1. 志賀十五の壺【10分言語学】
  2. #567 自動詞、受動、逆使役、..
2023-07-25 10:17

#567 自動詞、受動、逆使役、再帰 from Radiotalk

北海道方言のエピソード
https://radiotalk.jp/talk/701297

主要参考文献
Haspelmath, M. (2000) The grammaticalization of passive morphology. Studies in Language 14(1), 25-72.

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
00:11
始まりました、志賀十五の壺。皆さんいかがお過ごしでしょうか。
さくらともぞうです。
お便りいただいております。
りょうすけさんからギフトと一緒にいただきました。
ありがとうございます。
おはようございます。
あたる、あてる、自動詞多動詞のペアで、
多動詞の方に意思性があるというお話、興味深く聞きました。
私は、自動詞のあたるに受け身性があるかなと思いました。
受け身性を帯びる自動詞は、他に傷つく、傷つける、
捕まる、捕まえる、ばれる、ばらす、などがあるようですが、
いずれもペアの多動詞に意思性があるように思います。
この受け身性を帯びる自動詞と意思性を伴う
多動詞のペアグループにあたる、あてるは該当するでしょうか。
シャープ69、久しぶりに聞きました。
コロナで自宅缶詰時代を懐かしく思い出します。
この頃はこの配信の向こうにどんな人がいるんだろうと思いながら
配信されていたんだろうなと勝手に想像しました。
ということで、りょうすけさんお便りありがとうございます。
シャープ69は関連エピソードで確か挙げたもので、
自動詞と多動詞の形の話をしているんですよね。
シャープ69なので、100行く前は、
100本配信するまではかなり方向性がまだ定まっていなかった頃で、
言語学の話もそれなりにしていたとは思うんですけど、
どっちに転んでもいいようにね。
スラムダンクと一緒ですよね。
バスケ漫画にするのか、不良漫画にするのか、どうするのかというようなのと一緒で、
この番組も雑談系の番組にするのか、言語学系の番組にするのかという、
方向性がまだ定まっていない時期でございました。
それはそれとして、
自動詞と多動詞のペアで、
当たると当てるのペアの話をこの間したんですよね。
当たるというふうに言うと意思性がなくて、
そもそも動作主がいないので、
当てるというと普通は意思性を伴うということで、
当てるという多動詞を使うと、
わざとというか、
意図的にそういうことをやってますというのが含意されるというお話をしました。
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逆に自分のせいじゃないという時は、むしろ自動詞を使って、
お皿割っちゃったじゃなくて、割れちゃったみたいに言うんですよね。
自動詞を使うと、ある意味責任感というかね、
そういったものが薄れると言っていいかもしれません。
ちなみにお便りの中にあった意思性という言葉ですけど、
言語学では普通、意思の詞というのは志という字を使いますね。
思うじゃなくて志の方で意思性と言われることが多いです。
さて、お便りにあった受け見性ということなんですが、
この受け見性というのが何なのかというのは非常に難しい問題です。
おっしゃりたいことはわかるんですが、
何をもって受け見っぽいというかというのは難しいです。
こういうふうに、当たる当てるとかね、
そういう自動詞と他動詞のペアがあるような動詞の場合は、
自動詞の方は目的語に相当するようなものが主語になって出てきます。
そういった意味では受け見性はあると言っていいと思います。
というのが、受け見文というのは普通、
目的語が主語になるプロセスということができるからなんですね。
生徒を叩くから生徒が叩かれるというふうに、
れるられるがついたら受け見になるわけですけど、
もともとの主語じゃない、もともとの目的語が受け見文の主語になる。
まあそういう意味では、当たるとかね、傷つく、つかまる、ばれる、こういったものは、
対応する他動詞の方では目的語になるものが主語になってますので、
そういった意味では受け見的です。
が、ある意味で受け見っぽくないということもできます。
受け見性はそんなにないということですが、どういうことかというと、
受け見文というのは、さっき言ったようにもともとの目的語が主語になるわけですが、
それと同時にもともとの主語が何らかの形で文に現れることができる、
というのが受け見文なんですよね。受動態です。
先生が生徒を叩く。これに対して生徒が先生に叩かれる。
こういうふうに先生にみたいに、もともとの主語が、
にとかによって、によって表すことができるんですよね。
それに対して、例えば当たるっていうのは、他動詞の主語に当たるような名詞、
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動作主っていうのを文中に表すことができません。
例えば、お便りの傷つくっていう自動詞と、傷つけるっていう他動詞を考えた場合、
太郎が花子を傷つける。
これを受け見文にした場合、花子が太郎に傷つけられる。
太郎っていうのは表れることができるんですが、
自動詞を使って傷つくといった場合、花子が傷つくとしか言えません。
花子が太郎に傷つく。花子が太郎によって傷つく。
ちょっといけるような気もするんですけど、
普通、自動詞といった場合、その原因となった動作主っていうのはね、
表れることができないんですね。
そう考えると、捕まるっていうのは警察に捕まるっていう風に、
その他動詞の主語っぽいものが表れるので、
この捕まるっていうのは、もしかしたら受け見性が高いと言えるかもしれません。
他にもありますけどね。
開くと開けるで、
彼がドアを開ける。
彼によってドアが開けられる。
これはいいんですけど、
彼によってドアが開くとはやっぱり言えないので、
受け見と自動詞文っていうのは、
物によっては目的語っぽいものが主語になるので、
そういった意味では受け見っぽいですが、
その動作主っていうのが、
含意されているかどうかという点において異なります。
こういう風に動作主を表すことができないような自動詞文を、
逆詞役ということがあります。
こういった逆詞役っていうのは、北海道方言なんかでね、
よく見られるサルラサルっていうのがあるんですけど、
それと非常に近いです。
この逆詞役のサルラサルについては、
関連エピソードがございますので、
聞いていただけたらと思います。
こういう風に日本語の感覚だと、
受け見文と自動詞文っていうのは結構連続しているように思われます。
実際捕まるなんかはかなり受け見文に近いですね。
警察に捕まるっていう風に動作主出てこられるんでね。
一方、自動詞と受け見ではなくて、
自動詞と再起っていうのが連続している言語も結構あるんですね。
再起。
再起っていうのは、
簡単に言うと目的語が自分になるようなものです。
自分を見るとかね、
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自分を洗うとか、
そういったものが再起なわけなんですけど、
日本語だと自分、英語だとマイセルフみたいにね、
なんとかセルフっていう形が出てくるものです。
それと自動詞文が連続してるっていう言語は、
ヨーロッパの言語に多いんですよね。
日本語だと、再起っていうのはむしろ多動詞文で、
自分を洗うみたいに、
をっていうのが出てくるんですが、
ヨーロッパの言語、ロシア語とかだと、
自分を洗うみたいな再起文が、
むしろ自動詞文と連続してるんですね。
こういうふうに自動詞と一口に言っても、
受け身やら、再起やら、
いろんなものと連続しているというお話でございました。
というわけで今回はここまでということで、
最後まで聞いてくださってありがとうございました。
番組フォローも忘れずよろしくお願いします。
お便りも募集中です。
それではまた次回お会いいたしましょう。
お相手はしがじゅうごでした。
またねー。
10:17

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