レナードの目覚めと眠りの違い
前回からの続き。
事例として、これが…。
あ、ごめんなさい。どうぞ。
あと、これは事実ベースっていうのが大きいと思ってて。
うんうん。
もう、桃太郎が何回も言うと正解はないんですよね。こういうことって。
しかも事実だから、映画だったら例えば読み解きとか解釈みたいなことで、ある程度の正当とか、
制作メッセージみたいなのも言い出せますけど、今回も演出とか、結婚でかなり構成には手が入ってるとはいえ、
やっぱり事実起こったことをベースにしてるんで、
それに対して補助性みたいなのがたくさん引いてあるかもしれないですけど、
それに対して間違ったものも含めて、
答えみたいなのを見出すっていうのは不可能じゃないかなっていう気もしますね。
だってこれ、戻ってしまう前提じゃないから。
実際には一生懸命試行錯誤してたけど、戻ってしまうっていうことじゃん。
だから一瞬だけで、その後の悲しみとか恐ろしさとかを考えて、
そこを見てはないからね、先生たちはね。
だからそれでも少しでもって思って、直ったらいいと思って、
やっている過程でやっぱり、本当の奇跡だったらそのままなっちゃう。
でもそうじゃないっていうところが、やっぱり人間の試行錯誤だったろうなと。
何て言うんだろう。及ばないところというか、神じゃないから。
なんか、俺がたまに聞いてる、
俺が聞いてるテンプルモーニングラジオっていうポッドキャスターがあって、
お坊さんが結構出られるラジオなんですけど、
そこで聞いたことなんで、なんか僕が偉そうに言うのはあれなんですけど、
たまにその医療に携わって、看護師とかやられて、
で実家がお寺でお坊さんもやってる方とか、
あとはがんサバイバーの方で、がんになって、がんを克服じゃない、なんて言うんだろう、がんって。
感慨。
一応治療。
そう、感慨したりして、がんから生存、戻ってきて来た人という立場で、
仏教を説いてるみたいなお坊さんが出て来られるんですけど、
結局そのお坊さん、お坊さんたちが言うのは、
結局その、どう進んでも今の世の中、死は必ず待ってる。
で、病院の先生たちは、死は失敗だと思ってる。
でも、例えばがんだったり、さっきね、もぐたんの話でがんが出たから、それを扱うのはあんなかもしれないけど、
どんな病気で、治療がうまくいって、生き延びたとしても、必ず死は待ってる。
だけど、克服できないものに対して、今の病院は、死イコール失敗というふうに捉えてしまってるから、
そこが病んでますよね、みたいな話を、仏教の僧侶たちはすることがあって、
まさにその、戻ること、障害が克服して、障害から回復して、もう一回戻ってしまうことイコール失敗と捉えてしまうのか、
そうじゃないというふうに捉えるのかで、全然変わってくるなと思ったんですよね。
普通に考えれば全然失敗じゃないんだけど、
出てきてお医者さんからすると失敗したっていうふうに考えてしまう。
でも、違うよねっていうのを。
まさにそうだと思います。今お話し聞いて思ったんですけど、
一度レナードが目覚める前の眠りと、目覚めた後に眠りつく眠りっていうのは、
外から見たら同じように見えるけど、彼が得たものは全く違うはずで、
そこを見るべきなんだなと今更ながらに思いましたね。その違いというか。
医療と仏教の死に対する視点の違い
さっき話した、僕がぐっと言ったレナードの眠りに再度つくときのどうにいった態度っていうのは、
目覚めの中で得たものっていうものがあったからこそなんだろうなと。
それは失敗じゃなかったんだなと。 目覚めの眠りは失敗ではない。
あの映画ほど劇的でないにしても、さっき修羅さんがおっしゃられたみたいに、
全ての人に間違いなく死が訪れるんだなっていうことを、僕もすごく今日話し聞いてて、
ずっと通じるもんとして感じたんですよね。
だからまだ大丈夫だろうってどっかで思いながら生きてはいるけど、
いつ自分にも本当に目の前に現れるかわからないっていう意味で言うと、
ある意味常にそこと向き合っておいたほうがいいんだろうなみたいな感覚にもなって、
なんか急に目の前に現れたときに本当に慌てるみたいになるよりは、
それこそさっきなぞくるさんが言われたみたいなレナードみたいに、
ちゃんとそこと向き合って、誇り高くまでいかなくてもいいけど、
なんか自分なりに、
その日が来たんだねってちゃんと思えるようにしておいたらいいのかなみたいなことを考えさせてくれる映画だったんだなって。
最初ピンとこなかったって言ったのが今頃になって恥ずかしい。
そういう映画だったんですね。本当もう一回見たいなぁ。
その時が来たときに。
ん?
