2024-10-02 42:44

#9「新しい当たり前を作る非専門性」(株式会社Blanket 秋本 可愛①)

今回の語り手:株式会社Blanket 秋本 可愛

株式会社Blanket HP:⁠⁠https://blan-ket.com/


内容:介護福祉領域で働きやすい職場を作る/学生時代に見た介護現場での課題や可能性/介護福祉の本質は生きがいの創出/働くデイサービスの存在/レールに乗り切れないキャリア形成/何もわからないからこそ始められたコミュニティ事業/コミュニティが育つ過程/教える教わる構造にしない学び・対話/専門職へのリスペクト/新しい当たり前を作っていく人達との協働


ようこそsocial hive WAITING CAFE 点描の孤へ。

ここは東京文京区本郷三丁目駅の裏にある、小野田総合法律事務所併設シェアオフィス『social hive HONGO』のメンバーが立ち寄るWAITING CAFEです。

毎週この時間のWAITING CAFEは、決まってメンバーの誰かがふらっと立ち寄って面白い話をしてくださるんです。

まるで世界の見え方がほんのちょっと、変わってしまうような。

※番組へのお便りは、socialhivehongo@gmail.comまでお寄せください。


聴き手 : ⁠⁠⁠⁠⁠岡田壮麻(スタートアップ支援家)⁠⁠⁠⁠⁠

常連 : 和賀未青(株式会社ニイラ代表)

HP:⁠⁠⁠⁠⁠https://niila.info/index.html⁠⁠⁠⁠⁠

制作 : 小野田峻(弁護士/小野田総合法律事務所)ほか 

小野田総合法律事務所 : 

⁠HP:⁠⁠⁠⁠https://www.ot-lawoffice.jp/⁠⁠⁠⁠⁠


X [Twitter] :⁠⁠⁠⁠⁠ social hive HONGO(@socialhiveHONGO)⁠⁠⁠⁠⁠

*ご感想は 「#点描の孤」 でお願いします。

BGM:zippy(作曲家。X [Twitter]:zippy@zippy_zippy_)

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Welcome to social hive WAITING CAFE Tenbyo no Ko.

This is the WAITING CAFE where members of "social hive HONGO," a shared office attached to Onoda Law Office, located behind Hongo 3-chome Station in Tokyo's Bunkyo Ward, stop by.

Every week at this time at WAITING CAFE, one of our members stops by to share an interesting story.

It may be a story that will change the way you see the world just a little bit.

Summary

株式会社Blanketの秋本可愛さんは、介護福祉領域に特化した採用や育成の支援について話します。彼女は介護の現場での経験をもとに、この業界の魅力や課題を感じ、若い人たちの関心を引き出す取り組みを行っています。また、地域での活躍を重視することにより、介護職の役割が大きく変わってきていることが強調されています。秋本可愛さんが運営する介護リーダーズのコミュニティでは、若者が介護について活発に話し合い、新しい職場環境の改善を目指しています。彼女は、学生時代からの経験を活かし、企業活動やコミュニティ運営を通して、若者の活躍の場を創出しようとしていることを語っています。さらに、株式会社Blanketの秋本可愛さんは、新しい当たり前を創造するためのサポートと学びの場についても話します。

