ようこそ、socialhive WAITING CAFE 点描の弧~。
ここは東京文京区、HONGO3丁目駅の裏にある法律事務所併設シェアオフィス、socialhiveHONGOのメンバーが立ち寄るWAITING CAFEです。
毎週この時間のWAITING CAFEは、決まってメンバーの誰かが、ふらっと立ち寄って面白い話をしてくださるんです。
まるで世界の見え方がほんのちょっと変わってしまうような、そんな話が聞こえてくるかもしれません。
socialhive WAITING CAFE 点描の弧ス新しい当たり前をデザインする実践者たちの日常
本日のご来店者は、一般社団法人ピーペックの代表宿野部武志さんと事務局長の宿野部香里さんです。
その授業への思いを聞いてみました。 じゃあ、あの皆さん、最近ハマっているものってありますか?
ハマっている、最近特にというかずっとハマっているのは、格闘技とプロレス
っていうジャンルで、これはあの、私は人造が悪いので、もちろん格闘技は自分はできないんですけれども、
小学校ぐらいの時にタイガーマスクブームっていうのがあって、金曜8時にプロレスやっていた時代が昔あったんですけど、そこから入門して好きになって、そこからプロレスも会場に行ったりとか、
総合格闘技始まったら、東京ドーム見に行ったりとか。 最近は観戦は行ってないんですけど、
一応ニュースはチェックしている感じで、ペーパービューで見たり、今時の感じです。
試合ごとに購入してみるやつですね。 そうです。結構高いんですけど、妻に交渉して。
今日はご夫婦で来ていただいているとおりですね。 香里さんは何かありますか?
私が最近あんまりハマってるなっていうものがないんですけど、ハーゲンダッツのアイスの新作のミルクがすごいおいしいなと思って、牛乳そのまんまみたいな感じなんですけど、バニラと違って牛乳なんですよ。
それが、ちょっと今ハマってまして、夜寝る前とかに食べちゃう、ちょっといけないループに。
ハマってます。 なかなか危険なものにハマってます。
今、やばいです。早く飽きないかな、自分に。
確かに、早く飽きたほうが体に良さそうですよね。
香里さんは何かありますか?
最近そうですね、何でしょう。5月とか、季節が変わると、結構木の色が変わるじゃないですか、今、緑がすごい元気があるっていうか、そういうの、違いを見るのが好きかなと思って、最近。
季節の薄れ変わり?
そう、別に山登りとかも行かないし、全然引きこもりっぽいとこあるんですけど、でも、やっぱり外に出ると色が結構違うなと思って、空の色とかも。
なるほど、確かに。ちょっと違うかもしれないですね、自然って季節によって。
さすがですね、プロレス格闘技っていうところから、とてもエモーショナルな、いや、違うんですかね、面白い。
私、大学の友達の仲いい子が、すごい、今、夫婦になってますけど、その当時付き合ってる2人が、プロレス好きで、週刊プロレスをずっと隣で見てました。
ずっと買ってました。
意外と教室って感じですね。
週刊プロレス、すごい思い出しました。
週プロですね。
そう、週プロです。
すごいマニアックと思って。
表紙ね、無頭とか。
熱く語られても全然わからないみたいな。
今の多分こっちの関係かもしれません。
キョトンって。
全然わかんないです。
買いたい、キョトン。
面白いと。
2人は、ピーペックさんっていう、一般社団法人さんをやられてるっていうことなんですけども。
一般社団法人ピーペックの代表している祝延岳氏と言います。
よろしくお願いします。もう一方、今日は来ていただいておりまして。
一般社団法人ピーペックで事務局長をしております祝延岳氏と申します。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
2人ともですね、今回祝延さんということで、社の名前でお呼びした方がいいですかね。
たけしさんとかおりさん。
はい、お願いします。
はい、よろしくお願いします。
先月からハイブの方に入られたということで、今日もフラットカフェの方に来ていただいたということで。
ありがとうございます。
活動は普段どういう内容のことをやられてらっしゃるんですか。
そうですね、ピーペックは2019年に立ち上げた、一般社団法人なんですけれども。
そもそも疾患の異なる仲間と立ち上げた団体でして。
私は腎臓が悪いんですけど、疾患横断的な活動、患者会っていうと一つの疾患の活動をするわけですけれども。