あ、ちょっと見慣れたな。
ちょっと。
この中に少し、死を受け入れるということっていうか、必ず死は訪れるじゃない。
うん。
これってわかってるけど、なんか今ではない気がしてるじゃん。
うんうんうん。
でもわかんない。次の瞬間死んでるかもしれないし。
うんうんうん。
なんかそれは確かに、この間私全速でちょっと一回死にかけた。
あー。
本当に息ができなくなったときに、
あ、死についたなって思って、すごく怖かったんだよね。
うん。
そこからちょっとすごく死については考えてて、
でもまだ受け入れはできないと思って。
うんうんうん。
でもあの、レッドさん。
この若い私が今の年で死んだら、一緒に墓に入れって言ってたけど、もうちょっと生きてもいいよって思った。
あははははは。
うん。
ちょっと早すぎだろうと。
ちょっと早すぎ。想定したより早かったから、なんとか。
うんうんうん。優しい。
予想しちゃっていいやと思った。
おー。素晴らしい。
これ死んでみんなで予想しろって思ってないと思うけどさ。
うーん。
でもまあちょっとだけ気づきがあったかな。
うーん。
死についての意識と受け入れ方を考えさせる映画
いやー。
いやー、死を意識するって難しいですよね。
難しい。
ちょうど俺は、コロナの時にテンプルモーニングラジオに出会って。
あ、へー。
で、その時って、それこそ死に対する意識が、みんな本当の一番最初の緊急事態宣言の時とか、どうなっちゃうんだろうみたいな。
もしこのコロナがもっと毒性が強かったりとか、感染力が強くて、
本当にかかったら、みんな急性肺炎みたいになってしまって、
なくなってしまうんじゃないかっていう、本当ピリピリした状態だったから、
死についてちょっと考えたりとか、
そのテンプルモーニングラジオをやってる、ホストとしてやってる松本正経さんっていうお坊さんも、
まあ逆にいい機会ですねみたいな。
おー。
そうそう、メメントモリっていう言葉があるように、死を思えみたいな。
あー。
響きだけあるからみたいな、話をしたりとか。
あと、死の体験旅行っていうワークショップがあって。
えー。
あー、なんか言ってましたね。
そう、なんかホスピスの、ホスピスで働いてる看護師とか医師の方向けに、
その人たちのメンタルケアをするためのワークショップとしてスタートしたんですけど、
それを仏教のお坊さんがやってるのに参加したりとかして、
死を感じてみるっていうのをね、やったりもしてたんですけどね。
そう、あとは、
あの、なんだ、
えーと、
ネイティブアメリカンのその、
スウェットロッジっていうのがあるんですけど、セレモニーがあるんですけど、
それは1回、1回死んで生まれ変わるっていう、
儀式だったりするんで、それに行ったりとか。
へー。
篠さんいろんなことしてるね。
そうなんです、俺。
すごいね。
いろんなことしてるんですよね。
そんなこと、そんなあるんだって言ってましたよ。
面白い。
そうですね。
死に関することとか、
スピリチュアル系は、
やってますね。
やってます。
スピリチュアル系はやってますには、なかなか危険な、
要約の仕方ですよ。
まあ、確かに危険だけど、
もう、もうそういう人なんで、
そういう人ってことは、
それしか出なくなってくる。
もう観念して進みなさいっていうことらしいので。
へー。
ちょっと言い方はあれかもしれないですけどね。
そのネイティブアメリカンの死を、
死っていうか、そのスウェットロッジ。
スウェットロッジは、
その死を体感する的な文脈なんですが。
いや、死を体感するというか、
スウェットロッジが、
向こうのネイティブアメリカンの言葉で言うと、
イニピーっていうのかな、イニピーだったかな。
死球って意味なんですよ。
あの、お母さんのお花かの死球。
はい。
死球に帰るっていうセレモニーなんですけど。
はい。
まあ、えっと、えっとね、
行ってしまえば、
はい。
その、めっちゃ暑いサウナなんですよ。
はいはいはい。
で、サウナで、
あの、ロウリュウってあるじゃないですか。
え?
