1. 志賀十五の壺【10分言語学】
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2021-03-06 09:39

#276 「言語の奴隷」とお笑い from Radiotalk

むいむいさんとのコラボ
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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育 #さがみ泥沼たかくRadio
00:01
始まりました、志賀十五の壺。皆さんいかがお過ごしでしょうか。志賀十五です。
今回はまずお便りを読み上げたいと思います。こちら、はるはるさんからいただきました。
志賀さんこんばんは、はるはるです。ついにむいむいさんとのコラボが実現しましたね。志賀さんとむいむいさんへのコラボ希望のお便りをお送りしたのは私でした。
コラボ会の配信を拝聴しましたが、お二人とも緊張している感じでしたね。配信された以外のところでもお話しされたのでしょうか。もし配信された以外のところのお話があれば教えていただけると嬉しいです。
何卒よろしくお願いします。ではまたということで、はるはるさんどうもありがとうございます。
これはこないだ配信したむいむいさんとのコラボのことについてですね。
僕自身は、むいむいさんもそうだと思うんですけど、そんな緊張してなかったと思うんですけど、
自分のことは自分が一番よくわからないので、はるはるさんが緊張しているふうに感じたということは緊張してたのかもしれません。
あとは対面でコラボさせていただいたので、お互いマスクしてたからいつもと違う感じに聞こえたっていうのもあるかなと思いますね。
でそのコラボした時の裏話みたいなのはね、そんなにないといえばないんですよね。本当に打ち合わせとかなくいきなりコラボさせていただいたっていう感じで。
これはね、2月27日の相模泥沼高倉ジオっていう企画の一環としてね、ちょっといい機会をいただいたのでコラボさせていただいたんですけど、
その当日のメインは3時から始まるライブ配信の方だったんですよね。
そのライブ配信が始まる前に、僕を含め数人のラジオトーカーが高倉さんとムイムイさんとコラボができたっていうことで、お二人ともかなり大変だったんじゃないかなと思いますね。
なのでスケジュールとしてはもう午後いっぱいきつきつっていう感じで、しかもメインは3時からのライブ配信ということだったので、そんなに時間も取れず簡単な挨拶とコラボをしたっていう感じなんですよね。
この後実勢なので打ち上げとかそういうのもなかなかしづらかったっていうのもあって、もっと時間があればなーって思いましたね。皆さんそう思ってるんじゃないかなと思います。
まあそれでも短い時間ではありましたけど、ムイムイさんにも高倉さんにも実際にお会いしてコラボできたっていうのは、またリモートでコラボするのとはわけが違うと思うので、ありがたい貴重な経験となりましたね。
03:14
まあ裏話といえばこのくらいですかね。
というわけでハルハルスさんお便りありがとうございました。
その2月27日に高倉さんとコラボした時におこうがましくもですね、どういう時に人は笑ってしまうのかっていうような質問をさせていただいたんですよね。
そこで一つキーワードとしておっしゃってたのが、想定外のこと予想外のことが起こると人はおかしさを感じてしまう、笑ってしまうっていうのがあったんですよね。
確かにお笑いの漫才にしろコントにしろ予想通りのこと、想定通りのことで話が進んでいったら何もお笑いどころがないわけなので、一つ大きな原理だと思うんですよね。
その想定外とか予想外っていうことを今回は言語学的にちょっと考えてみようと思います。
言語にはルールっていうのがあるんですよね。
一般にそれは文法と言われるものです。
我々自由に言語を使っているように見えて、実はそのルールに縛られているんですよね。
究極的な表現をすると、我々は言語の奴隷であるっていうような言い方もできるかもしれません。
非観的に言うとそういう言い方ができると思います。
言語っていうのは、自ら我々が作り出したものであるはずなのに、自らを縛りつけているものでもあるっていうね。
そういう逆説的な状況があると思うんですよね。
その言語のルールを破るということは一つ想定外なことと言えると思うんですよね。
それが笑いにつながることもあるし、もっと大げさに言うと人間の創作活動というか、
クリエイティビティっていうかな、カタカナで言うと、そういうとこに関わることなんじゃないかなと思います。
例えば、今の僕があるのは、先生のおかげと言っても過言ではあるみたいな言い方をしたとき、ちょっとおかしさを感じると思うんですよね。
これは過言ではときたら、否定で結ばないといけないっていうルールがあるにも関わらず、過言ではあるという言い方をしています。
それが出てきたら最後は否定で結ばなきゃいけないっていうようなルールは結構あって、
他にもこれを語らせたら彼の右に出るものはたくさんいるとかね、
右に出るものはとか言うと否定がこなきゃいけないのに公定形で結んでるとか、
06:00
こういった表現は文法のルールを破っているということになります。
だから想定外のことが起こっておかしさを感じるんだと思うんですよね。
これは否定に限った話では当然なくて、
昨日渋谷に一人で集まったとか言った場合もなんかおかしな表現に感じると思うんですよね。
これは集まるっていう動詞が、
普通主語は複数じゃないといけないところを一人でとかつけるからおかしさを感じるということです。
あるいはちょっと思いついたのは、
この番組は面白いと私によって言われているとかね。
これは日本語の受け身文というか受動態言われているみたいなものは、
普通ね、日本語に限った話じゃないかもしれないんですけど、
一人称が動作主の場合使えないはずなんですよね。
私によって言われているとは普通言わず、私が言っているという言い方になるところを、
あえてというかね、ルールを破って受動態にして、
面白いと言われている私によってとか言うと、
お前しか言ってないんかいみたいなね、そういうおかしさが出てくるんだと思います。
こういうのはね、探そうと思えば意外とあるはずなので、
皆さんぜひ探してみてはいかがでしょうか。
というわけで今までの話をまとめるとですね、
人がおかしさを感じるのは想定外、予想外のことが起きたときであると。
その一つの例として、言語のルール、文法のルールを破るということによって、
笑いが起こることもあるということですね。
これは大げさに言うと、自らを縛りつけている言語から逸脱するというか、
ちょっと自由になれるような、そういう瞬間であると言えるかもしれません。
ただこれは程度の問題でもあって、
破れるルールと破れないルールっていうのがあるんじゃないかなと思いますね。
この線引きってどこにあるのかなとかちょっと思うんですけど、
例えば、食べたっていう表現を過去のことを強調したいからって言って、
過去のたを前に出してた食べとか言えないですよね。
これはたっていうのがかなり自律性の低いっていうか、
付属的なものだからむやみやたら移動できないっていうのが一つあると思うんですけど、
そういう程度の差はあるんですが、
ルールを逸脱するっていうことが、
新しい表現とかお笑いにつながっていくっていうのは確かだと思います。
ちなみに言語学ではですね、こういうルールを逸脱したような、
09:01
いわゆる間違ったっていうかな、表現のことを非文というふうに言います。
非文っていうのは文にあらずと書いて非文です。
そういった非文を研究すると、新しいお笑いみたいなものに通じていくかもしれません。
もし皆さんで思いついたものがあったりしたら、ぜひお便りいただけたらと思います。
というわけで今回のトークはここまでということで、最後まで聞いていただいてありがとうございました。
ではまた次回お会いしましょう。ごきげんよう。
09:39

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