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2025-08-13 11:29

ぶっ飛んでるスピノザ哲学「自由意志は錯覚」

参考書籍:はじめてのスピノザ 自由へのエチカ(PR)

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サマリー

このエピソードでは、ユバル・ノア・ハラリの新作『ネクサス』を通じて、スピノザの哲学や自由意志の概念について考察しています。特に、自由意志は錯覚であり、個々の選択は因果の連鎖の結果であるという点を深く掘り下げています。また、社会環境が人々の選択にどのように影響を与えるかや、アンチコメントの背後にある原因についても探っています。

ユバル・ノア・ハラリの『ネクサス』
おはようございます、しゅうへいです。この番組では、1年後のあなたが楽になるヒント、外内海の島から毎日有効お届けしております。
最近、ちょっと移動が多くて、多くてっていうかね、あったんで、ネクサスっていうね、ユバル・ノア・ハラリさんの新作ですけど、それをオーディブで聞いてて、まだ上巻ですね、まだ下巻にたどり着いてなくて、いや、めちゃくちゃ面白いんですよ。
ネクサスっていうのは、結びつけるものみたいなイメージで、この世において、事実っていうものが、真実っていうものが、なぜそんなに影響力を持ってないのかっていうね、キリスト教の聖書とかね、いろいろありますけど、
まあ、なんかいろんな解釈で変わったりしてるわけじゃないですか。で、なんかその不可描性とかっていうのはあるんですよ。要するに、もう絶対に間違いを犯しませんみたいな。で、科学はそれと違って、その不可描性ではなく、可描性を認めてるわけですよね。
違った物理学の理論があったら、これ違ってましたって、更新してアップデートしていると。で、そういったことが細かくめちゃくちゃ書かれていて、聞き応えというか読み応えがあって、自分のこの知識っていうかね、あれが全然足りてないなっていうのを思わされる一冊なんですが、それを読んでてですね、政治の部分も出てくるんですよ。
で、ポピュリズムみたいな、大衆の真理を煽るというかさ、これが民意なんだみたいな感じで、まさに今起こっていることですよね。世界的にも日本でも起こっていることだし。
で、そういったものを考えていった時に、何だろうこう、じゃあ意志って何だろうみたいなことを思うわけですよね。その大衆の意志、民意みたいな、それって何だろう。それはその個人の意志ですよね。僕にも意志があって、例えばこれポッドキャスト撮るのは僕の意志で撮ってるということだけども、これさ、なんかちょっと違和感を感じる瞬間ってないですか。
で、その違和感をちゃんと言語化してくれてる哲学者がスピノザなんですよ。そう、僕の理解でごめん。違ったらごめん。で、このスピノザの哲学者を知るきっかけは、暇と退屈の倫理学を書いている国文さんっていう哲学者の方で、その方が、国文さんが初めてのエチカだったかな。スピノザがそのエチカっていうもの、いわゆる倫理学みたいなものを残していて、
その本がすごく読みやすい。読みやすいんだけどもわからない一冊でもあるんですよね。わからないっていうか、うーんみたいな考えさせられるというかね。そういう一言で言うとちょっと浅いかもしれないけど。で、そのスピノザがですね、ぶっ飛んでて面白いわけですよ。
で、本当にこうなんだろう。もしさ、スピノザはどちらかというと、禁書っていうか読んじゃいけない本ばっかり出した人で。当時の教会とかあらゆる権威機関からもう嫌われて。ずっとレンズ磨きだったっけ?お仕事にしてたのかな最後で。最後は結核とかで亡くなったことになっているとか多分そうらしいんですけど。
まあ44年ぐらい、ある意味短い人生だったわけですよね。で、でもこのスピノザ的なその哲学というか倫理観みたいなものがもしあの時主流になっていたら、この国自体の概念も大きく変わってたはずだし。
