こんにちは、上水優輝です。
永里優輝です。
さて、今日は、人を傷つけないようにすることは本当にその人のためになるのか、という話をしたいと思います。
したいと思います。
はい。永里さんのメモに書かれてあったという。
はい、書かれてあったんですよ。6月28日に書かれてあった。
なんかあったんでしょうね、その日ね。
何があったのか、ちょっと思い出せないんですけど。
どっちだったんでしょうね。傷つけてしまったけれども、それは必要なことだったんだということだったのか。
それとも、言いたいけど、ここで言ってしまうと傷つけてしまうな、言わないでおいた。
でも、これって本当にその人のためになるんだろうか、という葛藤さん。
違う。自分じゃないんです、これ。人のことを見てて思ったんですよ。
そう。旦那がある人のことを、とにかく傷つけないように、ストレートに言わずに遠回りで、どうにかこう気づかせようとする姿勢を見て、
なんだろう、ストレートに言ったら傷つくから、っていうのをずっと言ってて。
でも、それストレートに言わないと絶対に気づかないよ、っていうことなんですよ。
あるよね、そういうの。
なのに、それをずっと遠回りにして、その人が気づかないまま、ずっと傷つけないように遠回しに行って、何も変わらず、終わっていくみたいなのを見てて、
それ、その人のために本当になっているのかな、ってちょっと思ったんですよ。
なるほどね。難しいですよね。
でも、これは難しいなって思ったんですよね。確かに傷つけてしまうじゃないですか、ストレートに言ったら。
そうですね。言われたくないことだったりしますよね。現状を変えるっていうのは、そもそも嫌がる人が大半で、
かつ、自分のそれを課題とも思っていない人が急に課題だと言われて、しかも変わるまで言われると、やっぱきついみたいなね。
しかも、自分で気づいていないその行為が、人にストレスを与えていて、人に少し迷惑をかけているっていうことなので、なおさらなんですよ。
友達意味というか、関係性があるパターンだったんですか?
そうです。関係性があるのに言えないっていうのはどういうことなんだろうね。
なるほどね。
関係性があるのに言えない。
あ、でもそれ、前回もなんか話しましたよね、私。関係性が。話してないから。
相手が言ってくれないみたいなやつですか?
違うな。違うな。
関係性でによって、なんか勝手に変わっていくみたいな話はした気がしますね。
なんか言葉で変わっていくというよりは、関係性によって変化が生まれるみたいな。
なんかその人のことを本気でこう思っていたら、結構クリティカルなことを言うと思うんですよ。
なんかそれを言うことで、なんかそれを受け入れる準備ができてるっていうふうに思ったら、それを言ったほうが逆にその人のためになることがあるなっていうふうに思ってて。
例えばできてないところの指摘だったりだとか、それをわざと認識させることであったりだとか。
そういうことを言ってくれたほうが、嬉しいとまではいかないけど、そう言ってくれた人のほうが、やっぱり尊敬をするっていうタイプの人もいると思うんですよ。
だからなんか、そういうタイプの人のほうが、逆にその向上心というか、成長したいというか、もっと良くなりたいっていう、そういう欲は強いのかなっていう気がするので、なんか傷つく準備ができてる気がするんですよ。
だから傷つきたくないっていう人は、結局その現状のままでい続けたいっていう、そこなのかなと。
結果としてそうなってますよね。
そうですよね。
だから、じゃあそういうふうに傷つけないようにすることが本当にその人にとっていいことなのかっていうところに、私は帰着してしまったんですよ。
いやー、これはね、これはですよ。
これは長期的に見ると、だから結局良くないですよね。確実に。
そうですよね。