00:07
ようこそ、socialhive WAITING CAFE 点描の孤 ~。
ここは東京文京区、HONGO3丁目駅の裏にある法律事務所併設シェアオフィス、socialhiveHONGOのメンバーが立ち寄るWAITING CAFEです。
毎週この時間のWAITING CAFEは、決まってメンバーの誰かがフラッと立ち寄って面白い話をしてくださるんです。
まるで世界の見え方がほんのちょっと変わってしまうような、そんな話が聞こえてくるかもしれません。
介護福祉領域への取り組み
本日のご来店者は株式会社Blanketの秋本さんです。その事業への思いを聞いてみました。
子供ができてからはもう子供と遊ぶ時間ですね。
逆に子供生まれる前はどうなの?
連絡が来ない仕事タイム?
あと最近はね、月に1回バス消してます。
そう、バス消してるんです。
子さんできてからですか?
そうなんです。1年前に友達たちとバスケ部が立ち上がって、ちょうどその時私お腹に赤ちゃんがいたんで、外から打つぐらいしかできなかったんですけど、
生まれてから3、4ヶ月ぐらい経ってから始めて、今は月に1回めちゃくちゃ疲れてますけど。
どれぐらいの時間やってるんですか?そのお休みの日に。
ほんと月に1回2時間半、夜、友達たちとバスケをするっていう、結構みんな上手で必死なんですけど。
母さん何してるんですか?
私は結構出かけたり美術館行ったり、博物館行ったり、暑いからね。
一人で行くんですか?
母さんと。
いいですね。もう子供がね、大きいから。子供が大学生になって、高校生ぐらいからそんな感じですね。
あとは基本引きこもりですね。
お家では何してるんですか?
もうカンドラ。この巣で。
面白いですもんね。いっぱいありますよね。
この巣で。
もう見始めるとすごい時間。
ドゥドゥンっていうね。
100何話とかあるやつが。
そこまでは見ないけど。
ありましたね。チャングームの誓いとかね。
そういえば秋元さんって普段何してるんですか?
普段は株式会社ブランケットという会社を経営してるんですけど、介護福祉の領域に特化をした採用とか育成、定着の支援をやっています。
介護福祉に特化した採用育成、具体的にどんなことをやられてるんですか?
全国の介護福祉事業をやってらっしゃる事業者さんがお客さんなんですけど、
例えば新しい事業所を作るときに、いつまでに何人必要だみたいなところを一緒に戦略作って採用していったりとか、
新卒がもっと取っていきたいというお客さんに対して新卒採用を強めるための戦略作ったり、ウェブサイトリニューアルしたりみたいなことをやったりすることもありますし、
あとそもそも介護福祉の領域って今人手が足りてないので、自治体と連携をして、
例えば小学生向けに謎解きイベントをしながら介護のお仕事を知ってもらうみたいな啓発事業を取り組んだりとかして、
介護福祉の領域に少しでも興味を持ったり働いてもらえる人を増やすための取り組みをしています。
採用から採用する広報とか、スケジュールを立てたりとか、あとは自己啓発みたいな、上層教育って言ったらあれですけど、広く知ってもらうみたいなところまで。
そうですね、なかなか介護の仕事って、特に若い時ってあんまり関わることがないので、そもそも選択肢に入ってないっていうのがあるので、
そういった例えば学校の授業とか含めていろいろやってたり、あとそもそも入った人たちがいかに活躍できる、働きやすい組織を作るかとか、リーダー育成とか制度を作りとかですね、
本当に組織の人事にまつわる領域の支援をやってます。
介護福祉の課題
すごい広く支援されてるんですね。何かそれに取り組んだ理由みたいなところって何かあるんですか?
もともと会社立ち上げる前に学生の時に介護の現場でバイトをしてて、その時にこの仕事すごい面白いなって思った一方で、すごく課題もたくさんあったというか、
例えば私が、そこはちょっとイレギュラーだとは思うんですけど、2年間アルバイトをしたら学生の無資格のバイトだったんですけど、現場歴が上から2番目になるくらいに、
ちょっと回転が早かったりとか、あとはそれこそ早く死にたい死にたいと言っているおばあちゃんがいたりとかして、
人生の終わりって必ずしも幸せじゃないんだなみたいなことを学生の頃に思って、
ふと周りの学生のこととかを見てみると、私は大学生の時に3.11とかがあったので、
結構私たちの世代って社会貢献なんかやるみたいなことが割と学生の活動としても流行り始めてたみたいな世代なんですけど、
ただ周りに介護福祉の領域に関心を持つ人が少ないなというか、これから伸びる領域なのに、
みんな復興支援のボランティア国際協力とか、社会貢献したいと思っているけど、そこの接点がないなと思って、
