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お願いします。 自己紹介を簡単にお願いします。
佐野です。元ソフトウェアエンジニアで、9年間ぐらい、後半は主にiOSの開発をやっていまして、
32になった時から、大学の学部で数学をやっていたんですけど、もう一度数学をやろうと思って、大学院に進学して、
今は博士課程の2年で数学の研究をやっております。
佐野さん、iOSやってた頃に勉強会とか、WWDCとかで、WWDCの初対面かな、初めて。
佐野さん、そうだと思います。その後もiOSオールスターズのイベントで話したのはそこが初めてだったかもしれないですね。
佐野さん、あの時、すごいプレゼン上手いなという印象を受けた気が。
佐野さん、そういうふうに言ってくれて、僕らに聞かれちゃって。
佐野さん、その時まだそんなに、今ほど外に向けて積極的に発信とかしてたわけじゃなかったんで。
佐野さん、そうかも。
佐野さん、有名な方だというイメージが、イメージで出てきたと思ってたけど。
佐野さん、そうかも。オールスターズで、結構会社の看板があって、Yahoo!とかDNAとかあって。
佐野さん、結構早々たるメンバーでしたよね。
佐野さん、クラスメソッドとか。
佐野さん、その時、Yahoo!から出た佐野さんって感じだったけど、その時から佐野さん個人が立ってきた。
佐野さん、僕の中では佐野さん個人が立ってきたのはその時ぐらいからかもしれないですね。
佐野さん、ありがとうございます。
でも佐野さん自身、結構有名になって。
IOSで知り合って、その後2016年ですよね。
そうですね。大学院に進学したのは2016年です。
31歳で会社を復旧、職して大学院に進学されて、
終始課程で2年のところ3年に延長して、
終了して、そして今、博士課程1年終えて2年目って感じですよね。
去年は終了して、そのまま博士課程に進学して、今2年目っていう感じです。
なので結構、エンジニア業界から大きくキャリアチェンジしてから、結構長く経ってるんですね。
そうですね。だから偉そうにウェブ業界ではみたいなこと喋っても、
もう5年前のことなんで、あんまりこうね、
もう昔の経験だから、今の開発の現場とか、僕がしてるのとだいぶ変わってるだろうなと思いますし、
いや、ほんと5年は結構ね、変わりましたね。
なんかちょっと、ちょっと軽率な発言をしないように気をつけてください。
いやいやいや、僕もだいぶもう化石みたいな存在で、
ジャパンスみたいな、その5年間の変化をそこまでキャッチアップできてないっていう、
割と昔のやり方のまんま、開発現場で本当に必要とされる技術とかはあんまり見てなくて、
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ちょっと僕もあんまり軽率な発言ができない。
大人になることができますね。
そうなんです。
でも僕、今日、もともと別に佐野さんと会えばいくらでも話すね。
なんか今日、前に撮ったボイシーを聞き返したんですけど、
これ、その時も思ったけど、これほんと朝までこの3人だったら、
みんな話したがりすぎて、いくらでもお話があるみたいな。
昨日の日の企画のカフェで僕が、一人でそこにいるみたいなことを書いたら、
今いるんだったら会いましょうみたいな感じで連絡くれて。
そうですね。
長く話しました。
そうですね。その時もそう、佐野さんは読書しに来たけど、結局2、3時間喋って。
まあ、そんな感じで普通に佐野さんに話したいことはいくらでもあるんですけど、
このYouTubeとして、僕が今日テーマに思ってるのは、
ある程度積み上げたキャリアを大きく切り替える時の、
キャリアチェンジの勇気とか、判断の考え方みたいなところで、
ヒントになるような話があったらいいなと思っていて。
で、どういう、それをなんで今、
佐野さんがだいぶキャリアチェンジの決断してからだいぶ長いのになぜ今それなのかというと、
僕はちょっと今、迷っているところがあって。
僕はずっと、これも本当なんか始まって早々に僕の悩みそうなみたいな。
いや、それは別に。僕、佐野さん。
本当は佐野さんの話をたくさん聞こうと思っているので、
