1. ヘルスケアスタートアップRADIO
  2. #15 ヘルスケアスタートアッ..

<内容>

-ぜろひゃく訪問看護リハビリステーションで働く理学療法士大石さんの半生

-その人の人生を見て日々学ぶ事が楽しい

-人が人を変えることはできない

-リハビリをする方が何に関心があってリハビリするのかを考える


ヘルスケアスタートアップRADIO!

エニケアのミッション(存在価値)、ヴィジョン(実現したい世の中)、バリュー(その実現に向けての貢献)をお伝えしてます。

持続可能な医療介護を世界でつくる。 Any care to anybody. 


日本の医療介護の社会保障制度は限界にきています。原因は少子高齢社会による人口ピラミッドの崩壊、財源不足、そして従事者の供給不足。

この課題に対してエニケアは、医療介護の産業を持続可能な状態に変革し、誰もがあらゆるケア(any care)を受けられる世界を作ることで実現をしていきます。


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持続可能な医療介護を世界でつくる。
このポッドキャストは、持続可能な医療介護の世界を実現する事業を行うスタートアップ企業を中心に、
その未来や現在を共に考える番組です。
エニケアは、医療介護の産業を持続可能な状態に変革し、
誰もがあらゆるケア、エニケアを受けられる世界の実現を目指しています。
スタートアップのリアルな現状や、医療介護業界の現在や今後の動向、
それにまつわる課題にどう取り組んでいくのか、
すべて積み隠さずお届けする医療介護特化のスタートアップチャンネルです。
皆さん自身や親御さん、親戚に必ず来る医療介護のことについて、
今日は一緒に考えてみませんか。
皆さんにも必ず来る未来を共に考えていきましょう。
じゃあ、よろしくお願いします。
はい、お願いいたします。
この間あれですよね、江ノ島じゃなくて、湘南、湘南?
えっと、久減沼海岸。
久減沼海岸ですね。久減沼海岸に行って、初めて大石さんにお会いして、
そこからバーベキューでみんなで20人ぐらいですかね、集まって。
そうですね、20人前後ぐらいですね。
集まって、すごい良かったです。
ありがとうございます。
大石さん、まずプロフィールというかお伺いしたいなと、
大石さんは訪問看護ステーションを務めだと思うんですけど、
どんなステーションさんで、どういう活動というか、患者さんとか、
どういう地域でとか、ちょっとそういう基本的なプロフィール情報。
まず、どんなステーションかってことですよね。
そうですね。
ステーションとしては、0歳から100歳までっていうところをテーマにやらせてもらってまして、
小さいお子様の、例えば何か障害のある方だったりとか、
100歳とかになってくると、例えば介護保険を使うような高齢者の方だったりとか、
そういった方を今対象にやっていて、現状そうですね、私の患者さんだって言うと、
やっぱり介護保険を使っているような、例えば代替骨の骨折の後だったりとか、
脳梗塞の後遺症があられたような方とかが結構対象にはなってますね。
そうですね。結構、小児から高齢者。
そうですね。はい、もう0歳から100歳までってところでやってますね。
それで0、100って言う。
そうですね。あとは代表がですね、人生を楽しむっていうところをね、
自分の人生を楽しむっていうところをモットーにしている事業所になるので、
ダブルワークOKなんですよね。だから個人で、例えば自分で活動されてるような方とか、
そういう方も応援するっていうコンセプトで代表がしてるっていうところなので、
そういうところにちょっと私自身もすごいね、共感をしたというかですね。
っていうところで入ったという感じですね。
なるほどですね。
はい。地域としては、厚木がもともと最初スタートでスタートしてて、
今年の5月からですね、肩ヶ谷の方の居宅とステーションの方もできて、
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現在2拠点でやってるの感じで、現在私は厚木の方でやってるという感じです。
ちょっと大石さん個人についてちょっと興味を聞いていきたいなと思うんですけど、
大石さんPTさんでいらっしゃって、今その訪問看護ステーション、0、100さんに至るまでどういうストーリーがあったのかというと、
まず最初こう、理学療法士さんっていう仕事に興味を持つ、こういった経緯。
そうですね。よくこれ聞かれるところではあるんですけども、
私自身もともと理学療法士になろうとしてた人間ではないんですよね。
もともと私は工業高校出身なので、就職で東京に行きたいなみたいなところがあったんですよね。
