2024-09-25 55:59

#8「わかりやすさを手放す」(NPO法人PIECES 斎 典道④)

今回の語り手:NPO法人PIECES 斎 典道 

NPO法人PIECES HP:⁠⁠https://www.pieces.tokyo/⁠⁠


内容:日常のいたる所にある市民性/近くにいるのに遠い人/いるだけで安心する関係性/言語化できない状況のリレー/存在することに意味と価値がある/トランジションと小野田さんとの関わり/組織の存在意義を問う関係性/プロセスにも配慮した資金調達/少しづつ手をつなぐためのクラウドファンディング/無理に分けない/そこにあるものをそのまま眺める姿勢/ノージャッジは心地よい


ようこそsocial hive WAITING CAFE 点描の弧へ。

ここは東京文京区本郷三丁目駅の裏にある、小野田総合法律事務所併設シェアオフィス『social hive HONGO』のメンバーが立ち寄るWAITING CAFEです。

毎週この時間のWAITING CAFEは、決まってメンバーの誰かがふらっと立ち寄って面白い話をしてくださるんです。

まるで世界の見え方がほんのちょっと、変わってしまうような。

※番組へのお便りは、socialhivehongo@gmail.comまでお寄せください。


聴き手 : ⁠⁠⁠⁠⁠岡田壮麻(スタートアップ支援家)⁠⁠⁠⁠⁠

常連 : 和賀未青(株式会社ニイラ代表)

HP:⁠⁠⁠⁠⁠https://niila.info/index.html⁠⁠⁠⁠⁠

制作 : 小野田峻(弁護士/小野田総合法律事務所)ほか 

小野田総合法律事務所 : 

⁠HP:⁠⁠⁠⁠https://www.ot-lawoffice.jp/⁠⁠⁠⁠⁠


X [Twitter] :⁠⁠⁠⁠⁠ social hive HONGO(@socialhiveHONGO)⁠⁠⁠⁠⁠

*ご感想は 「#点描の弧」 でお願いします。

BGM:zippy(作曲家。X [Twitter]:zippy@zippy_zippy_)

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Welcome to social hive WAITING CAFE Tenbyo no Ko.

This is the WAITING CAFE where members of "social hive HONGO," a shared office attached to Onoda Law Office, located behind Hongo 3-chome Station in Tokyo's Bunkyo Ward, stop by.

Every week at this time at WAITING CAFE, one of our members stops by to share an interesting story.

It may be a story that will change the way you see the world just a little bit.

サマリー

NPO法人PIECESの斎さんが、日常生活における市民性の重要性を強調し、人々の小さな願いや思いを大切にする意義について語っています。また、社会的なつながりやコミュニティの重要性についても考察しています。このエピソードでは、NPO法人PIECESの活動を通じて、共感や精神性の重要性について触れています。さらに、コミュニティ内での個々の役割やつながりの価値が強調され、メンバー同士の支え合いがもたらす豊かさが描かれています。このエピソードでは、NPO法人PIECESが直面した組織のトランジションに関する葛藤と、外部からのサポートの重要性について語られています。また、PIECESの理念である「Being」に焦点を当て、社会的な分かりやすさを手放す意義について深掘りしています。NPO法人PIECESの活動を通じて、寄付の重要性や企業との関係構築についても考察がなされています。また、クラウドファンディングの成功を通して、人々が共に支え合うコミュニティの形成を目指しています。このエピソードでは、NPO法人PIECESの活動を通じて、自分らしさを追求し、対話の重要性とその心地よさについて語られています。

