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お便り頂戴しております。けんかさんから頂きました。 ありがとうございます。
志賀さん、こんにちは。
てなづけるって、てぃプラスなつくかと思いますが、 てなづけるがてぃプラスなつくかと思いますが、
これは連濁の一つなのでしょうか。なぜ二文字目のつが濁るのでしょう。
理由をご存知でしたらお話ししてほしいです。 また他にも似たような言葉があれば教えてほしいです。
ということで、今回はこちらのお便りに沿ってお話ししていきます。
BGM、かかれい。
始まりました、志賀十五の壺。皆さんいかがお過ごしでしょうか。 人造人間18号です。
これなかなか面白いですね。
てなづける。
漢字の字面で見れば、てぃプラスなつくでお便りにあるようにね、 おっしゃる通りだと思います。
なので、てなづけるで良さそうというか、 連濁っていうのは本来、
複合語の中の構成要素の境界で起こるものなので、 そのつっていうのが連濁するというか、
濁らなきゃいけない理由はないんですよね。 本来連濁っていうのはそういうところで起こるものではないものなので、
なかなか面白い指摘だと思います。 こういうところがね、
なんていうかな、センスが問われるところっていうかね、 普段誰も気にしていないようなこと。
特に言葉なんてそうだと思います。 言葉なんて使えればいいので、
なんでこういうふうになってるんだろうっていう疑問を抱くことっていうのは、 もしかしたら少ないかもしれません。
母語話者っていうのはね、天才ですから、 どうでもいいんですよね。そういう規則的だろうが不規則的だろうがね、
そうなってるからそうなのであって、それでいいんですよね。 ただケンカさんのようにですね、こういうふうになんでこうなってるんだろうという疑問を抱くことができるというとこがね、
まあセンスのあるとこだと思います。 この手名付けるっていうのは、
その連濁というか濁音になっているっていう点以外にも変なところはあるなぁと思います。
だから僕の方がセンスがあるとかね、まあそういうことを言いたいのではなくて、 まあ一つは手名付けるっていうのが
通が通になっているっていう、 連濁っぽくなっているっていうのがまず一点です。
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でもう一個は手名付けるの、むしろ手の方ですけど、 こっちはたっていう音で本当は出るんじゃないかなという気がするんですね。
でこれは転音と言われる現象で、 よくあるのはエダンの音が、
単独でエダンの音で現れる要素が、 ある単語の一部、複合語の前の要素になった時にアダンの音に変わるっていうことがあります。
雨が雨宿りとか、 風が風車とかね、こういったもので、
同様に手っていうのも平行的に考えれば、 棚付けるみたいにね、たっていう音が出てきそうなものです。
で実際手っていうのは、 単語の一部になる時、全部要素になる時に、たっていう音で現れることがあって、
棚心とか、 あるいは手綱とか、
動詞でも助けるっていうのがそうです。 個語だと、
たすくですけど、このたっていうのは、 単独で現れる時では手っていう形なんですね。
でこれは被覆形と露出形と言われる対立ですけど、 まあその辺の話は置いといて、本当だったら、
たっていう音が現れそうなとこに、手っていうそのそのままの形で現れてるっていうのが、 ちょっと変わってるかなと思います。
でもう一つちょっと変だなぁと思うのは、 手プラス棚付けるっていう風に分解されるわけですけど、
この棚付けるっていう言い方が、あんまりしないんじゃないかなぁと思うんですね。
懐くっていうのが自動詞で、犬が懐くみたいになるわけですけど、 他動詞で犬を懐けるっていう風に、
どうですかね、言い言わないこともないと思うんですけど、 むしろ懐かせるみたいに詞彙形にするんじゃないかなぁと思います。
懐く懐けるみたいに、 5段動詞と
1段動詞の対立で、 動詞が次動詞と他動詞になっているっていうのはよくあって、
例えば続くと続けるっていうのがまさにそういったペアです。 番組が続くと番組を続けるということですけど、
