うん、ソーシャルハイブに参加させてもらって、私2、3年経つんですけど、
本当にまあコロナ禍もあったし、あとやっぱり団体同士でなかなかお会いする機会も、
そうですね、そうでした。
ないし、あとやっぱりまあ当たり前に大事だなと思うのは、一人一人の、一人一人と話してみるしかないんだなーって。
だから、さいさんがソーシャルワーカーであることも、まあよく知っていなかったし、さらにどんな思いを持ってるかとか、どんな考えを持ってるかということも知る余地もない。
うんうん。
それこそ、今まで話してきた中で近くにいるのに遠い人みたいな、それはお互いにそうだって思うし、だからシェアオフィスっていう場が、もしかしたらお互いに透明化してたりするかもしれない。
なるほど。
だから、こういう機会があるのは、私にとってはすごくありがたかったし、おいしい役どころをいただけたなみたいな。
その人を知るっていうことはすごく、まあその先にある未来みたいなのとつながってくるみたいな感じがして、楽しかったです。
ありがとうございます。
透明化の反対って言葉ある?
なんですかね、なんかそこ。
透明化の反対?
そこなんか言いたくないです。
透明化。
なんかその、透明、なんですかね。
彩り?
彩り、うん。なんか彩りが生まれていくその人がその人の彩りっていうのは、なんかちょっと決まらないですね。
輪郭見えてくるみたいな。
そうですね。
あー、そんな感じ。その人の。
でも、もちろんこう、物理的にはそこで見えてるんだろうけども、その人がその人として見えてくる、その上でさらになんとかさ、どうやって関われたら、つながれたら。
まあ、別に全部が全部つながる必要はないけれども。
ないけど。
ないけど、でもなんかそうなっていったら素敵だよなって思うんですけど、やっぱこういうことをね、エッジを立てていけたら、もっとこうPCsは、出力は出るんでしょうけど。
いやいやいや。
なかなかこういうことは難しいね。でも、こういう時間を共にできたということで。
ありがたかったです。
皆さんにとってその、入るソーシャルファイブ本郷って、なんかどういうものなんですか?すごいなんか、ただのシェアオフィスじゃないというか、すごいなんか愛を持って入ってるというか関わってるというか、なんかそんなものもちょっと感じたりしたんですか?
まあ、やっぱりでもそこには小野田さんという人の存在がまずあるんだろうなっていて、なんかただのこう場所をシェアしてるっていうだけじゃない。
なんか少なくとも私にとっては、いやさっきおっしゃった通り、一つ一つの団体の深いところだったり、そこにいる人の深いところまではあんまりこう知れてないなっていうふうには思うんですけど、でもなんか小野田さんのフィルターって言ったらあれですけども、思いとかそういったものを通して繋がっている人たちがここにいるっていうことがまず私にとっては最大のエンパワーメントというか、
やっぱり私たちのフィーシスもフィーシスとして思いを持って活動してるけれども、やっぱりどこかで孤立感を覚えてしまったりすることもあるんですけど、やっぱりここでもう私は勝手に同じ小野田シェアを持った仲間同士みたいなふうに思ってるんですけど、
やっぱりその存在が直接的に何かこうもたらす利益とかってこと以上の存在が勇気を与えてくれるというか、私たちもこのまま頑張っていけばいいのかなっていうふうに思える、なんかそんな感じでは、さっき言った景色みたいな感じの一部になってますね。
そう言われてみればね、確かにね、その視点では見てなかったけど、ありますかね、なんかだからまさに影響を与えられているかどうかはわかんないですけれども、与え合っているというか、少なからず響き合いながらこの人たちがいることで私たちが何者かっていうことがわかったりとか、
こういうところで今共通している何かこう、振動さみたいなものもあるよねっていうことも時々共有し合ったりとかもね。
そうですね、なんかそういう意味では一つの景色を作っているかもしれないし、その中でお互いがお互いをもしかしたらなんかこう生かし合っている極端に言えば、なんかそんなことはあるかもしれない。
絵も知れない、その言語化されていない、なんかこう根底の何か繋がりみたいな、なんていうか、そんなものを僕ちょっと感じてるんですけど、これって何なんだろうって。
そこはにしにくいですよね、そこはね。
安心感っていうのも目に見えないけど、よくある起業家コミュニティみたいな、よくあるって言ったらそんなにたくさん言ってるわけじゃないんですけど、