で、たまたま私の時にリーマンショックがあって、改めてちょっと自分の進路を考える機会とかもちょっとあって、
親と相談をしたりとかする中で、よくよく思い出すと私のおじいさんが理学療法士のお世話になってたんですよね。
デイケアって言って、こう通所系のリハビリのサービスなんですけども、
それを使ってるってところもあることも思い出しまして、
それでちょっと一度手に職ライセンスをつけてからでもいいんじゃないかっていうところで、
理学療法士になろうという感じなんですよね。
なので皆さんがね、よく例えば自分が怪我をして理学療法士になろうと思ったっていう感じではちょっとないかもしれないんですけど、
そういう形でちょっと理学療法士を目指したという感じなんですよね。
その後ですよね、その後実際あの私地元が佐賀県の鳥栖市っていうところになるので、
今ちょうどあの高専で話題になっている鳥栖工業ってね、出てたと思うんですけども、
そこが私の母校なんですよね。
そこで生まれ育って、地元の専門学校、4年生の学校なんですよね。
そこで理学療法士の免許を取ってになります。
最初の就職先っていうのは、佐賀県の佐賀市内にある介護老人保健施設っていうね、
病院でリハビリをされた方が在宅に帰るまでのちょうど、まだ帰れない方がリハビリをするような施設みたいなところですよね。
それとデイケア、通所系の通う形のリハビリが併設されているところで最初仕事をしてたんですよね。
それがだいたい3年ぐらい仕事をしていて、
もともと兼ねてから海外でボランティアしたりするってところに私も興味があったので、
退職、3年働いて辞めた後にフィリピンに私は留学をしてるんですよね。
そこで2ヶ月の短期留学ではあったんですけど、
実際そこの貧困の現場を見たりとか、ボランティア活動とかいろいろやった後に、
ちょっとこうね、留学療法士ではないんですけども、NPOの仕事。
もともとちょっと関わっていたNPO法人さん、外国人との交流の、例えばゲストハウスみたいなところだったりとか、
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あとはもう子供のですね、農村体験みたいなやつがあるんですよね。
そういうのを運営に回ったりとか、そういう経験があったので、
だいたい半年ぐらいは理学療法じゃないことをやってました。
そこからもともと上京をして東京行きたいなっていうのがあったので、
人生一回じゃないですか。
ところで、ちょっとチャレンジをしてみたいなっていうふうに思って、
ちょうど今から6年前ですかね。
6年前に上京をしてきて、理学療法の現場、訪問看護の現場に入ったという感じなんですよね。
最初、私がちょっとゼロ百以外でもう一箇所、町田の方でも仕事をしてるんですけども、
最初そちらの方に入職をして、ずっと仕事をしてました。
やる中で、今ちょっと個人でね、活動とかにもなるんですけど、
声紋分析って言われる、人の声から自分の強みとかね、適正を分析するようなことを、
そういったものにも出会って、理学療法と並行してその活動もやっていたという感じなんですよね。
その後に、今年の2月になるんですけど、たまたまゼロ百の代表とですね、あるイベントで知り合ったんですよね。
そこで、代表のですね、人生を楽しむというところとか、個人のそういう活動もやっぱり応援していきたいという思いだったりとか、
そういうところに私もすごい共感をして、
だったらちょっと是非、一緒に業界を盛り上げていきたいなというところで、
加わらせていただいて、今に至るという感じなんですよね。
最近ですね、比較的。
そうですね。
まず声紋分析というのが何なのかというのを。
そうですね。
なかなか聞きなじみがない方も多いと思うんですけども、
声の周波数っていうのをパソコンのツールが解析をして、
12色の色のバランスでその人の強みが出るような感じなんですよ。
それによって例えばコミュニケーションに強みがあるとか、
例えば分析したり見ることに強みがある。
一対一のコミュニケーションが得意。
もしくはコミュニティみたいな形で一対一他に対して発信をすることが得意とか、
10人いたら10人それが違うんですよね。
その中で出方によって適性っていうんですかね。
こういうふうにマネジメントすることが向いてるとか、
一対一で本当に利用者に関わることが得意とか、
そういうのが分かるようなものなんですよね。
それこそやり出したきっかけっていうのが、
フィリピンに留学をしてる時に、
いろんなフィリピン人と私も関わっていたんですよね。
行く前っていうのが、フィリピンってどんなイメージあります?
そうですね。僕も行っちゃったんであれなんですけど、