視聴者の人は我慢していただきたい。
前提となる話の共有なんで。
僕は10年間ずっと、もうとにかく手を動かして作ることが楽しいっていうので、
で、どんどん面白い人と面白いものを作ることが僕のやりたいことだということを信じて疑わず、
そこはもうブレることなく。
で、そのために新しい技術を身につけながら、
それを発信して、そしたらその仕事が来て、
その仕事をやったら、さらにそこのスキルと実績もついて、
そしたらまた次の面白い仕事が来るっていうので、
そういうサイクルでずっと楽しくやってて、
つまり手を動かして発信して、そういう仕事をやる。
そういうのが全部有機的につながってて、
それらをやる、その中のどれをやることにも疑いはなかったんですけど、
それで10年そういうふうにやってきて、
そのサイクルがどんどん洗練されてきて、
やりたい部分だけやる交渉とかもうまくなったし、
発信も自分のやりたいとこだけ発信していくとか、
あと勉強だけでもある程度マネタイズできるようになって、
勉強、それが仕事につながらないにしても、
自分のやりたいことを勉強するだけでもマネタイズになるから勉強できるみたいな感じで、
どんどんそのサイクルが強くなっていく中で、
でもなんか手を動かす以外のことも面白いなと思ってきたりも最近してて、
いろいろとまた新たな活動を始めたり、
そうなんですよね、コミュニティ作ったりして、それも面白いし、
06:01
自分の発信のやり方みたいなのを人に教えていくのも結構楽しいなとか、
自分で手を動かすのが最上だと思ってたけど、
ずっと時間が足りない、時間が足りないっていうところを慢性的にやってる中で、
もうちょっとアウトソースする、
人に頼む力とかチーム作る力みたいなのも鍛えたりしたいなと思う中で、
でも手を動かす方が楽だし、早く結果出せるし、お金を稼げるんで、
どうしてもそっちの自分が築き上げたサイクルの方に引力が強くて、
ついそっちに引き寄せられてしまうし、
まんざら嫌でもないっていうのがあって、
ついついそっちばっかりやっちゃって、
なかなか新しい、こっちも面白いような気がするみたいな方に振り切れないみたいな、
振り切れ…そうですね。
そんな感じで、今まで積み上げてきたキャリアとか、
そこそこ楽しんでやってきたことから、
新しいことをこっちにやりたいんだって確信…
やりたいことに確信を持つのも結構難しいことだと思ってて、
その当時、佐野さんが言ってたことはだいぶ僕の中で、
当時は僕そんなに違和感なかったし、
すんなりそりゃそうだろうなと思ってたんですよ。
数学やりたいと思って、いいじゃん、いいじゃんと思って、
別にエンジニアも戻りたいと思ったら、
佐野さんの本質的な実力があるから、
別に戻れるでしょうと思って、何のリスクもないし、
それもう全然いいじゃん。
当時はそこまで葛藤まで想像がいかなかったんですけど、
今、自分が葛藤する立場になると、
あれ、あの時そういうの絶対あっただろうし、
どういうふうにそこを、
上手くいってることの引力からどうやって出したのかなと、
そこは興味ありますか?
はい。語れると思います。
僕は学部で大学の数学科にいたんですけど、
高校から数学は好きで、
大学に入って数学科の専門に進むんですけど、
3年くらいから、やっぱり専門に進むと、
それをすごく深くやってる人たちに囲まれるわけですし、
一般と比べて数学が得意な方とかっていうレベルじゃなくて、
本当に数学がめちゃめちゃできる人たちの中に入るわけじゃないですか。
自分は数学だけでやっていくのは難しいだろうなっていう思いもありつつ、
当時は今とは比にならないくらい社会性がなくて、
本当にどうしようもない奴だったんですよ。
自分がまともに就活とかできる気もしない、
みたいな気持ちもあって、
本当にお先真っ暗な感じだったんですよね。
どっちの道も進めないというか、
社会に出ることもできないし、
数学好きだけど、
専門でやっていける自信は全然ないなって。
当時は社交性も全然なくて、
一人で図書館に引きこもってひたすら勉強して、
なんとか活路を見つけようとしたんですけど、
精神的に余裕がない状態だと、
インプットも全然入ってこないんですよね。
