00:02
始まりました、志賀十五の壺。皆さんいかがお過ごしでしょうか。志賀です。
さて、今日のトークテーマはですね、タイトルにもございますように、ネットスラングと言っていいと思うんですけど、「草」っていうね、表現ありますよね。
まああれは、なんだろうな、笑えるとかに近いかな。笑えるとかで言い換えられると思うんですよね。まあおかしいとか面白いという意味だと思うんですけど。
まあほとんどネット上でしか見ないんじゃないですかね。
実際に話し言葉で使ってたら結構白い目で見られるんじゃないでしょうかね、おそらく。
あるいはそのネット上もそうだけど、友達とのLINEのやりとりぐらいでは使うかもしれませんけど、
まあでもまだそれ以上のね、息は出てないっていうか、
口に出して言うことはないんじゃないでしょうか。 僕自身としては見にすることはありますけど、当然聞いたことはないし、
自分自身もまあ使ったことはないですね。 友達で使う人はいるっちゃいるけど、
まあそんな多くないかなといったところです。
さて、そういうわけで例によってですね、この草っていう表現を言語学的に考えてみようっていうのが
今日のテーマです。 まあ初めてお聞きになる方いらっしゃると思うんですけど、結構そういうことをするんですよ、この番組。
言語学的に考えてみようみたいなお話をよくするんで、よろしかったら過去のトークも聞いていただきたいんですが、
そのネットスラングの草っていう表現の話に入る前に全然違うと思われるかもしれないんですけど、
中学の国語で活用っていうのを習いましたよね。 本当に全然違う話じゃねえかと思うかもしれませんけど、つながっていくので後々ね。
活用っていうのは、動詞とか形容詞、形容動詞が その形を変えることを言うんですが、
未然形、連用形、収支形、連帯形、家庭形、命令形ですかね、 っていうふうに活用の形があるんですよ。
懐かしいですよね。 例えば書くっていう動詞だったら、未然形は書かっていう形で、
ないっていうのを付ければ未然形になるので、書か。 連用形は書き、収支が書く、連帯書く、家庭形書けばで書け、命令形書け、こういうふうになってるんですよね。
今言ったように、収支形と連帯形って一緒なんですよ、形が。書くと書くで。
03:06
収支形って書く、収支する形なんで書くなんですけど、 連帯形は何か名詞を収縮するもので書く人とかいう場合ですよね。
そういう場合も書くで形が一緒。これは全ての動詞に当てはまります。 収支形と連帯形は同じ形です。
そして動詞だけではなく、形容詞もそうですね。 赤いペンっていうふうに収支形と連帯形は同じ形です。
唯一、収支形と連帯形が違うのは、形容動詞が違うんですよね。
きれいだときれいな人で、だとなで違うということなんですが、 なぜ動詞と形容詞、収支形と連帯形をわざわざ分けてんだと。
もしかしたらこういうふうに疑問を感じた方がいらっしゃるかもしれません。学生時代に。 同じ形なら区別する必要ないじゃないかということなんですよね。
これは一言で言えば、過去の遺物というか、 古典の文法をそのまま引き継いでいるということなんですよね。
皆さん高校で古典をやったと思うんですけど、 そこでも活用ってありましたよね。
動詞もそうだし、形容詞もそうだけど、助動詞の活用とかもいろいろあったりして。
古典の時代では、動詞も形容詞も収支形と連帯形、 違う形を使ってたんですよね。
格だとあれなんですけど、例えばタブっていうね。 これ現代語だと食べるですけど、タブっていう動詞だと収支形タブ。
連帯形はタブルになります。タブル人とか。 あるいは、
形容詞だと収支形が赤詩。
連帯形は赤、木、山っていうふうに。 こういうふうに古典の世界においては、
動詞も形容詞も収支形と連帯形を区別していました。 それが現代語ではもうなくなっちゃっているのに、
なぜか学校教育では堅くなにその区別を守っています。
じゃあなぜ、この収支形と連帯形の区別が なくなっちゃったのかっていう話なんですが、
実は過去にシャープ84で ちょっと同じような話をやっているので、
よろしかったらこれ聞き終わった後でいいので、 そちらも合わせて聞いていただきたいんですが、
