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2023-09-17 29:28

再レナードの朝?#2~何が正解か分からない~反乱を経由して

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レナードの朝を観て、何が正解何だろうな~?ってことを考えさせられるというもぐたん

シュウは印象に残るシーンとして、レナードが反乱のようなことを起こす部分を挙げる

そしてナズグルさんが前回もお話された、人間の尊厳の話にやはり回帰していく…


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収録日:8月26日


#しゅらシュシュシュ

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サマリー

レナードの朝の回では、レナードは治療の限界を感じてハンストを始め、障害者と健常者の社会のバランスについて考えられます。価値の見出し方と社会復帰の難しさ、尊厳の意味について考察される話です。

00:00
前回からの続き
何が正解なんだろうなーっていうことだけを
残るというか、私の中では
人間ってどうやって生きていったら幸せなんだろうとか
どの状態か
うちの父が
癌で去年死んだんだけど
最後の母が
先生に説明されたときに、この最後の抗がん弾をすると
このまま体力が持たなくて死ぬかもしれない
ということは病院で治療中に意識がなくなって亡くなります
それがうまくいけばもうちょっと生きるかもしれない
お父さんは意識があって家でいたかったんだよね
短い時間を家族と過ごしたかったんだけど
お母さんは嫌だった
何につながれてもいいから1秒でも長くいてほしかった
存在がなくなることがつらすぎて
個人によると思うんだけど、どういう立場でいるかっていうのは
でもお父さんが私に電話かけて
こう言われてて、お父さん治療するかどうするか聞かれてるけどどうしようかなって言われて
でもお母さんは絶対治療してって言ってるから隣でね
お父さんどうしたらいいって
お父さんはいいって言ったからじゃあ帰っておいてって言って
お母さんに後はすごく怒られたけど
ちょっとでも希望を持って治ってほしい
末期だから治らないんだけど
治ってほしいしちょっとでも長く生きてほしかったから治療してほしかったのって言われたけど
それはさあでもさあなんか自分が配偶者がいたら
この気持ちすごいわかるんだけど私からしたらお父さんは父親だから
なんか意思を尊重してあげたかったんですね
配偶者だったらもしかしたらエゴがもっと強くなって
意思を尊重できないかもしれない
けどでも何て言うんだろうね
何が正解かわかんないけど何が正解ってないじゃん
なんかそれをなんか問いかけ続けてくるのかなと思う
なるほどな
お母さんは最初に見たのはいつぐらいに見たって感じ
最初に見たのは20代前半くらいで
夜中になってたのよ
途中から見て
でなんかその時はシュラさんと一緒だよ
すごい感動して泣いちゃって
目と目が一緒だったのね
なんか一瞬でも治ってよかったなっていうか
彼に意思があるっていうのが伝わったのかなとか
よかったなとか
なんかいろいろその時はすごく感動したんだけど
なんかもう一回見た時に
うん
趣旨を投与する前のレナードが自分のことを
リルケの表だっていうふうに表現した
ことがすごい悲しくて
でお母さんはねずっとねレナードに本を読んでたの
レナードに本を読んでたの
本読んでたのね
だからそれでずっと伝わってたんだなって
そっか
なんか全部いろんな意味が重なって
リルケの表にすごい引っかかった
なるほど
だからどう思うのかが正解とかない
でもそういう感じの
僕たちにとってはすごく答えがない中で
ずっと考えさせられ続ける
心の深いところに迫ってくるような作品だな
っていう感じで今回レナードの朝の回だったら
参加したいって思ってくれたっていう感じだったのかな
なるほどな
あとなんか似たようなアレじゃない
アルジャーノンに花束を見た
タイトルだけ知ってるけど見たことない
アルジャーノンに花束っていうのも
映画もプロセスなんだけど
あれも同じように
それは知的障害者の方の
薬で
思考がすごく早くなる
ような薬を投与されて
研究者よりも思考が回るようになっちゃって
だから自分の投与された薬とか
自分がどういうふうな状況になっているかとか
分かってしまって