行くとちょっとすごく尊徳感情がギラギラしているみたいな空間を目にしたり体験したりしたことがあって、私はちょっとうーって下がっていっちゃうみたいな。
まあ、もちろんそれこそビジネス、お金の話は大事なことなんだけど、思いとかにあんまりフォーカスされないとかっていうのの場にはちょっと言いづらいなあっていうのがあって、
それはすごくそうじゃない場っていうのは、結構あんまりないのでは、そんなたまね、たくさん知ってるわけじゃないんだけど、それだけに逆に言うと、もしかしたらさっきのちょっと遠い存在になりがち。
お互いの認識はすごく認知もしてるし大事にしてるけど、踏み込まないという面もあるかもしれない。
なんかでも私は一方で、ここにいる人たちのことをそんな深く知り合わなくてもなんかいいなと思って、それこそ喋らずとも存在してること、その安心感というか、
すごい対話をして、価値観が何なのかみたいなことをやらなくても、野田さん通じてここにいるって、もうそれだけでなんかっていう感じはあるかなって。
いるだけで、なんかこう応援されてる感じなんですか?
応援?
応援もしてないみたいな。
なんだろう、励まされてる。
安心?
そうだね。
すごい面白い感覚ですね。
だからここの特徴としては、新しい団体が加わった時とかに、これからもそうであるかわかんないですけど、なんか特に対面で何か紹介し合うかとかもないし。
ないない。
この人誰か?
みたいな。
ふと誰かの会議相手として、お客さんとして来た人なのか、ここの人なのかもわからないみたいなことが時々ある。
でもなんかそれが2回目とか会うと、なんとなくここの人かと思って、ちょっとはじめましてみたいな感じで声かけてみたいなところ、なんか別にでもそれで成り立っていて、なんか私は別にそれでも一つの形かなって。
特に最近移転をしてきて、すぐ近くの場所から変わって、ちょっとこう、よりコミュニティ感が少し作られたなというふうに思ってて。
自分たちの場所というか、なんなら掃除とかも本当に一緒にみんなでやろうかみたいな、なんかそういうこととかも。
学校みたいですね。
うん、あったりとかして。
でもなんかこの人たちとだったら別に、この人たちのためだったらなんか自分の人生が少しこう使われていっても全然私はなんかいいなと思うし、
仲良くしましょう圧がないですよね。
まずないですね。
それが心地いいかな。
あとはそうですね、小野川さんと最大限にリスペクトしつつも、
小野川さんを抜けているところとか、
抜けすぎた。
最大限の経緯を込めて雑なところとか、
最大限の経緯。
人間味がね。
人間味があるわけですね。
溢れてる。
ユーマニズムね。
でもそうするとなんかちょっとそこを埋めたいっていう動きが生まれてきたりとか、
なんかそこはちょっとこうみんなでどうにかしないといけないよねみたいな風になっていったりとか、
なんかそういうところもあったり。
共同体っぽい。
そういうところもありますね。
ちゃんと資料じゃなくて埋めたいなんですね、みなさん。
そうですね。
助け合い。
そりゃあ一人でそれは無理だよねみたいな。
無理無理無理無理。
忙しいしねみたいな。
授業とかもそうですけど、みなさんなんかそれは手段で目的じゃないんだろうなってすごい感じましたね。
在り方をなんかみんなで追ってるというか。
そうですね。
そうかもしれない。
こんなことを僕は感じましたね。
それがたぶん心地いいのかもしれなくて、
The Fishes on Fishesで自分たちが絶対だと思ってないし、
他の団体もしかしたらそこは同じかもしれない。
でもさに同じ土壌を共にする人たちの中からもいろんな動きが飛んでいって、
でもなんかこうそれぞれはそれぞれでいいし、
なんかそういう感覚もあり。
だからそこにいるっていうことがやっぱり。
大事。
全部何でもかんでも意味は必要ないとは思いつつも、
でもなんかこのソーシャルハイブ本号にFishesがいることに意味って言ったら、
まずここにいることって。
なるほど。
答えになってないかもしれないですけど、
そこの価値。
感覚なんでやっぱりこう、論理ではなかなか説明できないと。
確かに僕はなんかそこ入ってんのかもしれない。
分かんない。
なんかそういう個人の生き方とかをどう捉えてるんですかっていうのと、
今後どう生きていきたいのかみたいなのって。
さにさんの。
どんな感じなんですか?