行く前はフィリピンっていうか東南アジアとか本当にマングローブみたいなイメージずっとありましたね。
行ってから都会だみたいな。
やっぱりそうなります。
私が行く前感じたのは、貧しくてかわいそうと思ったんですよね。
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なるほど。
行く前っていうのは。
実際行って、本当にその日のご飯が食べれるか食べれないかっていう人たちとかいっぱいいたんですよね。
でもみんなニコニコしてて笑顔なんですよね。
その瞬間を一生懸命生きてるなみたいなすごい感じたんです。
それがすごい私の中に印象に残ってて、
実際日本に帰国して、例えば普通に関わったりとか医療の現場とかいろんな人見てくるんですけど、
なんか違うなって感じたんですよね。
何がその子たちと日本人って違うのかなみたいな。
ところでやっぱり色々勉強したりする中で、
やっぱりその職場環境とかそういう中でのストレスだったりとか、
自分自身の個性強みっていうところをなかなか活かせてなかったりとか、
なんかそういう側面が結構あるってこともわかったんです。
だからやっぱり私としてはこう一人一人のそういう個性みたいなところが活かされる社会にしたいなっていうところで、
その一つとしてやっているような感じなんですよね。
だから理学療法もある意味そこにつながるのはあるかもしれないですよね。
なんかその地方っていうか佐賀とかと東京って、
なんかその理学療法士さんとかの患者さんへの、
要はその患者さんっていうかその療者さんとかも住んでいらっしゃる方のコミュニティとか、
やっぱり東京、東京以外の場所だったら結構地域でのつながり強かったりとか、
東京だったら気迫な場所とかだったりするんですけど、
なんかそこの違いって見てて知らないですか?
そうですね、それで言うと私の最初の職場っていうのが佐賀市内の本当に田舎の田んぼの真ん中にあるようなところだったんですよね。
なので結構多かったのはやっぱり農家をやっているとか、
もともと家族が農業をやっているとか自分がやっていたとか、
そういう方が結構多かったかなっていうイメージがあるのと、
あとはやっぱりそこが基本病院から在宅に帰る前の中間的なところっていうのももちろんあるんですけど、
結構高齢者の方がすごい多かったなっていう印象はありますね。
逆に東京の方がその場所にもよるとは思うんですけど、
意外と職業の幅が広いというか、
いろんな例えばヒストリーをお持ちの方だったりとか仕事をされていた方だったりとか、
あとは結構年齢層もやっぱり今一番若くて50代の方とかもやってるんですけど、
ってな具合で結構幅広いイメージはやっぱりありますよね。
いろんな年齢層の方。
なんかその中で最初のところが老犬で、
そこから今現場見ていて、
その大石さんの職業化が自分が何であるか変わっていたのかな、
それともずっと最初から持っている、どういった思いでお仕事されたのか。
そうですね、たぶん最初の時はやっぱり私も無我夢中というかですね、
業務を覚えることに本当に必死っていうところもあったので、
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ただその最初の時から一貫して変わらないのはやっぱり、
人生の本当に大先輩というところなので、相手に対してのリスペクトだったりとか、
その人のいいところに私は目を向けるっていうところに関しては、
一貫して変わらないところなのかなとは思うんですよね。
で、よりなんか今の訪問の現場に来ることによって、
よりその人の生活っていうところを見ていくことになるので、
ただただ体を例えば歩けるようにするということだけではなくて、
なぜ歩けるようにするのかとか、
生活とかその人のライフスタイルに直結するような形での介入っていうのが、
やっぱり今結構求められるので、
そこの部分はたぶん前職と今の違いかもしれないですよね。
なんかその訪問看護と老犬だとアプローチが違うってこと?
そうですね。老犬になるとやっぱり家に帰すためにどうするのかっていう形で、
もちろんやるんですけど、現状はなかなか難しいんですよね。
もう本当にもう90歳近いような方とかが来られるので、
どちらかというともうそこの施設の中で、
いかに生活を続けていくのかっていう形になってしまうので、
その辺のちょっと部分はありますよね。
そこが実際の訪問看護になると、
本当の生活場面を見ていくことになるので、
リアルにその人が生活上で困ることだったり、
その人にどういう人が関わっているのか、
それが家族だったりとかもしますし、
そういうところなのでやっぱり見る幅はすごい変わってくるし、
よりその人その人でやっぱり違う部分にはなるのかなと思うんですよ。
