子どもの言語獲得
子どもが母語を獲得していく過程っていうのは、なかなか面白いものがあります。
子どもの発話にこそ、何か言語の本質みたいなのがね、あるんじゃないかという気もします。
僕のおいっこは電車が好きで、そんなおいっこが発する言葉でね、ちょっと面白いなと思ったことがあります。
BGMです。
始まりました、志賀十五の壺。
皆さんいかがお過ごしでしょうか。サディスティックミカバンドです。
おいっこは電車が好きなので、その電車関連の単語を結構ね、獲得してるっていうか、そういうとこから母語を学んでるっていうようなとこがあって、
意味がわかってるかどうかを置いておいて、たとえばえのでんとかね、こういうのは電車を見たら言ったりするし、はやぶさとかね、のぞみとか、そういったのも割とすぐ獲得した語彙じゃないかなと思います。
あとは三番線ドア閉まりますとかね、そういったことも言ったりしてるわけですが、
ちょっとそういうの聞いてるとですね、んっていうのを独立した音の単位として捉えてないんじゃないかっていう気がするんですよね。
えのでんのん、三番線のんっていうのを、我々大人は、このんっていうのは独立した単位で、実際日本語学でももうらという言い方をして、
字で書くときもんというのを一つの文字として書きます。
んっていうのは独立した音だっていう感じがするんですけど、
もう一個のその発話を聞いてると、えのでんっていうのを、この四つの単位からなってるっていう感じではなくて、えのでんっていう風にでん、これで一つの単位をなしてるっていうような感じで発話してるんですよね。
三番線も、三番線じゃなくて、三番線、三番線、この三つの単位で捉えてるんじゃないかという気がします。
実際に本人にんっていうのが独立してるどうとか聞いても当然答えられないので、発話を聞く限りですけど、んっていうのは、要は前の要素と一緒くたにでんとか三番線っていう風に発話してる感じがするんですよね。
この違いはもうらと音節っていうことができて、もうらと音節の違いは過去に多分何度も撮ったことがあるんですけど、一つちょっと関連エピソードを探して概要欄に貼っつけておくので、ぜひ聞いていただけたらと思います。
音節っていうのは、母音を中心にした音のまとまりっていう感じで、日本語の場合は母音だけか、あるいは真と母音のペアっていうのが音節になってます。
要はかな一文字っていう感じで、もうらっていうのも大体それと一緒なんですけど、ただもうらと音節が違うのは、今まさにお話ししてるんっていうのはもうらとしては一つのもうらなんですけど、音節としてはえのでんだったらでんで一つの単位になってる音節をなしてるので、音節ともうらっていうのが食い違うことがあります。
音節の方がおそらくどっちかというと言語普遍的っていうかね、どんな言語でも認められるんですけど、もうらっていうのは個別言語的というか、日本語はそのもうらっていうのを考えた方が都合がいいような言語ということができます。
大人はもうらっていうのをその日本語の単位として認めていて、例えば俳句とか仙流とかを読むときにんっていうのを一つの単位で捉えるんですよね。
例えば何でもいいですけど、飛行船っていうのはひこうせんでこれで5文字、つまり5もうらであるっていう風に捉えると思うんですけど、ただ音節としてはさっきと一緒でせんっていうのはこれでしんぼいんしんで一つの音節をなしてるし、さらに飛行船の場合はこうの部分ですね。
この調音っていうのも音節としては独立はしてないんですよね。ですので飛行船というのはもうらで言うと5もうらですけど、音節としてはひこうせんの3音節ということになります。
こういう風に日本語の中にはんとか伸ばし棒で書く調音のように音節としては独立してないけどもうらとしては独立してるという特殊もうらと言われるものがあります。
特殊もうらにはんと発音ですね。発音のん、調音、そしてもう一つ即音、小さいつで書くものがあります。
今回はちょっと発音、んに絞ってお話ししていきますが、お一個のえのでんとか三番線の発音を聞いている限りでは、んっていうのをもうらとして捉えてない感じがするので、
と考えると、人間が言語を獲得する中でまず身につけるのは音節で、その言語個別的なもうらっていうのはもうちょっと成長してから身につけるんじゃないかなと思います。
特に文字を学んでから。んっていうのが別個の文字だっていうことを学んで、もうらっていうのを意識するようになるんじゃないかなと思います。
発話の研究事例
僕の経験として、このんっていうのが小さい頃はうまく捉えられてなかったなっていう記憶があります。
この話はエピソードで配信してるかもしれないんですけど、ノートという書き物でちょっと書いたことがあるので、そちらも合わせて読んでほしいんですけど、
僕の場合は階文、上から読んでも下から読んでもっていうやつで、ちょっとんっていうのがうまく捉えられなかったなっていう経験がありまして、
階文ってトマトみたいなやつですよね。トマト。これ逆から読んでトマトですけど、これはよくわかりました。
そのトマトでマが真ん中で左右対称になってるというか、鏡写しになってるっていうのはよくわかったんですよね。
しかし、たぶん豚っていう階文が僕はよくわかんなくて、たぶん豚っていうのはんっていうのが真ん中にあって、で、たぶと豚が鏡写しになってるので、当然これはトマトと同じ階文なんですけど、
僕の感覚、当時の感覚としては、たぶん豚っていう風にんが一個ないんじゃないかなっていう気がしてたんですよね。んっていうのをなんか独立したものとして捉えられなくて、それを中心に置くみたいなのが考えられなくって、
そうではなくて、文でこれで一つの単位、つまり音説として捉えていて、で、これが左右対称になるためにはん豚っていう風にんぶっていう発音にならないとダメなんじゃないかなと思ってたんですよね。
で、そのうちたぶん豚っていうのが階文であるっていうことも徐々にわかっていったわけですけど、もしかしたらそれは文字というのを習得してんっていうのが前の音とは切り離すことが日本語では可能だ。
つまり、専門的には一つの網羅を形成できるっていうようなね、そういったことがわかっていったのかもしれません。
まあいずれにせよ、たぶんって言った時にこのぶんっていうのは文で一つであってんっていうのは一つの単位としては認識できてなかったんですよね。
で、お一個の発話を聞いているとえのでんとかさんばんせんみたいなのも、どうですかね、なんとなくんっていうのを独立したものとは見なしてないような気がします。
実際、子供の発話を研究しているとそういう事例があるようで、つまりんっていうのを独立したものとは見なせてないみたいで、
例えばしりとりでアンパンマンって言っちゃったら当然これんがついているので終わりなんですけど、子供はその後マントって答えてしりとりを続けたりとか、あるいはドラえもんに対して桃太郎で続けたりとか、そういった事例があるようです。
これはんっていうのをうまく切り離して捉えられないっていうことなんですよね。
つまりこれはアンパンマンだったらマンでこれで一つの音説で、ドラえもんだったらモンで一つの音説で、そうやって捉えていて、
子供っていうのはまず音説を身につけてから、もうちょっと後になってからモーラっていうのを認識できるようになって、んっていうのがよくわかるようになるっていうかね、そういったことじゃないかなと思います。
でまぁ僕自身の経験としてもね、怪文、多分ブタっていう怪文がよくわかんなかったっていうのが、モーラより先に音説っていうのを認識してるっていうことだと思います。
詳しくはね、ノートに記事がございますのでそちらも読んでいただけたらと思います。
それではまた次回のエピソードでお会いいたしましょう。
番組フォローまだの方はよろしくお願い致します。
お相手はシガ15でした。
またねー。