隣の芝生の謎
こんにちは、モロトメ ジョーです。今日もチャレンジしてますか?
今朝も散歩をしながら収録しています。
時間は6時2分です。
横浜の空はすっかり明るくなりまして、
気温の方もだいぶ高めなので、
過ごしやすい朝、気持ちの良い朝となっています。
日中は20℃超えということなので、
春、ランマンでお散歩ですとか、お出かけにはうってつけなんじゃないでしょうか。
今日はお休みですし、いいですよね。
という前置きをしてみたんですけれども、
実はテイク2ですね。
先ほど一度話をしていたんですけれども、
ほぼ話をし終わったようなタイミングで、
iPhoneの電源が突然落ちました。
結構初めての経験なので、それなりにショックではありますが、
気を取り直してお話をしていきたいと思います。
今日のテーマは、隣の芝生はなぜ青いのか。
どうでしょうか。隣の芝生、青く見えることありますよねと。
これはもちろん、比喩、たとえ話のようなものなんですけれども、
隣とは、要するに他人ということですけれども、
他人がよく見えることありますよねと、
SNS、インスタとかXを見ていて、
うらやましいなと思うこともあれば、
周りにいる人たちの成功を見ては、
焦りを感じることがあったりしませんかということなんです。
もちろん、僕にもありますということなんですが、
隣の芝生をうらやんでばかりいると、
あまり幸せな人生とも言えませんので、
そんな隣の芝生が青く見える理由に迫りつつ、
どうしたらいいかというような話をしてみようかと思っています。
この辺りも、習慣とか自分の癖に関連するようなところなので、
身につけられるといいのかなというお話です。
ではまず、隣の芝生はなぜ青いのか、なぜ青く見えるのかという、
その点に関して言うと、
人は良いところだけを見せるものだからということがあると思います。
これはよく言われることですよねと、
自分に見えている他人というのは、
良いところだけなんじゃないのということでして、
例えばですけれども、
インスタに毎日おしゃれなカフェの写真とか、
豪華な食事を投稿している人がいたとして、
でも実は一人で孤独でいるのを紛らわせているだけかもしれませんよねと、
かなり穿った見方ではありますが、そういうことはありますよねと、
あるいは仕事で売り上げ分千万円とか、
分億円とか、そういうことを言っている人がいたとしても、
実は広告費ですとか、その他の経費で、
手元にはほとんど利益が残っていないという可能性だってあるじゃないですか。
また別の話をすれば、子供の成績を自慢するママとも、
こんなにいい学校に合格しましたよというようなママとママの話があったとして、
でも実は家の中では毎日怒鳴り合いが起きている、
見せられない場面があるということだって、
怒っていたとしてもおかしくないですよねと、
むしろあるあるじゃないですかということだったりします。
なので先ほども言った通り、人は良いところだけを見せるものなんじゃないのと、
実際そうですよねと、
良くないところをわざわざ切り取って見せようと思ったりはしないじゃないですかと、
なのでSNSであっても、あるいは他人の表面的に見えている部分であったとしても、
何かしら実際とギャップがあるものなんじゃないのということですよね。
見せられる自分と見せられない自分があって、そこにはギャップが必ずある。
そのギャップをとりあえず去っておいて、見せられる自分、見せたい自分を見せている。
それを僕たちは見せられているということでもあるんじゃないですかと。
なので僕たちが知らない他人の裏側というものは必ず存在しているわけですから、
その裏には良くないところだってある。
そう考えるべきというか考えたほうがいいですし、
僕たちは人の良いところだけを見せられているんだというふうに考える。
これも一つ捉え方として持っていていいのかなということです。
なので、人は良いところだけを見せるものだ。
そう考えるのであれば、隣の芝生が青いのは当然なんですよねということでお話をしてみました。
努力の重要性
では二つ目ということなんですけれども、隣の芝生が青いのは、
芝生を青くするだけの努力があるからだと、こんな見方もしておいたほうがいいのかなと思っています。
芝生が青い、つまり他人の成功とか、あるいは他人が羨ましいなと思われる部分があるのは、
その他人が努力をした結果なんじゃないのということですよね。
ただただ成功したり、ただただ羨ましいような状況になるのかということでもあります。
なので、他人が見えないところで試行錯誤をしたり、努力をしたり苦労をしたりしているというのは、
これもまた当然といえば当然なのかなと。
でもその部分を僕たちは見えていないというか、見えにくい状態になっているということですよね。
なので、隣の芝生が青く見えるんだとしたら、なぜ青いのか。
そこに至る過程、プロセスみたいなものを僕たちは目を向けたほうがいいんじゃないかということですよね。
例えばということで考えてみると、
超絶にスタイルがいい人が、そのスタイルを自慢するかのようなインスタを上げているみたいなものがあったとして、
でもその人は血の滲むような努力をしているかもしれないじゃないですかと。
毎朝ジムに通って、炭水化物を我慢して、見えない努力を続けているからスタイルがいいということは当然考えられますよねと。
でもその裏の努力を無視して、ただただ青いことを羨んでいませんかということですよね。
自分にも真似をしてできる努力もあるんじゃないかということです。
