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おはようございます。キクセラフィ第730回、1月21日土曜日20時21分収録しています。
久しぶりになっちゃいましたね。こんなに場が空くはずはなかったんだけど、さすがにやっぱり今週はですね、
奥さんは実家にいらっしゃいまして、娘の方も毎日毎日部活部活で、帰りも遅いと。
それでバタバタしているうちにあっという間に週末になってですね、日がつくとこれを収録している片時もそんな暇はなかったと。
たったそれだけなんですけれども、実にシンプルな状況で。
そもそも何の話をしているのか忘れちゃったんですよね、前回ね。
でも一応タイトルを見て何となく思い出したのが、義塾下に行ってた時のタスクシュートの紅葉ということだったと思うんで。
今回はですね、義塾下に戻っていた時のグッドバイブスな紅葉についてのお話をちょっとしたいかなと思っています。
それでですね、先週、あ、そうそう、これも意外な展開だったんですけども、意外じゃない展開なんてもう金輪際ないんだろうなと思うんですが。
多分このポッドキャストが配信されている時には既に第1回は終わっている夢を叶える人になる3ヶ月チャレンジのキックオフで。
こちら満席になりまして、ただ全員オンライン参加というね。
だからオフラインのために撮っておいた会場をキャンセルしたんですよ。
それくらい意外な展開で、これ満席になるんだったらまたどんどん続けていこうと思いました。
ウェイティングリストとか作りませんし、次回は多分ね、これを全部総括してから新しく撃とうと思っているんで。
5月ぐらいに、また4月か5月の再開になるかなとは思っているんですけれども。
よろしかったらぜひですね、告知はこちらの方でしますので、ご参加いただけるととてもありがたいというか嬉しいです。
これは私の一つのライフワークになると思っていなくもないので、そんなこともわからないんですけど。
本当に先のことを考えるのって虚しいなぁと今回ね、議事課のお葬式で痛感しましたんでね。
考えはしますけれどもね、あんまり意味ないんだなこれって本当に思うようになりました。
でも満員御礼ということで、こちら大変ありがとうございます。
で、議事課に戻ってきて、お葬式に行って。
お葬式という場ではありましたけれども、つくづくグッドバイブスでした。
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グッドバイブスというものを非常にいろんな意味で知ることができたと言いますか。
やっぱり人がですね、たくさん関わってきて、で私の立場ってすごいあやふやなところがあるなと。
ポジションはすごい明瞭なんだけど、でもやっぱり人間関係の中ではね、知らない人ばっかりですし、あやふやだったなぁって思うんですよ。
で、こんな時こそグッドバイブスっていうのはね、なんかこう、当然の成り行きだなと僕なんかは思ったんですね。
こういう時にはグッドバイブス以外、僕は持ち合わせのコマがないなみたいな、そんな感じを思ったんですよ。
あいうまわってですね、苦手だっていう方多いと思うんですけど、それは当然なんですよね、ある意味では。
だって世代全く違う、しかも義理の真類筋っていう人がわんさかやってくると。
ここでね、相手の人がどういう風な価値観でいるのかとか、何を考えるのかとか、
どうすれば評価されるんだろうなって考えてたらですね、いい気持ちになれっこないんですよ。
しかも、これも考え方次第なんだけど、理不尽と言えば理不尽なことがたくさん起こるわけですよ。
もう理不尽なことのドミノ倒しみたいな感じなわけですね。
だからこれを理不尽だと思ったらですね、やってられるはずがないんですよ。
こういう条件が揃ったら、グッドバイブスがポンと浮かんでくるじゃないですか。
この条件が揃ったときにタスクシュートとかライフハックっていうのは、本当僕は効果ないなって正直思うんですよね。
なぜならば、ここで私が効率的だという風に思うことが、他の人にとってそう感じられるかどうかは、なかなか疑わしいわけですよ。
住んでる場所が違う、生活スタイルが違う、そして世代が圧倒的に違うわけです。
しかも、ここでは効率的ということが果たしていい意味なのかどうか、遅しきりですからね、ギリのしぬるい筋の。
効率的を言ったら、そもそもやらないんじゃないっていう話も出て聞かれないわけですよ。
だからもうこれについてそういうことを考えるのは一切やめにしようと。
私の動きそのものの中にライフハック見えたところが、例えばタスクシュートやってるとか自体があるにせよ、ここ効率で押していってもしょうがないわけですよね。