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講義もどんどん難しくなっていくしっていうので、
取り残されてしまって、
一応大学院の試験も受かりをしたんですけど、
結局行かなかったんですよね。
ちょうどそのタイミングで、
もともと僕が中学の時に入ってたコンピューター部の先輩が、
未踏ソフトウェアっていうのをやるから、
その後一緒にやろうぜみたいに誘ってもらって、
その時が2006年だったんですけど、
SNSブームが来てて、
Mixiとかがめっちゃ盛り上がり始めてて、
第一次ITブームの後の次の流れ、
スマホの前のSNSブームの時期で、
未踏とかもすごい盛り上がってたんですよね。
なんかちょっと今自分は先がないような状態だし、
ちょっとそれをやってみようと思って、
その先輩とあとメンバー4人ぐらいで、
未踏を一緒に出して、
当時僕はそのITのこととか、
そのウェブ業界のこととか、
全然もう自分の感覚としてはなかったんですけど、
梅田茂長さんのウェブ進化論とか読んで、
つけ役場でテンション上げて、
プレゼン資料とか作ってプレゼンとかしたりしたら、
それで採用されたんですよね。
なんか自分の中ではもうこれだ、みたいな感じだって、
もうもともと追い込まれてた状況だったし、
なんか採用されて、
開発資金みたいなのが結構ドガッと来られたんで、
もう俺は数学じゃなくてこれなんだ、みたいな感じで、
その人たちと一緒に会社を始めて、
それは5年ぐらいやってたんですけど、
当然若気のイタリーで始めたものだし、
僕も何か具体的にやりたいことがあって始めたっていうよりは、
もうなんかこう追い詰められた人間の、
ドタンバラの判断で始めちゃったことだったんで、
そんなにやっぱこううまくいかず、
結局その会社ごとミクシーに買ってもらうことになって、
それで僕はミクシーに移ったんですけど、
その5年間も結構暗い状態だったんですよね。
でも大学院には行かずに会社をやるんだっていうことで、
当時持ってた数学書とかも全部売って、
数学のことを考えるようにしようっていう風に、
試合を狭めて、
自分なりにテンションを上げてやってきたんですけど、
やっぱこう違和感はずっとあるわけですよね。
これって俺が本当にやりたいことだったんだっけとか、
投資家向けにプレゼンしてる時とか、
自分たちは夢がありますみたいな感じのことを言うわけですけど、
自分に嘘をついてる感じというのは常にあって、
そういうのをずっと続けるとだんだん病んでくるんですよね。
でも最後の4年目、5年目ぐらいとかは、
かなりダメな人間になっていて、
立ち上げた会社を買ってもらえたとか言うと、
すごいサクセストーリーみたいに聞こえると思うんですけど、
僕はもう本当にひどいもんで、
精神的にもう病んでしまって、
1ヶ月ぐらい沖縄で療養してたんですよね。
戻ってきたら、
ミクシーが買ってくれることになったって聞いて、
それはラッキー。
路頭に参らずに住むわ、みたいな。
それでミクシーに入ったんですよ。
ミクシーで1年ちょっとぐらいいたんですけど、
会社のミクシーで、
そこではiOSエンジニアとしてやってました。
そこで初めて仕事としてはちゃんとiOS。
ミクシーに移る前からも、
ちょっとずつスマホブームが来てたんで、
ちょっと自分でやったりとかしたんだけど、
別に会社としてiOSのプロダクトを出したってわけでもなかったから、
iOSのエンジニアって名乗るレベルではなかったんですけど、
でもミクシーに移ってから、
せっかくだからiOSの開発をやりたいと思って、
それでiOSチームに入ったりとかして、
やったりとかしてたんですけど、
でもやっぱりちょっとなんか、
12:00
もともと入った経緯が、
そういうかなり受け身的な感じで入りましたし、
すごい楽しい仲間とも知り合えて、
白山さんともそこで出会って、
すごいいいメンバーとたくさん出会えたんですけど、
これをずっと続けるっていう感じじゃないなっていうような予感があって、
それで会社をやってた頃に、
お世話になってた先輩の企業家が、
その会社がYahooに変われて、
その人はYahooの中で結構偉い人になってたんですね。
その人にお悩み相談みたいな感じでお話しさせてもらって、
