はい。
これがご本人のプロフィールということになってますけれども、まあこんな山崎さんなんですが、
実はですね、僕がこの収録前に聞いていたんですけども、なんかあの、しげさんは山崎さんに会ったことがあるという話をちらっと聞きまして。
そうですね、会ったことありますし、コロナ前なんですけど、たぶん2017年とか2018年ぐらいに、会ったというか飲み会でご一緒させてもらって、その後カラオケも一緒に行きましたね。
思った以上になんか、ちゃんと会ってましたね。
なんか名刺交換だけとかじゃなくて、結構がっつりお話させていただきましたね。
それはどういう経緯だったんですか。
それは、仲のいいですね、某エコノミストの方がいらっしゃいまして、そのエコノミストの方がですね、金融関係の人やとか飲み会をしようみたいな感じで開催してくださいまして、
で、私もたまたまそこに呼ばれて、またそこにいらっしゃるメンバーってほぼ全員本書いてるような人ばっかりで、
当時私も本も書いてなかったですし、一般人として行ったんですけども、今も一般人ですけども、それでいろいろお話をする中で、私も山崎さんの本は結構読んでたんですよね。
で、中でも最初の頃に読んだ本で印象的だったのが、会社は2年で辞めていいっていう本が、
現当写真書から出てまして、12回転職されてて、2年に1回ぐらい辞めてるような感じで、
それ読んで興味持って山崎さんの本をいくつか読んだんですけど、その中でも山崎さんのデビュー作のファンドマネジメントっていう本があるんですよ。
これはもうほぼ専門書に近い感じで、そんなに一般向けではないんですけど、1995年ですかね、山崎さんが多分37、38ぐらいのときに書いた本なんですけども、
内容読んでびっくりして、何にびっくりしたかっていうと、もうめちゃめちゃアカデミックなんですよ。
内容はよく読みやすいんですけど、例えば最後の引用文献とか読むと半分ぐらい英語の論文が20、30本書いてるんですね。
その頃にすでに、まだノーベル賞を取ってない頃のダニエル・カーネマンの行動経済学とか、行動ファイナンスの論文とかもめっちゃ引用してるんでしょう。
でも、私よく2008年とかだったんで、当時ダニエル・カーネマンとかの論文とか知ってたし、行動経済学ってもう世間的に広まってたんですけど、
95年ってまだカーネマンがノーベル賞を取る前ですし、その頃で普通に山崎さん、普通に金融機関で資産運営をやってるだけの人なんですけども、
内容としては、こんな実務科はこんなレベルの本を書くの?みたいな感じで、かなり衝撃を受けた記憶があります。
今、さっき読み直したんです、久々に見て。読み直して、今読んでもすごい本だなと。
山崎さんってこんなアカデミックなガチの本を書けるんだっていうか、むしろそれデビュー作なんだっていうのがすごい印象的で、
そっから結構山崎さんは好きですね。そういうバックグラウンドをしっかり持って。
後々調べると、山崎さん東大ご出身なんですけども、濱田光一先生ってエール大学の教授ですけど、その人のゼミとか、
根岸先生っていうそういう有名な日本の経済学者がいるんですけど、その人にも教わったりとかしてて、
本当に多分アカデミックいっても全然通用するような知見や経験知識をお持ちだったんですけども、
いろいろ転職されて独自のキャリアを歩んでいったっていう感じですね。その話をさせてもらって、
そういう感じでカラオケ行ったんですね、その後に。飲み会の後に。
そういう金融の人いたんで、せっかくなんでもうちょっと面白い曲入れたかよっかなと思って、
一番最初にウルフルズの借金大王っていう曲があるんですけど。
知らないっす。
何は金融堂っていう漫画があるんですけど。
何は金融堂、はい、わかります。
元スマップの永井くんが主演なんですけど、何は金融堂、ドラマ版。
それの主題歌がウルフルズの借金大王なんですよ。
