まあこれもカチューマに乗っちゃう感じですけど、まあそう言われればそうだなみたいな、ような気も逆にしてきたっていう悲しさもありましたけどね。
そうですよね、まあだからこの辺って結局カーネマンっていうもの自身が、ものというか存在がやっぱ僕らにとってやっぱすごい権威なんで、
ノーベル経済学賞を取ってるような行動経済学の階層だったりするわけなんで、まあその人が言ってんだからそうだよなみたいに、
そこでまず結構思っちゃってるっていうのが、たぶん僕らみたいなその金融とか行動経済学に興味ある人にはそういう多分影響があって、
そういうのはあんまり興味ないとか知らないっていう人からしたらどう思うのかっていうのはちょっとね、
僕らはもうわかんないんで、その感覚は。ちょっと気になるなというところではありますよね。
そうですよね、だからちょっと正直だから心理学にしろ行動経済学も結局その実験からの統計な話じゃないですか。
だからサンプルなり場所や何かを変えたら変わるっていうのはあると思うんですよね。
なんでやっぱりそのメタアナリシスと言われる複数の実証実験、その行動経済学の実験やって、
いろんな条件があってそれをまたさらにメタ的に合計するときにどこまで改善性があるかみたいなのが研究されたりもしてるんで、
まあやっぱりうまくいったっていう結果もあればそうじゃない結果もあるみたいなところはあるのかなという気がしますね。
そうですよね、まあなのでこのカーネマン自身の新しい研究もさあどこまで正しいというか、
まあそうかどうかはまだよくわからないというふうにも見えるかなと思ってますね。
そうですね、だから最近似たような実験で言うと有名なのが、スタンフォードの監獄実験ってご存知ですか。
はいはい、これも有名な心理学。
有名な心理学で、ドーキンスの理工的な遺伝子とかでもなんかそういう、
まああれですよね、それぞれの役割を与えたら悪い人は悪い役割になって、良い人は良い役割になったみたいな、
そういう観光実験っていう、被験者を監視役と囚人役に分けると、監視役は囚人役に対して虐待を行うようになるみたいな、
で、人は状況や置かれた役割によって誰しも凶悪な行動をとるみたいな、そういう1970年代の有名な観光実験があるんですけど、
あれも嘘だみたいな感じで、最近ニュース出てましたからね、捏造だったみたいな、もう辛いものがありますけどね、それを言われると。
まあ難しいですよね、だからこういう研究って結構後に否定されたりとか覆されたりとかっていうことが起きる。
まあでも、それが起きてるのが科学がきちんと反証が機能してるっていうことだとも言えるので。
なるほど。
おもろいなっていう感想を僕は持ったんですけど、なんかしげさんどう思いました、この話。
でも、ちょっとこの文章でも出てくるんですけど、一点やっぱり私は本当なのかなと思ったところがあってですね。
持てる自己承認感っていうところがあって、結局お金で持ててる人とナチュラルに持ててる人でいうと、
やっぱりお金で持ててる人はナチュラルで持てる人に対しては嫉妬感があるみたいなんですね。
自分がお金で持ててるっていうのが分かってるからと。
そうですね。
持ててる要素が人間的要素っていうのもお金だっていうところ。
そういったところもあって、山崎さんのこの文章ですね。
人間観察から断言するが、断言してます。
断言します。
男性の場合、例えば40歳時点で3000億円持っている持てない事業家と、
3000万年持っていて徹底的に持てるフリーランスを比較すると、後者の方が圧倒的に幸せだと言ってますよね。
でもこれは山崎さんが人間観察だっていうことは、
多分山崎さんぐらいのネットワークがあれば、
3000億円までいかなくてもそれに近しい持てない事業家を実際に知ってると思うんですよね。
はいはい。
3000万円持っていて徹底的に持てるフリーランスもおそらく山崎さんご存じだと思うんですよね。
多分そうなんでしょうね。
しかもそれを複数人それぞれ、似たような状況のグルーピングをおそらくされてると思うんですよ。
で、そういう会話とか話を聞いてると、後者の3000万円持っていて徹底的に持てるフリーランスの方が圧倒的に幸せだっていうことが、
山崎さんも多分実際に見てきたから断言してると思うんですよね。
はいはい。
で、私は別にどっちも見てないんで、当然何とも言えないんですけど、
まあほんまかいなっていうふうにちょっと読んでて思いましたね。
