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始まりました、志賀十五の壺。
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。志賀十五です。
最近は、まあその、新型コロナウイルスとかね、そういう影響であんまないですけど、
よーくなんか芸能界とかね、不祥事とかあったら、謝罪会見とかやってましたよね。
まあ芸能界に限らずかな、政界とかもそうか。
なんかそういうのを振り返ると、ああいうのってなんか平和だったんだなっていうか、
世の中が平和だからこそ、そういう不祥事の謝罪会見とかが取り上げられてたんだなと思うとね、
なんか懐かしいっていうか、いい時代だったのかなとかね、思いますよね。
だからといって、今後このコロナが収まってですね、
バンバン不祥事が出てくるといいなと思っているわけではないですけど、
まあそういうことをふと考えました。
で、その謝罪会見でよく、深くお詫び申し上げます。
申し訳ありませんでしたっつって、頭を下げてカメラマンがシャッター切るみたいなそういうのがありますよね。
で、そういう中で、深くお詫び申し上げます。で、頭を下げるみたいなのがありますよね。
その後にすみませんでしたとかごめんなさいとかないんかいみたいな。
深くお詫び申し上げますと言っといて謝ってないじゃんみたいなね。
なんかそういうの見たことある方いらっしゃいませんかね。
で、僕は割とその小さい頃とかは、ごめんなさいって言えよって思いましたよね。
そのお詫び申し上げるって言ってんだから早く申し上げろよとかね、なんかよく思った記憶があるんですけど、
実はこの現象は言語学的にちゃんと名前があるんですね。
これは発話ない行為と言います。
英語だとイロキューショナリアアクトとか言ったりするんですけど、発話ない行為と言うんですね。
これどういうことかというと、何かその発話をする、口に出すことによってそれ自体が行為となっているということなんですね。
なので、お詫び申し上げますと言った時点で、それ自体が謝罪になっているということなんですよ。
これってどうなんだろうな、その言葉の性質上、本質上、割と変わったことかもしれませんね。
普通は起こった事態とか目の前にある事態、あるいは未来の事態について描写するっていうのが言語の本質なのかな、そうでもないのかな。
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あるいは誰かに命令してそれをやらせるとか、質問して尋ねるとか、そういういろんな機能がある中で発話ない行為っていうのは、
それ自体が発言する、そのこと自体が行為となっているということなんですね。
なので、お詫び申し上げますと言った後、すみませんと言わなくても、まあいいと言えばいいんですね。
お詫び申し上げます、それを言った時点でそれが謝罪になっているということなんですね。
これいっぱいありますよ。
例えば、漫画とか何でもいいですけど、礼を言うって言った後に、ありがとうって言わないやつ。
礼を言うって言ったなら、ありがとうって早く言えよとか、僕も思ったことありますけど、あれは礼を言う自体が礼を言うことになっているんですね。
なんかごちゃごちゃしてますね。
まあそういうことなんですよ。
ちょっとね、この礼を言うとか謝罪するとかは分かりづらいんですけど、もうちょっと分かりやすいのは宣言しますとかですね。
なんとか大会の開催をここに宣言しますって言って、この宣言しますと言ったこと自体が宣言することになっているんですね。
これ何を言ってんだよっていうことだと思うんですけど、ちょっとね、まあ説明は難しいと言えば難しいんですね。
あるいは命名しますとかね、命名するということ自体が命名することであるとか、あとは一番日常的なのは約束しますとかですかね。
これは約束しますと言ったこの発話自体が約束することになっているっていうことなんですね。
なのでこの謝罪する、礼を言う、宣言する、命名する、約束する、すべてこれは発話ない行為と言われるもので、その発話自体がその行為になっていると。
なんか哲学的な感じもしますね、そんな香りもしますけど。
言語活動っていろんなものがありますけど、先ほど言ったように描写するとか命令する、質問する、そういった中の一つとして発話ない行為というのがあるということですね。
これってちょっと意識されづらいかもしれませんね、その言語の機能としては。
あとあれもですね、結婚式で誓いますとか言うやつですね。
誓いますということはその誓いますということ自体が誓うことになっていると、こういうことですね。
なかなか面白いですね。
これは発話ない行為というもので、意識されづらい言語の機能の一つであると、そういうお話でした。