今結構Yahoo楽しいよみたいな感じで言われて、
当時第二体制に変わって、
何年かぐらい、2年3年以内とかで爆速だとか言って、
第二のYahooスタートみたいな時期だったんですよね。
そういう変化のタイミングにかかるの面白いんじゃないかなと思って、
それでYahooにそこから移ったのが2013年ですね。
結構その環境はすごい、
僕が居させてもらった環境は恵まれていて、
CMO室って言ってチーフモバイルオフィサー、
当時村上真さんがやってたチームに入れてもらったんですけど、
まだYahooは当時PCがメインで、
スマホができる人があまりいないっていうことで、
iOSを引っ張っていくような役割をやってくれみたいな感じで言われて、
それでそのiOS、WWDCとかに行かせてくれたんですよ。
それで最初に行ったのがそれで、
その最初の1年は僕一人WWDCに行って、
で、深夜の別とかに並んだりして、
で、まだ社内での繋がりとかもそんなにないから、
割と孤独の中、深夜一人黙ってますとかやって自撮りして、
Facebookに上げたりとかして、
そういうのもやってたら、
ちょっとずつ面白いやつがいるらしいみたいな感じで知ってもらえて、
WWDCで勉強したこととかを会社に持ち帰って、
社内勉強会とかやっていくうちに、
いろいろと当時の平松くんとか、
西馬夫さんとか、
今Yahooで活躍してる人たちと、
そうやって繋がっていくことができて、
それでだんだんようやくエンジニアとして、
少しは楽しくやれるようになってきたんですよね。
僕の中ではまず暗黒期がかなり長くて、
Yahooに入って、
そのいいチームに入れてもらえたおかげで、
少しずつ自分が活躍できる場が、
見つかってきたっていう感じです。
その2年目のWWDCとかで、
多分そのイベントをやって、
その辺で多分、
スミさんとお会いしたりしたのは、
多分その辺りだったと思います。
だからなんか、
IOSスーパー、スーパーオールスターズとか、
こう言ってやってるけど、
別にそんなに、
当時はスーパースターって名乗っていいよ、
なるべくじゃなかったし、
自分としてこういうプロダクタに携わったって言えるものが、
あるわけでもなかったんですけど、
そこもなんか調子乗って、
買ったりで、
俺はすごい奴だみたいな顔して、
やってたっていう感じですね。
でもそれがその、
2013年、14年ぐらいで、
ようやくその、
エンジニアとしては、
少し地に足をついてきた感じがあるし、
あとは僕は人に向けて、
何か発表したりするのが好きなんだっていうことも、
その辺りで結構、
ようやく気づいたんですよね。
ていうのとあと、
転職、
ちょっと前ぐらいに、
Yahooに転職するちょっと前ぐらいに、
結婚して、
その1年後ぐらいに、
子供を授かるんですけど、
そういうような色々な変化があって、
ある程度社会人として、
自分が落ち着いてきたっていうこととか、
それまでずっと憧れを抱いてた家庭というものも、
ようやく家庭を持つことができたっていうのがあって、
色々とそれまでの、
15:00
自分が追い詰められてた状態っていうのは、
ようやく少しほぐれてきたというか、
少し余裕を持って、
自分の過去を振り返るようになって、
ずっとやっぱ数学のことは考えないようにして、
それまで生きてきたんですけど、
奥さんとかと話しながら、
数学もう一度やってみたい気持ちもあるんだよね、
みたいなことを言ったりしたら、
それまたやりたいんだったらやってもいいんじゃないの、
みたいなことを言ってくれたんですよね。
僕はちょっとそれを間に受けすぎて、
それまでずっと、
自分を偽って蓋をし続けてきたものを、
ちょっと開けただけで、
やっぱこうバーッと一気にできてしまう。
ポップコーンみたいな感じで。
圧力鍋を急に開けると豆が飛び出すみたいな、
あれがあるじゃないですか、危険な。
そういうことで、
吹き出しちゃったんですよね、それで。
でも最初は、
社内の勉強会で数学の話をするっていう。
それはSWIFTが出たっていうのが、
すごい自分の中ではいいきっかけになって、
SWIFT3年、
僕が参加した3回目のWWDCで、
2015年、あれ?2014年かな?