疾患を横断的に活動が必要だっていうことを、疾患それぞれの悩み、課題ももちろんあるんですけど、
疾患問わずで共通して悩むことっていうのもあって、例えば就労だったりとか、恋愛とか結婚も含めてあって、そういったことだったりをちょっとやっていこうっていうことを仲間と立ち上げたんですけれども。
今様々な活動している中での中心となっているのは、病気を持つ人の声を医療社会に届け、
で、その声を活かした治療や薬やサービスなどを作ってもらうっていう、そういった循環みたいなのを作るための声を届けるハブというような役割を様々なバリエーションで行っているっていうのがメインになりますかね。
そういう疾患を抱えている方々の声をPPXさんが一体集めて、それを叱るべきところに届けていくっていうような活動なんですね。
そうですね。なかなか疾患を持つ方が直接、例えば企業だったり医療者にいろんな事情だったり気持ちの問題で、直接話すっていうのは結構勇気がいるし決意もいるんですよね。
なので、できない方も多いですね。できる方は直接私たちが企業に行って、その時に一緒に疾患を持つ方も行って、例えば製薬企業の社員の方と病気を持つ方の対話会みたいなことを開催するとか、いろんなやり方があるんですけれども、そういう形でリアルで声を届けるのもありますし、
あとは声を集めて、それを例えば私が代表してお伝えすると、私の声ではなくて私たちの声として届けるっていうようなことをしたり、結構いろんなやり方が今広がっている感じですね。
じゃあその思いがある方の意見を一旦まとめてPPXさんが届けていくっていう感じなんですね。
そうですね。まとめるっていうこともあるし、まさに今は結構企業との接点も増えてきていて、患者市民参画っていうんですけど、PPIっていうキーワードで、国も進めていこうっていうようなことを実は方向性として示しているので、企業もそういうリアルな場を作ることが最近ようやく増えてきているので、
私たちがPPXがそこでサポートしながら、本当に一緒に疾患を持つ方と一緒にその企業さんにオフィスに行ってお話しするっていう機会も受けたりとか、まとめるのもそうですし、リアルにお連れして一緒にやるっていうことも多くなってますね。
なるほど。じゃあその届けていくっていうところと、あとは実際に現場にいらっしゃる様々な疾患のお持ちの方に声を拾っていくっていうこともあるかと思うんですけど、そういうのって待っててもなかなか来ないものだと思うんですが、どういうふうに拾われて集められてらっしゃるんですか。
そうですね。患者会は歴史ある患者会もありますし、そういった活動してる人はたくさんいるんですよね。ただまだ患者会に入ってない方も最近は多いので、SNSでのつながりとか、いろんな形で自分で発信してる人は結構いるんですね。
で、コツコツいろんな患者団体と個人と関わりを持っていく中で、実は気づいたらかなりつながりネットワークができてきているので、そこで結構企業からの依頼っていうのが増えてるので、こういった機会がありますと、こういう病気の方の率直な声を知りたいですっていう依頼が結構あるんですね。
で、この疾患の方でそういう思いを伝えられるような人がいるかなっていうところでいた場合はサポートしながら一緒に話しに行くとかいうこともありますし、そこを患者さんをただ内々病の患者さん、はいどうぞとかっていうようなことは絶対やらないんですね、私たちは。
そこをしっかりサポートしていくっていうか、企業の方と話すっていうのは病気を持つ人にとってはほぼまだまだないんで、非日常ですし、自分の病気の体験に伝えるって結構怖かったり、かなりプライバシーの問題もあるので、そこをしっかり安心安全な場で話すっていう場を私たちがちゃんと作るっていうところもサポートしながら、話す内容もサポートしながら伝えてるっていうことがあります。
なるほど、やっぱりそういう機会もなかなかないということなんですけど企業さんはどういったニーズからそういう方のお話を聞きに来てらっしゃることが多かったりしますか?
そうですね、ちょっと背景に話しちゃうと、背景を話してしまうと、特に製薬企業と病気を持つ人の関係っていうのは、薬器法って法律があって、あとその中でプロモンションコードっていう厳しい規制があってですね、
製薬企業の方って病気を持つ方とほぼほぼ話すことがないっていう世界が今でも多いんですね。それは自社の薬がいいですよとかいうことを病気を持つ方に言ったら一発アウトなんですね。
法律でっていうこと?