なんとなくキーワードが揃ってるじゃないですか。
なんでこれがキーワードになるのか分からないって言えば分からないんだけど、ここは一つ意識だなっていうのがしっくり来るところだと思うんですね。
だいたい苦手なところではグッドバイオスではやっとけば間違いないっていうのが私に、短絡的に言うとそういう言い方もできるわけです。
そして今回はまさにそれがぴったりはまったわけですね。
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たとえ状況が似ていても、これが同じ周波のうちのしぬるい筋なら分かるんですよ。
人々がどう私が動いたほうがいいと思ってるかっていうのはだいたい想像がつくんですね。
そしてそこについてあれこれ考えるまでもなく、ある意味小さい頃から自然と身についている部分があるから、
大体自然に振る舞っておいて間違いはないんですよ。
小さい頃の自分をよく知ってる人ばっかりだから。
今回はそうじゃないですよ。
私の小さい頃も大きい頃もいつの頃も全然知りもしない人たちばかりで、しかも表面上は非常に丁寧に接すると。
こういった場面こそ考え始めるとうまくいかないんですよね。
考えないと言えばやっぱりグッドバイブスじゃないですか。
いろんな意味でこういう場面では極めて有効だというのが私の感覚の中に染み込んでいて、
ここはもうグッドバイブスでしょう、滞在中はずっとグッドバイブスでしょうと思っていったわけですね。
一番わかったことは、わかったというか実感できたことが役割ということなんだと思いましたね。
これ愛と言ってもいいんですけれども、同じことなんですけどね。
この辺も非常にグッドバイブス的ですよね。
どういうアプローチをとっても意味は同じになっていくっていうことね。
役割というふうに私は説明するならそれがいいだろうと。
愛でいいんですけれども、愛では多分分かりにくい人には分かりにくいんだと思うんですよ、やっぱり。
その場にいて実感しないことにはね、そういうことはあると思う。
役割と言えばですね、山ほどあったんですよね。
すでにお話ししましたけど、まず雪道の運転ですよね。
なんでなのかよくわからなかったんだけど、これが事実上できる人は私しかいなかったと。
やればできるかなという人があと2人ぐらいはいたんだけど、それはもう相当無理をしないとなんですよね。
こういう時、こうやってパッと喋ってですね、その場の雰囲気で言うならば、
いや、鈴木がやるのが当然なんじゃないのって思えるかもしれませんが、
実際にやるとなるとね、やっぱりいくらでもやりたくない理由は見つけようと思えばもう出てくるわけですよね。
だって、私は夜の雪道の運転なんてのは、それこそ大学生のね、本当に好きで山にこもってた頃があったんですけれども、
それくらい以来だから、まあ短く見積もっても20年来ってことになっちゃうんですよね。
20年来の雪道の夜の運転はしたくはないですわね。
危ないし、事実危なくはあるんでね。
ふぶいてればホワイトアウトに夜だから、かなり接近しないと前の車とか見えないわけですよ。
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後ろの車から見てもそうなはずなんですよね。
まあそれはやっぱり一歩間違うとあれだなとは思うんだけれども、
他にできる人がいないし、やんないという選択もほぼないってことになってくると、やっぱり私がやるしかないんですよ。
ここを、あれですよ、恐れと不安を一切排除してやる。
それってなんか意味もない上に無謀な感じもするんだけど、
まずここに恐れを抱いたらですね、やらない選択を探るのが当然だと思うんですね。
なんとか理由をつけてやらずに済ますことはできないものだろうか、
せめて昼にできないだろうかみたいなね、いろんなことがあると思うんですよ。
これをですね、ある意味、久しぶりに主人に会った犬のようにパッと駆け寄って行って、
すぐじゃあ行きますみたいな感じで行くというのはですね、
本来私がこれまでやってこなかった類の行動なんだけど、
これができるんですよね、グッドバイブスを。
グッドバイブスで行こうと決めさえすれば。
ここら辺が難しいんですよ。
なんかね、これは何かの方法論なのか、あるいは一種の宗教なのか、
みたいな感じがすると思うんですよね。
こう説明していてもそう振る舞うにしても。
でもそういうのなしにこれはやれるんですよ。
やろうと思えばね。
私はやろうと思ってたんで、やれるんですよ。
こういうことをまずやっていくと、何が起こるかというと、いろんなことが起こるんだけど、
一つはみんなが怖がってるっていうのがよくわかるんですよ。