確かSWIFTが発表されて、
SWIFTはユニコード文字が使えたりとか、
演算子のオーバーラインができるから、
例えば積分みたいなことを、
積分記号を使ってコードでできるみたいなとか、
あとは相和のSIGMAとかが使えるとか、
あとは演算子のオーバーラインがあるから、
複素数をプログラムで書いたりできるみたいなことを、
遊びでこうやってて、
これ面白いなと思って。
それでその社内のLTEで、
こういうのありますとかって話したら、
すごい受けたんですよね。
あんまりやっぱり当時、
プログラミングに絡めて数学の話をする人っていうのは、
少なくともフロントエンド帰る場合では、
あんまりいなかったし、
それがめちゃめちゃ受けたんですよ、社内で。
僕も好きな話をして、
受け入れてもらうっていうのは、
すごい嬉しかったんで。
で、IOS7勉強会みたいなのが、
確かあったと思うんですけど、
そこですごい人数が集まってくれたんですよ。
Yahooでやりますって言って、
新しい技術についてキャッチアップしたりみたいな。
一般向けのイベントをやって、
そこにすごいたくさん人が集まってきたところに、
SWIFTで複素数を作るみたいな発表を、
テンションを上げてやったら、
それもまたすごい受けが良くて、
で、西さんとかがツイートで、
佐野さんは数学の話をするときに、
嬉しそうだなみたいにツイートしてくれてて、
それもなんか、
自分が本当にやりたいことみたいなことに、
再びこう気づいてしまって、
で、その後、
やっぱでも仕事しながら、
一人で数学勉強するっていうのは大変だから、
何らかの自分なりのモチベーションを作らなきゃいけないと思って、
それでプログラマーのための数学勉強会っていうのを始めたのが、
2015年ですね。
で、それを最初は会社の会場とかを借りてやって、
で、自分がコンタクトできそうな人に、
コンタクトして出てくださいと。
で、5人ぐらい人を集めてやったら、
それもまたすごい評判が良くて、
で、やっぱりもともと自分が無理だろうと思って、
蓋をしてたものをちょっと出してみたら、
すごい受けが良いと、
もうそこにずるずると引き込まれていって、
もうそれをやらない状態というのが考えられないような感じになっていってしまった。
でもそれはまだ、その時は子供が生まれたばっかりだったし、
もうそのプログラマーのための数学勉強会を、
第1回開催したのが2015年なんですけど、
その印象を受けたのがその年の9月とかなんですよね。
だからもう自分の中では、
急激にもうそっちに気持ちが移ってしまって、
で、奥さん、やったら良いと思うっていう風に、
まあ言ってくれてましたけど、
そんな急なつもりで言ってない。
長い目で見て、
少しずつやっていったら良いんじゃないみたいなのはあるけど、
生まれたばっかりの子供がいて、
いきなりやり始めるとか、
18:00
それは違うっていう感じで、
そこは正直、自分でもかなりまずかったと思うんですけど、
だからまあ、大学院に戻ろうとして、
それをやったのはほとんど、
まあもう発作みたいなもんですよね。
もうやらないのは無理だったから、
もうやってしまったっていう。
そうか。
その時、開発への未練みたいな。
それは、それがまたちょうどいいというか、
ちょうどいいっちゃいけないんですけど、
それまで会社の中で、
1年ぐらいかけてやってきたプロダクトがあって、
それがその、
僕はその辞める、
2012年ぐらいからずっとそれやってきて、
2013年に僕はそのYahooを、
間違えた間違えた。
2015年ぐらいからそのプロダクトやってきて、
結構いいものはできてたんですけど、
結局それはリリースできなかったんですよね、最終的に。
なんか社内の主要なプロダクトと競合するからみたいな感じで、
それもあって、
もういいわってなったんですよね。
自分がせっかく情熱を持ってやってきたプロダクトが、
世に出せないっていうのは、
もうそんなことのために、
俺の貴重な時間を使うのは嫌だみたいな。
それはいいね。
切れるためにはちょうどよかった。
なるほど。
その話知ってます?