そうです。なので、基本、企業が病気を持つ人の声とか気持ちを知りたいってなったときは医師に聞くんですね。医療者に聞く。MRっていう営業職の方が病院に行って、医療職から聞くことがずっと続けられていて、
私自身が10年ぐらい前に企業に呼ばれて、患者さんの声を聞くかい?みたいに呼ばれて行ったときに、会場に入ってみると、私と目を合わせないような、宇宙人が来たみたいな、すごい違和感を感じたんです。
で、なんでなんだろうと、この違和感はと思って、その主催の企業の司会の方が、薬器法っていうプロモーション行動っていう規制があるけれども、別にこれはうちの薬がいいですよとかっていうことはダメだけど、別に病気を持つ方と生活する上での病気を持つことで課題なんですかとか、対話をすることに関しては問題ありません。
だから話しましょうっていう説明があって、初めて私と目を合わせることなんですね。
それぐらい何か会話自体がセンシティブなんですね。
そうですね。製薬企業の方もおそらく何かは志があって、病気を持つ苦しんでる方を何とかしたいって思いもあって就職したと思うんですけど、そういう規制があって、製薬企業に何十年働いてるけれども、
病気を持つ方と会うのは初めてです、祝野部さんがっていう世界が10年ぐらい前にあったんで、そこで、そこが一つ僕は問題意識として、僕はメーカーにもともといたんですけど、エンドユーザーのニーズをどうニーズに応えられるかとか、いったところが当たり前の、どの業界でもビジネスとしてのあり方だと思っていたんですけど、
この製薬企業とかライフサイエンスの業界っていうのは、リアルエンドユーザーの病気を持つ人じゃなくて、第一次エンドユーザーというか医療者、薬を処方する、医療者がユーザーとして顧客としてずっと声を聞いてきた。これは何とかしなければいけないと思って、そこからは結構活動したのが原点の一つでありますね。
なるほど。ちなみに具体的にその現場の方の話さないことによって、なんかどういったことが届いてないなっていうのを感じますか?その間に。
そうですね。もちろん病気に関する知識、それからいろんな治療って全部ガイドラインっていうのがあって、教科書的なこととか、あとは論文だとか、そういったことはもちろん調べて、こういう病気の人はこういう症状が出るとか、理屈はもちろん勉強して詳しいわけですけど、
一番感じるのは生活を知らないっていうことで、その製薬企業の社員も病気を持つ人も、私たちさっきからちょっと繰り返してるんですけど、患者っていう言葉を基本的には使わないようにしていて、病気を持つ人っていう呼び方してるんですけど、
医局に来るのが当たり前だった。
結構ドラマでもね、MRの方が直立不動で立ってて。
いや、ほんとそうですよ。
先生を待ってって。
もう列を出して、直立不動で、ザ営業っていう人が、今日は曜日があるんですよ、医局会議がいっぱいある日にいらっしゃるんですよ、みなさん。
じゃあその移動の合間で営業されるってことですか?
そうですね。先生がわーって出てきたときに、わーってみんなが散って、ドラマみたいですよ、ほんとね。
あのイメージが未だにやっぱり、一般の人って、製薬企業のイメージってそういったイメージとか、なんかこう偉い先生に、なんかこう、あんまり言えないんですけど、なんかするみたいな。
じゃあ逆に言うと、そこの間の移動時間でしか、現場の情報を知る機会がないとも言えなくもないというか。
結構過酷な営業活動ではある。
そうだと思います。MRがすごい大変だったと思いますね。
なんかそういう現状がある中ですけども、なんかやっぱりその、この課題っていうのは、一番の課題はこういうところになるなっていうところかなっていうところが、もしあれば教えていただきたいところと、
なんかそれに対して、なんかこんなことがやっぱり一番大事そうだなって、こう見えてる部分があれば、ぜひ教えていただきたいんですけどいかがですか。
課題っていうのは、まあ今でも感じている課題は、もう今お話しした、やっぱ病気を持つ人の、その実際のリアルなこう生活だったり、課題感っていうこと、病気に伴う課題感っていうことを、
しっかりまあ、本当に医療だけじゃなくて、もっと社会にと思ってるんですけど、あの伝えられてないかなっていうところで、でそこをこうピーペックで、せめては来てるんですけれども、まだまだそこが足りない部分があるなと思いますし、
あとこう病気を持つ側も、こう医療ってどうしても治療を受けるもの、治療を施されるものっていうようなあり方っていうふうに思っている方が圧倒的に多いんじゃないかなと思っていて。
患者の方が多いですか。
そうですね、あのまたまだ病気になってない方も含めてですね、それは私自身も今こういう活動してるので、こう言えますけど、3歳からずっと病院入院隊員だったので、もう物心ついた時はやっぱり医師、主治医とか病院はもう絶対的存在で、もう先生のおっしゃることはその通りみたいな、全部受け入れるみたいな。
そういった価値観でしたけど、でもそれだけだと、まあ医療者も良かれと思ってもちろんやってますけれども、決して神様でもないので、自分の一番大切な命のこと、体のことを全部他の人に任すっていうことっていうのを変えないといけないなっていうのは思ってます。
そこはだんだん少しずつ変わってきているかなと思うんですけど、でもまだまだだなって思いますので、患者側に対しては、あと一般、社会全体というかにはそういった考え方を持つことが大事、全部全てを任せ、医療じゃなくて。
で、企業ライフサイエンスの方には、生活での病気に伴う課題を知るっていうようなことを、なんかもっと共同というか競争というか、なんかできたらいいかなって思ってますね。
なるほどね。
その、ある程度やっぱそう、医療を受けてるっていう意識っていうところが変わっていくと何か変わるんじゃないかなっていうところがあるということなんですけど、この竹地さんがその気持ちがこう変わった瞬間とか、なんか変わったきっかけみたいなのあったんですか?