00:07
ようこそ、socialhive WAITING CAFE 点描の孤~。
ここは東京文京区、HONGO3丁目駅の裏にある法律事務所併設シェアオフィス、socialhiveHONGOのメンバーが立ち寄るWAITING CAFEです。
毎週この時間のWAITING CAFEは、決まってメンバーの誰かが、ふらっと立ち寄って面白い話をしてくださるんです。
まるで世界の見え方がほんのちょっと変わってしまうような、そんな話が聞こえてくるかもしれません。
socialhive WAITING CAFE 点描の孤~。新しい当たり前をデザインする実践者たちの日常。
市民性の再考
本日のご来店者は、前回に引き続きNPO法人PIECESの斎さんです。
じゃあ、皆さんちょっと今日話してみてどうでした? それぞれ、なんかどちらからでも。
いやー、こんな話で大丈夫だったかなというのが率直に、非常に不安なところです。
なんかあの、抽象に終始しやしなかったかなと思って、できるだけ具体例を入れようと、努力して頑張ってました。
でも、今日なんか改めてこれを終われる中で、なんて言うんでしょうね。
まあ、ずっとPCの中では市民性、市民性っていうことを言い続けてますけれども、
いや、でも本当になんか日常のいろんなところにやっぱりあるんじゃないかなっていう思いを強くしたなと思ってて、
やっぱり言葉にするとどうしても堅苦しい、市民性をさらにそれを醸成するとかっていうと、なんかもう堅苦しい、よくわかんないものになる。
なんかやっぱり日常のそのあたりにきっとあるし、今日家からここに来るまでの間にも、それらに触れてきながら多分ここまで来ている。
でも、それってちょっとなんか注意深く見ないとわかんないことでもあるかなと。
PCの中で市民性を照らし育むみたいな、なんかそういう言い方もしますけど、
なんかやっぱりどうしてもしんどいこと、課題とか息苦しいこととか、そういうものに目が行きがちな中で、
特になんかこういう非営利組織だったり、NPOとかを運営していると、やっぱりそこをどうにかっていう思いになりがちですけれども、
まあその私たち自身がやっぱり一番、そういったものに目を向けていく。
誰かのちょっとした願い、誰かのちょっとした思い、関わりみたいな、なんかここをやっぱり見続けていく、照らし続けていく。
自分たちが何よりそこの心地よさを大事にしていく。
うん、そんなことをこれからも大切にし続けていきたいな、はい、そんな思い。
小さなアクションの重要性
なんかちょっとしたみたいなことが大事なんだなってすごい思いました、聞いてて。
そうですね、どうしてもなんかこう大きなアクション、大文字のアクションっていうものが想起されがちなんですけど、
本当に小さな大文字のアクションっていうか、うん、それでいいと思うし、なんならそのアクション、
DoとかDoingとかなんかそういう世界じゃなくて、そのなんか眼差し、願いを持ってその人がそこにいるっていう、それだけできっとなんか風景変わってくるような気がしていて、
うん、だから何にもできないっていうことに、なんかすごく自分、そんな自分を卑下する必要もないし、
でもなんとかしたいなって思って、その気持ちを大事にしながら、そこにいる、うん、そのこともすごい尊いことだと思うし、
うん、ただその感覚をなんかこうみんなで少しずつこう共有していけるっていう、なんかそれができるといいな、うんうんうん、感じはします。
なんかあり方に関してこう目が向きましたよ、僕は、そうなんかやる方ばっかり最近すごい忙しくて見ちゃうんですけど、
ああ、あり方忘れてたわ、みたいなのをちょっと今日話し聞いて改めてすごく思って。
そうですね、まあだから、そのDoingよりもBeingっていうふうに私たちも言ってますけども、
まあたまにそのBeingだけをこう取り続けていても、もうよくわかんなくなってくるので、
だからちょっとしたこう何かしてみる、ああでもなんかちょっと違うかもな、そしたらもっとちょっとだけなんか違うことしてみる、
うん、でも疲れたらちょっと安い、みたいな、なんかそういうことのこう繰り返しの中で自分何もBeingみたいな。
うん、なんかそこを大事にしていけるようになるのかなというふうに思って、
もうこれはもうとにかくプロセスで、うん、チャットずつチャットずつのプロセスの中でまさに情勢って最初に出てきましたけども、
自分の中で少しずつこう重なったり響いたり、なんか時に崩れたりしながら、でもだんだんだんだん成していくものだったら、
うん、これはだから私自身もですけれども、この市民性みたいなものを、
少し大げさに言えば一生懸けてこう振り続けていくというか、まあ実践し続けていく、そんな心持ちで。
社会的つながりの価値
うん、ソーシャルハイブに参加させてもらって、私2、3年経つんですけど、
本当にまあコロナ禍もあったし、あとやっぱり団体同士でなかなかお会いする機会も、
そうですね、そうでした。
ないし、あとやっぱりまあ当たり前に大事だなと思うのは、一人一人の、一人一人と話してみるしかないんだなーって。
だから、さいさんがソーシャルワーカーであることも、まあよく知っていなかったし、さらにどんな思いを持ってるかとか、どんな考えを持ってるかということも知る余地もない。
うんうん。
それこそ、今まで話してきた中で近くにいるのに遠い人みたいな、それはお互いにそうだって思うし、だからシェアオフィスっていう場が、もしかしたらお互いに透明化してたりするかもしれない。
なるほど。
だから、こういう機会があるのは、私にとってはすごくありがたかったし、おいしい役どころをいただけたなみたいな。
その人を知るっていうことはすごく、まあその先にある未来みたいなのとつながってくるみたいな感じがして、楽しかったです。
ありがとうございます。
透明化の反対って言葉ある?
なんですかね、なんかそこ。
透明化の反対?
そこなんか言いたくないです。
透明化。
なんかその、透明、なんですかね。
彩り?
彩り、うん。なんか彩りが生まれていくその人がその人の彩りっていうのは、なんかちょっと決まらないですね。
輪郭見えてくるみたいな。
そうですね。
あー、そんな感じ。その人の。
でも、もちろんこう、物理的にはそこで見えてるんだろうけども、その人がその人として見えてくる、その上でさらになんとかさ、どうやって関われたら、つながれたら。
まあ、別に全部が全部つながる必要はないけれども。
ないけど。
ないけど、でもなんかそうなっていったら素敵だよなって思うんですけど、やっぱこういうことをね、エッジを立てていけたら、もっとこうPCsは、出力は出るんでしょうけど。