あの、ロウリュウって、
ロウリュウ?
サウナの石に水をかけて、
水蒸気を出して、
はい。
こうブンブン回すみたいな。
あー。
うん。
あれの、
はい。
あれのヤバいバージョンなんですよ。
ヤバいバージョン?
ヤバいです。とんでもなくヤバいです。
えー。
一気に、
多分、温度のその、
上昇がヤバくて、
すごい狭い、狭くて真っ暗な、
その死球、死球を意識したところに、
十何人入って、
はい。
で、かけて、
うん。
で、すごい高温状態にして、
その中で祈るっていう。
ラコタ族のセレモニー
あー。
ヤバいかも。
僕、前スマスマで、
キムタクが、
あー、そう、キムタクやってたかもな。
なんかやってたのを思い出したんですよね。
そういうとこで、なんか、
すっごい暑い中で、
そのネイティブアメリカの人たちは、
歌ってるんだとか言って、
あんな中で歌ってるって、
信じらんないよね、みたいなことを、
言ってた映像しか、
そうそうそう。
記憶にないんですけど、
それのヤバい版。
それのヤバい版っていうか、
それなんですけど、
歌って、歌って、
祈るみたいな。
うーん。
うーん。
それほんと死ぬと思うんですよ、本当に。
へー。
出れないし。
どこでやったの?
あー。
えーと、それはこう、
ん?
なんか今調べたら、
いろんなとこでありますよ。
そう、意外とだって、
いろんなとこ?
一応、
俺がカウンセリング学んでる、
松木忠さんっていう方が、
神戸とか、
あとは関東だと、
カールイズワと清里かな?
で、やってらっしゃって、
その方は、
ラコタ族っていうところの、
ラコタ族から許可をもらって、
そのセレモニーを日本でやることを、
ちゃんとやってる人なんですけど、
うん。
うん。
その、何だろう、
スウェットトチェと神戸
スウェットトチェも多分いろいろ、
いろいろっていうのは、
その、
ネイティブアメリカにも部族がたくさんあるから、
うん。
うん。
これっていうのは多分、
ないと思うんですけど、
うん。
うん。
俺は、
神奈川で受けて、
まあ基本は神戸でやってますね。
その、松木さんが神戸に住んでるんで、
神戸と大阪か。
松木さん聞いたことあるな。
おお、すごい、すごい。
神戸っ子だから。
松木さん。
なるほど。
なんか、
ワンワンブースとかそんな話してなかった?
ん?
なんか聞こえなかった?
なんか、スペシャル系の話で、
うん。
なんか、チラッと出てきたような、
まあ意味はわかんない。
ああ。
うんうんうんうん。
なんかいろんなことを、
修羅さんは何者なんだ?
そう、俺ね、
なかなか、
なかなかそこがそう、
何者なんだって言うんですけど、
俺サラリーマンなんですよね。
急に資本主義になってくる。
そうそうそうそう。
あの、基本は、
基本はサラリーマンなんですけど、
そうそう、いろんな、
はてな、みたいな活動が。
あ、あれ?