変わったきっかけはですね、多分おそらく自分がキャリアを変えた時に遡るかなって今思うと感じていて、もう18から透析やってるんですよね。なので、大学もそうだし、で、就職も透析しながらやってるわけですけど、で、人事に行って、で、そこでこう、人事の中でもいろいろセクションがあって、当時、小病休職、社員が病気になって長期で休む。
で、小病休職って制度の運用とか、介護休職、社員のご家族が病気になって長期で介護休むとか、介護休職、その制度の運用をしてた時に、いずれにしても病気と関わっている社員との関わりなんですよね、私は。
その中で、これは僕はプロの人事マンとしては失格だったと思うんですけど、一緒に泣いちゃうんですよね。
すごい共感しちゃう。
共感っていうかもう、自分もずっと病気と共に生きてきている中で、話聞いているうちに客観視できないというか、なんかそこが一つあって、自分でも驚いたんですよね。
こういうふうに自分を受け取るんだっていうのを感じたことと、あとは仕事がすごくやりがいがあって、楽しかったんですね。
でも陶積は週3回行くと、陶積に行くと基本周り同じ人がベッドにいるんですけど、もちろん陶積中4時間5時間、笑っている人たちの頭おかしくなっちゃうんで、そんな人はいないんですけど、かといってみんなもう人生終わりみたいな顔してたんですよね。
で、僕は陶積、もちろん陶積が楽しいなとかそんなふうに思わないんですけど、ただ仕事が楽しいし、生き甲斐だったので、その生き甲斐を長く続けるためには陶積としっかり向き合わなきゃっていうような考えのベクトルがあったので、なので陶積に対する向き合い方が比較的前向きだった。
ただ周りの人みんな本当に暗い表情で、患者会に行ってもみんな暗い表情でいたので、なんかそういった2つの中では陶積、陶積5、6とか思いがあって、でやっぱ僕はもともとずっと病気治療をするっていう立場でいたけれども、当時はまだ患者って呼んでましたけども、
なんか患者って受ける施されるじゃなくて、病気を持つ経験とかあるからこそ病気を持つ人をサポートできるんじゃないかっていうように思い始めて、でそこでキャリアを変えようと、でソーシャルワーカーになろうと、でそこは1つの僕にとっての大きな気づきというかターニングポイントであって、
会社に何も文句ないんです。本当に良い会社で給料も良かったし、楽しかったしですね。ただ人生のミッションみたいなのを初めてそこで自分の中でこれだと思っちゃったので、もう辞めて、で社会福祉になるの受験資格すら当時なかったんですね。その大学が法学部だったので、専門学校に行かなきゃいけないんですよ。
通信の専門の領域を学ばなければ受けられないんですね。
そうなんですよ。1年間国の定めた学校に。そこに行く、とにかく退職しなければ。通信教育はもう真剣全面で続かなかった経験があるので、ダメだと思ってたので、ちゃんと打ち込まなきゃダメだと思ってたので、
一人っ子なんですけど、親にはちょっと1回言ったら、親に泣かれて、せっかくずっと病気で頑張ってきてようやく良い会社に入ったのに、なんで辞めるって言うんだって、父親に泣かれたのがショックで、1回35、6で言ったんですけど、泣かれたので、親不幸なのかな、これ辞めたらと思って、辞めるのをあきらめたんですけど、
ただその後すぐに、慢性腎不全の合併症っていろいろあるんですけど、全身慢性のオペをやらなきゃいけないことになって、そうすると、おばあさんに言うと、サインするじゃないですか、いろいろ。死んでも文句言いませんっていう的な。
リスクに対して了承しました。
了承しました。それって自分を確認してる作業みたいで、何かあっても文句言いませんみたいに書いたときに、このキャリアだと、万が一なんかあったら、僕は後悔するなと思ったんで、そこで完全に決意して、親にも反対は1回されましたけど、やっぱりどうしてもこの道に行きたいっていうんで、辞めたっていうのが最初の大きなきっかけですからね。
