すごい広く支援されてるんですね。何かそれに取り組んだ理由みたいなところって何かあるんですか?
もともと会社立ち上げる前に学生の時に介護の現場でバイトをしてて、その時にこの仕事すごい面白いなって思った一方で、すごく課題もたくさんあったというか、
例えば私が、そこはちょっとイレギュラーだとは思うんですけど、2年間アルバイトをしたら学生の無資格のバイトだったんですけど、現場歴が上から2番目になるくらいに、
ちょっと回転が早かったりとか、あとはそれこそ早く死にたい死にたいと言っているおばあちゃんがいたりとかして、
人生の終わりって必ずしも幸せじゃないんだなみたいなことを学生の頃に思って、
ふと周りの学生のこととかを見てみると、私は大学生の時に3.11とかがあったので、
結構私たちの世代って社会貢献なんかやるみたいなことが割と学生の活動としても流行り始めてたみたいな世代なんですけど、
ただ周りに介護福祉の領域に関心を持つ人が少ないなというか、これから伸びる領域なのに、
みんな復興支援のボランティア国際協力とか、社会貢献したいと思っているけど、そこの接点がないなと思って、
もっとこの領域に関わる若い人たちを増やさないといけないなって最初思って独立をしたという感じです。
話聞いてみて、和賀さんどうですか?福祉介護業界みたいなところで結構長く立ち回ってたって聞いてますか?
2年で一番長くなるっていうのは本当に現実的な話であるあるですよね。
介護の世界すごく二極化してて、全然離職率が10%以下のところがものすごい多いんですけど、離職率は多分高いイメージあると思うんですけど、
全産業平均とほぼ同数ぐらい改善されてるんですけど、ただ高いところはめちゃくちゃ高いっていう。
じゃあ差が激しいみたいなところですか?
全部がだから介護悪いという感じではなく、本当ピンポイントで悪いところは悪くて、たまたま私は回転が、そこは早かったという。
その違いって何だったりするんですか?早いところと早くないところ。体感でいいと思うんですけど、秋山さんが感じる個人的な意見。
でもやっぱり人間関係に問題があったりとか、働く環境として、そもそもベース人が足りてなくてギスギスしてるみたいなこともあるでしょうし、
働く職員を大切に仕切れてない組織みたいなところは、回転がやっぱり早かったりする部分はあるかなとは思います。
あと、私採用シーンやってるので、とにかく人がいないんで誰でも取っちゃうっていう状況になってる法人さんとかは、
例えば人材紹介とか使ってすっごいコストかけてるんだけど、ただのマッチングでしかなくて、結局高いお金かけたけどすぐ辞めてしまうみたいなことがあったり。
なので最初の結構入口のところで辞める人取っちゃってるっていうこととかもあるかなと。
辞めちゃう人を取っちゃうマッチングが起きちゃってるんですね。
そうですね、それはあると思います。
若い人がどんどん入って、採用をその業界に流していきたいみたいなのもいて、そういう課題とか現場を見て、どういうところからそういうふうに起きてきたんですか。
自分自身が若かったっていうのもあると思うんですけど、この領域、働いてみてすごい面白いなって思ったのと、一方でこれから伸びていくとか課題として大きくなるって言われてる領域に若い人が入ってこないって結構課題だと思っていて、
若い人のパワーとか新しい発想とか、そういうの重要だなって思っていて、だからこそそこをやりたいなって思ったというか、もともと私福祉系でもなんでもなく小学部なんですけど、学校は。
そんな私だから気づいたんじゃないかみたいな。
学生の頃の謎な使命感が湧いてきて、ここは取り組まないとみたいな。
使命感ですか、降りてくるみたいな。
降りてきた、でもフツフツとっていう感じかもしれないです。
現場で働きつつ、周りの学生は何か誰かのためにみたいないろんな活動がある中で、福祉でアクティブに動く学生ってそんなに多くはなかったんで。
多くが多分そうじゃないかな。
やっぱりありがとうって言われて嬉しいっていうことは、
本当に福祉職よく言っていて、
もちろんそれって本当に支援のことで皆さんとっても感謝してくださるので、
それは確かに一つやりがいの一つなんですけど、
