1. 【10分言語学】志賀十五の壺
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2025-04-08 10:53

#745 「見る」や「聞く」がない言語!? from Radiotalk

主要参考文献
Lynch, John (1998) Pacific Languages: An Introduction. Honolulu: University of Hawaii Press.

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育

サマリー

パプアニューギニアの言語、特にカラム語とクマン語において、動詞としての「見る」や「聞く」が存在しない現象を探ります。これらの言語では、名詞と動詞の組み合わせによって表現される手法が特徴的です。

言語の基本的な単語
始まりました、志賀十五の壺。みなさん、いかがお過ごしでしょうか。
バッド松丸です。どんな言語でも、基本的な単語っていうのが想定されます。
例えば、身体部位を表すような単語ですね。
顔とか、目とか、口、耳、手、足。
こういったものは、おそらくどんな言語にでもあるだろうなぁということが想像できるし、言語学でもおそらくそういうふうに考えられています。
そういった基本的な語彙を使って、例えば未知の言語を調査したりするんですよね。
あなたの言語では、これは何と言いますかっていうふうに目を指しながらね、行ったりして、フィールド調査をして、
で、だんだんこう、辞書が出来上がっていくわけなんですよね。
で、そういう基本的な単語じゃない単語っていうのも、たくさんあって、その社会に特有なものとかね、
あるいは、技術的に現代に出来上がったような、
なんかそういう最新の機器とかは、釈用で済ますっていうことが多いにありえますよね。
スマートフォンとか日本語でもそうです。
そういうふうに、技術革新とか、あるいは文化の影響によるものっていうのは、今言ったように釈用で済ましてしまうことが多いので、
あんまりその未知の言語の調査では使われないし、歴史言語学でも使われないですよね。
やっぱり、ある言語とある言語が共通の祖先に遡れると想定する場合、
一つの言語に遡れるんだ、姉妹言語なんだと言いたいんだったら、やっぱり基礎語彙を比べることになると思います。
さっき言った身体部位もそうだし、親族名称なんかもそうですね。お父さんお母さんとかね。
そういったものは、あんまり釈用語にとって変わられないだろうというふうに考えられるからなんですね。
そういう基礎語彙というものを用いて、未知の言語の調査であったりとか、あるいは言語の歴史を遡ったりとか、そういったことがなされております。
今挙げた例は全部名詞なんですよね。
挙げた例ってそんな挙げてませんけど、身体部位と親族名称っていうのは名詞なわけですが、
動詞や形容詞にだって、より基礎的なものっていうのはあると考えられます。
動詞がない言語の特徴
見るとかね、聞くとか、食べるとか、こういったものは人間であれば必ずすることですので、
おそらくどんな言語にでもある基礎的なものと考えられます。 形容詞だったら大きいとか小さいとかね。
まあこれもどんな言語でもあるんじゃないかなって気がしますよね。 若いとかね、年老いたとかね。
しがし、 言語によってはそういった基礎語彙が欠けているように思われるものもあるんですね。
今回取り上げるのは特に動詞です。 見るとか聞くといった
動詞がないような言語もあるんですね。 で今回取り上げるのはパプアニューギニアの言語で、
例で出てきてますのはカラム語という言語や クマン語という言語です。この2つの言語は同じパプアニューギニアで、
さらにトランスニューギニア語族という同じ語族の言語なんですけど、 系統は結構違うみたいなんですね。
ただ似たような特徴を有しております。それは 基礎的な語彙と考えられる動詞が欠けているということです。
例えばカラム語では見るという単語はないんですね。 ただ
その見るという単語がないからといって、見るという動作を表せないわけではないです。 これどんな言語でも言えることですけどね。
1つの単語で言えないからといって、その言語で表現できないわけではなくて、 例えば単語の組み合わせで表したりするわけですが、まさにカラム語の見るという単語は
目という単語と感じるという動詞の組み合わせで表すんですね。 日本語風に言うと
目感じるみたいな感じです。で、それで見る、 聞くっていうのも耳感じるという言い方で
聞くという意味を表すんですね。
あるいはクマン語という言語には泣くという単語はないんですけど、 涙するという言い方で泣くという言い方になるそうです。
単語の組み合わせによる表現
これ日本語と全く一緒ですね、涙するに関して言えばね。 そういう名詞と
ある意味抽象的な動詞との組み合わせであらゆる概念を表すということで、 こういったものを
アジャンクトコンストラクションズとかね、シリアルコンストラクションズというそうです。 でアジャンクトコンストラクションの方はどちらかというと名詞と動詞の組み合わせで、
シリアルコンストラクションの方は どちらかというと動詞と動詞の組み合わせのようなんですけど、いずれにせよ複数の要素で
一つの意味を表すということですね。これは結構いろんな言語であることで、日本語にだって 複合動詞みたいなものはあるので、食べ始めるとかね。
ただこのカラム語とかクマン語っていうのは 基礎的な語彙であっても
そういう組み合わせで表すというのがなかなか面白いところでございます。 でこのカラム語という言語は
動詞っていうのが非常に少なくて 100もないそうです。でそのうち25個の動詞っていうのが
よく使われる類のものらしいんですね。 なので動詞のそのカテゴリーとしてはすっごいコンパクトな言語ということなんですね。
でさっき挙げた例だと、目感じるで見る、耳感じるで聞く、 あるいは涙するで泣くっていう風にね、名詞と動詞の組み合わせだったわけですけど、
さっきもちょろっと言いましたけど、動詞と動詞の組み合わせのこともあります。 例えば
言うという動詞と与えるという動詞で、 いわば言い与えるという形で
伝えるっていう意味を表すそうです。 あるいは試すっていう意味は
するという動詞と見るという動詞の組み合わせで試す。 つまりしてみるっていうような形ですね。
でこれもね、日本語と感覚としては近いですよね。
今言ったしてみるとか、さっきの涙するとかね、そういったものが日本語にも多少似たようなものはあるわけですけど、
もうちょっとね時代を遡ればまさに日本語に似たようなものはあって、 例えば守るっていうのは
このまっていう最初の音ですね。 これは
目なんですね。由来としてはね。 まぶたとかまつげっていうふうに目っていうのは単語の途中というか、
単語の要素となるときには、特に全部要素ですね。 になるときには
目はまという音になりますので、守るっていうのも そういったものとなっております。
あるいは助けるっていうのもそうなんですね。助ける。 個語としてはたすくでしょうけど、このたっていうのは
てにあたるものです。 てっていうのもやっぱり単語の全部要素となるときは
目がまとなったようにてはたとなっていたので、 まあ我々現代母語話者、現代日本語母語話者の感覚としては
その守るに目が入ってて、助けるに手が入っているとは思いませんけど、 由来としてはそうなんですね。
ですのでパプアニューギニアの言語に見られる 目感じるとかね、耳感じるみたいなものが、
昔の日本語にもちょっと似たような現象はあるということなんですね。 というわけで今回は
基礎的と思われる単語であっても、 単語であってもというか、もう一回いきます。
基礎的と思われる概念であっても単一の語で表すとは限らないということですね。
言語によっては組み合わせで表すこともあるということでございました。 で日本語にも
まあ現代日本語もね昔のものも含めて、 現象としてはちょっと似ているものがあるというお話でございました。
それではまた次回のエピソードでお会いいたしましょう。 番組フォローも忘れずよろしくお願い致します。
お相手はシガ15でした。 またねー
10:53

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