いろんなことをですね。
いろんなことをここでもどんなところでも、
この人たちの集団はそこまでではなかったんだけど、やっぱりわかることがあるんですね。
みんな恐れているものがあるっていうことが。
いろんなものを恐れているんです。
例えば夜、なぜか秋田にしては珍しく雨が降ってたと。
その中で3袋も4袋も可燃ごみを。
しかも結構なぜか距離があるんですよ。
田舎だからね。
これを出しに行くということをみんなひどく恐れていたんですね。
私が全部出してきたんですけれども、
なんでこれを怖がる必要があるのかというと、ないんですよ。
理由なんて。
でもやってみないとわかんないんですよ。
やるっていう方向でいて、
全然これによって恐ろしいことは何も起こらないからやるってことに決めておくと、
なんてことはないんですよ。
ただ袋を持ってちょっと寒さ対策をして、
何往復か傘を差していくと。
嫌だよねっていう人。
嫌だよねって言って嫌だと思うじゃないですか。
なぜそれをしなきゃならないのか。
これだけ他に人がいて、私が。
言えば言えるじゃないですか。
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でもその時に何を守ろうとしているのかというと、
よくわからないわけですよ。
ここでダウンを取る状態を守ろうとしているぐらいにしか言えないんですよね。
そんなことをすれば寿命縮める。
多分そんなことはないんですよ。
もしかしたら健康になるかもしれないしね。
わからないですよ、そんなことはね。
一番健康だと思われている方の葬式に行ったんですからね、私は。
神類筋の中では。
あの世代の中ではね。
それが10も15も年上のおじいさんおばあさんが、
心臓の手術をしているとか、
背骨のなんとかの手術をしているとかいうおばあさんも、
みんなまだ生きていらっしゃる中で、
なんにも起こっていないことの方が、
なぜか亡くなっているっていうそのシチュエーションの中で、
そこで雨の中に行かなければ何かが守れるっていう、
その予測ね。
それにどのくらいの意味があるかというと、
僕は全然ないんだなっていうのをやってみると分かる。
やってみると一番分かるんです。
他の人は多分何かを恐れている。
で、私はそれを恐れないことに決めたので、
他の人がそれをとっても恐れているのがよく分かるんですよ。
手に取るように分かるシーンが出てくるんですね。
そうするととっても同情的になります。
こんなことが怖いんだったら、
僕がやっていくよっていう、そういう感じ。
これを倉殿さんは平安とか愛って言うんですよね。
で、私はその状況の名称に合わせて役割と言うんだけれども、
そういう役割を私がね、
普段から担ってるとか、
それを名乗ってるとか言うわけじゃないですよ。
生ゴミを捨てに行く専門家ですとか言ってないですからね。
でもこれは役割なんですよ。
こういうことなんですよね。
Good Vibesで行くっていうことは。
これだけ聞いてもなお、
いや、そんなのは行きたくないとか、
夜道の運転はちょっとって思うのはよく分かるんですよ。
よく分かるんだけど、
それによって守ろうとしているものは、
完全に実は、
まあ、何て言うんですかね。
イリュージョンって言ってたんですよね。
倉殿さんが最近心象とおっしゃるんだけど、
幻っていうのはやっぱり正しいですね。
幻な感じがします。
もうとことん幻ですよ。
なんて言うんですかね。
幻の恐怖としか。
幻の恐怖というのが
一番ぴったりくるって感じがしますね。
怖いんですよね、何かが。
それが守られていれば、
自分は安泰だという感じがするんだけど、
安泰な感じっていうのが大事っていうよりは、
そこにある、
そのヒヤッとするものに触れる恐ろしさみたいな方が、
恐ろしさはそこで実感されている。
そこだけはちょっとパスさせてくださいみたいな。
これが積もると、
倉殿さんと最近トークライブとかされている
エフタさんが得意とする分野。
得意とする分野っていうのも変だけど、
エフタさんという方がよくおっしゃる、
積み上がった面倒臭さみたいな。
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なんか大したことがないような気もするんですけどね。
積み上がった面倒臭さって何それって感じがするんだけど、
それによって動けなくなるんだよって話を、
彼はすごく多角的に語っていらっしゃってて、
そこの聞きに来たいとか、
そこに興味ありますって方がいっぱいいらっしゃる。
っていうのがよくわかるんですよね。
つまりそれは、その幻を見ちゃうってことだと。
感じるかな?
