どんな感じでやられたんですかとか、どう勉強したんですかみたいなところをちょっとお話したみたいな感じで、
その後すごく西井さん大学院に行かれて、私覚えてますけど、確かニュースピックスでMBA特集みたいなのがあったんですね。
ニュースピックスの番組でですけど。
西井さんがたしかご出演されてて、何がいいっていうと、やっぱり国立だから、国立は事業料が私学に比べてかなり安いんですよね。
4倍ぐらい資率が高いですね、国立と比べると。
例えば1年50万バーサス1年200万とか、そういう感じですよね。
まさにそういう感じですよね。そういう話を私はテレビとかニュースピックスのウェブ番組で拝見したのを覚えてますね。
そうなんですよ。村上さんから大学院、社会人大学院でファイナンスMBAっていうのを取るのってどうなんだろう、
実際受験してどういうところを気をつけるべきかっていうことをすごいアドバイスをいただいて、おかげさまで受かったんですけど、
その後に大人のリスキリングって言ったりもしますけども、リカレント教育っていう大人の学び直しっていうのが、
いかに自分のキャリアにとってプラスになるかとか、またそういう研究がどんなふうに報告されてるか、
大人の学び直しがお給料にどう跳ね返るかとか、そういう研究もすごい蓄積されてるんで、
そういったことを元にニュースピックスの番組であるとか、いろんなところでコラムとか、
ネット番組とか、テレビでも出演させていただいてお話しする機会があるんですけど、村上さんが先ほどお伝えしてもらった通り、
学費が安いんです、国立は。
重要ですよね。
しかも、やっぱり官民、民業を圧迫しちゃいけないんで、人数がすごい絞られるんですよね。
なるほど。
そういう意味ではゼミとかでも、かなり少人数で手厚い指導を先生がしてくださって、
なるほど。
非常にですね、もちろん国立、私立それぞれいいところもあれば、なかなか縁がなかったってこともあると思うんですけども、
超おすすめです、国立のMBA。
この番組を聞いて国立のMBAに行きたくなった方はぜひご受験くださいみたいな、
いやいや、何の洗礼してるのかよくわかんないですけど。
まあまあまあ、なるほどなるほど。
あれですよね、ちょっとさゆさんのキャリア的なところにもつながるんですけど、
本とかの後ろのところにも書いてありますけど、大学の経済学部を出られた後、
その証券会社の金融部門というか、そういうところで何年か働かれた後で、
その20代後半とかから大学院を今お話しされてた、受験されて入られたっていうことなんですよね。
そうですね、正確には20代後半で独立起業して、30になってから大学院を受験して、
就職を取得して、その後ちょっとブランクがあってまた博士課程に行き出して、
まだ私大学院生やりながら、そして自分の会社のこともやりながらで、
二足のわらじみたいな感じですね。
そういうことか、なるほどなるほど。
じゃあそのひとつ橋の大学院に行かれた時って、
じゃあその他のっていうか同級生の方っていうのもやっぱりそういう社会人経験ある方が結構多かったとか、
そういう感じなんですか。
そうなんです、多分社会人大学院に行こうかなって考えてる方すごく多いと思うんですけど、
やっぱりその入学する時の資格として、社会人経験が3年以上とか2年以上とかっていうその規定がある大学院結構あるので、
ないところもあるんですけど、そういった規定があるところの方が、
社会人同士の悩みとか、家庭と学びと仕事の両立どうするかとか、
そういう話し合いもできるしいいかなっていう。
それはいいですね。
なんかまさにね、人生100年時代じゃないけど、
いかに学び直していくかっていうのが大事だってなった時に、
西さんご自身、もちろん本とかでもそういうメッセージとかも書かれてると思うんですけど、
ご自身がまさにそういう感じで、
社会人になって結構時間経ってから大学院で学ぶ、
そういった社会人経験ある人と一緒に学んでいくっていうことをされてたってことなんですね。
そうなんです。そこで学んでですね、よくわかったのは、
私何も世の中のことわかってないなっていうのと、
知ったかぶりするのだけが得意になってたんだっていうのがですね、
すごくですね、こう痛感することがですね、多くなりまして、
やっぱ知るって知らないを知ることなんだなっていうのはすごく思ったんですよね。
もっと言うと専門家って名乗る人は謙虚な人が多くて、
専門家って名乗っていいのかなみたいな、ちょっと文字文字にしてる人が多いんですよ。
それを大学院に行って改めてよくわかったんですけど、
なんでだろうなと、このコーポレートファイナンスの専門家とか、