もっとこの領域に関わる若い人たちを増やさないといけないなって最初思って独立をしたという感じです。
話聞いてみて、和賀さんどうですか?福祉介護業界みたいなところで結構長く立ち回ってたって聞いてますか?
2年で一番長くなるっていうのは本当に現実的な話であるあるですよね。
介護の世界すごく二極化してて、全然離職率が10%以下のところがものすごい多いんですけど、離職率は多分高いイメージあると思うんですけど、
全産業平均とほぼ同数ぐらい改善されてるんですけど、ただ高いところはめちゃくちゃ高いっていう。
じゃあ差が激しいみたいなところですか?
全部がだから介護悪いという感じではなく、本当ピンポイントで悪いところは悪くて、たまたま私は回転が、そこは早かったという。
その違いって何だったりするんですか?早いところと早くないところ。体感でいいと思うんですけど、秋山さんが感じる個人的な意見。
でもやっぱり人間関係に問題があったりとか、働く環境として、そもそもベース人が足りてなくてギスギスしてるみたいなこともあるでしょうし、
働く職員を大切に仕切れてない組織みたいなところは、回転がやっぱり早かったりする部分はあるかなとは思います。
あと、私採用シーンやってるので、とにかく人がいないんで誰でも取っちゃうっていう状況になってる法人さんとかは、
例えば人材紹介とか使ってすっごいコストかけてるんだけど、ただのマッチングでしかなくて、結局高いお金かけたけどすぐ辞めてしまうみたいなことがあったり。
なので最初の結構入口のところで辞める人取っちゃってるっていうこととかもあるかなと。
辞めちゃう人を取っちゃうマッチングが起きちゃってるんですね。
そうですね、それはあると思います。
若い人がどんどん入って、採用をその業界に流していきたいみたいなのもいて、そういう課題とか現場を見て、どういうところからそういうふうに起きてきたんですか。
自分自身が若かったっていうのもあると思うんですけど、この領域、働いてみてすごい面白いなって思ったのと、一方でこれから伸びていくとか課題として大きくなるって言われてる領域に若い人が入ってこないって結構課題だと思っていて、
若い人のパワーとか新しい発想とか、そういうの重要だなって思っていて、だからこそそこをやりたいなって思ったというか、もともと私福祉系でもなんでもなく小学部なんですけど、学校は。
そんな私だから気づいたんじゃないかみたいな。
学生の頃の謎な使命感が湧いてきて、ここは取り組まないとみたいな。
使命感ですか、降りてくるみたいな。
降りてきた、でもフツフツとっていう感じかもしれないです。
現場で働きつつ、周りの学生は何か誰かのためにみたいないろんな活動がある中で、福祉でアクティブに動く学生ってそんなに多くはなかったんで。
人との関わりの重要性
面白みって何度かおっしゃってくださったんですけど、どんなところに面白みを感じてますか、介護福祉の現場のお仕事について。
例えば私が現場で面白いなって思ったのは、認知症状のあるおじいちゃんがいらっしゃって、その方は最初ちょっと暴力が出てしまうというか、怖い感じのおじいちゃんだったりしたんですけど、
ちょっとずつ関係性作っていく中で、そもそもそういった行動がなくなっていったりとか、何なら私が声かけたら反応してくれるようになったりとか、
そのうち私を気遣ってくれるみたいな、すごい元々の優しいお人柄が見えてきたりみたいな関係性作っていく中で、認知症で問題行動みたいに言われているものがどんどん変わっていったりするっていうことがすごい面白いなと思いましたし、
関わり方次第で本当に、すごく元気になられる方とかいらっしゃったりもするので、すごく可能性がある仕事だなと思ってました。
じゃあ関わる中で、その人の新しい目が見えたり、その関わり方によって人が変わっていくみたいなところがすごく面白みがあるというか。
そうですね。私は本当に無資格からやってたんで、全然専門性が乏しいんですけど、周りの専門職とかも、例えば普通に歩けなくなっている人が関わり方一つで、もう一回歩けるようになってたりとかって、すごい人生変わるじゃないですか。
介護の力って本当にすごくて、そういうところで、人の可能性を開けるような仕事だなとも思いますし、私がすごい好きな事業所とかは、その事業所があることで地域もなんらか幸せになっている感じもあって。
例えば、そこは私が一番好きなところは、石川県の野田町っていうところにあるんですけど、もともと廃墟になったお寺を改装して、高齢者のデイサービスと障害者の就労支援と放課後のデイサービスをやっている事業所なんですけど、そこには認知症の高齢者もいるし、障害を持った子どもたちとかもいるみたいな状態なんですけど、