感じるってことかもしれない。
どっちにしても幻なんで、
幻だということはつまり、
感じなくてもいいってことですよ。
だって幻ですからね。
感じでもいいんだけど、
感じちゃってもしょうがないんだけど、
感じなくてもいいわけです。
それはこういうことなんですよね。
役割を果たさずにいる間は、
一緒にその夢を見ることになるわけです。
役割を果たした時だけ、
なんとなく一瞬目覚めかけることができるわけですよ。
この目覚めかけるっていうことが、
つまりグッドバイブスってことなんだと思うんですよね。
こう言ってて思い出したんですけど、
忘れるようなことじゃないんだけどね。
いわゆる仏教って言うじゃないですか。
あれはブッダの教えだから仏教だけど、
ブッダってどういう意味かというと、
目覚めた人という意味なんですよ。
たったそれだけのことですよ。
目覚めた人なんですよ。
つまりみんな寝てるわけですよ、他の人はね。
弟子とかは少なくとも。
寝てるという自覚があるから、
あの人についていくわけだけど、
そういう意味なんですよ。
ここでマトリックスとか、
夢見る人とか、
夢見る人っていうのはビオンっていう人の言葉ですね。
精神分析家です。
ビオンはこう言ったんですよ。
夢を見ている夢。
この世には二通りの夢見る人がいると。
夢を見ている夢見る人と、
夢を解釈する夢見る人。
夢を解釈する夢見る人が、
つまり精神分析家ってことですよ。
で、
クラゾノさんに言わせれば、
同じようなことなんですけども、
夢を見ているのを自力だけで、
気づいて目覚めるのは困難だと。
ブッダはそれをしたと言われてるわけですけど、
何しろ、
何しろ紀元前の話だからね。
わからんのですよ。神話みたいなところありますから。
でも、したと言われてるってことは、
なんかそこに重要な話があるっていう風に、
みんなが思ったんですよね。
当時のインドの人たちが。
古代インドですけどね。
マナダ王国とか、
そういう国の人たちですよ。
それはいいんですけど、
人だったら気づけるっていうのは、
そういう意味なんですよ。
私がそこで自分の役割を果たすと、
なぜか他の人たちがみんな夢を見ているってことに、
気づくんですよ。
そして、なんかちょっと気の毒だなっていう感じも、
伴うんですね、そこに。
これが上から目線だと言われると、
そういう話にも少しなるんだけど、
私はそこは少しも大事なことじゃないような、
気もするんです。
上からか下からかは関係なくて、
こんな夢に苦しめられるのは、
面白いことじゃない、
っていう感じなんですよ。
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一番僕がね、
思い出すのは、
近所にすっごく虫嫌いの、
おばさんがいたり、
僕が多分6、4歳の時だけど、
猫じゃらしを動かしたら、
虫っぽく見えるってのあるじゃないですか、
誰でも知っているような、
子供騙しなんだけど、
あれで面白いようにそのおばさんが、
引っかかってくれたことがあって、
あれを思い出すんですよね。
つまり、
その人はすっごい虫が怖いから、
こんな子供騙しは知っているはずなんだけど、
やっぱり子供が手に持っているから、
虫だと思ったんでしょうね。
早く捨てなさい!