知らなかった。
貸した金返せよみたいな歌詞なんですけど、それを私が一発目に歌ったら、
山崎さんが大受けしてすごい気に入ってくれたっていうか、君いいねみたいな感じで言っていただいて。
おもろ。
その次に山崎さんが、それに刺激したかわかんないんですけど、
山崎さんの1曲目が椎名林檎の歌舞伎町の女王でしたね。
はいはいはい。
ちょっとわけわかんない1曲、1000曲ばっかりになってるような感じでしたけど、
そういう思い出があります。
最後、僕ちょっと早く出たんで終電が先だったんで、
山崎さん握手してくださって引き続きよろしくお願いしますっていう風なのが、
お会いしたのはそれが最終最後でしたけど、という感じでしたね。
はいはい。おもろいですね。
じゃあまず2018年とか19年とかそれぐらいってことですかね。
銀行多分辞める前なんで18年とか17年とか。
18年ぐらいか。
じゃあ今から6年前ぐらいって感じですかね。
そうですね5、6年ぐらい前ですね今から。
はいはいはい。
なるほど。
何かその後メールとかTwitterとか何かのやり取りとか別に特にしなかったんですか。
私は今もですけど結構Facebookのメッセンジャーは使うんで、
山崎さんにメッセンジャーで本日ありがとうございましたっていうことですね。
はいはい。
ちょっと今そのメッセージをもう久々に見てるんですけど、
山崎さんオペラと怪人とかも英語で歌ってましたね。
今思い出に。今書いてたんですけどそこに。
あと昔JMMっていう村上隆さん作家のあの人が書いてるメールマグがあって、
それ山崎さんが毎週。
JMMってあの人の村上隆さんって知名度っていうか知り合いが多いじゃないですか知人が。
はいはい。だってあの人経済番組の司会とかもやってますし。
JMMっていうメールマグはいろんな有名なエコノミストとかアナリストに対して村上隆さんが、
今っていうのは例えば円高なのか円安なのかどっちですか今後どうなると思いますかって言ったら、
そういった名当るエコノミストとか6,7人回答を出すみたいな感じのメールマグなんですよ。
みんな意見が違うんで結構面白いんですけど。
山崎さんそれ毎回コメンテーターだったんでメールマグの中の。
そういう話とかを今書いてましたねメッセンジャーで。山崎さんと私が。
ただ山崎さんこれも既読ついてないんで。既読。
たぶん普段メッセンジャーやんない人なんでしょうねおそらく。
もしかしたらそうなのかもしれないですね。
既読ついてないですね。
でも友達にはなってますねフェイスブック上で今見たら。
なるほど。じゃああんまりフェイスブックの投稿とかはされてなかったんですかね。
直近今見たら2023年4月10日に投稿してましてそれ以外はもうほぼ投稿してないですね。
しかも投稿した理由が。
ごめんなさいツイッター見るとツイッターというかXはぽつぽつ投稿してるんで。
どっちかというとそっちの方が好きだったのかなっていう気がしましたね。
でも書いてますね。
今その2023年4月の山崎さんのこれはオープンな投稿ですけど。
フェイスブックに山崎はじめを語る偽物の広告デマールになってきたみたいな感じとかで。
フェイスブックがうとましくなっててメッセージは見てませんと。
メールかツイッターのダイレクトのメッセージもご覧いただけると思いますというふうに書かれてるのと。
ノートに最近投稿してるんでって書いてましたね。
確かに山崎さんノート書いてましたね。
なんか前そのスタでも取り上げましたねそれ。
取り上げましたよノート。幸福度のやつ取り上げましたね。
取り上げましたね。
ノートに山崎さん1月1日に亡くなられたと思うんですけど、
12月確か下旬25日本当にもう亡くなる直前に最後ノート書いてるんですよ。
本当だ。ガンになって考えたこと感じたこと5。
一番最後は12月25日ですかね。
25ですねクリスマス。