なんか、
モクタンとなぜぐらさんが、
画面上は消えちゃったみたいですね。
そう、めっちゃお茶でむせただけ。
え、え、お茶?
お茶でむせて。
あ、お茶でむせた。
モクタンの100番の1ぐらいの、
ディース対決して。
むせた。
お腹空いたから、むせるね。
あ、はい、ありがとう。
ありがとう。
それらしいお茶。
ありがとうございました。
ではまた。
ではまた。
レッドさんにもよろしく。
あ、レッドさんによろしく。
また。
ありがとうございました。
いやいやいやいや。
なかなか深い話になりましたね。
いやー、そうなれば多分えないね。
いやー、そうっすね。
やっぱり見た直後じゃ判断できないっすね、
映画ってね。
そうですね。
後から来ますね、じわじわ。
そう、やっぱ他の人の視点というかね、
自分じゃやっぱり気づかないところを、
あ、そういう風に見るんだ、みたいなのをね。
それもある。
そこからなんか、
あ、そう言われればこういうことも考えられるかな、
みたいなのが。
あって面白かったですね。
こういう、ちょっと話変わっちゃうんですけど、
なんか多分ちょっと、
だいぶあの、
緊張してたんで。
緊張してた。
気が抜けない感じで。
あー、まあ確かに気が抜けない。
ちょっと気軽な話になるんですけど、
こういう映画とかなんかの感想って、
特に今だとSNSとかがあって、
結構いい批評がすぐ出たりとか、
そういうのすぐ触れられるんですけど、
こういうのすぐ話していいんだっけな、
みたいなのが最近思うんですけどね。
みんな直後だからこそ話せることもある一方で、
今のレナダンさんみたいに結局、
この間話になった時も、
全員見てから10年近く経ってるんで。
状況化。10年以上経ってから状況化で、
話してあそこまで語れるし、
逆に言うと、あれぐらいの人生経験が下手から、
ことようやく話せることも多くあったと思うんですけど、
なんていうんですかね、
すぐ話すべきなんだっけって、
最近よく思うようになってきました。
なるほど。確かに。
何にしてもですけど。
すぐに言葉にしとくことも大事な一方で、
それで満足しちゃってたりとか、
それであれはしょわりーみたいな感じにするのは、
もったいないんじゃないかなっていう。
本にしてもね。
確かにそうですね。
本にしても人生経験全部の話なんですけどね。
ちょっとそれで行くと、
今話しちゃダメなのかもとか思い始めたことが1個あるんですけど。
最悪カットですね。
最悪カットです。
宝物がなんでいるの
映画じゃなくて本なんですけど、
最近アルケミストっていう本を読んだんですよ。
あーはいはいはい。
パール・コエールの。
あ、そうですそうですそうです。
なんですけど、なぞぐるさん読まれました?
あれも学生時代に読みましたよね。
なんかあれですよね。
これネタバレになっちゃっていいの?
まあいいんじゃないですか。
ざっくり言うと、
宝物を探しに旅立った若者が、
その宝物が実は、みたいな話ですよね。
実はか。
そこにあったよねっていうことですね。
そこだったよねみたいな話ですね。
ざっくり言うと。
ざっくり言うとそうなんですけど、
あまりネタバレしないように言うと。
俺が思うにリンクというか、
その時その時の自分の状態で、
引っかかるところが違う小説だと思ってるんですよ。
はいはいはいはい。
だからあれは何度読んでも新しい気づきだったりとか、
この登場人物に何か動かされるっていうのはあれだなと思ってるやつですね。
なるほど。
見当たんねえな。
ちょっとその意味で言うとさっきなづくろさん言ってたみたいに、
急にというかすぐ感想を言っちゃっていいんだっけっていう観点で言ったらダメなのかもしれないけど、
まだピンときてないんですよ僕。
読んだけどピンときてないんですね。
すごい肩透かしくなったって今のところ思ってます。
なるほど。
またこういうこと言っちゃって後で反省するパターンなんでしょうけど。
しゅうさんが引っかかったとこなんですか?
