1. 志賀十五の壺【10分言語学】
  2. #583 書き言葉は話者を拘束す..
2023-09-19 10:37

#583 書き言葉は話者を拘束するか? from Radiotalk

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
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始まりました、志賀十五の壺。 電気羊の夢を見ます。アンドロイドです。
今回は、書き言葉が
なんというかな、その言語を
言語の変化を引き止めているみたいな面があったりとか、 あるいは言語っていうものをこう
話者に押し付けているみたいなね、側面があるんじゃないかっていう お話をしようと思います。
言語っていうのは、 手話言語は別にして
音声言語の話をしますけど、その音声言語っていうのは、 当然音声が第一義的で
で、 書き言葉っていうのは
いわばオプションというか、 人間の本質ではないんですよね。
人間というのは言葉を持っているという点で
他の動物と区別されるわけですけど、 その言葉っていうのは話し言葉のことであって
書き言葉、あるいは文字っていうのは
ある意味ね、人間に本来的なものではないと思います。 書き言葉を持たないっていう言語はたくさんあって
日本語だってそうですよね。もともと書き言葉を持ってなくって、 中国大陸から
漢字を借りて
借りてるっていうか借りたくして、でそこからかなっていう文字も 開発したわけですけど
そういうふうに文字っていうのは他のとこからこう 拝借しているっていうような状況が
非常によくあります。 アルファベットなんかまさにそうですけどね。
ですので文字の歴史っていうのをこう遡っていくと かなり少数の期限に
行き着くことになります。 まあそれはそれで面白いんですけど、まあそういったことからもですね
文字っていうのは 言葉にとっては
実際は本質的ではなくて、 ある意味補助的なものっていうふうにも言えるんですけど
だから言語を研究する時っていうのも 音声言語であれば
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音声に着目すべきであって 書き言葉とか文字っていうのは話し言葉のすべてを反映しているわけではないので
研究対象にすべきはやっぱり話し言葉なんですよね。 と同時に
当然話し言葉っていうのを書き言葉にこう 表しているというかコピーしているのであれば
話し言葉の方が書き言葉に影響するっていうのは当然考えられますよね。 まあ日本語でも
〇〇してしまったっていうのをしちゃったみたいにこう 話し言葉でなるわけですけど、それが表記上現れることもありますし
歴史的金遣いが 現代金遣いに変わったっていうのも
はっきり言えば話し言葉の変化に合わせて書き言葉を変えたということですよね。 ただ
逆もあるんじゃないかなと思うんですね。書き言葉の方が話し言葉に影響を与えるって いうこともなくはないんじゃないかなと思います。
本当は補助的な役割である文字や書き言葉っていうのが なんとなくねこの和社の言語感覚っていうのに
何かしらのね影響を与えているんではないかと思います。
で今回の話は以前ねノートでちょっと記事で書いたことはあるので そちらも合わせて読んでいただけたらと思うんですけど
子供の時に幼稚園入るかそのくらいだと思うんですけどね 怪文で多分豚っていう怪文を聞いた時に
僕はねあんましっくりこなかったんですよね 多分豚これはんが一個足りない気がして多分豚
これだったら 上から読んでも下から読んでも同じになる
っていうふうにねそういうふうに直感的に思ったんですよね ただ
すべての怪文が納得いかなかったわけではなくって 例えばトマトなんかはすぐわかりました
トマト 逆から読んでもトマト
で後にね 多分豚っていうのがなんで納得いかなかったんだろうと考えると
このんっていうのが日本語で結構特殊な 音なんですよねまあいろんな意味でそうですけど
このんっていうのは 音説で考えると
多分豚っていうふうに4つの単位からなっているんですね 多分豚
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つまりんっていうのは 音説としては独立していません
一方猛羅という単位で考えると多分豚 5つの単位からなっているのでんっていうのがこう真ん中に来られるわけなんです
よね でこの音説とは何か猛羅とは何かっていう話は
過去のエピソードでシャープ555 ミスチルの花火で学ぶ音説と猛羅だったかな
まさにそういったタイトルでお話ししていますので合わせて聞いていただけたらと思います 要はんっていうのは
詩音ですので 普通はというかね
まあ詩音だけで音説をなすこともあるんですけど 多分豚だったら文っていうふうに
アルファベットで書くと b un ですけどそれで一つの単位になるんですよね ただ日本語という言語は猛羅っていうのが一つ
大事な単位で でそういう観点から見るとうんっていうのは独立したものですけど
子供の頃の僕の感覚では その猛羅っていう感覚はなくって
うんっていうのが独立してるっていうのが多分わからなかったんだと思うんですよね で後に文字っていうのがわかってくると
うんっていうのはこう独立して書くっていうことがわかって でそこから多分豚っていうのは
解文であるっていうのがしっくりくるようになったんですね なので
もしかしたら 僕は日本語母号話者ですけどその日本語に大切な要素である単位である猛羅っていうのは
文字によってこう形作られるというか 文字のおかげで猛羅っていうのが見えやすくなっている
わかりやすくなっているっていうふうに言えるんじゃないかなと思います 文字を知る前の子供にとってはもしかしたら音説の方がしっくりくる単位なのかも
知れません
こういうふうに書き言葉のおかげで まああるいは書き言葉のせいで文字のせいで
なんていうかなその ある言語の感覚みたいなものが
突きつけられるみたいなことがあるんじゃないかなと思います 例えばフランス語っていうのは強制のない代名詞っていうのは動詞と一緒
極端にこう発音されるんですよね ただ書き言葉では分割してスペースを空けて書かれるので
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おそらくフランス語母語話者の頭の中では別個の単語と認識されていると思います ただそれはそうやって書くからであって実際は
代名詞も含めて動詞複合体みたいなものが出来上がっているのかもしれません それと同じような話で日本語っていうのは
単語語っていうのがよくわかんないんですよね さっきのフランス語みたいにスペースを空けて書くわけではない
分かち書きをしないので 単語ごとに発話を切り分けるっていう習慣がないので
一単語っていうのがどっからどこまでなのかっていうのがよくわかりません 食べさせられなかったようですねとか言った場合
どこまで単語として認めるかっていうのがね難しいんですよね ある意味日本語の初期体系書き言葉っていうのは
日本語母語話者の 一単語を認識する能力を奪ってるっていうかね
見えづらくしてるっていう面はあるんではないかと思います というわけで今回は書き言葉についてのお話でございました
番組フォローも忘れずよろしくお願いします それではまたお会いしましょう
お相手はシガ15でした またねー
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