別の例を挙げると、副業で成果を出している人。
副業でこんなに稼ぎましたよというようなXの投稿があったとしましょう。
それを羨ましそう思うかもしれませんし、焦る気持ちもあるかもしれませんが、
それよりもその人はなぜ副業で成果を出したのか。
休みの日も遊ばずに何年も地道に勉強し続けた結果かもしれませんよねと。
でもその部分は投稿として見えないようになっている、見せていないということであれば、
むしろ僕たちが気にすべきはそこなんじゃないのと、
その他人の努力、そこに目を向けるべきなんじゃないのかということです。
もう一つぐらい例を挙げると、とても人間関係がスムーズ、円滑に見える人がいたとします。
実際いますよね。Xなんかを見ているととても人気がある人、とても絡まれ上手な人みたいな人いると思いますけれども、
そういった人はやはり普段からいろいろな挨拶を欠かさない、
そしてありがとうとかごめんなさいといった、そういった言葉も忘れていない、
そういったものを必ずきちんと伝えている、その積み重ねで人間関係が築かれているのだとすれば、
そしてそれを僕たちがうらやんだり焦ったり感じるのであれば、自分の努力が足りていないということなのかもしれません。
なので、もう一度繰り返しますけれども、隣の芝生が青く見えるのだとすれば、
他人の努力を知る
その芝生の持ち主である他人は青くするだけの努力をしていると、そこに目を向けてみようよというお話をしてみました。
それから最後ですね、隣の芝生が青いことについて、そもそも気にするべきなのかということも考えてみたいと思います。
要するにということですが、他人の芝生に目を向けるのではなくて、自分の芝生を育てることの方が大事だよねという、より本質的なお話ということになります。
他人の芝生を気にしている場合なのか、そんな時間はあるのかということでもあります。
どうでしょうかね、はい。
実際、先ほどですよね、隣の芝生、青くするだけの努力をしているんじゃないのという話をしました。
これに関連してということなわけですが、じゃあ自分はその努力をしているのかということでして、
その努力、自分の努力に目を向けるのであれば、他人の芝生に目を向けている、他人の芝生をただただ眺めている時間はないはずだよねということになるわけです。
この時ですよね、比べる対象、自分が何と比べるか、他人ではなくて過去の自分と比べましょうよみたいな話もあるじゃないですか。
これはよく言われることでもありますが、比べるべきは他人ではなくて過去の自分なんだということです。
なので例えば、じゃあ去年よりも自分は成長していると感じられれば、それはそれで芝としては青いじゃないですか、十分に青いですよねということでもあります。
では何をもって成長しているのかという話もありますけれども、
例えば睡眠、食事、生活習慣、こういったものが改善されて少しでも健康になっていると感じられる、これだって十分に芝としては青いと言えますよねと、
金銭面での成功とか、そういった表面的な面での成長、これもあるんですけれども、そういったことよりも今言った健康面、そういったところで成長を感じられることもありますし、
より幸せだと感じられることだってあるはずだよねと、これを他人と比べるから本来成長であったり幸せであったりするものがそう感じられなくなってしまうんじゃないのということです。
再三の繰り返しですけれども、他人と比べるのではなくて過去の自分と比べることで成長なり幸せなりをきちんと実感できるのかなということもあるわけですよねと。
それからもう一つできることとしては、SNS、これを見ないというチャレンジをしてみるのはどうですかと、例えば一週間SNSを見ないというようなチャレンジがあると思います。
これをやってみると、強制的に他人と比較するきっかけですとか材料が減りますから気持ちとして落ち着くでしょうし、より自分と向き合う時間ができるんじゃないのと、そうすれば先ほども言ったように他人と比較するのではなく自分との比較ということもできるのかなと思うわけです。
なので、方法としてSNSをしばらく見ないというチャレンジも有効なのかなと思うんですが、どうでしょうか。
隣の芝生は青く見える。その隣というのは自分からは距離のあるものでもありますよね。自分自身からすると遠いということです。
遠くにあるものというものは綺麗に見えてしまう、美しく見えてしまうという話があります。
つまり遠くにあれば本来傷があったとしても汚れがあったとしても見えにくいということなので、自分とは距離がある他人のことというのは実際以上によく見えるものだということでもあるわけです。
なので、他人に惑わされることなく自分自身を見つめてみようよということでもありますよね。
他人というか隣の芝生というか、それは確かに青いのかもしれないし青く見えるのかもしれないけれども、やはり自分自身に目を向けると。
隣の芝生が青いと感じたときこそ自分に目を向けると。そんな考え方ができるといいのかなということでお話をしてみました。
SNSと自己観察
はい、いかがでしょうか。そうですね、今日はお休みという話をしました。ぜひですね、散歩をしたりお出かけをしてみたりするのがおすすめですよね。
代わりに家の中でSNSを見続けるということになってしまうと、先ほども言った隣の芝に目を奪われるということにもなるかもしれません。
そういう意味ではお休みの日というのは外に出てみる、体を動かしてみるとか、SNSから離れる良いきっかけ、良い時間にもできるかと思います。
それではこの後も良いチャレンジを。また明日。