気に入ったとかじゃなくてムカついたとか、
何こいつやってんのみたいなのも気になったとこってないんですか?
いや僕ね、宝物がなんでいるの?みたいな感覚ずっと持って読んだし、
最後まで結局宝物が大事だったっていう話しやがったって思いました。
ごめんなさい。
今んとこそういう、そういうふうに今んとこ印象を受けてる。
2回、3回読んだら違うのかもしれないけど。
宝物がなんでいるの?って。
財宝と見ちゃってるんですね。
そうかもしれない、今そうかもしれない。
違うものと見立てたら、ちょっと見方が悲しいなと思うんですけど。
なのかもしれないですね。
生き方とか幸せとか。
あれ、君たちはどう生きるかを見てピンとこなかったっていうのと一緒かもしれないですね。
ごめんなさい、後から来るかもしれないけど今んとこ。
こういうしょうもないことを言ってたなって後で振り返るために、今は今でこの気分正直に言っとこうと思って。
そうですね、そういうの大事なんですね。
言っちゃダメなのかもしれないけど、すぐ言っちゃっていいんだっけって言われるとすいませんって感じなんですけど。
でもその引っかかり方みたいのがたぶん大事だと思う。
読んでそれを上手くまとめましたけれども、
っていうようなこととかが意外と大事っていうのは。
こないだお話したんですけど。
なかなか大事だという話で終わりやがったって思ったんですよね。
思っちゃいました。
だからそれもやっぱり前評判みたいなのをすごく持って読んじゃったんでしょうね、僕。
前評判、どんな前評判?
いい、なんかそれこそさっきしゅらさんおっしゃってくれたみたいな、読むたんびに違う感覚を得られるとか、
そういうこともよく聞いていたし、そんだけ深みのある作品なんだろうなって勝手に最初から思い込んで読んだ。
だから一発目から感じられるって期待してた。
つもりじゃなかったけどそう期待してたのかなとか、今は思ってますけどね。
しゅらさんにとって宝が引っかかってるじゃないですか、最初から最後まで。
引っかかってますね、宝っていうか。
そこでしょうね。
そうですね。
そもそも宝なんているの?っていう。
宝を探す旅の意義
そうそうそう。
宝を探しに出ていく必要があるの?みたいな。
そうそう、そんな感覚。
なんで出るの?
僕だったらもう満足してるよって。
満足とは言わないけど、なんでリスクを。
そうですね、宝を探す。
宝を探していった結果、滝壺に落ちてくるようなことになるかもしれないですよね。
いや、やっぱ。
そうですね。
物質的な宝に対してかなりしゅうさん、違和感持ってんのかなって気は。
そうですね、それはあると思います。
うるせえ、手放しとけやって。
ひどい言い方だけど。
そういう面はあるのかな。
そう思っちゃってるのかもしれないですね。
あれ確か、ちょっとごめんなさいね、僕相当前に読んだんだけど、俺覚えないですもんね。
インタビューしてもいいでしょ。
いいですいいです。
間違ってたら申し訳ないけど、なんか自分が最初行ったとこの木の根元に実は埋まってたんですよみたいな話だった。
そうそうそうそう。
教会だったかな。
教会跡地みたいな。
そうですね、なんかいろいろやった結果、ここだったんじゃんっていう話だったんですけど。
なんていうんですかね、宝の価値は置いといて、
最初にその、なんでしょう、物語の3ページ目でそれ掘り起こしちゃってたら、全然意味が違ったと思いますし。
なんかその、わーってなんか振り回されたじゃないですか、結局の物語の中で。
いろいろ振り回された結果、なんだよ、ここだったんじゃんみたいなことだったんですけど。
でもなんかその振り回された方に目を向けたら全然、ありなんじゃないか。
ありっていうか、見方が変わった。
さっきのレナードの朝に、レナードが最初に眠りについてたときと、
