1. 【10分言語学】志賀十五の壺
  2. #756 共通語の影響で生まれる..
2025-05-17 11:08

#756 共通語の影響で生まれる方言:ネオ方言 from Radiotalk

主要参考文献
荻野綱男(編)(2018)『現代日本語学入門 改訂版』東京: 明治書院.

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育

サマリー

日本国内の方言は共通語の影響を受けながらも新たな形をとり、ネオ方言として発展しています。特に西日本の方言に見られる「とる」や「んかった」といった表現がその一例です。

ネオ方言の概念
日本国内では様々な方言が話されています。が、その方言がなくなっていっている、あるいは共通語化しているという話を聞いたことないでしょうか。
それは一理あると思うんですよね。
古くはラジオ、今だとテレビ、ないしネットなどの普及によって、日本各地の方言が共通語化しているというのはあるとは思うんですが、
そんな中で、方言が共通語の影響を受けて、そのまんま共通語になるんではなくて、一種の中間段階というか、新しい方言が生まれるということもあるんですね。
そういった方言をネオ方言と言います。
BGM、行けい!
始まりました、志賀十五の壺。皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
ネオ方言というのは、さっきも言ったように、完全に共通語化するわけではなくて、共通語の影響を受けて、新しい方言が生まれるみたいなことで、
僕の感覚だと、西日本方言のとるというのがそれに当てはまるかなと思います。
とるというのは、食べとるとかね、行っとるとか、見とるとかいうときに出てくるとるで、
共通語だとてるにあたるんですよね。
より基本的にはているですけど、
共通語の食べてるに対して、西日本方言、僕の出身地の岡山なんかでは、食べとるという言い方があります。
西日本の方言では、食べとるに対して、食べよるという言い方もあるんですね。
このとるとよるの対立というのは、西日本に特徴的で、
この区別が共通語ではないので、全部てるで済ましています。
ごく簡単な言い方をすれば、食べとるというのは、結果状態とか官僚を表して、食べよるというのは進行を表すんですね。
ですので、今まさに食べているときは、今食べよるという言い方が、もともとある意味正しい言い方でした。
しかし、さっきも言ったように、共通語にはこのとるとよるの区別はなくて、進行であっても、今食べてるという言い方になるんですね。
それに引きずられる形で、おそらく西日本方言では、進行であっても、食べとるということができるはずです。
進行はもともと、今食べよるみたいに、よるを使うんですが、共通語は全部てるを使う。
それに引きずられる形で、とるを進行にも使って、今食べとると。
これはネオ方言の一つであると言えると思います。
すなわち、共通語の食べてるのてるをそのまま受け入れて、完全に共通語化するのではなくて、
そのてるの使用範囲、進行まで使えるという使用範囲だけを受け入れて、食べとるみたいな言い方ができているということです。
これは僕の実感として、個人的にわかりやすいネオ方言の例ではないかなと思います。
あるいはまた、僕の方言の話で言うと、過去の否定というのは、
食べなんだとか、いかなんだとか、このなんだっていう、未前形プラスなんだっていうのが、
西日本では、規範的な形だったんですが、
今では、食べんかったとか、いかんかったっていう風に、んかったっていうような、
そういう言い方の方が主流だと思います。
これもネオ方言で、
共通語だったら、食べなかったとなるわけですけど、
食べないに対して食べなかった。
その対応関係を西日本方言にも適用させて、
食べんに対して食べんかった。
これもやっぱり形式をそのまま受け入れるのではなくて、対応関係を受け入れる部分的に共通語化しているネオ方言ということができます。
関西方言の変化
もう一回おさらいしておくと、
食べん、食べなんだという対応から、
共通語の食べない、食べなかったの形式そのものではなくて、
その対応関係だけを受け入れて、
食べん、食べんかったというネオ方言が生まれたということです。
似たような現象は関西方言の否定でも見られます。
関西方言だと、いかへんとかね、
食べへんみたいにへんというのをつけて、否定を表す地域があります。
これはさっきのね、岡山みたいな西日本の食べんみたいなんとはちょっとまた別ですよね。
で、この否定についてもっと言うと、来るの否定、つまり来ないについてネオ方言が観察されます。
で、この来ないの関西方言はいくつかバリエーションがあります。
大阪だとけいへんですけど、京都だときひんになったり、
あるいはきやへんとかいう言い方もあります。
これらの否定形に加えて、ネオ方言としてこうへんというのも現れたんですね。
実際こうへんという言い方をする方もいらっしゃると思いますが、
これは一種のネオ方言です。
けいへんとかきひんに加えてこうへんができたのは、
これは共通語の来ないというのが、こうというのに否定のないというのがついていると。
で、これも来ないそのものを、形式そのものを受け入れるのではなくて、
こうプラス否定の要素、その対応関係だけ受け入れて、
こうプラスへん、こうへんというのが生まれたということなんですね。
関西方言では音韻、つまり音の面でもネオ方言が観察されます。
この辺はちょっと気合がいるところではあるんですが、
ちょっと専門的な言い方になりますけど、
伝統的な関西弁では、いわゆる関西方言では、
4類と5類というのがアクセントの上で区別されます。
ちょっと専門的で申し訳ないですけど、
ひくひくたかというのとひくたかひくというのが区別されるんですね。
4類のひくひくたかっていうのは、
例えば空がとか船がとか傘がっていうふうにひくひくたかとなります。
一方5類はひくたかひくなので、
秋がとか朝がとか雨がとか、
そういう2つのアクセントパターンが区別されるんですね。
一方共通語は、この4類と5類の区別がなくて、
両方たかひくひくというアクセントパターンになります。
空が、船が、傘が、4類はたかひくひくだし、
5類についても秋が、朝が、雨がっていうふうにたかひくひくとなります。
で、ネオ方言ではどうなるかというと、
アクセントがたかひくひくと共通語化するんではなくて、
4類と5類の区別がないというそのシステムだけを受け入れてるんですね。
つまり4類と5類の区別がなくなって、両方5類になっちゃったというか、
ひくたかひくのパターンになってしまったということです。
つまりさっきの例で言うと、4類だと、
船がっていうのが4類です。
船が、これがひくひくたかですね。
で、これが5類のアクセントパターンになっちゃうっていうことは、
ひくたかひくになるので、船がとなるということです。
つまり、船がが船がになるっていうのは、
秋がっていう5類と一緒になるということで、
アクセントの4類と5類の区別がなくなっているということです。
で、この4類と5類の区別がなくなるということが、
一種の共通語化ということです。
ただ、完全な共通語化ではないんですね。
完全に共通語化しているんだったら、
共通語のアクセントで、
船がとか秋がっていう風な発音になりそうなもんなんですが、
そうではなくて、あくまでアクセントパターンは、
船がとか秋がっていう風に、
関西風のアクセントを保ったまんま、
区別がなくなるという点で、
共通語化しているということです。
このように、ネオ方言というのは、
共通語の影響は受けています。
そして部分的に共通語化しています。
しかし、共通語の形式をそのまんま受け入れるわけではなくて、
対応関係とかシステムを受け入れて、
新しい方言形式が生まれるというのがネオ方言でございます。
というわけで今回のエピソードはここまでということで、
また次回のエピソードでお会いいたしましょう。
番組フォローまだの方はよろしくお願いいたします。
お相手はシガ15でした。
またねー。
11:08

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