なんかそれで、
その代わり、
供養するために、
オブジェクティブシーカーでコンバートするやつ。
何も出さないのがやっぱり正解だから、
せめてその家庭で作ったプロダクトぐらいは、
サブプロジェクトとしてオープンソース化しようと思って、
出したっていう感じですね。
それやんないとだって、
1年間何もやらなかったことになりますからね。
そういう意味ではちょうどなんか、
開発区切りもよかったし。
一番いいのはリリースして、
これでようやく一つの仕事としてやり出せた。
なれば一番綺麗だと思う。
やっぱり世の中そう甘くなくて。
終わりはこう。
あのバッドエンディングで。
いや、ちょっとしょうがないです。
なるほど、そっか。
そういう意味ではちょっとあれですね。
何だろう。
状況としては、
多分、
僕が30歳で、
やっぱり自分で物作る方に憧れてそっちに行って、
もうずっと止めどなく楽しかったみたいな感じで。
それが佐野さんにとっての数学で。
僕はだから、
それを10年もう疑いもなく最高に楽しく、
それに全てを投入する。
趣味も、
そっからは趣味もなくて、
それが趣味で、趣味だから。
ずっとそれをやってれば楽しいっていうので、
それで住んでて。
10年経って、
なんかあれ、
なんか飽きてきたかもみたいな。
飽きてきたから、
他のことに興味が出てきたかもと思い始めたっていう感じかもしれないですね。
使える時間がやっぱり、
お子さんが生まれたことで。
それが大きいしね。
さっきおっしゃってた、
機能単位しか開発できないっていうんだと、
やっぱり丸ごと関わるのに比べると、
仕事の面白さとしては明らかに減っちゃいますよね。
そうなんですよ。
まあ、
そういう意味だと、
でも佐野さんの場合は、
それで数学が、
今は数学やれて、
勉強できて楽しくて、
で、
今後どういう形であっても数学は楽しいんですかね?
こういう数学は楽しいけど、
こういう数学は楽しくないみたいな、
21:00
関わり方として。
それはあると思います。
例えば、
もともと一度、
学部の時に数学を離れる時も、
数学という手段にこだわるために、
楽しくない仕事をやるのは嫌だと思ったんですよね。
数学を使う仕事って、
例えば企業研究所に入るとか、
当時だと、
金融系がすごい盛り上がってたから、
数学から金融系に行く人っていうのは、
すごい多かったんですよね。
例えば当時だったら、
外資の金融とかに入れれば、
で、クォンズとかになれたらもう、
勝ち組みたいな感じはあったんですけど、
僕はあんまり金融には興味ないし、
青年保険とかも、
銀行系のそういうのとかも、
正直やっぱり、
僕はそういうことを理解する頭を持ってないというか、
たくさん数字が出てくるともう無理みたいな。
頭の作りになっているので、
できないんですよね。
今だとデータサイエンスとかもすごい、
今はどれくらい盛り上がっているかちょっとわからないですけど、
でもまだ花形の仕事としてあると思うんですけど、
データサイエンスもやっぱり自分には向かないだろうなと思うんですよね。
それやってみたらまた違うのかもしれないけど、
少なくとも、
数学を使うからっていう理由でそれを始めたら、
多分あまり楽しめないだろうなと思います。
全く新しいことを始めるんだっていうマインドセットで始めるんだったら、
また違うかもしれないですけど、
数学へのこだわりを持ちながら、
それを活かせる仕事としてみたいな選択をしたら、
多分失敗すると思うんで。
だからそこはもうむしろ切り分けたいと思ってるんですよね。
自分の好きな数学の楽しみ方ができないような仕事をするんだったら、
別にそれはもう数学にこだわらずに、
楽しめる仕事を選びたいっていうのが。
僕はUI、フロントエンドエンジニアという仕事がすごい楽しんでいましたし、
結構よく意外だとか、
数学やって何でフロントエンドがやってるのとか、
稲美さんに言われたりとか、
結構言われたりするんですけど、
僕はそんなにその数学を楽しいと思う感覚と、
フロントエンド開発してて、
目に見えて動くものができて、
お店で楽しさっていうのは、
そんなに自分の感覚としては違わないと思っているんで、
多分別に数学は使ってないけど、
でも別に自分は楽しんでるから、
それでいいという感じはあります。
全然わかりますよ、僕は。
別に数学が楽しい人は、
育児が楽しくないっていうのと、
そういうわけじゃないので、
それはそれ、これはこれ、
どっちも、
UIはやっぱ、
自分も触るし、
子どもも奥さんもそこは見えるから、
やっぱそういうわかりやすいところで、
ちゃんと成果出す楽しさみたいなのは、
僕はすごいあるなと思って、
やっぱ、
いいUI作って、
人に見せていいねって言われる喜びみたいなのはやっぱあるから、
そこは全然わかりますね。
やっぱりこう、