これは一言で言えば、 連帯形で文で終わるのが流行っちゃったからなんですよ。
連帯形ってその体現に連なるっていう、 書いてる連帯形ですけど、それ自体で名詞っぽかったんですよね。
なので、現代日本語で言うとのだみたいなのと、
その意味というか機能は似ていたんじゃないかと言われてたりします。 だから魚たぶっていうより魚たぶるっていう言い方が流行ってきちゃって、
06:05
たぶるが食べるにさらに変わっていったりもするんですけど、 そういう別の変化はあったりしますけど、
そのたぶるっていう連帯形が終止形の守備範囲まで広がっちゃったというか、 乗っ取っちゃったということですね。
だから何だろうな、魚食べるよりも魚食べるのだっていう言い方の方が流行っちゃったみたいな、 感覚的にはそういうことだと思うんですよね。
あるいは連帯形は一種の名詞っていうふうに先ほど言いましたけど、 だから対言止めだみたいなことですよね。
対言止めっていうのは和歌とかでもよく使われますけど、 余剰とか永短の気持ちを表すっていうふうによく言われます。
そういう永短の気持ちを表したいっていうことで、 連帯形ばっかり使われるようになっちゃったら、
いつの間にか連帯形が終止形になってしまって、 現代ではその終止形と連帯形の区別がつかなくなっていると。
こういうストーリーなんですね。
今、対言止めが永短を表すとか、 余剰を表すとか言われてもよくわかんないと思われたかもしれませんが、
このネットスラングのクサっていうのが まさに対言止めなんですよ。
何でもいいですけど、失敗しててクサとか、 これはクサとかね。
ダがつくこともあるかな。 これはクサだとかね。
いずれにせよ名詞で終わるっていう表現なんですよ、 このクサっていう表現も。
ネットスラングであるにしろ。
なので、このクサっていうネットスラングは 新しき表現ではあるんですが、
視野を広げると、対言止めで永短の気持ちを表したいっていう、 日本人の心が脈々と受け継がれてきて、
古典の世界では終止形と連帯形が一緒になっちゃうっていう、 そういう現象を生み出したし、
現代のネット社会においては、 クサっていう表現を生み出したと。
根本は一緒なんじゃないかと思いますね。
対言止め大好きなんだっていう、 日本人の心が一貫してずっとあるような気がします。
さあ、いかがだったでしょうか。 皆さんついてこられたでしょうかね。
国語教育から始まり、古典の世界に飛んで、 それからまたネットスラングに戻ってくるみたいな、
すごいダイナミックなお話になっちゃいましたけど、 要はですね、そういうクサみたいな表現を、
なんだそれはって目くじら立てる人も多いと思うんですよね。 ただ、僕から言わせればっていうか、
なんていうかな、そんな偉そうに言うつもりもないですけど、 日本語がこう、
09:00
歴史を紡いでいく中で生まれてきた対言止めの 一種の現れ方に過ぎないと僕はね、思います。
ちょっと今日本語に限定しちゃいましたけど、どうなんだろうな。 そういう対言止めみたいなのが他の
言語でも見られるのか、各国の文学でどういうふうに扱われているかとか、 ちょっと疎いんでわかんないんですけど、
日本語は結構対言止め、 好きなんだと思いますよ。
のだ、さっきちょろっとお話ししましたけど、 のだっていうのは一種の名詞化なので、
昨日買ってきたの見せてよみたいに使えるので、名詞化なんですよ。 だからのだっていうのも一種の対言止めみたいなもんだし、
あと係り結びっていうのもありましたよね。 ゾーナムヤーカーっていう助詞が出てきたら、
その文末を連体形にしなきゃいけないっていうルールがありましたけど、 あれも一種の対言止めなので、
で多分ね、JPOPとか、 JPOPに限らず日本語の詩とかを見回すと対言止めっていっぱい使われていると思うんですよ。
なんかね、そういうのが日本人の心といえば心なのかもしれません。 というわけで今回はネットスラングの草っていうのをね、
ちょっとかなり大きな視点でお話ししてみました。 今回はここまでということで、よろしかったら番組クリップお願いいたします。
ではまたお会いしましょう。ごきげんよう。