それは、そんな人が、例えばわかんない人に迷惑を何らかかけている、その無自覚にかけていて、気づいたら変われるかもしれないことなのに、誰も言わないことによって、ずっとある迷惑をかけ続けて、いつか大変な目に遭うみたいな、例えば。
うん。
っていう、だから、相続けている。見たこともあると思うけど。
だから、最終的にはその人との関係性がなくなるみたいなところまでいくと思うんですよ。
そうですよね。
それが続いたら。
けど、それを、あなたのこれはこういうふうに人を不快にさせているよとか、これを改めないと人が離れていくよっていうことを言うことによって、一旦その情報としては入るから、変われる可能性が高まるという意味では言った方がいいんじゃないかみたいなことですよね。
そうです。
何なんでしょうね。友達辞める覚悟で言わないといけない感じがあるな。
ここまでの覚悟が必要になりますかね。
もしくはそれぐらい言って大丈夫って関係性。絶対それでも崩れないという自信を持っている関係性。じゃないと。
そうですね。それが失ってもいいっていう覚悟ですよね。
うん。
うん。
だから、人の役に立つとか人の助けになるって何なんだろうっていうのも考えてたんですよ。
そういうことのところも含まれるのかなって思って。
そうですね。僕のスタンスとしては、割と自分が近いなと思った人には言っていく方針なんですけど、言ってすごく嫌そうだったら明確にもう二度と指摘しないねって言いますね。ごめんねって。
あなたの好きにしたらいいと思うっていうことを言って、それ以来一切言わないっていうことをやってたりしますね。
ただ、やっぱそれをしちゃった人っていうのは別に好きなんだけど、その人のこと。
うん。
関係としてはもう深くなっていきようがないっていうか、やっぱり突っ込まないね、こっちも。
確かにそうですね。
あー事故ってんなーとか思っても、事故ってんなーってこう、まあだって言ってほしくないわけだから。
うん。
あと、一歩二歩行くと、そこ谷ですよとか、大丈夫ですかみたいな。
うん。
で、言いたくなっちゃうけど、友達だから。
うん。
けど、あー崖から落ちてったなーみたいなやっぱりなっちゃうっていうか、落ちるよなーみたいな。
うんうんうん。
なんかそういう、それってやっぱりおっしゃる通り、ね、その人のためになってるのか、その人のためになってるのか、そういう感じで。
うん。
言われてみると、自分なりには尊重してるつもりではいるけど、まあ一回トライしたし、それをまあ嫌だというふうに、嫌だというか、その嫌そうだったので、
うん。
じゃあもうちょっと言わないほうがいいかねって言ったら、まあそうだねって言われると、じゃあ言わないでおきますねっていう話になっちゃう。
ってなっちゃうんですね。
うんうんうん。
うん。
でも、そうなるタイミング、それを受け入れるタイミングっていうのは何かいずれ訪れるんですかね。タイミングはその時じゃないっていうだけで。
うーん、そうねー。
そういうこともあるんですけど、
でも、それを受け入れるタイミングっていうのは、何かいずれ訪れるんですかね。タイミングはその時じゃないっていうだけで。
うーん、そうね。そういうこともあるんでしょうね。
でも、直接の指摘じゃなくても、過去のあの体験ってこうだったみたいなのって、紐づくときあるじゃないですか。
要は指摘として受けたことじゃなくて、単純に向こうが怒っていたとか、離れていったとか、そういうネガティブなイベントが発生して。
で、その時は意味がわかんないというか、例えば相手のせいにさえしてるかもしれない、自分は。
何なんだこいつって思ってるかもしれないけど、10年後とかに、あの時のあれって、自分はこうしたからこういうふうに思ったんじゃないかみたいなふうに。
後から、別に言われてるわけでもないけど、何か別の出来事で急に繋がる瞬間があるっていうか。
だから、言われ、直接こうだからこう改めないといけないよっていう言葉じゃなくても、後で気づくときは気づくというか。
確かに。その気づきのアンテナがあればまあ気づきますよ。