最初の被験者だとアルジャーノンっていうのを見ずに
どういう状態に陥っていくかっていう過程を
全部つぶさに理解できて
そこの苦悩とかも
描いてるんだけど
とても面白い
アルジャーノンの原作読んだことないんですけど
相当前にユウスケ・サンタマリアが主役で
あれが相当前ですよ
僕子供のときなんで
夕方のドラマみたいな感じでやってたのを見た覚えがあるんですけど
へー、ドラマだったんだ
今の話、どこまで原作と同じかわかんないんですけど
最終的に印象的だったのは
今もぐたんおっしゃった通り
薬を投与されたことで知的障害にあった主人公が
もう天才になっちゃって
同じく自分の前に指権を受けたネズミも
めちゃくちゃ迷路を通りたいとか頭いいんだけど
そのネズミが最終的に知的障害で呼ばれるレベルになっていくような
目の当たりにして自分も同じ立場になるんじゃないかと恐怖すると
でも自分には蜀によって授かった天才性があるから
それを用いて、そう陥らないための解法を見つけようとするんだけど
結果、それを止められないってことが自分が突き止めてしまうっていうような構造だったと思うんですよ
へー
そこから泣き喚いたり、当然落ち込んだりするんですけど
でもそれを粛々と受け止めて
元の知的障害というようなとこまで戻っていくっていう話だと思うんですけど
原作も同じような流れなんですかね
そうだ
ドラマと概ね
最後、アグダムズの主人公がレストランに行かれてて
すごい罵倒されてたりするんですよ、お客さんに
動きが遅かったりとか
そこで終わったのかな、そこが最後すごい印象的で
そこがさ、戻った人たちがそういう値を受けなかったらいいなとか
そういう世界じゃなかったらいいなって
なんかすごいこう、ひどい扱いを受けるところに戻る
そこを改善できるんじゃないかなと思ったの
うん
状況自体?外的な?
そうだよね
なんかそういうことをすごい考えるなっていうところ
映画のことを考えるな
なんか私映画のさ、説明とかさ、感想とかさ、めちゃくちゃ下手です今
身勝手なんですね
全然そんなことないじゃん
全然そんなことない
すごいそういう細かいところまで見れてると思いながら聞いてたよさっき
すげーなー
逆に振り方が雑でごめんねって思ってた
僕たんどうでした?みたいな、どんな振り方やねんみたいな
どうなの?
思ってて本当申し訳ないと思ったぐらいだったんだけど
自分もまたちょっとレナードの話に戻っちゃうんだけど
レナードのハンスト
レナードが途中で、同じ病気の人たちを先導するような感じで
反乱みたいなこと、反乱って言うとちょっと雑な言い方かもしれないけど
我々はもっと自由を獲得するんだみたいな感じのことを
言い始めた時期があったような記憶が
本当一回しか見れてないからちょっとうろ覚えなんですけど
あれがずっと残ってて
あれがどんな風に収束していってどうなったかちょっとあんまりちゃんと
覚えてないんですけど
そういう感じのと言うと本当雑なんだけど
今までずっと全く体すら動かせなかったみたいな状況から
動かせるようになったことで
ある程度欲みたいなのが出てきたみたいな側面にもちょっと見えたりしていて
ただそれを全てを受け入れてオッケーっていう風に
できるわけでもないよなみたいな感じがあって
ああいう感じの本当に今までずっと抑えつけられてたから無理もないなと思いつつ
でも今ある社会の中の
バランスの難しさ
大多数世の中を回してる人たちとの間でのバランスみたいなのが
なくなってしまってもいいわけじゃないなみたいなすごく
難しいもやもやというかバランスの難しさみたいなのが今は一番印象として
残ってるかなと思っていてなどの方に関して
だから結局一回しか見れてないんだけど
時間経ってやっぱさっきもぐたん言ってくれたみたいに
めちゃくちゃ考えさせられる映画だなっていう風に今はなってきてて
いやめっちゃいい映画だなって今思ってます
そんなまとめ方しちゃダメなのかもしれないけど
もう一回見たいなとは思ってますね
すみませんちょっと反乱というか
ストライキ的なことを起こした場面僕も覚えてるんですけど
細かい経緯ちょっと覚えてなくて
僕もはいごめんなさい
しおさん最近してるね
どういう経緯かちょっと
まずその治って
治ってというか目覚めて
よくは外に普通に散歩したいと
俺は病人じゃないみたいな
ところがあったけどそれが認められず
だけど
反面薬の効果が切れてきたというか
限界が見えてきて
もしかしたら戻ってしまうんじゃないかっていう焦りも
レナードの方にも出始めて