これが多分最後の投稿になるんですけども、
一番最後に書いてる言葉が結構印象的でして、
常期限ってこと書いてますよね。
書いてますね。
一番最後に書いてるのちょっと今簡単に覚えました。
今じゃあ僕ノート見つけたんで読み上げましょうか。
読んでいいですかすいません。
最後の方。
最後3文ぐらい読み上げましょうか。
いくら努力しても過去の蓄積を本人は将来に持ち込むことができない。
過去は他人のもの。最後の1日は本人のものだ。
お互いに機嫌よく過ごす上で邪魔になるものは何もない。
常期限なら全て良しと思うがいかがだろうか。
それですね。
そのちょっと上にですね、最後の日のギリギリまで幸福は追求できるっていう風に書いてるんですよね。
書いてますね。
この最後っていうのは最後って終わりの意味の最後ですけども。
そうですね。死ぬ日ってことですね。
そう、死ぬ日ってことですね。
常期限なら全て良しと思うと。
これに対して日踏み答申の藤野さんがフェイスブックでも。
ディオスキャピタルワークスの代表の藤野さんですね。
そうですね。ディオスキャピタルワークスの代表の藤野さんが山崎さんにツイートメッセージを書かれてまして。
山崎さんって同じファンドマネジメント業界、投資業界の人なんで。
そうですね。
運用されてて、常期限なら全て良しと思う、いかがだろうかっていう本当に美しい言葉が書かれてるっていう風に書かれてて。
その後に出てくる藤野さんのフェイスブックのメッセージ欄がもうめちゃめちゃ豪華なんですよ。
有名人ばっかりみたいな。
なるほど。
コメントされてる感じとかで。
そうですね。そういう感じで、たぶんノートを中心にやってて。
なるほど。
決算書謎解きトレーニングのスタイルの生みの親というか、
生みの親というかなんだろうな、
インスパイア元はこの山崎さんの本だったということですね。
やっぱこれをきっかけにめちゃめちゃ対話系の本が増えたっていうふうに編集者はおっしゃってましたね。
私以外も多分こういう、いくつかスタイルあるじゃないですか、そういう本のスタイルとして。
ありますね。
小説っぽくいくのかとか、固くいくのか、イラスト挿絵が多かったりとか。
これはやっぱり先生と生徒みたいなのが対話していくっていうパターン。
それの走り方はおそらくこれと嫌われる勇気っていう本だと思いますね。
なるほど。
この後でまたじっくりこの本について話そうと思ってるんですけど、
でもこの本出たのが2015年なので、
この対話で学ぶ本的なブームはこの10年ぐらいって感じなんですかね。
だと思いますね。
やっぱりね、ビジネス書も結構漫画化するとかいろんなトレンドがあったりはするんで、
そのトレンドの一つの対話型っていうのは、
そのプロの編集者曰くやっぱりこの本が、特に金融系とかはこれが影響がかかってましたね。
そうですよね。確かにそれまでどっちかっていうと金融とかそういうテーマでこういう対話本って言われてみればあんまりない気がしますしね。
はい。
確かに。なるほど。
いや、なんかちょうど今その話が出てきたんで、
このまま山崎さんの書いた本についてなんとなく全体感の話をしていこうかなと思うんですけど、
Amazonの著者検索で山崎さんのページを見たところ、
これフォーマットが、
Kindleとか紙とか全部合わせてなんですけど、
なんと63冊山崎さんの著者ページにありまして、めちゃくちゃいっぱいあるんですけど。
すごいですよね。なかなか書けないですよね。密冊書くのもきついんで。63冊。
さっきの話だと38歳ぐらいのときに書いたファイナンスのガチ専門本が最初だと考えると、
そっから27年で63冊っていうことは1年で2、3冊出してたという感じになりますね。
そうですね。そうなりますね。
ファンドマネージメントっていう資産運用のファイナンスのガチ本、
多分これ1冊で、それ以降はどっちかっていうと、