そういう話、相当前にありましたね。気づきのアンテナがあるのかないのかみたいな話とかね。
それはね、どうしたらいいんですかね。やっぱいますよね、そのアンテナがすごく鈍い。
もちろん分野によって人は全員鈍いとか敏感とかあると思うけど、全体的に鈍いみたいな人いるじゃないですか。
そこの問題にもなってきちゃうんじゃないですか。なんかどんどん大きくなってきますね、この問題は。
なってきますよ。結局はその問題、まず問題なのか問題があって。
10人の人がいて、その10人の中の1人は自分の友人で、友人Aさんが、その10人に全員に、
10人というか9人か、に嫌がられていると。その特徴によって、その行動によってみたいな。
そうすると、90%がそうなんだからそうじゃんって思うけど、Aさんが別の集団に行ったらもしかしたらそうじゃないかもしれないみたいなね。
それはありますね。
この集団においてはそれってすごく許されざることなんですよっていうことと、そういうのもあるから、出ていけばもしかしたら、みたいなこともあるんで、
もしかしたらこの中でうまくやっていくことだけが全てじゃないかもしれないとかまで考えだすと、本当に難しいんですよ。
ありますね。コミュニケーションのスタイルが違うだけっていう話ですもんね。
だからあくまで、自分はAさんと関係を続けていきたいから、自分はこうだっていう、あくまで自分としていう分にはあり得るけど、
なんか間違っているってちょっと強烈だけど、この集団でやっていくためにはあなたはこれを守らなければいけないっていうのは、
もちろん会社とか、さっき言ったイベントとか、明らかにその場が設定されている場合は言わないといけないかもだけど、
人間関係の中では、もう私があなたとの関係をこういう感じで続けたいか続けたかないかみたいな、私とあなたの勢いでない気がする。
そうか。でも続けなきゃ、どうしても続けなきゃいけない人間関係ってのがあるじゃないですか。
そうなってくると、また話が変わってきますね。
変わってきますね。家族とか一番難しいですよね。会社とかだったらやることがあるから、やることをやるのに支障があるからってわかりやすい指摘ポイントがあるし、
なんとなく発生した人間関係だったら、別に続けても続けなくても自由だよねっていう前提があるけど、
家族だと、なんとなく続いていくし、なんとなく結束が強いという前提はありつつも、
共通の目的もないし、関係だけ強行みたいなね。
そうなんですよ。だから、家族とは何ぞやっていうとこに思わずちゃんと整理しないと、その関係性ってのは続けていけないというか、
家族のミッションみたいな。家族のミッションってのはあれですけど。
いやいや、でも状態としてこうありたいぐらいはね。家族の中で統一、統一というか共有したいですよね。
うん、そう。
その質のためになるのか。
関係性によってなのかなっていう。
でもこれポイントはやっぱりあれなんですか。言うか言わないか迷っている自分じゃなくて、相手のためになっているかどうかって方がポイントなんですかね。
そっちの方がポイントです。
その人のためになっているか、なっていないかで言うと分からないっていうのが結論になる。
これどうしてんだろう、みんな。
僕はもう、とにかく距離感が固定化されない関係みたいなところを、ある程度流動的な距離感でいられるようにっていう、その回りみたいなものをすごい気をつけて人と関わるので、
ちょっときついなこの人みたいな人でも、距離を調整して、何かやっていこうとしちゃうんですよね。
で、まあ、基本的には自分がだから、自分がきつくない感じで調整しながら関わっていくっていうスタイルなんですけど、やっぱそれが固定されてるときどうすんの。
固定されてるときは言ってるかもな。
言ってるんですか。
言って大体トラブルになってるけどね。
まあ、なりますよね、普通に。
普通に言ったら。