いやいやいや。
なかなかこういうことは難しいね。でも、こういう時間を共にできたということで。
ありがたかったです。
皆さんにとってその、入るソーシャルファイブ本郷って、なんかどういうものなんですか?すごいなんか、ただのシェアオフィスじゃないというか、すごいなんか愛を持って入ってるというか関わってるというか、なんかそんなものもちょっと感じたりしたんですか?
まあ、やっぱりでもそこには小野田さんという人の存在がまずあるんだろうなっていて、なんかただのこう場所をシェアしてるっていうだけじゃない。
なんか少なくとも私にとっては、いやさっきおっしゃった通り、一つ一つの団体の深いところだったり、そこにいる人の深いところまではあんまりこう知れてないなっていうふうには思うんですけど、でもなんか小野田さんのフィルターって言ったらあれですけども、思いとかそういったものを通して繋がっている人たちがここにいるっていうことがまず私にとっては最大のエンパワーメントというか、
やっぱり私たちのフィーシスもフィーシスとして思いを持って活動してるけれども、やっぱりどこかで孤立感を覚えてしまったりすることもあるんですけど、やっぱりここでもう私は勝手に同じ小野田シェアを持った仲間同士みたいなふうに思ってるんですけど、
やっぱりその存在が直接的に何かこうもたらす利益とかってこと以上の存在が勇気を与えてくれるというか、私たちもこのまま頑張っていけばいいのかなっていうふうに思える、なんかそんな感じでは、さっき言った景色みたいな感じの一部になってますね。
そう言われてみればね、確かにね、その視点では見てなかったけど、ありますかね、なんかだからまさに影響を与えられているかどうかはわかんないですけれども、与え合っているというか、少なからず響き合いながらこの人たちがいることで私たちが何者かっていうことがわかったりとか、
こういうところで今共通している何かこう、振動さみたいなものもあるよねっていうことも時々共有し合ったりとかもね。
そうですね、なんかそういう意味では一つの景色を作っているかもしれないし、その中でお互いがお互いをもしかしたらなんかこう生かし合っている極端に言えば、なんかそんなことはあるかもしれない。
絵も知れない、その言語化されていない、なんかこう根底の何か繋がりみたいな、なんていうか、そんなものを僕ちょっと感じてるんですけど、これって何なんだろうって。
そこはにしにくいですよね、そこはね。
安心感っていうのも目に見えないけど、よくある起業家コミュニティみたいな、よくあるって言ったらそんなにたくさん言ってるわけじゃないんですけど、
行くとちょっとすごく尊徳感情がギラギラしているみたいな空間を目にしたり体験したりしたことがあって、私はちょっとうーって下がっていっちゃうみたいな。
まあ、もちろんそれこそビジネス、お金の話は大事なことなんだけど、思いとかにあんまりフォーカスされないとかっていうのの場にはちょっと言いづらいなあっていうのがあって、
それはすごくそうじゃない場っていうのは、結構あんまりないのでは、そんなたまね、たくさん知ってるわけじゃないんだけど、それだけに逆に言うと、もしかしたらさっきのちょっと遠い存在になりがち。
お互いの認識はすごく認知もしてるし大事にしてるけど、踏み込まないという面もあるかもしれない。
なんかでも私は一方で、ここにいる人たちのことをそんな深く知り合わなくてもなんかいいなと思って、それこそ喋らずとも存在してること、その安心感というか、
すごい対話をして、価値観が何なのかみたいなことをやらなくても、野田さん通じてここにいるって、もうそれだけでなんかっていう感じはあるかなって。
いるだけで、なんかこう応援されてる感じなんですか?
応援?
応援もしてないみたいな。
なんだろう、励まされてる。
安心?
そうだね。
すごい面白い感覚ですね。
だからここの特徴としては、新しい団体が加わった時とかに、これからもそうであるかわかんないですけど、なんか特に対面で何か紹介し合うかとかもないし。
ないない。
この人誰か?
みたいな。
ふと誰かの会議相手として、お客さんとして来た人なのか、ここの人なのかもわからないみたいなことが時々ある。
でもなんかそれが2回目とか会うと、なんとなくここの人かと思って、ちょっとはじめましてみたいな感じで声かけてみたいなところ、なんか別にでもそれで成り立っていて、なんか私は別にそれでも一つの形かなって。
特に最近移転をしてきて、すぐ近くの場所から変わって、ちょっとこう、よりコミュニティ感が少し作られたなというふうに思ってて。
自分たちの場所というか、なんなら掃除とかも本当に一緒にみんなでやろうかみたいな、なんかそういうこととかも。
学校みたいですね。
うん、あったりとかして。
でもなんかこの人たちとだったら別に、この人たちのためだったらなんか自分の人生が少しこう使われていっても全然私はなんかいいなと思うし、
感覚と共感の重要性
このコミュニティの中にいる人たちがなんか発展していくっていうことがきっとなんか私たちの方にもなんか繋がってきそうだなみたいな感覚とかもあって。
まあなんかちょっと言葉にすればするほど若干なんか感覚と少し離れているような気も今しつつですけど、まあでもどっちかというと本当感覚です。
へえ。
私はほまれって感じがする。
ほまれ?
ほまれ。
誇らしいとか、そういう感覚もある。
入れてもらえてよかったと思ったし、
まあね、私一人でやってるっていうこともあるけど、そう仲間がいる感覚が得られる。
もちろん個別に具体的な相談をいきなり持ちかけるってことはきっとあるやないやわからないけれど、
でもなんとなくみんな頑張っている仲間にちょっとお尻についてる感じがする。
私は2年、3年ぐらい前だから、おそらくも割とPCSとか頑張っている団体が先に行ってる感じがするから、
そこについていける感覚とか、ついていくっていうよりは見ていられるっていうか、ちょっと近くで見ている感覚があるとか。
別に何かコミットしてるわけじゃないけれども。
あとはもう本当に何か共通している精神性みたいなものは確実にあるなと思っていて、
これまで別に打ち合わせなんて一度もしたこともないわがさんが、何度も対話を重ねてきたかのように、
PCSの中で使われている言葉が出てきたりするわけだよね。
意識とか透明とか。
そうそうそうそう。瞬間的にわかるわけで。
これはきっとオノダイズンみたいなものがあると。
何か共通している精神性みたいなものがあるし。
