終わりを意識する理由
こんにちは、モロトメ ジョーです。きょうもチャレンジしてますか?
さて、突然ですが、もしあなたの人生の残り時間が、スマホのバッテリー残量のようにパーセント、数字で表示されたとしたら、どうでしょうか?
きょうのあなたの過ごし方は少し変わるでしょうか?
ちなみに僕は、スマホのアプリで、80歳まであと何日あるかというような日数を表示して、それを時々確認するようにしています。
80が一つの終わりだと考えれば、バッテリー残量のようなイメージになりますよね。
というわけで、きょうは少しだけ真面目な、でも僕たちの人生にとってとても大切な終わりを意識するという習慣についてお話ししてみようと思います。
僕自身、このテーマと本気で向き合うことになったのは、以前もお話ししましたが、つい最近体調を崩して療養していた時期があったからですね。
春の4月から体調を崩していたので、夏場の間、大体5ヶ月近く体調の悪い時期が続きました。
そして当たり前だと思っていた日常が当たり前でなくなった時に、動けない体で天井を見つめながら様々なことを考えたわけですよね。
その中で感じたのは、絶望ではなくて、むしろ今を生きるための静かで力強い光だったように思います。
僕たちは日々の忙しさの中で、まるで時間が無限にあるかのように感じてしまいますよね。
終わりを考えることは、どこか縁起でもないと、無意識に避けてしまいがちでもないでしょうか。
でもこの点で、古代ローマにはメメントモリという言葉がありました。
メメントモリ、これは死を思えという意味です。
ですが、これは決して死を恐れよと、そういったネガティブな言葉ではありません。
鍵である命だからこそ、今この瞬間を大切に生きよ、という非常にポジティブでパワフルなメッセージなんですよね。
この終わりを意識することで、僕たちの人生には少なくとも3つの素晴らしい贈り物がもたらされるんじゃないかと僕は考えています。
贈り物とはということなんですが、1つ目の贈り物は、人生の改造度が上がることです。
普段は見過ごしてしまうような、例えば朝の窓から差し込む光の美しさとか、
一杯のコーヒーの素敵な香りとか、誰かとの何気ない会話とか、
そういったもの一つ一つがかけがえのない奇跡のように感じられるようになる。
これが人生の改造度が上がるということです。
そして2つ目の贈り物は、人生の優先順位が明確になることです。
世間体とか見栄とか、あるいは惰性で続けている付き合いとか、
そういった本当は必要のないことが削ぎ落とされて、本当に大切なこと、
そうですね、家族との時間とか、自分の心の健康、あるいは学び、
そういったものに自分の時間とエネルギーを注げるようになります。
そして3つ目の贈り物が、不要な荷物を下ろす勇気が湧くことです。
過去への後悔とか、未来への過剰な不安、そういった心の重荷を、
まあ一家と手放すことができるようになるんです。
具体的な習慣の紹介
ではどうすればこの感覚を日常の習慣に落とし込めるんでしょうか。
僕が今意識している3つの具体的な習慣をご紹介してみようと思います。
まず1つ目は、一日を人生の祝辞として生きることです。
朝目覚めることを誕生、生まれるということ、そして夜眠りにつくことを小さな死、
そう捉えてみるんですよね。
毎朝今日という一日を後悔なく終えるにはどう過ごそうかと自分に問いかける。
それだけで一日の密度が全く変わってきます。
そして次に2つ目の習慣が、やらないことリストを作ることです。
やることリスト、いわゆるto-doリストの逆ですよね。
やらないことリストを作る。
人生の残り時間でもうこれはやらないと決める。
例えば意味のない愚痴を言うのをやめるとか、
そうやってやらないことを決めることで本当にやりたいことが浮かび上がってくるものだと思います。
そして最後3つ目が、感謝をその日のうちに言葉で伝えること。
ありがとうという言葉を先延ばしにしない。
いつかいようと思っているいつかは来ないかもしれませんから、
大切な人との関係を深める。
最もシンプルで最も力強い習慣が感謝をその日のうちに言葉で伝えることだと思うんですがどうでしょうか。
というわけで終わりを意識することは決して暗い気持ちになるためのものではありません。
それは僕たちが今この瞬間を最高に味わい、
自分の人生を心から愛おしむかのような最強の羅針盤のようなものなんじゃないかと僕は思っています。
さてあなたが今日この放送を聞き終えてからまず最初に大切にしたいことそれは何でしょうか。
というわけで今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。
この後も良いチャレンジを。
それではまた3日後にお会いしましょう。