1. 【10分言語学】志賀十五の壺
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2025-04-05 10:09

#744 記憶は遺伝するか?フロイトの『モーセと一神教』 from Radiotalk

主要参考文献
フロイト (中山元 (訳))『モーセと一神教』光文社.

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育

サマリー

このエピソードでは、フロイトの著作『モーセと一神教』を通じて、記憶が遺伝する可能性について考察されています。特に、モーセの歴史的背景や、古代の記憶が現代の個人や集団の宗教的現象にどのように影響を与えるかが述べられています。

言語と記憶の本能的な側面
始まりました、志賀十五の壺。皆さんいかがお過ごしでしょうか。ダース・ベイダーです。
言語っていうのは、ある面では本能的な面もあるし、ある面では文化的、
あるいは社会的な側面もあるし、ということで、いろんな見方ができるとは思うんですが、
というのも、言語を話す能力っていうのは、 かなり本能的なものっていう感じがします。
2足歩行するとか、 まあそういったレベルで
かなりフィジカル的なというかね、まあ本能的な感じがするんですけど、 ただ、
何の言語を話すかっていうのは、本能によって定められているものではありません。 その生まれ落ちたコミュニティで話されている言語を、
たまたまというかね、それを身につけるのであって、 両親が日本語母語話者だからといって、
子供が必ずしも日本語母語話者になるわけではないですね。
まあ何らかの事情で、 両親と離れて暮らさなきゃいけない言語形成器を、
両親の影響を受けずにね、過ごすということもあり得ると思います。 事情はいろいろあると思いますけど、
まあそういった場合に、その子供が身につける言語っていうのは、 その子供が言語形成器を過ごしたコミュニティであって、
そういうふうに考えると、 まあ両親の母語っていうのは関係ないんですよね。
遺伝的に定められた言語っていうのを、 その子供が話すというわけではありません。
あるいはバイリンガルとかね、まあそういった事情を考えてみても、 遺伝と言語っていうのはそういった意味では関係ないように思われます。
が、言語を話す能力っていうのは、 その能力自体は人間特有の、なんか遺伝的なものかなっていう感じもしますよね。
ですので、 僕は今日本語を話してますけど、この日本語というものは、
遺伝によって継承されているものではありません。 これは公伝的に獲得したものであって、
皆さんの場合も同様だと思います。 普段我々が何気なく行っている行動っていうのが、それが遺伝によるものなのか、
そうじゃないのかっていうのは結構、 明らかにわかるものもありますけど、
言語なんかは結構微妙なものな感じがしますね。 さっきも言った二足歩行っていうのは明らかに遺伝的なものっていう感じがするし、
実際学術的にもそう言われていると思いますが、 逆に車の運転なんかは明らかに遺伝によらないですよね。
教習所通ったりして、公伝的に身につけた能力ですし、 そもそも
自動車っていうものがね、できてから日は浅いので、その人類の歴史から見れば全然最近の出来事ですので、
そういったものが遺伝として受け継がれることはないっていうのは容易に想像できると思います。
ただ、大昔に起こったその歴史的な出来事っていうのが、ある意味、記憶っていうものが
遺伝として脈々と受け継がれているという考えもあるんですね。 まあこれは結構ね、あんまピンとこないんですけど、
これを言ってるのはフロイトです。 皆さんもね、名前ぐらいは聞いたことあると思いますが、
精神分析とか、あとは無意識とかね、 こういったテーマでね、よく名前が出てくる
フロイトでございますが、そのフロイトは
太古の 記憶っていうのが
遺伝としてこう受け継がれているっていうふうに考えてるんですよね。 で、そのあたりの話がモーセト一神教という本で
読むことができます。モーセト一神教。 これ日本語で読めるし、文庫にもなっているので、ぜひ興味のある方は読んでいただけたらと思います。
これね、結構面白いんですよね。 まあその書いている内容が正しいか正しくないかはちょっと僕は判断できませんけど、
読む分には面白い本となっております。 一つこのモーセト一神教で軸となっているのが
フロイトの仮説と宗教的現象
モーセはエジプト人だったっていう 仮説なんですね。
モーセといえば実界っていうのがやっぱり有名ですけど、 あとはイスラエルの民を連れてエジプトを脱したっていうね、
話が旧約聖書にあります。 で、航海を2つに割って歩いて渡ったみたいな話が有名ですけど、
そういったことでモーセっていうのは ユダヤ教において最も偉大な
預言者であるわけですが、 そのユダヤ人にとってね、かなり
重要な人物であるモーセが実はエジプト人だったっていうのは かなり大胆ですよね。
ちなみにフロイト自身もユダヤ人ですが、 むしろエジプトっていうのは
さっきの航海を渡った話で言うと敵側になるわけですので、 相当大胆な仮説という感じがします。
ユダヤ教っていうのは一神教なわけですけど、 その一神教っていうのがエジプトで一時期広まったことがあって、
でそれがわずかな間だけで全然定着はしなかったみたいなんですけど、 その一神教を
ユダヤ人に伝えたのがモーセで、 あとはモーセという名前が
エジプトの言語っぽいとかね、いろんな話があるんですけど、 まあそういった諸々の話の中で
人類の記憶の中には 大昔に父親を殺したという記憶が
残ってるっていうふうに言うんですね。 当然我々個人個人は父親を殺してないですけど、
昔の先祖は父親を殺したという歴史的事実があって、 その時の記憶が後の世代になって
宗教的な現象となって現れるっていうんですね。 ちょっと全然うまく説明できてないですけど、これは個人のレベルで言うと
トラウマっていうのに当てはまるということで、 トラウマっていうのは
小さい頃に 経験した
何かね衝撃的なことが一旦忘れられて、 でそれが思春期なんかにね神経症となって現れるっていうのがトラウマ
なんですが それと同じことが
集団でも起こって、それが世代を超えて起こって 大昔に父親を殺したという
その記憶が 何世代か明けて
忘却されて でそれが
宗教的な現象となって現れるということで その宗教的な現象というのは神経症に近いわけですね
フロイト風に言うと これはどうなんでしょうね
太古の記憶っていうのが 果たして遺伝によって受け継がれて
いくのか また個人的なそのトラウマっていう現象を
その長いスパンで 起こってる現象に当てはめていいのかとか
いろいろ疑問はあるんですが、ちなみに 金心相関の禁止っていうのも
この父親殺しに由来しているっていうふうに フロイトは考えているみたいです
このフロイトの説っていうのが果たしてどれだけ受け入れられているものなのか ちょっと僕はわかんないですが興味のある方ぜひ
孟瀬と一神経を読んでみてください というわけで今日は
記憶は遺伝するのかみたいなね まあ果たしてどこまでが本能なのかとかそういった話ですけど
もし記憶や経験とかそういったものが大昔の先祖からね 受け継がれているとしたら
それはそれで 興味深いというかね面白いことだと思います
それではまた次回のエピソードでお会いいたしましょう 番組フォローも忘れずよろしくお願いします
お相手はシガ15でした またねー
10:09

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