でもそれでもちょっと向かう方向だったり、成し遂げたいと思っていることは違っていて、
でもそれがむしろいいんじゃない?
そこが違うことすらむしろいいじゃない?
違うからはいい。
違うほうがいい。
違うほうがいいですね。
共感の精神性
そんな場所ですかね。
弱肉強食感がないです。
全くない。
それがすごく私は好き。
間違いない。
おっちい。
そうね。確かにね。
私もそう。割と同じような時期に立ち上がったNPOとか組織とかに対して、
若干ちょっと時々ジェラシー感じたりとかっていうのはありますよね。
ここの人たちはないです。
面白いです。
そのジェラシーを分かつものって何なんですか?
何ですかって。
分かんない。
ノンジェラオス。
少なくともね。
何だろうな、それ。
面白いですね、確か。
他の団体に人たちがどう感覚かは分かんないけれども、
ぜひここから続くゲストの人がいるのであれば。
どんなふうにね。
伝わらない、言語化できないこの感覚をディレイで伝えてください。
だんだんね。
一回目有利ですね。
一旦ここまで行ったよね。
ここから先よろしくって。
受け取れるかどうか分かんないですね、次の人。
例えば私だったら、
PCさんっていう大きくなっていってる団体を見たときに、
シェアオフィスにあえている意味とか価値とかっていうのも、
おそらくあるだろうし、
変な話、リモートとか働き方でシェアオフィスが全然合ってるから
っていうだけでもないような気がするんですよね。
所属してる意味みたいな。
その辺ってすごくここの面白さ。
自団体で変な話、借りれたりしてるぐらい大きくなっていっても、
ここにいる意味とか価値とかが多分。
答えと言ったら変だけど。
まあそうですね。
そうですよね。
まあなんか、PCズームは別にそんな財政的にというか、
別にそんな豊かな話だけしてないですけども、
それでもなんかここにいるって、
前提としてPCズには10人、社員10人、
関西に5人、4人、半分は関東にいて、
関東にいるメンバーも千葉の結構南の方にいたりとか、
神奈川っていっても鎌倉の方にいたりとかっていうので、
そんなここにみんなが頻繁に来てるわけでは実はなくて、
まあ時々こうイベントやること、会議をやることっていうのは、
あとは時々家でやるのが飽きたりした時に、
こっち来たりとかっていうので、
でもなんかここにいる意味というか、
ここに来ることで、
さっきもちょっとキーワードとしてちらっと出たかもしれないですけど、
変に調和しすぎちゃうというか、
普段自分たちだけでやってると、
自分たちの中だけに留まっちゃう。
PCズはPCズとして、ある意味そこは調和をしてるんだけれども、
横からなんかちょっと違う団体の声が聞こえてきます。
それこそ同じ精神性を共にしてる人たちの声なので、
聞き耳立てちゃったりするわけですよね。
そうすると、私たちが一つ調和してるところに、
少し不協和音にはならないですけれども、
なんか違う声が入ってくる感じとかがあって、
そこら辺はなんか面白いなというか、
一瞬自分たちとは違う世界の話。
全く違う、なんかここで食べ物の話とかを
横でされててもまた別に違うし、
でも同じようなフィールドも違うかもしれないけれども、
まさに精神性ですよね。
思った人たちが何かこう会話をしているとか、
そういうところに触れることで、
自分たちはあくまでも生態系の一部なんだみたいな感覚を
持てたりすることもあるなと思ってて、
その辺はここの面白さなのかなって。
みんなバラバラなように言っても、
なんか近しいよね、でも全然違ったりとかいう、
なんか不思議なメリッティな。
聞いててもやっぱ不思議な感覚で聞いてますね。
個々の役割と助け合い
仲良くしましょう圧がないですよね。
まずないですね。
それが心地いいかな。
あとはそうですね、小野川さんと最大限にリスペクトしつつも、
小野川さんを抜けているところとか、
抜けすぎた。
最大限の経緯を込めて雑なところとか、
最大限の経緯。
人間味がね。
人間味があるわけですね。
溢れてる。
ユーマニズムね。
でもそうするとなんかちょっとそこを埋めたいっていう動きが生まれてきたりとか、
なんかそこはちょっとこうみんなでどうにかしないといけないよねみたいな風になっていったりとか、
なんかそういうところもあったり。
共同体っぽい。
そういうところもありますね。
ちゃんと資料じゃなくて埋めたいなんですね、みなさん。
そうですね。
助け合い。
そりゃあ一人でそれは無理だよねみたいな。
無理無理無理無理。
忙しいしねみたいな。
授業とかもそうですけど、みなさんなんかそれは手段で目的じゃないんだろうなってすごい感じましたね。
在り方をなんかみんなで追ってるというか。
そうですね。
そうかもしれない。
こんなことを僕は感じましたね。
それがたぶん心地いいのかもしれなくて、
The Fishes on Fishesで自分たちが絶対だと思ってないし、
他の団体もしかしたらそこは同じかもしれない。
でもさに同じ土壌を共にする人たちの中からもいろんな動きが飛んでいって、
でもなんかこうそれぞれはそれぞれでいいし、
なんかそういう感覚もあり。
だからそこにいるっていうことがやっぱり。
大事。
全部何でもかんでも意味は必要ないとは思いつつも、
でもなんかこのソーシャルハイブ本号にFishesがいることに意味って言ったら、
まずここにいることって。
なるほど。
答えになってないかもしれないですけど、
そこの価値。
感覚なんでやっぱりこう、論理ではなかなか説明できないと。
確かに僕はなんかそこ入ってんのかもしれない。
分かんない。
なんかそういう個人の生き方とかをどう捉えてるんですかっていうのと、
今後どう生きていきたいのかみたいなのって。
さにさんの。
どんな感じなんですか?
すごい。
自身の生き方ですか。
はい。
でもあんまりこう、もう本当にこれは私個人ですけれども、
あんまりこう未来をどうしていこうとかっていうのはそんなにじゃなくて、
どっちかというと過去に意味づけをいい、
勝手にいいふうに意味づけしていく生き方をしています。
その時の流れに身を任せながら。
でもなんか自分の心には素直でいたいなというふうに思ってて。
だからPC図もやっぱこれメンバーが増えてくると、
やっぱりいやでもこう目標をやっぱり立てていかなきゃいけないんじゃないですかねみたいな声とか、
そういうのも当然あるし、
自分自身もどこかではそういうものも必要だなと思いつつも、
でもやっぱりその信じて祈る系アクションなので。