すごい。
自身の生き方ですか。
はい。
でもあんまりこう、もう本当にこれは私個人ですけれども、
あんまりこう未来をどうしていこうとかっていうのはそんなにじゃなくて、
どっちかというと過去に意味づけをいい、
勝手にいいふうに意味づけしていく生き方をしています。
その時の流れに身を任せながら。
でもなんか自分の心には素直でいたいなというふうに思ってて。
だからPC図もやっぱこれメンバーが増えてくると、
やっぱりいやでもこう目標をやっぱり立てていかなきゃいけないんじゃないですかねみたいな声とか、
そういうのも当然あるし、
自分自身もどこかではそういうものも必要だなと思いつつも、
でもやっぱりその信じて祈る系アクションなので。
やっぱりどこかでやっぱりそのコントロールが難しいってことも分かってるし、
っていうふうになっていくと、
やっぱり今その時その時自分たちのエネルギーの源泉となるもの。
それを大事にしながら未来を見据えていく。
でもそこはあんまりこうしていこうしていこうってことをがっちり決めるというよりは、
自分たちのそのビーングの方を大事にして。
何やるかっていうのは別に究極なんか何でもいいと思って、
それが大事というよりは自分たちの持っているビーングというものをきちんと、
その時その時の事業に反映させていくっていうことなんだろうなというふうに思ってるので、
そういう意味ではもしかしたらそれが息苦しいふうに感じるメンバーもいるかもしれないし、
それがすごくこう、
私にとってなんか良くないなっていうふうになったらまた変わっていくかもしれないですけど、
今は自分の人生、
切り離した方がいいのか分からないけれども自分の人生がそうあるように、
あまり未来をどうしていこうとかっていうよりは、
その時その時の感覚とか、
現れてくるエネルギーの源泉がどこにあるのか、
みんなは何を願っているのか、
でもそこは大事に、
とにかくしていきたいということになってます。
ありがとうございます。
すごい。
やっぱビーングを問い続けたいんだなっていう感じがします。
なんでなんですかね、こんな。
その一端も面白いですね、自然と出てくるというか。
そうですね。
なんかの反動なんですかね、これはね。
何があるんでしょうね、さゆさんのそこに。
確かにビーングビーングうるせえですね。
そんなことない。
そんなことない。
なんかどこかやっぱりこう、
あるんでしょうね。
基本だからでもひねくれってはいると思って、
昔からこう列に並ぶとかすごい嫌いなんです。
みんなが一列に並んでるとちょっとなんか自分だけずれたくなったりとか、
調和もどっかで大事にしてるから、
でもなんか迷惑かけない系だったりとか。
でもなんかそう、
でも社会の全体を見渡すときにやっぱりこのルーインというか、
何をやるかとかどうやるかみたいな、
なんかそこがやっぱり強すぎるな、
だったら自分たちはこのあり方のほうじゃないかなみたいな、
そういうこうあまり多くの人たちがやってない頃だったり、
そこに行きたがってしまう。
なんかそういうのはもしかしたら働いて、
なんかついついそれはやっちゃってたって。
だと思いますね。まさに市民性かもしれない。
私の市民性というか。
ソーシャルハイブ、ウェイティングカフェ、天秤の子。
新しい当たり前をデザインする実践者たちの日常。
本当に今はPCsにとっては、なんて言うんでしょう、
PCsのこれまでの変化のプロセスには、
常に小野田さんが与えてくれた影響も大きいなと思っていて、
少し遡りますけども、
最近も大きな一つトランジションがあって、
でもさらに何年ですかね、もう6年ぐらいになるのかな。
2018年、19年ぐらいに、
それまで大事にしてきた2つの事業みたいなのを、
2つに分けていくというか、
実際に組織としては分社化するというか、
新しい法人が立ち上がっていったプロセスがあって、
当時の副代表だったメンバーが、