ならないっていうほうが稀なのかなって。
稀な気がする。
けど、一方でトラブルになるんだけど、10年ぐらいそれをやれば、すごい理解度が高まるみたいなのも経験はしてるんですよ。
今いる会社とかは、最初社長とずっと喧嘩してたんですけど、今はもう本当にそういう喧嘩とかもなくて、めちゃくちゃお互いをリスペクトしあえているなっていう感じがするので、すごくいい関係にはなってるんですけど、やっぱ10年かかったなっていう感覚もあるというか。
なんか夫婦みたいな感じですね、10年。
ああ、そうかもしれない。人間関係それぐらいかかるんじゃないですか、10年ぐらい。
でも、言わずに10年過ごしても別にそれは変わんないから。
言い始めてから10年みたいな感じなんです。
でも、ある程度なんかコミュニケーションにおける衝突がないと、関係性っていうのは成長していかないなっていうのは感じるんですよね。
ありますよね、そう思います。
何にしても、それは家族にしてもそうだし、職場にしてもそうだし、友達関係にしてもそうだし。
それは確かにね、言うみたいなことを長期的に考えられるんだったら、ありな気もしますけどね。
それも含まれるぐらいの固定された長期的な関係なんだったら、一時的に悪くなることも含めて、攻撃的に言う必要はないけど言うべきことを言い続ける中で、
向こうは向こうで、それがそうかもしれないって思うまでのラグがあるし、
それになる前は、ごちゃごちゃ言ってくる嫌なやつだなって言って、こっちのせいにされるしとかっていう期間を乗り越えて、
いやでも、これはあなたを攻撃したくて言ってるわけではないんだっていうメッセージとして伝わり、
これは自分の課題を教えてくれているんだってなるまでに、3年、4年、5年かかるかもしれないみたいな。
それは確かに言われなかったら、5年でも気づけなかったかもしれないみたいなのがあるかもしれないですね。
やっぱり気づきポイントですね。
なんかその話を聞いてると、すぐに気づける人、3年経って気づける人、5年経って気づける人、10年経たないと気づけない人、
でもそこには一貫して、継続して、その気づきポイントを与えているっていうのが前提ですよね。
その方が気づきやすくなる、確率が上がるみたいなやつだよね。
なるほど。
言われなくても、小説読んで気づく人もいるわけじゃないですか。
これ自分のこういうとこあるなとかって勝手に自分ごとにして気づく人もいるし、
それ別にニュース記事読んだだけでもそうなる人もいるかもしれないから、気づきの感度みたいなのによっては全然そういうことってあり得るけど、
ハッとする瞬間ありますね、確かに。
映画を見てて、これ自分のこういうところだ、みたいなこともあるし。
なんか無意識にやってる部分って、やっぱり気づきにくいですよね。
自分が。
これちょっと無意識にやってたな、みたいなことって。
そうですね。気づかないですね。
自分自身はどうなんだろうっていう、結構気にせず何でも言うし、何でもやるし、
自分が良かれと思った行動は普通にするし、それが相手にどう思われようとなんだろうとっていう。
それは全て相手の受け取り方次第だからと思ってるからで。
自分の発信が原因ではなくて、相手の受け取り方がそれぞれ違うじゃないですか。
その受け取り方が違うのが前提で、
相手の受け取り方が違う人たち全員に違う発信の仕方をしてたら、ブレブレな自分になっちゃうじゃないですか。
そうですね。
だからそういうのもあるから、私は一貫しなきゃなってのはあるんですよ。
受け手のことを考えるよりは。
だからクリティカルなことは、特にその視点ですね。
なるほど。
僕は結構聞かれたら答えるって感じですね。
要は言っていいよっていうやつとか、もしくは自分の見えてないポイントがあるかもだから、
何か思ってることあったら教えてくれとか、フィードバック欲しいとか、
求められたら普通に言うって感じですね。
けど、あれもあると思う。