そこが混ざり合っていることによって、世話するされるの関係が固定されていないので、行ったら誰が利用者さんで、誰が地域の人で、誰が職員なのかいまいち分からないっていう感じなんですよね。
私が一番最初に行って見学に来た秋元ですみたいな感じで行ったら、スタッフさんのTシャツ着てる方がいらっしゃったので声かけたんですけど、めちゃくちゃ笑顔でぴょんぴょんそこで飛び跳ねてるっていう状態で、あれスタッフじゃないみたいな感じから始まって、そこはお風呂があったり温泉があって地域の人は無料で入れたりとか、障害者の就労支援も飲食店みたいな感じになっているので食事もできるんですけど、
普通にご飯食べたら隣で多分カップルが腹とはデートしにそこに来てたりとか。
デートスポットになってる。
地域の中で分かんないですけど、その時はカップルなのか夫婦なのか分かんないですけど、若い2人いらっしゃってたりとか。
介護福祉の地域貢献
日常のおばあちゃんが障害者の方と関わる中ですごいイキイキされてたりとかもして、なんとなく居心地のいい空間がすごい拠点に広がってて、他の町は人口減少してるけどそこだけなぜか人口増えてるみたいなこととかもあったりして、すごい面白い可能性があるなみたいなのは、いろんな事例を見ながら感じてます。
すごい面白いですね。
介護福祉のそういうコミュニティの現場でそういうことが起きてることについて、若田さん、どんなふうに感じますか?
そうですね、やっぱりなんか、文職の立ち位置を変に固執してるところがあるのかもなーって今聞いてて思ってて、
マーケティングとかブランディングっていう言葉すらも遠遠い世界だったりもするので、そういうカタカナ用語を使うと、浮く?浮くというか、ちょっとなんか白い目で見られるみたいなこともあったりするし、
あと伝えるとか、一緒に暮らすとか過ごすっていうことにも、あんまり価値を置いていないというか、どっちかっていうと専門用語にまみれちゃってるって感じがする。
でも今の秋元さんのお話聞いてて思うのは、地域っていろいろあるけど、そこにしかないものを誰が作るのかは自由っていうかね、そういう気はしましたね。
なんか、だからどっちかっていうと専門職・非専門職っていう、それこそ二項対立みたいなことが起きやすい業界だなーっていうのはすごく今も。
だいぶね、変わってきて、けど、そうです。
なんか私自身が結構間違ってたなって、現場にいるときに、いろんなのを知って思ってて、介護の現場で私がバイトしてるときは一生懸命お世話をするってことをやってしまってたので、
なんかそれが結果としてその人たちの生き甲斐を奪ってたってことに当時は気づかなかったんですよね。
いざ、周りのいい事業所と言われるところを見ていくと、認知症があったとしても、まだまだできることをいかにやり続けられる環境を作るかとか、
例えば地域の中でゴミ拾いとか子どもたちの見守りとかをおじいちゃんおばあちゃんとかがやってたりして、ずっと活躍なんらかできたり人と関われる環境を作るっていうことをケアとしてやってて、
専門職の役割の変化
私は介護を間違えてたんだなって思って、その方が今、介護職に求められるのは、地域の中で活躍できる環境をいかに作れるかが大事なんだよって言われたときに、
へぇーって思って、
なるほど。
それはもっと早く知らなきゃいけなかったっていうのはすごく思ってたんですよね。
その概念についてどう思いますか?若田さん。
いや逆にでもそれは、なんでそれに気づけたのかなーって、若田さんが。
でもやっぱそういう事例を知ったっていうのが、自分がやってた介護じゃない介護を知って、
あ、介護ってこうなんだっていうのをお世話をすることじゃなくて、介護って自立支援とか言われるんですけど、
全く勉強してなくて入ったので、単なるお世話してあげなきゃみたいなイメージで入っちゃって、
私が働いたところ別に、じゃあ介護とは何かみたいなのと、研修があったわけでもなかったので、反省ですね。
そこは反省ポイントなんですか?
いや反省ですよね。やっぱ当時のじいちゃんばあちゃん関わらせてもらってた人たち、
もちろんもうなんかすっごい孫のようにかわいがっていただいたんで、いい思い出でもあるんですけど、
なんかもうちょっと私の関わり方が違ったら、そんなこと言わさなくても済んだかもなーとかはやっぱ思ってて。
なるほど。
でもその観点で、結構福祉とか介護とか、対人支援をしてる人たちが陥りやすい罠で、
それが早い段階で気づいてるっていうのはすごいし、
それを言語化するっていうことができなくて苦しんでる支援職の人多いんじゃないかなって。