発話ない行為についてはですね、もうこれ以上語ることはないんですね。
なので終了しますと言って、発話ない行為で終了させることもできるんですけど、せっかく時間が余ってるからどうしますか、雑談しますか。
別に終わってもいいんですけど、今6分ぐらい経過しましたけど、大抵僕はもう10分ぐらいは絶対話すようにしてるんですよね。
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大体12分、これラジオトークってアプリで収録してるんですけど、大体12分いっぱいいっぱい収録して、
それから噛んだところとか無駄な間とかはカットして、10分から11分ぐらいのトークが大体多いと思うんですよね。
時々前編後編とかそういう二部構成っていうかね、12分以上になってしまうこともありますね、時々ね。
でもできるだけその12分一本勝負っていうか、なかなかアナリティクスっていうのがあってそこで見られるんですけど、
その再生数とか何パーセントぐらい再生してもらえたとかね、そういうのがあるんですよね。
そのラジオトークで配信してる東海オンエアの皆さんは当然ご存知だと思うんですけど、
そういうの見るとね、やっぱ前編後編に分かれると普段よりちょっと再生数少ない気はするんですよね。
むしろなぜか後編の方が再生されてることがあるんですよ。
なんでだろうな。
普通前編を聞いて面白くないから後編聞かないみたいな感じで前編が多くなりそうなものなんですけど、
後編だけ聞いていいんですけどね。
リスナーの方がどう考えてるかはちょっとわかんないんですけど、後編だけ聞くっていう方が結構いらっしゃるんですよね。
でもね、さっきも言ったように前編後編分けるのは良くないですよね。
なかなか億劫ですよね。前編聞いた後後編そのまま聞くっていうのがね。
流しっぱなしで聞いておきたいと思うので、煩わせないためにできるだけ12分1本でやっていきたいと思います。
でもどうなんだろうな。12分というか10分だいたい僕は超えてるんですけど、長いのかな?どうなんでしょうね。
さっきも言ったようにアナリティクスで見られるんですけど、総再生時間とかパーセンテージがあって、パーセンテージ見てもね、
なかなか100%とかはないですよね、当然ね。9割ってこともまあないですね。
よくて8割とかしか再生されてないので、その理由がね、もしかしたら長すぎるからかもしれないんですよね。
でもね、僕個人としてはそういう12分で頑張って話そうっていう、12分の中でどうするかっていう感覚というか構成っていうのがある程度自分の中でリズムができちゃってるものですから、
できるだけ時間いっぱい話して、いらないとこをカットして、10分か11分くらいっていうのがもうそれで慣れちゃってるんでね。
なのでもう発話ない行為の話は終わっちゃってるのにダラダラ話しちゃってるわけなんですけど、他のトーカーさんはどうなのかな。
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もう自分の言いたいこと喋ったらもう切っちゃうのかな。
というか台本があったりすんのか。
僕はどっかでお話ししてますけど台本っていうのがないので、どうなるか分からず見切り発車で喋り始めて、
だいたい12分で納めようということでやってるんですけど、そうか台本があったりするとまた違いますよね。
台本を作って自分の中で決めた時間内に終わらせるっていう人もいるんだろうな、きっと。
それぞれのトーカーさんのスタイルっていうのがございますからね。
いろんなスタイルがあるにしろラジオトーカーの皆さんは素晴らしいですよね。
それぞれのスタイルというか特徴を生かして番組作っていらっしゃって尊敬いたします。
というようなことをだらだら喋ってたらだいたいいいくらいの時間になりましたかね。
ちょっと今髪かけましたけどね。
前半話したことをちょっとおさらいしておくと、
お詫び申し上げますっていうのはね、それ自体が謝罪という行為になっているというね、
発話と行為が同一のものであるっていう発話ない行為と言われるもので、
そこには謝罪だけでなくお礼を言うとか宣言する、命名する、約束するといったものが含まれるということですね。
言語っていろんな機能があるけど、それ自体が行為となっているという、そういう機能もあるという新しい発見になればいいかなって思います。
というわけで今回はここまでということで、最後までお聞きくださってありがとうございます。
特に後半だらだらしちゃいましたけど。
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あとご質問等ございましたら大募集しておりますのでよろしくお願いいたします。
ではまた次回お会いしましょう。ごきげんよう。