物語の構成と感情の波
はい、sonoです。おはようございます。朝の散歩から反省会です。というわけで、めっちゃ天気がいいですね。時間も、もう朝、遅めの時間になってきたんで、日も昇ってるってなるけども、人は少ないけども、いる人は活発に、って感じですね。
今日はちょっとぷらっと歩いて、考え事っていうか、昨日の夜からちょっと小説とか物語について考えていたんで、本、スマホだけど本を読みながらやってましたかね。
で、なんか今朝考えていたのは、というか、なんかがっつり物語のこと考えていて、まあその仕組みっていうかな、あの山脈構成っていうのがあって、前も話してるうちもするけど、シドヒードーカフィールドっていう人が話していて、まあそれを分解しているのがあったりとか、
まあそのハリウッドでの、結局感情の波なんだろうなって思うんだけども、山脈、3段階で話しましょうと。1回、1段目っていうのが、まあそのテーマとか主人公が出てきて、主人公が抱える悩みみたいなものが見つかって、で、天気が訪れるっていうところ、変わんなきゃってなるっていうところと、
あと2段目で、まあその、1回変わって頑張るというか楽しんだりはするんだけども、なんかそれは本当の、なんていうか、本当の望みって言ったらなんだけど、本当の目的とは違ったなみたいなことが起きて、
で、人の助けとかを得て、最大の試練に立ち向かう、あるいはそれを、もうなんかどん底まで落とされるみたいなところと、まあそれを乗り越えて、まあ転換して、最後フィナーレを迎えるっていう山脈です。
まあなんか気象点決とかでも、その省と点がまあ一緒になって山脈になっているような形であったりとか、まあなんかちょっと意味合いは違う、あ、まあそっか。
まあ意味は違うけども、そのね、能で言うとこの手張りとかも、まあなんか3段階で、まあまさしくみたいなところあるなみたいなことを考えて、で、何なんだろうこの3段階でみたいなところなんだけども、
まあなんか結構単純に人が把握できるその全体像の限界というか、誰にでも通じる、なんか最大公約数みたいなもんなのかなって思うんだよね。
その今現状とその先の未来とその次に待ち受けるものみたいな構造というか構成っていうのが、まあ多分人がいっぺんに扱える、なんていうか、最大だと。
まあそれはなんか人によっては何手先みたいなのを見るかもしれないけども、まあそれもその少し抽象度を上げて3段階で捉えるっていう人もいるかもしれないし、
まあ本当になんか能力的に、まあほとんど身体とか脳の能力的に、さらに何手も先っていうのを見る、考える、いっぺんに考えれる人ってもいるのかもしれないけども、まあほとんどの人はそうじゃないと。
で、まあその3段階の中で感情を上下させる、そのやっぱり伝わりやすいという時に心の動き、自分の心の動きっていうのがないと、まあなんで、必ずしも今じゃなくて、その共感、心の動きっていうのが起きないといけなくて、
それが3段階なんで、まあなんか1回ドンって上がって下がって、でまた上がって下がって、で最後にドンって上がるという風に終わると、まあ気持ちいいと。
なんかこれはプレゼントテクニックとかでも、まあもともとその脚本とかをベースにしてるから当たり前っちゃ当たり前なんだけども、同じようなやっぱり作り方をしたりするテクニックもあるんで、
まあそうやってその3段階の中で、まあなんか山場を3個作って感情の起伏を起こすっていうのを、まあそのいろいろなパターンで起こすのに適切な区切り方っていうのがその山脈なんだろうなみたいなのをちょっと今考えていて、
まあそれで言うと、なんかこの山脈って区切り方はその物語の深さみたいなもの、あるいはまあそれに伴う感情の起伏みたいなものを定義しているので、
自分が何か読んでる脚本術とかだと、まあそもそも映画とか脚本のフォーマットでまあ大体2時間弱みたいな区切り、まあでもそれも当時110分で今90分とかどんどん縮んできてるみたいなのあるけども、
なんかその中での長さの区切りとかがあって、まあただ感情の起伏を起こすために最低限必要なボリュームみたいなところもあるから、あるいはそのメディアのフォーマットとか変えるに従って長さ自体っていうのは可変なのかなみたいなことを思っていた。
まあでもなんかこの発見だとものすごい脚本術を使って物を書く人以外になんかあんまりピンとこない内容になってて、まあそういう意味だと全然話に山場もねえなって感じなんだけども。
悪魔のテクニックとメンターの重要性
なんだろうね、まあそういう意味だと、なんか今短編の小説とかを中心に書いていて、で、まあせっかくだから脚本の時間みたいなところも参考に、読者がすごく時間と合わせて書けないかなとか、
まあなんかちょっと意識したりしてやっているけども、逆にウェブの小説とかになるとものすごく短い時間で人は離れていて、また来るみたいな感じになるから、その中で時間を設計して、本来は適した長さっていうのを設計したりするのがいいんだろうなみたいな。
でもそれもまた目的によって違って、その長編の入り口にするっていうのと、読み切りでその場で読んでもらうのに従ってもちょっと違ったりとか、
あとそもそも5分とか10分で読んでもらう中で感情の起伏を3回も入れるってやはり激しすぎるとかね。
まあそういうのはあるなと。ニューのことをまた広がって思ってたかな。それもなんていうか、シュファリとか、全然時間軸は別だけども、やっぱり3段階というので、
人が物語とか、何か変わるっていうことに対して、あるいは自分が変わるっていうことに対して捉えられる、結構段階、見通せるところがそこなんで、
次と次の次ぐらいまでしか話は通じないというふうなことをちょっと思ったりはしましたね。
感じで、それで言うと自分自身もそのシュファリの中の今、シュがだんだんぐらついているのか、
まあその求めようというところで、時間とかについては、自分なりに解釈して少し応用しようみたいなところで、ハートのところに行っている。
第2幕に行っているのかなと思って、そのうちどん底に落とされるっていう未来が決まったようなもんだなというところですかね。
まあでもなんか超チープテクニックみたいな感じにはなってしまうけども、
まあそういう意味では、人に伝えるときに、次とその次みたいなところっていうのを、
そのスコープで話すっていうのが大事だなみたいなところだね。
あとは悪魔のテクニックみたいなところだけども、その次っていう大きな試練、あるいは本当の試練みたいなものっていうのは、
メンター、必ずしも思想的な人じゃなくていいんだけど、メンターとともに、本人じゃ解決できないみたいなもの、
本人だけじゃ解決できないっていうものになるので、
そのときにそれをもたらす人っていうのがメンターになりますっていうところで、
構造的に信用されやすいみたいなところであって、
なんかこれ詐欺師も使いそうだなみたいなことをちょっと思ったりはしてましたかね。
課題と提案のコミュニケーション
ちょっと自分は悪用しないように心に留めつつ、
プレゼント化でもそういう意味だと、現在の課題とかその人自身が理解している課題、会社の課題でもいいんだけど、
今わかっていて、もう対処しようとしている課題の話をしつつ、その次に来るものについて提案をするみたいな話をすると、話は通りやすいよねっていうのがぶっちゃけありますね。
そんなことを思っています。