療治というところは今回までで
次回は一応その
応養命ラストみたいな感じで
改めて
朱子学と養命学ということを
比較しながらですね
まとめという形で
お伝えをしながら
さっき振りようとした
実際応養命さんってどこまで考えたんだろうね
とか
どう思ってたんだろうねみたいな話
っていうものをちょっと
触れてみたいなとそういう本があるんですよ
実は
面白そうだね
というところで最後まで
応養命さんどんな人だったんだろうね
ということで思いをはすながら
ちょっとお話ししてみたいなと思っております
という風な感じですね
分かりました次回ですね
応養命編最後ということで
引き続き楽しんでいきたいと思います
では次回も
よろしくお願いします
お願いします
今回もありがとうございました
46:14

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