なんなら今その民主主義によってさ、まあその僕らは一応自分の命をちゃんと守れるようにはなっている。一応ね、そういうものだから民主主義はもちろん素晴らしいし、資本主義っていうのもちろん悪い部分もあるかもしれないけどアップデートしていかないといけないんだが、
でもその根幹となっているものは要するにそのいわゆる自由意志みたいなもんですよね。要するに自由に一人一人が選んでいるんだと。そう言われてもおかしな話ではないというか自然に受け入れられるような話だと思うんだけど、スピノザはぶっ飛んでるんですよ。
そういう自由意志みたいなものはないというか、僕らが思っているものとは違うっていう風に言ってるんですね。いや、まじですごいよね。いや、これ17世紀の人ですよ。自由意志ないのってどういうことかというと、なんかね、意志は独立した力ではないっていう風に言ってるらしいんですよ。
意志は単なる肯定否定という思考のあり方に過ぎず、知性から切り離された独立の力ではない。ちょっと難しいね。自由意志は錯覚っていう風に言っていて、自分の意志で選んだって感じるけど、それは原因の連鎖の結果らしいんですよ。
なんかこれちょっと仏教的な感じだよね。要するに自分が、そうだ今喉が渇いたから水を飲もうって結構自分の自由意志で選んでるような気がするけど、それはなんかさ、喉が渇くという原因があり、喉が渇く原因のまた原因があるはずじゃないですか。ちょっと昨日から忙しくて水を飲んでないとかね。
でもそれはもしかしたら、飲卒で試合に行っててなかなか飲む時間がなかったとか分かんないけど。これ難しいけど、例えば犯罪をしたときに誰かをナイフで刺しましたと。でもスピノザ的には、俺自由意志じゃないから、あなた自分で選んだわけじゃなくて、何かの因果の連鎖ですよねと。
だからあなただけが悪いってわけじゃないんですよっていうこと多分そうなる判断なんですよ。ってことはさ、司法とかも変わってくるよね。これがもし社会の基盤というかOSになったらね。でも僕はこれね、割とアンチコメントする人たちに対して結構思ってたことなんですよ。
社会的影響と司法の変化
この人はさ、アンチコメントしてくるわけよ。例えば僕は今の瀬戸さんをね、保護して買い始めたときに小さいクラウドファンディングのポルカっていうものをやって、みんなから300円500円とか集められるものがあったんですよ。当時それ10万円ぐらい集まったんですね。借金持ち猫を飼うみたいな。
そしたらさ、だいたい僕の周りは好意的というか、むしろ応援してくれる人ばっかりだったのに、いわゆる猫クラスターみたいなのが見つかったわけですね。保護猫界隈のちょっと攻撃的な人たち。その瞬間に借金持ちが飼う。すぐこいつたぶん育てなくなるだろうとか、パチンコとか行くんじゃねえかとか言ってねえよって感じだけどね。
あとはすぐに虐待するだろうとか、何もまだ起こってないことというか、僕これから飼うって言ってるのに、なんで大事にしようとしてるのに、そんな起こってないことばっかり言うんだろうかっていうね。その10万円をお前自分の伸び台に使ったんじゃないかみたいな。別に1回ぐらい飲んでもいいだろその10万円でって思ったけどね。
でもこういうのはたぶんダメなんだろうね。分かんない。細かく言うとね。別に10万円集めたっていうのは全部猫に絶対に使わないといけないって思ってお金出してる人ってそんな多くないって僕だって思うよ。クラファンでホテル建てたいって言った時に、ホテル建てるためにいろんな計画とかしないといけないし、たまには息抜きだって必要だと思うから、それでお酒買ったからって別に僕はなんとも思わないよ。
例えばホテル建てるって言って1億円集めて、もう8000万円ぐらいずっと伸び台使ってたらそれはちょっとダメだと思うけど、でも別に小座費とかあるし、生活があるんだからさって思うわけよ。だから猫に10万円全部使いなさいっていきなり全部使えるわけねえだろって話なんですよね。ワクチンだったりさ、ワクチンとかにも行かずにみたいなこと書かれたんだけど、なんかムカついたのよ正直。