新しい法人を作っていったんですけども、
大概的には多少綺麗に見せてはいたけれども、
見え張って。
でも実際には結構ドロドロした感じとかもあって、
思いが強い人たちが当然やっていたものなので、
それぞれに譲れないこともあったし、
実際に組織のリソースみたいなものも分けていくときには、
じゃあお金はどうするのとか、
そういったものも回ってきて、
ある時なんか少しコンフリクトというか、
衝突というか、そういった局面だったんですよね。
ちょうどオーナーさんが関わってたのがそのタイミングぐらいで、
こういうなかなかうまくいかなさがあって、
みたいな相談をしたのが本当に最初の頃の関わりだったんです。
なんて言うんでしょう。
ともするとやっぱり紛争というか、
対立の構造になってしまいがちなところを、
オーナーさんは一貫して私たちが持っている力みたいなものを
大事にしていただいていて、
当然全部が全部綺麗にいったわけじゃないんですけれども、
思いを持った人たちがいる、
そこへの最大限のリスペクトをしてくれた上で、
本当に綺麗に分かれたわけではないんですけれども、
そこにいろんな後悔もあるんですけど、
でも自力じゃ絶対にトランジションは乗り越えられなかったところ。
単に弁護士なら誰でもよかったわけじゃ全然ないなと思っていて、
やっぱり社会的な事業に取り組む人たちのマインドみたいなものとかを含めて、
そこへのリスペクトを持って関わってくれたっていうのが一つあって、
直近の方のトランジション、ここ本当に1,2年ぐらいの中で、
私自身最近代表になって、これまで事務局長という立場だったんですけど、
NPOになって8年で、それまでずっと創業代表だったイブキさんという人が、
本当に私たちにとっては大きな存在なんですけど、からバトンを受け取って、
ともするとやっぱりイブキさんにとってもPCsって愛着のある大事な存在だし、
それをバトンを渡していくっていうことになるので、
当然きっといろんな葛藤もあっただろうし、
私自身もイブキさんのPCsだったっていう感覚があって、
それを自分がそのバトンを受け取っていいのかどうかみたいな葛藤とかもすごいあって、
結果的に本当に2年間のプロセス、いろいろ対話をしたり、
逆にコミュニケーションを取ることをやめる期間を設けたり、
少し休息をしようみたいな、
大事な決定をするには今エネルギーが足りない、
もっとエネルギーが回復してから対話をしようみたいなこととかもあって、
でもやっぱりその間にもいろんな思いが出てきたりとかっていう、
その思いをすごく大事にしてくれていて、
なんて言うんでしょうね、
これは小野さんともお話をしてましたけど、
ともするとコンフリクトが起きるような局面で、
紛争というか当事者の力というか、
そこは自分たちがその力を持っているってことすらも見失いかけるような局面なんですけども、
小野さんはじめ、他のメンバーも、他のサポーターの人たちもそうですけども、
自分たちの願いとか、ウィルみたいなもの、
それをとにかくやっぱり大事にしてほしいという、そのメッセージを届け続けてくれていて、
だからある種、本来弁護士的な関わりだったら、
ロジカルにやるところはロジカルにやっていくし、
なんて言うんでしょうね、法律に基づいてみたいな、そういうのもあるんでしょうけど、
本当に私たちが持っている力っていうものに対図を築かせてもらいながら、
自分たちでこの衝突というか対立というか葛藤というか、
そういったものを乗り越えていったっていう感覚が、このプロセスを経て残っている気持ちなので、
その辺はすごい関わりに対する尊さというか、
尊い。
マジでありがとうございますみたいな、そんな感じですかね。
じゃあ改めて、そのPCsってどういう団体だろうとか、
どういう思いで始まったんだろうみたいな、引き戻してくれるみたいな関わりがあったっていうことなんですか?