そういう自分を認められない。
そこに立っている自分に価値があると思ってやってる人が多いから、
してあげること、対象者がいてこそ自分が立ってられるみたいなことで、
なりわえを得てるっていうのかな、そういうふうに思ってやってるから、
それがそうじゃないんだって言われた時に、すごく拒否反応とかが出る人が多い。
ある程度、何かをしてあげることがアイデンティティみたいになってる人もいるんですね。
実践するデイサービス
多くが多分そうじゃないかな。
やっぱりありがとうって言われて嬉しいっていうことは、
本当に福祉職よく言っていて、
もちろんそれって本当に支援のことで皆さんとっても感謝してくださるので、
それは確かに一つやりがいの一つなんですけど、
ありがとうって言われる機会を作っていくことが必要なんだっていうのに気づかせてもらったなって思ってて、
やっぱり私たちも仕事で何か貢献できたらすごく嬉しいじゃないですか。
それをどんどん社会との断絶とか、どんどん介護が必要になって関わる人とか限定されてったりとか、
サポートしてもらうことの方が多くなると、やっぱり生きがいが失われるなって思ってて、
やっぱり人が生きていく中で幸せを感じるのって、
誰かのために何かできた時とか、そういう時は大きいよなって思った時に、
専門職がやっていく必要があるので、
その人たちが人生の終わりまでなるべく誰かのために生きられるというか、
もちろんそれが自分自身がやりたいことをとにかく全うするっていう生き方でももちろんいいんですけど、
そういう思いを含めて生き生き、生き切れるかみたいなところの伴奏シーンっていうところに、
すごく大事だと思いますし、すごくそういう仕事なんだって知って、めっちゃ面白いって思って。
そこが面白さのポイントなんですね。
そうですね。
感謝されるじゃなくて、そこにいる方々全員が感謝されるような活躍できる場を作るっていう仕事はすごく面白い。
それが介護だっていう感じですね。
そうですね。
いろんな事業所があるんですけど、都内にデイズBLGっていう町田とか八王子でおじいちゃんがいっぱいいる事業所があるんですよ。
男性って仕事でステータスを築いてきたり、そこにプライドを持たれてたりする方が多いじゃないですか。
でも定年退職で一気に仕事する機会とかなくなって、社会とのつながりもなくなってという中で落ちてしまうみたいなのがあるんですけど、
そこのデイサービスは働くデイサービスなんですよ。
働く。
朝例えば行って朝礼が始まるんですけど、スタッフの朝礼じゃなくておじいちゃんたちと一緒に朝礼が始まって、
今日は洗車の仕事と配送の仕事とこんな仕事がありますけどどれやりますみたいなのが始まって、
皆さん自分がやりたい事を選んで、私は洗車のチームに一緒について行かせてもらったんですけど、
お揃いのTシャツみんな着替えて、よし今日も行くかみたいな感じで、
おじいちゃんたちが一緒に車に乗って、ホンダの実際の販売車の戦車を優勝ボランティアでお金ももらって、
優勝ボランティアなので奨学ですけどもらってやるっていうお仕事で、
もちろん認知症の症状があるので、一回洗った車をもう一回洗おうとしちゃったりすることもあるんですけど、
そこはうまく介護職がサポートしながら、皆さんほんとテキパキここはこうやるんだよとか教えてもらって、
洗車して、近くのレストランで、今日もよく働いたなとかって言って、
昼食食べてて、誰も別に世話になったなっていう感じはもちろんないですし、
そうですね。よく働いて、お昼ご飯食べながら、延々と昔の自分の仕事の武勇伝引かされたんですよ。
でもなんかいいなと思って、そこにやっぱり誇りを持ってる人たちが、そう生き続けられるってすごい素敵だなって思って。
そうか。やっぱり活躍できる場があると、みんなこう生き生きその場にいられるんですね。
そりゃそうだよねって思いますよね。
自分を肯定してもらえるって一言でまとめちゃえばすごくきれいになるけど、
でもやっぱり生きてきた生き様みたいなのを話す場所があるっていうのは相当救われるんじゃないかなって思うし、
あとはさっきね、おじいちゃんばっかりって言ったけど、男の人は特に世界的にも自殺率がやっぱり女性より高いっていうのは、
やっぱりその仕事を失ったときのとか、孤独とか孤立感を解消しづらい。
おしゃべりが結構苦手。女の人のほうがおしゃべり上手だったりするから、
多分そっちのほうが解消できないままっていうことがあるから、そういうおじいちゃんが元気な場所は面白いなと。
おばあちゃん元気な場所は結構多い。
おばあちゃんはだいたい元気かもですね。
だいたい元気だ。
