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2025-01-15 13:53

#199/空振り三振がカッコいい理由

#習慣 #習慣化 #毎日配信 #空振り
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サマリー

空振り三振の価値についての議論では、行動を恐れずに挑戦することの重要性が強調されています。人は経験を通じて成長し、自己の不足を理解することで次の挑戦につながると述べられています。

空振り三振の意味
こんにちは、モロトメ ジョーです。
今日もチャレンジしてますか?
今朝も散歩をしながら収録をしています。
時間は5時46分。
空は真っ暗ですが、きれいな満月が輝いていますね。
昨日ネットを見ていたら、ウルフムーンと呼ぶらしいですね。
今回の満月はウルフムーンということで、
名前もカッコいいですが、名前に負けないくらいきれいな満月が輝いています。
それはそれとしてということで、今日のお話を始めていきましょうか。
テーマは、空振り三振がカッコいい理由についてです。
空振り三振、これに関する名言というか言葉として、
空振り三振を恐れるなというような話を聞いたことがあるかもしれません。
ここで言う空振りというのは、もちろん比喩でして、
空振り三振を恐れないということは、
行動をしようということですよね。
行動をせずに黙っていると、何もしないでいると何も起きないよねと。
つまり野球に例えるのであれば、
バットを振らなければヒットも出ないし、ホームランも出ない。
走ってやラッキーも起きないよねというようなことですよね。
可能性としては少ないんでしょうけれども、
ひとまずバットを振れば、もしかしたら当たるかもしれない。
バットに当たったボールがラッキーなところにポテンと落ちるかもしれない。
ヒットになるかもしれないということなんですが、
空振りもせず見逃し三振ということになれば、
チャンスはないよねというような話なんですよね。
だとすれば、空振り三振を恐れないというのは、
振らなきゃヒットもホームランもないから、
行動しなければ何も起きないから、
だからとりあえずラッキーを狙うという意味でも、
バットを振れよと、行動しろよということを表しているのかというと、
本質はもうちょっと別なところにあるのかなと思ったりもするわけです。
その本質というのは、そもそもバットを振ること自体、
行動すること自体に価値があるよねということなのではないかと思うんですよね。
繰り返しますけれども、バットを振れば何かが起きるかもしれないから振ると、
その成果、結果を期待して振るというよりは、
そもそも振ること自体に価値がある、だから振れよと、
そんなことを僕は考えているんですけれども、
それはなぜなのかということについて少し話をしてみようかなと思っています。
経験と学び
繰り返しですけれども、振ること自体に価値がある、行動自体に価値があるというのは、
まず経験を得られるというメリットがありますよねと、
抽象的な話になってきたので一つ例を挙げますけれども、
先日僕が書きました本が出版されましたというか、まだされてないんですけれども、
もうすぐ出版になりますということで、
その新刊のお渡し会、まだ世の中では発売されてないんですが、
それを先にお渡しする、そういった機会としてお渡し会を企画しました。
東京と横浜、それぞれで企画をしたんですけれども、
昨日ちょうど横浜のお渡し会の予定日だったんですが、
誰も参加者がいませんでしたというような悲しい結末だったわけですね。
この企画をするという段階ではバットを振るか振らないかというような状態にあったわけです。
バットを振るということはお渡し会を企画して告知する、募集をするということですし、
バットを振らないということはどうせ企画をしても来ないかもしれないから、
やめておこうというようなことかと思います。
話を元に戻していくと、今回の件でバットを振るということは、
結果として経験を得られるというメリットがあるよねということだったわけですけれども、
どんな経験が得られたかといえば、
例えば、平日の日中、ど真ん中で企画をしましたので、
お渡し会は、昨日は火曜日でしょうか、火曜日の13時からというようなことで告知をしましたので、
そんな時間帯に人がそもそも集まりやすいのかというようなことだったんですけれども、
ある意味やっぱり集まらなかったよねというような経験を得られたということでもあります。