みたいに叫んだのが、
すっごいおかしかったんですけれども、
それなんですよね、感じとしては。
こんな雪道の運転させられて、
っていう感じが、
多分する人にはすると思うんですよ。
こんな雨の日に何往復もね、
可燃ごみ捨てに生かされて、
みたいな、
そういうのがあると思うんですよ。
で、
それが、
少しも大した話ではないというか、
もう何なら、
あと10往復ぐらいします、
ぐらいな感じになった時に、
感じることがあるんですね。
こんなことでいいんだ、
っていう感じなんですよ。
ていうか、
これってほとんど何もしなくてもいいんだな、
って感じなんですよ。
ここに、例のあれですね、
受動的でいいっていうのがあるんですよ。
あるがままでよくて、
あるがままの自分でよくて、
しかも受動的に、
そこで求められていることに、
ただ応じていればいい。
しかもそれは、
少しも大変なことがそこにはない。
この一連の話がですね、
どうしても、
非常に宗教にかぶれている人のような話に
聞こえたりするとすれば、
私の語りがまずいのが一つあると思うのと、
もう一つはやっぱり、
そこには、
私たちに受けている教育に、
反対の側に向かう洗脳みたいなものが
あるからだと思うんですね。
こういう時に、
わずかでも得をすることの積み重ねで、
人生はトータルでものすごく得ができるっていう
不思議な教えですよ。
だってこれって、
言うならばですね、
こういう時に、
何にもせずに、
雪道の運転もせずに、
往復も一切、
雨の中のゴミ捨ても一切せずに、
断を取っていれば、
そしてそういう行動を積み重ねていけば、
トータルの人生は、
とても幸せになるっていう、
すごく無理のある発想。
その場では、
いくらかなんとなく、
ちょっとした得が得られるような感じがする
っていうのは、
あるかもしれませんが、
それのトータルで、
そんなに人生で得をする分量が増えるっていうのは、
私には全然理解できない感じがするし、
やっぱりそこにはですね、
ある種の、
やっぱり幻想があるんですよね。
そして、
この幻想とともにですね、
みんなで夢を見ることの、
危険性ってものを、
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なんていうんですかね、
危険性ってものをですね、
すごく軽く考えてるんですよね。
その、
ある自分の中で、
自分の中で、
自分の中で、
自分の中で、
ある自分の中にある、
こんなことはなんでもない、
という感じっていうのは、
別に、
雪道運転したり、
可燃ごみを捨てに行ったりするのに、
発揮されてる間は、
どってことではないんですよ。
でも、この感じをずっと抱き続けるのと、
この悪夢にずっと
うなされ続けるのとでは、
かなり違うんですよね。
何かに対してかなり違う。
例えば、
家はですね、
私はその、
あの場所に生きながらですね、
体、少しも痛めなかったんですよ。
こういうことが、
これもまたね、
なんかの宗教みたいに聞こえちゃうんですけど、
こういうことが、かつてはありえなかったんですよ。
でも、それは不思議なんですよ。
なんでならば、
私はかつては、その場で弾を取るとか、
なるべく早く帰るということに、
全勢力を傾けていたから、
トータルでは、
私が今風に言うならばですね、
得をしたはずなんですよ。
より健康に
いいことをしていたはずなんだけど、
すぐ、ああいうところに行くと風邪ひいてたんですよね。
そして腰を痛めてた。
間違いなく。
寝床変わるし、枕変わるし、布団冷たいし、
部屋冷凍庫みたいですしね。
でも今回はそういうことが
起こらなかったんですよ。
全くとは言わないけれども、
以前の状況に比べると、
千分の一ぐらいで住んでるんですよ。
この千倍苦労してたんですよ。
でも私はこの
百分の一ぐらいしか活動しなかったのに、
この千倍苦労してたんですよ。
ここに何かおかしなものを感じるんですよね。
これが一つ。
もう一つは、
これも私は
グッドワイブス的な効果って
こういうことだよなとは思うんだけど、
やたらと
私の主観の世界ですよ。
私の主観の世界では、
私はやたらと
やたらと
持ち上げられるんですよね。
これが
倉園さんの言うところの
グッドワイブスってことなんだなって本当に思うんですよ。
私が行くだけで場の雰囲気が
良くなるんですよ。
不思議なんですよ、これは。
私のような人間にとっては。
私が行くだけで場の雰囲気って悪くなる
っていう人間だと思ってて、
しかもそれはしょうがないことだと思ってたんですよ。
別にこのことに
昔、子供の頃はこのことを
残念だと思ってたんですけど、すっかり慣れきっちゃったんで
30くらいには
そういうものだと思うようになってたんですよ。
で、私は別に
今のほうが愛想よくしてるとか
よりトーカティブに
トーカティブって言うんですよね、英語ではね。
よく場の雰囲気をよく喋るやつ
明るく喋れるやつ
ってわけではないんですよ、ちょっと。
変わってない。何にも変わってないね。
ただ、言われればどこにでも
24:01
行くし、なんなら