ありがとうって言われる機会を作っていくことが必要なんだっていうのに気づかせてもらったなって思ってて、
やっぱり私たちも仕事で何か貢献できたらすごく嬉しいじゃないですか。
それをどんどん社会との断絶とか、どんどん介護が必要になって関わる人とか限定されてったりとか、
サポートしてもらうことの方が多くなると、やっぱり生きがいが失われるなって思ってて、
やっぱり人が生きていく中で幸せを感じるのって、
誰かのために何かできた時とか、そういう時は大きいよなって思った時に、
専門職がやっていく必要があるので、
その人たちが人生の終わりまでなるべく誰かのために生きられるというか、
もちろんそれが自分自身がやりたいことをとにかく全うするっていう生き方でももちろんいいんですけど、
そういう思いを含めて生き生き、生き切れるかみたいなところの伴奏シーンっていうところに、
すごく大事だと思いますし、すごくそういう仕事なんだって知って、めっちゃ面白いって思って。
そこが面白さのポイントなんですね。
そうですね。
感謝されるじゃなくて、そこにいる方々全員が感謝されるような活躍できる場を作るっていう仕事はすごく面白い。
それが介護だっていう感じですね。
そうですね。
いろんな事業所があるんですけど、都内にデイズBLGっていう町田とか八王子でおじいちゃんがいっぱいいる事業所があるんですよ。
男性って仕事でステータスを築いてきたり、そこにプライドを持たれてたりする方が多いじゃないですか。
でも定年退職で一気に仕事する機会とかなくなって、社会とのつながりもなくなってという中で落ちてしまうみたいなのがあるんですけど、
そこのデイサービスは働くデイサービスなんですよ。
働く。
朝例えば行って朝礼が始まるんですけど、スタッフの朝礼じゃなくておじいちゃんたちと一緒に朝礼が始まって、
今日は洗車の仕事と配送の仕事とこんな仕事がありますけどどれやりますみたいなのが始まって、
皆さん自分がやりたい事を選んで、私は洗車のチームに一緒について行かせてもらったんですけど、
お揃いのTシャツみんな着替えて、よし今日も行くかみたいな感じで、
おじいちゃんたちが一緒に車に乗って、ホンダの実際の販売車の戦車を優勝ボランティアでお金ももらって、
優勝ボランティアなので奨学ですけどもらってやるっていうお仕事で、
もちろん認知症の症状があるので、一回洗った車をもう一回洗おうとしちゃったりすることもあるんですけど、
そこはうまく介護職がサポートしながら、皆さんほんとテキパキここはこうやるんだよとか教えてもらって、
洗車して、近くのレストランで、今日もよく働いたなとかって言って、
昼食食べてて、誰も別に世話になったなっていう感じはもちろんないですし、
そうですね。よく働いて、お昼ご飯食べながら、延々と昔の自分の仕事の武勇伝引かされたんですよ。
でもなんかいいなと思って、そこにやっぱり誇りを持ってる人たちが、そう生き続けられるってすごい素敵だなって思って。
そうか。やっぱり活躍できる場があると、みんなこう生き生きその場にいられるんですね。
そりゃそうだよねって思いますよね。
自分を肯定してもらえるって一言でまとめちゃえばすごくきれいになるけど、
でもやっぱり生きてきた生き様みたいなのを話す場所があるっていうのは相当救われるんじゃないかなって思うし、
あとはさっきね、おじいちゃんばっかりって言ったけど、男の人は特に世界的にも自殺率がやっぱり女性より高いっていうのは、
やっぱりその仕事を失ったときのとか、孤独とか孤立感を解消しづらい。
おしゃべりが結構苦手。女の人のほうがおしゃべり上手だったりするから、
多分そっちのほうが解消できないままっていうことがあるから、そういうおじいちゃんが元気な場所は面白いなと。
おばあちゃん元気な場所は結構多い。
おばあちゃんはだいたい元気かもですね。
だいたい元気だ。
伴侶をなくして元気なの女性で、元気じゃなくなるのは男性って。
そういう話を聞きますね、確かに。
でもそうなんだろうなって。
ソーシャルハイブ、ウェイティングカフェ、てんびょうの子。
新しい当たり前をデザインする実践者たちの日常。
就職活動をしなかったのかなって思ったんですよ、大学。
介護のバイト2年やって。
はい。
311が何年生?
