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始まりました、志賀十五の壺。皆さんいかがお過ごしでしょうか。志賀です。
さて、今回はありがたいことにお便りをいただいたので、それに対する返答ということでやっていきたいと思います。
こちら、ラジオネームくないすさんから。
こんばんは、ラジオトーク聞いてますよ。本当は毎回リアクションしたいくらいですが、なんか恥ずかしいので小出しにしてます。
言語の多様性のお話、聞いていてとてもワクワクしました。
少し前のポリネシアの遠く離れた小さな島々でも、似通った言語が話されているというお話も興味深かったです。
人間がどうやって異動を拡散し社会を形成していくのか、言語学の視点からのお話がとても面白いので、これからもこういうお話をたくさん聞きたいです。
ところで、私の中で言語学者といえば西江正幸先生です。
西江先生の気候文がとても好きでよく読んでいたので、今回のパプアニューギニアのお話は西江先生を思い出させてくれました。
西江先生は言語学界隈でもやはり有名な方だったのでしょうか。
エッセイを読むばかりで、言語学者としての西江先生はあまり知らないので、もしご存知のエピソードなどあればお話聞いてみたいです。
全然知らねえわということならスルーしていただいて大丈夫です。
ということで、ありがとうございます。
こちらとしても最初にある毎回リアクションいただけたらありがたいですけど、こちらとしてもそれは申し訳ないので、こうやってたまにお便りいただくぐらいでありがたいです。
言語の多様性の話っていうのは前回のトークですね。
こちらもかなりスケールの大きい話になってますから、よろしかったらそちらも聞いていただけたらと思います。
本題ですね。西江先生の話ですけど、僕も西山誠一先生のエッセイは読んだことがあります。
言葉の課外授業っていうのだったと思うんですけど、ただこれを読んだのがずいぶん前で、しかも今手元にないっていうのであまり踏み込んだ話ができません。
言語学界隈でも有名だったかというと有名だったと思うんですが、ただ僕の研究分野とそんなにかぶってないっていうので、
西江先生の学術的な論文を読んだりとか、あるいは引用参照したりっていうことがなかったものですから、
西江先生にまつわるエピソードっていうのがこれ以上出てこないです。知識としては僕もエッセイを読んだだけっていうことになります。申し訳ない。
ただせっかくお便りをいただいたので、そのお便り中にあるパプアニューギニアのお話を今日はしようと思います。
すいませんね、ちょっと本題と全然ずれちゃいますけど、時間が有り余っているのでパプアニューギニアの話をしようと思います。
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パプアニューギニアのことは皆さんご存知だと思うんですよね。どこにあるかとか、島の形もなんとなくイメージできたりすると思うんですよね。
知っている人だったら、ちょうど半分でスパッと切れて、行政的には西半分はインドネシアに属しているとか、そういうのもご存知の方がいると思います。
ただ言語学的にというかどういった言語が話されているかとか、そういうのはおそらくほとんどの人は知らないでしょう。
前回のトークで言語の多様性の話をしたときに、パプアニューギニアはめちゃくちゃ言語の多様性に富んでいるというお話をしたんですよね。
具体的な数字ですけど、なんと800もの言語が話されているんですよ。
これはびっくりですよね。
世界で7000ほどの言語が話されているということなので、10%以上の言語がこのパプアニューギニアのあの島で話されているということになります。
さらにどんびきするのは、語族が43もあるということですね。
これは恐ろしいですよ。語族というのは何かというと、その系統的に関係がある言語のことを言います。
つまり共通の祖先から枝分かれして発展していった言語のことを、その言語のグループのことを語族と言うんですよね。
なのでインドヨーロッパ語族だったら、英語、ドイツ語とかゲルマン系の言語や、フランス、スペイン、ポルトガル、イタリアとかのロマンス系の言語、あるいはロシア語、ポーランド語みたいなスラブ系の言語。
さらに東の方に行くと、インドイラン語派というのがあって、ヒンディ語とかペルシャ語ですね。
これらの言語はすべて、系統関係があって共通の祖先から発展していって、インドヨーロッパ語族ということで一つにまとめられるんですよ。
オーストロネシア語族も同様に、太平洋で話されている島々は全部、同じ共通の祖先の言語から発展していったと言われています。
そういう語族が、あの小さなパプアニューギニアの島の中に43もあるんですよ。やばすぎでしょうね。