いくつ目覚めたから眠りについたのが全く意味が違うように。
もともと埋まってた宝の価値ってのも、
だからその価値を求めてた最初よりも、最後に戻ってきたときは、
迂回してきた旅路が全部上乗せされてるわけで。
価値みたいに言ったらあれですけど。
だから物質的な価値そのものよりも、むしろ旅路のほうが価値があったんじゃないか、
みたいな受け止め方を僕はしたんですけどね。
経験と振り回された結果の意義
全体を通しては、なぞるさんと同じような感じで、
で、俺が毎回読むたびに違うところに惹かれるっていうのを挙げると、
まず最初に俺がうっと思ったポイントは、
途中で友達出てきますよね、友達っていうか。
はいはい、錬金術師になりたいやつ。
勉強はめっちゃしてるみたいな。
座学はずっとしてるんだけど。
全部揃ってたのに、こいつはようやくやり始めたみたいな。
そこでね、あ、俺だって思ったんですよ、その時の状態。
俺だ。
いろいろ学んでるし、いろいろ学んでるんだけど、
何かやってねえみたいな。
実践してねえ、俺みたいな。
思ったりとか。
で、ちょうどその時鬼滅の刃の、の元霊者編がやってて。
で、鬼滅の刃って結局その思想戦じゃないですか。
なんか鬼が、鬼が何か言ってくるじゃないですか。
思想戦だっけ?
ちゃんと読めてないかもしれない。
途中までしか。
何て言うんだろう。
例えば、無限霊者編で言えば、その強さを保持したいとは思わないのかみたいな。
赤鞘を取りに行くんですよね。
赤鞘に対して。
そんなに強いのに、お前は鬼ではないからすぐ死んでしまうみたいな。
だけど、それに対して俺はそうは思わないみたいな、煉獄さんは。
その気づくからこそ美しいみたいな。
その思想の戦いじゃないですか。
で、それでなんか、
赤鞘の前に列車に、列車と同化した鬼がいるじゃないですか。
エムですね。
そうだっけ。
欲しいな、エムですね。
加減の。
加減の位置ですね。
そう、加減の位置。
で、あいつはめっちゃくちゃいろいろ準備するんですよ。
こうして、こうして、こうして、こうして、最後にこうするみたいなプランニングを立ててるんですけど、
結局、なんか、
上手くいかねえみたいな。
なんで準備が完璧なのに上手くいかねえんだみたいな。
ので死んでいくんです。
で、俺はもうやりたいと思ってたこと一切達成してないみたいな感じで死んでいくんですよね。
で、それを見て、あ、俺だと思ったんですよ。
やってねえみたいな。
思って。
なるほど。
で、それで、アルケミストとかもそこが一番最初に見たときにそこにちょっと惹かれて、
やろうと思って。
とにかくやるしかねえみたいな。
で、その辺りでポッドキャストを始めたりとか、
シューズさんに会う前ですけど、会う前というかツイッターで絡む前の、
本当に一番最初のポッドキャストは収録したりとかやり始めたりとかっていう時期だったので覚えてたの。
あとは主人公が前代さんを亡くして、
おじさんのもとで働くじゃないですか、店で。
宝石廠かな。
で、おじさんは夢があったけど、もう諦めたみたいな。
俺はもう抱えてるものもあるし、年だからみたいな感じで、そんな感じじゃねえみたいなので、
諦めてるけど主人公は行くみたいな。
主人公は砂漠で禅帳を読んで、オアシスの人たちを助けたけど、
お前はそのまま留まったら禅帳が読めなくなって、結局ダメになるぞみたいなことを言って、
結局暗中の地から飛び出したりするじゃないですか。
だから、そこはそこまで強く控えてないですけど、でもそういうことも必要なんだなとか思ったりとか。
違うまたタイミングで読んでて。だから不思議なんですよね。
なるほど。
さっき、旅路にこそ価値があるんじゃないかって偉そうなこと言ったんですけど、
聞いてても何も思い出せなくて。
旅の途中で何やっても一つも思い出せなくて。
あれ、俺宝が欲しかったの、たぶん。