やっぱりどこかでやっぱりそのコントロールが難しいってことも分かってるし、
っていうふうになっていくと、
やっぱり今その時その時自分たちのエネルギーの源泉となるもの。
それを大事にしながら未来を見据えていく。
でもそこはあんまりこうしていこうしていこうってことをがっちり決めるというよりは、
自分たちのそのビーングの方を大事にして。
何やるかっていうのは別に究極なんか何でもいいと思って、
それが大事というよりは自分たちの持っているビーングというものをきちんと、
その時その時の事業に反映させていくっていうことなんだろうなというふうに思ってるので、
そういう意味ではもしかしたらそれが息苦しいふうに感じるメンバーもいるかもしれないし、
それがすごくこう、
私にとってなんか良くないなっていうふうになったらまた変わっていくかもしれないですけど、
今は自分の人生、
切り離した方がいいのか分からないけれども自分の人生がそうあるように、
あまり未来をどうしていこうとかっていうよりは、
その時その時の感覚とか、
現れてくるエネルギーの源泉がどこにあるのか、
みんなは何を願っているのか、
でもそこは大事に、
とにかくしていきたいということになってます。
ありがとうございます。
すごい。
やっぱビーングを問い続けたいんだなっていう感じがします。
なんでなんですかね、こんな。
その一端も面白いですね、自然と出てくるというか。
そうですね。
なんかの反動なんですかね、これはね。
何があるんでしょうね、さゆさんのそこに。
確かにビーングビーングうるせえですね。
そんなことない。
そんなことない。
なんかどこかやっぱりこう、
あるんでしょうね。
基本だからでもひねくれってはいると思って、
昔からこう列に並ぶとかすごい嫌いなんです。
みんなが一列に並んでるとちょっとなんか自分だけずれたくなったりとか、
調和もどっかで大事にしてるから、
でもなんか迷惑かけない系だったりとか。
でもなんかそう、
でも社会の全体を見渡すときにやっぱりこのルーインというか、
何をやるかとかどうやるかみたいな、
なんかそこがやっぱり強すぎるな、
だったら自分たちはこのあり方のほうじゃないかなみたいな、
組織のトランジションと葛藤
そういうこうあまり多くの人たちがやってない頃だったり、
そこに行きたがってしまう。
なんかそういうのはもしかしたら働いて、
なんかついついそれはやっちゃってたって。
だと思いますね。まさに市民性かもしれない。
私の市民性というか。
ソーシャルハイブ、ウェイティングカフェ、天秤の子。
新しい当たり前をデザインする実践者たちの日常。
本当に今はPCsにとっては、なんて言うんでしょう、
PCsのこれまでの変化のプロセスには、
常に小野田さんが与えてくれた影響も大きいなと思っていて、
少し遡りますけども、
最近も大きな一つトランジションがあって、
でもさらに何年ですかね、もう6年ぐらいになるのかな。
2018年、19年ぐらいに、
それまで大事にしてきた2つの事業みたいなのを、
2つに分けていくというか、
実際に組織としては分社化するというか、
新しい法人が立ち上がっていったプロセスがあって、
当時の副代表だったメンバーが、
新しい法人を作っていったんですけども、
大概的には多少綺麗に見せてはいたけれども、
見え張って。
でも実際には結構ドロドロした感じとかもあって、
思いが強い人たちが当然やっていたものなので、
それぞれに譲れないこともあったし、
実際に組織のリソースみたいなものも分けていくときには、
じゃあお金はどうするのとか、
そういったものも回ってきて、
ある時なんか少しコンフリクトというか、
衝突というか、そういった局面だったんですよね。
ちょうどオーナーさんが関わってたのがそのタイミングぐらいで、
こういうなかなかうまくいかなさがあって、
みたいな相談をしたのが本当に最初の頃の関わりだったんです。
なんて言うんでしょう。
ともするとやっぱり紛争というか、
対立の構造になってしまいがちなところを、
オーナーさんは一貫して私たちが持っている力みたいなものを
大事にしていただいていて、
当然全部が全部綺麗にいったわけじゃないんですけれども、
思いを持った人たちがいる、
そこへの最大限のリスペクトをしてくれた上で、
本当に綺麗に分かれたわけではないんですけれども、
そこにいろんな後悔もあるんですけど、
でも自力じゃ絶対にトランジションは乗り越えられなかったところ。
単に弁護士なら誰でもよかったわけじゃ全然ないなと思っていて、
やっぱり社会的な事業に取り組む人たちのマインドみたいなものとかを含めて、
そこへのリスペクトを持って関わってくれたっていうのが一つあって、
直近の方のトランジション、ここ本当に1,2年ぐらいの中で、
私自身最近代表になって、これまで事務局長という立場だったんですけど、
NPOになって8年で、それまでずっと創業代表だったイブキさんという人が、
本当に私たちにとっては大きな存在なんですけど、からバトンを受け取って、
ともするとやっぱりイブキさんにとってもPCsって愛着のある大事な存在だし、
それをバトンを渡していくっていうことになるので、
当然きっといろんな葛藤もあっただろうし、
私自身もイブキさんのPCsだったっていう感覚があって、
それを自分がそのバトンを受け取っていいのかどうかみたいな葛藤とかもすごいあって、
結果的に本当に2年間のプロセス、いろいろ対話をしたり、
逆にコミュニケーションを取ることをやめる期間を設けたり、
少し休息をしようみたいな、
大事な決定をするには今エネルギーが足りない、
もっとエネルギーが回復してから対話をしようみたいなこととかもあって、
でもやっぱりその間にもいろんな思いが出てきたりとかっていう、
その思いをすごく大事にしてくれていて、
サポートの重要性
なんて言うんでしょうね、
これは小野さんともお話をしてましたけど、
ともするとコンフリクトが起きるような局面で、
紛争というか当事者の力というか、
そこは自分たちがその力を持っているってことすらも見失いかけるような局面なんですけども、
小野さんはじめ、他のメンバーも、他のサポーターの人たちもそうですけども、
自分たちの願いとか、ウィルみたいなもの、
それをとにかくやっぱり大事にしてほしいという、そのメッセージを届け続けてくれていて、
だからある種、本来弁護士的な関わりだったら、
ロジカルにやるところはロジカルにやっていくし、
なんて言うんでしょうね、法律に基づいてみたいな、そういうのもあるんでしょうけど、
本当に私たちが持っている力っていうものに対図を築かせてもらいながら、