なのでこういう事情もあってですね、パプアニューギニアで話されている言語のことをパプア諸語という言い方をするんですが、
これは系統関係にあるとか同じ語族に属しているというわけではなく、単に地理的にパプアニューギニアで話されている言語という意味です。
まあ、なのでこんだけ多種多様だとパプア諸語の特徴を述べろと言われても土台無理なんですよね。
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なので、その中でも一つだけ今日はお話ししようと思います。
しかもそれは日本語とよく似た構造なんですよ。
それは中間動詞と言われるもので、英語だとmedial verbとか言ったりするものです。
何のこっちゃっていうことだと思うんですけど、これは日本語の何々してとよく似ているものなんですね。
実際に例文で考えてみましょうか、日本語の。
例えば、記入して提出するという簡単な例文があるとして、この記入しての部分が中間動詞に当たるものです。
日本語母語話者であれば、記入して提出すると聞いて、何のこっちゃないということなんですけど、
この記入しての中間動詞が変わっているのは、専門的な言い方になりますけど、それ自体は点数を持っていないということなんですよね。
つまり、記入して提出すると記入して提出したというのを見比べたときに、記入しての部分は何も変わっていないんですよね。
変わっているのは、提出すると提出したのところが変わっているので。
ただ、記入して提出するだと、これはおそらく未来の話をしているんでしょうね。
非過去と言った方が正確ですけど。
当然、記入しての部分も非過去の事態であるということになります。
一方、記入して提出したの場合だと、記入したのも過去の話ということになるんですね。
なので、記入しての部分は何も変わっていないのに、非過去か過去かで解釈が変わるというのは、提出するか提出したかで、
つまり最後の動詞によって決定付けられているということなんですね。
なので、この記入しての中間動詞は、点数とか時制とかという意味で、最後の動詞に依存しているということになります。
これは実は時制や点数だけではなく、例えば、記入して提出せよみたいな命令の場合も、
この命令の内容は記入する方も含めてですよね。
なので、そういうふうにいろんな意味で最後の動詞に依存していることになるんですよ。
パプア諸号の言語でも、こういった中間動詞が観察されることがあります。
さらに言うと、パプア諸号の場合は、認証も最後の動詞によって決定付けられているというのが面白いところですね。
これは言語によるんですけど、例えば日本語の場合は、何も言わずに記入して提出するだったら、
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当然、記入する人も提出する人も同じ人だというふうに解釈されるんですが、
パプア諸号の場合、記入して提出する、そういう言い方があるか分からないですけど置いておいてですね。
記入して提出する。
提出するが一人称だったら、記入しての部分も必ず一人称と解釈される。
提出するが三人称だったら、記入しての部分も必ず三人称であると解釈されます。
日本語でも、私が記入してあなたが提出するみたいに別個の主語を取ることができますよね。
もしパプア諸号の中間動詞でそれをやろうとすると、いちいち動詞の形を変えなきゃいけないんですよね。
つまり、中間動詞と最後の動詞で主語が同じなのか違うのかというのを動詞の形を変えることで表すということなんです。
これを指示転換とかスイッチリファレンスとか言ったりするんですよ。
この指示転換は非常に複雑ですから、ちょっとこんぐらいあってくると思うんですけど、
要は最後の動詞に認証やら点数やら、あとは命令とかそういうのが支配されているのが中間動詞ということになります。
これはパプア諸号でよく見られる構造で、日本語のしてと似てるんですよね。
日本語で何々して、何々して、何々して、何々してってバーッと続けて、最後に何々した。
やっとここで今までの話は全部過去の話だったというのが判明するということですよね。
それが一つ中間動詞の特徴であります。
また中間動詞の、日本語でもそうなんですけど、早くしてみたいにその中間動詞が最後の動詞なしで出てきて命令で使われたりしますよね。
早く来てとか。
そういう中間動詞が独立して使われるという現象もいろんなパプア諸号で見られるんですよ。
実は日本語とよく似た構造を持っていたりするんですね、パプア諸号って。
というわけで何かこんがらがっちゃいましたけど、今回はパプアニューギニアの言語のお話ということになりました。
質問の回答とずれちゃって申し訳ないですね。
というわけで今回はここまでということで、よろしかったら番組クリップお願いいたします。
ではまた次回お会いしましょう。ごきげんよう。