伴侶をなくして元気なの女性で、元気じゃなくなるのは男性って。
そういう話を聞きますね、確かに。
でもそうなんだろうなって。
ソーシャルハイブ、ウェイティングカフェ、てんびょうの子。
新しい当たり前をデザインする実践者たちの日常。
就職活動をしなかったのかなって思ったんですよ、大学。
介護のバイト2年やって。
はい。
311が何年生?
2年生かな?の終わり。
2年生でした。2年生の終わりのとき。
だからもうほんと20歳前後で。
そう、311の2年生のときはまだ介護の現場でバイトしてなくて。
その後、介護の現場でバイトして、就活はどんなふうにしてたんですか?
就活はほぼしてなくて、
なんか私、当時、3.11があったことも大きいですけど、
いとこが20歳でガンで亡くなってて、
20歳って結構、
20歳前後ってあんまり先のことを考えられないっていう不器用さがあったんですよね。
すごい身近な人が亡くなっちゃってたのもあったんで、
自分が今どう生きるかみたいなことに、
すごく視点が行きがちだったんですよね。
当時、介護の現場でアルバイトを始めて、課題意識を持ち始めたっていうことと、
学生の頃に介護の認知症の人と一緒に読んで、
コミュニケーション活性化するためのフリーペーパーを作ってて。
面白い。
それが学生のフリーペーパーコンテストで準優勝したりとか、
みたいなこととかもあって、
そっちの活動とか、介護の現場での現状を知るってこととかに、
結構自分の思考が行ってて、
どうしたらこれはもっと良くなるんだろう、みたいなことを結構考えることの方が夢中になってしまって、
あんまりなので、将来何年後のキャリアとかを考えて就活していくっていうことが、
不器用すぎてできなくて、
レールに乗り切れなくて。
もともとフリーペーパー始めたのも企業サークルに入ってて、
そのこともあって、
自分で何かを起こして、
企業サークルのときは本当にフリーペーパーなんで、
企業活動の始まり
本当にお小遣い稼ぎぐらいのちょろっとした企業ごっこぐらいの感じでしたけど、
自分で何かを企画して、
それをお金にしていくことの難しさと面白さも感じていたのもあって、
大学生のときにさっき話したような、
この領域にもっと若い人たちを入れていくってことが必要だっていうことも思い始めて、
これは私がやらないと、みたいな気持ちもあったんで、
ちょっと半ば企業してみたいな、みたいなのもあったと思うんですけど、
そうなんですよね、
なので就活あんまりちゃんとせず企業しちゃったっていう感じですかね。
もうちょっと計画的に、
周りの企業家とか見ても3年とか5年とかがっつりその領域でやってきたからこそ、
企業してワーって跳ねるとかってすごいあるなと思ってて、
私は分からない中で模索しながらのろりくらりとやってる感じはすごくあるので、
そのキャリアの選択が良かったかどうか分かんないんですけど、
一つこのタイミングで企業したからこそ多分やってるんだろうなって思うのはコミュニティ運営で、
若者の活躍と介護リーダーズ
介護リーダーズっていうそのコミュニティを私たち運営してて、
それは一番最初はとにかく若い人たち集めるためのバーを作ってたんですけど、
それって全くお金にならないんですよね。
で、なんかそんなことができたのは何も分かってなかったからだなとは思ってて、
でも結果としてそのコミュニティがあって、
そのコミュニティがですね、参加者1000人くらい超えてからやっと仕事の話くるくらいの、
1000人?
1000人。
そういう感じだったので、
なんかその1000人くらい超えてきて、
なんでこんなに若い子たちが生き生きと介護を語ったり学ぼうとしてるんだみたいなのが多分経由で、
集まってくるんだって。
で、メディアとかもそうですし、
若い人採用したい事業者さんからご相談いただくようになったりとか、
なんかそういうところから始まってたっていうところなんですけど。
最初は介護リーダーズが最初?
そうです。介護リーダーズから始まってて、
学生の終わりらへんからやり始めて、
で、今の法人支援の事業につながっていくのは最初なので、
若い人集めようと思ってやり始めて、
コミュニティで仲間がどんどん私の周りも広がってきて、
でも若い介護職が辞めちゃうっていうことも、
そのコミュニティでいろいろ話してた子たちが、
職場で例えば病んじゃって、
違う業界に行っちゃうみたいなことも見てきて、
働く現場を良くしないとなっていうこともすごく、
コミュニティの限界もすごく感じて、
じゃあ若い人たちが活躍できるような職場をもっと作っていかなきゃなっていうところで、
法人の支援を始めたっていう。
斬新な学びの場作り