自分たちでこの衝突というか対立というか葛藤というか、
そういったものを乗り越えていったっていう感覚が、このプロセスを経て残っている気持ちなので、
その辺はすごい関わりに対する尊さというか、
尊い。
マジでありがとうございますみたいな、そんな感じですかね。
じゃあ改めて、そのPCsってどういう団体だろうとか、
どういう思いで始まったんだろうみたいな、引き戻してくれるみたいな関わりがあったっていうことなんですか?
そうですね、そこはもう本当にこのトランジションのプロセスはもちろんなんですけども、
なんかやっぱりそもそも、普通に小野田さんをすごい当然リスペクトはあるし、
別に誇張しているつもりは全くなく、
本当にPCsの真ん中にあるものに常に私たちは引き戻してくれる存在というか、
PCsの掲げているものってやっぱり分かりにくさがあるというか、
ともすると社会で求められる分かりやすさだったり、
それこそ人の変容とかっていうのをひとつとっても、
何かできるようになることだったり、何者かに変化していくっていう、
何かになるっていう、あるいは何かができるようになるとか、
そういうことの方が大事にされる中で、
PCsってあり方に絶えず働きかけてるっていう、
だからそのDoingとか、DoとかHaveとかってことじゃなく、
Beingっていうものに目指しているPCsっていう、
それが行う事業ってどういうことなのかとか、
組織のあり方とかも含めて、
ファンドレイズとかもそうですけれども、
PCsがとっていいファンドレイズの手段って、
そのBeingに目指すんだったらこういうことじゃないみたいなことを、
絶えず問いかけ続けてくれるというか、
そういうところはあって、
私たちも安気に流れていってしまうとかっていうのはどうしてもあったり、
お金を得るためにはみたいな風になりがちなんですけれども、
いやそうじゃないよねみたいな、
他の団体とそれじゃ似通ったものになってっちゃうよと、
PCsがこの社会に存在するって、
そういうことじゃないよねみたいなものを、
絶えず投げかけ、問いかけ続けてくれる。
それは本当にトランジションのプロセスに限らず、
この間6年とかですかね、
本当にずっと、問いという形だったり、
時にすごい圧のあるプレゼンテーションみたいなものなんかしてくれて、
本当にたくさんいろんなインプットを与えてくれて、
本当にそれが今私たちのPCsのコアのところにあり続けているなっていう感じはあります。
事業とかの進め方とかハウじゃなくて、
その幹みたいなところに対する語りかけというか、
関わり方っていうのがすごいあるんだなっていうのを聞いていて感じます。
そうですね、逆に言えば事業のやり方とかハウの部分とか、
そこって何でもいいというか、
幹の部分さえしっかりしていればそこから出てくるものって、
ちゃんと自分たちの願いにかなったものになっていくよねと。
でもむしろ小手先のものだったりとか、
社会一般で言われる分かりやすいことだったり求められていることだったり、
そっちに引っ張られていってしまうところがやっぱりどうしてもあるから、
だからこそ自分たちが何に目指しているのかっていう、
幹であったり根の部分ですよね。
そこを見つめ直し続けていられているっていうのは、
本当に小野田さんの存在なしでは起きえていないなっていう感じがあります。
PCsの理念「Being」
それこそ小野田さんの存在があったからこそのPCsみたいな。
ね、気づいたらそんな感じになってますよね。
何でしょう、このソーシャルハイブ本号に他にいろんな団体にも関わっていると思うんですけれども、
それぞれ本当にいろんな関わりがある中で、
PCsと小野田さんとがディスカッションしている場って、
ずっとそんな話をしているというか、
あんまり普段は弁護士的な関わりというよりは、
自分たちの存在意義だったり、
自分たちのやっていることが目的にかなっているのかっていうことを
絶えず反するというか、
そんな時間が繰り広げられているので、
初めて小野田さんとディスカッションする新しく入ってきたメンバーとか、
驚いてます。
この人は何なんだ、みたいな。
どういう視座、視点で、
そういう話が出てくるのか、みたいなものが驚いてますけれども。
でも、だんだんだんだんと癖になるというか、
やめられないみたいな。
なるほど。
さっき代表交代のところで、話し合い用の時間が1、2年あって、
その間にコミュニケーション取れる時と取れない時があって、
っていうあたりの第三者的な存在って、
小野田さんがいになってて、
それがなかったら、多分今はないだろうって、
さいさんは思っている。
そうですね。
そこは小野田さんだけというわけじゃないですけれども、
その第三者的な存在やなしには、
本当に今こんな健やかにはいられない。
でも、そこって結構代表のナイフみたいなところって、
どこもあると思うんですけど、
結構オープンにしているじゃないですか。
そうですね。
全部じゃないけれど、
そこらへんはやっぱりすごいなと思って、
私はそういう出てきたものを見るだけの立場だけど、
私自身も前の組織が病院だったんですけど、
顧問弁護さんがいて、
やっぱり不思議なもんで、第三者が入ると、
ある程度の緊張感みたいなのもあるし、
あと理解してくれて、
お互いの話を聞く上で、
ちゃんと中間点というかな、
解決点に向かうっていうものが見えてると、
人ってそこまで争わないのかなと。
すごい揉めてるレベル感が違うかもしれないけど、
そこそこで。
そうですね。
そういう意味では、
小野田さんというよりも、
弁護士の存在というか、
本当に組織が生まれて3年、4年、
それこそ小野田さんと出会うまではあまり分かってなかったですけども、
組織内の対立とか紛争とかみたいな話もあるし、
私たちも特にいろんな団体さんとか企業さんとかと、
コミュニケーション取る協業する機会もたくさんありますと。
でもこれ、自分たちが持っている財産とか資産とか、
意外と無自覚で、
それを安売りしてしまっているところがあったりとか、
自覚なくそういったものを、
寄付と企業の関係
丁寧に扱えてないとか、
そういうこともあって、
一つ一つの協業をするにしても、
あるいは寄付をいただくとかということにしても、
契約みたいなものを落とし込んでいく。
そこで自分たちのポリシーというものを持って、
いろんな企業や団体さんと手をつないでいられるっていうのも、
すごい大事な部分だと思っているんですよね。
だから寄付とかも分かりやすいですけども、
