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2025-12-06 10:53

#814 ゲシュタルトと言語 from Radiotalk

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主要参考文献
辻幸夫(編)『認知言語学キーワード事典 』東京: 研究社.

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育

サマリー

このエピソードでは、ゲシュタルトの概念と言語との関係を探求し、特に言語が周囲の世界をどのように認識する手助けをするのかを考察しています。また、ゲシュタルト崩壊や言語による体系的な知覚の重要性についても触れています。

ゲシュタルト崩壊の概念
皆さんはゲシュタルトという言葉を聞いたことがあるでしょうか? 日本だったらゲシュタルト崩壊とか
巷でね、よく言われることがあると思います。 ゲシュタルト崩壊は典型的にはというか、よくあるパターンとしては
漢字がなんかバラバラに見えちゃうみたいなもので 公園の子がハムにしか見えなくなるとか
男がタジカラとしか読めなくなる そういうまとまりを持ったものとして認識できなくなる現象をゲシュタルト崩壊と
言っていますよね。 ゲシュタルトはもともとドイツ語で意味としては形態です。
形という意味の形態ですね。 要はまとまりを持った形みたいなもので、さっき挙げた公園の子がハムとか
男がタジカラとなるのは、そのまとまりが解けてしまう、崩壊してしまうということでゲシュタルト崩壊と言われています。
今回はこのゲシュタルトと言語学っていうのを少し絡めてお話ししていこうと思います。
BGMです。 始まりました4月15のツボ。皆さんいかがお過ごしでしょうか?
ミスターサンドマンです。 ラジオトーク宛てにギフトいただいております。
マルさんから2回分ギフトいただいております。 ありがとうございます。 そしてビフさんからもギフトいただいていて、
これはラジオトークの何度も聞きたい収録賞というね、ギフトいただきました。 ありがとうございます。
そういえば年末なのでラジオトークだとこういったイベントやってますね。 それと毎年この時期になるとポッドキャストアワードの投票もリスナー投票も開始
されますので、概要欄にリンクを貼っつけておくので、 もし良ければ投票していただけたらと思います。
この番組聴いてくださっている方はあまりそういうタイプのリスナーさんばっかりではないと思うんですけど、
聴いていて面白いなと思った方はぜひ投票していただけたらと思います。 ポッドキャストアワードは過去にもこの番組ノミネートはされたことはあるんですけどね。
まあおそらく今回のポッドキャストアワードは投票されないことには日も幸もっていう感じだと思いますので、
よろしければ投票よろしくお願い致します。 さて冒頭のゲスタルトの話に戻りますが、
さっきも言ったようにまとまりを持った形態っていうのがゲスタルトです。 ですので単なるものの集まりとか
相和とかそういったものとは微妙に異なります。 いろんなものが寄せ集められた集合体というよりは、
やはりまとまりを持った構造体といった方がおそらく正確ではないかなと思います。
このゲスタルトと言語がどういうふうに関わってくるかというと、 言語の反中化機能と関わってきます。
反中化っていうのもまたややこしい言葉ですが、 要はカオス・混沌を切り分けて秩序を立てるのが言語の役割だという考え方があります。
そういった話は過去のエピソードでも何度か取り上げているし、 わかりやすい例は色彩語彙とかですかね。
色というのは赤から紫まで連続体になっていて、 赤の外側の赤外線とか紫の外側の紫外線とかは人間の目には近くできません。
その間、赤から紫までの色の連続体を どのように切り分けるかはある意味人間側の勝手なんですよね。
つまり、赤と黄色の間にはオレンジがあるし、 黄色と緑の間には黄緑があるし、
白と黒だけで考えてみても、 その間にはグレーとか灰色とか言われる色が存在しているわけですよね。
まあ白だけで2白色あるとか アンミカさんはおっしゃってますけど、いずれにせよ色っていうのは現実世界の色っていうのは連続体を成していって、
言葉っていうのはその連続体カオスに区切りを入れるというか境界を設けるということができます。
あるいは水という液体も 水とお湯っていうのを区別しない言語はたくさんあります。
日本語はたまたま水と湯というのを区別しているわけですけど、 ただこれも
水から湯まで、0度から100度まで連続体を成していて、 そこに無理やり境界を作って水と湯と呼んでるんですよね。
ぬるま湯みたいな微妙な温度を表す表現もあったりしますが、 いずれにせよ水と湯と名付けることによって
世界を半中化しているわけですね。 言語によっては、
水だろうが湯だろうが温度に関係なく同じ単語を使うという言語も山ほどあります。 このように我々は言語を通して
世界を見ているわけですね。 言語によって半中化された世界を我々は認識している
認知能力とゲシュタルト
極端な人になれば言語が違えば見ている世界も違うんだ そのような主張になると思いますが
では言語がなかったとしたら我々は世界を認識できないのかというと、 そういうわけでもないと思うんですね
それがゲシュタルトと関係あるわけですけど ゲシュタルトを認知する
構造を持ったまとまりを認識するというのはおそらく言語以前の人間 あるいは動物が持っている能力だと思います
例えば原っぱの上に転がっている石ころを見つけて それを石と名付けなければ
その石を認識できない、認知できないということは まあ考えられないと思いますね
言葉がなくてもそのまとまりというか輪郭を持った石という物体 その名前が何であれその物体を
ゲシュタルトとして認識する能力は 言語以前のものだと思います
実際にゲシュタルトの要因というのがいくつか その提案されていて
今言った輪郭を持ったものはまとまって知覚されやすいということが言われてるんですよね
あるいは単純で規則的な、あるいは対照的な形を持つものは ゲシュタルトとして知覚されやすいとか
近い距離にあるものはまとまって知覚されやすいとか こういったゲシュタルトの要因は
納得できるというか当然といえば当然で それは言語以前に人間が持っている
その知覚する能力なんだなという気がします
4月15のツボ 言語は世界を半中化すると言っても
やはりその土台には ゲシュタルトの知覚っていうのがあると思います
例えばさっきの対照性を持ったものは一つのものとして認識するみたいなのがありましたけど
右目と左目あるいは右耳と左耳を別個の単語で表す言語はまず考えられないと思います
こういうふうにペアになっているものは同じものとしてまず認識しているはずなんですよね
言うとしたら右目とか左耳っていうふうに 複合語とか派生語で読んでるはずです
ただ冷静に考えてみると右目と左目は別個の存在というか別個の個体だし
耳だって手だって足だって別個の個体なんだからそれぞれ別個の名前をつけていても 個別に半中化していてもおかしくないはずなんですよね
考えようによってはさっき例に挙げた 水と湯っていうのが連続的だったのに対して右手と左手っていうのは全く別個の存在です
ですけど対になっている対照的なので 手という同じ半中に入れられているんですよね
ですので言語は 半中化はするんですけどその半中化っていうのは言語によってばらつきはありますが
ただその土台として やっぱり
動物としての言葉以前の認知能力っていうのが あるんじゃないかなという気がしますね
というわけで今回のエピソードはここまでということで 取り留めもないといえば取り留めもない話でしたけどね
また次回のエピソードでお会いいたしましょう 番組フォローまだの方はよろしくお願い致します
お相手は深夜15でした またねー
10:53

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