ちなみに、小石さん現場出られて何年目になるんですか?
老店から入れてですかね。
そうですね、入れて。
入れてになると9年ぐらいですかね。
なんやかんやですね。
ベテランですね。
いやいや、でもそんなまだまだですけど。
9年って結構長いなって思うんですけど、
そうなると多分その時代も変わるというか、
勤められてた場所も違うっていうのはありますけど、
結構時代も変わるのかなと。
そういう変化を患者さんとお知られている横の人とお知られている。
時代の変化ってことですね。
でもそれで言うと、私が多分働き出した時は、
多分ここまで訪問看護の数ってなかったような気もするんですよね。
だからそれがやっぱりどんどんどんどん今増えてきてるなっていうふうに感じるのもあるし、
国としても病院とか施設ってよりも在宅の方に持っていきたいっていう側面はあると思うんですよね。
だからそっちの方がやっぱり増えてきてるなっていう印象もありますし、
東京と地方ってところの違いもあるでしょうけど、
訪問看護ってことを認知されている方も利用者の中には多いなっていう印象はありますよね。
利用者さんによっては自分で頼むみたいな。
自分で例えば家族さんとかから訪問看護お願いしたいんだけどっていうふうな連絡をしてくれるようなこともあったりとかもします。
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訪問看護もケアマネージャーさんだけじゃなくて、利用者さんにももちろんしっかりつかれて、いい口コミが広がっている。
そうですね。結構やっぱり利用者同士って結構友人同士で電話をするんですよね。
だから電話する内容はやっぱりそういう介護のこととか自分の体のこと、病気のことをやっぱり電話することが多いので、
結構そういう口コミって結構してるんですよね。
こういう人が私の家に来てるんだよねみたいな話もやっぱり言ってるので。
だからその一番はもちろんケアマネージャーさんからのご紹介ってところもそうなんですけど、
利用者本人がやっぱりこのサービス使ってよかったみたいな感じの声がやっぱり直接はやっぱり我々に届くこともあるし、
ケアマネージャーさんに届くようなこともある。
それによってっていった部分もあるのかなと思うんですよね。
私は看護師さん向けの転職サービスを立ち上げてるということで、看護師さんに話聞く機会は多いんですけど、
もちろん理学療法士さんも話は聞いてるんですけど、やっぱり数は少なくてなかなか。
そのあった時に理学療法士さんが、療館とか法館っていう地域の場、それぞれで患者さん、利用者さんに向かうときのやりがいというか面白いとか、
お医師さんがこれは好きって思ったら、PTさん目線でどういうところなんだろうってすごい気になるんですけど。
そうですね。一つは多分先ほども伝えたんですけど、やっぱりその人のストーリーだったりとか、人となりとか、
生きてきたことっていうのを日々学ばせていただいてるような感じがあるんですよね。
だからそこが本当にやっていて楽しい。
例えば本当に今、昭和8年から昭和10年ぐらいの利用者さんが今一番私の中で多いんですよね。
我々はやっぱり戦争とか経験ないじゃないですか。でも実際その昭和8年から10年の方って12歳とか10歳ぐらいなんで、一番その世代なんですよね。
鮮明に覚えてそうですね。
そうです。一番やっぱり覚えてあるので、そういうのをやっぱり生の声を実際に聞ける。
擬似的に聞くことができるっていうところとか。もちろんそれだけではないんですけど、やっぱり日本の時代が色々移り変わっていくっていうところをやっぱり実際の生の声として聞くことができるっていうところは一つやってて、
やりがいというか私自身が楽しいことだなっていうふうには思うんですよね。
あともう一つはやっぱり利用者から直接良くなったっていう声をいただいたりとか、あなたのおかげで本当にうちの方がっていうふうな家族から声をいただいたりとか、
仕事から本当に最後までっていう方多いんですよね。本当にお亡くなりになってしまったっていう方、私も担当何人かいらっしゃるんですけど、
の家族の方にやっぱり最後の時にご挨拶に行かせていただいた時にやっぱりそういうお声をいただいたりとか、
することもやっぱりやってる中のやりがいというかですね、人の本当に生きざまというかですね、そういったものを本当に見れるものなのかなとも思うんですよね。
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あとはやっぱり理学療法士としてのそういう、何かリハビリとか施術をするとか介入をすることによってこういうふうに良くなったとか、