なるほど。
流れですね。
ミネジーからどんどん派生していってるんですね。
課題が見えたからこれやんなきゃ、これやんなきゃ。
そうですね、本当におっしゃる通りで。
今もコミュニティは、イベントとかもやりながらも、
オンラインコミュニティが今メインなんですけど、
180人ぐらい今入ってくれていて、
そこでは本当に日々のいろんな課題とか困りごととか、
リアルな声がすごくたくさん聞けて、
そこは本当に私は日々ヒントをもらってる感じですね。
長くやってきてると、
それである程度、
竹本さんっていう人が有名になっていく過程で、
そういうリアルな声が届かなくなるような気もしてたんだけど、
コミュニティっていうのがベースに始まりにあって、
今もあるっていうのがいいなと思って、
離れていっちゃうような気がしてて。
自分はね、代表で現場とは遠くなっちゃうみたいな。
確かにそれは、やっぱり仕事として私は現場にいないので、
でもやっぱり現場の声をすぐ聞けるつながりというか、
環境はずっと持ち続けてるというか、
ちょうど昨日もオンラインコミュニティのメンバーが、
新宿でオフ会みたいなのを開いてくれてて、
そこにちょろっと参加したりとか、
こういうことを悩んでるんだけどみたいなことを投げかけたら、
すごくいろんな角度からみんな対応してくれたりもするので、
代弁者的にいろいろみんなの声を聞かせてもらって、
今、発信することもありますし。
コミュニティから現場の声は聞こえてくるわけですね。
聞こえてきますね。
それはむしろ強いのかもしれないですね。
一番集められてる人かもしれないですね。
一番かどうかはわかんないですけど、
でも本当にみんなからいろいろ教えてもらってますね。
コミュニティが1000人になったっていうことなんですけど、
そこまでにどういうふうに人が集まる過程があったのかみたいなところって、
伺っても大丈夫ですか?
最初は平成介護リーダーズっていう名前で、
平成2年生まれなんですけど、
平成生まれ限定から始まってるんですよ。
そこで多分一つ若手の集まりだっていうブランディングみたいなのは、
多分そこで作ってたっていうのがあって、
もちろん今は年齢制限とかもしてなくてやってるんですけど、
SNSとかを当時から結構使ってやってたっていうのと、
デザインとか表面的なことかもしれないですけど、
若い人たちが行きたいって思う見せ方みたいなところは結構意識したり、
イベントもお金ないけどカメラマン入れて、
ちゃんと撮影毎回して雰囲気を発信したりとか、
みたいなことを結構やっていて、
最初1周年の時に100人くらいイベントで集めて、
そこからコンスタントにイベントをやっていく過程で、
東京は2ヶ月に1回くらい100名着くらいの規模でイベントをずっと打ってたので、
結構常連さんもいて、そこから繋がりで呼んでもらったりとか、
本当に最初は繋がりの繋がりで呼んできてもらうみたいなところから始まって、
それがだんだんという感じですね。
発信の時に意識してたこととかあるんですか?
発信の時、企画を、
例えば介護のイベントで、認知症のことを学びましょうみたいな企画は一切やってなくて、
例えば介護とITで、介護とテクノロジーで、
これからの介護どうなっていくのかとか、
例えば認知症のケアのこれからのあり方みたいな、結構未来志向のテーマで、
専門職が専門性を学んでいくみたいなテーマは一切やらず、
私たちがこれからの社会でどう介護を持っていけばいいのかということを考えながら企画していたというか、
当時2025年問題って学生の方から言われてて、
2025年、私35の歳なので来年なんですけど、
まあまあ頑張って迎えなきゃいけない世代なんだなってことを思ってたんですよね。
私も学生の頃に30代40代の方たちが業界をある程度牽引されてるっていうような印象もあったので、
結構やばい時に自分がそういう立場にならなきゃいけないっていうことを考えた時に、
最初に若い人たちって限定したのも、若気のイタリアもあるんですけど、
大人が作ってきた社会、課題だらけじゃんって思ってて、
なので教える、教わるみたいな関係を作った瞬間に、
いい未来が作れるとあんまり思えなかったんですよ。
とはいえ、やっぱり経験してきた人たちからいろいろ学んだりしながら、
自分たちがどうしていくかってことはやっていかなきゃいけないなと思って、
年齢制限外したり、
対話がどんな人が来ても対話できる環境を作るみたいなことはすごく意識しながら、
場の面をしてたんですけど、
そういう企画の部分が一つ大きかったのかなとは思ってます。
私たちがこれから介護の領域をある意味リードしていかなきゃいけないからこそ、