そうですね、そこはもう本当にこのトランジションのプロセスはもちろんなんですけども、
なんかやっぱりそもそも、普通に小野田さんをすごい当然リスペクトはあるし、
別に誇張しているつもりは全くなく、
本当にPCsの真ん中にあるものに常に私たちは引き戻してくれる存在というか、
PCsの掲げているものってやっぱり分かりにくさがあるというか、
ともすると社会で求められる分かりやすさだったり、
それこそ人の変容とかっていうのをひとつとっても、
何かできるようになることだったり、何者かに変化していくっていう、
何かになるっていう、あるいは何かができるようになるとか、
そういうことの方が大事にされる中で、
PCsってあり方に絶えず働きかけてるっていう、
だからそのDoingとか、DoとかHaveとかってことじゃなく、
Beingっていうものに目指しているPCsっていう、
それが行う事業ってどういうことなのかとか、
組織のあり方とかも含めて、
ファンドレイズとかもそうですけれども、
PCsがとっていいファンドレイズの手段って、
そのBeingに目指すんだったらこういうことじゃないみたいなことを、
絶えず問いかけ続けてくれるというか、
そういうところはあって、
私たちも安気に流れていってしまうとかっていうのはどうしてもあったり、
お金を得るためにはみたいな風になりがちなんですけれども、
いやそうじゃないよねみたいな、
他の団体とそれじゃ似通ったものになってっちゃうよと、
PCsがこの社会に存在するって、
そういうことじゃないよねみたいなものを、
絶えず投げかけ、問いかけ続けてくれる。
それは本当にトランジションのプロセスに限らず、
この間6年とかですかね、
本当にずっと、問いという形だったり、
時にすごい圧のあるプレゼンテーションみたいなものなんかしてくれて、
本当にたくさんいろんなインプットを与えてくれて、
本当にそれが今私たちのPCsのコアのところにあり続けているなっていう感じはあります。
事業とかの進め方とかハウじゃなくて、
その幹みたいなところに対する語りかけというか、
関わり方っていうのがすごいあるんだなっていうのを聞いていて感じます。
そうですね、逆に言えば事業のやり方とかハウの部分とか、
そこって何でもいいというか、
幹の部分さえしっかりしていればそこから出てくるものって、
ちゃんと自分たちの願いにかなったものになっていくよねと。
でもむしろ小手先のものだったりとか、
社会一般で言われる分かりやすいことだったり求められていることだったり、
そっちに引っ張られていってしまうところがやっぱりどうしてもあるから、
だからこそ自分たちが何に目指しているのかっていう、
幹であったり根の部分ですよね。
そこを見つめ直し続けていられているっていうのは、
本当に小野田さんの存在なしでは起きえていないなっていう感じがあります。
圧巻でしたよね。
最後はね。
なんか人の団体なのに私がドキドキ。
ずっとなんかあの日スマホ見ちゃいました。
そうなんですね。
いやなんかやっぱりその、
応援の3日前ぐらいが結構ね、
あ、もうこれやばいかもしれませんっていう西さんの結構メッセージが、
ポストがあったりして、
うわ、それは大変だみたいな。
ああいう時のこうなんか熱気みたいなのってすごいある。
そうですね。
伝わる感じがあったなって。
あの前のこの回で、
その瞬間風俗があんま出にくいみたいなことを言ったかと思うんですけど、
出たんですよね。
あそこら辺からなんかガラッと変わった感じ。
結構私の知ってる人でもPCsのこれ応援しようよみたいなの見たりとか、
不思議だなって。
そうですね。
応援のこう広がりが、広がり方が。
まあ分かりにくい取り組みだとは思っていて自分たちでも。
だからそのクラウドファンディングのページを見ても分かんないし、
正直言われることもたくさんあったし、まあそうだよねみたいな。
でもその中でもなんとなく、
よく分かんないけどなんか大事そうみたいな声をたくさんいただいて、
なんかそれが面白いなと思って。
よく分かんないけどでもなんか大事そうって、
ああ思ってくれたみたいな。
伝わった。
なんかそういう意味ではちゃんと理解はしてもらえてないかもしれないけど、