ガバナンスの専門家とか、金融の市場の専門家っていうのを文字文字しながら、
専門家ですごい人ほど文字文字するんですね、教授とか。
なんでかなって思ったら、だって自分が知らないことってこんなに死ぬほどあるのに、
すべての論文とかすべての研究を網羅してるわけじゃないのに、
専門家って言っていいのかな、でもまあ一応その専門でやってきたから言うよみたいな、
そういう人が多いと。つまり学び続けてる人じゃないと専門家って名乗っちゃいけないなって
すごく思ったっていうのが、大学院での学びの一つかなって感じですかね。
いやーすごいですね、その学問の中身もそうですけど、ある意味そういう知識とか、
あるいはその人間のっていうか、その在り方とか考え方的なところに対する
メタ的なその見方っていうのを学んだっていうのはなんかすごい話ですね。
そうですね、なので、自家連と教育のこのブームとすごいリンクすると思うんですけど、
20年前、30年前の高校であるとか大学で学んだことを一つの軸にして、
専門家ですって名乗るは結構限界があって、やっぱ常に学び続けるっていうのをやっていかないと
あかんなというところなんですが、村上さんとかはどうなんですか。
やっぱりファイナンスとかCFOとしての専門知識をされてるわけなんですけど、
どうやってインプットと仕事って両立されてるんですか。
日々勉強になりますね、まさにおっしゃる通りですけど、特に鞘師さんもですし、
私も成り割としているファイナンスみたいな分野はアップデートが結構多いじゃないですか。
特に鞘師さんのキャリアでいうと、大学院行かれて2014年に伊藤レポートが出て、
ROEとかコーポレートガバナンスがすごく注目されたり、
シュアドシップコードが注目されたり、最近で言うとESGとか伊藤レポート2.0とか、
ついに新しいことが出てきますし、それを少し先読みじゃないですけども、
キャッチアップをついにする必要があるというところなので、
本当に私自身もメディアとかに出るときにどうしても専門家という形で紹介されてしまうんですけども、
非常にそうに対してはある種のプレッシャーを感じるんですけど、
とはいえ責任を持って発言する必要があるので、しっかり学ばないといけないということは、
以前よりもそういうメディアで記事を聞こうさせてもらうようになって、より感じるようになりましたね。
さすが、私もちょっと今頑張り中ではあるんですが、ちょっとインプット頑張らなきゃいけないというところですね。
そういう意味では、西井さんのこれまでのキャリア聞いてますけど、
リスキリングとかってここはやっぱり1,2年すごく言われるようになりましたし、
100年時代とか大学院とか、あとファイナンス時代もESGとかコーポレートガバナンスみたいなことがすごく言われてたと思うんですけど、
多分10年前ってあまりそういうことが、そこまで世間には話題になってない中、
西井さんまさにそういったところを、時代が西井さんに追いつくかごとく、
印象があるんですけど、だから結構今ってキャリアのあり方もすごく悩まれてる方が多くて、
私が2018年に会社を辞めて、まさきさんが2016とかですかね。
17年くらい、そこからフリーランスに。
そうですよね。なので、我々は多少そういう動きがあった時代なんですけども、
西井さんの2011年とか2012年っていうと、いきなり金融の方で独立するとかってそんなにない時代に、
もうそこに飛び込んでいって、しかもリスリーキリングっていうのは表だって言わないとしても、
やっぱりそれを自身の中で感じて、大学に行って学んで、その後、今社会取締役もされてますし、
おそらく10年前でそこまで将来社会取りになるとかって見せてたかもしれないですけども、
見せてられなかったところもあるかなと思うんですけど、その辺りって10年前振り返って、
今見るとどういうキャリアで、どこまで予想できて、どこまで予想外とかってありますでしょうか。
全部予想外ですね。全部予想外なんですけど、10年前辞める、今だとフリーランスとか起業するっていうのが、
大企業ですら副業しなさいとかっていう時代になってきてるんですけど、
一応10年前、大企業が絶対副業しろっていう時代になるってずっとブログで書いてたんですよ、昔アメブロで。
で、なんでかっていうと、別に私占い師でもないし、たまたま当たっただけなんですけど、
なんでそう辞めたかっていうと、確かに当時辞めた時に日本の会社の投資銀行部門で働いてたんで、
リーマンショックっていう金融危機というか経済ショックの後だったんで、
外資系に勤めてた投資銀行マンとか投資銀行パーソンっていうのはもうのきなみに首を切られたけど、