スペシャルな学びが必要だと思ってたので、
本当にトップランナーの方に来てもらってました。
っていうのはやっぱりでかいかもしれないですね。
なるほど。
今聞いている私が学んでいるという。
学ぶ場じゃなくて考える場みたいな感じですね。
まさにまさに。
なので、結構講師の人たちにはやってきたことじゃなくて、
そのやってきた背景にある思考とか価値観の部分を教えてほしいみたいなリクエストはしていて、
それを持ち帰って自分たちで考えたり、
実践に活かすにはどうできるかみたいなことを対話しながら、
一人一人が次の日につなげられるような場作りっていうのはすごく意識してます。
ずっと和賀さんが唸ってますね。
今回。
聞いちゃったね。
聞いてる方はわかんないですけど、薄いリアクションになっているように見えるかもしれないですけど、
すごすぎて薄いんですよね逆に。
そうですね。
言葉をお伝えしたいですね。
時間がかかるよね。落ちていくのに。
ズーンってきて、あーすごいって余韻に浸りながら、すごいすごいすごいみたいな感じで、後から来るというか。
ちょっと水出しコーヒー的な感じ?
なんかこう、すごい滴り落ちるのに時間かかりそうだなっていう情報量でしたね、今。
最初に、今の新しい学びっていうのの掛け合わせっていう発想と、
さらに一方的なインプットだけになりがちな、業界って言ったら変だけど、新しいことを学ぶときって、
一旦インプットするっていうのが最初の取っ掛かりだと思うんだけど、
そこの先に、それよりは思考を聞かせてほしいっていうふうに思ったのは、
誰かから学んだのか、それとも秋元さん自身がそう思って、そういうリクエストをできたのか、当時。
当時ですよね。
あ、そうです、当時。
そうですね、なんか学びの場作りみたいなのは、
それこそ私たちのイベントにも来ていただいたんですけど、
中原純先生っていう、先生のラーニングバーっていう、学びの場の作り方っていう本を、
もうお手本に、もうこれを習ってやったっていう形で、
単なるインプット、一方的に聞くっていう学びは、ほぼ忘れてるって書いてあったんですよ。
いや、そうですよね。
忘れちゃいますね、確かに。
で、それだとやる意味がないので、
じゃあ、そこにはインプットした上で、それに紐づく問いを設計して、
それについて会話をするっていう、学びのプロセスみたいなのが書いてあったので、
もうそれどおりにやらせていただいて、
新しい当たり前の創出
なのでオリジナルとかじゃなくて、そこはもう学びのプロの視点をイベント設計に活かしてました。
秋元さんが福祉型じゃないなっていうところがすごい出てるというか、
中原純さんを読んでそれをインストールをしていこうっていうのが、
なかなかその福祉介護の中の人だと出てこない発想だなと思って、
秋元さんならではの動きがそこで起きてる感じがしてました。
専門職に私慣れないというか、一人の人にどっぷりこう、やっぱ専門職に憧れがあって、
周りの専門職見てても、本当に一人の人のことにすごい真剣に向き合ってる人たちが多いなと思うんですけど、
私一人の人ってよりかは、みんな幸せにしたいみたいな、そっちの方に思考が行きがちなので、
深めていくみたいなのは逆に多分弱くて、なので専門職は専門職で本当すごいなという気持ちを持ってますし、
でもその人たちとこれからさらに人も足りない、お金も足りない、
余計に介護が必要になっていくみたいな社会の中で、
ただただ同じことをやってても、より悪化するだけっていうのが未来として見えてる中で、
自分たちが何していく必要があるんだろうっていうことを、でも分かんなくて、
誰も答えも持ってないから、考える材料が欲しくて、
新しい当たり前を作ってきた人たちから学ぶ場を作ってましたね。
新しい当たり前を作っていく。またさらっとすごい言葉が出てきました。
今でこそそんなにそれが初めて聞いた言葉ではないけれど、当時12年前ですか?
立ち上げたのは、そうですね、12年、11年前。聞いたことあります?私はない。
1年前からそういう話が。
あったんだ。
最近だとなんかありそうかなと思うんですけど、
だいぶ先駆者的ですよね。
褒められてる。
すごい褒めてます。
伝わってないかもだけど。
イノベーションというか、そういう感じ。
そうですね。
そんなことを感じました。
番組の締め
本日のカフェの営業はここまでになります。
今回カフェに立ち寄ってくれたのは、株式会社ブランケットの秋元さんでした。
事業内容について興味のある方は、ぜひ概要欄からご確認ください。
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