当時やっぱりアプリだと、
特にそのフロントエンドって、
HTMLにJavaScriptをちょっと書くだけでしょ、
みたいな感じの見られ方をしているのかもしれないですけど、
アプリでちゃんとしたものを作ろうとしたら、
すごく構造的にしっかりしたものを作らなきゃいけない。
それは例えば、
通信の途中でユーザーが変な操作をしたらどうするみたいなこととか、
いろいろといろんな場合分けを考えて、
綺麗な構造を保ちながら作っていかないと、
すぐ破綻したものになっちゃう。
それ結構、
単純に目に見えるものとして面白いっていうだけじゃなくて、
構造としても綺麗なものを作らなきゃいけないし、
あとSwiftが出てきたことで、
構造化っていうのがよりやりやすくなって、
楽しくなったっていうのもあるんで、
24:01
いろんな点で、
数学において大切なものと、
共通する部分っていうのは結構あったと思いますし、
それだけは普通に楽しめていたんですよね。
だから、終了後どうするかについては、
まだいくつかプランが自分の中ではありながらも、
具体的にこれにするっていうのは決めてないですけど、
仮にもしまた会社に戻るみたいになった時には、
かなり自分の中での数学のレイトは、
下がることになるだろうなっていう気はしてます。
そこは、またそこで下がった時にまた蓋が開いちゃう。
当時みたいに、ひっしこえて見ないようにしてるっていうような、
変な精神状態じゃないですから、
別にやりたければやってもいいみたいな。
ある程度コントロールしながらの。
そうですね。
当時、今一つ思い出したこととして、
僕がプログラマーのための数学勉強から始めた時って、
結構数学にみんな注目し始めてた頃というか、
データサイエンスブームがあったりとか、
あとはユニティとか使ってみんな個人で
3Dゲーム作れるようになったみたいな。
その中で行列の掛け算とか資源数使うみたいな。
そういうような技術の変化によって、
みんなエンジニアが積極的に数学に興味を持ち始めたっていう
ような感覚があったんですよね。
その中にいる自分は、一応数学のバックグラウンドもあって、
プログラミングというかエンジニアリングもできるから、
結構いいポジションにいるなっていう気持ちはあったんですけど、
でも数学に関しては、
屈折した気持ちをずっと抱えたまま、
一度逃げたみたいな気持ちがありますから、
その気持ちをそのままにして、
私は数学をやってきたエンジニアですみたいなことを
言うのは無理だなと思ったんですよね。
自分に嘘をつき続けるし、
本当に数学をやってる人が目の前に現れたら、
すごく卑屈な気持ちになってしまう。
そんな感じでその先に生きていくのは嫌だなと思って、
それだったら若いうちに、
この卑屈な気持ちの原因となっているものに、
真正面から向き合って、
そこを解消した状態にしないと、
その先の人生がかなり不自由になると思ったんです。
それは嫌だなと思って、
ごまかしをやりたくないなと思ったんですよね。
本当に好きなものを全面に出していくんだったら、
躊躇なくそうできるようにしないと、
一生嘘をつきながら、
別等感を抱えながら生きていくことになると思って、
それを解消したかったというのも。
それはすごいわかる気がします。
そういう意味でも、
今後、
博士課程が終わった後も、
仕事をするときに数学の比重が下がっても、
そこが大きく違うんですよね。
そこがすっきりして、
また社会に出るということが。
卑屈になる必要もない。
このYouTubeで、
共通の知り合いの話をするのが、
内話話的になってしまうかもしれないけど、
27:00
しろやまさんの情報、
コンピュータサイエンスへの情熱、
気持ちも同じように、
そこを通らないことには、
やっぱりどうしても。
コンピュータサイエンスということだけ考えたら、
別に全然やってくると思うんですよね、
しろやまさんの。
そうなんですよ。
でも本人はそれを、
偽り続けるのは嫌だ。
そこの強い気持ちを感じますね、
発信から。
特にその発信に入った段階では、
そういうネガティブな気持ちで、
自分のトラウマを払拭するんだ、
みたいな気持ちは、
かなり強かったんですけど、
収支した年間で、
それなりに自分としては、
手応えのある、
自分の中では、
まあまあやれたなと思う結果が出れたので、
それによって、
ネガティブなモチベーションというのは、
消えたんですよね。
数学に対する後ろめたさみたいなのがなくなって、
もうちょっとピュアに、
もう少しちゃんと研究したいという気持ちになって、
それで白紙家庭に進んだという感じです。
今僕は人生の中で、
一番精神的に健康な状態ですね。
いいですね。
マイナスのところを全部ゼロに戻して、
あとはプラスに変えて増やしていく。
なるほどな。
そうか、分かりました。
ちなみに、