まあこの他動詞の懐けるっていう形よりは、詞彙形の懐かせるの方が、 僕個人としてはね、なんか自然な気がします。
だからまあ続けるっていうのがなくて続かせるっていう詞彙形があるみたいなね、 そういったことでございます。
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話はそれましたけど、最初の話に戻りまして、 手懐けるのこの2が図になっているところの話ですけど、
似たような例はあるかというとあります。 これは手伝うっていうのがまさにそうです。
手プラス伝うですので、 本当だったら手伝う、手伝うとなりそうなとこなんですけど、連絡しているというか、
濁音になっているのは2拍目の音で、 伝うのたの部分が濁音になっているんですね。
それで手伝うとなっています。 これは手懐けるっていうのと非常に似ています。
たまたまかな、 手っていうのが全部要素だっていうのも共通してますよね。
さらに後部要素が、 さっき懐けるっていうのがあんま単体で使わないんじゃないかと言いましたけど、
伝うっていうのもどうですかね。 伝うっていうのは他動詞だと伝えるっていうのがあるけど、
伝うっていうのを 他動詞であんま使わないんじゃないかなと思うんですけどね。
涙が頬を伝うみたいには言うけど、これを他動詞と見るかどうかっていうことですけどね。
ちょっとその辺の話を置いておいて、 まあそういった点でも、その後部要素が単体で使われづらいっていう点でも、
そして手っていう要素を含んでいるという点でも共通していますが、
何よりも後部要素の頭の音が連濁しているのではなくて、 2番目の音が濁音になっているという点で、
手懐けるっていうのと、手伝うっていうのは共通しております。 これは何でかっていうのはちょっとわかんないですね。
なんでなんでしょうね。 手伝うっていうのは、
つっていうのは濁音になり得るので、 実際、壁図体にとか言えるので、ずっていう音が現れてもいいとこなんですけど、
まあ手伝うになってるんですよね。手懐けるの方はなっていうのは濁音ないので、 まあその辺もちょっと不思議ですよね。
で考えられる理由は、発音がしやすい方に 変化しているっていうことで、
手懐けるとか手伝うとか、こういうのが発音しづらいから 濁音の位置がずれているっていうのが考えられますけど、
手懐ける、手伝う。 言い慣れてないだけで別に言いづらいわけではない気がするんですけどね。
それともう一個考えられるのは、 手懐けるの方ですけど、
異分析っていうのがもしかしたらあるかなという気がします。 異分析っていうのはその単語の単語というか構成要素の境界っていうのを
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勘違いしちゃうということですけど、 手プラス懐けるではなくて、手懐プラスつけると考えちゃって、
つけるっていうのがあたかも一単語みたいに認識して、 その頭のつっていう音を濁音にして手懐けるになっているという説ですけど、
まあそんなことないと思いますね、これもね。 というのが漢字で手プラス懐けるっていう風に、
僕は和謝としてはやっぱそこで切れ目が入るっていうのがちゃんとわかっていると思うので、 これもちょっといまいちな仮説かなという気がします。
もうちょっと別の例で若干似てるなぁと思うのは、 舌つづみというやつです。舌つづみ。
これは本来舌づつみっていう風に連濁が起こってたんですけど、 メタセシスって言って音が入れ替わっちゃって舌つづみになったと考えられています。
ただ手懐けると手つだうは別にそういう風に音が入れ替わったわけでもなさそうなので、 舌つづみみたいなものとはちょっと並行的には考えられないかなと思いますね。
というわけで結論としてはよくわからないということですので、 またもうちょっと考えてみて、あるいは調べてみたりして、
もし改めて何かしら言えそうだったらまたエピソード収録しようと思います。 そんなに例は多くない気はするんですけどね。
というわけで今回はここまでということで、また次回のエピソードでお会いいたしましょう。 番組フォローも忘れずよろしくお願いします。
お相手はしがじゅうごでした。 またね!