その告知の期間も中2日ぐらいしかありませんでしたので、
しかも連休中の告知ということもあったので、
それも良くなかったというか、もう少し方法があったのではないかみたいな経験が得られたと。
経験が得られたというのは、つまり分析できたよねということでもあります。
今後の検討材料として、その材料を集めることができた経験を得られたというのは一つ、
バットをあえて振ったメリットなのかなということですよね。
バットを振ってみた結果、参加者はゼロということで、
ヒットもホームランもラッキーも起きなかったんですけれども、
それでも経験というものは得られましたよねと。
努力と挑戦
そういう意味ではやっぱりバットを振ること自体に価値はあるんじゃないのと思うわけです。
他にもバットを振ること自体に価値があるという点でいえば、
足りないものも分かるよねと、自分に不足しているものも分かるというのがバットを振る、
行動してみることのもう一つメリットと言えるんじゃないかということです。
また先ほどの例で言えばということですが、
お口しても人が集まらなかったということで、平日日中だったからなんじゃないのというようなことを言ったわけですけれども、
それはある意味言い訳ですよねと。
それは言い訳であって、実際には僕に足りないものがあったんじゃないのと。
例えば、伝達力ですよね。ここで言う伝達力というのは、新しい本のお渡し会ということだったので、
その本の内容ですとか、魅力あるいは読んでほしい読者層みたいなものをきちんと伝えきれていなかった、告知の段階で。
なので、もしかしたらきちんと伝えることで参加をしていただけたかもしれないのに、
僕の伝え方が足りないばかりに参加していただけなかった可能性もあるよねと。
そういう意味で、僕に足りないものとして伝達力はあるんじゃないのかと。
あるいは拡散力というものもあるかもしれません。
拡散力というのは、例えば僕が普段から、XですとかSNSでそういった何かイベントをやるときに、
皆さんにお伝えをする、いわゆるインフルエンス力みたいなものがあったのだとすれば、
もう少し人が集まったりしたんじゃないかと。
その点、普段からの拡散力が足りてないんじゃないのというような見方もできるわけです。
なので、抜刀振る行動をしてみることによって、改めて自分に足りないものがわかるというのも一つ。
抜刀振るメリットなのかなと。やっぱり振ること自体に価値はあるんじゃないのかというふうに感じたわけですよね。
そしてもう一つ最後に、抜刀振ること自体に価値があると思えるのは、
努力や挑戦のきっかけになるからということでしょうか。
先ほど、抜刀振ることで経験を得られるとか、足りないものがわかるという話をしました。
そのまま放置するというのは気持ちが悪いものがありますし、放置はできないんじゃないかなと思うんです。
何か経験を得られて、もっといい方法があるんじゃないかと思えば、
そして足りないものがわかって、自分に不足しているものが明らかになったのであれば、
もっと努力をしようと、あるいはまた挑戦してみようと思うのが人なんじゃないかと思うんですよね。
繰り返しですけれども、何か経験が得られて、足りないものがわかれば黙ってはいられない。
また抜刀振るぞと、つまりは野球に例えるのであれば、もっと素振りをして練習をしまくって、
もう一度挑戦をするんだというその素振りという努力と、また打席に立つというその挑戦の機会、チャンスですよね。
ここに向かっていけるというのが抜刀振ること自体に価値があるということなのかなと考えています。
なので、今日は空振り三振がカッコいい理由ということで話を始めたわけですが、
空振り三振というのはイメージとしてはカッコ悪いですし、実際カッコ悪いです。
空振り三振ですからね、どんな言い訳をしたところでやっぱりそれほどカッコのいいものでは見た目上はないんですけれども、
その空振り三振の先にある努力ですとか、また挑戦するという再挑戦に対する姿勢、そういったものが生まれてくるのであれば、
空振り三振、思いっきり抜刀振って空振りするのもカッコいいんじゃないのと僕は思って、空振りを恐れずにこれからも抜刀振っていきたいなと思っています。
なので、見逃し三振、これは避けようよと、せっかく毎日を生きているわけですし、一度しかない人生を生きることができているんですから、
抜刀振っていきましょうよということで、今日のお話を終わりにしたいと思います。
この後も良いチャレンジを。また明日。
13:53

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