なんか感じるものがあったり伝わるものがあったのかもしれないなと思っていて、
なんかまあそれでもいいじゃんというか。
なんかね、終わった後のサイさんの投稿が、
フェイスブックの投稿がすごいインパクトがあったっていうか。
あの分かりにくいままでいいじゃないみたいな。
そうそうそうそう。それがちょっと投げやりな感じでもないし、
すごくシンプルなんだけど伝わる感じがした。
そうなんですよね。
だからなんかこう分かる、
だからピーシーズは分かりづらいままでいいじゃないかって、
このクラファンを通して思ったよみたいな、
まあそういうとこだったんですけど、
あそこで書いたことでも、
なんかこう分かるって、
こう分けるっていうところから始まっていて、
で、なんかこう分けて物事を、
分けて物事を分かりやすいように思って、
分けていくっていうことって何かを定義していったり、
何かを区切りを作っていくってことだと思っていて、
でも大事なことって分けられないところにあるんじゃないのかな、
みたいなこととか、
なんかその、
ピーシーズで大事にしてる間みたいなこととかも、
いろんなものの重なりとか連なりとか余韻、余白みたいな、
何かそういうものの中に生まれるものだろうなというふうに思ってて、
何かそういうふうに考えた時に、
何かこう分けるっていうことから生まれる分かるって、
何かそこは逆に求めなくてもいいのかもしれないというか、
その余韻、余白みたいなものも含めて何かこう感じ取ってもらいながら、
コミュニケーションが取れていけば、
それはそれで一つの在り方なんじゃないかなみたいな、
で、これとかもう何だろう、
それこそ大野田さんとかとのディスカッションっていうのは、
すごい影響を受けているというか、
で、当然その分からない、対象は分からなくても、
それを分かりやすく伝えていくことはできるし、
それはしていきたい、
その努力は続けていきたいとは思ってるんですけども、
でも何かその分かりにくいものを、
何か変に切り取って分かりやすくするって、
それ社会のこう実態みたいなもの、
あるいはその人の持ってるその何か解像度みたいな、
何かその歪めてしまうんだろうなというふうに思ってて、
何か社会に起きていることがあるがままを、
そのまま捉えていくというか、
当然何かその全部を捉えることなんて難しいけれども、
変にその切り取ったり部分を見たりとか、
何か変にこう構造で整理したりとかっていうことじゃなくて、
そこにあるものをそのままこう見ようとするっていう、
その営みはすごい大事なんだろうなと、
それは見るだけじゃなくて聞くもそうだし、
人の声、人の言葉を聞くもそうだし、
そういうものに何かこうこちらの解釈を入れずに、
何か並べてみる、見つめてみるみたいな、
何かそういう姿勢ってすごいこう、
大事なことなんだろうなというふうに思ってて、
まあ今回のクラファンを通じて、
分かりづらいままでこれからも言おうと、
いう決心をしましたという話。
そういう気づきにもなったんですね、クラファンで。
そうですね、そうだから本当にたくさんの人たちが、
ああ支援してくれた、
みたいな、でも分かりにくいって言ってるみたいな、
どういうことだみたいな、
まあでも逆に言えば分かりにくくても、
何か心が動くものもあったんだ、
そこへの希望というか、
そんなものを感じましたよね。
何かプロセス自体がすごく市民性の情勢に繋がっている気がしました。
そうだといいですね、本当に。
大河さん、アフタートーク。
アフタートークって言っちゃった。
話してみてどうでしたか、今日。
そうですね、やっぱり、
途中、何て言うんだろう、
いい意味ですごく心地良すぎて眠くなった。
ちょっと眠そうでしたよね。
うとうとしちゃうっていうか、
何て言うんでしょうね、人の話ってエネルギッシュなんだけれど、
同時にすごくスーって体に入ってくるときって気持ちが良くなる感じが、
それは例えば本当に友達と会っててもそうだし、
居心地悪いとやっぱり体がゾワゾワしたりとかするから、
本当に沢山の話し方とか、話す内容とか全部でしょうけど、
すごく心地良かったし、
でも思いを語るときに必ずしも、
ドゥイングベースだとおそらく、