1. 志賀十五の壺【10分言語学】
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2021-11-12 10:48

#385 方言に残る『古語』 from Radiotalk

「食べることをなしにする」から「食べ残し」の派生は、やっぱり厳しいかなあ。

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00:03
始まりました、志賀十五の壺。みなさんいかがお過ごしでしょうか。ループスカイウォーカーです。
今回はお便りをいただいているので、まずそちらをご紹介しようと思います。
こちら、あぶらそばスラッシュ今はなきりんごさんからいただきました。
方言のことで疑問に思っていることがあるので質問です。
飲食を途中でやめたものを食べさしや飲みさしと言うんですが、
私の地域ではまたそれが違っていて、食べくさし、飲みくさしと言います。
さしという言葉に関しては自分で調べられて、さす、止めるという字でさすという動詞があるということで理解できました。
しかし、なぜ食べとさしの間にくが入って食べくさしとなるのかはわかりませんでした。
必須だったら申し訳ないのですが、まだでしたら教えてほしいです。よろしくお願いします。
ということで、りんごさんお便りありがとうございます。
この食べくさしみたいな表現は僕は初めて聞きましたね。
僕自身は岡山県出身で、食べさし飲みさしという言い方はよくするかなと思います。
ただ飲食に限った話じゃなくて、かきさしとかやりさしとかそういった言い方もできます。
共通語的に言うと、食べかけ飲みかけに対応するんじゃないかなと思います。
いずれにせよ動作が途中で終わっていることみたいなのを表しているわけですよね。
結論から申し上げますと、食べくさしのくが何なのかはよくわかりませんでしたので、
今から話す内容はですね、僕の推測となっているのでご了承いただけたらと思います。
食べくさし、まあ食べくさしと食べさし、この2つを見比べたときに意味も形も非常によく似てますので、
食べくさしっていうのが、まあ食べさしに対してくっていうのが間に挟まっているように見えるんですけど、
僕はちょっと違うんじゃないかなと思います。
それよりむしろ食べくさしっていうのは、食べるっていう動詞とくさすっていう動詞の足し算じゃないかなと思います。
というのも、食べさしにしろ食べかけにしろ、まあこれらは動詞の足し算なわけですね。
食べるプラスさす、食べるプラスかける、こういった表現を複合動詞とか言ったりするんですけど、
その場合前に出てくる動詞は連用形になって後ろの動詞にくっついていくわけなんですね。
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でその際、間にくみたいな要素が割り込むことはないんじゃないかなと思いますね。
他にも、食べ始める食べ終わる、まあ動詞じゃないですけど食べにくいとかね、こういうふうに連用形の後に直接くっついていくので、
そういう他の複合動詞と同じように考えるんだったら、食べくさしっていうのは食べるプラスくさすと考えるのが説明としてはすっきりするんですね。
なので、食べさしと食べくさしっていうのが似てるのはたまたまで、
由来は全然違ってその食べさしの方は食べるプラスさすだし、食べくさしの方は食べるプラスくさすと、
まあこういうふうになるんじゃないかなと思います。
ただ、そうなるとくさすっていう動詞を想定しなきゃいけないわけですけど、
これは現代語では避難するとかけなすっていう意味なので、全然なんていうかな、筋は通らないんですね意味としては。
まあここまで遡ると、くたすっていう動詞があって、これは漢字は腐るっていう字を使うんですけど、
意味としては文字通りのその腐らせるっていう意味と、現代まで引き継がれている人をけなす避難するっていう意味があるんですけど、
それと合わせて無にするとか、やる気を損なわせるみたいな、そういった意味がくたすにはあったみたいなんですね。
もしかしたら、古語のくたすのこの無にするみたいな意味が、食べくさしや飲みくさしに引き継がれているというか、派生してるんじゃないかなとなんとなく思います。
ただこれはわかんないな。本当に食べさしっていう表現の間にくっていうのが何らかの事情で割り込んでいるのかもしれないんですけど、
そうなるとくっていう独立した要素を考えなきゃいけないわけで、そうなると他の複合動詞とはまた別個の特別な説明が必要になるので、
言語学的に考えるとですね、あらゆる現象はシンプルな説明の方がいいんですよね。
今の例だと複合動詞っていうのは、その動詞の連用形にそのまま動詞が続いていくっていう、そういうすっきりした規則の方がまあ都合がいいので、どうしてもそう考えちゃうんですよね。
なのでまとめると、食べくさしっていうのは食べさしとは語源が違って、食べるプラスくさすっていう動詞の足し算じゃないかなっていうのが僕の持論です。
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りんごさんのご質問にね、うまく回答になってるかちょっと自信はないんですけど、まあそのような感じになっております。
もし食べくさしっていう表現が食べるプラスくさすだったとしたら、仮にね本当にそういう由来だとしたら、
現代の共通語のくさすでは失われてしまった意味が、まあ方言で生き残ってるっていうことになります。
まあこういったことって結構あるんですね、方言に故語が残ってると。
まあもちろん逆もあります。方言は方言で独自の変化をしていくので、方言の方から見れば共通語の方が故語の特徴を持ってるみたいなことも当然あるんですよね。
で、もちろんこれはどっちが良い悪いではないんですけど、あくまで共通語の目から見れば各地域の言葉に故語が残ってるってことは往々にしてあるんですね。
特に辺境の地に行けば行くほど、その文化の中心、日本だったら京都ですけど、から遠ざかれば遠ざかるほど古い時代の言葉が残っているっていうのがまあ言語地理学という学問があるんですけど、その言語地理学では定説となっています。
まあこういうのを方言集計論と言って、ちょうど池にね石を投げ込むと同心園状に波が広がっていくように文化の中心から新しい言語表現が徐々に広がっていくと。
そういうふうに考えられてるんですね。で日本では柳田邦夫っていう民族学者がこのことを指摘しました。
柳田邦夫が研究したのはかたつむりを指す単語で、一番新しい表現はでんでんむしって言うんですね。
でこれは京都やその周辺の地域で使われていると。
でその次に新しいかたつむりを指す単語はまいまいで、その外側の地域で使われていて。
さらにその次に新しいのがかたつむりと言って、この単語は東京や山口なんかで使われていたみたいなんですね。
でその次に新しいのがつぶり。で一番古いのがなめくじという単語だったらしいんですね。
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だからなめくじってもともとかたつむりを指す単語だったんですね。
でこのなめくじをかたつむりを指すのに使う地域は東北の北の方や九州に限られるんですね。
これらは最も古い日本語の形と考えられて、さっき言ったように文化の中心である京都から一番離れたとこですよね。で観察されると。
で文化の中心から離れれば離れるほど同心園上に古い形が見られていくっていう、そういうことになってるんですけど、
現代社会においてこの方言集権論がどれだけ当てはまるかっていうのは結構難しいですよね。
まあメディアやネットなどの影響で言語の均質化というかね共通語化みたいなのも起こってるだろうし、
言語の変化やその電波のスピードっていうのももしかしたら変わっているかもしれません。
というわけで今回のトークはお便りに回答したとこから始まってですね。
特に日本の方言についてのお話でした。
そういえば最近インスタグラムを始めたので、番組のインスタグラムって感じなんですけど、
概要欄にリンク貼っておくのでフォロー等していただけるとありがたいです。
というわけで今回のトークはここまでということで、また次回のトークでお会いいたしましょう。
お相手は志賀十五でした。
10:48

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