レナード自身にもね
そうそうそれで
ハンストハンガーストライキだから
ハンストやり始めてみたいな
の場面だったかな経緯としては
俺が感じたのはその
当時作った人のメッセージとしては
同じ人間だよねっていう
多分よりその障害のある人病気のある人
と一般をこう分けるっていう
時代ではあっただろうから
その時代背景を
封死してるというかメッセージを投げかけてる
考えさせる場面として
ああいうのを作ったんじゃないかなって今ちょっとちらっと思ったけどね
そういう社会に今なってるのかっていうと
古典でもさヘラルボニーさんが出てたりとかして
いろんな活動は増えてたりもするけども
やっぱりどうしてもこう
障害者として扱ってしまうっていう部分はある
障害者と健常者っていう違いで分けて
健常者の方がマジョリティであるから
どうしても過剰に守ってしまうとか
逆に何もしないとか無関心だったりとか
そういうのがあったりするんだよね
だからさっきモグタンが言ったみたいに
社会の変化
戻った時の社会が
そういう社会じゃない方がいいって言ってたけど
まさにそうだなと思って今モグタンの話を聞いて
じゃあできていたのかなと
できているのかな今の社会はって思うと
自分ができてるとかじゃなくて自分も全然できてない
ところがあるからなと思いながら聞いてたかな
30年くらい前の映画だよね
うんそうだよね
そうそうそう
どう思うかな
なぜブリンさん?
今ちょっとメモを取ってたんで見返してるんですけど
さすが
ちょっとやっぱり
今しおりさんがおっしゃったことがまず根源にあると思ってて
あの映画はモグタンがさっき話してた
レナードが閉じ込めになってるときでも
リル家の石を返せるぐらいの知的な活動があったっていうようなことも含めてなんですけど
一般的な健常者だったりとかマジョリティとか
外から見た人をこの人は
社会生活を送るような状態ではないっていうふうに判断していても
その人には知性が備わっていたりとか
もしくは一般的に僕らが考えるような知的な行いはしてなくても全く違う
人間の価値
価値を持ってるっていう意味で人間として平等に扱われるべきなのに
さっきシューさんの話も接続するんですけど
やっぱりどうしても今のこの社会通年上
どうしても人間の機能的な役割とか資本主義的な社会の中での
言い方ですけど社会リソースとしての価値という
自分たちが判断できないっていうこととコンフリクトをして
どうしても同じ立場の人間である人たちを授与する枠組みがないから
分けて作りして扱うしかないっていうようなことが起きてるっていう
古典ラジオの社会福祉とか障がい歴史にも接続してる話なんで
それの繰り返しみたいになっちゃってるんですけど
ざっくり言うと何をもって僕らは人間を人間として見てるのかって話ですよね。
仮にレナードがものすごい天才的なことを考えても
それをアウトプットできなかったら
資本主義上は何の価値も生み出せないみたいなこともありますし
逆に言うとそれが今クリアされつつあるのが
テクノロジーの進歩によって
それが完全に少女自体は治らなくても
全く違う軸での活動ができるようになってきているのもあると思うんですけど
こないだアクタワー賞ですっけ、受賞者。
結構重度の賞材を持ってる方が受賞されて
いろいろお名前を説明しちゃったんですけど、
彼女はそもそも障害者にとっては本を読むこと自体がすごい大変なんだよってこと。
読者の障壁があるって人はその賞を取ったっていう。
権威がある人の言葉だから聞いちゃうかもあると思うんですけど、
そういうふうに問題提起されてますし、
ツイッターでフォローしてるオリーさんだったかな。
めちゃめちゃかっこいい車椅子。動き回る人がいるんですけど。
障害があるけどそれはテクノロジーでどう乗り越えていくかみたいなこと。
でも逆にそういうふうにテクノロジーで何か乗り越えて、
社会的に価値を見出せば資本主義上では需要されるんですけど、
じゃあ価値を見出さないと需要できないじゃんみたいな問題は解決されないままだよねっていう。
価値ってさ、価値の見出し方によるよね。
今の社会での価値がなくても別に。
私なんか食べて寝て遊んでるだけだから。
生産性で働いてもらえちゃった。
完全に僕もです。
でもさ、生きてるって喜んでくれる人がいてさ。
しゅーさんは元気なんだけど私は安心するしさ。
ありがとう。急に恥ずかしい。
いやいや、ありがとう。
寝たきり患者とのコミュニケーション
それだけで、レナードのお母さんはそれだけでよかったんじゃないかなって思ったよね。