2年生かな?の終わり。
2年生でした。2年生の終わりのとき。
だからもうほんと20歳前後で。
そう、311の2年生のときはまだ介護の現場でバイトしてなくて。
その後、介護の現場でバイトして、就活はどんなふうにしてたんですか?
就活はほぼしてなくて、
なんか私、当時、3.11があったことも大きいですけど、
いとこが20歳でガンで亡くなってて、
20歳って結構、
20歳前後ってあんまり先のことを考えられないっていう不器用さがあったんですよね。
すごい身近な人が亡くなっちゃってたのもあったんで、
自分が今どう生きるかみたいなことに、
すごく視点が行きがちだったんですよね。
当時、介護の現場でアルバイトを始めて、課題意識を持ち始めたっていうことと、
学生の頃に介護の認知症の人と一緒に読んで、
コミュニケーション活性化するためのフリーペーパーを作ってて。
面白い。
それが学生のフリーペーパーコンテストで準優勝したりとか、
みたいなこととかもあって、
そっちの活動とか、介護の現場での現状を知るってこととかに、
結構自分の思考が行ってて、
どうしたらこれはもっと良くなるんだろう、みたいなことを結構考えることの方が夢中になってしまって、
あんまりなので、将来何年後のキャリアとかを考えて就活していくっていうことが、
不器用すぎてできなくて、
レールに乗り切れなくて。
もともとフリーペーパー始めたのも企業サークルに入ってて、
そのこともあって、
自分で何かを起こして、
企業サークルのときは本当にフリーペーパーなんで、
なるほど。
流れですね。
ミネジーからどんどん派生していってるんですね。
課題が見えたからこれやんなきゃ、これやんなきゃ。
そうですね、本当におっしゃる通りで。
今もコミュニティは、イベントとかもやりながらも、
オンラインコミュニティが今メインなんですけど、
180人ぐらい今入ってくれていて、
そこでは本当に日々のいろんな課題とか困りごととか、
リアルな声がすごくたくさん聞けて、
そこは本当に私は日々ヒントをもらってる感じですね。
長くやってきてると、
それである程度、
竹本さんっていう人が有名になっていく過程で、
そういうリアルな声が届かなくなるような気もしてたんだけど、
コミュニティっていうのがベースに始まりにあって、
今もあるっていうのがいいなと思って、
離れていっちゃうような気がしてて。
自分はね、代表で現場とは遠くなっちゃうみたいな。
確かにそれは、やっぱり仕事として私は現場にいないので、
でもやっぱり現場の声をすぐ聞けるつながりというか、
環境はずっと持ち続けてるというか、
ちょうど昨日もオンラインコミュニティのメンバーが、
新宿でオフ会みたいなのを開いてくれてて、
そこにちょろっと参加したりとか、
こういうことを悩んでるんだけどみたいなことを投げかけたら、
すごくいろんな角度からみんな対応してくれたりもするので、
代弁者的にいろいろみんなの声を聞かせてもらって、
今、発信することもありますし。
コミュニティから現場の声は聞こえてくるわけですね。
聞こえてきますね。
それはむしろ強いのかもしれないですね。
一番集められてる人かもしれないですね。
一番かどうかはわかんないですけど、
でも本当にみんなからいろいろ教えてもらってますね。
コミュニティが1000人になったっていうことなんですけど、
そこまでにどういうふうに人が集まる過程があったのかみたいなところって、
伺っても大丈夫ですか?
最初は平成介護リーダーズっていう名前で、
平成2年生まれなんですけど、
平成生まれ限定から始まってるんですよ。
そこで多分一つ若手の集まりだっていうブランディングみたいなのは、
多分そこで作ってたっていうのがあって、
もちろん今は年齢制限とかもしてなくてやってるんですけど、
SNSとかを当時から結構使ってやってたっていうのと、
デザインとか表面的なことかもしれないですけど、
若い人たちが行きたいって思う見せ方みたいなところは結構意識したり、
イベントもお金ないけどカメラマン入れて、
ちゃんと撮影毎回して雰囲気を発信したりとか、
みたいなことを結構やっていて、
最初1周年の時に100人くらいイベントで集めて、
そこからコンスタントにイベントをやっていく過程で、
東京は2ヶ月に1回くらい100名着くらいの規模でイベントをずっと打ってたので、
結構常連さんもいて、そこから繋がりで呼んでもらったりとか、
本当に最初は繋がりの繋がりで呼んできてもらうみたいなところから始まって、
それがだんだんという感じですね。
発信の時に意識してたこととかあるんですか?