例えば寝たきりの今担当している方で100歳を超えている方がいらっしゃるんですけども、
その方が本当に最初の時は全然寝返りしかできなかったのは今も起き上がって座ることができて立ち上がって歩けるようになられてるんですよね。
そういう変化とかね、なかなかその歴史的な変化っていうのはそんなに多くはないんですけど、そういうものが見れるところがやっぱりやる中でのやりがいなのかなと思うんですよね。
僕も一人お世話になっている理学療法士さん、その方がいろんなお考え方は皆さんある。その方がすごい印象的な言葉で、
僕が思うその理学療法士の仕事、体を良くするっていうか動けるようにすることっていうよりも動きたいっていうふうに思ってもらう。それが何か理学療法士だと。
それはわかるかもしれないですね。
私たちの施術1回だけでパッと良くなるものでもないんですよね。
その中で本人がやる気を出して自らチャレンジをしてみるだったりとか、家族の方がちょっとやってみようみたいになられたりとか、そこの部分を後押しするっていう表現をした方がいいんですかね。
だから私たちの力って本当にその100あるうちの1かも2かもしれないんですよね。
ほとんどはその方の力だと思うんですけど、そこをいかに持ち上げていくかというかっていうところはすごいやっぱり大事なのかなと思いますよ。
しかにこう自分でやりたくない人とかもやらないですもんね。
いくらやり方わかってても僕たち普段筋トレ自分でしないみたいな。
そうなんです。意外とやっぱり私もやっぱり人が人を変えることはできないっていうふうに思っているので、やっぱりいかにそういうふうに働きかけて自分から変えていこうとする。
そこをやっぱり私たちはサポートするじゃないですけど、っていうのは思いますよね。
具体的に患者さんへの、利用者さんへのお声掛けってどうやって自分でやりたい気持ちになってもらって、声掛けなのか見せる態度というか。
気をつけてる。
私はそうですね、その方のもちろん不安だったりとか、
もうありのままにある感情っていうのをなるべくやっぱり出していただくようにっていうのはやっぱり心が出てるかもしれないですよね。
いい感情も悪い感情もですけど。
その上で客観的にその人が頑張っておられることだったりとか必ずあるんですよね。
そこをしっかり伝えてあげたりとか、その変化をやっぱり伝えることとか。
っていうのはやっぱりすごい意識してるかもしれないですよね。
なんかこう単純に運動って言うとめんどくさかったりする人の顔が多いじゃないですか。
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でもなんかこうあるんですかね、皆さんこれだけはやりたいみたいな、譲れないみたいな、皆さん一人一人あったりとか。
体を動かしたくなる覚悟みたいな動力っていうのは。
でもね、それで言うと、それぞれ皆さん違うんですけど、
例えば一人のケースで言うと、脳卒中をされていて、50代の方なんですけど、
仕事をやっぱりやりたいっていうお気持ちもあられていて。
で、やっぱり左手に麻痺があるんで、仕事する上でもちろんやっぱり左手で何か握れたりとか。
生活の中でもそうですよね。
例えば左手で手すり握るとか、買い物顔を握るとか。
そういった部分が増えると、より何かそこの質って上がるじゃないですか。
その方はそういうところをやっぱりすごい意識されてたりはしますよね。
そういう方もいれば、例えば奥様と毎日散歩される方もいらっしゃるんですよね。
その散歩は本当に生きがいになられているので、
それをやっぱりやる上で、例えば膝が痛いとか、歩きにくいということも言われるので、
そこをちょっと体を調整してあげたりとか。
なのでちょっとまとわないところになるんですけども、
とにかくその人が何に関心を持っているかというところですよね。
それはやっぱり10人いたら10人違うので、そこにより近づけるために何が必要とかですね。
人間ってそんなに自分に厳しくはできないので、何個もストイックにやれる人間っていないので、
その中で例えば1つ2つでもいいから、できることをやっていきましょうというところでお伝えしたりとかしてますよね。
面白いですね。
今日も最後まで聞いていただきありがとうございます。
NKでは持続可能な医療介護を世界で作ることを目指しています。
共に実現する仲間や共同できる企業を探しています。
また番組に出演してくださるヘルスケア関連企業、スタートアップ企業の方も募集しています。
事業を一緒に作りたいと思った方は概要欄のホームページからお問い合わせください。
皆様からのご応募お待ちしています。
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