年取ったのもあると思う。
年を重ねて、かつ男性でとか、体も大きいしとか、いろいろ考えると、
言葉以上の強さがあるというか、
人を威圧とか圧迫しちゃう可能性が高いなと思って、あんまり意見を、
メディアでは言いますよ、ただリアルで面と向かって意見を言いまくるってことを、僕は言ってって言われないと言わないかもしれない。
面と向かっては確かにそうかもしれないですね。
まずに向かってはね、それはまさに受け手がいろんな人がいるから、
別にそう捉える人もいるし、そう捉えられる人もいるよねっていう前提で、
堂々とブレずに自分の思ったことを言うっていうのは、一緒って感じですね。
面と向かっては、でも人に寄りきりですね。
寄りきりですよね。
全員には無理ですね、同じように言っても。
言っていい人めちゃくちゃ限られてる気がするな。
二桁いない気がするな、一桁な気がするな。
二桁もいたらすごいっすよ、それ。
すごいよね。
逆に。
通人って感じですね、やっぱね。
求められてもないのに、その意見を普通に出すっていうのは、
言っても大丈夫だっていう関係性が点々なってますもんね。
そう、言ってもなんか偏見な目で見られないとか、その関係が終わらないとか、
それはそれとして受け止めてくれる人とか。
だから、そうですね、ちょっとクレイジーな考えを持ってる人だな、みたいな感じぐらいに思ってくれる人みたいな。
でもそういう人たちとしか関係を気づいていかなくないですか、自然と。
いや、そう思います。
結果そういう風になってますよね。
なるんですよね。
家族みたいな、言い方はよくないけど、自分で選んだわけでもなく、
トータみたいなことが起きづらい、一応固定された関係性みたいな。
もちろん家族でも自然に相愛になっていくみたいな人も全然いますけど、なりにくい存在じゃないですか、比較的。
難しいですよね、その辺が。
そうですよね。
いや、難しい。
いや、生きるって難しい。
難しいですね。
でも、傷つけないようにすることはその人のためになるのか。
問題。
問題で言うと、やっぱりその人が、長瀬さんが言うように、めちゃくちゃ言われると発狂しだすとか暴れだすとか、
そういうのだったら、言うこと自体がその他の人のためになるかどうかは、以前の問題に危ないっていうのが一個ですよね。
危ないですね。
もう一つは、自分がそもそも言いたいんだっけみたいな。
言って、その人の行動が良くなるって、可能性があるって信じてるんだっけっていう問題。
ここをクリアできるだけの関係性とかもあるんだっけみたいな話になりますよね。
なりますね、それはね。
そうなると多くの場合言わないになっちゃうみたいな。
そうですね、ほぼ言わないになりますね、それ。
でも今の世の中はそんな感じにどんどんなっていってないですか、あんまり他者に言わなくなってきてて。
言ったら、言葉の暴力なの、セクハラなのって言われるから言わない人が多いじゃないですか。
そうだと思います。
あなたは強いからだとかそういうことを言い出すわけじゃん。
そうっすね。
ごめんねってやっぱり。
ごめんね。
なりますよね、やっぱ。ごめんって。
ごめんね。ごめんね。
そうかもしれない。ごめんねって。
そうっすね。
言えないなーって思いますね。
やっぱ言えないっすね。もう言えないんだ。言わなくていいんだ。
言わなくていいかわかんないけど、言えないなーって感じがありますね。
なんか最近傷ついてないなーって思うと、どっかで傷つきに行かなきゃなーとか思うときもあるんですよね。
ほほう。傷つきに行く。
傷つきに行くっていうかなんだろう、ちょっとできない自分に出会いに行かなきゃなーとか。
ありますよね。
ちょっとへこみに行かなきゃなーとか。
でもそこに行くのも嫌なんですよ。嫌なんですけど。行きたくないんですけど、行かなきゃなー。
バランスありますよね。ゼロにしたいけど、しちゃうとどんどん自分が絞んでいくというか狭くなっていく感じとかね、ありますよね。
