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始まりました、志賀十五の壺。
明けましておめでとうございます。
山田野の子です。
今回はね、新年一発目のエピソードということでやっていこうと思います。
正月といえば初夢。
初夢で見るといいとされているもの、縁起物が3つございますね。
一富士、二鷹、三なすび。多分3つじゃないんですよ。
この後続いていくと思うんですけど、一般によく知られているのはこの3つです。
で、今ちょっと自分で何て言ったか忘れましたけど、縁起物が3つあるっていう言い方を多分したんじゃないかなと思います。
縁起物が3つある。
この3つっていうのは数量詞っていう風に専門的には言われるんですよ。
この数量詞っていうのは結構面白い振る舞いをして、というのが
3つっていうのは縁起物っていうのを収束しているはずなのに、縁起物が3つあるっていう風に
この格助詞がっていうのは挟んだ後に出てきてますよね。
で、当然3つの縁起物があるっていう言い方もできます。
あるいは縁起物3つがあるっていう言い方もできるんですね。
こういうのを専門的に数量詞有理という言い方をします。
どうなんでしょうね。
まあ一応ね、多分デフォルトっていうか元の形は
3つの縁起物があるっていうのが元々の形で、
で、その3つっていうのが格助詞の後に出てきたり、つまり縁起物が3つあると言えたり、
あるいは格助詞の前に出てきたり、縁起物3つがあるという言い方ができたり、
まあ数量詞ってこういう移動できるみたいな特徴があるんですね。
で、同じ名詞を収束しているものであっても、数量詞以外だとこういうことはできなくて、
例えば、大きな縁起物がある。
こういった場合の大きなっていうのは、縁起物が大きなあるとか、縁起物大きながあるとか厳しいんですよね。
まあ厳しいというか全然ダメですよね。
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こういう数量詞有理っていう現象は実は日本語だけじゃなくて英語にもあります。
英語のallとかこういったものって名詞の直前以外の位置にも出てくるんですよね。
似たような話は実は過去にやっているものがあるので、ぜひ関連エピソードも聞いていただけたらと思います。
これらの表現の違い、つまり3つの縁起物がある、縁起物が3つある、縁起物3つがある。
意味的にどう違うかって言われると結構難しいですけど、
制約があると言えばあるんですね。
まずこの数量詞っていうのが名詞の直前の位置から動くことができるのは、文字通り数量を表すとき限定です。
どういうことかというと、3人の子供がやってきた、これに対して子供が3人やってきたっていう言い方はできるんですよね。
一方、3歳の子供がやってきたに対して子供が3歳やってきたっていう言い方はできません。
やっぱり数量を表すとき限定で、数詞プラス助数詞っていうその構成上っていうかね、見た目は3人と3歳っていうのは似てるんですけど、
数量子由理が起こるのは数量を表すときだけとなっております。
3歳みたいなのは数量じゃなくて属性みたいなものを表してるんですね。
同様に30冊の本を買ったに対し、本を30冊買ったっていうのは数量なのでokなんですけど、
30センチの本を買ったに対して本を30センチ買ったというと、なんか本の一部分をね30センチだけ切り取ったみたいなそんな感じがしちゃいますよね。
ということで、まず数量子由理が起こるのは数量を表すときだけです。
もう一つ数量子由理が起こるときの制約っていうのがあって、それは拡助詞ですね。
拡助詞の前にも後にも数量子は出てくることができるんですが、拡助詞の後に数量子が現れるのはがとをのときだけなんですね。
これも具体的に例を考えてみるとわかるんですが、例えば、お店3軒を見て回った。お店を3軒見て回った。
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こういうふうにをの場合は、をの前にも後にも数量子っていうのは現れるんですけど、
例えばこれをからっていうのに変えて、お店3軒から取り寄せた。
これは ok なんですけど、からの後に3軒っていうのを出して、お店から3軒取り寄せたっていうのは言えないということになっています。
こういうふうに拡助詞の後に数量子が現れるのはがとをの時だけなんですね。
これもねなかなか言われないと気づかないことじゃないかなと思います。
日本語の名詞には複数形っていうのは特にありません。
まああるといえばありますけど、たちとかね、らとかこういったものをつければ一応複数性は表すことできますけど、
別に3人の学生が来たみたいに、この学生っていうのを学生たちとかにしなくても、文としては ok ということになってますよね。
なので英語みたいにその名詞が単数なのか複数なのかをすごく気にする言語を学ぶとなると結構苦労するとこだと思います。
ただ日本語の複数と言われるたちとかね、こういったものにも面白い特徴はあって、
それは近似複数と言われるものです。
これについても関連エピソードあるんで合わせて聞いていただきたいんですけど、どういうことかというと、
学生たちといった場合は、そのメンバーの構成員っていうのは全部学生だっていうふうにおそらく普通は考えられるんじゃないかなと思うんですけど、
これがもし田中さんたちといった場合、メンバー全員が田中さんじゃなくてもいいですよね。
田中さん、山田さん、鈴木さんの集まりであっても、その一人のメンバーを代表させて田中さんたちということができます。
まあこういうの近似複数ということがあるんですね。
もちろんメンバー全員が田中さんの時も田中さんたちっていうことはできますけど、必ずしもそうじゃなくてもいいんですよね。
これもねなかなか面白いし、言われないと気づきづらいとこじゃないかなと思います。
あとこの複数で言うとね、結構複数の意味って薄れがちなところがあって、
子どもたちとか言えますよね。
でも子どもっていうのは、どもっていうのがすでに複数なので、
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それにまた複数がついてるっていう感じですよね。
でも今では多分子どもっていうのがこれで一つの単語になっちゃって、一人の子どもとか言えちゃうんですよね。
同様に友達っていうのもそうで、だちっていうのがついてるので、
一人の友達とか本当はおかしいんですけど、今では言えるし、
もしかしたら和謝によっては友達たちみたいな言い方ができる、そういった人もいるかもしれません。
というわけで今回は、日本語では結構影が薄いような複数と言われるものも、
実は面白い特徴があるっていうお話でした。
というわけで今回はここまでということで、最後まで聞いてくださってありがとうございました。
今年もどうぞよろしくお願いします。
番組フォローまだの方はぜひしていただけたら幸いでございます。
それではまた次回お会いいたしましょう。
お相手はシガ15でした。
またねー。