日本の会社だったんで、別に首切られることないし、一応ボーナスも一応もらえるしで安定した感じだったんですね。
なので辞めるって言った時に、10日10人アホやっていう感じだったわけですよ。
で、私、まだ当時はジャパンアーツナンバーワンの名残もあった時代なんで、
浪人1年すると障害年収がこんな下がるんだよとか、1年間放浪なんかしたら障害年収下がるんだよとか言ってる人がまだいた時代だったんですよ。
だけど、私2つのポイントでもう会社を辞めてしまおうって思った時だったんですけど、
そのアホやって言われてもう辞めようって思ったことがあって、
1つはアナリストっていうお仕事でレポート、株式市場とか経済についてのレポート書いたりとか、
あとトレーダーってお仕事で日々の債権とか株とかの売買をするんですけど、
ふとですね、振り返った時に、もしも私はこの会社の冠がなくなった場合、
同じ年収を1から稼げるんだろうかって思ったら、絶対無理だって思ったんですよ。
で、ということは、これ私がね、ちょっとね、かなり心がチキンな人なのでちょっと思ってるだけなんですけど、
ということは会社に歯向かったりとか、会社に対して嫌な人間って思われたら、私もう生きていけへんやんと。
つまり、政策油断権、会社に握られてんじゃない。
実は会社員っていう生き方ってすごいリスキーなんじゃないってすごく思ったんですよね。
私はその実家が商売やってるってのと、身内が皆さん商売やってる人しかいなかったので、
サラリーマンって人に会ったことがなかったんですよ、これまで。
そうするとサラリーマンになった時に、人事のこととかみんなすごい常に噂してるから、
なんでここまで人事言うんだろうっていうのも会社に入ってよくわかったし、
そうか、政策油断権握られてんだっていうのが私の会社かと思った。
そう考えると、会社から自分がいかに能力があったりとか頑張ってたとしても、
会社からいかに認められるかっていうのがないと結構怖くないって思ったら、
すごく暗がっちゃったんですねっていうのが1つ。
だから危機感漠然とした。
で、2つ目が金融の中で、金融の最前線というか、
マーケットの最前線でお仕事させていただくっていうのは本当にありがたい機会だったんですけど、
ふっと考えたら、これ全部AIが代わりできんじゃないってちょっと思っちゃったんですよ。
すごいですね。2010年代前半になんとなくそういうこと思われたって。
AIまでは想定しなかったんですけど、当時ネット証券がぐーっと切り始めたときだったんですよ。
懐かしすぎて知らない人多いと思うんですけど、野村証券って昔ネット証券の走りだったんですよ。
ジョーインベストメント証券ってありませんでしたっけ。
あのパフィーがCMしてましたよね。
そう。ネット証券で。
だけど野村とか代わとか日本の大手証券会社っていうところも手数量は下がるかもしれないけれど、
ネット証券ってのをやっていこうって思ったときに、なかなかできなかった背景があって、
これは一つの噂なんですけど、ジョーインベストメント証券って野村証券系のネット証券が、
なんでうまくいかなかったかっていうと、やっぱりリアルな人間の営業部門の人からの反発が大きすぎて、
まさにイノベーションのジレンマでネット証券うまくいかなかったって話を聞いて、
代わもその波にすごい乗り遅れてるみたいな。
だけどSBIとか今すごいネット証券が来るぞみたいな時期だったんです。
で、それを考えた、その流れを見たときに、この手仕事でやらなきゃいけない仕事ってどんだけ残るんだろうって思ったら、
すっごい怖くなったんですよね。手数量勝負なんですよ。
投資銀行とか証券会社の仕事って。
今はもう手数量ゼロ円の証券会社って登場してるんですけど、今は当時はそこまで私は考えてなかったけど、
手数量がとにかく小さくなる、幅が取れなくなるっていうのも目に見えてるし、
となるとここにいる高級取りの人たち、何割残るんだろうって思ったら、私いらんやんとか思ってですね。
なので話をもう1回まとめると2つあって、1つは会社員って働き方が実はめちゃくちゃリスキーなんじゃないかって思ったのが1つ目と、
で、2つ目は、この証券モデルとか投資銀行のビジネスモデルって、コンピューターさんなりAIさんで結構まかなえるんちゃうんっていうですね、流れを
2011年の時にふと感じたら、私たぶんここで生き残れないなーっていうのが漠然とあって、
で、じゃあどうしようかなって思ったら、それが3番目の理由なんですけど、311が起きたんですよね。
東日本大震災が起きた時に、その時に、自分が思い描く金融なりやりたいことやんないとすごい後悔するって思ってやめたっていう、