あるなー。
おすすめありますよ。挫折というか自分ができないっていう体験にはならないですけど、
いけすかないコンテンツを摂取するっていうおすすめがある。
いけすかないコンテンツ。
自分にとって、この人いけすかんなーみたいな人のYouTubeとかPodcastとかを無理して聞くっていう。
拷問じゃないですか、それ。
拷問なんだけど、こういう人もいるんだな、そしてこういう人を支持している人もいるんだなっていうことを受け止めるみたいなので、ちょっと体制がつくじゃないですか。
イベントとかに行ったら、それこそ逃げられないし、よりきついじゃないですか。
Podcastだったら、YouTubeだったら、時間数も表示されてるし、この一本頑張る、みたいな。
嫌だなーって。
ひながわじゅんじですよ。嫌だなーって。怖いなーって思いながら、もう頑張る感じに。
なんか違う頑張り方っすね、それ。
説とちょっと違いますね。
自分が何でもかんでも不快に感じちゃう。不快に敏感になりすぎて過度に批判しちゃうから、ちょっと寛容になるためにトレーニングしてるって感じかもしれない、僕は。
そういうトレーニングの仕方もあるってことですね、不快に対して。
人に寛容になるためのトレーニングとして。
あんまり人に不快になることってないんです。
あ、そうですか。
たまにあるんですよね、なんか。やりとりしてて。
でも不快になるときって、やっぱりリスペクトがないとき。
はいはいはい、わかる。
ですね、基本は。
お互いにリスペクトをしてて、リスペクトがないって感じるときは、私のやってることを否定して自分の言ってることが正しいっていうニュアンスを伝えてきて、それを要求に返ってくる人。
はいはいはい、いますね。
とかに関してはちょっと不快に思いますね。
だからその人の相手にどう対応するのかっていうところで、すごくチャレンジな感じはありますね。
難しいね。
難しいっすよ。
人とやりとりするのって難しいな。
難しいですね。
現代得意なのか、それともやっぱり単純に自分が大人になったとか、年を重ねただけなのかわかんないけど、やっぱりわざわざ言わないことでトラブルを避ける。
言わなくていいことは言わない。言わなくていいことって言ったらちょっとあれだな、語弊があるけど、積極的に言わないことでトラブルを避けるみたいな症性術を身につけちゃって、確かにトラブルは起こらないんだけど。
それでいいんだっけ問題は、やっぱりありますよね。
ありますよね。
東京の電車駅で、結構ヤバいおじさんがいっぱいいるっていう話しましたっけ?知ってないっけ?
知ってないっす。
福岡とかと比べると、ずっと悪態ついてるおじさんとか、ぶつかってくるおじさん、僕にはぶつかってこないですけど、
アタリアですか?
いるんでしょう?女性に体当たりしてくるとか、扱いおじさんみたいな人とか。
僕は悪態疲れたんで、最初僕に何か文句言ってるのかなと思って、何ですかっていう感じの振り向いたら、急に一縮しちゃったから、あれは何だったんだろうみたいな話をいろんな人にしてたら、
東京はそういう、ヤバい人っていう言い方が適切かわからないけど、仮にそれをヤバい人だとすると、そういう悪態ついてる人とかを、相手にしてないから無視してるんだと、みんな。
本人もだんだん自分が悪態が心の中で思ったのか、言葉を出したのかも分かってないレベルなんじゃないかなっていうふうに思ったんですよね。
でも声が出ちゃってて。
だから僕はそれを聞こえてるから、何ですかっておっしゃったから、ヤバいかもってなったんですよ。リアクション不断されないから、急にでかい男にリアクションされちゃったみたいな感じになって。
だからリアリティもなくなって、それぐらい接点がなくなっちゃってるんだろうな、言ってもらってないっていうか、リアクションされてない。
それを言ったりやったりする目的っていうのは、自分に注意を向けて欲しいから?