なんでこんなこと書くんだろうって。でも思ったんですよ。なんか、まあナルトの世界観じゃないけど、これ僕がこいつらに、あ、こいつらちっちゃいっちゃったね。この方々にその憎しみを返したところで、これらちが開かないなって思ったの。
なんでこの人たちは借金をしている人が、そういうみんな悪い人で嘘をついてお金を集めたりとか、この猫を育てないって思ってしまうんだろうか。そしてそれを思っただけじゃなくて、そういうふうに攻撃的なコメントにしてしまうんだろうか。でもそれは彼らにとっては多分合理的な選択なわけですよね。
それを合理的と思うような環境とか状況って何なんだろうかって思ったんですよ。だから、アンチコメントする人たちを裁判にかけて内容証明とかやって、謝ってきて最終的には証拠がないのにすいませんとか、でもお金は払いませんみたいなパターンなんですよ。
たぶんおそらくホコネコクラスターのたちの攻撃的なコメントは、たぶん自分たちがそういう活動をしようにもあんまりお金が集まらないのに、にもかかわらずこういう借金持ちがやったら集まっちゃったっていうのにもたぶん腹が立ってて。
そういうのをちゃんとさばいていったところで、結局お金ないですってなるんですよ。ほとんどそうですよね、アンチコメント行く末は。本当に誰もハッピーにならないというか、これ終わりが見えないみたいな。まさにナルトみたいな世界観かもしれないけど、そうなったときにそういう人たちが生まれてしまう原因自体をやっぱり解決しにいかないといけないから、僕はアンチコメントをもらうようになってから、より発信を頑張らないといけないと思ったんですよね。
つまり、そういうアンチコメントをしてしまうような状況にさせなければいいわけですよ。これ難しいけどね。でもスピノザはぶっ飛んでてそういうことを言ってるんですよ。自分の意思でそういうことを選んだわけじゃなくて、たぶんおそらくそういうことをしないといけない環境とか状況とか、積み重なったと。
だからさ、もし今社会にスピノザ的な考え方がインストールされるのであれば、お前の自由意志で選んだのはお前が悪いんだろうじゃなくて、原因こうだったのであればその原因をみんなで減らすようにしようとか変えるようにしようっていうアプローチなんですよね。
スピノザの神と自由意志
だから、たぶんマーケティングとかも今ものすごく買わせようとするとか、あなたこれ好きなんでしょみたいな、それは消費者にも原因があるんだけど、みんな自由に選んでるように見えて、みんなが他の人が買ってるからとかこういうステータスが欲しい、じゃあそのステータス欲しいというのはこういう人たちがこういう発言してるからだよねっていう。
だから僕らは意外とその自由意志みたいなものはなくて、結局何かの連鎖によって選ばされていると言った方がもしかしたら正しいかもしれない。
だからこのスピノザさんはぶっ飛んでおりまして、でも本当に僕はスピノザ的な世界観の方が好きです。
神とか出てきます。エチカとかを読むと神とか出てきてですね。僕らは神の変状なんですよ。ちょっとよくわかんないね。
ぶっ飛んでるんですけど、神っていうのは唯一心みたいなものじゃなくて、本当に自然みたいな感じです。もう無限の神以外のものがないんですよね。
神は外部を持たないとかって言ってて、それは聞いてると確かにって納得できる部分があるんですよね。
Nexusも読みつつ、じゃあ意志ってなんだ?自由意志ってなんだ?って時に、スピノザ的な自由みたいなものがちょっと気になったので、もう一回オーディブルで読み直した。
そうだったと思ったので、その気づきというか、ちょっと感想をシェアさせていただきました。
ということで、初めてのエチカのリンクはつけとくので、オーディブルだったら聞き放題ですね。1ヶ月間聞き放題でございますので、よかったら手に取ってみてください。
今日も聞いていただいてありがとうございました。この後も心地いい時間を過ごしてください。バイバイ。
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