企業さんから寄付の話があったときにも、
何でもかんでもいただきますってするのは、
必須的にはあんまりしたくなくて、
やっぱりお金っていうものが、
その企業によってどうやって生まれたお金なのか、
それこそ今でいうとビジネスと人権みたいな話がありますけども、
本当に人権といったものが大事にされた、
それこそサプライチェーンの中で搾取されている人がいないかとか、
そういったものまで見配りをしていくことは、
寄付をいただく側の責務でもあるんだろうなというふうに思っていて、
そういうポリシーを作っていったりとか、
それに基づいて関係性を築いていくとか、
寄付に限らずいろんな共同とかもそうですけど、
そういうちゃんと自分たちのフォーマットみたいなのを持っていて、
契約とかって私でもちゃんとまとめていってみたいな、
そこら辺は意外とPCSに限らず非営利な組織とか、
できているところも当然あると思いますけれども、
意外と見落としているところもありそうだなというふうに思っていて、
その辺とかっていうのは気をつけなきゃいけないというか、
ついつい思いファーストで税減りましょうみたいな、
話を前に進めたがりますけれども、
そこで後ろから引っ張ってもらうというか、
手綱を引っ張ってくれる存在という意味で、
第三者的な存在、税理士さんとかもそうかもしれないですし、
弁護士さんとか、
そういった存在がもっともっとこの分野に関わってきてくれると、
きっといろんな人たちが幸せになっていくんだろうなという感じはありますよね。
クラウドファンディングの成功
さいさん、PCSのほうでクラウドファンディングをやられたということなんですけれども、
すごく大成功だったと。
いやー、大成功なんですけど。
大成功。
ヒヤヒヤでした。
いやー、終了、45日、50日ぐらいのクラウドファンディング期間があって、
今回500万円という大きな目標を設定してやったんですけども、
達成したのは終了9分前。
9分。
そう、私も見てましたもん。
3日前までまだ50%台だったんで、
300万円いかないぐらいだったんで、
いやー、これはやべえぞという中で。
でも500人で500万。
そうなんです、そこがすごい誇りの部分で。
傾斜がないんですか、全然。
そうじゃなくて、500万円の金額、
例えば1人当たりの金額が大きいところだと、
例えば100人とか200人ぐらいで達成できる金額っちゃ金額。
支援者の数が、50万円出す人がいたり100万円出す人がいたりすると、
今回だから500万円を500人の支援者に達成したっていう。
私もその1人。
っていうところは一個誇りで、
でもこれって本当にこのPCSが、
今回このクラウドファンディングで取り組んだことって、
何かわかりやすく建物を作るとか、
プロダクトを作るとか、
そういうことではなくて、
これまで話してきたように、
本当に子供の周りにいる、
信頼できる人たちっていうのが増えていく。
そのための仕組み作りというか、
文化作りというか、
そういったものをやっぱりやっていきたいと。
さらにこれまではこのPCSがプログラムをずっと提供し続けてきたのを、
いろんな団体とか企業さんとか、
いろんな機関の人たちと手を繋ぎながら広げていくっていう、
ちょっとそのモデルチェンジに取り組み始めていて、
そこを加速させていくためのチャレンジということで、
今回位置づけたんですけど、
私たち自身この市民性を広げていくっていうところで、
少しずつみんなでっていうのが、
結構キーワードだなと思っている。
誰か1人のスーパーマンが誰かを助けていくとか、
そういう世界ではなくて、
みんながまず自分のことを大事にしながら、
プラスアルファ周りにいる人たちっていうのに、
自分の手の届く範囲で、
支えになっていったりとか、
逆に支えてもらったりとかっていう、
ちょっとずつみんなでできることで関わっていこうよ、
みたいな話かなと思っていて。
今回のクラファンにおいても、
本当に1万円とか3万円とか払ってくださっている人に、
少しっていう言葉を使うのは適切か分からないですけども、
でもその500万円っていう金額の目標っていうのを、
500人の人たちの支援によって達成できたっていう、
なんかすごい100人の人で500万円を達成するよりも嬉しいというか。
分かりづらさの意味
圧巻でしたよね。
最後はね。
なんか人の団体なのに私がドキドキ。
ずっとなんかあの日スマホ見ちゃいました。
そうなんですね。
いやなんかやっぱりその、
応援の3日前ぐらいが結構ね、
あ、もうこれやばいかもしれませんっていう西さんの結構メッセージが、
ポストがあったりして、
うわ、それは大変だみたいな。
ああいう時のこうなんか熱気みたいなのってすごいある。
そうですね。
伝わる感じがあったなって。
あの前のこの回で、
その瞬間風俗があんま出にくいみたいなことを言ったかと思うんですけど、
出たんですよね。
あそこら辺からなんかガラッと変わった感じ。
結構私の知ってる人でもPCsのこれ応援しようよみたいなの見たりとか、
不思議だなって。
そうですね。
応援のこう広がりが、広がり方が。
まあ分かりにくい取り組みだとは思っていて自分たちでも。
だからそのクラウドファンディングのページを見ても分かんないし、
正直言われることもたくさんあったし、まあそうだよねみたいな。
でもその中でもなんとなく、
よく分かんないけどなんか大事そうみたいな声をたくさんいただいて、
なんかそれが面白いなと思って。
よく分かんないけどでもなんか大事そうって、
ああ思ってくれたみたいな。
伝わった。
なんかそういう意味ではちゃんと理解はしてもらえてないかもしれないけど、
なんか感じるものがあったり伝わるものがあったのかもしれないなと思っていて、
なんかまあそれでもいいじゃんというか。
なんかね、終わった後のサイさんの投稿が、
フェイスブックの投稿がすごいインパクトがあったっていうか。
あの分かりにくいままでいいじゃないみたいな。
そうそうそうそう。それがちょっと投げやりな感じでもないし、
すごくシンプルなんだけど伝わる感じがした。
そうなんですよね。
だからなんかこう分かる、
だからピーシーズは分かりづらいままでいいじゃないかって、
このクラファンを通して思ったよみたいな、
まあそういうとこだったんですけど、
あそこで書いたことでも、
なんかこう分かるって、
こう分けるっていうところから始まっていて、
で、なんかこう分けて物事を、
分けて物事を分かりやすいように思って、
分けていくっていうことって何かを定義していったり、