一般向けの本が多いのかなっていう印象ですね。
そうですね。ほとんどが新書とか、
新書じゃないにしても割と、
何でしょうね、とっつきやすい系の本が多いですよね。
そうですね。結構読みやすい。
いろんな有名な金融の投資の本を書かれてる人が多いんですけど、
最も読みやすい本を書かれてる人の方が山崎さんかなっていうのが私のイメージではありますね。
うんうんうん。そうですよね。
本当なので、そういった意味ではまさにその書籍、
山崎さんの書籍というか、著者としての歴史を見ると、
だんだん一般向けに本を書くように、だんだんというか、
一般向けに本を出すことが自分にとっての出版の使命みたいな感じでやってたのかなという気がしますね。
そうですね。
あとはやっぱり結構キャリアの、私が昔読んだ、
会社を2年で辞めていいっていう本を含めて、
結構キャリアについてもいろんなことをお話ししてるかなっていう印象ですよね。
確かに個人向けの金融知識本が一番多いけど、
キャリア本も確かに何冊かありますね。
でも私やっぱりびっくりしたのは、会社を2年で辞めていいっていう本に、
2年でだいたい仕事の一通り分かるし、
把握できるんで十分それでスキルを持っていっていいですよっていうことを、
2年で辞めて心配ないですということを書いてるのが会社を2年で辞めていい。
これ2007年に書いてる本なんですけど、
今日読んでびっくりしたファンドマネジメントを久々にパラパラめくったんですけど、
そのこと書いてるんですよね。
最初の2年間集中的に仕事をすれば、もうそこでだいたいのスキルを身につけられるからみたいな。
だからやっぱり主張が昔から本当に変わってないっていうか、
かなりしっかりした考え方の軸をお持ちなんだっていうのは改めて、
1冊目の本を読んで感じましたね。
うん、確かに。そうですね、多分山崎さん本当に言ってることが基本一貫してますよね。
そうですよね。
なんかその本を、何ですかね、段々主張変わってくとかいうことはなくて、
基本的に最初からもうずっと軸ははっきりしてて、
まあその今しげさんの言ったキャリアの考え方もそうだし、
あと一般の人がその投資とかを学ぶとかやるんだったら、
もうこれだけ考えれば良くて、余計なことはそんなにやらなくていいよみたいな軸で一貫してますよね。
そうですね。
なのでメッセージとかスタンスは結構わかりやすいですね。
うんうん、本当わかりやすいしブレてないし、
あとやっぱりなんかこれご本人もその書籍でも書かれてますけど、
なんかその自分は楽天証券に今は勤めてるから楽天証券の人だっていうのはポジションにはいるよとは言いつつ、
楽天証券を全く別に勧めてないという、
使いたかったら使えばいいんじゃないみたいな感じなので、
その辺も一貫してますよね。
そうです。だから僕ちょっと意外だったのは、山崎さんって12回転職してるっていうのってもう2007年くらいはおっしゃってるんですよね。
2007年、そうなんですよ。
で、この会社は2年で辞めていいっていう本を書いてるのが2007年とかなんですよ。
で、楽天証券には2005年に入ってるんですよね。
そうですか。
2005年から、たぶん2023年に楽天証券辞めてるんですけど、
その18年間転職してないんですよね。
それちょっと意外でしたね。
そうですね、今、それこそ楽天証券のトーシルっていうオウンドメディアに山崎さんのツイートの記事があるんですけど、
確かにそこに書いてあるプロフィールを見ると、2005年楽天証券経済研究所客員研究員って書いてあって、
2023年3月に退職だから、18年辞めてない、その前までに12回転職してるから。
そうなんですか。
そうですね。24年間のキャリア人生で12回転職してるから、本当に一社2年しかいないじゃんっていう。
で、その後一社に18年かいるんですよね。
そうですね。