だって3000億ですよね。3000億持ってる徹底的に持てない事業家ですよね。
はいはい。だから3000億って言うと、このさっきのカーネマンの研究の話で言うと、
まあそのある程度までは年収とこう服装感は結構あるよって思ってたっていう話だけど、
まあ3000億円っていうのはもう例えばそれで言うとはるかに、
まあちょっと資産なのかフローの収入なのかっていうのでちょっとイコールではないけど、
まあ3000億円ってもう桁が違うじゃないですか。
そうですね。
桁が違うある意味無限大の、実質無限大のお金持ちがだったとしても持てないと幸せではないと言う人がどうも多いというふうに山崎さんは見てるっていう話で、
なかなかそうなんですよね。僕も見たことないんで、
めちゃくちゃその実質無限大にお金を持ってる人みたいなのがそんな身近にいないんで、よくわからないという気がしますね。
そうですよね。でも例えば大企業でもいいんですけども、まあ中小企業でもいいんですけども、
会社の役職が高い人がいるとするじゃないですか。
はい。
会社の高い役職の人が例えば飲み会をやるとして、いろいろ指示出せる立場にいるじゃないですか。
はいはい。
ここ行くぞとか飲み会こうするとか、ちょっと席こっち変われみたいなとこっていろいろ言えるじゃないですか。
はい。
で言って、例えば役職が高いっていう場合は、異性にしろ同性にしろ基本多少持ち上げる的なコミュニケーションはするわけじゃないですか。
まあそうですね、よいしょだったり、まあ言い方悪く言えばごますりだったり、まあいろんなものがありますよね。
例えばその時計いくらなんですか、すごいですねとか。
はいはい。
例えばですけど。
いわゆる接待のようなコミュニケーションですよね。
接待のようなコミュニケーションは普通にあると思うんですよ。その程度問題の差があれ、
後半に接するように上司には接することは難しいじゃないですか普通に考えて。
そうだと思います。多くの組織でそうだと思います。
多くの組織でとなった時に、そういう状況っていうことも結局それは自分の人間的なものじゃなくて、
地位やお金によって担保されてるっていうことを自覚してるから幸せが低いっていうことなんですかね。
まあそうなんでしょうね。自覚を感じてしまうから、やっぱ比較してしまうってことでしょうね。
ナチュラルにモテる人と比べると。
そういうことなんでしょうね。
例えば接約職がそんなに低くないような人とかでも、やたらすごく周りに愛されてて盛り上がってるみたいな感じ。
同じ飲み会の先でちょっと隣のグループ行くと、やたらそっちが楽しそうに盛り上がってるなって見えると、
ちょっとやっぱり幸せでなくなってしまうっていうのがこの山崎はじめさんの理論になりますよね。
そうですね。自分の内部的に発生する魅力ではなく、資産なり肩書きなり外部的なものから生じるモテは、
あまり自己承認感が満たされないというか、マイナスになるってことでしょうね。
うん。となった時に、例えばですけど、ちょっと私やっぱりわからないのが、
例えばそのキャバクラとかホストクラブっていうものがあるじゃないですか。
ありますね。
あの世界観ではボトルいくら入れるかとかで含めて、お金っていう存在が圧倒的に強者ですよね。
はい。もうお金をいっぱい払うお客さんは、すごいお店の中での地位が高くなりますよね。
で、それが仮に虚構っていうことがわかってるなら、お金を払うことに意味はないじゃないですか。
まあそんだけ好きな人、光が強ければ強いほど、当然アンチも生まれてくる可能性は高まるじゃないですか。
そうですね。
それはもうね、例えばインフルエンサーとか見ててもわかりますし、アイドルとかもまあそういうところはあるじゃないですか。
となってくると、結局そこって結構、永遠に辛いところかなっていう気は、
なんか例えばね、鬼滅の刃とかジュース回戦っていう、めちゃめちゃ売れてる漫画がありますけど、
Amazonレビュー見ると星1の人がいるわけじゃないですか。
はいはい、いますね。
それをどう捉えればいいのかっていうところで、特に評価される側っていうのは結構辛いな。
さっきね、まさきさんが数値化されないっていう表現はあったんですけど、確かにまあされないところの方が多いんですけど、
やっぱされるところもあったりするじゃないですか。
はいはいはい。