何かを区切りを作っていくってことだと思っていて、
でも大事なことって分けられないところにあるんじゃないのかな、
みたいなこととか、
なんかその、
ピーシーズで大事にしてる間みたいなこととかも、
いろんなものの重なりとか連なりとか余韻、余白みたいな、
何かそういうものの中に生まれるものだろうなというふうに思ってて、
何かそういうふうに考えた時に、
何かこう分けるっていうことから生まれる分かるって、
何かそこは逆に求めなくてもいいのかもしれないというか、
その余韻、余白みたいなものも含めて何かこう感じ取ってもらいながら、
コミュニケーションが取れていけば、
それはそれで一つの在り方なんじゃないかなみたいな、
で、これとかもう何だろう、
それこそ大野田さんとかとのディスカッションっていうのは、
すごい影響を受けているというか、
で、当然その分からない、対象は分からなくても、
それを分かりやすく伝えていくことはできるし、
それはしていきたい、
その努力は続けていきたいとは思ってるんですけども、
でも何かその分かりにくいものを、
何か変に切り取って分かりやすくするって、
それ社会のこう実態みたいなもの、
あるいはその人の持ってるその何か解像度みたいな、
何かその歪めてしまうんだろうなというふうに思ってて、
何か社会に起きていることがあるがままを、
そのまま捉えていくというか、
当然何かその全部を捉えることなんて難しいけれども、
変にその切り取ったり部分を見たりとか、
何か変にこう構造で整理したりとかっていうことじゃなくて、
そこにあるものをそのままこう見ようとするっていう、
その営みはすごい大事なんだろうなと、
それは見るだけじゃなくて聞くもそうだし、
人の声、人の言葉を聞くもそうだし、
そういうものに何かこうこちらの解釈を入れずに、
何か並べてみる、見つめてみるみたいな、
何かそういう姿勢ってすごいこう、
大事なことなんだろうなというふうに思ってて、
まあ今回のクラファンを通じて、
分かりづらいままでこれからも言おうと、
いう決心をしましたという話。
そういう気づきにもなったんですね、クラファンで。
そうですね、そうだから本当にたくさんの人たちが、
ああ支援してくれた、
みたいな、でも分かりにくいって言ってるみたいな、
どういうことだみたいな、
まあでも逆に言えば分かりにくくても、
何か心が動くものもあったんだ、
そこへの希望というか、
そんなものを感じましたよね。
何かプロセス自体がすごく市民性の情勢に繋がっている気がしました。
そうだといいですね、本当に。
大河さん、アフタートーク。
アフタートークって言っちゃった。
話してみてどうでしたか、今日。
そうですね、やっぱり、
途中、何て言うんだろう、
いい意味ですごく心地良すぎて眠くなった。
ちょっと眠そうでしたよね。
うとうとしちゃうっていうか、
何て言うんでしょうね、人の話ってエネルギッシュなんだけれど、
同時にすごくスーって体に入ってくるときって気持ちが良くなる感じが、
それは例えば本当に友達と会っててもそうだし、
居心地悪いとやっぱり体がゾワゾワしたりとかするから、
本当に沢山の話し方とか、話す内容とか全部でしょうけど、
すごく心地良かったし、
でも思いを語るときに必ずしも、
ドゥイングベースだとおそらく、
対話の重要性
わーってなるんだろうなって今思ったし、
ビーングっていうところで言うならば、
それは非常に体にフィットしてるから、
体に入ってくる感じがした。
耳心違いとっても良かったなって。
すぐ僕が聞いてもパッと分からない、
この抽象的な言葉でつながるみたいなのがきて、
すごい面白いと思って僕も聞いてました。
なんか何かがつながってる。
僕の見えない何かが。
そうですね。同じだから福祉職だからといって、
こういう会話が成り立つかって言ったら、
意外となくって、むしろちょっと前に出た、
二項対立的な話にも割となりがち、
スキル優先な人とか多いので、
なるほど。
どっちかっていうとこうあるべき、
ということが優先される人の方が、
そういうことを言う人が悪いわけではなくて、
私がふわっとしている分、
そこに対立構造がある。
そこに対立構造が出てしまったりもするので、
そういう意味では、そのどちらでもないっていうのが、
すごく心地が良い。
なかなかできない。
多分それを同じように思っている人もいっぱいいるんでしょうね。
ね。
人との会話とか、
おしゃべりとか対話とかいろんな表現方法ありますけど、
こういうのが一番いいよね。
前。
ノージャッジだったんだろうなと。
評価とかジャッジがなかった?
だから、多分気持ちがいいし、
眠くなるし、
安心していられるんじゃない?
そうですね。疲れない。
これは聞いててすごい、
人間してるなっていう、
すごい抽象的ですけど、
自分らしくあろうと、
もがいて、それをさらに楽しくやってるなっていう感覚が、
聞いてて思って。
言い方ちょっとあれなんですけど、
可愛らしくて愛おしいみたいな。
ちょっとだいぶ語弊があります。ごめんなさい。
いいですよね。
多分、ここにいる人たち全員知ってるわけでも全くないですけど、
自分らしくあろうと、
もがいて、それをさらに楽しくやってるなっていう感覚が、
知らないし、なんなら知らない人の方が圧倒的に多いんですけど、
自分がやってることを、
第一優先にしてるのかもしれない。
社会起業家とかって言うと、まだ馴染みもないし、
それってどういうことですかって、
私自身も社会起業家ですってなかなか言えないですけど、
それって、自らがまずやってる、
チャレンジしてるみたいなことはあるのかも。
スモールでも。
大きい社会課題に対して、
自分がやってるっていう感じがあるのかな。
自分たちもそうあればいいなって思いますよね。
いいんだね。
カフェの閉店と次回の案内
本日のカフェの営業はここまでになります。
今回、カフェに立ち寄ってくれたのは、
NPO法人PCSの西さんでした。
授業内容について興味のある方は、
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概要欄からご確認ください。
概要欄からは、ソーシャルハイブ本郷を運営している
小野田総合法律事務所のホームページも
ご覧いただくことができます。
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それではまたのご来店。
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