1. 志賀十五の壺【10分言語学】
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2020-08-02 10:03

#147 「雨に降られた」は受身文か? from Radiotalk

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
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始まりました、志賀十五の壺。皆さんいかがお過ごしでしょうか。志賀です。
今回のトークテーマは、ズバリ受動態、受身文、です。
まあ、端的に言えばですね、日本語だったら、れるられるが付くものが受動態、ですね。
先生に叱られた、みたいなものです。 あるいは、英語だったら、
なんだ、b 動詞プラス過去分詞形、 っていうのが受動態の形ですよね。
This was made in Japan みたいなんだったら、これは日本で作られた、みたいな、こういうのを受動態というふうに言います。
まあ、かっこいい言い方をするとですね、受動態、受身文っていうのは、 統語操作なんですよね。
この日本語と英語って全く違う、 そのプロセスっていうか、
違うことをやっているように見えるんですが、 同じ受動態っていう名前で呼んでるんですよね。
当然それは共通しているものがあるからということです。 それは何かというと、一つは、
他動詞の目的語だったものが主語の位置に来る、 っていうのが一つ受動態の定義です。
先ほどので言うと、 私はっていうのが出てきてないですけど、
私は先生に叱られた、 っていうのは、一応想定される元の文っていうのが、
先生が私を叱った、ですよね。 で、この目的語にあったものが主語の位置、つまり、
私をの私が主語の位置に来るっていうのが一つ、 受動態の定義です、日本語だと。
英語でも同様ですね。 目的語だったものが主語に来るので、
さっきのだと、this was made in Japan だから、
someone made this in Japan の this が主語の位置に来ていると。 こういうことですね。
2つ目の特徴は、もともとの主語が現れなかったり、 あるいは背景化されるということですね。
つまり、さっきのだと、 日本語だと先生に叱られたっていうことで、
最悪出てこなくてもいいんですよね、これってね。 叱られただけで、
私っていうのが前傾化されているってことになりますけど、 先生にっていうのはある意味バックグラウンドになっているということです。
英語でも同様ですね。 this was made in Japan で by somebody っていうのは出てきてないということです。
3つ目の特徴は、動詞に何らかの変化があるということです。 日本語だったられる、られるがつくし、
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英語でしたら b 動詞、プラス、 動詞の形、本体の形は過語分析にならなきゃいけない、
っていうね、この3つの特徴があるっていうことですね。 もう一回言っておくと、目的語だったものが主語になる。
もともとの主語は背景化される。 動詞が何らかの形で変化すると。この3つの特徴がございます。
おしまいなんですが、 今回のタイトルになっているですね、
雨に降られた。 これは受け身文なんでしょうか、なんでしょうかっていうことなんですね。
まあよくね、これね、英語の、なんていうか、高校英語の問題とかで出るんですよ。 和訳の、和訳じゃねえや、英訳の問題とかで。
つまりですね、雨に降られたっていうのを英語にしろっていうので、 I was rained とか言えないんですよね。
あるいは、子供に泣かれたっていうのも、 I was cried by the baby とかね、こんなの言えないということですね。
なので、これどういうことかというと、 日本語と英語で受動態の守備範囲が違うっていうことですね。
英語の受け身文、受動態っていうのは、 もっぱら多動詞に適用されるものなんですけど、
日本語の場合は、これが何で変かというと、 自動詞にも適用されているからということです。
つまり、雨が降るとか、子供が泣くっていうのは、 これ自動詞なんですよ。
つまり、〇〇をっていうね、 目的語が出てないんですよね。
なので、さっき言った3つの特徴のうち、 動詞の形は確かに変わっているんですよ。
れる、られるっていうのが、 降られたとか泣かれたっていうのがくっついているので。
それと、元の守護が背景化されるっていうのは、 雨にとか子供にっていうことで、
