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始まりました、志賀十五の壺。みなさん、いかがお過ごしでしょうか。バーバパパです。
以前のトークで、まあ以前ってずる前ですけど、
この、シャープ420のトークで、私たちにとって、同一とは何を意味するかっていうね、非常に堅苦しいけど、なんだかかっこいいタイトルで配信してるんですよね。
で、そちらはそちらで聞いてほしいんですけど、今回も同様のタイトルでお話ししていこうと思います。
私たちにとって、私たちにとって、同一とは何を意味するか。
この同じっていうのは、言語にとってというか、言語を扱う人間、人にとって非常に重要で、何が同じで何が違うかっていうのは、
その言語を通さない物理的なね、自然というか客観的な事実と異なるっていうことも非常によくあります。
まあ簡単な例で考えると、僕が僕って言った場合と、例えば皆さんが僕って言った場合、
声の高さとか全然違うわけですけど、同じ単語を発したと考えられるんですよね。
で、他にも、例えば、日本語はLとRを区別しないってよく言われますよね。
どちらも同じら行として認識されます。
日本語母語話者だったらそう考えるんですよね。
同じというふうに見なしますが、英語だとLとRっていうのは違う音として認識されているというふうに、
言語によって何が同一、何が同じかっていうのは全然異なってくるということなんですね。
日本語のら行っていう音はLみたいなラーっていう音で言ったとしても、例えば巻き舌でラーって言ったとしても、
同じら行なんですね。当然これは物理的には全然違う音です。
ただこの物理的に違うということがそのまま直接、 その言語において違うということには結びつかないんですね。
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Lの音でラーメンと言っても、巻き舌でラーメンと言っても、別に意味の違いには関わりません。
こういうふうに客観的な言語音のことを、 つまりLのラーと巻き舌のラーみたいなものは音声というふうに言われて、
日本語ではそれらを区別しないということで、同じ音素というふうに見なします。
この音声と音素の違いっていうのは、 言語学において非常に重要なんですね。
こういうふうに物理的な世界では全く異なるものでも、 言語を扱うものにとっては同じと見なされることがよくあります。
ある意味で抽象化しているっていうことですよね。 で、この抽象化っていう能力は、言語の持っている能力というかね、働きの一つで、
人間にとって非常に大事なものです。 そういう抽象化っていう能力がないと、
例えば一つ一つのものとか出来事に名前をつけることになるので、 そんなことしてたらいくらね、
単語っていうのがあっても足りないということになって、 ある意味固有名詞だけの世界ということになってしまいます。
で、現実の世界っていうのはそういうことはなくって、 当然一人一人違う人間ではありますけど、
人間という言葉でまあ、 半中化しているというかね、
まとめ上げているということです。 このような抽象化能力みたいなものは、
言語によってもたらされるものであって、 小さい子供にはまだ見られないような場面もあるようです。
というのが、 例えば3つの箱が上から順番に、
緑、黄、青の順番で重ねられているっていうようなね、 状況を思い浮かべてほしいんですが、
で、その緑、黄、青の真ん中の黄色色のボックスに、 例えばおもちゃを入れて、
で、子供にそれを見せて、 向こうの同じところにもおもちゃが入ってるよって子供に言ったとします。
で、その向こうの箱っていうのは同じ3段なんですけど、 色の順番が異なって、
上から黄色、赤、白っていう順番になったとします。 この場合、大人だったら同じところっていうのは真ん中の箱っていうふうに解釈して、
向こうの箱の真ん中の赤いボックスを開けます。 一方、子供は
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同じところっていうのは同じ色っていうふうに認識して、 その順番に関係なく一番上の黄色のボックスを開けるそうです。
つまりこれは上中下っていうような、 相対的な関係っていうのがまだ理解できていなくて、
より物質的に同じもの、つまり色が同じっていうふうに解釈するということなんですね。 このような結果は
3、4歳ぐらいの幼児で見られるようなんですけど、 子供にとってはより客観的というかね、より物理的、物質的な
点で同じっていうのを認識していますが、 大人にとっては同じっていうのはより相対的、関係的な、
より抽象的なものとして捉えてるんですね。
そういったより相対的、抽象的な考え方ができるのは、 言語のおかげであるというふうに考えられてるんですね。
同じことはもしかしたらお金についても言えるかもしれません。 大人であれば
綺麗な千円札よりもしわくちゃの1万円札の方を欲しがると思います。 まあこれはより相対的な関係にあると言えると思うんですが、もしかしたら子供は
汚い1万円札よりも綺麗な千円札の方を好むかもしれません。
そういう相対的あるいは抽象的に 物事を捉えるっていうのは
まあ人間の根本であって、 言語の持っている能力、働きと言っていいと思います。
これって実はなかなか高度なことで、 例えばバナナ1本とリンゴ1個っていうのは
大人にとっては当然同じ1として捉えることができるんですけど、 子供にとってはバナナ1本とバナナ2本の方が
より同じものとして捉えられるんですね。 その数字っていうあるいは数っていう抽象的なものを
引っ張り出して、でそれで同一視するっていうのは、 よくよく考えたらかなり難しいことかもしれません。
そしてそれはおそらく人間にしかできないことではないかなと思います。 まあだからこそ人間っていうのは数学的に物事を考えられるんだと思います。
というわけで今回のお話はここまでということで、 最後まで聞いてくださってありがとうございました。
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冒頭言った関連エピソードもぜひ聞いていただけたらと思います。 番組フォローも忘れずよろしくお願いします。
それではまたお会いしましょう。 お相手はシガ15でした。