あらためてそこで自分に問われた上で、やっぱり自分のミッションはこっちだっていう転機だったんですね。
そうですね、転機でしたね。僕基本、神経全備もそうですけど、一人っ子で甘えかされてきて、自分で分かってるんですね。
で、だいたい甘い、なんかぬるいとこに行くと、もうそこから抜けられない自分も分かっているので、思いつきで何か手出すんですけど、当時テレビゲームが流行ったときすぐにテレビゲーム、ファミコンとか始めたぐらいなんですけど、結構飽きっぽい自分もいるので、なので一応その選択のときも思いつきの自分もいるかもしれないって疑いはあったんですけど、
ただやっぱりオペになったときの確信は、やっぱりこれまでと違う深いものがあったので、辞めるっていうところに行きましたね。もちろん本当にいい会社なんですけどね、今でも上司とか連絡取ったりしてるんですけど、当時は辞めるって言ったら、ずっと何言ってるか分かんないって言われましたけど。
それぐらい何か会社にも馴染んでるし、求められてるっていうところを、そしてでも行いたいミッションが今のPPXさんの活動だったっていうことだったんですね。
そうですね。だからあのとき、そうは言っても、この後辞めた当時、次もマネージャーになって、プロダクトの人事になって、キャリアは開けてたし、お給料良かったかもなって思うんですけど、
でも、そこで得られない確信っていうか、満足感っていうか、充実感っていうのは、分かんないですけどね、あのときに今の選択してなかったら、得られなかったのかなって今は思うんですよね。
じゃあ、もがさん、今日のお話ですね、聞いてみていかがでしたか?
そうですね。私もその病院に長く勤めてて、で、私は父のがんの死を前にしたときに、
あ、それこそ、私が今ここで自分もあと嫁何ヶ月って言われたら、後悔しそうだなと思って、仕事を辞めたというか、
私の場合、キャリアチェンジというよりは、サラリーマンというのを辞めた。で、その後、同じ仕事で独立をしたっていうことですけど、
何人かお話を聞いていく中で、何人かとか相談を受けたりしている中でも、やっぱりなんか生とか死に直面化したときに、やっぱりこれでいいのかなっていう感、
ということを自分に問い直すみたいなことって、なかなか起きにくいのかもなって。
確かに。なかなかない経験かもしれないですね。
そういうのも、先日、大学の卒業生と同窓会があって、30年経って、30年ぶりの人もいたりとかしたんですけど、
当時、就職した、そこをずっと続けている人も何人もいて、よく辞めたよね、みたいなことを言われたんですけど、
いや、私もそんなつもりではなかったし、おそらく父のことがなければ、辞めてなかったと思うっていう、ただそれだけのことなんだけど、
なんかお話聞いていて、やっぱり考える時期っていうのは、その人によってあるだろうし、いいとか悪いとかじゃなくて、
なんか、給料とか、肩書きとか、いろいろあるけど、今、良ければいいのかなって聞いていて、思いました。
なんか、そういう出来事を通して、今、ここの自分を改めて問い直すみたいな、なんかそんな経験だったんですかね。
そうですね。
本日のご来店者は、一般社団法人ピーペックの代表、宿延たけしさんと、事務局長の宿延かおりさんでした。
事業内容について興味のある方は、ぜひ概要欄からご確認ください。
概要欄からは、ソーシャルハイブ本郷を運営している小野田総合法律事務所のホームページもご覧いただくことができます。
また、番組のお気に入り登録やフォロー、SNSのアカウントのフォローもお願いいたします。
そして、番組ではお便りを募集しています。
概要欄のお便りフォームから、感想やご質問をお寄せください。
明日はどんな自分をデザインしますか。
それではまたのご来店、お待ちしています。
ソーシャルハイブ、ウェイティングカフェ、天秒の子。
新しい当たり前をデザインする実践者たちの日常。