数量詞の導入
子供が3人やってきた。 これは自然な日本語ですよね。子供が3人やってきた。
一方、子供が3歳やってきたとは言えません。
当たり前じゃないかと思われるかもしれませんが、よくよく考えると、なんでだろうという感じがするんですね。
というのも、3人っていうのも3歳っていうのも両方、数詞プラス助数詞というまとまりですよね。
3人3歳。 そういう構成の仕方は同じなわけですけど、
3人では言えて3歳では言えない。 なぜなのか。
さらに言うと、この3人とか3歳っていうのが出てくる位置を変えるだけで、
3歳の方も言えるようになるんですね。 もう一回さっきの言っとくと、子供が3人やってきた。
ok。子供が3歳やってきた。ダメ。 ですが、これを
子供の前に持ってきて、さらにのっていうのをつけて、 3人の子供がやってきた。
これokで、3歳の子供がやってきた。 これもokなんですよね。
ただ、3歳の方は、3歳の子供がやってきたはokだけど、 子供が3歳やってきたということはできません。
数量子有理の概念
この3人と3歳の違い、同じ数字プラス助数詞ですが、 その違いというのは何なんでしょうか。
シンキングタイム、スタート。 始まりました。4月15日のツボ。 皆さんいかがお過ごしでしょうか。野原博です。
端的に言えば、3人の方は子供の数、量を指定していて、 3歳の方は子供の特徴とか
属性というのを表現しています。 この数を表すか属性を表すかによって
日本語として自然かどうかの分かれ目になっているということなんですね。 今回お話ししている現象は数量子有理と言われるものです。
3人の子供がやってきた。 この3人の子供という一つの名詞句の中から3人というのが有理というかね、取り出されて
子供が3人やってきたということができる。 それを数量子有理と言います。
この数量子有理が許されるのは数とか量を表しているときで、 3歳の子供がやってきた。
この3歳っていうのは数や量を表しているわけではないので有理できない。 ですので子供が3歳やってきたとは言えないと。
一応そういった説明がされます。 同じようなことは
次のような例でも言えて 34インチのバットを買った。これは当然OKですが、この34インチというのを
名詞句の中から有理することはできなくて、 つまりバットを34インチ買った。
これは言えたとしても、 バットっていうのがうにょーっとすごい長いもので、そこから34インチ切り取ったみたいな
そんなイメージになるんではないかと思います。 つまり34インチっていうのを量的な解釈をすれば数量子有理ができるということです。
これがもし3本のバットを買ったと言ったら、この3本というのは量的な解釈しかできないので、
バットを3本買ったというのは平気で言うことができますよね。 この数量子有理が観察されるのは
今挙げた2つの例のように、「が」がつく名詞か、「を」がつく名詞でしか
たぶん原則ダメなんですよね。 子供が3人やってきた
数量詞と所有者の関係
みたいな子供がとか、 バットを3本買ったみたいに、バットをみたいに、こういった時しか多分数量子有理は言えないんじゃないかと思います。
さらに数量子が出てくる場所ですけど、「が」とか「を」の前に出てくるっていうのもありなんですよね。
子供3人がやってきたとかバット3本を買ったという言い方もできます。 この有理した数量子がどこに出てこられるかっていうのは
結構面白い研究もあります。 例えば
子供がバットを3本買った。
これは ok なんですよね。 ただ子供がバットを3人買ったっていうのはちょっと変な気がすると思います。
子供と3人っていうのがちょっと離れすぎって感じがするんですよね。 ですので、子供が3人バットを買った
だったら、そんなに違和感はないんではないかと思います。 ただ離れてたらいつでもダメってわけではなくて
ちょっとだんだん頭がこんがらがってくると思うんですけど、 バットを子供が3本買ったっていうのは
バットと3本というのは離れてるんですけど、 許容されると思います。
数量子と名詞が離れているときに、 どういう場合に ok で、どういう場合にダメかっていうのは
理論的な説明がいくつかあるんですけど、 その辺の話はまた別のエピソードということにしようと思います。
数量子有理は日本語だけではなくて、 英語にも観察されるものです。
英語の場合は all とか each とか both みたいなもので、
例えば we are all alone とかね、そういう名曲がありますけど、あの all っていうのも
we から離れたところに出てきているので数量子有理ということができます。 ただ英語の場合は
all とか each とか both とかぐらいで、 日本語みたいに 1,2,3 とかそういうのは数量子有理多分できないじゃないかと思います。
この数量子有理というのは、 今日の説明もそうなんですけど、
名詞句の中から数量子が飛び出てるっていうふうに考えるんですよね。 つまり3人の子供がやってきたっていうのがオリジナルとしてあって、
その3人の子供という名詞句の中から3人っていうのが飛び出して、 子供が3人やってきたと。
そういうふうに説明されるんですけど、理論的には。 果たしてそうなのかっていう気もするんですよね。
母語のことが一番よくわかんないわけですけど、 もしかしたら
子供が3人やってきた こっちの方がオリジナルで、で3人の方が
名詞句の中に入り込んで3人の子供がやってきたと言ってるんじゃないか。
とか あるいは3人の子供がやってきたっていうのと子供が3人やってきたっていうのは
なんていうか別個のというか、 独立した構文でお互いもしかしたら関係ないんじゃないかとか
そんな気もします。 さすがに関係ないっていうことはないと思うんですけど、どっちがデフォルトかっていうのは意外と決めづらいんじゃないかなと思うんですよね。
で、一旦、 名詞句の中から数量しか飛び出しているというふうに考えると
似たような現象は 他にも日本語で見られます。
例えば 象は鼻が長いみたいなもので
これも象の鼻が長いっていうのがオリジナルとしてあって その象の鼻という
名詞句の中から象っていうのが飛び出してでトピックになって 象は鼻が長いになってる
同じことは 私は頭が痛いとか私の頭が痛いの私っていうのが
名詞句から飛び出して私は頭が痛いになってるとか 象は鼻が長いも私は頭が痛いもどちらも所有者の名詞が名詞句の中から飛び出している
ということができます。 この名詞句の中から所有者が飛び出しているっていうのは、名詞句の中から数量詞が飛び出しているっていうのと
結構近いところはあるんじゃないかなっていう気はするんですよね。 ただ名詞句の中から飛び出せるのは数量詞とか所有者とかごく限られたもので
今日お話ししたように 3歳のとか
34インチのみたいなそういう属性を表すものは 名詞句から飛び出すことはできません
となると 数量詞、もっと言うと量や数を表す数量詞と
所有者は 名詞句から飛び出せるわけですけど何か共通した特徴があるんじゃないか
そういうふうな気がしてきます。 なんでしょうね
名詞句から飛び出してそれで独立して扱うっていうことは まあ平たく言えば
注目度が高いというか 取り出すだけの価値があるっていうことだと思うんですよね
この辺はね、掘り下げると結構面白いことがありそうです。 と疑問を投げかけたところで今回はここまでということで最後まで聞いてくださってありがとうございました
また次回のエピソードでお会いいたしましょう 番組フォローも忘れずよろしくお願い致します
お相手はシガ15でした またねー