面白いですね。
当時はちょっと覚えてますけど、2005年で山崎さん楽天証券で、
解消2年で辞めていいっていうのを2007年を読んで、すごい面白い考え方の人いるんだなと思ってたんですけど、
それまでに山崎さんって野村とか住友生命とか、さらにメルリンチ、パリバー、つぶれた山市証券とか、外資系と日系含めて
いろんなとこに、本当に超有名どころばっかりですね。に転職されてるんですけど、
2007年の楽天証券とかって、全然金融業界におけるプレゼンスなかったんですよね。
楽天が最近証券やりだしたんだぐらいの感じ。
いわゆるネット証券も全然普及してない時代でしたから、2005年とか6年っていうのは。
そうですよね。当時ってネット政府なんていうものも初めて出てきて、
ライフネットが初めて出てきて、ほとんどの人は何それって感じで、
それが2008年とかですから。
そうですよね。ネットで証券買うなんて人はまだ全然少なくてって、そういう時代ですよね。
そういう時代です。山崎さんが楽天証券行ってて、それまでは本当に有名どころの大企業ばっかりだったのに、
山崎さんなんか意外だなみたいな印象を私は当時持ってて、
あれやあれやっていうまで楽天証券も本当にネット証券だとSBIと並ぶぐらい、
今は本当に一等になって。
僕の一般人的な印象だとトップ2って感じですね、SBIと楽天が。
そうですよね。だから当時楽天も金融始めてましたけど、まだそこまで楽天やっぱりECっていうイメージが強かった時代なので。
2007年だとまだ楽天もそもそも使ってる人はそこまで本当に多くなかったような時代だと思うんで。
少ないと思います。
その頃にキャリア、いろんな名当たる会社を務めた山崎さんが楽天証券行くんだっていうところで、
山崎さんが楽天証券の知名度を上げた貢献度はめっちゃ高いと思いますけどね。
山崎さんは僕知りましたから楽天証券。
それはでも本当ありますよね。だからある意味、有名野球選手がマイナーな球団にやってきて、
なんであそこに行くんだろうって思ったけど、その人のおかげで球団も有名になったし、結果も出たし、みたいな。
そういう感じかなと思いますよ、本当に。
そうですよね。なんか山崎さんの書籍読んでると楽天証券だと、なんていうんですかね、
めちゃくちゃ楽天証券の仕事だけやれって感じではなくて、割と自由にやらせてくれたみたいな感じが。
だからその執筆とかも全然どうぞどうぞやってくださいみたいな感じだったっていうことが書籍に書いてあるので、
多分すごく相性が、発信していきたい山崎さんと山崎さんに居てほしい楽天証券との、
なんかすごいそこは上手くいってたんだろうなっていう、18年辞めなかったっていうの。
そうな気がしますよね。
で、なんか私、例えばですけど山崎さんとか全然独立してもやっていけるじゃないですか、おそらくですけど。
もう全然全然ですよね。
で、副業をどうやってたのかわからないですし、直接楽天証券がマネージメントみたいな感じで講演受けたら楽天証券経由でやるってなると、
いわゆるサラリーマンに近いような報酬体験になるじゃないですか必然的に。
なので山崎さんクラスの実績と経験と名前があれば全然独立してもいいと思ったんですけど、
そこは最後まで直前まで楽天証券いらっしゃるんだっていうのはちょっと意外な感じではありましたね。
そういう時代だったのかもしれないですけど。
でも、そうですよね。それは確かに結構興味深くて、やっぱり知名度上がると、
まあだいたいちょっと分野違いますけどアナウンサーとかもそうじゃないですか。
最初は極アナとしてデビューするんだけど、
だいたい知名度上がったらフリーランスに転身した方が、
でっかい仕事来たり待遇も、収入も上がったりとか自由度増えたりするから、
だいたいみんなアナウンサーってフリーになったりするけど、
山崎さんはこの投資とかの分野ではトップ有名な人の一人だったのに、