一応背景化されてるんですが、 元の目的語が守護の位置になってるかというと、
そうではないっていうことですね。
なぜなら元の目的語も何も、 元々多動詞じゃないんだから、
目的語同行できないっていうことですね。
こういう、自動詞の受動態のことを、 日本語学とか国語学では迷惑の受け身っていうふうに言うんですよね。
迷惑のニュアンスが確かにあるってことですね。 雨に降られた、子供に泣かれた、こういうことです。
なので、こういう迷惑な感じがあるので、 どうしても守護は人間になりがちですよね。
私はっていうのはここでは出てきてないですけど、 雨に降られた子供に泣かれたっていうのは、
守護は人間であるということです。
もう一つ、日本語の受け身で変わってるのは、 これは持ち主の受け身とか言われるものなんですよね。
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っていうのは、これも高校英語でよく出るんですよ。 財布を盗まれたっていうやつです。
これは、I had my wallet stolen って言わなきゃいけないんですよね。
よく出るんですよ、これ。
これも冒頭申し上げた受動体の定義に当てはめてみると、 動詞の形は確かに変わってる。
れる、られるが盗まれたっていうふうに変わってるので、 盗むから盗まれるって変わってるので。
ただ、元の目的語は守護の位置になってなくて、 目的語のまんま残ってるんですよね。
財布を盗まれたですから。 これが、もし財布が盗まれただったら、
万歳っていう感じですよね。 ちゃんと財布をっていう目的語が 財布が盗まれたになってるので。
そうはなってないってことですね。 この持ち主の受け身の場合は。
財布を盗まれた。これは、守護はまた出てきてないですけど、 私はですよね。私は財布を盗まれた。
これが持ち主の受け身って言われてるのは当然。 財布の持ち主が守護の位置に出てきて、
元の目的語は目的語のまんま残って、 動詞の形だけ変わってると。
私は財布を盗まれた。 こういうふうになってるってことですね。
この手の受け身文は迷惑っぽいんですけど、 私は財布を盗まれただけみとくと。
ただ、実力を高く買われたみたいな時は、 必ずしも迷惑って感じではないので、
一概にはそういう迷惑っていうニュアンスが あるわけではございません。
ということで、以上の話をまとめると、 日本語の受け身と英語の受け身は、
3つの点で共通しているってことですね。 元の目的語が守護になって、
元の守護は背景化されて、動詞の形が変わると。
ただ、日本語の受け身文の場合は、 ちょっと守備範囲が広くて、
自動詞に適用されることもあれば、
あるいは元の目的語が守護の位置に行かずに そのまんま残って、
持ち主の受け身みたいになることも あるっていうことですね。
でね、この受け身文のね、 特に日本語の受け身文の面白いところは、
詞役とちょっと繋がっているような ところがあるんですよ。
詞役っていうのは、 セルさせるっていうのがつくものですね。
例えば現代語で言うと、 子供に死なれたっていうね。
戦争で子供に死なれてしまった、 みたいな、あんまり良い例ではないですけど、
そういう言い方は、 戦争で子供を死なせてしまったっていうふうにね、
ちょっと言い換えれたりするんですよね。
あるいは古典の場合だと、兵器物語とかで、 撃たれてとか、矢を射られて、みたいな時に、
撃たせてとかね、射させて、 みたいな言い方をするんですよね。
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で、これもなんでかっていうと、 なになにされたっていう受け身文を使うと、
なんていうか、プライドが許さないっていうことで、
あくまで自分がさせたんだっていう意味で、 死役を使ってたらしいんですよ。
だからこういうとこにね、武士の心意気っていうか、 プライドっていうかね、そういうのが見て取れます。
まあこのね、死役と受動体の連続体っていうか、 連続性っていうのも面白いところだと思います。
というわけで、今回は受動体というかね、 受け身文についてお話しいたしました。
英語と日本語で多少守備範囲が違うということなので、
これは英語だけじゃなくて、 他の言語でも当てはまることだと思うので、
言語を学習する際はお気をつけくださいというお話です。
というわけで、今回はここまでということで、 よろしかったら番組クリップお願いいたします。
ではまた次回お会いしましょう。 ごきげんよう。
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