校伝の表も
すぐに作り出すし
つまり皆さんが
夢の中で恐怖感を抱いていることは
全部やるんですよ。
それだけで、私の主観世界
私が行って、私が
認識できる空間においては
私が行くたびにその場は
華やぐんですよね。
これは不思議な現象だなって
思いました。今でも思います。
やってることからすると
不思議はないのかもしれないんだけど
私の実感からすると不思議なんですよ。
私の中で
グッドワイブスな人っていうのは
東京ラッキー研究会のベックさんみたいな
ああいう人ですよ。確かに彼が来ると
華やぐし
これはたぶんね、彼が知らず知らず
グッドワイブスなことが
トークの中でできるから
倉園さんの言うところの
ギフトモードで喋れるってことですね。
僕そんなことできないから
喋ったところで雰囲気良くなんないんだけれども
やってることでそうなるんでしょうね。
結局人ってそういうもんなんだなと。
つまりこの人がいれば
私の不安
払拭してくれるんだなと
無意識に思われることが
一番こういう事態、こういう影響に
力を汚すんですね。
思えばそれは
分かる気がする。
私が昔、大学生時代で
彼女欲しくてしょうがなかった
最大の理由がこれなんですよ。
結局
なんて言えばいいんだろう
女の子と好きな女の子といると
自分が
不安に日頃思っていることを
忘れさせてくれるような効果があるような
気がしたんです。
なぜって言われると困るんですよ。
そのような効果を発揮できる
理由は別にないような気がするんですけど
これをフロイトがリビドーって
言ったから多分リビドーって
言って間違いはないと思うんですけどね。
そういうことなんだと
思うんだけど、要は
赤ちゃんがお母さんに
あやしてもらうと何か安心できる
変わらん効果なわけですよ。
その後の行き先が
強制収容所であったとしても
この言い方は不況を買うかもしれませんが
私はそういう意味に近いんじゃないか
と思う時はあるんです。
だから私は
皮肉っぽくなっちゃうんですよ、人間としてはね。
と、こういう人間で
あっても
たった雪道運転して
公電の資料を
まとめて、ゴミを出しに
行って、布団敷くだけで
場が華やぐようになるんですよ。
不思議なもんなんですが
不思議じゃない理由も
あるんだなと思いました。
今回の新類筋の
人でもですね、やっぱり
かつての私がやっていた通りの行動
取る人もいるんですよ。
それは全然僕は
良くないとも意外だとも不思議だとも
思いませんでした。だって
数年前まで自分もアだったわけですからね。
なるべく早く帰る。
雪道の運転なんか絶対しない。
ゴミも絶対出しにはいかない。
なるべく団の取れる場所からは
動かない。男性でしたしね。
そういう
27:01
文化でもあるので
別に男性はそうしてても全然いいんですよ。
あそこではね。
だからそうしていい。
そして、もう葬式が終わった直後ぐらいには
帰っちゃう。
全然不思議じゃないです。
全然不思議じゃないんだけれども
その人が場に来ても
場は
輝きませんよね。
それはしょうがないですよね。
その人が来ることによって
誰の不安も払拭されないからなんだけれども
おそらく
一段と不安になるんですよね。
なぜならば
その人がこんなことだけはさせられてはたまらない
って思ってることを
なんとなくみんなもしたくないと思ってるから
その共同幻想を
みんなで持つことになるので
マトリックスでみんな
思ってるようなものです。
ここで雪道の運転だけはしたくないよなと
なんとなく口に出して言うほどでも
あからさまにするほどでもないし
場合によっては誰かが
私が行きますよって言うぐらいのことなんだけれども
でもなるべくなら
やめておきたいなと思うことを
絶対にやらないぞと思っている人と
一緒に夢を見ると
なんとなく不安が増幅するんですよ。
これがまあ
グッドバイブスの
考え方にあるんだな
っていうのを
あるんだなとはもちろん今までも
思っていたんだけれども
今回はそれがなんか目に見えるようだったと
目には見えませんよもちろん
たとえこれが波動だとしても
私はこれを波動だとは言わないんですが
波動だとしても目には見えませんが
でもそういうのが
目に見えるようだっていう感じを
今回は持つことが
何度も何度も何度もあったんですよ。
毎日毎日毎日あったんですね。
毎日毎日
ちょっと辛いなと思うこともあるんだけれども
トータルで見ると
少しも辛くはないんですね。
こういうことを
なんていうんですかね
まあ
体験すると
夢を見ているんだけれども
私もね、夢を解釈する
夢を見ている人に少し慣れるんですね。
他の人の夢が
わかるような気がするから
で、夢を見ている人に
夢を見ている人に
倉澤さんの言う通り、夢を見ている人に
罪はないんですよ。自分も含めてですね。
だからいいんですよ。
夢を見ていればいいんです。
ただ、それがこう
悪夢一辺倒になっちゃったら
辛いじゃないですか。
たったそれだけのことなんですよ。
悪夢一辺倒だったら
辛いなと思って
この人を目を覚ましてあげたいなと思えたら
それが愛だってことになるんでしょうね。