あえて楽天証券に居続けたっていうのは、
もちろん居やすかったってのもあるんだと思うんですけど、
会社の中だからこそできることみたいなのもあったんじゃないかなという気がしますね。
そうですよね。でも結構本当に、本とかでもですけど、
山崎さん楽天証券所属ながらも別に楽天証券の講座を進めてるわけでは私はないんでみたいなことを
普通におっしゃるんで、本当に歯に着せぬものいいと言いますか、
実質スポンサーみたいなもんじゃないですか楽天証券が。
楽天証券に対していかに楽天証券にとってプラスになるような、
広告じゃないですけど広告等的な役割は一部になってると思うんですけど、
そこはそういうスタンスじゃないっていうのも結構不思議な印象の方でしたけどね。
面白いですよね。本当なんかアドボカシーというかね。
自分の思想を貫いてて楽天証券側も全然それでいいですって言ってたっていうのは、
やっぱ楽天証券もなかなかすごいなと思いますよね。
そうですね。だから山崎さんみたいなキャリアとはむしろね、
なんかどっか大学の教授とかでも全然ポストとしてはいけそうな感じだし、
ただ実際どっかの非常勤講師とかはいくつかやってたはずなんですけど、
最後までやっぱりビジネスのところでやったんだなっていうのは印象的でしたね。
そうですよね。
そんな山崎さんのお亡くなりになったということなんですけど、
これ亡くなった死因というのかなに関しては、
食動がんですね。
このノートにも書いてますけれども、
何がんなのかな、ちょっと今パッと出てこないけどがんになって、
食動がんですね。
そのノート曰く2023年の3月に再発がわかったということで、
1回手術してよくなったんですけど、再発したんですよね。
で、再発されてから10ヶ月ぐらいで亡くなって、65歳ということで亡くなられたと。
65歳って現代で言うと若いですよね。
いや、若いですよね。全然若いですよね。
だから今から20年前、2004年が山崎さん、そういう意味では45とかなんで、
私の今の年齢に近い感じなんで、当時山崎さんの本を書いたら私も読んでたみたいな感じの年齢なんで、
全然すごい若い印象ですけどね、65とかってなると今の時代だと。
なのでそうですよね。しかもそれで最後までノートもそうだし、
この書籍も、今年も、今年じゃない、まあ22年も23年も何冊か出されてたから、
たぶん生きておられたらたぶんもっともっと発信はね、され続けてたんだろうなという気はしますけど。
そうですね、はい。
なので非常に残念ではあるんですが、まあでも、これは次の回とかで話すかもしれないんですけど、
なんか僕の中ではこの亡くなり方も含めて、なんかご自身の主張をすごく体現してる感じが結構するなという気がしてまして。
はい。
なんかやっぱそこが、こう言ったらあれなんですけど、
なんかこの亡くなられたということで、なんかよりメッセージ性が先列になるような部分もあるような気が僕は今結構してるんですよね。
そうですね、私もそこは感じて、もともと山崎さん本当にね、ポジショントークとかあんまりする方じゃなくて、
自分が思ったことをストレートに伝えるからこそ非常に人に伝わるところもあるのかなと思うんですけど、
結構がん保険とかについて書かれてて、ご自身ががんになられた上でがん保険もやっぱり不要だと思うっていう主張をされてるんで、
なんていうか、本当にすごく考え方の軸はしっかりしてる。
と同時に、なんか結構ね、なんていうか、軽い感じのところもあって親しみやすいと言いますか、
なんとかなるでしょみたいなところもあったりはするんで、そういうバランス感も結構人としてはとても魅力的なと感じてますね。
本当に私もそう思いますね。
ということで、第1回目はこんな感じで、山崎さんってどんな方だったのかとか、
どんな活動されてたかということをお話ししてまいりました。