発信の時、企画を、
例えば介護のイベントで、認知症のことを学びましょうみたいな企画は一切やってなくて、
例えば介護とITで、介護とテクノロジーで、
これからの介護どうなっていくのかとか、
例えば認知症のケアのこれからのあり方みたいな、結構未来志向のテーマで、
専門職が専門性を学んでいくみたいなテーマは一切やらず、
私たちがこれからの社会でどう介護を持っていけばいいのかということを考えながら企画していたというか、
当時2025年問題って学生の方から言われてて、
2025年、私35の歳なので来年なんですけど、
まあまあ頑張って迎えなきゃいけない世代なんだなってことを思ってたんですよね。
私も学生の頃に30代40代の方たちが業界をある程度牽引されてるっていうような印象もあったので、
結構やばい時に自分がそういう立場にならなきゃいけないっていうことを考えた時に、
最初に若い人たちって限定したのも、若気のイタリアもあるんですけど、
大人が作ってきた社会、課題だらけじゃんって思ってて、
なので教える、教わるみたいな関係を作った瞬間に、
いい未来が作れるとあんまり思えなかったんですよ。
とはいえ、やっぱり経験してきた人たちからいろいろ学んだりしながら、
自分たちがどうしていくかってことはやっていかなきゃいけないなと思って、
年齢制限外したり、
対話がどんな人が来ても対話できる環境を作るみたいなことはすごく意識しながら、
場の面をしてたんですけど、
そういう企画の部分が一つ大きかったのかなとは思ってます。
私たちがこれから介護の領域をある意味リードしていかなきゃいけないからこそ、
スペシャルな学びが必要だと思ってたので、
本当にトップランナーの方に来てもらってました。
っていうのはやっぱりでかいかもしれないですね。
なるほど。
今聞いている私が学んでいるという。
学ぶ場じゃなくて考える場みたいな感じですね。
まさにまさに。
なので、結構講師の人たちにはやってきたことじゃなくて、
そのやってきた背景にある思考とか価値観の部分を教えてほしいみたいなリクエストはしていて、
それを持ち帰って自分たちで考えたり、
実践に活かすにはどうできるかみたいなことを対話しながら、
一人一人が次の日につなげられるような場作りっていうのはすごく意識してます。
ずっと和賀さんが唸ってますね。
今回。
聞いちゃったね。
聞いてる方はわかんないですけど、薄いリアクションになっているように見えるかもしれないですけど、
すごすぎて薄いんですよね逆に。
そうですね。
言葉をお伝えしたいですね。
時間がかかるよね。落ちていくのに。
ズーンってきて、あーすごいって余韻に浸りながら、すごいすごいすごいみたいな感じで、後から来るというか。
ちょっと水出しコーヒー的な感じ?
なんかこう、すごい滴り落ちるのに時間かかりそうだなっていう情報量でしたね、今。
最初に、今の新しい学びっていうのの掛け合わせっていう発想と、
さらに一方的なインプットだけになりがちな、業界って言ったら変だけど、新しいことを学ぶときって、
一旦インプットするっていうのが最初の取っ掛かりだと思うんだけど、
そこの先に、それよりは思考を聞かせてほしいっていうふうに思ったのは、
誰かから学んだのか、それとも秋元さん自身がそう思って、そういうリクエストをできたのか、当時。
当時ですよね。
あ、そうです、当時。
そうですね、なんか学びの場作りみたいなのは、
それこそ私たちのイベントにも来ていただいたんですけど、
中原純先生っていう、先生のラーニングバーっていう、学びの場の作り方っていう本を、
もうお手本に、もうこれを習ってやったっていう形で、
単なるインプット、一方的に聞くっていう学びは、ほぼ忘れてるって書いてあったんですよ。
いや、そうですよね。
忘れちゃいますね、確かに。
で、それだとやる意味がないので、
じゃあ、そこにはインプットした上で、それに紐づく問いを設計して、
それについて会話をするっていう、学びのプロセスみたいなのが書いてあったので、
もうそれどおりにやらせていただいて、