そこにお母さんの答えは持ってたんじゃないかなって思ってて。
お母さんはすごいキンパさんだなあと思ってたね。
うーん、たしかに。
先にたぶんしゅーさんが話したほうがいいんじゃないかな。
導入的に。
レナードもその子があいふくして、女性と仲良くなるじゃないですか。
女性もお父さんが障害というかコミュニケーション取れなくて本は読んでる?
読んであげてるけど伝わってんのかどうかみたいな話をしたときに
いや絶対伝わってると。読んであげてみたいなのを言ってるのも
モミさんが言ってたところに関わってきてたんだなって今思いました。
だから本来はね、そういう奇跡ってなかなか起きないから
俺らは無駄じゃねみたいな、わかんねえみたいな
思いがちですけどこういうコミュニケーション、言語だけのコミュニケーションだけ言うと。
だけどやっぱり観察、俺も警長とかでよく仕草とかを観察するのをやってるんで
僕がやってる警長のアメリカでそれを開発した人がいるんですね。アーノルド・ミンデルっていう人が
その人は寝たきりの患者と対話して、その寝たきりの患者を寝たきりから救っちゃうっていう
そういうわけのわかんないようなレベルのカウンセラーなんですけど
でもその人もその人に寄り添って仕草とか救急から寄り添ってだんだん対話していくと
目覚めるみたいなことをやってる方がいらっしゃって
そういうレベルで観察していくっていうのは大事なのかなって思いましたね。
たとえそれがなくても無駄なことはないのかなって。
ちょっとだいぶ脱線しましたけど。
それを受けての話になっちゃうんですけど
やっぱりこの作品の難しいところ、アルジャノに花束も同じ構造あると思うんですけど
やっぱり一回社会的に復帰するっていうプロセスを経てるっていう
この一点がすごい難しいと思うんですよね。
こんなことがずっと寝たきりに患者に寄り添うみたいな話だったら
さっきもぐたんが言ったような、母親にとっては価値があったんじゃないかとか
ただ寝たきりで、社会的にはコストがかかるような存在でも
その価値を見出すみたいなことはできると思うんですけど、
やっぱり今回は客観的に見たときにも、社会復帰ができるような状態に一度戻って、
当然本人もそれを自覚するわけですよね。
それがもう一回元の状態に帰っていくっていう。
この構造を見たときに、党人の恐ろしさたるやってのもあるし。
お母さんは、仮にレナードがずっと寝たきりだったら、
その状態でも満足できたかもしれないんですけど、
一回回復してそれがまた眠りについていくっていうような、
価値の判断と尊厳
目にするときの恐ろしさとか、
そういうことが減ると、どうしても目覚めてるときと眠ってるときのことを比較することになっちゃうじゃないですか。
そういうことを踏まえて、じゃあ価値って何なのか。もう少し大きい枠組みで。
価値という言葉はどっちかというと尊厳とか、
人間の意思とかそういうものの尊さで話になってくると思うんですけど。
お母さん、僕がやっぱり見たときに一番感動的だったというか、
グッときたのは、最後のレナードが眠りにつくことを受け止めていくプロセスというか。
いろいろあったけども最終的にはそれを自分の中に落とし込んで、
尊厳を失わずに眠りについていくっていうあの態度にこそ、
一番人間の強さを感じたっていうのがあったんですよね。
やっぱり一度得たものを、自分の意思ではなく手放さざるを得ない。
しかもそれが所有物とかではなくて、またに自分の意思とか自分の知性そのものみたいなときに、
それに耐えるってどういうことなんだろうと思います。
もしくは同時にそれをマナータイムにする人たちの気持ちたるように。
確かにな。
もう一つやっぱりこれが。
あ、ごめんなさい。どうぞどうぞ。
あとこれが事実ベースっていうのが大きいと思ってて、
正解はないんですよね。こういうことって。
しかも事実だから、映画だったら例えば読み解きとか解釈みたいなことである程度の正当とか、
正確なメッセージみたいなのも言い出せますけど、今回も演出とか、
結婚でかなり公正には手が入ってるとはいえ、やっぱり事実起こったことをベースにしてるんで、
それに対して補助戦みたいなのをたくさん引いてあるかもしれないですけど、
それに対して間違ったものも含めて、
答えみたいなのを見出すっていうのは不可能じゃないかなっていう気もしますよね。
29:28

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