なんかそういうところにやっぱり、なんていうか、どんだけ幸せになったと、どんだけお金があって、どんだけ承認欲求があったとしても、
やっぱアンチの存在がいると、結構、なんか人生どこまで幸せなのかなっていうのは、ちょっとわかんないですね。
そうですね、今あとそれを聞きながら1個思ったのは、例えば資産とかお金、年収っていうフロー的なものもそうですけど、
究極にある意味デジタル化されてるじゃないですか。
もちろんそれって税引き前とかなんとかかんとかとか、いろんな見方をするとブレはあるんだけど、インフレ率とか。
一旦置いといて、数字ではあるじゃないですか、資産何億円とか、年収1500万円とか。
ありますね。
やっぱこのお金というものの数字っていうものが、どれだけ人間の心理に影響するのかっていうことは、かなり人によって捉え方が違うとか、
それこそトレーニングじゃないけど、それを積んだ人とそうじゃない人とかでもだいぶ受け取り方変わるんだろうなみたいなのは今思いましたね。
だからなんていうか、例えば世の中にある掲示板とかで言うと、2月3月になると、大学の偏差値とかどこどこ高校がどんだけ東大入ったみたいなランキングが出るわけじゃないですか。
ありますね。
どんだけ昔からあるコンテンツだっていうぐらいあるわけじゃないですか、そのコンテンツとして。
当然ある別に子供読まないですから、読むのって学生も多分読まないと思うんですよ、そんなに。
いい歳した大人が見るわけじゃないですか。
そこも結局なんか承認欲求の原性がまだ残ってる気がするんですね、そこのところに。
当然それが親の立場の場合、自分の子供がどうするかとか、自分の卒業した学校はどういう偏差値なのかみたいなところであるわけじゃないですか、そこって承認欲求が。
それって例えばやっぱり芸能人とかすごいお金持ってる人とかでも、そこに対するある種のコンプレックスみたいなのがやっぱあるのかなっていう気はなんかしなくはないですよね。
そういうことってすげえなみたいなのはやっぱ自分でも思ってた。
あとまあ僕将棋とか好きですけど、将棋のプロ騎士とかすごいなとか。
はいはいはい。
やっぱ常に思うんで。
なんか他者に対してとか、他者のやってきたこととか人生とか取り組みがすげえなって思えると、
それはなんか、この今回の山崎理論で言うとこのモテるモテないみたいなところの、
他者比較の方向にあんまり行かないで済んだなという気はしたので。
そうなんですよ。
なんか純粋に、なんかやってきた人すげえってリスペクトするってことは大事だなっていうふうに今気づきましたね。
そうなんですよ。だから山崎理論の私もなんかちょっとこれは私もあんまりよくわからないなと思ったのが、
やっぱその今までの話で他人に対してそのコンプレックスみたいなところで、
やっぱりなんていうかナチュラルなモテない場合、そこがどうしてもコンプレックスになるみたいな話だったんですけど、
私もなんかもうなんかあまりに違いすぎると別にコンプレックスは全くなくてむしろ普通にリスペクトなんですよね。
すごいなっていうか。
だから例えばね、大谷翔平選手とか藤井壮太6巻とかにコンプレックスとかもうゼロですもんね。
ゼロっていうか、いやもう純粋にすごいなっていうか、むしろなんていうかそういう素晴らしいね、
スポーツなり将棋のある意味エンタメというかそういったアスリートなところを見せてくれてありがとうございますみたいな感謝に近い気持ちで。
そうですね。なので、だからそういうことは一つ。
他人がどうかは知らんけど、自分が他人をどう思うかみたいなののバロメーターにはなるかもしれないですね。
なんかすごい人を謎の比較とかなんかを無理にしようとせずにすごいと。
でもこれって例えば別に大谷翔平藤井壮太クラスだからすごいって思うか。
てかそこがすごいと思っちゃうと結局ある意味それって肩書きをすごいと思ってることと変わらなくなっちゃうんで、
別に名もなき誰かであってもその人がやってきたこととか取り組んできたこととかが、
すごいっすねっていう人っていくらでもいるわけじゃないですか。
わかりますわかります。
なんか例えばなんかのこうお店でこういうことで料理をしてきましたとか、
何でもいいんですけど、そういうことを別にその人はすごくなくて大谷翔平はすごいとかではなく、
なんか自分とは違う人の生き方をそれはリスペクトしますわみたいに思えるとか、
それを態度に出せるっていうことはすごい重要なんだろうなと思いますね。