どっちなんでしょうね。そういう人もいると思うんですよ。ワーワー言うことで、自分が社会に影響力を発揮してるってことで、自分の重要感みたいなことを満たしてるパターンもあるだろうし、
ほんと無意識みたいな、自分が言ったのか思ったのか分からないみたいなレベルの人も中にはいるかもしれないですよね。
だから反応がずっとないから、聞こえてるのか聞こえてないのか分からないみたいな。
一種の病気みたいな感じですかね、もはや。
後者に関しては結構病気レベルだと思う。前者は前者でいたんですよ、僕電車に乗ってたらガラガラの。
それもおじさんだったんですけど、ガラガラの電車のように僕の目の前に座って、ずっとブツブツブツ、多分文句言ってるんですよね。
悪態ついてて、ずっとボソボソ言ってて、なんだろうこの人と思ったら、駅着いたら、じゃあなって帰って行ったんですよ。
だからあれは僕に対して影響力を発揮しようとしてたのかなとか、寂しい方なのかなとか、やっぱりありますよね、そういうのは。
理解が難しいですね、そういう方たちって。
寂しいんじゃないですか。
寂しいんですかね。
私はここにいるよっていう感じじゃないですか。
アピールですか。
アピール、下手くそなアピールって感じですか。
構ってほしい。
構ってほしいけど、ちょっと違うけど、小学校の時に男子が女子に好きなのに嫌がることをするみたいな、好きだから嫌がることをして注意をするけど逆効果みたいなやつと一緒なんです。
それと一緒ですね。
仲良く、世界と仲良くしたいけど、世界に嫌がらせしちゃうみたいな、それはみんな嫌がるよみたいな。
確かに。
私もそういう癖あるな。
本当ですか。
どちらかというと。
恥ずかしいんですか。
恥ずかしいから、嫌がらせする。
僕も素直には言えないですね。
言えないですね。
嫌がらせから入って気をちょっと引くっていうのは、結構手法として使ってきました。
友達作りの時に。
結構友達ができてたんだから成功するじゃないですか。
程度がちょうどいい嫌がらせをする。
興味の表れだよっていう程度の調整ができてたんですよね。
できてるんだと思います。
電車で目の前に座って悪態で疲れた。
それはちょっと違いますね。
でもじゃあなって言われて、急にポップになりましたよね。
普通に話しかけてくれればよかったのにって思いましたよ。その時に。
今日暑いねとか言ってくれたら全然よかったのに。暑いですよねみたいな。
もうこれ勝負服なんで長袖なんですよって話できるじゃないですか。
そういう会話の仕方すらも忘れてしまったとか。
でも日本でそういう会話が起きるってあんまり見えてないですね。
ないですね。ないない。
海外で住んでるとそういうのはよく頻繁に起きますけど。
日常会話ね。
日常会話が知らない人と日常会話しない文化とかもこの孤立を深めてる気がしますよね。
深く繋がってなくてもちょっと行ったスーパーで店員さんが
店員さんが話しかけてきたりするじゃないですか。スーパーとかでも。
普通に会話になります。
ああいうので一員であるというか、この街で生きてるんだなって気持ちにはなれると思うんで。
友達いなくても。全くないもんね。日本。
私紙が多いんで、いつもその紙いいねってどこに行っても言われてありがとうみたいな感じで
スーパーとかでもレストランとかでもどこ行ってもそんな感じにみんな気軽に話しかけてくるんで
ちょっと紙の色変えようかなとかって思ったりもしてます。
絡まれたくない。
なるほどね。コミュニケーションツールになってていいですって話じゃなくて、面倒くさいんで色変えようかなって話してる。
面白いな。
でも変える気ないですけど。
でもわかります。サムウェイはね、いろいろサムウェイネタとかで初対面の人からしたら新しいっていうか
そうですね。
僕からしたら5億回聞かれてることだから、もういいかなって感じになりますよね。
まあわからないってことですね。
わからないってことですね。
検討したことに意味があるというか。
次自分がその場に来た時にどうするかのね、ちょっと一周回ったんで、また次その場が来たらそれぞれ対応していきたいと思います。